第21話 清廉なるもの

文字数 24,430文字

慶長五年

 人望がなくとも、石田の清廉さは誰の心も動かさなかった訳ではない。

 「彼らの行いにも行き過ぎた点はあるが、治部少輔どのの行いには私も賛同いたしかねる……奴は、殿下の大陸出兵を止められる立場にあった筈なのに何もしなかった」
 石田が去った後ほどなくして、小西行長が人目を憚りながら大谷家を訪れた。
 先の石田家襲撃事件に加わっていた一人である。大谷は酒を用意させ、小西の話に耳を傾ける。
 「大陸にてそなたは身を削り、日ノ本のためにと働いた。だが命からがら戻った結果に報われなさを感じたか」
 「いかにも。あれでは国元から動員した兵たちにも大した俸禄を与えられず……領地でいつ一揆が起こってもおかしくない状態であり申した」
 その時徳川に金子を用立ててもらったと小西は打ち明けた。
大谷は「察するに余りあるな」と小西に同情の意を示した上で「だが」と置いた。
 「そなたが日ノ本と大陸の間で和平に奔走していた…その中に欺瞞が含まれることを佐吉は知っていたが、太閤に奏上しなかった。そなたと、そなたの友人の働きによって戦を終わらせることが日ノ本への『義』だと考えたからだ」
 「治部少輔どのが?」
 「太閤のためなら何でもする男が、と思うたであろう?だが、佐吉も大陸での戦に義はあるのかと悩んでおったのだ……奴が太閤についた二つの嘘の一つだ」
 「二つの嘘、とは?」
 「一つはそなたの事、もう一つは、大坂城の財政が火の車となってもなお、その事実を隠して殿下の所望を叶え続けておったことだ」
 「火の車?大坂城の富は無尽蔵だと思うておりましたが、そうではないのですか?」
 「殿下はそうお考えであったが、金は泉のように湧いて出るものではないのだぞ。太閤の威厳と自尊心を傷つけまいと佐吉が遣り繰りしていたのだ」
 「……」
 「晩年の殿下は、ご自分の威光に陰りが見えてきたことをうすうす感じておられたのであろうな。老いと相まって不安が募り、かねてからの散財に加えて大陸への出兵、そして家臣らを多額の金子でつなぎ留めようとしていた。それが長期に渡った結果、授ける方も授かる方もそれが『当たり前』となってしまった……感覚の麻痺とは、まこと恐ろしいものよ」
 「……耳が痛うございます。では、治部少輔どのはそれらを本来の形に戻そうと」
 「秀頼さまが成長なさるまでに日ノ本の財制を立て直したかったのだ。かなり強引な立て直しであったが、責めはすべて自分が負うと申して聞かなかった」
 「誰にも赦しを乞うことなく、でございますか」
 「大老職の現状を考えればそうするしかあるまい」
 「ああっ!」
 石田屋敷を襲った際に見た帳簿のとおり、石田三成は城での政務においても清廉そのものであったのだ。なのに自分達は己の損得ばかりで石田を亡き者にしようとするところであった。
 「……この行長、とんでもない思い違いをしており申した。石田どのに何とお詫びすれば良いのか……」
 「奴は誰かに知ってもらおうと動いていた訳ではない。誰に話さずとも、そなたが石田に謝意を持っておれば充分であろう」
 「人を赦せば己も赦される……ああ、デウス様。しかし私には石田どのに赦される資格などござらぬ。一体どうすれば……」
 敬虔なキリシタンの小西は、背を丸めながら懐に忍ばせていた十字架を握りしめた。彼の信じるものもまた実直さと自己犠牲を是と教えているのだ。

 石田の行いに感銘を受けた小西は、それ以降徳川家康と距離を置くようになった。用立ててもらった資金も、私財をはたいて返済した。
 そして。小西はそれ以後、六条河原まで石田三成と運命をともにすることになる。

