第6話  螺旋力

文字数 12,099文字

本稿はですね〜現在鋭意作成中である「ある系譜」の中においてクローズアップされるべくのその要点の一つに関してのものなんです。それは微妙なニュアンスをもってでしかそれの機能発現たるを表わすことの出来ないなにか…。そもそもの始めからして、焦点をあてることすら基本出来ない叶わないなにか…。摩訶不思議にして霊妙してなる然して超絶的にして圧倒的なる支配力をヒトの存在全景にて振るひ得たるの、更には最優先最上位司令コードまでをも備えたるのーその力!。その名もサブカル界においては名高(なだか)きの〜、

に関してのことなんですぅぅぅ〜!。あんた、今日は、なんかやけに

だね…。さてわ、
既に、話者たるお前「モナー」の…つまりはお前本人「ガナー」の事態たることの予感 !!!





いやちょっと待てよ、少し待て…、まあ〜なんと今日日ともなれば、ある意味、誰であったとしても、これについてを察すること、それによる世界観を把握すること共有することは、もう簡単にできるようになってしまっているででゃないかー!。そう

を見てもらえれば一発で正解にたどり着くことができる。自分的に京アニによる事実上の最高傑作だと思わざるにはおれないあの『中二病でも恋がしたい!』のことなんだがー!。いや、なに、面倒くさい語りをもってオープニングをやってきたが、まさにそれは

に関わることなんだーーー…いざ、開演!。




         第一期早々のおねえちゃんとのバトルシーンで、自分はもう
         口あんぐりの状態だった。ここまで表現は来たのかと思って。




では先ずはコンソメスープのみをお召し上がりくださいませ…。






Re: A氏による邦訳オリジナルヴァージョン。
*フラグメンツのp. 341 、終わりの方から…


いわゆる〈オカルト〉文献といわれるものの中で、〈クンダリニー〉とか〈クンダリニーの火〉とか〈クンダリニーの蛇〉などという言葉を見かけたことがあるだろう。こういった言葉はよく、人間に内在し、しかも呼びさますことのできるある不思議な力をさすのに使われる。

しかしこれまでのいかなる理論もクンダリニーの力を適切に説明してはいない。時としてそれは性、性エネルギー、つまり性エネルギーを別の目的に使いうるという考えと結びついているが、これは完全に間違っている。というのは、クンダリニーは何の中にでも存在しうるからだ。それに何よりも、クンダリニーは人間の発展にとって何ら望ましい有益なものではない。

オカルティストたちがこの言葉をどこからどのように入手したかにはとても興味があるが、しかし彼らはその意味を完全に変え、本来非常に危険で恐るべきものを、何か天恵のような、望ましいもの、待望すべきものにしてしまったのだ。本当はクンダリニーとは真の機能にとってかわる想像の力、空想の力なのだ。人間が行動するかわりに夢を見、その夢が真実にとってかわり、自分を鷲やライオンや魔術師だと想像するのは、クンダリニーの力が働いているからだ。クンダリニーはどのセンターの中でも働くことができ、そのため全センターは真実よりも空想に満足を覚える。自分をライオンとか魔術師とか考える羊は、まさにクンダリニーの力のもとで生きているといえる。

クンダリニーは、人間を現在の状態にとどめておくために体内に注入された力だ。もし人間が自分の本当の状態を知り、その恐ろしさを十分理解できれば、ほんの一瞬といえども今自分がいるところにとどまることはできないだろう。彼らは出口を捜し始め、すぐに見つけるにちがいない。なぜなら出口はあるからだ。

しかし人間は、ただ催眠状態にあるがために、出口を見つけられないでいるのだ。クンダリニーは人間を催眠状態にひきとめようとする力だ。〈覚醒する〉とは〈催眠状態から解かれる〉ということだ。ここに大きな困難があり、同時にその可能性の保証もあるのだ。というのも、眠りには本質的な理由は何もなく、人間は目覚めることができるからである。

これは理論的には可能だが、実際にはほとんど不可能に近い。その理由は、人間が目覚めて目を開くやいなや、彼を眠りこませるあらゆる力が10倍のエネルギーで働き始め、彼はすぐにまた眠りこみ、しかもほとんどの場合、目覚めている、あるいは目覚めようとしている夢を見ているからだ…。」

*はいここまで!



