第5話 天正壬午の乱

文字数 11,769文字

天正十年 

 昌幸が信長に気に入られた事で、信濃国は織田の属国扱いとなった。だが知行は昌幸に一任され、真田郷は守られる形となった。
 かわりに北条領との前線に位置する沼田城と厩橋城には信長の腹心の一人、滝川一益が兼任の城主として送り込まれた。織田にとっては北条と上杉が争う国境に大きな楔を打ち込む事になり、真田にとっては信濃を素通りさせる形で戦線が大きく東へ移動して領地の安泰が図れるのだから万々歳である。武田の頃より沼田城代を務めていた矢沢頼綱は退去を渋ったが、大勢のためだと息子の頼康に諭され上田に戻って来ている。
 そして、臣従の証として安土城と厩橋城に人質が差し出されるのも例に漏れず。
 源三郎が真田城に名代として残り、姉の村松と母の山手が安土城へ、そして繁は昌幸の側室が産んだ女子という立場を装って沼田の滝川一益の許へ赴くことになった。源次郎としてではなく繁として…姫として、である。武勇に優れると評判の真田家男子は要らぬ、反乱を起こす心配もなく扱いやすい女か童を寄越せと滝川が所望したからである。
 男女両方の顔を持つ身がこういった場面で活かされるとは皮肉である。しかも滝川が嫌がった「武勇に優れる男子」なのだ。昌幸は愉快と笑ったし、繁も開き直るしかなかった。信長の人質はすべからく信長の所有物なのだから、容易に手をつけられる心配もない。
 同じ城に二度も人質に入る事になるとは。だが、嫡男以外は人質に出されるか出家するかという事情はどこの大名であっても同じ事。珍しくもなかったし、繁自身もそういう一生を送るのだろうと半分だけ覚悟を決めていた。
 人質であっても戦に駆り出される事はあるし、手柄を挙げれば家臣へ昇格するのも不可能ではないのだ。まだ自分の人生すべてが決まった訳ではない。

 武田の滅亡と連鎖して存亡の危機に瀕した真田家も、織田という大船に乗り込めた事でようやく安定の兆しが見えた。
 ……と思ったのだが。

 乗りかけた船はわずか三か月で沈んでしまったのだ。
 「そなた達を清州へ連れて参る。急ぎ支度せよ」
 厩橋城に入り、他の人質たちとも意気投合したある梅雨空の日、足音も荒く人質部屋に現れた滝川はそう宣言した。
 より安土に近い清州へ人質全員を伴って移動する意味は何処にあるのか。もしかして処刑されるのかと不安にざわついた姫君たちを落ち着かせながら、繁は中央で何やら大きな動きがあったのではないかと察していた。
 北条か上杉が攻めて来るのなら、事前に兵が厩橋か沼田へ集められる筈である。織田が中国の毛利あたりに背後を突かれたのなら滝川の方から兵を連れて出向けば良い。いや、そもそも滝川よりも動ける勢力が畿内には揃っているのだから、わざわざ東端を空にして…攻め込まれる危険を冒してまで滝川が城を空ける理由などない。
 支度をする振りで城内をうろついてみると、道中の荷物を積み込む男衆のよく通る声が馬寄せあたりから風に乗って聞こえてきた。 
 「殿(ここでは滝川の事)の出世がかかっておるのだ、みな急げ」
 (……)
 失脚ではなく出世。ならば権力争いでも起こったのだと考えるべきであろう。織田信長という絶対的な権力者が居る中で争うとは如何に。

 繁は後になって知った事であるが、実はそのとき織田信長が本能寺にて明智光秀に討たれていたのである。
滝川がその一報を受けた時すでに光秀は織田の臣下であった豊臣秀吉に討たれていたが、京は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。騒ぎはすぐに波紋を描いて日の本じゅうを揺るがしていく。
 一時は事実上の将軍となり天下を掌握した信長は、真の天下人となる最後の試練に敗れたのだ。俯瞰した言い方をすれば、信長の残虐を極めた戦いぶりを歴史が拒み排斥したのかもしれない。
 ともあれ、定まりかけた天下の行方と武将の力関係が大きく崩れたのだ。次に覇権を握るのは誰なのか、そして自らの領土はどうなるのか。

