第五話「優しい瞳」
文字数 5,623文字
エリーは駅に来ていた。これから、街を案内してくれるという人と会う予定なのだ。
アンナと別れ、家に帰った後、エリーはウィリアムに案内人のことを話した。いつにも増して険しい顔をしていたような気がするが、ウィリアムは好きにしろと言ってくれた。エリーの輝く瞳の力には勝てなかったのだろう。そして今日、家を出る時にも珍しくウィリアムの方からエリーに声を掛けた。
“……その格好で行くのか”
“はい! どこか変でしょうか……?”
“……いや、変じゃない。気を付けて行って来い”
アンナとの買い物で購入した白と水色のワンピースだったのだが、ウィリアムは気に入らなかったのだろうか。しかしアンナとリヒトには好評だった、とエリーは自分に言い聞かせる。内容はともかく、徐々にウィリアムとの会話が自然になっていっていることは嬉しい。エリーはなんとなく空を眺めた。いつもなら視界でちらちら見える光る少年、リヒトは今日はお留守番だ。
「こんにちは」
ちょうど視界に一人の青年が映り込む。当然、リヒトではない。エリーは一瞬驚きで固まった。
「こ、こんにちは」
千草色の髪に、眼鏡の奥に見えるたれ目に優しそうな印象を受ける。全体的に柔らかい雰囲気だ。きっとこの青年がアンナの言っていた案内人なのだろう。
「びっくりさせちゃったかな。ごめんね」
申し訳なさそうに柔らかく笑う青年。エリーは慌てて首を振る。
「僕の名前はダニエル。ダニエル・インカローズ」
丁寧にお辞儀をして挨拶をするダニエル。エリーもつられて丁寧にお辞儀をした。
「私はエリーです。ウィリアムさんのお家でお世話になっています」
「エリーちゃん、ね」
そう言って眉を下げて微笑み、エリーの頭を優しく撫でる。
「よろしくね、エリーちゃん」
優しそうな人であることは十分伝わった。あのアンナとウィリアムが信頼している人だと聞いていたが、なんだか納得するような人柄が感じられる。
「じゃあ行こうか。ウィルの家が面してる中央通りの方はもう大体見てると思うから、今日は違う所に案内するね」
「はい! よろしくお願いします!」
ダニエルの優しい瞳に期待が高まる。歩き出すダニエルについていく。ウィリアムの家とは正反対の方向だ。
「あの、ダニエルさん」
「なに?」
「アンナさんとウィリアムさんとはどういった仲なんですか?」
彩り鮮やかな街並みをゆったり歩きながら、疑問に思っていたことを聞いてみる。アンナは詳しく話さず、楽しみにするよう言われていたのだ。
「はは、やっぱり聞いてないんだ」
「やっぱり、ですか?」
「アンナはあえて言わないだろうし、ウィルは何も言わないだろうしね」
相変わらずだなぁ、と言ってダニエルは笑った。なんだかすごく仲が良さそうだ。エリーは歩きながら隣で共に歩くダニエルの方に顔を向ける。
「僕とアンナとウィルはね、幼なじみなんだよ」
「幼なじみですか!」
幼なじみということは、幼い頃から仲良くしているのだろうか。それはとても素敵なことだ、とエリーは楽しそうにダニエルを見上げる。そんなエリーを見てダニエルも楽しそうに笑う。
「本当はもう一人幼なじみがいるんだけどね、その子は今フランメにいるんだ」
「フランメ?」
「うん。火炎の都とも呼ばれてるね」
その言葉にエリーは首を傾げる。聞き覚えがあるような気もするが、今のエリーに記憶というものは期待できない。
「あぁ、そっか」
事情を知っているのか、ダニエルは眉を下げて微笑んだ。そしてぽんっとエリーの頭に手を乗せる。
「まずはこの街のことから紹介していこうかな」
記憶のことに触れず、ダニエルはにこにこと笑顔を絶やさずに歩いている。エリーもその笑顔に癒されながら共に歩いていく。
「ここは風の都、ヴィルベル。文字通り風がよく吹く街だよ。比較的他の都より快適な気候なんだ」
「そうなんですね」
それを聞いて、エリーはそっと目を閉じてみた。確かに爽やかな風がワンピースの間を通っている感覚がする。気持ちいい。隣でダニエルがくすっと笑う気配がした。
「さっき話した幼なじみの一人がいるのが、火炎の都、フランメ。鍛冶や工芸品が有名かなぁ。特にガラス工芸は絶対に一度は見てみるべきだね」
そう言ってダニエルはきょろきょろと周りを見渡す。急にどうしたのだろうか。
「確かこの辺に雑貨屋さんがあったはずなんだけど……あっ」
