第二十三話「紅茶の繋がり」

文字数 4,678文字


エリーは朝からそわそわしていた。今日から営業開始のリザの店に行く予定なのだ。リヒトもやはりどこかそわそわしている。お菓子に期待しているに違いない。ウィリアムの分だけ朝食を用意し、エリーはいつものように書斎へ声を掛けに行く。

ノックをして、扉をゆっくり開ける。ウィリアムは机の傍に立っていた。今気が付いたようにエリーにゆっくり視線を向け、開けていた引き出しを閉める。

「あの……朝ごはん、用意できました」

「……ああ」

少し残念そうな顔をして、エリーは言葉を続ける。

「それでは、行ってきますね」

「……ああ」

返事を聞いて、エリーは扉を閉める。喫茶店へは昨日の夕飯の時に誘ったのだが、ウィリアムは行けないようなのだ。ウィリアムの仕事が忙しいのはいつものことだったが、よほど追い詰められない限りはエリーに付き合うようになっていた。今回はよほど追い詰められているのだろう。無意識にため息をついて、エリーは出かける準備をする。昨日の時点であれ程注目されていた店だ。きっと朝から並ぶに違いない。そう思い、エリーは早めに行くようにしようと思っていた。


丈の長いワンピースを着て、エリーは髪を横に結ぶ。玄関の扉を開けると、少し肌寒い空気を感じる。森のお茶会の後は、どんどん寒くなっていく。上着をそろそろ買わなくてはならないだろう。アンナを誘ってみようか、とエリーは考える。ヴィルベルにやってきてから、エリーはどんどん積極的になっているような気がした。


駅に近付いていくと、当然のように人が多くなっていく。新たな店に皆興味深々なのだろう。リヒトはすでに涎を垂らしそうな様子でエリーの前をふわふわ飛んでいる。店の前に着くと、そこには既に何人もの人が並んでいた。店は既に営業を開始しているようで、店の中からも外からも賑やかな声が聞こえる。わくわくしながら、エリーも列に加わった。ぼんやりと中の様子の見えるガラスを見る。リザはいるだろうか。そんなことを考えていると、リザの淡黄の髪を見つけた。

店内、カウンターの中でスタッフと話をしている。昨日の笑みとは反対に、深刻そうな顔をしている。そしてふとどこか泣きそうな表情になった。思わず列を抜けてガラスに近付く。

「あいつ、何やってんだよ」

隣から声が聞こえ、エリーは視線を移す。そこには、エリーと同じようにガラス窓から中を覗く少年の姿。もどかしそうな表情をしている。再び店内に視線をやると、リザがこちらを向いた。エリーと目が合い、そして少年の姿を視界に捉える。リザはどこか悲しそうに顔を歪ませ、そして店の奥に入って行ってしまった。

中を見ていた紫苑色の短い髪の少年は、今エリーの姿に気が付いたようにエリーを見る。

「あー、えっと、列はあっちですよ」

そう言って列を指す。エリーは苦笑しながら頷く。

「はい……先程まで並んでいたのですが、リザさんが心配で」

「姉ちゃん、あいつの知り合い?」

きょとんとした様子でエリーに尋ねる。エリーは曖昧に頷く。

「昨日お会いしたばかりですが……」

「そっか。なぁ、あいつ絶対何かあったよな」

一声目の敬語はどこへやら。少年は腕を組みながらうーん、と唸る。

「そうですね。リザさん、なんだか悲しそうでした」

「そう。そうなんだよ」

「ちょっと」

少年と会話をしていると、お店の入り口と反対方向から声が聞こえた。リザの声だ。

「……何してんのよ。早く並びなさいよ」

「リザさん」

「お前、そんなこと言ってる場合かよ」

「何よ」

「何かあったんだろ」

「……だから、何よ」

「おれ達は心配してんだぞ」

その言葉にリザは眉を顰める。

「……心配されたところで、状況が良くなるわけじゃないわ」

少年はリザの言葉に何も言えなくなる。二人の間に険悪な空気が流れる。エリーはリヒトと顔を見合わせ、そしてリザの方を向いた。

「……リザさん」

エリーの声に、リザはバツの悪そうな顔をする。

「……悪かったわね。今日はちょっと……バタバタしていて」

歯切れの悪い物言いをするリザ。エリーは心配そうな表情で首を傾げる。

「どうかなさったんですか?」

少し言いにくそうに目を泳がせ、そしてリザは大きくため息をついた。

「……スタッフの数が圧倒的に足りないのよ。多めに手配していたはずなのに、いないの」

その言葉にエリーと少年は店内を見る。確かにどのスタッフも忙しなく動き回っている。お客さんもまだ営業開始したばかりだというのに、どこか不満げな表情が多いようだ。再びリザに視線を移すと、リザは涙目になって眉間に皺を寄せている。

「……どうせこうなるのよ。私の店なんて、失敗するに決まってるんだわ」

小さな声でそう言うリザ。少年は辛そうな顔をする。エリーはそんなリザを見つめ、そして拳を握る。

「……私にお手伝いをさせてください」

「え?」

「スタッフが増えれば、少しは楽になると思います」

「でも、いくらなんでも客にそんなことさせる訳には」

「お客さんじゃなかったらいいんですね?」

エリーはそう言ってリザの手をぎゅっと握る。

「……私とお友達になってください、リザさん」

「……本気?」

「もちろんです」

真っ直ぐにリザを見つめるエリー。その頭上には少し呆れた顔をしているリヒト。

「おい」

少年も思わず声を掛けた。

「……何?」

「おれも、手伝うから」

「なんであんたが……」

リザが困ったような顔をする。少年はスッと息を吸って、緊張したように口を開いた。

「お、おれとお前の仲だろ」

そう言ってほのかに顔を赤くする。リザは驚いたように目を丸くした。そして眉を下げて、ふっと笑う。

「……じゃあ、お願いできるかしら」

「はい、任せてください!」

「おう!」

リザに案内され、三人で店の中に入っていく。更衣室に案内されながら、基本的な内容を教えられる。エリーの仕事は、メニューをメモして、それをキッチンに伝える。出来上がったメニューをお客さんの元へ届ける。単純な内容ではあったが、スタッフの数が足りていない状況ではどうなるのかはわからない。ちなみに、少年はキッチンに立つらしい。

