第10話 とある系譜②
文字数 20,092文字
大日本古代星間文明調査研究機関所属第8特務分隊”やホろず”
『ミョ〜ン・ミョ〜ンン・ミョ〜ンンン…』
神聖アングロサクソニア合衆連邦帝国基幹艦隊”ガンドロワ”
『キンキラキンキラキラキラキラキラキンキン…』
『 ドップ……… 』
その戦争はまさしく国威と国威たるものの戦いだった。片や、その全体。そのもの丸ごと。
片や、微小片なる分隊として。だが両者ともに両民族の魂においての、その意地たるものの
その代表たりえていた。よって、それは避けがたくしての開戦、そしてすぐさまの正面衝突、
生きよ、助けよ、愛せよ、与へ賜われしの、その命たるものを!。
絶対的なる物量的戦略戦術的な差異は、庇護の傾きありて、すべて無効化されたる。
すべては相対的なる関係性においてその各陣営各個の独自の選択に委ねられてある。
『ギュイ〜ーン・イイイーンンン・キィイイイーーンンンン…』
征けよ、放てよ、見せつけよ!。我そのものの、力たるを!。
畏れよ、睥睨せよ、こころ改めよ!。
我が力の、その片鱗にしかあらずしての、その開示において。
可能性たるもののそのすべてを、一切を、水泡へと、
アブクたるも、無価値たるものらへと還さん…
我在りて、斯く願わん…。
放てよ、その殲滅のイカヅチなるを…我が悲しみ引き連れて!
一切合切巻き込んで、一人たりとて残さずに、五体ばらばらにして切り刻め…
こころ
汝ら自身が、抱きたるの、その本懐としての願いたるをも分からぬままに…
出会いたるの、そのすべての者共を、愛し、また愛されて、愛し合うこと、
此れに憧れ、其れを願いて、誓いて、生まれしことも知らぬまま、分からぬままに…
今、こここに、すべての可能性は、
完璧にして、完全なるまでに、不毛なるの、そのままに、その限りにおいて…
すべて塵となりて、あからさまなる無価値のままにて、散り果てたる…。
「
だが、しかし!、その空域には敵合衆連邦帝国側の超巨大戦艦、”バイラル・ジン”が、
もう、すぐそこまでにも、迫ってきているのであった…。
ハイ、ここまで。これは恒例のいつものつかみとしてのオープニングです。此の後に鬱陶しくって只々長ったらしいだけのダベリが始まります。でももう少ししてからあとで入れます。先に一点のみ。この作品は本気で本物の神様を劇中に持ち込んでしまってる。そんで、極点において、それに全部丸投げしよった…。これはダメー。その表現の中心核として、ことの結末は、そのケリは、自分で付けないと。だからさ最後はなんかいい加減な、誤魔化しみたいなイメージの展開つけて…、とどのつまりは敵味方一切合切混ぜにして原始の惑星にスターシードとして巻かれるみなたいな落ちにしかならんかったのだ〜…。
なんか、やっぱり、どうにもこうにも、これには終局、なんの救いもないじゃん。戦争たるものは不条理なるもののそのままに、老若男女を問わず、若いも年取ってもる関係なく、死たるものは避けられないんだーってな極限状態を表わすことだけには何の意味もない。それは先に二つの大戦で人類のそのすべてが我が身をもって味わったことだ。そのことの再確認に留まりそのことにおいての感情に溺れるだけではダメだ。
あの難問においての、それに対して、なんらかの解を同時に提出せねばならない。その悪しき展開が人類史から取り除かれるよう祈って。たとえそれがあくまで個人としての救済にしかならないものであったとしても、その光明こそを、表現において、上手に、分かりやすく、面白く、客が呼べるようにして伝えなければならない。このことは今の表現者においての課題なのかも知れない。彼等はやれることはやりきってくれっている。それはそれで、あまりにも素晴らしい、奇跡的なる表現の実現であったのだとは言えるのだが…。
ことは、本質的には、
あの難問
に関わる。ヒトのこころにおいて、尋常ならざる強制力もて同一化を果たしむる、エゴたるものの存在。俺の私の/俺が私が/俺に私に/俺こそがー私こそがー/、ダントツ特別選別選民貴種なり、一番一等/全部限りなく/認められたい認めさせたい。より賢いことより優秀なること強きことより大きいことより金持ちなること…。睥睨せよ!我たるものにおいて。
難問とは、こういった傾向性を総称しての”業”たるものが、ヒトにおいては常なることにある。*先ずはご自身において改めてご確認いただきたい。それは、あらゆるヒトにおいて、同じく等しく完璧に立ち現れてきてしまうものなのだ。社会環境において(その意味は立場と食い扶持を稼ぐに規定される)自立を果す上で、避けがたくして顕在化してくる/してしまうある種の、エゴとしての”色”だ。
これは所属するグループ内において先ずは屹立する発動する覚醒する。家が先ずは舞台。そして学校のクラス。クラブ活動において。そこには間違いなくハイアラーキーたるものが存在するのだから。このことは宇宙の成り立ちの反映で転写でしかないんだ。だから良い悪いを言うことも、その構成をなくする無効化することも絶対にできないのだが。まあ、とにかく、その階層たるものを上がって登っていかなければならない。下っ端では自由が効かないし、実入りもすくない。そして社会的面子も立たないのだから。だから周りは他人はすべて自己の絶対性を確認するにおいてのみにて意識されることとなる。有意義となっている。ぞんざいに言ってしまえば、みなライバルだ。
そして主体となるのは、なにも個人止まりってことはない。クループユニットのそのすべてがー、”I”たる一人称を獲得することができる。会社、地域共同体、県民組合、日本国、地球人、銀河連邦共和国、etc...。
