第四十話「空の散歩」
文字数 3,581文字
爽やかな朝がやってきた。窓を開けて、澄んだ空気を思い切り吸い込む。賑やかな街の音が、エリーの鼓動に伝ってくる。風の都の祭りの日。空の散歩が、始まった。
「リヒト、楽しみだね」
にっこり笑って、ベッドで眠そうに寝ころぶリヒトに声を掛ける。リヒトは目を閉じながらも頷いた。もうすぐフローライト家には、たくさんの人がやってくる予定だ。アンナやダニエル、サラとシェル、リートとシャール。アンナがまた専用の洋服を持ってくることになっている。エリーはそれも楽しみにしながら、皆をもてなすため紅茶の用意を始めた。好みの紅茶はあるだろうか。
「エリー、来たわよ」
アンナが楽しそうに言う後ろに、皆の姿があった。エリーもまた嬉しそうな表情で「上がってください」と微笑む。
「お邪魔しまーす」
「失礼する」
それぞれで挨拶をしながら、リビングへと向かっていく。リビングに荷物を置いたところで、アンナがエリーを振り返った。
「ウィルは?」
「あ、えっと、お部屋にいると思います」
「まーた書いてんのね?」
アンナの呆れた表情に、エリーは苦笑した。海へ行ったことがよかったのか、ウィルは今日調子が良いようなのだ。祭りへは行くと言っていたが、書けるところまで書いてしまいたいのかも知れない。
「まぁいいわ。準備しましょう」
そう言ってアンナが悪戯っぽく微笑む。エリーは皆に紅茶を振る舞い、女性五人はエリーの部屋に集まった。
「今年も専用の衣装を用意させていただきましたー」
じゃじゃーん、とアンナがバッグを開けて洋服を見せる。エリーは目を輝かせて中を覗き込む。
用意された洋服は、透明のような繊細な素材で出来た色とりどりのワンピース。そしてエリーに差し出されたのは桜色のワンピース。足元まで丈はあるが、脚が少し透けて見える。まるで妖精の服のようだ。
「今まで水色ばっかり着せちゃってたけど、あんたは白っぽいワンピースがよく似合うわ」
そんなことを言ってアンナは笑った。エリーがワンピースを着ると、まるで本当に妖精になったような気分になった。先程まで寝ぼけていたリヒトも、絶賛するように拍手をしている。エリーは少し頬を赤らめながらリヒトに礼を言った。同様にワンピースを着る皆の姿を見ると、まるでどこか違う世界へやってきたような感覚がした。
リビングへ再び向かうと、残された男性陣が紅茶を飲みながら待機していた。そこにはウィリアムの姿もある。エリーは安心した。
「お待たせー」
アンナが歌を歌うように言う。皆でリビングへ行くと、シェル以外の二人が頬を緩ませる。シェルは完全にサラに見惚れている。
「妖精が舞い降りたね、ウィル」
「……ああ」
顔色一つ変えずにさらっと言う二人。シェルはサラに見惚れている。
「……大丈夫?」
さすがに視線を感じたのか、サラが小首を傾げてシェルを見る。シェルはハッとしたようにサラの視線を受け止め、全力で首を横に振る。
「だ、大丈夫。大丈夫」
「言葉と行動が矛盾してるわよ」
アンナの言葉に、一同が笑う。しかしリートはどこかきょとんとしている。
「……体調でも悪いのか?」
「いつものことですよ、姉さま」
シャールの穏やかな言葉に、リートは「そうか」と気にしていないように頷いた。
玄関の扉を開けると、そこにはたくさんの妖精の飛ぶ姿があった。一同は黙りこくり、しばらくその光景を眺める。
「……珍しいわね、いつもはもっと遅い時間に来るはずなのに」
「エリーちゃんを迎えに来たみたいだね」
呆然とするアンナに、ダニエルが優しく目を細める。
「エリーちゃんは妖精だもんね、ウィル」
「いちいち俺に振るな」
そんな言葉を交わす二人の前をエリーが通っていく。妖精たちの下までやってきて、そして上を見る。リヒトも嬉しそうに妖精の輪に入っていった。
「おーい」
遠くから走ってくる一人の姿があった。カイだ。仕事の関係で、朝から来ることができなかったのだ。
「悪いな、遅くなって」
「いいんですよ、カイ様」
「詫びはクレープでいいぞ」
「はいはい。なんでも奢りますよ」
爽やかに笑って、カイは改めてエリー達にも小さく謝罪をした。
「屋台の方へ行こう」
