【クレヨン】【774】【学科】

文字数 921文字

「7535(ひちごさんじゅうご)、7642、7749、……」小学二年生の波留は病室のベッドで、九九を口ずさむ。
 学校の授業に遅れないよう、友達が届けてくれるその日の学科のプリントを消化しているのだ。
「ふぅ〜」全てやり終えて波留は窓の外に視線を移す。桜が花開くにはまだかかりそうだ。
 波留が入院したのは、交通事故が原因である。下校中、同級生の男の子からゴキブリのおもちゃを突きつけられて、驚き飛び退いた。そこで運悪く一時停止を無視した車にはねられたのだ。
 幸い大事には至らなかったものの、一週間入院することになった。それでも波留はどこかホッとした気持ちもあった。いつも青い帽子をかぶっているその男の子は事あるごとに波留にちょっかいをかけてくる。生真面目な波留は自分に原因があるのではないかと悩みがちだった。顔を合わさなければ、これ以上嫌われないですむのかなと、そんなことをぼんやり考えた。
 波留は傍に置いてあるお絵描き帳とクレヨンを手に取る。ページを開くと、まだ咲いていない桜の木と、その下に女の子のいる描きかけの絵が目に映る。
 波留はお絵描き帳と窓の外を交互に見ながら続きを描いていく。
「波留」
 その声に波留は病室の入り口を見やると、その声の主が青い帽子の男の子だと分かり、体がこわばる。すぐさまお絵描き帳に視線を落とした。
「お前が悪いんだぞ、急に飛び出したりするから」男の子はベッドのそばにやってくるなり言った。
 その言葉に胸が締め付けられつつも、波留は何も言わずにクレヨンを走らせる。
「心配したんだぞ、死んじゃうかもしれないって」
 予想だにしなかったセリフに波留は思わず男の子を見た。涙ぐんでいるのがわかり、慌てて視線を戻し、絵を描き続けた。
「ごめん、こんなことになるなんて思ってなかったんだ」
 波留はその言葉が聞こえないかのように絵を描いている。
「そうだよな、オレ今まで波留にいっぱい意地悪しちゃったもんな。オレなんか見たくないよな。ごめんな、帰るよ」
「待って」波留は書き終えた絵をお絵描き帳から切り離して男の子に渡した。

「ありがとう」
 そう言って男の子は、満開の桜の木の下で手を繋ぐ女の子と青い帽子の男の子の絵を大事そうに持ち帰った。
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