 小西行長だけではない。
 「治部少輔どのはどうしておられるのでしょうね」
 大老たちの小競り合いの最中にも政治は動いている。石田治部少輔が大坂を去ってほどなく秀吉の一周忌を行った淀は、大坂城内の館で秀頼の書写を見てやりながら大蔵卿局や大野治長らとともに寛いでいた。
 「先日、大谷どのが機嫌伺いに佐和山へ赴いたと聞いております」
 居室には足を踏み入れず、庭で膝をついて控えている大野はそのままの姿勢で応える。
聚楽第にいた頃に淀との仲をでっち上げられて以来、大野と淀は私的な空間においても必ず一定の距離を保ちながら周囲にもそれを強調するよう互いに接していた。竜子との勢力争いで済んでいた頃ならばまだしも、今の淀は天下を引っ張る身、過去の噂を蒸し返されて要らぬ面倒事…こと徳川方に有利となりそうな噂は絶対に起こしてはならないのだ。あくまで主従、それ以上でも以下でもないと周囲に宣伝していくより他にない。
 「伝え聞いたところによれば、石田どのはすっかり中央の喧騒から離れて書物三昧の隠居生活を送っているそうでございます」
 「それならば良いのですが」
 淀が何を懸念しているのかは、大野にも大体想像がついた。
石田は豊臣家の威信回復にはまず内部を一掃せねばと逸るあまり徳川に煙たがられ、なかば言いがかりをつけられた挙句強引に遠ざけられたようなもの。その屈辱と無念がいかばりか、石田が去ってしばらくはいつ自害の報が届くかと肝を冷やしたものである。
 そして石田の一件はその背景にあるものに対する憶測と一緒にあっという間に全国に広まり、大坂でも『徳川に異を唱えれば排除される』とする危機感から誰もがまず徳川の意向を気にする空気が出来上がりつつある。こと徳川に気に入られている者、取り入ることに成功した者らの横暴ぶりは大野や淀だけでは収拾がつかないくらい日常茶飯事と化していた。
 どうにかしなければ、確実に大坂は徳川のものになる。淀が最後の砦となって秀頼を守ったとしても、周囲がすべて徳川色に染まってしまえば大坂城の天守はただの孤島と同じであった。
 「秀頼さま」
 かといって淀は戦を望んでいない。その葛藤をよく察している大野は、決意を固めて淀に一礼した。
 「突然で恐縮なのですが、この治長、東へ参りたく存じます。しばしお傍を離れることをお許しください」
 「そなたが?」
 「はっ。宇喜多さまのご発案により大老の皆様にご審議をいただきたい案件もございますゆえ、次の会談までに案を募りたいとの名目で親書を持って行ってまいります。これは本来ならば奉行の役目ではございますが、石田どのが急に蟄居なされたことでどの奉行処においても後任の者がまだ役目に慣れておらず、役目を任せる訳にはいかないのです。こちらの警護は片桐さまにお任せいたしまする」
 縁側に控えていた片桐且元に目配せすると、既に大野の決意を知っているらしい片桐は神妙な顔で頷く。その様を見た淀は止めることを諦めた。
 「そうですか……わかりました。通行許可証は夕刻までに用意いたしましょう」
 「お願いいたします」
 「……治長」
 秀頼と淀に深々と頭を下げ、母の大蔵卿局にも軽く会釈をして辞去しようとする大野を、淀が呼び止めた。
 「そなたの事だから心配ないとは思いますが……くれぐれも早まった事なしないよう」
 「勿体ないお言葉、しかしご心配には至りませぬ。役目を終えたら必ず戻ってまいりますゆえ」
 微笑む大野を前に、いつもなら綺麗に上向いている淀の眉が不安に下がっている。手管ではなく心から縋る女の顔であった。
 「治長には、申し訳ないことをいたしました……しかし、わたくしは……」
 乳兄妹としてともに育ち、無邪気に遊んだ小谷城での日々。その頃には思いもしなかった試練の日々を越えた今になって振り返るのは感傷にしかならないが、もしも淀がもっと凡百な生まれであれば…家の名を背負う決意などせずに済むのなら、二人のあり方もまた違っていたかもしれない。
 しかし淀は大野の気持ちを知りながらも、その思いを殺して自分が今ここにいる事を選んだのだ。今更栓ないことだと判っているが、それでも大野には謝罪せずにはいられない。
 「淀さま……」
 大野は目を伏せ、深々とひれ伏した。
 「どうか、それ以上仰らないでください。拙者は亡き太閤殿下が築かれた体制と、秀頼さまを守るのが役目でございます」
 淀と同じ気持ちを大野も持っていてくれた。淀にもそれが手に取るように伝わり、淀は喉の奥からこみあげる熱いものをこらえるため黙りこくって大野の背を見送るしかないのだった。

 大野治長が、駿河国の賎機(しずはた)山にて鷹狩りをしていた徳川家康を急襲したものの未遂に終わり捕らえられたという報せが大坂城にもたらされたのは、それから一月ほど後の晩秋であった。


