第十話「火炎の陣」
文字数 7,105文字
太鼓を叩く低い音が鳴り響く。そんな音と窓から入る日の光で、エリーは目を覚ました。
起き上がって部屋を見回してみるも、同じ部屋に泊まっているはずのアンナの姿はない。枕元にはリヒトがすやすやと気持ちよさそうに眠っている。
ゆっくりベッドから降り、窓を開ける。それと同時に、たくさんの大きな音が部屋の中に入ってきた。
「わっ」
一瞬びっくりして窓を閉めかけるが、思い直して窓の外に身を乗り出す。
「すごい……!」
街並みが昨日よりもずっときらきらしている。楽しそうに笑い合うたくさんの人の姿。音楽に合わせて踊る人の姿。見たこともないような食べ物を口に含む人の姿。昨日初めて見た鬼の姿も見られる。エリーは胸の高鳴りを感じていた。
「あ、エリー。おはよう」
扉の音に気付かず、エリーは背後からの声に驚き振り向いた。
「アンナさん」
「おはよう」
「おはようございます」
興奮して頬を赤らめるエリーの姿を見てアンナが笑う。
「既に楽しそうね?」
「はい!」
そう答えると、アンナは窓を閉めた。
「ここから見てないで、さっさと街へ行くわよ」
「はい」
「あ、でもその前に」
アンナがそう言ってにっこりと微笑む。エリーはきょとんとその微笑みを見かえす。
「着替え持ってきたから、着替えましょう」
楽しそうに笑うアンナに、エリーは大きく頷いた。
アンナがエリーに着せたのは、白藤色の浴衣だ。花柄が綺麗に並んでいる。エリーの亜麻色の髪はアンナの手によって上げられた。いつもは下ろしているため、新鮮に感じる。
「これは……」
「気に入った? 火炎の陣ではね、浴衣を着るのが一般的なのよ」
そう言ってアンナがにっこり笑う。
確かに先程窓の外から見ていた限り、浴衣姿の人が多かったように思えた。エリーはなんだか嬉しくなって、ぐるぐると回ってみる。やっと起き上がったリヒトが、そんなエリーをぼんやりと見つめる。
「ふふ、じゃあ準備出来たってウィル達に言ってくるわね。すぐに出るから、用意を済ませておいてね」
「わかりました」
部屋を出ていくアンナ。エリーは荷物を持って、リヒトに向かってもう一度回って見せた。
「リヒト、どう?」
楽しそうに聞くエリー。リヒトもまた楽しそうに頷いて笑った。もう寝ぼけてはいないようだ。
「そろそろ行くみたいだから、リヒトも準備してね」
そんなエリーの言葉にも大きく頷く。準備も何も、起き上がってエリーの頭の上に乗るくらいしかすることはないが。
「エリー、もう行ける?」
「はーい」
「じゃあ行くわよ」
アンナに声を掛けられ、エリーはリヒトを連れて部屋を出た。外から聞こえてくる賑やかな音に、エリーは楽しみを隠しきれない。
玄関へ行くと、そこにはエリー同様浴衣を着たウィリアムとダニエルの姿があった。
「お、お待たせしました」
慌てて駆け寄る。そんなエリーを見てダニエルがにっこりと笑った。
「急がなくても大丈夫だよ」
「はい……」
「浴衣、可愛いね。よく似合ってる」
「あ、ありがとうございます」
ダニエルの言葉に顔が熱くなる。ストレートに褒められると、どうしても照れてしまうのだ。
「ウィルも何か言うことないの?」
アンナが煽るようににやりと笑いながらウィリアムを見つめる。ウィリアムはエリーを一瞥した。
「あぁ……いいんじゃないか」
そう言ってさっさと宿を出ようとする。
「相変わらず愛想のない男ね」
しかしエリーはその愛想のない言葉だけで、十分心が満たされた。ウィリアムにしては、かなり褒めてくれた方なのではないだろうか。
外に出ると、先程窓を開けて聞いていた時とは比べ物にならないくらい、たくさんの音がエリーたちを包み込んだ。太鼓を叩く音、人々の笑い声や話し声、どこかで演奏しているらしい音楽。
――これが、火炎の陣。
エリーの瞳は街の炎よりも輝いていた。
「さて、どこから見ていきましょうか」
「まずは何か食べる?」
「いいわね。エリー、どう?」
アンナとダニエルが話を進めていく。エリーはそれについていくので精一杯だ。
「い、いいと思います!」
「ふふ、緊張してる?」