コメント:

ここは短いんだ。それの詳細についてはベルゼの方に舞台は移されてしまっている。クンダ・バッファーなる名称の元に。でもねっ自分的にはこっちの方が表現としては的を得ていると覚えられる。ベルゼの方では話はなにか暗号めいていて、かつ複雑で、よって突っ込んでの解説は難しいんだ。リスクが高すぎる。*(他所の専門家が語っているICチップのことはでたらめもいいところだからね…。)其れに比べるとこちらはそれによる問題が全面にて語られている。ただし文章自体の訳には大いなる不満を覚えるんだ。言葉が足りないと…。でもこれはしょうがない話さ。ことのあとに記憶を頼りにして記述されたもんなんだから。ある意味凄い記憶力だわ。でも翻訳において、残された文章のその通りそのままに訳する、この縛りはある程度無効化しても構わないんじゃないかって思うんだ。Gの教えに理解のある人であればの話しだが…。

さて引き続いては不肖私目なる“素人(とうしろ)”が、誰を憚ることなく何を怖れることもなく、更には、
恥知らずと呼ばわれることになるのはもう完全に間違いのないことなのですが、そのことになんの頓着をもせず、厚顔無恥もて、それらの意訳たるものに挑戦させていただいた、その結果なのでございます〜。「

」意味的にデタラメ、勘違いの限りでありますれば〜是非に皆様、ご注意のご容赦の程をよろしくね♡っとお願い申し上げる次第なのでございますぅぅぅ…。乞ふ先もっての御免。崇拝




  〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆 m(__)m 〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆 



そしてそれは当然な話として、その純粋性は失われ、我見まみれの、言わば戯言のごった煮とでも言うべきの状態、つまりはシチュー、いやさ今回の場合はボルシチへと、その姿を変えるのでありました〜。



まずは前提として心にとめておいていただきたきことがあります。それは、こと生存においては何をさておいても優先する、

ってな事態があるってこーとー!。それらは(現実の)背後にて

働いている、言わば、最上位/最優先/最重要プログラムってことになるなのだが〜。それらの内においおいても殊更「生殖の達成」と「死の回避」においてのコマンドが強力だ。どちらも「

」ってな状態になることだけはもうこうは受け合い。「オマハンに言われいでも分かってる」ってか〜!?。ことこれらの干渉/発動/執行中に際しては、自分の意思ってのは、もうあまり役にたたなくなる。立たない?。立たなくなりやすい?。もうとにかく、その衝動たるものに鷲掴みにされてしまったならば、もう理性たるものののの〜出番は基本なくなる!。其れ等には必ずそう

よう、そうなるようにとの思惑において、

が、

たるものが、

備わっているのだ!。フーフーフー…。前者の場合は性欲なる摩訶不可思議なるエネルギーの高まりによって自然と起動する、その行為に向けての衝動によって。後者は本能に起因する、なにか盲目にしてなる恐怖たるものが全体全身波に及することによって。つまりは強制力としての役目を務め得るべく、その当人において間違いなくその行為たるものを果たさせるよう、それぞれに

が、(メタなんで

と呼べるものが)与えられているってこーとー!…。サンキュー。崇


Re: アマズ・ホラフイタッタレィヴィア・モウシッタランガルニアル意訳ヴァージョン。

ここにいる皆は、いわゆる〈オカルト〉文献といわれるものの中で、〈クンダリニー〉とか〈クンダリニーの火〉とか〈クンダリニーの蛇〉などという言葉を見かけたり聞いたりしたことがあるだろう。こういった言葉は、よく、人間には内在する隠された神秘としての力があって、しかも然るべくの作法に則れば、これを自在に呼びさますことができ、また個人的な目的においてそれを利用することができると。不思議な霊力を発揮する力のことをさすのに使われている。

しかしこれまでに表わされたいかなる理論も説明も、そのクンダリニーたるものの力についてを適切に説明したものはない。時としてそれは性、性エネルギー、つまり性エネルギーを別の目的に使いうるという考えと結びつけられているが、これは完全に間違っている。

