第25話  とある病理その表出(★)

文字数 8,409文字

ロメロによるゾンビ三部作そのラストを飾ったのが【Day of the Dead 】(1985)。邦題は「死霊のえじき」とされてあった。これは正しくないな。正しくは「食人鬼らによってこの地上が尽く、もう完全に覆いつくされてしまうこととなってしまったその日」とされるべきであったであろう…。

これら三部作によって観覧者らに与えられた、植え付けられてあったであろうそのトラウマは

なものでしかなかった。それはまったくもって中途半端なものなんかではまったくなかったんだ。ゆわば、あれは呪いとしてのものでしかなかった…。

この三部の

によって、ときを置いての次作の構想アイデアの進化進展において、その世界が備え持ってある具体性、現実性は、もうとんでもないレベルとしての高みに、また深みたるものを獲得する、果たすを迎えることとなってしまってた…。それはトラウマたるものを形成するにおいての呪いとしてのその

としての意味にはなるんのだがね‥。

ハッキリ言うと〜、すべてリアルなんだ。それとしてのものなんだ。真実としての真実として今あるその状況を、

持っている。それは被写体とされてあった、表現おいて選択されてあった、

ーなのだ。

 ときには喩えをもって、暗喩をもって、表したほうがことの本質を抽出できることもある。

かっては確かに人間ではあったその存在。もう死したるにも等しいはずなのに、未だこの地上を生者らと一緒に徘徊している、闊歩してある存在…。それらにおいての特筆すべきところのその特徴は、餓鬼、食人鬼、グール、怨霊、地縛霊、etc 等としての存在だっていうことになる。誰にとってだ?。生者ら(側)にとってだ。ここには明確にしてなる絶対の一線、明確なる境界線がある!。※それらとして表されている存在ってのは現実にあなたのすぐ隣で生活している誰かでしかないんだがね…。

恐怖を梃子にしてとはなるのだが、その物語世界があまりにも強固にしてなるものになっちまってる。観るもののそのこころを掴んで、こちらの世界内に引きずり込んでしまって、もう決して離しや〜しない…。また烈日の日としての、それと成り果てたるのその世界を、その時を、その状況を、物語フレームにて、構成することに完璧に成功してしまってるんだ。つまりは、物語としてのその

ってやつが、あれらの作品には間違いなく宿ってた〜ってことになるのだが〜…。これは誰かしらかからの恵まれものとしてでしか起こり得ないもんなんだけどね…。故に非常なり説得力が支配力たるものが、観るものらに対して、それにはあったるのだ。観るもの等においては、目の前に繰り広げられているもののすべてが何なのかはハッキリと知ることはできないだろさ。さっぱり分からんままの人もいたことであろう。でもとにかくにも理屈を越えて、観るもののそのこころをガッチリ捕まえて離さない、そんな力があれらには確かにあったんだ。もうその世界観において、雁字搦めにしてしまえるほどまでの暗示力たるものをあれらは備えて、持ってあった。これぞ間違いなく究極のトラウマたるものを形成すべきべくしてのものとして!、これぞまさにエニグマと呼びたくなる程までのものを…。

エニグマとなってしまうのは、そこに表されてある人間の行動が病理、病的なものであるからなんだ。だから健全に暮らしている人達からすればその動機や原因は理解しかねる。ただうっすらと人間臭さみたいなものを覚えるまで。だが、そのヒトにおける異常なこころの働きってやつははたしかに実在する。現実に存在している。

ええっと…今回は

に特別に脚光を当てての内容する手はずなんですが〜、いらぬ前置きまで作ってしまった、もうた…。いやね〜、③-4 に含めたかったものになるのですが〜、流石にそれすると過剰になりすぎちゃうってことで別稿立てたまでなんです‥。