「あ、いえ、あの、はい……」
にこにこ笑うアンナに、エリーは苦笑しながら返す。
「どっちだよ」
急に聞こえた声は、当然聞き覚えがあった。振り返った先には、茜色の髪と瞳。
「シェル」
「よっ」
「あんたここで何してんの? サボり?」
「ちっげぇよ! 店は他の奴らと交代してやってんの」
早速アンナと言い合いを始めるシェル。仲が良いなぁとエリーはぼんやり思う。そんなエリーとシェルの目が合った。
「……浴衣、いいじゃん」
そう言ってにひっと笑う。エリーもつられてにひっと笑った。
「ありがとうございます」
「それで、愛しのサラはどこにいるの?」
「い、いとしのって何だよ」
アンナの言葉にシェルが顔を赤くする。そんなシェルにアンナは意地悪そうに笑った。
「何赤くなってんの? 私の愛しのサラの話よ?」
「なっ……そ、そうかよ」
シェルが悔しそうにアンナを睨み、がーっと頭を掻く。
「……あいつのとこまで、案内する」
「どちらにいらっしゃるんですか?」
「来ればわかる」
エリーの問いかけにシェルがむすっとしたように返す。アンナにからかわれて、すっかり拗ねてしまっているようだ。リヒトと似てるね、と目だけでリヒトに伝えてみる。リヒトはまるで心外だ、とでも言うように腕を組んで顔を横に振った。
街並みは昨日よりも赤くなっているように見える。街全体が燃えているかのように、あちこちで熱く燃えている炎が反射しているようだ。
「……大丈夫か」
ふと隣で声がして、エリーは見上げる。ウィリアムが無表情でエリーを見下ろしている。
「大丈夫です」
心配してくれているのだ。エリーは微笑んでそう返した。
「そうか」
「はい」
ウィリアムはそれだけ言って隣で歩き続ける。エリーの頬は緩む一方だ。
賑やかな街を歩いていく。たくさんの音や色、匂いで溢れたその街を歩いているだけで心が弾む。しばらく歩いていると、目的地にたどり着いたようだった。
「あそこ」
シェルがそう言って目線で示す。そこには、たくさんの女の人が猩猩緋色の衣装を纏って輪になって踊っていた。踊り子のための衣装なのだろう、腹部が大きく開いていて、動く度に腰や腕の布がひらひらと舞っている。
そしてその中に、サラの姿があった。
サラの踊る姿はとても美しかった。他の踊り子と違って笑顔を見せていないところは、サラの美しさをより引き立てているように思える。エリーはぼーっとして見とれてしまった。
「相変わらず綺麗に踊るわね」
「うん。とても綺麗だ」
アンナとダニエルが率直に感想を言う。ウィリアムは無言で踊る女の人たちの方を見ている。シェルは何かに操られているかのように、どこかに意識を飛ばしたような表情でサラをじっと見つめていた。
「あっ」
エリーが思わず小さく声を上げる。リヒトがサラの元へ飛んで行ったのだ。そして元々そこで踊っていたかのように、サラの周りをぐるぐると回っている。そんなリヒトの姿が見えているのかいないのか、サラは小さく微笑んで、リヒトの動きに合わせて踊り出した……ように見えた。
見えているのだろうか。
そんなことを思っていると、サラがリヒトを連れてこちらへやってくる。すると、エリーの手を取り、サラは美しく微笑んだ。
「エリー、行ってきな」
アンナの言葉にきょとんとする。
「えっと……?」
「一緒に踊っておいで」
ダニエルの捕捉に、エリーは慌てた。
「え、いえ、でも、そんな」
困ってウィリアムの方を見る。ウィリアムは無言で頷いた。行けということだろうか。そんなことを考えていると、手を少しずつ引っ張られていく。輪の中心まで引っ張られると、エリーはサラに誘導されながら、動きづらそうにしながら共に踊り始める。サラが動きを合わせてくれている。リヒトも周りでぐるぐると回っている。なんだか楽しくなって、エリーはサラとリヒトと共に踊り続けた。
「つ、疲れました……」
「ふふ、お疲れ」
アンナが楽しそうに笑う。ぽんっと頭にウィリアムの手が乗せられる。反射的に見上げ、エリーは笑顔を見せた。
「サラもお疲れ!」
アンナがそう言ってエリーの後ろを見る。そこにはサラの姿があった。
「……りんご飴」
