第二十八話「エリー」
文字数 2,265文字
玄関の扉を開け、家の中へ入る。リヒトはすっかり眠り込んでしまったため、頭の上ではなくワンピースのポケットに投入した。音に反応したのか、奥からウィリアムが出てくる。そして少し驚いたような顔をする。エリーの脱出に気が付いていなかったようだ。
「……どこへ行っていたんだ」
「泉に、少しだけ」
「どうした」
困ったような問いに、エリーは曖昧に笑う。
「あの、少しお話しませんか?」
テーブルを挟んで向かい合って座る。手元にはカフェオレを用意したが、どちらも手をつけようとしない。
「……今日はどうしたんだ」
エリーの様子がおかしいことにはなんとなく気付いていたのだろう。ウィリアムは困ったように再びそう質問した。
「散歩してきたんです、今日。そうしたら、人魚のビアンカさんに出会って」
「……ああ」
「水晶玉をいただきました。泡沫祭の招待状だそうです」
「……そうか」
「はい」
「……また、皆で行こう」
ウィリアムの言葉に、エリーは嬉しそうに頷く。
「あの、それで」
「ああ」
「散歩から帰ってきたら、その、ウィリアムさんとアンナさんが言い合いをしていて」
「……聞いたのか」
「はい……ごめんなさい」
「いや、謝るのはこちらの方だ。すまない」
そう言ってウィリアムは真っ直ぐにエリーを見つめる。
「何か聞きたいことがあったら、遠慮なく聞いて欲しい」
「……はい」
そう言ってエリーは少し考えるように目を泳がす。
「あの、妹さんがいらっしゃるんですか」
質問のような、確認のような言い方をする。ウィリアムは頷いた。
「……そうだな。まずは一通り説明するべきか」
そう言ってウィリアムは少し黙る。
「俺にはエリカという妹がいる。身体が弱くて、たまにしか外に出ることができなかった。祭りに連れだすと、すごく、はしゃいで……明るい子なんだ」
「……はい」
「周りの人間はエリーと呼ぶことが多かった。アンナがお前にその名を付けたのも、妹のことを想ってのことだろう」
「……あの、どうして」
エリーの声に、ウィリアムは少し震えたような声で続ける。
「エリカは二年前に海で溺れた。……生きていたら、お前と同じ年齢のはずだ」
「そう、なんですか」
「本当にすまない。アンナが名前を考えたところで、止めるべきだった。……アンナはまだ、エリカのことを受け止められていない」
「……はい」
何を話すのか考えるように、ウィリアムは黙る。
「あの、私は、エリカさんに、似ているんですか?」
エリーの質問に、ウィリアムはかすかに笑った。
「全く似ていない」
「え?」
「アンナは似てると言っているが、それも自分に言い聞かせてのことだろう」
そう言って、ウィリアムは少し身を乗り出し、エリーの頭を優しく撫でる。
「大丈夫。お前はエリカの代わりじゃない。お前は、お前だ」
その言葉に、エリーは安心したように微笑んだ。
「あの、エリカさんの話、もっと聞かせていただけますか?」
「……辛くないか?」
「私は大丈夫です……ウィリアムさんが辛くなければ、お願いしたいです」
「……ああ」
そう言ってウィリアムは微笑む。
「エリカは海が好きでな、その影響もあって、色も水色や青が好きだった」
「そうなんですね」
「ああ。身体は弱いが、性格は好奇心旺盛で活発な方だった。よく誰にも言わずに家を脱出していた」
先程同じようなことをしてしまっているエリーは、気まずそうに苦笑する。
「人より外に出る機会が少なかったせいか、本を読むのも好きだった。特にファンタジーを好んで読んでいた」
そう言ってウィリアムは目を伏せる。ウィリアムが物語を書いているのは、妹のエリカのことを考えてのことなのだろうか。
「この街のことをすごく愛していた。他の都ももちろん気に入っているみたいだったが、あまり外に出ないのに街の人々とすごく仲が良くてな。祭りはなるべく連れていくようにしていた。何度参加しても、エリカはいつも初めて見たかのように感動するんだ。森のお茶会でも、無理をしない程度だったが、楽しそうにしながら一緒に踊った。でも、エリカが一番楽しそうにしていたのは風の都の祭りの時だったな」
断片的に、しかし思い出が全く途切れていないかのように、ウィリアムは話し続ける。エリーは相槌を打ちながら、エリカのことを知っていく。自分と似ている部分もあるが、ウィリアムの言っていた通り、全く似ていないというのも頷ける。リヒトが聞いていたらどう思うだろう。エリーはそんなことを考えながら、ウィリアムの声に耳を傾けていた。
「ありがとう」
「はい?」
突然礼を言われ、エリーは戸惑う。
「話ができてよかった。……俺も、エリカのことを受け止められていなかったのかも知れない」
そう言ってウィリアムは眉を下げて笑った。エリーは思わずウィリアムの手に、自身の手を重ねる。
「……ウィリアムさん」
「なんだ」
エリーとウィリアムの目が合う。エリーは少し言いづらそうに、口をゆっくりと開く。
「……私の名前、呼んでくれませんか」
エリーの言葉に、ウィリアムは驚いたような顔をする。そしてむず痒そうな顔をして、エリーを真っ直ぐに見つめる。
「エリー」
その低い声が、エリーの心に響いた。首から下げた指輪に手を添え、エリーは嬉しそうに微笑んだ。
「はいっ」