それはスケールが変わっても、それが持つ我としての傾向性、その業たるもの、その本質性は変わらない。指向性は一緒。やることは所詮は同じ。そのスケール圏においての自己たるものの立ち位置を、確立/確認することが基本的なる志向となる。相対性の中に埋没することはエゴにおいては許されない。
明確なる自己たるものの確立こそがそれの絶対的なる願望なのだから。自尊心としての根拠の獲得の為になんだろうね。我は強くなくてはならない。勝たなくてはならない…。某らかの恐怖を梃子とした脅迫観念。ありもしない思いにほだされて、闇雲に動いてしまう。ことを行ってしまう。使い道が本来考えられていなかったので、最低の仕事を強制的にさせてしまう。切り離されて単独となった仕事はやってもつまらなくなるのは当然だ…。
これを自分はすべて獣としての生存プログラムへと還元してしまう。ヒトにおいてこれが問題になったのは、対象において〜とんでもなく複雑な観念的価値大系を築いてしまったことにあると考える。無駄に必要として情報コードを広げてしまった増やしてしまった。夢見をより深くしていってしまっているのだ。このことは経済システムとしてのあくなき利潤追求への傾きが原因になってる。それしか見当たらないのだ。頭いいったって単細胞なままなのだ。そのことの根拠として環境破壊の問題を持ち出すまでもないであろう…。
代わりに、あの高級腕時計ブランドの話を例に上げておこう。
資産的な意義があるんだって。超破格なる高額を塩漬けにしとけって。
何故ならば、売るときには買値より高く買ってもらえるんだってー。
完璧に詐欺としか思へんのだが…。
または、
電気ガスにおいて光熱費が年間こんなにも安くなりますーって。
その先行投資を回収する前に、自分は遠に死んでしまってるー。
あの手この手で商品を売ろうとしてくる。特に高額たりえたれば。
ヒトのこころの弱みに、その知性の薄弱なるところに付け込みよってからに〜…。
ことは人間のこころにて働く幻想にこそ問題はある。
この幻想こそが、ヒトに生き甲斐たるものをもたらしているのもまた事実だ。
違う、本来選択すべきの生き甲斐たるものがあるにも関わらず!。
それが関係者間においての軋轢紛争たる事態へとエスコートを果たしている。
悲喜交交なるドラマを取り混ぜて勃発発生させながらにして…。
戦争は避けがたくして起こってくるものなのだ。上辺の理屈などまったく関係ない。
星辰の振るう力に翻弄されて、馬鹿げた行為に無自覚にも走ってしまっているまで。
それこそがヒトの業ゆえの結果であり、また反射的なる行動なのだから…。
Re: イデオンのストーリー展開において、あるべきを述べておく。
鍵はやはりメシアだ。
対立するまったく異なる種族、両家でも良いんだけど、その奇跡の愛の結実としての、その赤ん坊こそがイデの求めし事態の象徴となるのだから。だが、しかし、これは先触れとしての役目でなくちゃならない。感のいい人ならもうお分かりであろう。あの子、メシアだけではだめなのだ。あれはヨハネたる存在としかならない。ならばだ、真のメシアたるもう一人の子が登場してこなければならない。母はカララではないであろう。おそらくは引き算的にカーシャになる。処女受胎にて、その存在は用意されなければならない。この構想があったならば、イデも、その為の時間と資金の猶予をおいてくださったことであったであろうに…。
コラム:
異類婚姻譚の説話は何を伝えようとしているのか?。異類が結ばれて子を為すことなど在り得るはずがない。とどのつまりは両者伴にれっきとした人間なのだ。だが二者がそれぞれ属する集団/社会/文化が全く違うのだ。地球人かバックフラン人であるかの違いがそれになる。このことは避けがたくしての対立闘争としての事態をもたらすことになる。よそ
異類婚姻譚が語るところは、そういった文化的差異を乗り越えて結ばれた男女からは両者の持つ特質たるものが融合の上に統合を果されたが子が生まれてくる。すると、とんでもない新次元/新機軸/刷新が、その子によって両者には開かれることになるのだ。これも簡単に言えば彼が中立ちとなって、あっちだけが知ることをこっちにも教え、こっちだけが知ることをあっちにも教えるまでの話し。両文化圏とも独自の発達進化を遂げているので、そのことによって得ることは実は計り知れなく大きいなるものなのだ。彼が翻訳者となってその両文化をお互いに導入するも当然な勤めとしてあることだろう。
続いての展開は貴種流離譚が語るところのものになる。彼はどうしても第三項たる存在になるんだ。だから、実は落ち着く、身を寄せる場所ってのはないんだ。彼は両サイドたるAでもBでも本質的に受入れられることはない。これは定めってやつなんだ。だってヒトってのは、長きに渡って培われてきた文化においては多分に保守的にして閉鎖的なる傾向性を強めてしまうもんなんだから。よって、彼はいづれには、さすらいの孤独な旅に出ることとなる…。そうせざるえなくなる。その後の彼の行方は杳としてとして知れない。全く皆目分からず…。検討もつかない…。エノク…。
Re: 再開。
また、イデオンもソロシップもバックフランに引き渡しするべきだった。そうすることを勧める、みんなに説くのが、ヨハネたるあの赤子の務め。念話でたりただろうね…。そんで、バックフランが引き渡されたイデオンやソロシップに触れたならば、機器類はただの伽藍堂と成り果ててしまってて、なんの役にも立たないー…。「何故動かん?!」ってドバ総司令が怒ってるシーンが目に浮かぶ…。逃げ散った奴らを追おうとしても、山の中の木の葉と成り果てていて、今度はもうどうしようもない。そんで、もうそうなったならば、奴らの母星たる地球を壊滅することを決断する。その文化的一切の施設を痕跡を根絶やしにすることにする!。