突然、真顔でそんなことを言う。
「買って来てやろうか?」
「……ううん。皆で行きたい」
シェルの言葉にサラが首を横に振る。そんな姿を見てダニエルがシェルを見下ろした。
「振られちゃったね」
「別に振られた訳じゃねぇし!」
そんなやり取りをする横でアンナがエリーを覗きこむ。
「エリー、りんご飴食べたことある?」
「りんご飴、ですか?」
きょとんとするエリーに、アンナは微笑む。
「ここのりんご飴はすごいわよ」
「……うん。すごい」
そんなアンナとサラの言葉にエリーは胸が波打つのを感じた。
「す、すごいんですか……!」
何がすごいのかはエリーもわかっていないが、そのすごいという言葉だけで期待を抱く。
「じゃあ食べに行くかぁ」
「混んでないといいんだけど」
シェルが歩き出すと、皆がそれに着いていく。人混みの中を六人で歩いていき、一人は飛んでいく。すると、目的地であろう場所に辿り着いた。りんご飴の屋台。アンナやサラの言っていたように、確かに、すごかった。
――すごい列だ。
「ここがりんご飴の屋台ですか……」
「ここでしか食べられねぇりんご飴だからなぁ」
シェルが呑気な声を出す。驚くエリーを面白がっているようだ。
「仕方ないわね。並ぶわよ」
「……うん」
こうして、エリー達はりんご飴の屋台の列に加わった。
そわそわしながら、順番を待つエリー。すごいりんご飴というのは、一体どんなりんご飴なのだろう。期待に胸を膨らませるエリーの頭の上に乗るリヒトもまた、エリーと同じ表情をしている。
屋台に近付くにつれて、なんだか気温が高くなっていく気がした。エリーはぱたぱたと手で顔をあおぐ。リヒトもぐったりしている。アンナやダニエルも時々ハンカチで汗を拭いている。シェルやサラが平気そうなのは火炎の都の住人だからだろう。しかしウィリアムもなんだか平気そうだ。
「あ、暑い……」
思わず声に出すエリー。そんなエリーにシェルはにやりと笑みを向ける。
「こんなんでへばるなよ」
「シェルはどうしてそんなに平気そうなんですか……」
「まぁ、オレは強いからな」
得意気に胸を張るシェルの頭をアンナが小突く。
「暑さに慣れてるだけよ。ここに住んでるんだから」
「けっ」
拗ねたように唇を尖らせるシェルだったが、何かを思いついたようにエリーを見る。
「しょうがねぇから気を紛らわせてやるよ」
「なんですか……?」
シェルは左手の甲をエリーに見せるようにして上げた。
「よーく、見てろよ」
そう言って、しばらくエリーの目を引きつけ、シェルは右手の指をぱちんと鳴らした。
「わっ」
指を鳴らしたのと同時に、左手の人差し指の先から炎が発生したのだ。エリーはぽかんとその指先を見つめる。
「へへっ」
シェルは満足そうに笑い、再び指を鳴らす。すると、中指の先からまたしても炎が現れる。それを指の数だけ繰り返す。
「へへー、炎の爪ぇ」
どうだ、とでもいうようにシェルは得意気な顔でエリーの反応を伺う。エリーはぱちぱちと拍手をした。
「すごい! すごいです!」
リヒトもエリーの頭上で同じように拍手をしている。
「そうそう。オレはすごいんだよ」
嬉しそうに笑うシェル。エリー程素直な反応をする者は、今まであまりいなかったのだろう。
「はいはい。そんなことより、りんご飴見えて来たわよ」
「そんなことって……」
「わぁ、あれがりんご飴ですか?」
アンナの言葉にエリーは屋台に目を向けた。アンナの言う通り、りんご飴が見えてきていた。そしてそれは、エリーの思い描いていたりんご飴の姿をしていなかった。
「りんご飴というか……火の、玉?」
たくさんのりんご飴が、屋台に並べられていた。しかし全てのりんご飴から炎が出ていた。どこからどう見ても、屋台が燃えているようにしか見えない。エリーは唖然としている。
「あれ、美味しいの」
サラが無表情のまま伝える。エリーは唖然とした表情のまま、サラを見て、再びりんご飴に視線を移した。
「た、食べられるんですか……?」
「やっぱりそう思うわよね」
「僕も小さい時は不思議だったなぁ」
アンナやダニエルが楽しそうに言う。
「あれ、うちの名物。食べられる炎なんだ」