というのは、クンダリニーは、性センターのみならず、他のどのセンターにおいても、
それら間の相互の関係性の只中においてでさえも、その存在は、その作用は確認されるからだ。

それに何よりも…ハッキリ言っておいてあげよう…。クンダリニーたるものの存在、その
機能、その働き、その役割は、人間存在の発展にとっては、何ら望ましい有益なものではない。そんなものなんかにはなりえないのだ…。


介入:
*なにか特別な色合いを備えた自動性が、意識の背後にて立ち上がり、それの関与におてい
 各センターが勝手に作動するようなっている。
*そこには色合いとして艶めかしさたるものが差し込まれているので、性に関わるもので
 あることが察知され得る。
*それの作用の元、物語世界としての枠が構築されて、自動的にドラマが進行されてゆく。
 実際の行為へと至らせるべくしての誘導だ。それはまさに夢の如き展開なのだ。

*大いなるロマン性を備えた世界認識にて、そこで奮闘やら激闘がなされるも、
 その行為の焦点は現実の

とはまったくなっていない…。
*例えばだ、多くのヒーロー物語、マンガ、アニメ、映画だ。製作者側はそれはもう熱心に
 情熱を傾けて思いの丈をもって、また技量の限りを尽くしもってその作品を制作してる。
 場合によってはその主人公たるキャラと一体化してしまってる場合もあるのかも知れない。
 その主人公に託するのはあくまで古典的なる真善美を価値としてのもの。また他者に対する
 愛を価値としてのその証し。苦難を試練を乗り越えて最後には自分の命を棄ててさえもだ。
*これらの価値は、誰においても普遍的なものになる。基本変えようが代わりようがない。
*対立が愛において勇気において統合、和解、解消される。
「あなたは独りなんかではないんだよ」の確認、証明、そのメッセージと伴に。
*また一方、読者/観客としては、その作品が良い出来であったとしたらの話だが、その主人
 公を通して疑似体験を自己として果たす。そうしたくて、そうなりたくて観に行く/買って
 読む。
*成功した作品ってのは誰にとっもて満足だったってことになる。素晴らしい人間讃歌として
 の作品でありましたー!だ。それに大きなお金が動きましたので関係者の誰もがハッピーに
 なりましたー。もう良かった良かったの大合唱となる。

*さてここには飢えとしてのニーズと、それを埋めるべくの満たすべくのサプライがある。
 ある意味プラス・マイナスでゼロに、平衡状態に、満ちたりへとなりましたーだ。
 明日からはまた平穏で、落ち着いた思いにて、改めて気分一新、頑張って生きてくぞーだ。
*なんかサイクルの循環みたいなものがそこにはない?……。
*何かおかしくない?。なにか大切なことが、すべての願いの元々たる基盤が、それそのもの
 が、何処かに…何故か…完璧に…おざなりにされて、忘れさられてしまっているような…。
*そして再び飢えたるものが蓄積されて、思いたるものが募ってゆく。それを満たすことに
 おいての、そうせざる得ない渇望状態へとまた舞い戻っている。そして新たなるサイクルへ
 の突入となる。←なんかおもろいこと、いい作品ないやろか〜、出てこないかな〜…。

*現実を変えたければ、真にそこにある飢えたるものを満たしたいのであれば、先ずは、
 現実たるものを正しくシヴィアに認識して、

にて、そのままでいて、
 

行動しなければならない。いつも目覚めていなさいって誰かも言ってたぜ。
*するって〜とーだ〜、難儀、困難、苦渋飲むこと飲まされること限りなしってことにしか
 なんないんだが、それをそれらを乗り越えてこそなんだ。「我に七難八苦を与え給え」って
 誰か戦国時代の武将さんも祈ってたーって話、オイラは聞いたことがあるぜ。w。
再開!