この作戦の決行においては、バックフランとしては、やはりそれなりの体制を準備してからのことになる。だから、時間的猶予の期間ってのがそこに生まれることになるだ。この間に、イエス的な存在であるカーシャの子が生まれて、あれやこれやがあって、彼の予知能力において、ソロシップの乗組員が全員改めて招集される運びとなる。当然な話として、ヨハネたる赤子に聞き従ったことにより、イデの庇護としてのその思いは、彼等のみに限定された形ではあるが、地球人類の方に傾きを果たしている。なので、彼等においては、救済の可能性を認め、イエスたる存在が送り込まれてくることになってたのだ!。*ここもう少し足さなきゃならないな。
クライマックスも考えるんだけど、どうしようかなって迷うトコロ。当然にIDEONはことのすべてを精算すべく奇跡の再登場となります。すべては、やはり原作と同じくして滅ぼされますが、選択された人々のみは、新たなる肉体を与えられて再生される。そして新たなる新天地たる上位階層に所在する別惑星へと導かれていゆく…。原作と似てますがちと違う。スターシードとして両陣営ともにまぜこぜにされて、そんで原始的惑星の海にまかれて、ゼロからのスタートたるものになることはない。コスモはコスモのまんま。キッチンもカーシャもあのまんま。元のアイデンティティにおいて生きたるままに再生される。まあ一種の天使化を経てだろね。この顛末を、はっきりと描かんことには救いたるものが中途半端。画竜点睛を欠くに終わる。この面でのまとめがあったなら自分の中では永遠の名作と成り得てたことだろう…。
完璧にキリスト教のビジョンですね。でもね、イデを出した時点でこれはもうしょうがないことなのです。あとはマハーバーラタのビジョンをやるかになる。でもこちらもクリシュナはキリストと同義としか思えないので、メジャーなキリスト教の枠でやるべきかな〜と思うまで…。
とにかくね〜、やっぱり、個人的に、救いのあるものにしなくっちゃ。その為には、製作者サイドが救いたるものに達していなくちゃならない。間違っても自分がもっているそのトラウマの再現やヒステリーの表現たるものにしちゃ〜いけない。それも、スケールアップを伴ってのものなどには断じてしてはならない。
進撃の巨人もあれをエレンがやっちゃ〜だめよ〜。ジークにこそあれをやらせなくっちゃ。それを止めるにおいてエレンが奮闘するが本当のクライマックス。すべてを投げ捨ててでも愛する者の為に進撃する彼こそを作者は救ってあげなくちゃ〜ならない。そのことは自分自身をも救う契機ともなりうるのに。なり得たのに。結果としては、金と名誉だけしか残らない…。
あと後の世代に極端に深堀りされたそのトラウマと、それの解消としての課題たるものを押し付けてきちゃったことになる。やろうと思えば作者自身ができたことなのに…。やはり好きなんかものね…このいかれた世界ってやつが、そのものがー。ほんとは出たくはないんだ。ここでいいんだ。そうなんだろうね…、未だすべては妄想としてのそれでしかなくって、その域をでなくって、現実には実際にはさしたることは経験したことがないんだから…。針小棒大なるがままに、それは避けがたくしての、その若さ故のナイーブさこをが創作の原動力でありまた推進力であったのだから。これぞまさしくマーヤたるものの、クンダリーニたるものの、その発動、魔力、呪縛ってやつさ。悪いが、もう、こいった表現者は「い・ら・な・いー」。
足します…いつか…気が向いたならばーーー
富野由悠季
1941年(昭和16年)生まれ *つまりはあの世代だ。血液型:AB
お父様が零戦の与圧服の開発スタッフだったらしい。終戦時(S20)の年齢は4歳。
1972年 トリトン 31歳
1975年 ライディーン 34歳
1977年 ザンボット 36歳
1979年 ガンダム 38歳
1980年 IDEON 39歳
ねっ凄いでしょ。おっそろしいドライブで加速してってる…。
このイデオンが《レッド・ゾーン》への突入の事態だ。
その救いのない展開が故にだ。
片側に、その人類総自滅、総絶滅へと、完璧に話のオチを振り切ったのだから。
あの時代のヒトであるが故にか、
真面目に過ぎる
。おもくそ、ヒトの業たるものを、テーマに据えてしまってた。
その創作は、お見事としか言っちゃいけないのかもしれない。
とんでもない偉業を果たしてしまったのも、また事実なのだから…。
1974年の宇宙戦艦ヤマトの起動のシーンが彼にとってはいたく印象に残ったのだろう。
これに禁断の惑星の”クレル文明”の考案を重ねてみた。いや、それと置き換えての発想だった。ストーリーの舞台をその登場人物等の構成をかえたとしても、あのキングビアルも、ソロシップも、それらは、ヤマトと同じくしてのものだ。第二次世界大戦下の神国日本、いや大日本帝国海軍、その一分隊を重ねて観てのものだった…。
一度は倒されて、眠りにつきておりたるの
大和魂
、それの覚醒。そして、それは、追い詰められて、
やむを得ず
、逃げるが如くにして、宇宙の大海へと出てゆく、旅立ってゆくのでありました〜。
そのやがてには、また先と同じくして、自決となり果てるをも覚悟して…。
ことは、あのときの日本をなぞらえている。持たざる国が、植民地を獲得して肥え太る大国等からの侵略を受けていた。いや、正確には首絞めにあっていた。海上封鎖。そして、座して死を待つよりは…、ということで、開戦へと、