シェルがそう説明をするが、エリーの目は燃えているりんご飴の姿を捉えたままだ。よほど衝撃を受けたのだろう。
「お前んとこだって、空飛べんだろ?」
「は、はい! 飛びました!」
「それと似たようなもん。形が違うだけで」
「それぞれの都には、それぞれの特徴を活かした物や技術があるんだよ」
シェルとダニエルの言葉にエリーは頷いた。
「なるほど……」
食べられる炎。挑戦するのは少し怖いが、是非食べてみたいとエリーは思った。
そうこうしているうちに、順番がやってきた。心臓の鼓動を抑えるように、エリーは胸に手を当てる。やっぱり屋台は思い切り燃えている。熱くて、暑い。リヒトは顔を歪ませている。
屋台の赤髪のおじさんに向けて、アンナが口を開いた。
「六つください」
「あいよ」
そう言って前方で燃えている中に手を突っ込むおじさん。エリーが心配そうにそれを見つめる。しかしおじさんは平気そうにりんご飴を掴んでは皆に渡していく。そして最後におじさんはエリーにりんご飴を渡した。
「あ、ありがとうございます」
屋台の近くはすごく暑いが、手に持ったりんご飴はそれ程熱さが感じられない。エリーは不思議そうにしながら、列を抜けた皆の後に続く。
「これ、どのようにして食べたら……」
不安げに聞くエリー。それに返事をするかのように、ウィリアムがりんご飴に噛り付いた。
「あっ」
思わずエリーが声を出す。ウィリアムの顔が燃えてしまう。しかしウィリアムは平気そうにもぐもぐしている。エリーは自分の持っているりんご飴に視線を移す。燃えている。綺麗に燃えている。
「大丈夫だって」
シェルの言葉に、エリーは頷く。すると、リヒトがエリーの持っているりんご飴の傍にふわりとやってくる。一緒に食べるつもりなのだろう。そんなリヒトと目を合わせる。そして、同時にりんご飴に噛り付いた。
――甘い。
温かい甘さが口の中に広がる。不思議な感覚だ。飴の部分を食べていくと、中はとろとろの焼きりんご。
「……美味しいです」
エリーが頬を緩めて言う。その幸せそうな表情に、サラが珍しく満足そうに微笑む。よほどお気に入りの一品なのだろう。
そんなりんご飴を食べながら、皆で街を歩いて行った。
りんご飴ほど特殊な食べ物はなかったが、屋台の食べ物はどれもすごく美味しいものだった。金魚すくいや射的もやった。しかしエリーは下手だった。
「もうそろそろ広場行くか?」
空が暗くなってきた頃、シェルがそんなことを言い出す。不思議そうに首を傾げるエリー。アンナは空を見上げた。
「そうね。そろそろ行きますか」
まるで広場に何かがあるかのように、それを皆が知っているかのように。当たり前のように、広場に向かって歩き出した。エリーはリヒトと顔を見合わせる。やっぱり二人は同じように不思議そうな表情だ。
「……行けばわかる」
そんなエリーの疑問をわかっているような口調で、ウィリアムが隣で口を開く。反射的にウィリアムを見上げると、頭に手が、再び乗せられた。
「大丈夫だ」
「……はい」
へへ、と笑うエリー。今日のウィリアムはなんだか機嫌が良さそうだ。そんなことを思い、エリーはまたへへ、と笑った。
広場に着くと、そこには大量の人間。……と、鬼。
「やっぱり混んでるわねぇ」
アンナが少し声を張って言う。
エリーは皆とはぐれないように、人の波に流されないように一生懸命足に力を入れる。そんなエリーの手を、ウィリアムがそっと握った。
「……?」
思わずウィリアムの顔をじっと見る。しかしウィリアムは一切エリーを見ておらず、暗くなった空を見つめている。それにつられ、エリーも空を見上げた。
すると、大きな音を立てて、空に大きな花が咲いた。
「あっ」
何も知らされていなかったエリーの驚いた声が、広場に響く歓声の中に消えた。
手を伸ばせば届きそうなその大きな花は、咲いてはすぐに消えてしまう。残されるのはわずかな火薬の匂いだけ。しかしすぐにまた新たな花火が空に浮かぶ。広場にいる全員が、空を見上げ嬉しそうに笑っていた。
……これが、火炎の陣なんだ。
胸がいっぱいになったエリーは、ぎゅっとウィリアムの手を握った。