 滝川のもとには、信長の死とともに織田家の今後を決めるための話し合いが清州城で行われるという報せがもたらされていた。それに馳せ参じるため…後継が誰になるかによって自らの出世にも関わってくるのだから、滝川は急ぎ厩橋を離れる事にしたのである。人質は織田の財産でもあるのだから、足手まといを承知で連れて行く。
 翌朝、滝川一益と人質一行が慌ただしく厩橋城を出立した。木曾へ入るため真田領を通過したが、昌幸は駐留した滝川のご機嫌伺いには来た様子であっても人質とは何の接触もないままであった。つまり、繁はこのまま人質でいても大丈夫だという事でもある。
 が、牽制の筈の人質は、結果として滝川の『袖の下』がわりに使われてしまった。清州へ急ぐあまり、最も近道である木曾を通行しようとした滝川を木曾義昌が阻んだのである。
 木曾氏は武田の旧臣であったが、長篠の戦いで武田が大敗を喫した際に武田を離れて織田へ寝返っている。自らの母や嫡男、娘までもが勝頼によって処刑されたが、それでも国の安堵を優先したのだ。
それゆえ現在は滝川とは同じ主君に仕える、いわば同僚なのだが、木曾は滝川が木曾福島城に入ると街道が山崩れに遭って復旧を急いでいるだの滝川が持つ織田の手形は既に無効であるだのと主張して、のらりくらりと日を稼いだ。
 次々と臣従する相手を変える事で生き永らえてきた木曾義昌は、実はこのとき羽柴秀吉から滝川を足止めせよとの密命を受けていたのだ。農民出身の秀吉を見下している織田四天王をわざと遅参させ、清州での話し合いが秀吉有利に進められるように。
 あまりに日を延ばす木曾氏を不審に思った滝川は、木曾氏が羽柴秀吉と盟友関係にあり、同時に秀吉が信長の孫・三法師を後継に据えたがっているという話を家臣から聞き出して得心した。
 滝川は三法師より年長である信長の三男・信孝こそ家臣らに公正な当主になるであろうと考え、実際に織田家臣の中でも信孝を後継にと望む声が優勢であったのだ。秀吉の思惑どおり幼い三法師が後継に就いてしまえば、織田家は秀吉の傀儡となりかねない。
 真相が見えた以上この地に滞在していても無駄である。滝川は木曾氏に人質をすべて譲り渡す事を条件に、領内通行の許可を勝ち取った。木曾氏にとって信濃の人質は、武田旧領のみならず沼田までの広域を手に入れるための絶好の切り札。目の前に餌をぶら下げられたようなものである。国のために身内を見捨てる男は、ここでも盟友より自らの利益を優先した。

 身軽になった事で急ぎ清州へ向かった滝川に置き去りにされた形となった人質たちの中には、繁の姿もあった。

 「繁さま」
 既に織田の人質でなくなった以上、ここをどう抜け出して上田へ帰還しようか。行く末を案じる事にも疲れて黙りこくる女ばかりの人質部屋の空気が息苦しくて、窓から外を眺めていた時。
 庭の灌木から佐助がひょっこりと顔を覗かせた。あたりを伺いながら、繁のいる格子窓の下へ身をひそめる。
 「佐助。上田に戻っていたのか」
 「殿(昌幸)と各方面のつなぎとして働いております。殿から、引き揚げて来いとの命が下りました」
 「滝川どのの動きといい、織田方に何かあったのか?」
 「京都にて織田信長公が討たれたとの事」
 「!!」
 思わず声を上げてしまいそうになった繁の前に、佐助の人差し指が立てられた。
 「信長公を討ったのは?」
 「明智光秀公にございます。ですが明智どのも中国から取って返した羽柴秀吉公に討たれたとの事。安土は今、主を喪った混乱で大騒ぎになっているとか」
 「安土……」
 繁の脳裏を、一足先に安土へ向かった母と姉の顔がよぎった。
 「私に引き揚げて来いとは、父上はすべてを知った上で一旦様子見に回るつもりだな」
 「いかにも。滝川どのが出立されると同時に、殿は沼田城を奪還なさいました。ですが滝川どのはその事をご存じなく、岩櫃城にて沼田城を真田家に返還する旨を宣言なさった際には殿も言葉に詰まっておいででした」
 慎重居士かと思えばいきなり薄氷を踏むような真似をする。しかし、そういった事態であれば多少強引であっても沼田奪還は正解である。中央で織田の跡目争いが本格化するのであれば、もう滝川が沼田に戻る事はないと踏んでいたのだろう。
 「さすが父上、動きが速い。佐助、私はこのまま安土へ向かう」
 言うが早いか、繁は小袖の袂をたくし上げていた。バサバサと暴れる姫君に、相部屋の女たちがビクンと肩を震わせる。つい男として過ごす時の仕草が出てしまった繁は小さく笑って誤魔化すと、厠に立つ振りをして縁側を早足で下りた。
 「安土には母上と姉上が人質として残っている。早く脱出させなければ、信長公の人質を奪ってその家臣たちを取り込もうとする勢力に奪われてしまう。さすれば父上も身動きが取りづらくなるだろう。最も安土の近くに居るのが私ならば、私が動かなければ」
 小袖の藍を庭の紫陽花に紛れ込ませて、繁は小声で佐助に伝えた。途端に佐助が目を丸くする。
 「やはり繁さまは『ののう』の如しでございます」
 「どういう事だ?」
 「実は、殿からは繁さまを脱出させた後はそのまま共に安土へ向かえと命じられております。『源次郎さま』のお支度もすべてお持ちしておりますゆえ、山手さまと村松さまをお救い申し上げるようにと」
 「わかった」

