第二話「雨のち」

文字数 2,620文字



雨が降っている。
カーテンを開くまでもなく、音と空気でそう感じる。雨というのは気分が暗くなってしまうような、そんなじめじめさがある。しかしそんな雨の日独特の雰囲気は嫌いではない。
軽く朝食をとり、着替えたエリーはカーテンを開き、深呼吸をして自分に気合いを入れる。これから家の掃除をするつもりだ。家に置いてもらう代わりに家事をさせてもらうことにしたのだ。

居候の身になってから数日が経った。最初の二日間はアンナも共に泊まってくれていた。エリーのために気を遣ってくれたのだろう。その間にエリーは部屋や日用品の場所や、アンナとウィリアムのことを覚えた。それら全てを教えてくれたのはアンナだ。いてくれてよかった、とエリーは心から思う。

ウィリアムは部屋にこもっている。家の主であるウィリアムは作家だ。執筆中はいつもこうやって部屋にこもって食事もまともにとらない。朝食も一応用意をしたが、後で食べると言われたまま放置されている。最初は食事がまずかったのか、自分は嫌われているのか、と色々心配していたが、どうやらそうではないことがわかってきた。単純に集中して執筆をしているだけのようだ。数日ですっかり家事が身に付いたエリーは、今日も今日とてウィリアムが集中して部屋にこもっているうちに家の掃除を済ませてしまおうと思っていた。

そうしていると、そろそろ昼食の準備にとりかかる時間となっていた。冷蔵庫に入っている食材は全てアンナが用意してくれたものだ。日頃からウィリアムの食生活が心配なのだろう。それもそうだとエリーは思った。ウィリアムは放っておくと何日も食事をとらない可能性がある。そのうち倒れても不思議ではない。そしてそんな彼は今も部屋にこもって集中している。昼食も食べてくれるかどうか、という心配はあったが、とりあえず用意を始めることにした。冷めても平気なものやすぐに温められるものを考えながら作っていく。どんなに集中していてもお腹は空くだろう。そしてお腹が空いたらさすがに何か食べ物を求めてキッチンへやってくるだろう。食べてくれないかも知れないという考えは頭の隅に追いやって、エリーは食事を作り始めた。


ドアをノックして、声が届くように少し開ける。

「……なんだ」

いつもより低い声。まだ慣れないな、と思いながら声をかける。

「あの、昼食を作ったので、時間のある時に召し上がってください」

ああ、という返事を聞いて、ドアを閉める。やはり一緒に食べる気はないようだ。思わずため息をついて、雨音を聞きながら昼食を食べる。雨は嫌いじゃないが、どんよりとした空の色を見ているとなんだか自分の心もどんよりしてきそうだ。ウィリアムの分の昼食をわかりやすい場所に置いておき、部屋に戻る。家事は大体済ませてしまった。暗い窓の外を見ながら、晴れたら外へ出てみようと考える。ウィリアムのように仕事があるわけでもないのに家にずっと引きこもっているのは気分が悪くなってしまいそうだ。ここへやってきたばかりの時と違い、不安よりも好奇心が勝っていた。窓から見る景色だけでも、この街は美しいことが分かる。探検してみたい。数日の間にその思いは大きくなっていた。それほど不安を抱いていないのは、きっとアンナが自分にエリーという名前を付けたからだ。存在する意味が、理由が、できたような気がしたのだ。しかしウィリアムとはどう関わっていったらいいかわからない。仲良く出来たら嬉しいが、どうすれば仲良くなれるのかが全くもってわからないのだ。

「まぁ、いっか」

小さく呟く。
迷惑をかけないようにしてこれからも一緒に暮らしていったら、きっと仲良くなれるチャンスはたくさんあるだろう。こんな雨の降る日に悩むことはない。そう自己完結し、夕食に何を作るかということを考え始める。しかし先ほどから雨音しかしない。ウィリアムの書斎からダイニングやキッチンへ行くには、エリーの部屋の前を通る必要がある。部屋に入ってから何の音も聞いていないということは、まだ部屋にこもっているのだろう。このままだときっと彼は何も食べずに今日という日を終える。食べたとしても、夜の遅い時間にエリーの作った昼食を食べることになるだろう。そう考えると、エリーは夕食を作らなくてもよいのではないかと思ってしまう。自分一人のためだけに作る料理ほど味気ないものはない。

「じゃあ、いっか」

再び呟く。
雨はいつまで待っても止む気配がしない。明日にでも外へ出てみたいと思っていたが、もしかしたらまた延期になるかも知れない。そんなことを考えてまた少し憂鬱になる。雨は先ほどよりも激しさが増している気がする。ぼーっと窓の外を眺め続けた。



ふと聞こえた足音にエリーはハッとする。ウィリアムだ。きっとお腹が空いて今から昼食を食べるのだろう。きっとそうだ。そう考えてわずかに頬がゆるむ。先程まで落ち込んでいた気持ちが浮上していく。我ながら単純だとエリーは思った。

雨が降っているからなんだというのだ。明日も雨が降っていたら、雨の降るこの街の景色を楽しみながら出かけたらいい。ウィリアムが夕食を食べてくれる可能性が少しでもあるなら、用意するだけしてみればいい。そんなことを考えていたら、窓の外が明るくなってきた。雨が止んできたのだ。まるで空に応援されているように感じて、エリーはダイニングへ向かった。そこには、珈琲を飲んでいるウィリアムがいた。用意していた昼食はもう既に片付けられているようだ。

――食べてくれたんだ。

そう考えたら嬉しくなって、思わず笑いかける。

「ウィリアムさん、雨が止みました」

「……そうか」

いつものようにそっけない返事が返ってくる。しかしそんなことは気にならなかった。窓の外に目をやると、テーブルに珈琲を置くカタッという音が聞こえた。

「明日の夜は一緒に外へ食べに行くか」

初めてこれほど長く声を聞いたのではないか。そう思うより先に、

「はいっ」

と元気よく返事をした。にこにこしているエリーを見て、今度はウィリアムが窓の外に目をやる。

「……ここはお前の家だ。何も遠慮しなくていい」

予想外の言葉にエリーはウィリアムを凝視する。少し居心地の悪そうな表情をしているのは、気のせいだろうか。

「ありがとうございます」

エリーはより一層頬が緩むのを感じた。

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