さて、でわ、それはどのシーンでしょうか?!。

ヒントとして一枚だけ、まずあげときます。




今はこれ一枚だけにしときます。ゆくゆくは完全にその流れと結末としてのものを入れます。

それが果たされた時点で星は更に二つ増えて計:五つの星が並びますぜ〜って。w


デビルマンを読んだことによるトラウマも残響を果たしてしまってたと思うのだが、

これによる、このシーンにおけるトラウマも、背景にはあるような気が自分はするんだ。


非常に倒錯的にしてなるヒロイズム。
イエスが行ったその型に、この自分の別の行為をはめ込んで正当化する。
真逆なるものをもってくることによって、本来性を冒涜する、毀損してある。

どうしたものなのが自分はこのアイデアにいたく異常に興奮してる。

そしてそれをどうしたものなのか、どうしても表現として表したくなる〜。


悪趣味もいいとこ‥

恥知らずとしての…

あくまでも下劣にして虚弱なる精神、その根性の持ち主としての、

それとしてに拘ってあるなんと腐った卑屈にして屈折した性根であることかーー…。

でも、そういった気違い沙汰をたしかにヒトは現実において行ってはいるのだがね…。



             こっからがその内容に関しての展開!

本来ならば、前作の【DAWN OF THE DEAD】(1978)をもって、
完結してもよかったのだ。
それほどまでに〜、この作品は、完成度が、ほんまに〜、高かったのだから…。

★すごいよー!HDで、これの、ほんまもんの完全版が、観れるーー!。
それも日本語版の字幕付きで〜。
https://www.youtube.com/watch?v=5wDttV9kAoA 
おそらくだが、自分がこれ書いたから、準備してくださったのだー!。誰が〜?。www。

ぜってい、観たらあかんぜよー!。

時間の無駄にしかならないからーー!。w。

でも、人類が取りうる唯一の選択肢としての籠城のその場所が巨大モールとされていたってことろに、この三作目の制作が必須となってしまっていた!。つまりは、人類にとっての、最も堅固にして強固なる砦とはなんであるのか?となったとき、それは間違いなく軍事基地との答えになるであろうから!。基本、この作品が描いてあるのは人類の総全滅としての事態としてのことになる。だから〜、一切の生き残る上でのその可能性として、ありえるものならば、それは完膚無きまでに、叩き潰しておかなければならない。更には、徹底的にして非情なる、その説得力を、見る者らに対して、持った形にて!。



即物的なまでのお墓。あくまでも有り合わせの材料をもって、こしらえられただけののもの。このチンケな十字架にはなにを観るか?。亡くなった仲間を悼んでのもの。状況的に生き残りとしての仲間の数は、もう簡単に数えられる程でしかなかった。だから、どうしても、嫌でも助け合っていかなければならない。人間関係は狭く濃密なるものにならざるを得なかったのだ。そのうえでの、せめてもの戦死者に対してのはなむけ、悼む思いを込めての、その形式としての繕いであったのだ…。



命を宿してある、物語としてのパワーを宿してある創作物ってのはあまりないのだが(昔はいろいろあったんだけどね)これと前作は、確実に

持ってたのだ。ことは予算のあるなしや製作者らの人間性の云々の話しなんかではなくてー、状況そのものがそれとしての表現を求めてくる、それこそが背後にて出現させてしまっているのだ!。どうしたものなのか、これはもう役者さんとしてではなくて、その彼、そのものになってしまわれていたー。その彼そのものが我々の目の前に登場してきてしまっていたのだーー!!。※ご参考までにもう一作品自分としてものをあげとく。「Bonnie and Clyde」だ...。



この彼は、なにしにここに来たのだろうか?。どうしてこんなところにいるのだろうか?。まともな精神じゃない!。ここは外界との物理障壁をもってなる境界線、その最終防衛ラインとしての際の際としての場所なのだから。異常がないかどうかの見回り当番だったんだろうか?。それにしてはこの彼の表情には趣がありすぎる!。思いたるもののが、その投げかけたるのが、あるありすぎることが完全に見て取れてしまう。ある意味、