 夜も更けた時分。
 木曾福島城の物見櫓から、突如として非常事態を告げる鐘が鳴り響いた。
 「織田氏が家臣、森長可どのがこちらに向けて進軍しておりまする!!」
 櫓から兵が声を張り上げる。一刻もしないうちに、城内がざわめき始めた。城主の居館からは寝間着姿の木曾義昌とおぼしき男が庭に転がり出て指揮を飛ばしている。
 「すぐ斥候を出せ。廓の外に陣を構えよ」
 「はっ」
 兵たちは手際よくそれぞれの持ち場に駆けてゆく。開かれた門から騎馬や槍兵がわらわらと出撃していく。
 武装した無数の兵がせわしなく行きかう中、門から出ていく兵がたった二人増えたところで気に留める者はいなかった。

 「それにしても、滝川どのから人質を奪った割には酷い怯えようだな」
 城から失敬した馬を走らせ、山中を照らす松明が遠ざかったところで、襲撃の鐘を鳴らした張本人…繁は拍子抜けしていた。
 「まさかこれほどあっさり脱出できるとは思っていなかった」
 「私もでございます、繁…いえ源次郎さま」
 木曾といえば、いち早く武田を裏切った男でもあるのに。あっさり脱出できたのは有難いが、繁には人の度量と権勢は必ずしも一致するものではないように思えてならなかった。

 繁の出まかせで木曾方がここまで混乱したのには理由があった。
 実のところ、木曾義昌は本能寺の変を受けて戦地の越後から美濃へと撤退途中だった森長可の首を手土産にして秀吉に接近を図る心づもりであったのだ。中央での官職など望んでいない、ただ森氏が治めていた北信濃や美濃一帯を安堵できればそれで良いとして。一族郎党すべて織田の腹心であった長可が此度の跡目争いに加わるとなれば、当然秀吉と敵対するであろう。だからこそ秀吉に恩を売るには長可の首が最も価値があると踏んでいた。木曾氏にとって幸いなことに、それまで森氏に従っていた信濃の国衆のほとんどが信長横死の報を受けるや否や織田から離れ、森はほぼ孤立無援での敗走を余技なくされている。
 その後ろ暗い目論見を、たまたまとは言え繁に突かれてしまったのだ。
 そして、これからすぐ後、木曾福島城は本当に森長可に攻め入られた。「どうせまた誤報であろう」と油断した隙を突かれ、命を狙っていた筈の相手に服従するという屈辱まで受けて。
 森氏に木曾の企てを密告し攻撃を決意させたのは、真田昌幸の盟友でこの時は森長可の敗走を手助けしていた出浦盛清であった。遠因ではあるが、木曾もまた真田の調略に嵌った者だといえばそうなのかもしれない。