やむを得ず
、舵をとることになっていた…。Re: 一つ無茶をしたなと思えるのが…。
ロボットはヒトの肉体としてのその現界を越えるもの。それの増幅器、アンプリファイアーなのだ。そのことの結実として夢見られたのが戦力としての利用。軍事力の増強につながると。兵士一人あたりの戦闘能力、そのパフォーマンスが、いやさかにも強化されるのだから。もしこのことが現実的に、具体的根拠があれば、資金提供の宛はいくらでもあり得ることとなろう。ここにきて、ことは一挙にきな臭くなる…。
他方、その強大さ強靭さのイメージには、神なる絶対者を、ヒトはそれに投影することが可能だった。ならば、それは唯の機械仕掛けの伽藍堂などではなくして、魂たるもが宿ったるの、真に独立したヒトと同じ意志を持った存在であるべきとの思いが起こる。ヒトがこれに搭乗して、これと同体となることによって、そうした上でこれを自由自在に操ることができるならば、構成たるものは完結させることができる。
あとは強さたるものの、その根拠だ。尋常ならざるまでに格段に進歩した科学力たるものを想定せずばなるまい。それはもう科学技術たるものがたどり着ける、まさにそれの限界たるものでなくてはならない!。ことがそういった超科学ともなれば、それはもう魔術なるものと紙一重のものでしかない。いや、もうそれに等しいものなのだ…。
古代惑星クレルにおける、ヒトの思いを実現化するそのテクノロジーのことが思い起こされた。あれをそのままロボットや宇宙船に置き換えたならどうであろうか?。そのどちらもが何故にか大地の底に捨て置かれて、眠っていた…。クレルのその偉大なる科学技術の担い手たちは滅んだのではない。その進化の果てに、集合思念体と成り果てていたのだ。*(ここの前提は、正常なる、この宇宙が望む通りの、理想的な形においてになる。)つまりはだ、クラークが夢想したるところのオーバーロードたるものとしてその存在は変わったのだ。かれらは、かって生活していた世界圏に、窓たるものを残した。もしものときのために、自分たちの代行者となり得、また振る舞えるものをとの想定において。また希望において。それがソロシップであり、またイデオンであった…。
ことここにおいて自分としては少し暴挙のように思えてしょうがないことが一つある。それは限りなく神に近しいものとなりえたとしても、そこまでのものにはなりえんだろうとの思い。物語を作る上で、制御の効く限界としての枠たるものを、安易に取っ払って越えてしまっているような。かって、クレル人が手に入れたその力は、ハッキリ言って、惑星クレルそのものにおける核融合反応によるものに留まる。それだけでも莫大なるものとして足りうるのに、敢えて、それをも遥かにも超えた、まさに神そのものとしての無限力を前提にする必要が果たしてあったのだろうか?。星をも割る力を、巨大彗星でさえ迎え撃てる力を、一切の最先端科学兵器をも容易く凌ぐ、そんなビジョンをもっていたとしても、一足飛びに神の力を手中に収める必要はなかってあろうに…。そんなことをすれば、もう物語はヒトの構想のその思い、その制御の範疇を超えていってしまうことになる!。そうなることは必然だ。だから最後は丸投げとしての落ちとしかなりえなかった…。
そう、やっぱり、最初から、神たるものがそれそのものがロボットたるが念頭にあったのだろう。それは神国、日本としての投影であったのであろう。ことは何故に我々は負けたのかに行きつく。神たるものがついていてくれたにも関わらず、何故、我等は、我々日本人は、あれほどまでの屈辱を辛酸をなめるにおいて、敗戦たる事態を迎えざるえなかったのか?。(広島長崎)。あなたを信じてこその臣民一同、全国民をあげての国威高揚であったものを!。
納得できない。まったくもって腑に落ちない。
絶対にー承服することなど、断じてできるものではないのだ!。
神よ、我に、その理由たるものについてを、
何故に、この我等に味方されなかったのか、その訳たるを、
この作品の制作において明かし給へよ…。
以上は、私めによる、かってな想像。妄想でしたー!。
おっしまい。
以降はすべておまけです。
再見!
♪ロンド橋落ちた〜の天村でした。
Re: イデオン・ゲージ
創作においては、ときに表現者の思惑や意図を越えて、その作品内に必要とされる要素が持ち込まれてくる。スポンサーサイドからの要望に応えつつ、製作においての折中に、妥協に、強行に、のタイフーン。一つとして思い通りにはいかないのだけれども、”勢い”たるものに乗っている時、此れを自ら生み出しているならば、庇護たるものに恵まれるのだ。そのモチーフとされるのものに準じて、応じて、然るべくしてのものが
自動的に
揃ってきてしまう。これも一種の析出であり、また奇跡そのものの顕現なのだ…。え〜と先ずはゲージのデザインを取り上げよう。それは別に何だって良かったのだろう。それっぽいのである限りにおいてはそれで十分。別段、格別深い意味たるものを置こうなどとは考えていなかった…。それは”イデ”の有り様をモニタリングするべくしてのもの。無限力たるもののゲージ。神そのものを計るべくしての測定器。
結果論として、それ表わすにおいて、最適なるデザインとなっていた。
三本柱であることが、正しく、神の神聖なる力を、表わすには的確なるものになる。
トリアマジカムノ。トリグナ。三つの力。父と子と聖霊。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ。
改めて!