見つけたのか、嬉しそうにエリーを振り返る。そしてその雑貨屋に歩み寄っていく。
「フランメと比べたら少ないけど、この辺りのガラス製品とかはフランメのものだよ」
「……綺麗ですね」
思わず息を呑む。雑貨屋に置いてあるのは主に食器類とアクセサリーのようだ。角度によって変わる色が、光を受けて輝いている。見入るエリーを見て、ダニエルがそっと微笑んだ。
しばらく見とれて、エリーはハッとして隣を見る。ダニエルの姿がない。あれ、と思うのと同時に、首に冷たい感触がした。
「じっとしてて」
後ろからダニエルの声がする。エリーは言われた通り直立不動で待機した。
「はい、いいよ」
そう言われて振り返ると、そこには嬉しそうに微笑むダニエルの姿があった。冷たい感触の元に触れる。エリーの首には、ガラスで出来たネックレスがぶら下がっていた。深い青色のとても綺麗なガラスだ。
「あの、これ……」
「君の蜂蜜色の瞳によく似合うよ」
そう言ってダニエルは顔にかかっていたエリーの髪を左耳にかけた。エリーは照れたように顔を赤らめる。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
優しく微笑み、行こうかとダニエルは歩き出す。歩きながらいくつかお店を覗いていく。しかしヴィルベルは一日で全て見られるような広さではなかった。次はまたリヒトを連れて迷子にならない程度に探検でもしようかな、とちらっと見ただけのお店たちを見てエリーは思う。
「次はどうしようかな……あ、空でも飛んでみる?」
「はい?」
訳のわからないことを言われきょとんとした。空を飛ぶでなんとなくリヒトを思い出す。今頃は家で退屈しているだろう。しかし出かける時間になっても起きない方が悪い。家に帰ったらきっと拗ねているだろうから、今度こそクッキーを作ってあげよう。
「風の都の名物の一つだよ。きっと気に入ると思う」
ダニエルが柔らかく微笑む。身体から癒しのオーラが出ているかのような錯覚に陥る。それにしても、空を飛ぶというのはどういうことなのだろう。
「ここだよ。ちょっと待っててね」
そう言ってダニエルが入っていったのは薄暗いお店だった。看板もなく、何か売られているような商品の姿もない。しかし待っているように言われたため、奥に入っていくダニエルを見送り、入口で店内の様子を伺う。
「お待たせ」
そう言って出てきたダニエルの手には、地味な紙袋があった。何を購入したのだろうか。しかしエリーが何か言う前にダニエルは行こうか、と歩き出す。
「あの、ダニエルさん」
「なに?」
「何を買ったんですか?」
「ふふ、秘密」
「……秘密ですか」
エリーが困ったようにダニエルを見上げる。ダニエルは楽しそうににこにこしていた。
「この街にはね、風の都の象徴とも言える場所があるんだ」
「風の都の象徴?」
「うん。ほら、見えてきた」
そう言ってダニエルが指をさす。その方向に目をやると、そこには大きな風車がたくさん建っている草原があった。
「わぁ……」
思わず口を閉じるのを忘れてしまうくらい、澄んだ空気に流されるがままに回り続ける風車はエリーの心を掴んだ。
「すごい、すごいです、ダニエルさん」
「ふふ、そうだね……でも」
ダニエルは意味深な笑みを浮かべた。
「これからもっとすごいものを見せてあげるよ」
「もっと、ですか?」
風車からダニエルに視線を移す。一体何が待ち受けているのだろう。エリーは胸の高鳴りが抑えられない。
「とりあえずあの一番高い風車に登ろう」
「はい!」
ダニエルに導かれるがままに風車の中に入り、上へと階段を上り続けた。
「すごい!」
最上階に到着し、外に出た。風車の一番上は、外へ出られるようになっているようだ。回る羽根の端が心地の良いリズムで見え隠れする。
「あそこから空を飛べるようになってるんだ」
そう言って指さした場所には、人が一人入れる大きさの透明な箱がいくつか並んでいた。ガラス張りになっているのだろうか。
「あそこに、これを履いて入ると、外へ出られるんだ」
そう言って先程購入したお店の紙袋を見せる。エリーは何が何だかわからずぽかんとそれを見る。ダニエルは苦笑した。
「とりあえずやってみようか」
そう言って紙袋から何かを取り出す。
「これを履いて」
それは、リヒトと似たような羽根が左右についている靴だった。これを履いただけで空が飛べるのか。エリーはダニエルから靴を受け取り、言われるがままに履いた。そしてダニエルに言われ先程の箱の中に入る。ダニエルも隣の箱に入った。