精神世界のスペシャリストたちが、この言葉を、どこからどのようにして入手したのか?
またさらには何故にこれを殊更に、衆愚たちの関心を惹くのに、
教え説くのを好み、そして勇むのか?
このことはとても興味深く、また面白い話でしかないのだが…。

*とってもキャッチーなのだ。客捕まえるには、押さえるのにはめっちゃ効果的。

とにかく彼らは、それの意味を、完全に変えてしまっている。本来、非常に危険で恐るべきものを、何か天恵のような、望ましいもの、待望すべきものかのようにしてしまって人々に説いているのだ。

本当の意味における、クンダリニーとは、
それは、真の機能にとってかわる、想像の力、空想の力、のことなのだ。

*マインドの機能そのものが現実から遊離したものでしかないので相性がいいんだろう。
*また現実たるものは、荒く粗雑で難儀で、まったくもって思い通りに行かないものと当人
 においては自覚されてしまってて、そんで忌避されやすい。
*想像の世界では…ことはまったくの自由だ…シームレスなのだと何故か思える…。
*これって錯覚でしかない。

人間が自らが実際に現実に置いて行動するかわりに、何かの夢を見ることにおいて、元々の目的たるものが完遂されるのだとしよう。その欲望が仮想の現実においては満たされたような気分になる。これはだ、つまりはだ、客観的な眼差しにおいては、その夢が、真実にとってかわったという事態との認識となる。

自分を鷲やライオンや魔術師だと想像したりするのは、
クンダリニーの力が、まさに働いていることの証しにすぎない。

*あの年頃が丁度、性衝動たるものが立上てくる時節であることを思い出してね。

クンダリニーは、どのセンターの中でも働くことができる。また、各センター間における
連携/その関係性の只中においてでさえ、その機能の働きたる色を差し込むことができる。

*質的に圧倒的に上位のものなのだ。性エネルギーたるものがだ。
*圧倒的なる支配力を下位の部位に対しては及ぼすことができる。

そのため、全センターは真実よりも、むしろ空想の方に満足を覚える傾向にあるのだ。

*この一文の意義は大きい。正確に表現するならば、
 「よりbetterなるもの」としてヒトには覚えてしまうーだ。←勘違いなのに…。
*何故なら100%自由にその想像の翼を広げることができるのだから!。
*現実/真実より、何故にか逸脱/偽の現実への傾きの方がが”Stronger”なんだ!。
*この事態に原罪たるものの、その起源、そしてその作用の根深さ、
 継続のどうしようもなさを確認することができる。
*それが蛇の形象にあらわされること、そして実際それの挙動は、逞しくも力強いまるで
 蛇そのものの様子なのだから。これは独立した知性を持っている。ならばだ、あの禁断の
 樹の実の核心とは、ずばりこれ、クンダリーニと結び付けられるべきものなのかも
 知れない…。自分においては既に確信だけどね…。
*エゴの殻を破れないことの、呪われた本質的なる原因になる。

自分をライオンだとか魔術師とか考える羊は、まさにクンダリニーの力のもとで
生きているといえる。

*ここにおける表現としての「

」の意味は考えなければならない。何故に羊?。
 従順なる、未だ無垢なる、か弱き、傷つきやすい、ナイーブな…人格が未完成…とかね。
 眠りの状態にある。苅られる為にだけ在る存在。月への供物。

クンダリニーは、人間を現在の状態にとどめておくために、体内に注入された力なのだ。

*誰が?どうやって?。何故?。
*原罪は直接的には関係ない。
*神が自然を通してでしかない。その偶然に手に入れたマインドをもって、
 あまり行き過ぎないようにするためだったんだろね…。
*それはプラクリティーたるものにおける三つの力の一つを代表するものなのだろう。
*奇跡の一つは、知性(頭頂)において、
 純粋なる自己意識、覚醒された自己が

となって、
 つまりはそこの螺旋力の聖なる役割を完全完璧に理解することと、
 また愛の思いの基、それを受入れることによって制御が何故か果たされたる事態において、
 すべての合一が決定的になされ確立されること。
*↑夢現の状態にある人間による表現の最たるものだかんねー!。

もし人間が、いまある本当の自分の状態を知り、その恐ろしさを十分理解できれば、するならば、ほんの一瞬といえども、その状態にとどまることなどは、できないことであろう。