 「まるで異国だな」
 木曾から美濃を抜けて間もなく。『源次郎』の姿で見やる安土城の遠景は、源次郎に大きな驚きと衝撃を与えた。
 かつては『淡海』とも呼ばれた近江津の青を背に、目が覚めるような真っ白の漆喰に寺社のような朱。天守の中ほどから伽藍堂を彷彿とさせる八角形の物見台がそびえ、その上に続く最上層は金色の外壁であった。漆黒の屋根にも、まばゆいばかりの金色をありったけ飾り立てている。
 かつて昌幸が普請した新府城も完成すれば甲州から信濃を守る難攻不落の巨大な城になっていたと聞くが、安土城は戦のための城とは本質から違うように見えた。
 「天下人とは、かように大きな城にて威容を示すものか」
 「出浦さまから聞いた話ですが、富と権力を知らしめるには、贅を尽くした巨大な城こそもっとも効果的なのだそうでございます。天下を平らげてしまえば戦の必要もなくなります故、攻守といった概念は最低限で良いのだと」
 「ほう」
 確かに、実戦向きではなく見せるための城である。伽藍の上に城主の間を設けることで、織田は神仏をも凌駕する存在だということを宣伝しているのだろうか。
 信玄の居城は「城」ではなく「館」であった。そびえる天守などなくとも民は信玄を畏怖していたのだが。源次郎にとって異国の城は違和感しかなかったが、それは織田が各地で進めてきた力と恐怖による戦の結果を安土城の威容に重ねて見たからかもしれない。
しかも神仏を凌駕したつもりの織田も最期は一家臣に討たれてしまったのだから、結局のところ人の業とは自らの力ではどうにもできないのだ。
 「もしも将来、私に城を持つ機会が来るのなら……やはりお館様のように質実剛健なものの方が良いな」
 愚直の計。久方ぶりに、信玄の言葉が耳の奥を震わせた。

 しかし、安土城に近づくにつれて絢爛豪華な姿は異様な景色へと変わっていった。天守の半分が焼けていたのだ。混乱はひとまず沈静化しているようだったが城下の市も打ち壊され、人の気配はほとんどない。
 城門の周囲は、信長が気に入った家臣に下賜していたという五三桐紋の旗差物を掲げた兵が既に制圧していた。
 「やはり明智どのを討った羽柴どのが跡目争いに一歩抜きんでているという事か」
 「そのようですね」
 「とりあえず、人質の安否を確かめなくては」
 源次郎は大胆にも門番へ近づいた。勿論槍で止められるが怯まない。
 「何者だ」
 「我らは森長可公に同行しておりました出浦盛清さまの兵にございます。美濃を敗走中の長可公が京へお戻りになるための道中安全を確認しております」
 織田重臣の名を出せば、羽柴の者なら必ず警戒を緩めるであろうと踏んでの行動であった。実際、佐助は出浦の仕事にも関わっているのだから嘘は言っていない。
 案の定、兵は槍をおさめて哀れむような目をした。
 「森どのか。弟君の成利(蘭丸)どのが本能寺で信長公とともに討ち死にされ、長可どのも行方が知れないと羽柴さまもひどく心配しておられたが……息災であったのか」
 「はい。現在はわが主出浦さまがお護りしておりまする……時に」
 「何だ」
