第七話「茜色とオルゴール」
文字数 3,887文字
最近エリーはよく泉に行っている。もちろんリヒトも一緒だ。何度も泉へ行っているうちに道も覚えたし、妖精たちが毎日泉で水浴びをしているわけではないこともわかった。多くの妖精で溢れている時もあれば、リヒトが水浴びを始めてやっと何人かやってくる時もあった。今日も小さい妖精たちだけで水浴びをしているようだ。小さい光が飛び回っている姿を見ているだけで、神秘的な空間に迷い込んだような気分になる。
そうしていつものようにぼーっと泉を見つめていると、突然視界が真っ暗になった。
「え、え、なんですか?」
エリーがあたふたしていると、後ろから「くくっ…」と笑い声が聞こえた。誰かいるのだとわかると、エリーの視界は解放された。
「よっ」
声の主はそのままエリーの隣に腰掛けた。手で目隠しをされていたのだ、とエリーはそこで初めて気が付いた。
「こ、こんにちは……」
そこにいたのは、茜色の髪をした猫のような目の青年だった。困惑するエリーを見て楽しそうに口元に笑みを浮かべている。一体誰なのだろう。
「見ねぇ顔だな。お前、誰?」
自分の膝で頬杖をつき、エリーの顔を覗き込むようにして首を傾げる。なんだか身のこなしも猫のようだ。
「え、えっと、エリーです」
「エーエットエリー?」
「エリーです!」
声を張り上げるエリーを見て青年はまたしても「くくっ」と意地悪そうに笑う。なんだかとても楽しそうだ。
「おっけー。エリーな。よろしく!」
ニッと笑う茜色の髪の青年。口元から覗く八重歯がより一層動物感を出している。
「オレはシェル」
「シェルさん…ですか」
「あぁ。でもさん付けは気持ち悪いからやめてくれ」
「は、はい」
そう返事をするとシェルは満足気に頷いた。その仕草にエリーはリヒトのことを思い出し、泉に視線を移した。妖精の姿は見当たらない。本能で逃げてしまったのだろうか。
「エリーは何見てたんだ?」
「……泉を見てました」
妖精を見てました、と言うわけにもいかず、エリーはそう答えた。シェルは「ふーん」と興味なさそうな返事をした。
「ここ綺麗だもんなぁ」
「よく来るんですか?」
「こっち来た時はちょっと寄るよ。オレだけの穴場だと思ってたんだけど」
違ったみたいだな、と笑い、シェルはエリーの目を見つめた。吸い込まれそうな瞳にエリーはドキッとしてしまう。
「よくここに来るんでしたら、また会えるかも知れませんね」
そう言って微笑むエリー。シェルもにっこり笑って「そうだな」と頷く。
「ここ妖精がいるらしいんだけどさ、オレ会ったことねぇんだよ」
「そ、そうなんですか」
ついさっきまで水浴びしてました、なんて言えず、エリーは苦笑する。シェルは悔しそうに顔を歪めている。
「やっぱ妖精は祭りの時にしか見れねぇのかなぁ」
「祭り?」
「そうそう。知らねぇの?」
シェルの言葉にエリーがこくっと頷く。
「珍しいやつもいるもんだなぁ。ここ風の都と火炎の都、水の都と大地の都はな、季節ごとに祭りがあるんだよ」
「へぇー…そうなんですか」
「おー。それで風の都の祭りの時限定で、妖精が街に出てくるんだよ」
「そうなんですか……!」
それは是非見てみたいと思うエリー。いつも見ている泉の妖精たちが皆集うのだろうか。エリーは期待を込めてシェルに尋ねる。
「そのお祭りって、いつなんですか?」
「ついこないだ終わったぞ?」
「えっ」
エリーが絶望したような顔をして、それを見てシェルが豪快に笑った。
「来年もあるから安心しろって。あ、そうだ」
思い出したように声を出し、シェルは背負っていた鞄の中を漁り始めた。そして何か小さな四角いものを取り出してエリーに見せた。
「ほら、やるよ」
「……? これはなんですか?」
首を傾げながらそれに触れる。どうやらガラスで出来たもののようだ。シェルに渡されて、エリーはそれを眺める。橙色に光るそれはとても綺麗な箱だった。それが開くことに気が付き、エリーはそっと開いた。すると、とても美しいオルゴールの音色が泉に響いた。
「オルゴール……」
「そ。オレの店のもんなんだぜ、それ」
得意気に言うシェル。ガラスの店、と繋がったエリーはダニエルに聞いた話を思い出した。
「もしかして、フランメの」
「お、知ってんのか」
シェルが少し意外そうに眉を上げ、またにかっと笑った。
「それはフランメからの招待状。もうすぐ火炎の陣があるからな」
「火炎の陣?」
「そう。オレの住む火炎の都の祭り」
「強そうなお名前ですね……」
「あはは、そうだろ?」