 「源次郎さま。神川にて怪しき者を捕らえました」
 稲刈りが無事に済んだ晩秋。久方ぶりに信濃へ戻り、大坂へ届ける年貢を確かめていた源次郎のもとに兵が駆け込んで来た。
 「山の窪みで休んでいたところを忍衆が捕らえたのです。いかがなさいますか」
 「私が直接取り調べる。真田山城へ身柄を移せ」
 上田城が完成するまで本拠としていた城、三方が険しい崖となっているため逃げられない郭にて両手を縛られ、自害させぬよう猿轡を噛ませた者は行商人の出で立ちをしていた。室町の時代から唐人が集まって様々な薬の生産を始め、今も日の本において重要な生産地となっている加賀から関東・大坂に薬を運ぶには信濃を通行しなければならない。この者も道中の通行許可証と丸薬や散薬が入った行李を持っていたが、源次郎が荷を検めると行李の底が二重になっていた。満載された薬の包みを地面に広げ、底に敷かれた竹の網を剥ぐと折りたたんで袱紗に包まれた奉書紙が現れる。
 「行先は……聞き出せぬであろうな」
 「どうしますか、拷問の支度は出来ておりまするが」
 同業者に厳しい佐助の進言を、源次郎は拒否した。必要だと分かってはいたが、互いに全力を尽くして戦うのではなく一方的に痛めつける拷問の現場を見るのは戦場に立つよりも厭なものであった。
 「良い。そうしたところで口を割らないことは分かるだろう」
 「は」
 「文を検める。どこの者であれ、国同士の密談ならば捨て置けぬ。秀頼さまにご報告しなければ」
 文は上から糊付けされ、封には血判が押されていた。ただならぬ装丁に源次郎の胸がざわめく。日の本において、今度は何が起ころうとしているのだ。
 だが中身をまず陽に透かし見ようとした源次郎の手がそこで止まった。奉書紙から透けて見えた二つの花押は、大坂の務めで何度も目にしてきたものであったのだ。
 「源次郎さま、どうしました?」
 「……いや」
 源次郎は文を開封することなく行商人の袂にねじ込んだ。
 「この者は、ただの行商人だ。文は越中の村人が奉公先の家族に宛てたもの。取り立てて騒ぐものではない、解放してやれ」
 「源次郎さま?」
 「ただの薬売りが密使と間違えて捕らえられたことは恥であり、評判が広まれば商売にも支障が出るであろう。私は何も見なかったことにするゆえ、そなたも他言は無用。それが通行許可の条件だ」
 解放され山を北へ向かって下りていく薬売りの背中を頂から見やりながら、佐助は肩をすくめてみせた。
 「源次郎さま、甘うございますな。それとも泳がせて様子を見るのですか?」
 「そうするにも足りぬ。父上にも報告は無用だ」
 差出人の花押を見れば、あの者がどこへ向かうのかは大体想像がついた。真田家にとっては想定の範囲内である。無論、父もとうに察していることだろう。
 世情は巨大な生き物である。常にうねりを上げているのだ。各地で密使の動きが頻繁になっている。既に戦は始まっているのかもしれなかった。

 源次郎が密使の通過を見逃してからわずか十日ほど後、徳川の動向を探らせていた忍衆の一人、才蔵が大坂に居る昌幸からの書状を持って上田城へ現れた。
 「大野どのが家康公暗殺未遂だと?それは真か」
 「間違いございませぬ。ただ今、大坂はこの事件の話でもちきりでございます。大殿は源次郎さまにも早く大坂に戻るよう仰せです」
 「……」
 源次郎が知る大野は、徳川家康暗殺という大事を目論むような人物ではなかった。互いに自分のやり方を貫こうとする淀と徳川の間で上手に意見を調整し、互いに納得できる形での決着を得るために奔走するほど交渉に長けた者が力に訴えるなど余程の事である。温和な大野が反発心を抱くほど、大坂の中央政権は徳川に追い詰められていたのだろうか。
 「して、大野どのはどうしておられる」
 「いまだ取り調べに応じておらぬという事で処罰も下されておりませぬが、大坂へ逃げ戻られぬよう、伊豆守さまによって本多忠勝さまが治める上総国まで連行されたとのこと」
 「兄上が……」
 先日の密使事件、そして大野の行動。大坂は、ひょっとしたら想定以上に速く動いているのかもしれなかった。
徳川相手に軽々しい行動を取るのは得策ではないと重々承知していた筈の大野の意図はどこにあるのか。
 自分の目と耳で事を確かめたい。いても立ってもいられなくなった源次郎は、翌日には大坂に向けて発った。