 「羽柴さまは安土にお入りになられるのでしょうか。さすれば、長可さまをこちらにお連れいたしますが」
 「入城と言っても、この有様だ。近々に羽柴さまが来る事はないだろう。ここには誰もおらぬ。長可どのをお連れするなら清州へ向かうが良い」
 「誰もおらぬとは、人質もでございますか?」
 「人質がどうなったかなど、わしには分からぬ。羽柴さまとともに中国から取って返した時、既に城は焼けていた」
 中国から取って返した羽柴秀吉が明智光秀と対峙した山崎の合戦から敗走した明智光秀は近江へと逃れたが、結局は羽柴の兵に討たれたという。もしかしたら、逃れ切れぬと悟った光秀が信長の権威の象徴を道連れにしたのかもしれない。源次郎の想像の域を出ない話ではあるが。
 やはり手がかりはないか。源次郎が諦めかけた時、門番はふと思い出したように呟いた。
 「おお、そういえば頼重がここで縁の女性を保護したと話しておったな」
 「頼重さまとは…もしや宇多さまでございますか?」
 「そうだ、宇多だ。よく知っているな」
 「以前、お声をかけていただいた事がございます。宇多さまは今どちらへ?」
 「羽柴どのが居城、長浜城へ戻った筈だ」
 「左様でございますか」
 どうも、と礼をして源次郎はその場を離れた。
 「頼重さまとは?」
 佐助が小声で訊ねる。
 「母上の兄君だ。話が真ならばまず命は安心だが、宇多どのの一族は羽柴の家臣。流れで羽柴方の人質とされる前に連れ戻さなければ。急ごう」
 長浜城下の物売りに宇多家の屋敷はどこかと訊ねればすぐに教えて貰える程に、宇多氏は羽柴秀吉の信頼篤い配下であったようだ。
 「母上、姉上!」
 「繁!!」
 屋敷にて信濃の真田家の者と告げると、一刻と待たずに屋敷の一室に通された。そしてついに対面が叶った山手と村松は、源次郎の顔を見るなり飛びついてきた。
 「もう会えないかと思った」
 「怖い思いをなさいましたね。ですが、もう大丈夫。父上も心配しております、早く戻って元気な顔を見せてあげましょう」
 「繁……あなたも人質であったのに、よく来てくれました」
 「ふふっ。こういうのも私のお役目です。母上のご無事も無論ですが、私も父上のご期待に応えられて安堵しております」
 「まあ、逞しくなって」
 「ようございましたね。奥方様、そして姫様」
 聞き慣れない声も感動の再会を喜んでいる。
 庭先を見れば、二人を守るようにして粗末な身なりの武士がついていた。返り血を浴びてところどころ黒く染まった衣と刀の拵が流浪の様を物語っている。
 「あなたは?」
 繁より十歳ほど年上だろうか。腕は立つようだが武か智かといわれれば智の方だろうと思われる理知的な顔をした武士は、実直な顔つきで神妙に名乗った。
 「小山田茂誠にございます。浪人生活から抜け出そうと中央の大名家に仕官を希望して安土に来ていたところで城下の混乱に出くわしました。その際に出会ったお二人をここまで守って参りまして、その縁で宇多さまに仕官をと願い出ておりました」
 ですが多忙を理由に断られてしまいまして。そう言って、小山田は恥ずかしそうに笑った。

