第三十話「泡沫祭」
文字数 2,262文字
潮の香りで目を覚ます。起き上がると、目の前に大きな水槽。エリーの泊まっている部屋もまた、青色に染まった幻想的な部屋なのだ。枕元で眠るリヒトの姿を確認する。こうして確認するのは、エリーのいつもの癖だ。
コンコン、と扉をノックする音が聞こえる。エリーは少し慌てたようにベッドから下り、そして扉を開けた。
「……おはよう」
そこには、サラの姿があった。今回は一人一部屋で泊まっているのだ。
「おはようございます、サラさん」
「……朝ごはん食べたら、準備する」
「準備、ですか?」
「そう」
「もしかしてまた専用の衣装があるんですか?」
エリーの言葉に、サラは頷く。今回はどのような衣装なのだろう。エリーは胸を高鳴らせながら、朝食を食べに向かった。
サラに連れられて、エリーは泊まっていた宿の別の部屋へ向かう。そこで準備をするのだろうか。そんなことを考えていると、サラの足がある部屋の前で止まった。他の部屋とはどこか雰囲気が違う。泊まる部屋ではないのだろうか。
サラが扉を開けて、中に入っていく。エリーもおそるおそるついていくと、そこには四人の人魚がいた。部屋の中にいくつも穴が開いており、そこに水が流れている。エリーは驚いたように動かなくなる。すると、一人の人魚がエリーの手を取った。
「ビアンカさん」
「おはよう、エリー。さぁ、準備するわよ」
「は、はい」
言われるがままに動く。服を着替え、そして顔や髪を触られる。エリーは落ち着かない気持ちで身を委ねた。
丈の長い白いドレス。触り心地の良い素材が、身体のラインを強調している。髪はぐるぐると巻かれ、全て上げている。メイクも施され、エリーは大人っぽい印象になった。
「いいじゃない」
「そう、でしょうか」
「ええ。とっても素敵よ」
そう言って微笑むビアンカ。エリーは恥ずかしそうに笑った。隣で準備をしていたサラも終わったようで、エリーの傍に来る。真っ赤なドレスが白い肌を引き立たせている。何をしても美しいサラは、今回も美しい。
「サラさん……素敵です」
「……ありがとう。エリーも、素敵」
そう言って微笑む。エリーははにかみ、そして二人で部屋を出て行った。まるでこれから大きなパーティへ行くようだ。
宿の前で皆と合流する。リートやシャールもまた美しく着飾っており、男性陣はスーツを着ている。
「あ、ダニエルさん」
「おはよう、エリーちゃん」
「おはようございます」
「とっても綺麗だね」
「あ、ありがとうございます」
ダニエルの言葉にエリーは頬を染める。やはり直球で褒められるのは、どこか恥ずかしい。
「エリー」
そう名を呼ぶのは、ウィリアムだ。
「ウィリアムさん」
「……」
「ど、どうかされました?」
黙るウィリアムに、エリーは不安そうに首を傾げる。
「……すまない。見とれていた」
その言葉にエリーは熱を出したかのように顔が熱くなるのを感じる。
「そ、そんな……。ウィリアムさんも、素敵です。とっても」
そう言って両手で頬を押さえる。そんな姿を見て、ウィリアムは微笑んだ。
「……行こう」
「はい!」
皆で歩き出し、祭りを楽しむ人々の中へ紛れて行った。
食べ物は海産物メイン。飲み食いをしながら、エリー達は屋台を堪能した。しかし、泡沫祭は夜になってからが本番とのこと。エリーは楽しみにしながら、祭りを楽しんでいた。リヒトもまた飲み食いを堪能している。
そして夜。空が暗くなり、澄んだ空気が冷たくなってくる頃。少しずつ、水の流れる場所が淡い灯りに照らされ始めた。光に反射する水面が美しく輝く。エリーは見とれるようにぼーっとその光景を目に焼き付けていた。エリーの白いドレスも、青く反射して見え、まるで別のドレスに着替えたようだ。
「エリー」
「ウィリアムさん」
「……綺麗だ」
「……綺麗ですね」
エリーの返答に、ウィリアムはクスッと笑う。そしてエリーの手を引き、ウィリアムは泉で溢れた公園へと向かった。
公園に着くと、そこには人々が座っていたり立っていたりしていた。何かを待っているようだ。エリーは不思議そうにその光景を見ている。カイを筆頭に、ウィリアム達は傍にあった階段に腰掛けていく。何も分かっていないエリーもその隣に腰掛けた。
「何か始まるんですか?」
「……ああ」
エリーはリヒトと顔を見合わせる。一体、何が始まるというのだろう。そうして待っていると、辺りは突然、真っ暗になった。
エリーは目を丸くする。周りで聞こえていた会話もぴたりと止んだ。すると、音楽が鳴り始める。それと同時に、公園の泉に再び灯りがついた。
「わぁ……」
感嘆の声を漏らす。そこには、人魚たちがそれぞれの泉で泳ぐ姿があった。音楽に合わせ、人魚たちは泉を行き来しながら踊っている。まるで人魚が空を飛んでいるような光景だ。エリーはぼーっとその光景に見とれる。リヒトもまた、目を輝かせて見ている。まるで妖精のようだ。風の都の妖精たちが風の妖精ならば、こちらは水の妖精と言ったところだろう。公園の前で待っていた人々が全員黙ってその美しい景色に見とれている。これが水の都トレーネの祭り、泡沫祭なのだ。
「ウィリアムさん」
少し涙ぐみながら、エリーが声を掛ける。
「……?」
「……綺麗、です」
「……ああ」
ふっと笑うウィリアム。繋いでいる手が、温かかった。