シェルが嬉しそうに笑う。故郷がとても好きなのが伝わってくる。
「特に必要はねぇんだけどよ、毎回どこの都も招待状を出すんだ。他のとこは普通に手紙だったりするけど、フランメはガラスのものを送るようにしてんだぁ」
そう言ってシェルはエリーに鞄の中を見せる。そこには、色とりどりのガラスで出来たエリーの手にあるオルゴールと同じものがたくさん入っていた。
「そんで今回はオレんちの店で出すことになったんだ。オレは今日これの配達で来てんだよ」
「そうだったんですね」
「おう。だからお前にもやるよ、その招待状。絶対来いよ?」
そう言って意地悪そうににやりと笑う。エリーは笑顔でそれに応えた。ウィリアムに言ってみよう。そして可能ならば一緒に祭りを楽しもう。エリーは胸が高鳴るのを感じた。
「じゃあ、これはシェルが作ったんですか?」
「ぐっ……いや、オレはまだ手伝いだけ」
そう言って不満そうに唇を尖らせる。その仕草がまるでリヒトのようだ、とエリーは思わず微笑んでしまう。
「でもいつかぜってぇ最高の招待状を作ってやる」
「ふふ、その時は私にもくださいね」
「当たり前だろー? 祭り絶対来いよな」
そう言って楽しそうに笑う。
「つーか祭りのことも知らねぇなんてお前変な奴だな」
「へ、変ですか……」
直球で言われ、なんとなくショックを受けてしまう。
「じ、実は、私記憶がなくて」
言い訳のように言ってしまって思わず苦笑する。自分の境遇をどう伝えたらいいかわからない。
「ほー、記憶喪失ってやつ? なんかかっけー」
ははは、とシェルは豪快に笑う。気を遣うようなそぶりは一切見られない。もしかして冗談だと思われたのだろうか。もしくは、理解できていないのだろうか。ほのかに失礼なことを考えながら、エリーはシェルと一緒に笑った。
「それでウィリアムさんに拾われて、今一緒に住んでいるんです」
「ウィリアムって、アンナやダニーのとこの?」
「はい、ご存知ですか?」
「そりゃあな」
ふむふむ、と頷くシェル。そういえば、ウィリアムたちにはフランメに住む幼なじみがいると聞いたことを思い出した。
「あの、シェルはウィリアムさんたちの幼なじみという方はご存知ですか?」
「へ?」
「フランメに住んでいるらしいのですが」
「え、あ、そ、そうだな……どうだろうな……はは」
明らかに動揺するそぶりを見せるシェル。そんな態度がなんだか気になり、エリーは更に質問を重ねた。
「どんな方なんですか?」
「え、えっと、そうだな」
先程まで考えることを一切していなかったが、一瞬黙り込んでシェルは考えていた。顔がほのかに赤くなっている気がする。どうしたのだろう。
「いい奴、かな」
「……それだけですか?」
シェルが何かに耐えるような表情でぽつぽつと喋りだす。先程までの勢いはどこへ行ってしまったのか。
「んん、と、すげぇ、優しい。あと、すげぇ真面目なんだけど、なんか抜けてて、放っておけなくて、あと普段からすげぇキレーなんだけど、笑うとすげぇ可愛くて、へへ、いつもは全然しゃべんねぇんだけど、たまにドキドキするようなこと言ってくるから、いつもなんか振り回されてばっかりでさ」
「……シェル」
「な、なんだよ」
顔を赤くして眉間にしわを寄せるシェルを見て、エリーが笑った。
「その方のこと、大好きなんですね」
「なっ、ちがっ……な、何言ってんだよ!」
わかりやすく取り乱すのを見てエリーが更に笑う。
「その方のお名前はなんですか?」
「……」
エリーが首を傾げると、シェルは目を逸らして言いづらそうに口を開いた。
「……サラ」
「サラさんですか……素敵な名前ですね」
「おー」
シェルがパシッと自らの頬を叩いて、気を取り直したようにエリーを見た。
「と、とにかく、祭り、絶対来いよ。約束だからな」
「そうですね。サラさんにもお会いしたいですし」
「だ、だからそれはもういいだろ!」
「ふふ、ウィリアムさんに言ってみますね」
「おう!」
そう言ってシェルは鞄を背負って立ち上がった。そしてエリーに笑顔を向ける。
「じゃあオレそろそろ配達の続き行ってくるわ。暗くなる前に帰れよー」
「了解です。配達頑張ってくださいね」
「おう、任せろ!」
じゃあな、と言ってシェルは去っていく。するとおそるおそるといったようにリヒトが木の陰から出てくる。
「あ、そんなところにいたの、リヒト」
そんなリヒトに続いて、次々と妖精が木の陰から出てくる。そして気を取り直すように泉で遊び始めた。エリーは祭りのことを考えながら、その光景をぼんやりと見つめていた。