サットヴァ:
バランス、調和、善、純粋性、普遍性、建設的、創造的、平和、美徳なる質。調停。
ラジャス:
情熱、活動的、自己中心的、エゴイズム、意欲、外に向けての積極性、ダイナミズム。
タマス:
不均衡、無秩序、混沌、不純物、妄想、否定性、鈍さ、停滞、無活動、受動的、無関心、
慣性、暴力、悪意、無気力。
ただ能動性と受動性と中和性とだけに括るのがベスト。上の内容は多くはそれの関わりの結果としての要素が多すぎる。終局、直接的にでの概念化は不可能なのだ。偉大なるグルジェフに我拝跪せん。
それは所詮は概念化しうるようなものではないんだ。実地にいろんなところで、その折の自分の中に、確認する、気づくことしかできなような代物なんだから。だからー、上の内容はあくまで手掛かりとしての参考にしかならない。間違っても、タマスが悪であるとか、ラジャスにあることはいけないことだとかは、絶対に思っちゃいけない。それもまた必要にして大切な”色”なんだから。光の三原色ってのが良いたとえ。それらがあってこそ無限に色を表現することがかのうになるのだから。特に意識的にをもって取り扱わなければならないのがサットヴァ。これは直接的には意識されない(できないのだ)であるが故に、ヒトの自覚においては欠落しやすい対象になる。意識されないままになりやすい…。放ったらかしだ。たとえを一つ。お互いの親密なる関係ってやつも、バランスがあってこそなんだから。良識やら相手を真実に思いやるこころとか、規律とか程よい距離感を保つ為にも、自制心とか
道徳力
がことにおいて役に立ち、また絶対に必要となってくる…。また片側の努力だけではダメなんだ。両者ともにで、その相手を大切としての思いもて、バランスたるものを保つにおいて意識的なる努力がされていないと…。これは万変するその具体的内容においての一つのモデルとして。確認すべきはその
支点
たるものの存在が、外からは、ヒトの認識においては、掴み難い
ってこと。多分、帰納的に
でしか、察知できない、そんな”質”になる。なんでもいいから棒状の何かを手に持って支点たるものを探してみればいい。重さを均等に分ける箇所はあるにはあるがそれは外見からは絶対に見つけることはできない。実際の行為をもってでしかそれは見つけることはできない。他は建物においての設計図なんかも良い例かも。それは「意識的にある」を導くしての、そうあることを促す作用力ってのが自分のことば…。そうであってこそ、そうすることにおいて自己の全ては統御、総参加が促される。これは不思議なことに自動的にそうなるんだ。そうされてこそ、求められた目標は初めて完璧に完遂されうる。全センターが参加することにおいて初めて、そこにあツボとかコツたるものが把握され得る。ゴミをゴミ箱に投げ捨てる。入らないでしょ?。たいがい…。導きとしての困難なんだ。意識的なるに向かうべくして苦たるものはバラ撒かれている。ことのすべては誘導としてあると見做すのが正解。それはすべてのおいて精神的なる霊的なる物質的なる、仮想的なるに関わらず、ヒトが認識する対象のそのすべては、この三つの原理の元に構成されている。思いや感覚や思考事態もね。つまりはだっ世界はこれで成り立ち、一瞬もとどまることもなく変化していっている。
まあ、いいんだけど…。長くなるのはよくないんで、意味ないし、馬脚を表わすばかりなので、今回においては一点だけ特に強調しておこう!。それは真ん中の柱!。これはバランサーとしての役割なのだ。また直接認知できるものではない。そういった分かりやすものなんかじゃないんだ。だが、最も興味深く、また意義深い世界原理ではある…。
イデオンのゲージは、左端の峻厳の柱たるものに強く傾き固着してしまっているように思える。ラジャスとしてのあり方に傾いてしまっている。外の現実世界に向けてにおいて。これは戦時下なれば当然にそうであろう。この物語世界の”色”たるものを、”枠”たるものを、そこに確認することができる…。ゲージに関してはこれでお終い。
ついでに完成モデルもご紹介しておきます。
要は尋常ならざる魅力をもって、ひとのこころに惑乱たるものを永久的に引き起こして、現実には一切関わらない幻想性の中に封じ込めてしようとする作用力。マーヤとしての根源力としての効能。河の下流へといざなってゆく力。粗暴にして粗雑なる物質性の次元に深くはまってゆくばかり。これが明晰なる理性にて支配統御されると、その質が変わってしまうんだ。これを上昇におて羽の生えた空飛ぶ蛇になったで表わす。上へも下へも、下へも上へも、ある意味、循環がなされるような構図になってる。それはもしかしたら生前の話し、死後の話しになるのかもしれない。なので〜、生前中に上昇の行程を行っておくならば、死後にやるべきは、少なくなるよってな話しなのかも。その事前消化のメリットは大きいらしい…。
Re: ヒトの浅ましき限りの、その本性たるものが、真の怒りの対象。
ヒトは自分が思い描く姿で、ことが進むことを望む。
自分の願い求める形にて、ことは整ってもらいたい。
その為には努力を惜しまない。最善を尽くす!。
でももし障害たるものがあるならば、力づくをもって、
我が本懐たるを遂げさせてもらうまで…。
これが男子たるものの生き様だー!。
そんで、
私の愛する家族の為に、
私の属する組織の為に、
私の信じる信仰の為に、
なんて思いやら信念やらが、ことの背景において連結されてくる。
して、ことの達成の暁には、大いなる満足感たるものが手に入ることになる。
幸せいっぱいになる…。
よき人生とは、目的意識をもって生きることだね!。
そうすることに、なんら問題はない。ごく自然なことだと思う。
これは創造の光りにおける進化の過程においていたく合致するものなのだ。そうヒトのその変化の過程は、ずばりそれに沿ったものになっている。より、そのフローのその向け先に向かって、下方においてその生存世界を向上進化させていってる。
人類が皆して、そうすること、そうあることにおいて、世界は、それに沿った形で、顕現を果たしてくれる。科学的な新発見、新技術の考案、宇宙物理学の進化進展、パソコンのインターネットのAIの量子コンピュターの登場は、そうしたことの反映なのだ。新たなる新章たるページをめくるが如く、絶えず新たなる発見を用意してくれている。新たなるページが自動的にめくり上がってくるんだ。