*自己観察の必要性がここにある。知らん限りは/分からん限りは、判断たるものの/
 決心たものの、起こりようが、しようがない。痴から知へと移行する…。

そして彼らは出口を捜し始め、すぐに見つけるにちがいない。

なぜならば、出口は、既に、今も目の前にあるのだから。

しかし人間は、ただ催眠状態にあるがために、出口を見つけられないでいる。

これもまた真実だ。

*その催眠状態ってのは絶え間ない対象との一体化が引き起こっての普通の生活感なので、
 ある意味自然。あるがまま。「そうよ!私は自由に生きるのよ〜!」の世界でしない。
 座禅をやったことのない人には、絶え間なく自己の内部にて湧き起こってくる雑念たる
 ものを対象として観ることも気付くこともできない。その自由たるものは、それらの完全
 完璧なる奴隷状態でしかないものなのだ。
*要は自己のマインドたるものを超越することが鍵なのだ。←自死(人格の)なくしては
 不可能。

クンダリニーは、人間を、催眠状態としての現状に、ひきとめようとする力なのだ。

〈覚醒する〉とは〈催眠状態から解かれる〉ということだ。

ここに大きな困難があり、同時にその可能性の保証もある。
というのも、そこにある眠りそのものには、本質的な存在の理由は、
今となってはもう何もなく、
*(自然の方はもうそう作用する強制する必要が基本なくなっている。)
人間は、目覚めようとするならば、目覚めることができるのであるから。

だが、これは理論的には可能ではあるのだが、
実際にはほとんど不可能であるとしかならない。

その理由は、いざ人間が目覚めてようとして、目を開こうとするやいなや、
彼を眠りこませる為に、現状において働いている、あらゆる夢見の力たるそのものが
もう10倍のエネルギーで働き始めることになるのだから。

*端的に言えば、その抵抗たるものの正体は、マインドにおいて根を生やしてしまっている
 誤った人格たちのことになる。それらは群として多数存在するのだが、それらがそれ自身の
 存在基盤を、その根拠を失うことを極端に恐れ、全力を上げて、目覚めに対しての反抗を
 抵抗を企ててくるからだ。またその動きそのものがなかなかに察知しづらいもんなんだ。
 それらはもうマインドの機能の一部と成っちゃってるんでね。マインド自体と既に共犯関係
 にある。その采配たるものはもう見事というしかない。その効果、効能、素早さ、巧みなる
 こと…。その挙動のすべてが、その押さえ込みとしての戦略展開そのもの、その全部が。
*某らかの快としての経験が先ずあって、それの再現を求めるフォーマットがマインド内に
 て自動的に形成される。これが人格の主要原理。つまりは習慣化された行動嗜好癖のこと。
 それらが作動する(当人の意思は関係しない)その様はまさに自動性としてのまるで独立
 した別個の生き物かのよう…。麻薬をどうしてもまたやってしまったがいい例。これは
 もうしょうがないんだって本人には思われてしまう。主従の逆転が常なる事態なのだ。
*力関係では圧倒的に分が悪い。敵数万に対してあなたは独りだ。味方は…。

そして彼はまたすぐに眠りに落ちてしまっている。

しかも、皮肉なことに、ほとんどの場合は、

目覚めている、あるいは目覚めようとして、今まさにここで、自分は奮闘している…、

その様な内容の

を、彼は見ることになるのだから…。」



*はいここまで!


追記:

整理を一点だけ…
ここには、

、呪うべき事態(こと)がある。

一つは、愛もへったくれもないままに、浅ましい限りにおいての生殖(SEX)が、我等においては必定必達となってしまっているってこーとー。これは「全宇宙的な」の意味をも込めてになるのだが、その物質循環のニーズにおいて、ここ地球世界に生存する有機生命体はバランス良く増殖させる必要があるからだ。*また別途このバランス自体を人間本人が壊しつつある。

追記:オブジェクトはあくまで中出しの完了まで。そのあとのことに対しては何も感知して
   ない!。子の養育に関してのプログラムは最小限。基本、女性に投げ出されてしまっ
   ており、責任に関してのプログラムは存在しない。以降はヒトとしての領域となる。

   エネルギーとして何かを喰うこと、取り入れさせるも至上命令の一つ。飢えの苦しみ
   がこれのトリガー。猫飼ってて改めて思うのは、全然“きれいに”食べてくれないって
   こーとー。食べ散らかしてくれよる。富士山に残されたゴミの惨状を、写真であげた
   かったのだが流石にそれはやめた。人間はどんどんと