 「此度の件、取り調べは源三郎が受け持つこととなったようじゃ」
 大坂に戻った源次郎に向かって昌幸は伝えた。
 「兄上が、ですか」
 「大野の件以降、徳川はこちらを離れたくないらしい。城内にまだ不安要素が少なくない事を思い知らされたのであろう」
 「石田さまを追放し、大老がたを黙らせてもなお、ですか」
 「上田に城を普請した経緯といい、あやつは存外小心者だからなあ。いちばん不安な場所を自分で抑えておかなければ落ち着かぬのだろう」
 信濃国分寺での出来事を思い出したのか、昌幸はクックッと喉の奥を鳴らした。
 「じきに結果がこちらにも届くだろう。さて、大野の真意はどこにあるやら」
 「徳川さまの横暴ぶりを赦せなかったのでは?」
 「無論、それもある。が、大野は徳川の命を狙っていた訳ではない節があるのだ」
 「それは……」
 「暗殺というのは徳川が勝手にそう思い込んでの罪状。しかし実際は鷹狩りをしていた賎機山にて大野に出くわしたところを問答無用で捕らえたというところらしい。暗殺どころか襲撃すらしておらぬ」
 信尹の報告だ。昌幸はそう付け加えた。
既に徳川家に仕官している弟…源次郎にとっての叔父と昌幸は今も密かに連絡を取り合っているらしい。
 「では、ただ単に大老方に急ぎの書状を届けるだけという可能性もあるのですね」
 「……それも一つだが、大野は自ら虎穴に入ったとわしは考えておる」
 「虎穴に入らずんば虎児を得ず、ですか」
 「いかにも。徳川に接近することで、本気で豊臣と対峙する勢力をあぶり出せもしよう」
 「大野さまは、かように危険な真似をするお方には見えませぬが」
 「それだけ緊張が高まっていると考えるべきであろう。人間、いざとなれば幾らでもしたたかになれるものよ……で」
 昌幸は源次郎の顔を見た。
 「万が一、いや今はもう千か百に一かもしれぬが、徳川と豊臣との間で戦となった場合、おまえは豊臣に付くのであろう?」
 先に見逃した密使が脳裏をよぎる。
 「無論でございます」
 「兵力は」
 「父上からいただいた兵が、上田に百ほど」
 「まったく足りぬな」
 「……はい」
 「わしも寡兵ではあるが、信濃の国衆は武田のお館様の時代からの強者揃いだ。頭の使い方次第で充分に戦える。が、次男坊で文官勤めが長かったおまえには、知恵で補えるだけの兵力がない。徳川に強いつながりを持ってしまった源三郎は、正直あてにしない方が良かろう」
 「たしかに」
 「そこで、だ」
 何を言われるのか。居住まいを正した源次郎に、昌幸はあっさりと言い渡す。
 「源次郎よ、養子を取れ」

 それは源次郎の手駒を増やすべく取った昌幸の策であった。
 源次郎の『子』となるのは、上田の南、旧武田領であった塩田平から独鈷山一帯に暮らす地侍の頭領、堀田作兵衛の姪。
 昌幸は、まだ十歳になったばかりの姪を源次郎とさちの養女にした上で大坂へ出し、作兵衛の一族が仕切っていた郷士を正式に真田家の知行とする心積もりであった。上田の守りをさらに固めるために縁戚関係を利用したのである。作兵衛と彼の郎党は源次郎の与力となった。
 源三郎は稲を通して徳川方とのつながりが強くなったが、源次郎は義父の大谷刑部や目をかけてもらった石田治部少輔が次々と城を去ったことで身軽になった分だけ今ひとつ立場が弱い。知行はわずかだがそれ以上に信頼のおける家臣を一人でも増やし、兄弟それぞれに力を配分しておくという点でも此度の縁組は昌幸にとって都合の良いものであった。
 堀田にとっても、この話は一族郎党もろとも真田家に召し抱えられる…縁戚となり国衆に名を連ねる好機であった。堀田は面倒見の良い親分肌の男だったが武家の出身ではないので国衆を名乗れず、武田の滅亡後も真田家に仕官する千載一遇の好機と見ていた上田城の合戦では行く手に徳川軍が展開してしまったため馳せ参じることが出来ずじまいであった。そのまま宙ぶらりんな身分で田畑を耕していたが、郎党ばかりが増えてしまった郷の先行きに不安を抱いていたのだ。断る理由などどこにもない。
 「この身で『父親』になるのも複雑な気分だ」
 話がまとまり、上田から養女となる娘が到着するまでの間。屋敷には京風の新しい着物とさちが子供の頃に着ていたという着物、書の道具一式、食器などが次々と整えられていった。それらを見やりながら、源次郎は苦笑いを隠せない。
 対して、養女とはいえ娘を迎えるさちは早くも母性に目覚めているようで、迎える子が喜びそうな品を楽しそうに選んでいる。
 「まるで『とりかへばや』(貴族の姉が男子として朝廷に、弟が姫として後宮に出仕する平安時代の読み物)ですものね。でも実際におなごの身で父になった者は過去に例がないでしょう。ここは貴重な体験と思って…さちも居ります」
 「そうだな……このような形であれど所縁の出来た子なれば、何としても幸せになってほしいものだ」
 源次郎の言葉にさちも頷いた。
 「大名家同士の婚姻は、互いの親がそれぞれ同意しなければ成立しませんのよ。家同士の関係、人となり、将来性、すべてにおいて大事な娘を嫁がせるに相応しいかどうかを見極めるのも親の務めです。励まなければなりませぬね」
 十日ほどして堀田作兵衛らに護られながら到着した娘は、たいそう愛らしい子であった。荒くれ者が多い地侍たちの中、おそらくは作兵衛と彼の一族からの愛情を一身に受けて育ったのだろう。「すえ」という名の娘は素直に源次郎を『父上』と呼び…文字どおり『父』と思っているままである…養母となったさちが一通りの行儀作法やたしなみを教えることになった。
 「真田の殿様のお子にしていただけるのですから、死んだ妹もきっと喜びましょう。我らも大殿と若殿のご恩に報いるよう精一杯働きますゆえ、どうかお頼み申します」
 作兵衛は隆々とした体を折り曲げて何度も頼みこみ、すえの手を握って「よき父君に恵まれたなあ」と涙する人情家であった。それを見ていれば、源次郎にもおのずと責任感が芽生えるというものである。
 昌幸は彼女を政略結婚の駒とすることも視野に入れているようだったが、源次郎にそのつもりはない。好いた相手と結ばれるのが最も幸せ、自身が身をもってそう感じているからかもしれない。親子関係は取り消せないが、本人が望めばいつでも上田へ帰すつもりでいた。