これも一つの然るべくしての進化であることに間違いはない。でも、だが、ここで、ややこしい問題が浮上してくることも、意識しておかなければならない。基本…どうだろうか…あなたは現代人が幸せに暮らしていると思うだろうか?。あなた個人はどうだろうか?。まわりの人々はどうだろうか?。確かに便利にはなるにはなった。それもある時から爆速の変化の加減で…。そう変化は加速してってる。もうスマホなしの、You Tubeなしの生活などありえないことだろう…。
端折る。その問題たるものは、おぼろげにして、抽象的な表現にしかならないのだが、より物資的な世界に人類は踏み込んでいってしまってるってことになる。この物質的なってのが、また、無限の深みたるものをもっているのだ。言い方を変えるなら、無限の技術刷新たる可能性を秘めているってことになる。やがてにおいては、本当に星間飛行も可能になる。常温超電導も達成の射程圏内に入っている。もしかしたら不死も手に入れることになるのかも知れない。でも、その代わりにって訳じゃないんだが、源泉にして本源たる、神聖なるものからは、より遠くに離れて行ってしまうことになるんだ…。その感性が失われる。ことはある種の鈍感性、粗雑なる平板なる存在へと向かっていってしまう。生態系としてのこの地球のありがたみなんか歯牙にもかけないまでの無神経になってゆく。多分、ボロボロにしてしまうこととなる。絶滅危惧種に関しての情報発信はもう途絶えてしまってるね…。
一つの呼びかけとしては、善意からの示唆としてなんだが、ある時点からは、その創造のフローを自覚的に、自主的に折り返して、反転させて、遡行すべきってのがあるんだ。そのある時点ってのは、ある種の、行き詰まりとして感じられるポイントのことになる。底の底ってのが良い表現かもね。それ以上深みに踏み込んではいけないって直感される、その状況。その先ってのも、無限にあるのだが、もういいって思って、そんで引き返すんだ。これができるものは、心底身に沁みた諦観たるものが必要になるかも知れないが…。また、かなり勇気のいることになるな。
全体としてはこれは無理だ。不可能だ。個人においてでしかありえない。だが…。
その後の指針は、その流れを遡るってことになる。それを言葉にするのなら、より内を理解する、より精妙なるを志向するってことになる。自己たるものを形成するその堅くして強固なるエゴとしての人格を無効化するになる。内の探索においてのみ確認される、良心、魂、本質たるものの発動に自己のアイデンティティを委ねるってことになる。
イデの声たるものが聞けるようになって、その意向に応える/答えるを、自己の本分とするの。それは、あなたのすぐ側に今も立っていて、語りかけている。あなたが、それを認め、受け入れるならば、本源へと向かうべくしての誘導が開始される。それは一種の退化とも呼べるプロセスなのかもしれない。あなたは色んなものを失うこととなる。此れまでに明確であった、生き甲斐、やる気、愛情、こだわり、嗜好、楽しみ。ある意味、これまでにあなたを活力ある状態として支えてくれていたもの一切がその根拠を失ってしまうことになるのだから。その代わりに、物質性にただただ取り込まれた今の状況にではなく、精神性としての、なにか繊細にて心安らぐ、安心してすべてを任せうると何故か覚えられる状況に移行することはできるのようになる。
あの生来的なる進展としての行きと、折返しとしての不自然なる回帰としての展開はヒンドスタンの文化においては、あの二匹の蛇の描写で表わされるものになる。何故にか意図的に誤ったイメージが見るものにおいて持たれるよう此の絵はなっている。敢えて誤解を呼ぶようにしてる。
両方向の矢印にて
正確性は保証されてはいるが…。また、そのものの正体はクンダリーニであると完璧に表明されてしまっている…。ことは神とその神が行われた創造の丸ごとが、人間には転写されているのだ。最下部が、その創造のフローの末端(これが無限に深堀りしうるのだ)で、人間の構造においては尾骶骨にあたる。その下にもなんかあるらしいが、これは触れぬが花。まっ、とにかく、その創造の進展オクターブとしての七段階、七階層たる背骨脊髄を上昇して理知を司るべくしての頭に至らなければならない。まあ要は理性的、真に知性的なるの価値をおくってことかもね。このことは神に近づくってことで、最終的には、頭頂において交流が可能になるんだってー。最下部のその更に下みたいに、最上部の神の座に帰り至れば、その更に上に在す神そのものと、なんらかの接触が持てるみたい。これは創造のオクターブからすれば逆行になる、流れを遡る。つまりは、これは、客観的には、一種の退化を敢えて自ら選択するを意味する。だんだんと白痴みたいになってゆく〜だ。このときに初めて、そのヒト存在は、神に認知していただける、彼がその存在に気づけるようになるのかも知れない…。
これを目指しなさいって言うヒトがいるんだ…。
聖なる愚者に、白痴にって…。
そのことの見返りは大きいよって…。
しらき〜
補記:
正確に話すならばマインドにおける観念はどれもみな現実にはなにも存在してないんだ。だから、自分は、何一つとして本当には分かってない知らないってのが現実なんだ。このことをしかと悟得できるのがマインドを超越するって事態においてになる。ならばだ、上記の白痴って意味もまた従来とは違うニュアンスなんだってことが分かってもらえると思ふ…。
Re: OP 復活のイデオン
https://www.youtube.com/watch?v=zWg-jjBuOXE
*作詞は変名を使っているが、富野由悠季氏、本人。
*なので全景と込められたテーマ、思いがこの歌詞の中にはある。
*これの意味を考えてみよう!。
きこえるか? きこえるだろう? はるかな
闇の中
目覚め
始まる大地わり そそり立つ姿 正義の
伝説の巨神の力 銀河〜、切り裂くーーー
雄叫び
が 電光石火の 一撃をよぶふるえるな!
