第四話「姉妹」
文字数 3,447文字
妖精の少年はエリーの部屋で寛いでいた。どうやらウィリアムには少年の姿が見えないらしく、エリーについてきていても何も言われなかった。たまに姿が見えないこともあるが、基本的にずっとエリーの部屋に住みついている。そしてそれをエリーは普通に受け入れていた。
「そういえば、妖精くんのお名前は?」
少年からしたらそれはすごく今更な質問だ。呆れたようにため息をついて見せた後、首を大きく横に振った。
「名前がないってこと?」
それに対し大きく首を縦に振る。どうやら正解のようだ。似たような境遇にエリーは少年に親近感を覚えた。しかし名前がないといつまでも妖精くんと呼ぶことになる。それはなんだか寂しいと思った。
「じゃあ、何か呼び名を考えてみてもいい?」
そのエリーの問いに少年は嬉しそうに目を輝かせた。しばらく考え込んで、エリーは嬉しそうに顔を上げた。
「じゃあ、リヒトっていうのはどう?」
光り輝く少年にぴったりだと、エリーはそう提案した。少年は嬉しそうに笑って頷く。二人で笑い合う。なんだか絆が深まった気がした。
「それでは改めまして、よろしくね。リヒト」
リヒトはエリーの周りをぐるぐると回る。喜びを表現しているのだろうか。
そうしていると、インターホンの鳴る音が聞こえた。エリーはハッとして玄関へ向かう。「ここはお前の家だ」とウィリアムに言われていなかったら、きっと来客の対応をするのも躊躇していたことだろう。
「やっほー」
扉を開けると、そこには群青色の似合う女性が立っていた。アンナだ。エリーは嬉しそうに破顔する。
「アンナさん、こんにちは」
隣で飛んでいるリヒトにはやはり気付いていないようだ。後ろの方で階段を下りる音が聞こえる。
「ウィル」
「……何の用だ」
威圧感のあるウィリアムの雰囲気にも、アンナは一切動じない。目に見えるほどの強い信頼関係があるように思えて、少し胸の奥がちくっとしたような気がした。
「エリー借りていきたいんだけど」
「は?」
眉間に皺を寄せるウィリアムを見て、怒っている訳でないと知りながらもエリーはなんだかドキッとしてしまう。しかし今の一言は他人事ではない。エリーもアンナに視線を移した。
「女の子同士でお買い物に行きたいの。いいでしょ?」
アンナが有無を言わせないかのような笑顔をする。ウィリアムは諦めたようにふっと息を吐いた。
「好きにしろ」
その言葉にアンナは嬉しそうに笑い、エリーに準備をするよう促した。エリーは急いで部屋に戻り準備をする。リヒトは扉の近くでふわふわと浮いていた。寛いでいないということは、買い物にも同行するつもりなのだろう。
家を出て、歩くアンナについていく。リヒトはふわふわと周りを飛び回っている。何も言われないということは本当に見えていないのだろう。むしろ見える基準は一体何なのだろう、とエリーはふと思った。
「街を探検したんだって?」
アンナに声を掛けられ、慌てて答える。
「は、はい」
群青色の瞳でエリーをちらっと見たアンナは柔らかく微笑んだ。その反応に首を傾げるエリーの頭の上に、同じように首を傾げるリヒトが乗っかる。
「そんなに緊張しないで。ウィルとだってあんなに打ち解けてたじゃない」
「えっ」
思わず声が出る。打ち解けているように見えているのだろうか。打ち解けたいとは思っていたが、エリーは打ち解けているとは思っていなかった。……と思うのは少し失礼だろうか。
「完全に保護者の目になってたわよ、さっき。気付いてなかった?」
アンナは面白そうにエリーを見つめながら問う。保護者の目と言われ、エリーは街を探検した際のウィリアムの震える声を思い出した。少しは家族のように思ってくれているということだろうか。なんだか嬉しくなり、エリーはふわりと笑った。
「息切らしながらエリーのこと聞いてきてびっくりした、って時計屋さんのおじちゃんが言ってたわよ。それを聞いた私もびっくり」
「そうだったんですか……」
本当に申し訳なかったと眉を下げるエリーに対しアンナは楽しそうに笑う。そしてエリーの手を握り、道の途中にあった洋服屋に入っていく。