 そして、豊臣方の肩を持つという点では兄の源三郎も一役買っていた。
 『此度の大野治長の行いについては、石田三成が蟄居したことで奉行所が多忙を極めたことで、淀の側近である大野が格下の奉行たちから文遣いのような雑用をさせられたことに不満を持ったことをきっかけに徳川家康どのの許へ直訴に走ろうとした騒ぎ』
 源三郎は、そのようにまとめた調書を徳川家康に提出したという。
 「個人が暴走する程大坂が混乱しているとなれば、殿(家康)は安堵され、お喜びになるだろう」
とは信尹からの伝え聞きであったが、こういうところ、源三郎は生真面目でありながら真田の人間である。
 『家康に逆恨みするくらい』大坂が混乱していると遠回しに報告することで家康の企みが上手く行っていると思わせれば家康はさぞ安堵するだろう。
 大野治長は秀頼の側近としてだけでなく事務方の調整役としての能力にも長けており、温和で実直な態度は老中の中での評価も高い。そのような大物を助命して忠誠を誓わせておけば、反徳川勢力に対する宣伝効果も望めるのだ。徳川は命を狙った者にすら忠誠を誓わせるほどに器の大きな人物なのだ、と。
 源三郎は、大野が虎穴に潜り込もうとしているのを見透かした上で、あえてそれを黙認したのだ。
 あとは大野自身が決めることである。そのまま徳川に臣従するか、それとも大坂に戻る機を探るか。どう動こうと、真田家にとっては大きな風向きの変化にはならない。
 むしろ、徳川の専横を止められる可能性は一つでも多く作っておきたい。『義』の在り方に疑問を抱いていた源三郎なりの反抗であった。


【慶長五年・大坂】

 「亡き太閤殿下のご遺言を蔑にしているとして、徳川を弾劾する材料は揃った。あとはこの書状を大名全員に届け、大儀はこちらにありとするのみ」
 大谷刑部は箇条書きにした徳川家康のこれまでの言動を三成に見せた。
 「外から俯瞰した流れで見ると、虫酸が走るくらいの行いだな」
 「文字にすると、事実が浮き彫りになるからな。細かい言い回し一つ工夫するだけでも嫌悪を抱かせるには充分だ……大人気ないとは思うが、相手がなりふり構っておらぬのだ。こちらも正々堂々となどしておられぬ」
 刑部少輔として長らく大名間の揉め事の仲裁にあたっていた大谷は、経験で得た機微を文面に活かしていた。
 人の情は、もつれると如何に醜く厄介であるか。
 しかしそれら泥仕合に慣れてしまうと、人ひとり嫌悪させるに充分な文を書きあげることなど造作もなくなってしまう。因果だな、と大谷は苦笑した。
 「文面は徳川の専横を暴いただけであるか」
 「今はまだ決起を呼びかける時期ではない。ただ大名一人一人の良心に問いかけるのみで良いのだ」
 書状は「これらの事実を、皆々は如何に思われるか」で締めくくられている。それもまた大谷の策であった。良心に訴えられて心痛む者が一人でも多く出てくれれば、今はそれで良い。


 「石田治部少輔、まったくもって忌々しい男よ」
 丁寧にも徳川家康本人に宛てて届けられた弾劾状に最後まで目を通すことなく家康は破り捨てた。
 「おかげで儂が天守に参内するたびにあちこちでひそひそと……居づらいことこの上ないわ」
 「いかがなさいますか?」
 控えていた本多正信に、家康はこの頃とみに丸くなってきた腹を突き出して仰向けで顔を扇ぐ。
 「しばらく伏見城に籠る。噂が収まるまでやり過ごすしかなかろう」
 「では、その間に上杉どのにご上洛を促してはいかがでしょう」
 「上杉に?」
 「上杉どのにおかれましては、昨年会津に戻られたきりご上洛の報せがございませぬ。噂では陸奥国から大量の鉄砲を、旧領の越後からは大量の刀や槍を買い付けているとか」
 「つまり謀叛の動きがあると?」
 ただちに伊達政宗を呼んで問いただしたが、政宗はここ数年国元に戻っていないと前置きした上で「国元の政については家中に任せております故、私には分かりかねます。が、領地で採れる鉄を用いた鉄砲や刀剣の鍛造は我が国の大きなな収入源でありますゆえ、引き合いがあれば何処の国であろうとお断りできぬのもまた事実」と応えるのみ。
 「大陸出兵による痛手を回復するべく、各国みな必死なのでございます。ただでさえ年の半分は雪に埋もれた地のこと、民を飢えさせないために手段は選べませぬから」
 金山銀山を持つ越後も同じような回答であった。
 自らが金子を用立てて取り込むための口実に、此度は足をすくわれている。しかし。
 「話の持って行き方次第では、上杉を大坂城から追放する良い機会になりますかと」
 本多の提案の真意を家康もすぐに察した。そして指示を出す。
 「秀頼公の後見役を疎かにしている行いは看過できぬ。ただちに上杉に上洛を促す書状を送れ。応じぬようであれば、翌月にもう一度。三度送ってもなしのつぶてであれば、その時は儂が上杉を弾劾する」
 「殿へのお怒りを上杉さまへ転嫁なさいますか……それも策ですなあ」