人よ、 生命よ、
始まり
を見るースペース・ランナウェイ イデオン イデオン
たたかうか? たたかえるか?
おびえる
せまりくる 悪の力に 勇気を示せ
宇宙にとぶ
輝く姿
生命の叫び
か?伝説の巨神の力 銀河〜、切り裂くーーー
必殺の 技が撃つのは
我が身なのかと
(?)おそれるな!
人よ 生命よ 力を
見る
スペース・ランナウェイ イデオン イデオン
Re: 歌詞解説編
きこえるか? きこえるだろう? はるかな
闇の中
目覚め
始まる大地わり そそり立つ姿 正義の
深部には核が宿りそして眠っている。この核たるものは、それのそもそものの出自たるものは、それ即ち、神たる存在になる。核は、分身であり、また分霊であるとの表現とするのが妥当。よって、この二者は共振を果すことが可能。一つが目覚め、願いを持つならば、本体たる御大が、これは当然な話なのだが、その力を全力をあげて貸す。それは真の強者たりえ、この宇宙においてのそこにあるすべてのものはその権威においてただ平伏するにあるのみ。何故ならば、この宇宙は彼が創造したもので、彼の体であり、また彼そのものと言えるのだから…。
伝説の巨神の力 銀河〜、切り裂くーーー
それは古より、連綿と人づてにして、伝え聞かされてきた大いなる存在の話し。我ら人類の創始者たる存在。これが求めるを果すなら、銀河の一つや二つは一瞬にして滅ぼすことができる。
雄叫び
が 電光石火の 一撃をよぶふるえるな!
ヒトの内にある、その核としての魂が、良心が、本質が、その求めることを、それが尊ぶべきとするものが、愛してやまないものが、脅かされる、傷つけられんとする、踏みにじられようとしている、汚されようとするならば、怒りとしての雄叫びが、咆哮が、殲滅の意思を伴って沸き起こってくる。こと、そうした際においては、その相手たるものを恐れてはならない。何故ならば正義たるものの尺度は、その本質たるものが、それにおいてのみ知り得るものなのだから。いや、こういった窮地にあってこそ、それは目覚めることができる。大いなる存在の後押しをもって。仰ぎ見よ!。そして、畏れもて、ただただ平伏して服従してあれよ。我と同体と今、再びなったのなら、その真にしてなる、真にして在る、神聖そのものたる、根源としての我たるものを!。その写し身が真の汝たるものの正体たるにおいて!。
人よ、 生命よ、
始まり
を見るーすべては、我が求めにおいて、起こり、成りて、始まったことなのだ…。その生命たるものの、真の贈与者は我なのだ。それらのすべては我よりのもの、我そのものなのだ。
スペース・ランナウェイ イデオン イデオン
そのことに気づかぬ限り、そのことに目覚めぬ限り、汝らは強者等によって、脅かされて、追い詰められてゆくことになろう。より眠りの深き者達、より悪辣なるものたちによって、蹂躙されるがままの境涯へと落ち行かん。そこにあって取り得る手立てたるものは、ただ逃げることのみ…。それはそれでまた不幸なる境遇にすぎずて…。愚かなるかな、愚かなるかな、ただ愚かしきことなるかな…。我は今もいつもそこに伴に控えしあるにも関わらず。
たたかうか? たたかえるか?
おびえる
せまりくる 悪の力に 勇気を示せ
宇宙にとぶ
輝く姿
生命の叫び
か?ヒトが大人になる事態ってのは、生存においての使命たるものを意識してこそ。自立に向けての決意決心たるものが、その当事者において真剣に持たれてこそ。核心たるは、後に
責務
になる。ことは良く伝説の巨神の力 銀河〜、切り裂くーーー
必殺の 技が撃つのは
我が身なのかと
(?)おそれるな!
