第三話「探検」

文字数 3,507文字



「この街を探検したいです」

意気揚々とウィリアムに告げる。ここ数日ずっと考えていたことだ。雨も降っていない、絶好の探検日和だ。
今日は珍しく朝食を共にとっていた。それだけでなんだかエリーはウィリアムと絆が深まったような気持ちになる。

ウィリアムは無言でエリーに視線を移した。彼の返事には一呼吸待つ必要があることをこの数日で覚えていた。返事をする前にじっと目を見る癖がある。そのため期待の眼差しでウィリアムの返事を待つ。

「一人で大丈夫か」

わずかに首を傾げる。声のトーンはいつだって棒読み気味だが、その仕草で疑問形であることを察する。エリーは柔らかく笑ってみせた。

「大丈夫です」

その返事に満足したように珈琲の入ったカップを口に運びかけたが、ふと呟くように付け足した。

「……夕食」

たった一言の単語。エリーはその言葉に一瞬ぽかんとする。そしてすぐにハッとしたように「あっ」と声を出した。

「大丈夫です。夕食の時間までには必ず帰ります」

今日は二人で外へ夕食を食べることになっている。忘れるはずがない。エリーの言葉にウィリアムはかすかに頷き、立ち上がった。この後はおそらくまた部屋にこもるのだろう。


出かける準備をして、エリーは家の外に出た。この家にお世話になることになって、まだ一度も外へ出ていない。楽しみだ。

外へ出ると、そこには彩り鮮やかな景色が広がっていた。煉瓦で出来た家や、桃色黄色緑色などの壁の家、大きな屋根やどこまでも続いていそうな石造りの道。歩いている人は少なかったが、その豊かな色合いはエリーの心も豊かにしていくようだ。
とりあえず深呼吸をして、エリーはゆっくりと歩き出す。さて、まずはどこへ行こうか。道を歩いていると、民家の間にぽつぽつと店があることに気が付いた。人形専門店やオルゴール専門店、小さな雑貨屋や隠れ家のようなレストラン。お腹は空いていないのでさすがにレストランは入れないが、気になる店には端から入っていく。どれもこれも素敵なものばかりで、全て買いたくなってしまう。しかし今エリーの持っているお金はウィリアムからもらったものだ。そう簡単に使うことなんてできない。

「お嬢ちゃんどこの子だい」

時計だらけの雰囲気の良い店に入って時計を眺めていると、店主に声を掛けられた。髭の似合う熊のような男だ。

「もしかして、噂のウィリアムの拾った子かい」

どう答えていいかわからず迷っていると、店主が閃いたように言い出した。噂になっていたのか。エリーは驚いたように目を瞬かせた。

「はい、そうです、たぶん」

曖昧な笑顔で返事をする。今のエリーに自己紹介ほど難しいことはない。しかしアンナにもらった大切な名だ、と思い直す。

「エリーです。ウィリアムさんのお家でお世話になっています」

その言葉に店主は人の良さそうな笑顔を浮かべた。ウィリアムとは親しい間柄なのだろうか。

「エリー……そうかそうか。時計しかない店だけど、よかったらゆっくりしていっておくれ」

その言葉のとおり、エリーはゆっくりじっくり時計を見て回った。どれも素敵なものばかりだ。そしてにかっと笑って店主はエリーを見送った。

一度きりだと思われたそのやり取りは、その後何度も行われることになった。菓子を売っている店の女性も、おもちゃ屋のおじいさんも、レコードを売っているお兄さんも。皆ウィリアムの噂というものを聞いたのか、声を掛けてきた。まるで街の人皆が家族のような、そんな雰囲気を感じた。エリーは声を掛けられる度嬉しい気持ちが湧いていた。羽織っていた薄手のカーディガンのポケットには、先程お菓子屋でもらったクッキーの小さな袋が入っている。

次はどこに行こうか。そう考えながら街を歩いていたが、もう日が暮れる時間だ。そろそろ帰るべきだろうか。その時だった。

「ん?」

思わず声が出た。何か光るモノが見えるのだ。その光るモノは人ひとり入るのが限界であろう建物の間に入っていく。見たことのある記憶はないが、あれはもしかしたら蛍かも知れない。そう思い、追いかけた。