 が、上杉に送りつけた三度目の文にしてようやく帰って来た返事に、家康はまさしく怒髪天を衝く形相となった。
 三度目の文には、上杉が会津にて武器を大量に調達しているという噂が事実であれば謀叛の疑いありとして、上洛して申し開きをするようにと使者を送ったのだ。上洛を怠っている件といい、秀頼公の御前できちんと釈明しなければ他の大老が納得しないと。小田原の例を忘れた訳ではなかろうと脅しもちらつかせている。
 しかし帰って来た返事の差出人は上杉景勝が家臣・直江兼続であった。
 徳川の上洛要請に対し、上杉は直江兼続に書状を送りつけさせることで拒否の意を示したのだ。家康の文など自らが返事するまでもないという意思表示とも取れる。
 そして家康を刺激したのは、その内容であった。

『上杉は国替えを行ったばかり、なおかつ冬から春先までの会津は深い雪に覆われていてまったく身動きを取ることができないので、今すぐの上洛はご容赦いただきたい』という釈明から始まった文は、

一、『上洛を促す前に、上杉に叛意ありという噂を流した者が信用に足る人物かどうかを見極める方が先ではありませぬか?しっかりとした根拠もなく赤子のように騒ぎ立てる者の言い分を鵜呑みにして一方的にこちらが悪であると決めつけるのは不公平きわまりなく、内府さまともあろうお方がまさかそれらをお信じになるとはまこと遺憾』と徳川の思惑などとうにお見通しであると宣言し、
一、『太閤殿下の時代より、上杉景勝が稀にみる律儀者であることは徳川さまもお認めくださっていた筈。太閤亡き後、時流(思惑)がずいぶんと激しく動いていることは存じておりますが』
一、『いまや大坂の政のほとんどは五大老の総意を得ずに内府さま(家康)の御心のままに裁可されていると聞き及んでおります。内府さまも随分と出世なさりましたな』
一、『我らが武器を集めていると仰いますが、農民が鍬や鋤を求めるのと同じように武器を集めるのは、いつ何が起こるか分からぬ田舎武士ならば当然のこと。上方で優雅に茶器など揃えている方々とは事情が違うのです』と家康の専横ぶりを皮肉り、さらに
一、『上洛しようにも出来ない時期に上洛という無理を求められたのはまこと遺憾ではありますが、内府さまが疑っておられるような野心がもし上杉にあったとしても、太閤殿下や秀頼様への忠義を蔑にしてしまった日には後世にまで『上杉すなわち不義の者である』と語り継がれてしまいましょう。日ノ本の歴史に汚点を残す行いはまこと愚かとしか言いようがなく、そのような形で天下を獲ったところで末代までの恥となることくらい重々存じております。ああ、もちろん内府さまにもそれらを理解できるくらいの分別はおありでしょうから、このような事は申し上げるに及びませんでしたね』と、家康の野心をそれとなく牽制する。

文体そのものは慇懃無礼としか言いようがなかったが、すべての主張がまったくもって正論である。しかし後ろ暗い徳川にとっては文言の一つ一つが耳に痛く、皮肉を交えながら全てを見透かしていると宣言した文言はあからさまな挑発以外の何物でもなかった。
 「何と無礼な!」
 家康は長い文を丸めて庭に投げ捨てた。このような文は、到底一家臣の私見で書けるものではない。
 「佐渡(正信)よ、ただちに筆と紙を持て」
 「かしこまりました」
 家康は、激昂のまま大名たちに宛てて『上杉景勝は上洛要請に従わないどころか、分をわきまえない家臣が大老職に対してかように不躾な文をしたためた事実を諌めようともしない。これは他の五大老を、ひいては豊臣家を軽んじている証なり』として決起を呼びかける書状をしたためた。


