第三十三話「図書館」
文字数 1,822文字
エリーはダニエルの図書館に来ていた。カウンターを挟み、二人で椅子に座っている。もちろん、リヒトも一緒だ。
濡羽色の髪をした少女が、コトン、とカップを二人の前に出す。カフェオレだ。
「どうぞ」
少女に向かって、エリーはにっこりと笑う。
「ありがとうございます」
「ありがとう、ミサトちゃん」
同じように礼を言うダニエルに、少女はわずかに微笑みながら会釈をした。
「いえ。私、配架してきますね」
「うん。お願いします」
ダニエルの言葉に、少女は図書館の奥へ向かう。その後ろ姿を見送り、エリーはカフェオレを一口飲んだ。
「図書館って、こうしてカフェオレ飲んだりお話したりしても大丈夫なんですか?」
「よくはないよね」
にっこりと言うダニエルに、エリーは苦笑する。他に利用者がいないのが幸いだ。
「あの、先日は」
「そんなに責任感じないで、エリーちゃん」
エリーの言葉を遮り、ダニエルは真剣な顔をする。
「そもそも君に新しい景色を見せたくて僕たちは船を選んだんだ。その君が船に乗れなかったことで、罪悪感は感じなくていいんだよ。僕たちは何度も船に乗ったことがあるしね」
エリーを安心させるようにダニエルは穏やかな声で言う。エリーは切なそうに笑い、そしてカフェオレをもう一口。
「……でも、船が苦手とか、そういう感じではなかったよね」
「はい……。記憶が、関係しているんだと思うんですが」
そう言ってエリーは首を左右に振る。
「何一つ思い出せていません」
「そっか」
ダニエルはカップを指でなぞる。カフェオレの良い香りが漂っている。
「まぁ、いいんじゃないかな」
「はい?」
「考えたって仕方ないよ。記憶の手がかりになるとしても、誰も無理にまた君を船に乗せようなんて思わないし、君自身が乗ろうとしたら止めると思う」
「……はい」
エリーは柔らかく微笑む。その頭上で、リヒトが大きく何度も頷いている。
「違う話をしよう。何か聞きたいこととか、ある?」
「えっと……そうですね」
ダニエルの言葉に、エリーは考えるように視線を巡らせる。
「あっ」
「ん?」
「……ダニエルさんって、まだアンナさんのこと好きなんですか?」
ん?と返した時の笑顔のまま、ダニエルは固まった。質問をしたエリーは心なしか瞳を輝かせている。リヒトは興味がなさそうな顔だ。
「……それは、どこからの情報なのかな?」
「え……あ……」
ダニエルの返答に、エリーは聞いてはならないことを聞いてしまったと思った。目を泳がすエリーを見て、ダニエルはため息をついた。
「……アンナでしょ。話したの」
「……はい」
「やっぱり」
そう言って大きくため息をつく。そしてにっこり笑ってエリーを見た。
「それはアンナが既婚者だと知っての質問でいいのかな?」
ダニエルの言葉に、エリーは顔を青くする。きっと気を悪くさせてしまった。エリーはしゅん、と小さくなる。
「ごめんなさい」
「別に責めてるわけじゃないよ。女の子だもんね。そういうの興味あるよね」
ダニエルがそう言いながら、カフェオレを飲む。そして柔らかく微笑んで、エリーを見つめた。
「好きだよ」
そのはっきりとした言葉に、エリーは一瞬呼吸を止める。リヒトも驚いたような顔だ。
「……あ、あの、それは」
「大丈夫だよ。奪おうなんて思ってない。僕は彼女が幸せならそれでいいんだ」
そして切なそうに微笑む。
「昔もそう思っていたはずなんだけどね」
心配そうにエリーはダニエルを見ている。
「だけど、想いを伝えたことは後悔してないよ。言葉にしないと伝わらないってこと、僕たち三人はその時やっと気付けたんじゃないかな」
「そう、ですか」
ダニエルの表情に、エリーも切ない表情をする。
「いまだに言葉足らずな幼馴染だけど、よろしくね」
「はい……?」
「ウィルのこと」
「あ、はい! もちろんです!」
エリーが焦ったように言い、ダニエルは笑った。
「アンナのことも、よろしくね」
「はい……」
「明日、きっとアンナとちゃんと話ができると思うから。もう少し待っていて」
「明日何かあるんですか?」
エリーの質問に、ダニエルは頷いて悲しそうに笑った。
少しずつ飲んでいたカフェオレの湯気は、随分と薄くなってしまっていた。