 実のところ、小山田が羽柴秀吉に連なる宇多家への仕官を断られたのは、多忙などという理由ではない。
 主が切り捨てた者を、織田の忠臣を自負していた羽柴が認める筈がなかったのだ。
 一遍の曇りすら認めない。それが、今後を見据えた秀吉の姿勢なのである。宇多はそれをよく承知していたから、妹の頼みであっても聞き入れる訳にはいかなかった。

 「躑躅ヶ崎館で何度か会うたな、小山田の」
 「はっ。手習い処にて一徳斎さまから兵法の手ほどきを受けておりました」
 宇多にかけあって山手と村松の身柄を引き取り、家族三人して無事に真田の郷へ帰り着いたところで。
昌幸は小山田と対面していた。宇多への仕官を断られたため次の仕官先を探すと固辞した小山田を、村松がどうしてもと上田まで引っ張って来たのだ。
 小山田家と真田家の因縁は、まだ昔の話と言える程の年月が経っている訳ではない。ばつが悪そうに庭先に膝をつく小山田の全身は緊張に強張っていた。
 「わが一族の武田家への行い、けっして許されるものではございませぬ。家長の命令でした事とはいえ、拙者も本来ならばこうして真田さまにお目通りする事すらお恥ずかしいのでございますが……」
 「……あの後、一族はどうしておった?」
 何時の出来事なのかは二人の間では語るまでもなかった。
 「家長の信茂は徳川を通じて織田への仕官を願い出ましたが認められずに処刑されました。所領は没収、一族は散り散りとなり、拙者も浪人となったのです。新たな勤め先を見つけるため、各国からの人質や従者が集っている安土にて仕官のつてを探しておりました際に異変に遭遇した次第」
 「安土のお城から火が出ると同時にお侍や荒くれ者がたくさん押し入ってきて、一緒に人質部屋に居た人たちはみんな散り散りになっていったわ。男に担がれていった人もいました。私たちは運よくお城の外へ出られたけれど、どちらへ逃げれば良いのか分からずに逃げ惑っているうちに追い剥ぎに遭いそうになって……そこを助けてくださったのです。わたくし達を庇いながらであるのに、それは見事な刀さばきでした」
 まるで絵巻物の登場人物のようだったわ、と村松は興奮した口調でまくしたてた。村松の瞳は夢見心地である。窮地に現れた小山田に惚れ込んでしまっているのだ。
 そんな娘のはしゃぎようを苦笑いしながらも、昌幸は冷静に訊ねた。
 「小山田よ。我が妻子を救ってくれた事、まずは礼を言う。その上で…たしか、そなたの一族は武田の前は北条に仕えておったな」
 「は。所領が信玄公のものとなった際に、一族郎党すべて勤め替えをいたしました」
 「では、この先我々が北条と同盟を結ぶ運びとなった際には『つなぎ』となれるか」
 「心当たりは幾人か……」
 「ふむ。ではもう一つ。そなたにとって、小山田信茂という男はどうであった?」
 「大恩ある武田の家を裏切ったことは武士としての恥と考えておりますが……信玄公がご在位の頃より、小山田が治めていた岩殿の所領はかねてより徳川と北条から狙われていたのでございます。武田からの離反を促す文も何度かあったと聞いております。殿も信玄公のご存命中はそのような文をすべて破り捨てていたのですが、武田が代替わりした途端に国境で小競り合いが頻発するようになり、国衆の中には徳川と通じる者も出始めた有様。一枚岩でなくなった岩殿が滅ぼされる前にと、殿は織田に寝返って所領と領民の安堵を図る大きな賭けに出たのでございます。殿の力が及ばなかった…織田の眼に適わなかったことは残念ではございますが、殿なりに必死であったと見ております」
 「なるほど」
 昌幸は手で顎をしゃくりながら話を聞いていた。他人事ではないのう、と表情が語っている。
 「よし。小山田よ、わしの許で働かぬか」
 「真田さまの許で?」
 よろしいのですか?小山田の目が戸惑っていたが、昌幸はまったく意に介していない。
 「大名家ではないが、これでも小山田と並んで武田二十四将と呼ばれた者ぞ。これから上杉や北条、徳川と渡り合ってゆかねばならぬ。そのための糸口となる者ならば、むしろ喉から手が出るくらい欲しいものだ。おぬしも本意で武田に敵対した訳ではないであろうから、過去は水に流そうではないか」
 利害の一致。そんな言葉が繁の脳裏をよぎったが、そういった出会いもまた今後に生きてくるものなのだ。縁は多ければ多い程良い。小山田も居住まいを正した。
 「この小山田茂誠、身命賭して真田さまにお仕えいたしまする」
 小山田は胡坐の前に拳を置いて深々と頭を下げた。その横では村松が嬉しそうに微笑んでいた。人質生活から安土の混乱、生死の狭間で救い上げてくれた武士に恩義以上のものを感じているようにも見える。
 「父上、なぜ小山田の者を我が国に迎えるのです?」
 夕餉の席で、源三郎が繁よりも先に訊ねた。
 「やはり父上は北条との同盟をお考えなのですか?」
 「それはまだ分からぬ」
 「では何故」
 「あの者は表裏をよく心得ておる。小山田の、傍から見れば非道とされる行いの内側にあった葛藤を見抜く力と、その主に尽くす忠義。それこそこれからの真田に必要なのだ」
 表裏、という言葉がなぜか繁の胸に引っかかった。もしかしたら、武田滅亡の際には父も小山田と同じ事を考えていたのだろうか。
 しかし、その予感が繁の中で確信となるのはまだ少し先、そしてそれを理解するのはまだまだ先の事であった。