としての、その相手への眼差しだ。基本、そんなことはあり得ない!。では何がこの彼の心中においては起こっているのか?。極度の緊張状態その連続の果に来たらしめてしまった諦観が故なんだろね。合理的な思考をもう放棄しちゃったんだ。そんでありえないこととは知りながら、知っていながら、その敵、そこにある脅威に、救いたるものを委ねようと…この思いに取り憑かれて、もう流されてしまったと…。もう憶えてはおるまいが、「お前たちも元はこの俺と

人間だったんだぜ…」。



「蟻の一穴天下の破れ」まさにこれを地でゆくところの展開。「こんなことをしていいと誰が言った!」。

このことは彼においての

。自己がその孤独にして追い詰められたところの心にて、編み出した妄念妄執の虜、それに取り憑かれてしまってるんだ。ここは...もう一度刑務所に戻りたい、死刑にされることをもって、この世から脱出したいからといって、実際に事件を起こしてしまう人達のことを念頭に置くべきだろね。この彼のような人間が、もうすぐ街には溢れだすことになるかもね。では、問題はなにか?。そんな問題なんてもんはないんだ。どこにもない。すべてはあくまでも個人的な妄想、それの、それにおいての暴走としての事態でしかないんだ…。もし、まともな人が、その彼に触れたならば、一発で、その状況は吹っ飛んでしまう、消え失せてしまう、そんなもんでしかないだからね〜♡!。近くでほんの少し会話するだけも大きな影響力を発揮することになる。横切っただけでもすごい効果があるんかも‥。



ご開門!。怒涛のごとくに、それらは雪崩を打って、まさに飢えたハウンドの如くに、勇み、流れ込んでくる。来てしまう。そりゃそうよ、それらにとっての餌食となりうる存在は、もうそこにしか、そこん中にしか、いないんだもん。地球全土のどこを探したって〜、もうだれ一人として、人っ子一人として、残ってはいない。それに比べて、ことにおいての需要ときたら…もう破格としてのものに、もう天井知らずものと、なってしまっているではないかーー!。



本当の最終防衛ライン。鉄壁の防護壁。核攻撃をもってしてであってもビクともしない、そうあるべく、そうであることを前提として造られている。分厚い鋼鉄の扉。大掛かりな油圧装置があってこそ初めてこれの開け閉めができるっと。だから基本、難攻不落としての砦ではあったんだ。そうであってさえ、これがあったといえども、ことは絶望としての展開へと傾いてゆくんだっと。それをどうしても自分としては描かざるを得なかったんですっと(byロメロ)。



さてっとここからが本番!。この彼がキリストの信者であることはまず間違いのない話しなのだが、ではこの彼は、何をどう感じ、

、その状況下において、

神に願ってあるのか?!。この問に対しての答えとして、確実なのは、それは「救い」としてのものであることだけ。自分が今まさに

とする

、「救い」としてのものになることだけだ。では、それは誰にとっての、誰においての救いなのか?!。当然にこの彼の頭の中では、

生き残っている

にとってだ。そのみんなの為にこそ、この自分は、命を捧げましょうと、自分としてのすべてを、みなが恐れてある死の蹂躙へと、罪深くしてあるがままだけの、みながおぞけ嫌ってあるアギトの群れの前へと晒して投げ入れましょう!だ。



 まったくもって希望の一欠片としてありえないこのどん詰まりとしての最悪の状況から、
       皆をなんとか救い出さねばならない。この自分の手によって!。
           この自分の命を犠牲にすることによってで。
    死しての後に、この我らの命を、魂を、天国へとすくい上げてやってください。
             どうか我らを天国へとお導きください。
           私達はこれより貴方の元へと、急ぎ、参ります。