渡された制服に着替えるエリー。膝丈のワンピースに、白いエプロン。胸の辺りのリボンをぎゅっと結ぶ。着替え終えたことをリザに伝えようとすると、そこには同じ制服を着たリザの姿があった。

「……リザさんも、やられるんですか?」

少し驚いたように目を丸くするエリー。リザは少しむっとしたように腕を組んだ。

「指示や対応はメニューを取りながらでも出来るわ。……諦めかけていたけど、あなたのおかげで失敗を失敗のまま終えずに済みそうよ」

どうもありがとう、と小声で付け足すリザ。そんなリザに笑顔を返し、二人で店内へと足を進めた。

同じように準備を済ませた少年と、店内で遭遇する。目が合うと、少年はにかっと笑った。

「そういえばまだ自己紹介してなかったよな。おれ、テオ。よろしくな」

「本当ですね。私はエリーです。よろしくお願いします、テオさん」

にっこり笑って返すと、テオは少し照れたように笑った。

「さぁ、気合い入れていくわよ」

リザの言葉に二人で頷く。こんな所でのんびりしている場合ではないのだ。どこか余裕を取り戻したようなリザの笑顔に、エリーは安心したように微笑んだ。


「いらっしゃいませ!」

エリーが笑顔で対応する。最初こそわたわたとしていたエリーだったが、午後になると慣れた様子で接客をしていた。

「カフェオレがお一つですね。かしこまりました」

リヒトもどうにか手伝おうと店内を飛び回っている。行くべきテーブルにエリーを一生懸命導いているようだ。

街でよく見かけて挨拶を交わす人たちが来店する。そのたびに頑張って、とエリーを応援してくれる。応援されたらされるほど、なんだか頑張れるような気がした。

「姉ちゃん。はい、モンブラン」

「あ、はい。ありがとうございます」

テオも手際よくスイーツや飲み物を作っている。その慣れた様子は、頼もしく感じる。リザとの息もよく合っている。エリーはそう感じていた。

「おすすめはありますか?」

「甘いのがお好きでしたらこちらのケーキがおすすめですが、メニューのこの辺りの紅茶を召し上がるようでしたらチョコレートのスイーツがベストですわ」

リザも上手くお客さんに対応している。忙しなく動いていたスタッフもどこか余裕ができているようで、休憩時間もちゃんと確保している。エリーは楽しみながら働いていた。ウィリアムと一緒に来れなかったのは残念だったが、来ていたらこうして働くことはできなかっただろう。来れなくてむしろよかったのかも知れない。そんなことを思いつつも、また今度一緒に来ようとエリーは心に決める。先程から運んでいるケーキや紅茶がすごく美味しそうだというのも、その理由の一つだ。


「……お疲れ様」

「お疲れ様でした」

営業時間が終わり、エリーとリザ、そしてテオを残してスタッフが帰って行った。店内に三人でテーブルに座る。リヒトはテーブルの上で寝ころんでいる。行儀が悪いのは、この際仕方ないだろう。リヒトも随分と手伝ってくれていた。

「……これ、食べていいわよ」

そう言ってリザがエリーの前に置いたのは、ふわふわのシフォンケーキと紅茶。驚くエリーに、すぐさま目を輝かせるリヒト。

「ありがとうございます」

「おれが作ったんだからな」

「ふふ、ありがとうございます」

得意気に言うテオの頬は微かに赤く染まっている。エリーの笑顔に、テオははにかむ。リザは二人に改めて真剣な顔を向ける。

「……今日手伝ってもらえて、助かったわ。どうもありがとう」

「たいしたことはしてませんよ。とても楽しかったですし」

「そうだよ。だから、そんな真面目な顔すんな。らしくねぇ」

にっこり言うエリーに、相変わらずのテオ。リザも頬を緩ませた。

「でも助けてもらったのは事実よ。ぜひ、召し上がって」

「ふふ、ありがとうございます。……リザさんもテオさんも、一緒に食べましょう?」

「……そうね。食べるわ」

「おれも」

立ち上がろうとするテオを制し、リザはは自分の分とテオの分のケーキを用意する。幼い見た目だが、手慣れたようにキッチンに立っている。さすがオーナーだと、エリーはしみじみ思う。

「リザさん」

「何?」

「リザさんさえよければ、しばらくお手伝いさせてもらえませんか?」

「え……?」

驚いた顔をするリザに、真剣な顔のエリー。テオも驚いた顔をしている。そしてリヒトは、早くケーキが食べたくてうずうずしている様子。

「……スタッフの方が足りていないのは今日だけの話じゃないんですよね?」

「……まぁ、そうだけど」

気まずそうな顔をするリザ。エリーは表情を緩めて微笑みかける。

「でしたら、ぜひお手伝いさせてください」

「……いいの?」

「もちろんです。困っているお友達は放っておけません」

にっこり笑うエリー。そんな姿にテオも慌てたように言う。

「おれも、手伝う!」

そんな二人の言葉に、リザは昨日エリーが見たような余裕の笑みを浮かべた。

「仕方ないわね。手伝わせてもよくってよ」
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