 この小山田茂誠は、その後昌幸に認められて村松の夫となった。名実ともに真田の一員となった彼は、その実直さをもって後の人生を真田家に捧げることとなる。


 最も繋がりが弱かった北条への糸口を手にして初めて腰を上げ戦に出陣した昌幸は、各勢力が拮抗したところで戦の流れを観察するため、まずは上杉に従属した。父の思惑とは裏腹に、徳川と対峙することで勝頼の敵討ちに闘志を燃やす源三郎は勇んで戦場へ赴き、自身の中にあった怒りを噴出させるかのように暴れ駆け抜けた。
 三つ巴の戦は消耗戦である。最初に疲弊した者をまず他の二者が潰し、残った勢力で一騎打ちへとなだれ込む。
 まず脱落したのは、意外なことに上杉であった。上杉は信玄の好敵手であった当主、上杉謙信を四年前に亡くしていた。当主に立ったばかりの上杉景勝は、嫡子のなかった謙信の後継をめぐってつい最近まで義兄弟の上杉景虎との家督争いを繰り広げ、それと並行する形で織田と小競り合いを続けた結果、織田に魚津を制圧され追いこまれていたのがほんの数か月前のこと。本能寺の変が起こったことによりどうにか上杉家の滅亡は避けられたが、疲弊も癒えない状態で無理に出陣した上杉が勝利を収めることは不可能であった。
 上杉は、開戦後すぐに己の不利を悟った。国元にて家臣の一人が一揆を先導したのである。上杉家の家督争いで不利な立場に追い込まれた者が一発逆転を狙っての事であったが、その年の天候不順による不作もあいまって騒ぎはついに放置できないところにまで拡がってしまったのだ。
 そのような内部事情を徳川や北条に知られる前に収め、同時に国境の守りも盤石にしておかなければならない。
上杉景勝は全面勝利を諦め、戦の落としどころとしてすでに手中にしていた空白地帯の領土を割譲する条件で北条と和睦したのだ。手取りは減ったが領地という手土産を得た形でどうにか恰好がついた景勝は、今はそれで良しとして越後へ引き揚げていった。
 残るは北条と徳川である。上杉に従っていた武将、特に両国の境に領地を持つ真田家は、上杉の和睦を引き継ぐ形でそのまま北条へ従軍することになってしまった。そのままでは臣下に追いやられてしまうのだが、そこは茂誠の口利きで北条と真田の間を同盟関係にまで持っていった。信濃の土地を死守するためである。
 どちらが優勢に出るか。北条方として戦う昌幸は、自ら戦の先頭に立って状況を見極めていた。
 北条が優位であれば、それでも昌幸は従うつもりであった。だが徳川の地力は相当なものであり、数で圧倒的に勝っていた筈の北条勢を局地戦で少しずつ切り崩してついにほぼ互角の戦力にまで持ち込んでいた。北条方の総大将・北条氏直が決戦の決意を固める機を逸してしまったのだ。氏直は、徳川の勢いに押される形でそのまま小田原へと帰参してしまった。まだ齢若いとはいえ、その体たらくに昌幸は呆れるばかりであった。
 「跡目があれでは、北条も近い将来滅びるやもしれぬな」
 当初から望んで臣従した軍ではない。情勢が徳川に傾いたと知るや否や昌幸は迷わず寝返り、北条の補給路を押さえた。北条が音を上げて敗走するまで粘り、どうにか道を拓こうと攻め込んでくる軍勢を蹴散らした功績を手土産に徳川と同盟を結び、北条とは手切れとした。そうしておけば、優勢に立つ徳川が北条を押さえてくれる。
 臣従の証として要求された人質には昌幸の弟・信尹を差し出した。さらに兵を預けて源三郎を戦に出している。武田の時と同様に、嫡男を差し出すことで裏切りはないと約束したのだった。
 武田に引導を渡した徳川への肩入れに源三郎は不満を露わにしたが、そこは昌幸の手腕である。虎穴に入らずんば虎児を得ずの喩えもある。いずれ家康の首を掻くつもりであれば、まず懐に飛び込んでみよと説き伏せた。
 父の言葉に共感したのか、それともただの鬱憤晴らしか。源三郎は見事な働きで徳川に認められることとなった。仇と憎む敵と戦うために出陣したのに、終わってみればその敵から武勇を認められ褒美まで授かったのだから皮肉である。
 源三郎の頑張りにより、真田家には徳川より「北信濃・諏訪・上野・甲斐の北方において切り取り自由」の約定を授かり、実際に一族郎党総出で領土拡大に広め、かつての本家筋にあたる国衆達とは対話をもって信濃を惣国のような形状とさせる事で合意した。
 かくして上杉、北条、徳川すべてに臣従するという奇妙かつ狡猾な変わり身をもって真田昌幸はこの危ない橋を渡りきっただけでなく、日ノ本のほぼ中央に真田領を刻むことに成功したのだ。
この戦は、のちに『天正壬後の乱』と語り継がれることとなる。
 同時に、この乱の顛末がその先三十有余年にわたる真田と徳川の確執の火種にもなった。
 このとき徳川は同盟相手の真田を御しやすい田舎の国衆と格下に見ていた。それが後々にまで彼の心身を苦しめることとなるのだ。
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