 「上杉どのも、また随分と過激な文を送りつけたようであるな」
 源次郎が城にて伝え聞いたものを書写してきた直江兼続の文の概要を見た石田三成と大谷吉継の口許から、久々に笑みがこぼれた。
 「真田安房守も『毘沙門天に諭された狸が逆上する様、まこと愉快なり』大笑いしていたと源次郎が申していた。まこと徳川の歯ぎしりが聞こえてきそうな文だな」
 「上杉さまがそのような事をなさるとは意外であったが、文面はいかにも曲がった事が嫌いな直江さまらしい……して、徳川は諸国の大名に決起を促す文を送ったと」
 「会津を討伐するつもりだ。既に伏見で戦支度に入っているという」
 「徳川自ら出兵するのは我らにとっては好機。大坂や京は手薄になる」
 時が訪れた。三成の眼に、かつての光が戻ったように見えた。
 「弾劾状の効果は多少なりとも有るようだが、これも方策の一つにすぎぬ。いざ挙兵となった際、やはり表だって徳川に反旗を翻せる程の者はそう多くあるまい」
 「わかっている。一人でも多くの大名を味方につけたくば、状況をこちらに引き寄せなければならぬ」
 「如何にする」
 大谷は頭巾の下の目を細めただけであった。
 石田屋敷が襲撃された際、既に大谷は上杉の覚悟を知っている。しかし三成には伝えていなかった。
 だが三成は自分なりに現実と向かい合い、どのように戦支度を整えるが最善かをいくつも想定していた。
 その結果、三成は大谷の想定と同じ答えを見出したのだ。
 「現実問題として、いざ挙兵となった後に上杉どのが会津から上洛して我らの指揮を執られるのは不可能。ゆえに徳川から討伐に向かわせるよう振る舞うと直江どのは仰っていた。我らはその間に西で挙兵する」
 「西の大将はどうする」
 「私の旗印では誰もついて来ない。ゆえに残る大老……」
 毛利輝元。
 「ほう」
 三成の口から己の人望のなさを自覚した上で毛利の名が出たところで大谷の頭巾がわずかに揺らいだ。
 「毛利が総大将となれば西国の大名の多くが従うことになるだろう。まだ立場を表明していない豊臣恩顧の者や畿内の大名を含めれば、数としては徳川方とほぼ互角」
 「だが毛利の家はもとより天下に感心などない。安芸国だけを安堵され、侵されることがなければそれで良いと考えておる」
 「形だけの大将で良いのだ。何としても説得しなければ」
 「勝算は?」
 大谷は石田の決意をあえて揺るがすように訊ねた。しかし石田は考えを翻さない。
 「もしも拒否されたら、私がやらねばなるまい。此度の戦いは豊臣家のためのもの、私心はどこにもない……日の本すべての者が徳川に従う訳ではないのだということを世に知らしめるため、たとえ私一人でも陣頭に立つ」
 「……これだけ言ってもなお決意が変わらぬのなら、仕方ないな」
 大谷がかぶりを振った。木綿の頭巾がざわざわと音をたてる。
 「それだけの覚悟があるのなら、やってみるが良いだろう」
 「それはどういう事だ?」
 「これに、先の弾劾状に対する意見が記されている」
 書状を膝先に突きつけられた三成の顔がひくついた。決意に水を差される、拒絶される恐怖に胃の腑がきりきりと痛み、喉の奥が詰まる。
 「見てみろ」
 「……うむ」
 向かい合うべき現実を乗り越えるための、最後にして最大の試練。
 動機を鎮め呼吸を整え、三成は書状を拡げた。そして目を見開く。
 「これは……!」
 大谷が拡げた巻物には、宇喜多秀家を筆頭に、主に西国の大名や武士たちの名が連なっていた。
 「書状に賛同した者たちの名だ」
 上杉景勝、宇喜多秀家、佐竹義宣、立花宗茂、長曾我部盛親、真田昌幸。片桐且元や糠屋武則といったかつての『賤ヶ岳の七本槍』の名もある。その他にも長束正家、前田玄似、増田長盛といった奉行職時代の同僚、真田信繁や明石全登といった三成をよく知る武士の名もあった。
「おまえの蟄居騒動で次はわが身かと危機感を持っていたのもあるだろうが、やはり徳川の専横や豊臣への忠義をあっさり捨てた連中の腰巾着ぶりが腹に据えかねる者は少なくないらしい」
「彼らが……有難い限りだ」
 さらに三成が驚いたのは、加藤清正らと行動を共にしていた小西行長の名があった事である。
 「小西は……徳川方ではなかったのか」
 「奴が信ずるデウスとやらの教えに救われたな」
 その中から、大谷は扇の先で一名を示した。
 「毛利を総大将に据えるのなら、この者に説得を頼むと良かろう」
 安国寺恵瓊。
 「毛利元就公の頃から毛利家に仕える軍師にして外交僧だ。義にも信心にも篤く、徳川に義憤を抱いておる。力になってくれるであろう」
 「つなぎはあるか」
 「太閤の中国大返しにあたって毛利との和睦交渉を行う際に同席して以来、小田原などで共に軍略を立てた。毛利一族が滅ぼされることなく豊臣体制下で大老に取り立てられたのも安国寺の功績である故、毛利家に対する発言力もいまだ大きい」
 「心強いな……では紀之助、病床で辛いとは思うが輝元公説得の打診を頼めるか」
 「今更何を申しておる。私は既におまえの味方ぞ。なに、どうせ放っておいても朽ちていく身、ならば残された命を生涯随一の友のために使おうではないか」
 「友……有難い言葉だ」
 「それはこちらの台詞よ。そなたの清廉さは、私にとっては眩しくもあり勿体ないものであった。家族以外でこの風貌に臆することなく私に接してくれたのは、長い人生の中でもそなただけだ」
 「おまえの風貌など気にしたことはないぞ。おまえはともに戦う仲間であり友だ、他に何がある?」
 「佐吉。本当に、そなたという男は……」
 大谷が、三成にもはっきり分かるほど大きなまばたきを二、三回繰り返した。
 「実のところ、太閤亡き後からずっと、大坂城内の懸念を払おうとするそなたの決意がいかほどのものかを試していた。しかしそなたは己と向かい合い、たとえ周囲が敵となろうとも己のやり方は間違っていなかったのだという結論に達したようだ……それでこそ石田治部少輔。太閤殿下がお認めになった男」
 「刑部……」
 三成も大きくまばたきをした。互いに涙が畳を濡らす前に、三成がふいと立ち上がる。
 「……話しすぎて喉が渇いたな。酒ではさらに喉が渇くゆえ茶でも点てよう。あの日のように」
 「有難くいただこう」
 二人はひとつの茶碗で茶を回し飲んだ。かつて太閤の下でしたように。