うずうずと言うリートに、皆が頷く。エリーがリヒトを見ると、リヒトは満足そうにエリーの頭に乗った。
「あら、エリーってば懐かれたみたいね」
「え?」
アンナの言葉にエリーは驚いたような顔で振り向く。そんなエリーに、アンナが不思議そうな顔をした。
「どうしたの?」
「あ、いえ……」
そう言ってリヒトと顔を見合わせる。そして二人同時にくすっと笑った。
風の都の祭りのため当然だろうが、屋台をやっている人のほとんどがいつも顔を合わせている人だった。エリーは律儀に全て回ろうとして、ウィリアムに止められる。
「全部食べるつもりか」
「……へへ」
照れたように笑うエリーの手には、既に大量の食べ物。見かねたように、リートとシェルがエリーに近付く。まるで待っていたかのような対応だ。
「しょうがねぇなぁ。おれが食ってやるよ」
「私も食べよう」
「ふふ、ありがとうございます」
お礼を言うエリーの頭上には、既に菓子類を食べ続けているリヒトの姿。最初は珍しそうに皆に見られていたリヒトも、もう既に仲間の一人として受け入れられている。
街を歩いていると、またしても声を掛けられる。
「エリー」
声のした方を向くと、そこにはリザとテオの姿があった。エリーは破顔する。二人もまた嬉しそうな笑顔だ。
「食べていきなさい。ベビーカステラよ」
「紅茶も一緒に飲んでけよ」
二人のやや強引な誘い文句に、エリーは楽しそうに頷く。一緒に喫茶店で働いた頃を思い出し、一緒に屋台ができたら楽しいだろうと想像してしまう。
「紅茶しかねぇのか?」
「おすすめが紅茶ってだけ。他にもあるぜ」
どこか似た雰囲気のシェルとテオ。
「ベビーカステラ美味しそうね」
「もちろん美味しいですわ。ぜひ召し上がってください」
態度はいつも通り堂々としているが、やはりリザはきちんと接客をしている。懐かしさに、エリーの頬を緩んだ。楽しげに屋台をやる二人に別れを告げ、エリーは再び皆と移動を始めた。
移動を続けている間も、ずっと妖精たちは空で踊っている。かなり神秘的な光景だ。しかしどうやら妖精の舞台はそれだけでないようだ。
「そろそろかしら」
アンナの言葉に、エリーは首を傾げる。一体何がそろそろなのだろう。そんなことを考えていると、暗くなってきた空と共に、屋台や建物の光が次々と消えていった。
皆の姿が見えにくくなり不安に思うエリー。そんなエリーの手を、ウィリアムが握った。少し驚いた顔で、エリーは握りかえす。皆は空を見上げているようだ。エリーも同様に上を見る。頭に乗っていたリヒトが、エリーの頭から離れていく気配が感じられた。
「あっ」
思わず声を出す。突然空が美しく輝き始めたのだ。空で妖精たちが光を放ちながら踊っている。まるで空に浮かぶ星のように、妖精たちは光り輝いていた。それに見惚れるエリーたち。その光景は、空の散歩の最後の大舞台。少し切ないような気持ちと共に、エリーはただただ空を見上げていた。
妖精たちの舞台が終わり、祭りもまた終わりへと向かっていく。帰る準備をしている者たちの賑やかな話し声が聞こえてくる。エリーたちもまた、フローライト家に向かうべく屋台の集まる広場を抜けていく。
「今日は楽しかったわね、エリー」
「はい! とっても楽しかったです」
「どこの祭りが一番気に入ったんだ?」
「難しいですね……でもやっぱり、風の都でしょうか」
「ちぇっ……やっぱ住んでるとこ贔屓するよな」
「ふふ、火炎の陣もとても楽しかったですよ」
まだちらほらと人々が楽しんでいる中で、賑やかに足を進めていく。そうしていると、ふと懐かしい香りがしたような感覚を覚えた。そして、その時は唐突にやってくる。
「レイラ様……?」
何故か耳に届いた一つの声に、エリーは振り向く。共に歩いていたアンナやシェル、ウィルが不思議そうにエリーを見て、少し先を歩いていた皆も足を止める。知らない女性が真っ直ぐエリーを見つめていた。聞こえた名前にも、どこか聞き覚えがあるような気がする。街中はまだ賑やかに話し声や笑い声が響いているはずなのに、まるで時が止まってしまったかのように、音が止んだような感覚がエリーを包む。知らない女性の目に涙が溜まる。そんな姿に、胸にざわめきを感じ、エリーは首元の指輪に手を添えた。