    主よ!、天にまします我らが父よ!。どうか、ご覧になってて下さい。
  私は、私においての果たすべき役目を果たします。喜んでこの命を捧げましょう。
        かって、貴方の子たるイエズスが、為されたように…。



これより私は新たなるイエスとして、彼として相応しくしての務めを果たします。彼そのものとなるべく、聖体拝受としての儀式を…このかって祖国より与えられたるところの、この認識表を代わりとして、させていただきます。このことによりて、御身が、我が血となり肉とならんことを!。



    喰らうことによって、そのものとしての存在は、我が身としてのものになる。
 そのものの血を啜るをもって、そのものの生命は、我が身にて移され流れるることとなる。



我ら人類はすべて、死のアギトに飲み込まれて滅ぶべきなのだ。ことのすべての原因は、私達自身の罪深さにこそある。これは神によって準備されたるところの慈悲深くしてある断罪としての状況、それの到来としてのものでしかない。



ならばだ!我らはいまここにある状況に抵抗したり、抗ったり、あれらと戦ったりする必要などまったくなかったのだ!。ただ滅びとしてのこの機会を、絶滅としてのこの時節の到来を、ただただ惨たらしくしてあるだけのその死者への変換を、素直に受け入れてあるのみ。そうあるのみでよかったのだ…。



       「オイ! 中央ゲートの隔壁が、開いていってるじゃないか!!」
          最終絶対防衛ラインとしてのその最後の扉がだ!!!



                ああ‥いでぇへよ‥いだい。



                ああ‥もう‥ああ〜‥いたい‥いたい‥



              いたい〜‥‥やめ‥てっ‥たす‥け‥て‥



            解体されて‥自分の体の中のものが持ち出されていっ‥



              いだいよ‥いだい‥もう耐えれない‥



                  「なにーー!」
     やつが手に持つ端末以外は、操作系はすべて

されてしまっているだとー!




              ハイ!ここまでといたします。

          なんとか星三つにて収められるようにしました


この彼は人類最後の砦となるべくしての基地に自らゾンビの大群を招き入れるようなことを

するんだ。ここには大変おかしな動機たるものが彼においてでは持たれている。

イエスが磔刑において果たしたその自己犠牲と、自分の行いを重ねているかのような…。


             ここまでおよそ9割のできっと。

           もう完成だとしてもいいレベルかもねっと。





なんならいまならYou Tubeで全編見れますぜっと。英語版なんだけんどもっと‥。

でもメッチャ高画質なんで、その分にはよろしおまっせっと…。

https://www.youtube.com/watch?v=1dIQJ39HKU0


自分はこの稿の為にいやいや再生ボタン押してましたっと‥。


未完ばっかりーーっと。


ごめんなさいね〜っと。



いつかは全部完成するからねーーっと。





追補...


ソンビたるもののそのイメージは、その正体は何なのだろうか?。上でも言ったことにはなるのだが、確実に、あのイメージの背景には某らかの現実がある。それらにおいての特徴に関しても上で言っている。なのでここではもう割愛してしまう。

自分としては最も確実性の高いもの、それにおいての最も可能性の高い実体として、認知症を患ってあることを特徴とする高齢者なのではないか?と考えてた。ロメロにおいても『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(2009)においてでは「ハッキリと」それとしてのものであることを表してしまってた。※ただし、かな〜りに悪意のあるジョークとしてではあったが。まずこれが有力なる可能性の一つ…。

これが本命だろうとして空想されてあるものがあるが‥これに関しては語るまい。いやね、大艱難としての、その状況の到来において、それとしての事件が酷すぎるんだ…、あってもらっては本当に困る、一挙に人々においてのその有様は、アレに極端に近しいものになったしまう…。

自分としてのその答え:
難民だよ‥ボートの群れ群れ群れをもってしてやってきてしまう。この日本へと……。

※あれ程までに情熱を傾けて制作が行われていた以上、なにかを、そのこころの内において、掴んでいたはずなのだ。また、あれほどまでのB級映画でありながら、集客力がそれなりにあったことからも、観客等のそのこころにおいても、何か響くものが確かにあったということになる。