「わわっ」
すると、靴についている羽根が光を放った。リヒトが飛んでいる時に見える光と似ている、とエリーは思った。この羽根はもしかして妖精の羽なのだろうか。そうしていると、光が止み、ガラスのような箱の壁がすーっと消えていくのがわかった。
「エリーちゃん」
名を呼ばれて顔を上げると、正面にダニエルが立っていた。しかし、ダニエルの足元には何もない。空を飛んでいるのだ。微笑みと共に手を差し出され、エリーはダニエルの手に自分の手を添えた。そしてゆっくりと歩き出す。少し怖い気持ちもあったが、安心感の方が大きい。ダニエルの手があるからだろうか。それとも、リヒトと似た羽根があるからだろうか。
「……ダニエルさん」
「ん?」
「私、空を飛んでます」
「はは、そうだね」
ダニエルの手を掴みながら、エリーは空中を歩いていた。気持ちの良い風に包まれながらヴィルベルの街の匂いを感じる。
「ここは素敵な街ですね」
空の散歩を楽しみながら、エリーがぼーっとしたような感覚で小さく呟く。聞こえているのか聞こえていないのか、ダニエルはそんなエリーを見て優しく微笑んだ。
「今日は本当にありがとうございました」
大きくお辞儀をして、顔を上げる。ダニエルは終始にこにこと笑っていた。空はすっかり暗くなっている。
「僕も楽しかったよ。ありがとう」
そう言ってエリーの頭を優しく撫でる。そしてエリーを覗きこむようにして首を傾げる。
「僕はこれからちょっと別の約束があるから送ってあげられないけど、大丈夫?」
「はい! 大丈夫です!」
今日はたくさんヴィルベルを見て回ったのだ。もう迷子になる気がしない。エリーは自信に満ち溢れていた。
「……大丈夫だ」
後ろから低い声がする。聞き覚えのある声だ。
「はは、保護者登場?」
「……うるさい」
ダニエルが楽しそうに笑い、隣に誰かが立つ気配がする。
「……ウィリアムさん」
「あぁ」
エリーが嬉しそうに見上げると、ウィリアムはちらっとエリーに視線をやり、無表情のままダニエルに視線を移した。
「……悪かったな」
「いいよいいよ。僕も楽しませてもらったし。また散歩しようね、エリーちゃん」
「はい! 是非!」
「……行くぞ」
そう言ってウィリアムは後ろを向き歩き出した。エリーは慌ててダニエルに挨拶をして、ウィリアムを追いかける。ダニエルはにこにこ笑いながら二人に小さく手を振っていた。
「ウィリアムさん、今日はお家とは反対方向のいろんなお店に行きました」
「……そうか」
「フランメっていう街のことも聞いて、雑貨屋さんでフランメのガラス製品を見てきました」
「……それ、買ってもらったのか」
「え? ……あ、そうです!」
一瞬何を聞かれているのかわからなかったが、すぐにエリーは首元のガラスのネックレスに手を添える。見ていないようでよく見ているんだな、と、さすが作家だ、とエリーは感心した。
「あとは、風車も見ましたし、空も飛んだんですよ!」
楽しそうに話すエリーを一瞥するウィリアム。やはり無表情のままだ。
「……その格好でか」
その言葉にきょとんとして、エリーはウィリアムを見上げる。そして自分の着ているものが新品のワンピースであることを思い出し、エリーは顔を赤らめた。
「……風車の草原は街より風が強い」
「へ? は、はい」
「……ひらひら以外のものも買っておけ」
ウィリアムの言うひらひらとは、おそらくワンピースのことだろう。エリーはまだ少し顔を赤らめながら、照れたように微笑んだ。
「……そうします」
家に到着して、先に階段を上り始めたウィリアムが振り返ってエリーの目を見つめる。こうしてちゃんと目を合わせるのは珍しい。エリーはきょとんと見つめ返す。
「……今日は、楽しかったか」
思いがけない質問にエリーはまたしても目を丸くしたが、ぎゅっと拳を握り笑顔で答えた。
「はい! とっても楽しかったです」
「……そうか」
そう言うウィリアムの表情が少し柔らかくなったように感じて、エリーはウィリアムの顔を凝視する。よかったな、と言われているような気がして、エリーは嬉しくなった。ウィリアムはそのまま部屋へと向かい、エリーもにこやかに部屋へと向かった。
「ふふ」
ご機嫌で部屋の扉を開けると、そこには予想していた通り、拗ねて膨れてしまっているリヒトの姿があった。