に落ちていっ
   てる。それが当たり前になってってるー。これがカリ・ユガの実態なのだ…。
   その傾向性においてマインドは誤用されてしまってる。狂ってしまっている…。

二つ目は、もっと空恐ろしくも…、(いや)なにやら(おぞ)ましい、(いや)(むな)しい限りの事態について。
ことのすべてが個人の観念世界の中だけで完結してしまっているのだ!。獣レベルで、かつ繭の中のまんまってか〜?!。この事態を引き起こしている原因は、現在の我々を取巻く社会環境のせいでもある。経済成長率の悪さ。積極的に結婚の相手を探しづらい。結婚を完了することこそが意外と金と労力がいる。車持つのも金かかる。デートしづらい。一人でなら安くできる。買ったほうが安いね晩のおかず♪。コロナ怖い。女も怖い…。個への徹底的なる分断によって脳内生活がこれから益々主流になっていってしまう。自分はVR技術テクノロジーの進展が怖いわ…。多分、人間存在各個をネット端末として再構成したいんだよ…。誰が?。レッド・ドラゴンを無意識無自覚に体現している国際団体がだよ!。


我々を含んで取巻く世界は、自然はいくつも在るんだ。たぶんそれらは七重性になっている。
*しかしながら一体化して顕現している。だから階層はあったとしても、明確な分離なんかはないんだ。渾然一体化してる。だから平地での有り様で十分にこと足りる。最後に、ここ書くのは愛において異性と結ばれることには祝福があるってことを言いたいだけ。そうなることこそが、真にして、上級の、自然なることなんだ。その場合には、神の庇護の、導きの元に、二人して在れるようになるのかもしれない…。また別種の作用が祝福として働くことになる。上位の何らかのプログラムが…。


グレンラガンにおける多元宇宙迷宮を思い出せたあなた。あなたは鋭い!。素晴らしい連想力。でもね根性だけでは、勢いだけでは、それの突破は絶対に出来ない叶わないものなのだ。
では如何に?。これこそが今生においてのあなた自身の課題だ。


追記2:

個人的な見解では、日本国自体が、それにおける実質的な指導者たちの全員が、完全に夢に落ちてしまっていると見る。緊縮財政も新自由主義もインフレ政策もデフレ政策も、その夢見の内容でしかない。日本という区分けにおいてのみで考えるならば、つまりは各個個人への配慮は棚置きして考えるのであれば、当然に為政者たちとしてはそうすることが正解になるのだが、ことはまったくの明白にして簡単なことなんだ。国にとっての収入と収支をプラスにする。これだけ。まずこれが鉄則だ。この差額が、つまりは利益が、未来展望において右上がりになるようにする。これだけ…。結果的に国民は潤うことになるのは派生的な結果だ。課題は長期展望において右肩上がりは安定的なものでなければならない。そして国民がその課題たるものを達成するにおいて、実質的な担い手であることも。これもまた絶対だ。働かざるものに恵みは基本ありえないのだから…。

先ずは、支出たるものの正体を、実態を、洗い出さなければならない。多くは「死に金」として出ていっているまで…。収入たるものは、労働者たる国民の、果たしたる、

として厳密に評価されるべきだ。このフィルターをもってもう一度細かに分析を行う。そこには本当に価値創造や付加と実現化がなされているのだろうか?。バーコードの読み取り作業が、物品の移動や整理が、果たして付加価値と呼べるご時世なんだろうか?。基本、人間としての感性において、やりがいを感じられないものは仕事とは呼べない。そこに起承転結のメリハリある物語構造がなくては無理。今という環境状況下において再検証をしなければならない。そして、あるべきに向けて、方向性を国民全体に与えていかなければならない…。

要は準鎖国政策を国内に向けては行う!。
自分の食い扶持分ぐらいは、自分でー、作って消費する。
これ、日出ずる国の常識でありまんねんを貫いてー。

ある意味、生活必需品においては〜、この幅は非常に広いものとして〜、

地産地消を徹底する。

多くの人々がこのことを確信してメタに祈れば、これは実現化され得る。

どっかで、もう少し詳しく、気入れて、書いたような気がするがな〜…。



あとがき:


 この内容は先もって独立させておくべきとの判断をいたしました。

 2Fにおけるマハラジとの関係性が確認できますね。


 一回、本体部分の全部が飛んでしまいました。

 絵文字使って上書き保存したら、ものの見事に以降の文章は消えてしまってた。

 前にもやったことなのに…(哀)

 だからといって〜、決して、「

」で、

 やり直したわけではありませんからねーーー!。



 おっしまい。






 そりゃ〜完璧に駄目だ…。もう一回最初からやり直せだったんだろ〜ね〜。


「中二病だからこそ、むやみやたらと、誰かと、どうしても、恋したい」。

 これが正確なタイトルだろね。

 これって自爆評論になるんかもな〜。後々困ることになる。やぶ蛇…

 日本文化圏の範疇においてアドバイスしておくならば、

 お不動さんより降魔の利剣たる“倶利迦羅剣(くりからけん)”を手に入れる必要性がある!。

 一本、八百万円ですけど…いる?。

 www。

 バイなら。

















おまけとしての追記:


最初と最後の絵には共通点があることにはお気づきであろう。
両者ともに、その摩訶不思議なる力に関係している。
要は、それは、毒にもなれば妙薬にもなるってなお話しさ。

その理解においてはもう一つ、羽の生えた蛇の象徴に関してを、
その意味についてを、理解しとかなければならない。

龍たるものは、
その蛇たるものが、つまりは異次元生命体が、(賢しきがその色それの特質)、
天上界に至るにおいて、そこに存在するを

至上の価値として受入れ、
完璧に理解したるの事態を表す。物質界↑天上界。

そんで、その蛇的存在は質的变化を果たすの。それがケツアルコアトルとか龍なの。

多分それはメタ・エネルギー。
上位界に起源を同じくしてもつ超絶的なるエネルギー。
それもかなり強力にして、かつ特殊なものだ。
なんたってクドイけど幻力としてあるのがそれの特質なのだから。

やはりこれがキーなんかもね。
否定したり放ったらかしにしたり毀損するのはもったいない。それは一種の涜神だ。
尊んで然るべくの姿へと変えてあげなくちゃいけない。変容たる事態が鍵なんだ。

本来の出自たる天界から落ちてきて、悪しきものに変質し頽落したり、*そんで落ち着いた先が、地獄と呼ばれたり最下部にあるチャクラだって呼ばれたりしてるまでで、その尾骨の底部から上昇して、(天界に向けてとの表現にももなるのだが)、更に強力なる、頭頂にて構える別のメタ・エネルギーと、それは魂のみが接続可能なる高次元にて屹立するイデアとしての門なんだが、一体化を運命的なるもとのして何故か目指しちゃったり、達成したりも稀にする。w。

花婿たる相手の男が、花嫁となるべきの女の元に、
自動的に魅せられて引き寄せられてしまうってのが表現。
だいだい間違った相手。手近なお安い相手と結婚するのが一般的なのだが…。

そして、もし、仮に、そのフェイタルと、上々結婚することができたならば、
決定的にかっての状態たるものを脱することとなる…。
女性はこのことに限ってならば偉大だ。男は動かされてしまう。

そんなこと、誰においても、滅多に起こらない、為し得ないことなんだけどねっ…。

最後に、ところで、死の意識と、性の衝動は密接につながっているよね?。

死することの避けがたき事態を迎えて。
されど、これ乗り越えずにおられないってな状況。
武蔵が吉岡一門との戦いの前日なんかがその良い例。

この刹那においてこそ、クンダリーニなるものの正体は、
初めて、明晰なる意識の元に、その全容を知ることが叶う。
これを乗りこなすにおいてチャレンジできる稀なる機会の



バイアグラ飲んだってだめなんよ…。

類型的なるものを、あれやこれやに観ることができると思うよ。

意固地になって拒絶否定反逆を永遠に行うことになってしてしまっているのがサタン。

すべては身近なること、我が身の、その内での話し。

即物的なるまでに現実に関してのことなのだ…。




これも大変興味深い表象だ。




全体図


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