ことにおいては外堀からアプローチしてゆくのが順当であろう。ゾンビが果たしていったいぜんたい本当には何を表しているのかを知る為には!。あれは…ドッジボールにおけるそのルールに似てる。敵方にボールを当てられたその時点で、その味方であったものは活動区域を出ざる得ず、更には敵方としての存在になる。ここでの区分は明確で、「敵か?/味方か?」のみ。それだけなのが絶対としてのルール。平衡状態のままとはならず、いずれかには、多勢に無勢としての戦いとなってゆく、傾いていってしまう。ふと気がつけば、周りに味方は誰もいず、皆死んでしまって、戦力外と成り果てて、自分を取り囲んでいるのはもう敵ばかりではないか…。

この多勢に無勢で戦う、もう戦わざる得ないといった事態も、また

においての特徴になる。本来ならば降伏するとか、その状況から脱兎の如くして逃げるってのが対処においての妥当になるのだが、それはできない、適わないとしての鉄壁の封じ込みがなされてしまっている。「あんなおぞましく汚らわしい」「罪深くしての存在なんかにはなりたくない!」。また、「この星の地表のすべてが現在はあれらによって埋め尽くされてしまっているのだぞ!」。「もうまともな人間としての存在は我らだけなのだぞ!」との設定なのだ‥。圧倒的な絶望感、窒息しそうなまでの緊張感、危機感もまたあれの物語におけるお決まりとしての要素なのだ。

極論的には、核の使用へと踏み込んでゆくことになることは間違いない。
そんでそれをもってこの地球上からはすべての命が消え失せてしまうことになるんだ。
この星の終わり。

ことはあくまでも恐怖から逃げたいとの思いからだ。それだけのこと。極端に衝動的な感情においての選択になる。なってしまうんだろうね…。理性なんてものは既に目に迫ってあるその脅威において、木っ端微塵に吹っ飛んでしまってる…。

なんかの漫画やなんかのアニメ、映画においても、かなり似たような設定があるような…。

ゼイリブ、宇宙からの物体XつまりはThing、ゲートキーパーにおけるインベーダー…。

*今ならばだ、BETAとしてのものがキャッチィーなのだろう。
*すべて、その敵たるものは人類としての、その暗喩でしかない。
*人格において凝り固まった存在なれば、そしてバカであればあるほど、
 それらは容易く群れ化するっと。
*ロシア正教会の人々はみんなバカばっかしだってことがこの戦争において分った。

共産主義者ってのもあれとしてのものなんかもね…「人喰い」ってのがある人においての呼称だし‥。

とにもかくにもこのゲームとしての盤上に我らは既にいるのだと考えるべきなのかも知れない。

かなりに分は悪いが、ままだ平衡状態としてのものを、
辛うじては、保ってはいると言えるのかも知れない。



ここに最後として自分の言葉を考えを残すのであれば、結局はあれしかないな…。

背後より迫りくる迫り寄せてくる滅ぼしの力、それらそれとしての作用は避けられない!。

だが、ことは結局は相互作用を媒とする結果としての

支配されることとなる。

ならばだ、その作用を上回る生成力、創造性としての作用を、担ってあるまで!。

自主的に、あくまでも主体的に、この星を死の惑星にしない為にも。

なにか新たなるものを生み出し続けるまでのことなのだ。

そのためには、本質の求めに耳を傾けなければならない。

それが求めることを果たしてあるまでの話しでしかない。

絶対に、ことは、その貴方自身おいては、完全に

になるー!。

既に過去に、もう誰かがやってたとしても、それの

としての事態になるんだ。

それはそれで、確実に、非常に稀なる、もう奇跡としか呼ぶしかない、呼びようのない、

そんな出来事になるんだ…。






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