それはエリーとの距離を一定に保っているかのように、スピードを上げたり落としたりしている。からかわれているのだろうかと思ってしまうくらい、追いつくことができない。エリーは意地になる。ここまで来たら、その姿を拝まずに帰るわけにはいかない。日が暮れていくことはもう頭になかった。

追いつかれないように一定の距離を保たれているのなら、それを逆手に取ればいい。そう思い、エリーはスピードを緩めた。光るそれもエリーに合わせるかのように動きが遅くなる。やはり気のせいではないようだ。じりじりと距離を詰めていく。そしてエリーは突然スピードを上げた。手の届く距離にまで到達する。エリーは思い切りそれを掴んだ。しかし潰してしまっては本末転倒だと、慌ててすぐに手を緩めた。エリーは手をゆっくりと開く。

――少年だ。


エリーの手のひらに乗っていたのは、小さな少年だった。思い切り掴んでしまったことで目を回しているようだった。エリーはじっとそれを見つめる。これは一体何なのだろう。身体から光を放っているだけでなく、少し見づらいが透明な羽根も生えている。それを除けば普通の少年の姿をしていた。

「妖精……?」

小さく呟く。その声に反応したように、少年はエリーを見上げた。そして怒ったように頬を膨らませて睨みつける。掴んでしまったことで痛みを与えてしまったのかも知れない。

「ご、ごめんなさい。痛かったよね」

エリーが申し訳なさそうにそう言うと、少年はツンとした反応を見せてから満足そうに笑った。なんと感情表現のわかりやすいことか。

「君は妖精なの?」

エリーの言葉に少年は大きく頷いて、羽根をエリーに見せて飛んでみせる。その無邪気な笑顔に心が洗われるような気持ちになる。

「あ、そうだ。これ食べる?」

お菓子屋からもらったクッキーがあることを思い出し、それを取り出して少年に見せる。少年は嬉しそうに顔を輝かせる。その様子にエリーは微笑んでクッキーを小さく分けて差し出した。


そうして妖精の少年と遊んでいて、エリーは突然ハッとしたように大きな声を出した。

「妖精くん、今何時!?」

突然のことに少年は驚くが、すぐに空を見上げる。日が暮れるどころか、もう暗くなってしまっている。非常にまずい。夕食までには必ず帰るとウィリアムには言ってあるのだ。約束を破ってしまったら、せっかく近付いた距離も離れてしまうことだろう。

「ど、どうしよう」

辺りを見回してみても、自分のいる場所がさっぱりわからない。何も考えずに妖精の少年を追いかけただけでなく、外は暗くなってしまっている。ただでさえ慣れない街なのに何をしているのだろう。目に涙を浮かべるエリーを見て、妖精の少年はあわあわと困ったようにエリーの周りを飛び回る。

唯一出来た居場所にも、もう戻れないかも知れない。戻ることが出来ても、見捨てられてしまうかも知れない。エリーは涙を堪えて立ち上がる。

「謝らなきゃ」

まずはウィリアムに謝らないといけない。たとえ居場所を無くすことになったとしても、今まで受けた恩を仇で返すようなことをしてはいけない。エリーは手が震えるのを感じながら歩き出した。

妖精の少年もエリーについていく。光輝くその姿は、エリーの心を癒していくようだ。ただひたすらに歩く。せめて見覚えのある道に出ることができれば……。



「きゃっ」

突然ぐいっと腕を引っ張られて、思わず声を上げる。引っ張られた勢いで何かにぶつかる。そして身体全体が温かさに包まれた。エリーが顔を上げようとすると、それをさせないかのように強く抱きしめられる。顔を埋めたエリーは、この温かさの主の匂いを知っていた。

――ウィリアムだ。

「あ、あの、ウィリアムさ……」

「よかった」

ウィリアムの声がわずかに震えていることに気が付く。聞いたことのない声色に、エリーは申し訳なさで胸がいっぱいになる。おそるおそる腕をウィリアムの背中に回す。

「……ごめんなさい」

ウィリアムは息を切らしていた。腕の中の心地よい温かさも、走って来てくれたことで体温が上がっているのだろう。先程までの孤独感が一気に解消されたような感覚。堪えていた涙は、頬を伝ってウィリアムの服に滲んでいった。

妖精の少年は、どこか安心したような、気まずいような表情をして後ろで二人を見守っていた。

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