そのお店はアンナが着るようなシンプルな服でなく、女の子らしいワンピースやスカートの置いてある店だった。
「こういうのって見てる分には楽しいんだけど、私が着ると似合わなくて」
アンナが楽しそうに言いながら次々と服をエリーに当てていく。その勢いに押されながら、エリーもわくわくした表情で店内を見回す。リヒトはアンナや他の女性客の勢いが恐かったのか、必死にエリーの髪にしがみついている。少し痛い。
「これとか似合うわよ。あぁ可愛いもうほんと可愛い」
先程からアンナが勧めてくる服はどれもワンピースのようだ。エリーも楽しくなってきて試着を始める。試着室から慌てて出てきたリヒトは顔を赤くしてお店の外の看板に腰掛けた。そして盛大にため息をついて、空を見上げた。店を出る頃には、空は暗くなっていることだろう。
「はぁー楽しかった。ありがとね、エリー」
「いえ、こちらこそ! お洋服を選んでいただいただけでなく、買っていただいて……本当にありがとうございます」
ぺこっと小さくお辞儀をするエリー。アンナは笑ってエリーの頭を撫でた。リヒトはその撫でられた頭に体重を預ける。思っていた以上に時間がかかったことで、リヒトは完全にぐったりしていた。その姿を見て、エリーは帰ったらクッキーでも作ろうと心に決めた。
「じゃあ次は私のオススメのカフェを紹介するわね」
ごはんもそこで食べましょう、とアンナは嬉しそうに話す。エリーも嬉しそうに頷く。傍から見たら姉妹のように見えることだろう。
「あったあった」
アンナが小走りで向かっていく。店の前に立つアンナは、なんだかとても綺麗に見えた。夕暮れが群青色の髪と瞳を照らし、神秘的な雰囲気を醸し出している。エリーは見とれかけたが、急いでアンナの元へ向かう。
アンナのオススメだというパスタを注文し、二人はカフェオレを飲みながらゆったりと話を始めた。リヒトはテーブルの上でリラックスしている。
「この街は綺麗でしょ」
「はい! とっても綺麗です!」
勢いよく答えるエリーにアンナは笑った。まるで本当に妹が出来たような、そんな感覚だ。
「でも一度探検したくらいじゃ分からないわよね」
意味深な笑みを浮かべるアンナ。エリーはそれを不思議に思いつつもゆっくり頷く。
「そうなんですが……前回は迷子になってしまって、ウィリアムさんに迷惑を掛けてしまって」
しゅん、と小さくなるエリーの頭をリヒトが体全体を使って撫でる。慰めているつもりなのだろう。
「一人で見知らぬ街を探検したらそりゃあそうなるわよ。だからね、エリーに案内人を紹介しようかな、と」
「案内人、ですか」
「そう! 本当は私が案内してあげたいんだけど、しばらく時間取れそうになくてね。だから私もウィリアムもすごく信頼してる人を紹介するわ」
ウィリアムがすごく信頼している人と言われ、エリーは純粋に興味を抱いた。すごく失礼な想像だが、ウィリアムにはアンナしか友人がいないと思っていたのだ。心の中でそっとエリーはウィリアムに謝った。
「どうする?」
「是非お願いしたいです」
街の探検はしたかったが、前回のこともあり再び探検したいとは言えなかった。誰かと一緒で、それもウィリアムがすごく信頼している人ならば、心置きなく探検ができるだろう。というのもあったが、エリーは純粋にその案内人に会ってみたいと思ったのだ。
「ふふ、りょーかい。じゃあ急で悪いけど、明後日午前十時に駅で待ち合わせでもいい?」
「は、はい! もちろんです」
エリーが瞳を輝かせる。家にいる時は家事をするかリヒトと戯れるかだけだ。急の方が嬉しい、と思ったエリーは元々活発な性分なのかも知れない。
「じゃあその人の特徴と名前だけ教えておくわね。その時間なら駅にはそんなに人はいないと思うからすぐ分かると思うわ」
「はい! お願いします!」
エリーはまたふわりと笑い、家に帰ったら早速ウィリアムに許可をもらおうと決めた。リヒトに作ってあげようと思っていたクッキーの存在は、とっくに頭の中から抜け落ちていた。