そう…なんだって、いつだって、ことを開くのはその勇気なのだ。それをもっての一歩が踏み出せなかったばかりにって悔やむ老人たちの多いこと多いこと…。こころ開けよが一番難事。でもそれは自分にしかできないことなのさ。このことを他人に託することはできない。だが、導きとしての、その為の状況は間違いなく整う。そのときだ、自分が、一切の虚栄心、自負たるものを投げ捨てて、まったくもっての予想つきがたしたるその状況に踏み込んで、後を顧みなくして、飛び込んでいけるのは…。世を、他者を憎んではならない。その思いは自己の反映、そのあくまでもエゴイスティックな自分自身写し身たるものでしかないのだから。ならばだ、真に撃つべきなのは、正に、自分そのものとして、観るべきなのでは、あるべきなのではないのか?。
人よ 生命よ 力を
見る
枷たるもののないところ、真にヒトとしてありえるようになった、その暁には、世界の背景にて、そのものを丸ごと含んで支配してある、神聖たるものの正体を、察する、知れる、感じる、覚えるへと至らん。それと共振、同調を果たしえたならば、全宇宙があなたに味方して、ともに戦わん…。
スペース・ランナウェイ イデオン イデオン
知れよ、悟れよ、その真実たるを。我は、其を、教えんが為に、悟らせんが為に、我が総力をあげて、汝らを、ときの最果てまでも、追い詰めてゆかん。愚かなるその思いにて、囚われてある限り、その脱出行においての、決定的なる救いたるものに、根本的なる解決たるものに、至りえることは絶対にあり得ない…。
Re: ロボットのその造形に思うこと…。
自分は一切文句はないんだ。あれで十全であったと思う。いや、既に天与のものとして完璧なものであったとさえ思うんだ。既に主導権はあちらに渡っていたのだろう…。
イデオンそのものはこれは只の箱なのだ。それの核心たる機能はあちらの世界をその身に宿したるのその一言に尽きる。要は棺桶。もうそれだけで十分過ぎる…。ごちゃごちゃなんやらかんやらが付いてないのいい。必要最低限の出で立ちでもう十分。真に驚異たるのはそれが宿すもの、それが通じている向こうの存在になるのだから。”箱”でもって人体を構成する。これだけでよかったんだ…。
片や敵勢力バックフラン側のメカを見てみよう。みなさんはこのデサインには何を見るだろうか?。自分は円盤に手足を付けただけのものになる。それは血肉の通った人体を表わすものではないのだ。そうであってはならないんだ。
あの状況
こそを描こうとしたのだら。だから手足はあくまでも付け足し。その表しは骨をもってで十分。そうすることによって強調しようとしていたのは、あくまでも圧倒的なる物量差。敵方が余りにも多数なること。ソロシップ側が只の点としてあるならば、あちらは宇宙の全域をもカバーできるまでの数量を備えたるもの。数において絶望的なまでに劣ることを強調したかったまで。なので、その表しは円盤に留まるのが最適だった。*アディゴは虫のイメージ。イナゴの大群がやはり同じく発想として取り入れられてしまっていた。このへんが余りにもできすぎていると思われる所以たる。その余りにそつのなさがゆえに人ならざるもの(イデ)の介入も、その制作には関わっていたのだろうと自分は思うのだ…。Re: 窮鼠ネズミ猫を咬むの系譜
多勢に無勢でもし戦ったのなら、ありうる策はもう自分以外のすべてを殲滅するにしかない。
既に慮るべき存在など、その戦場にはもう誰もいないのだから…。
その戦いの姿がこれ。追い詰められそのあげくに、自分を取り巻くあらゆるすべてを亡き者としようとしている。ならば、その姿たるものは悍ましくも忌まわしいものであるはずなのだが意外と映像的にはそれを感じない。何故か?。それはそのイデオンにやらせようとしていることを神が容認しているからだ。*だが忘れてはならない!。ヒトがその状態に、その状況にあることは、あまりにも危険であることを。ことは暴発の様子を深めるばかりにしかあらず!。何かがおかしいのだ…。何かが絶対に間違ってる…。非たるものが誰にあるのか、どちらにあるのか、このことはそういった事態に至る前に、究められなければならな。そのうえで、そこに横たわってある問題に対して死にものぐるいをもっての適切なる対処が為されなかればならない。逃げるが勝ちの理もお忘れなく。
そういった努力がなさないのであればこういったイメージが誕生してくることになる…。
自分を否定するもの、自分の邪魔をするもの、自分の行路を阻むものとなるならば、自分たるものを受入れないのであるならば、認めないのならば、そんなお前たちはみんな滅んでしまえばいい。我にはそうできるにたる力がある。我は歓喜もて、この殲滅の虐殺の蹂躙としての技たるものを存分に振るわん。みんな○んじまいな…。まさに極端なるエゴにおける暴走の事態。
これが最新のヴァージョンですね。
神が
間違いなく断罪されます。時間はかかるかもしれませんが間違いなくその体制は崩落することとなる。ならばだ、あとは彼にすべてお任せして、あなたは別天地にて早い目に退避されてしまわれておくことを強くお勧めしておきます。サンキュー。そしてこれはその系譜たるを逸脱するもの。あくまでご参考としてあげさせていただきます。これを作った誰かさんは、まったく違うところからアイデアを得てるんだれどね。図らずしも正反対の表現になっている。イデオンのあの姿と真逆なるものとなっているところには、何やらおかしな符号めいたものを覚えているんだ。あれに込めたるのその意味とは、たとえ殺戮の刃であったとしても、もしそれが主のお計らいの内にあるものであるならば、それのそのままに、我はアーメンの言葉とともに受け入れんをせんとする態度。その表明。中和力になればいいな〜…。
メモリアル…
終劇