 会津征伐の許可について家康が口角に泡を飛ばしてまで訴えたにもかかわらず、大坂城はそれをにべもなく却下した。
 前田利長以外の大老……毛利輝元と宇喜多秀家が難色を示したのもあるが、何より淀が許可しなかったのである。
 「大方の経緯を見たところ、これは内府どのの私怨ではありませぬか?」
 ひれ伏す家康を前に、淀の態度は素っ気ない。
 「ですが、大老職を軽んじるという事は、大老が後見を務めております秀頼さまのお顔に泥を塗ることにもなりますゆえ」
 「上杉も大老、そなたと同格でしょう。つまりこれらは大老同士の喧嘩、最も重んずるべき秀頼の後見が疎かにされるだけでも由々しき事でありますのに、さらに下らぬ争いに巻き込まれることは罷りなりませぬ。お退がりなさい」
 「……では、此度の討伐に秀頼さまは一切関知なさらないと」
 「左様です」
 取りつく島もない扱いに、家康はそそくさと退散するしかなかった。しかしそれで引き下がった訳ではない。
 伏見に戻った家康は朝廷に手を回した。秀頼からの裁可を得られなかった会津討伐について天皇の力を借りたのである。

 「淀どのが随分と頑張ってくださったようだ」
 大谷吉継が、片桐且元からの書状を見せた。
 「徳川の会津討伐について、秀頼さまは裁可の願い出を却下された。だが徳川は朝廷の詔書によって会津征伐を強行するつもりだ。つまり」
 「総無事令」
 三成の言葉に大谷も頷く。
 「太閤殿下が下された触れはまだ生きておる。徳川は秀頼さまの許可なく私闘を行おうとしている。天皇は武家の政に口を挟まぬ慣わしを破り、秀頼さまを蔑にする行いであることは明らかになった」
 それだけではないと大谷は続ける。
 「秀頼さまが裁可を出さなかったことで、徳川に取り込まれていた西国の大名の多くが、国で一揆や洪水が起こったなどと理由をつけて徳川からの連判状が届く前に大坂から離れてしまった。大儀なき戦には参加したくないという事だ。虎之助もその一人」
 「そうか……」
 まさに好機訪れり。
 「すぐ毛利どのと宇喜多どのに文を送る。徳川が出陣した後でお二方から秀頼さまに働きかけていただき、総無事令違反による徳川討伐の裁可をいただくのだ」
 これで大義はこちらのものとなる。さすがの三成も高揚を抑えきれず、何度も大きく息をする。
 「支度が整い次第挙兵できるよう、今から手回しておこう。同時に戦運びを考える。竹中半兵衛さまが遺された『豊鑑』をもとに、我らなりの戦いをしてみせようぞ」
 かつて、若かりし頃の秀吉と半兵衛も同じ気持ちで戦略を練ったのだろうか。二人は夜を明かして戦術・戦略についての議論を交わし続けた。


 もしかしたら、これが大坂で迎える最後の春になるかもしれない。
 紀州や土佐、そして三河から始まった春の訪れが大坂へ届く頃、ついに『その日』は訪れた。
 「徳川内府より、関東および甲信の武士は会津へ向けて出兵せよとの通達が届いた。大将は徳川内府、そして敵は上杉景勝。わが真田家からも兵を出すことにした」
 小松の子らが小さな足音で駆けまわる屋敷にて、真田昌幸は二人の息子に伝えた。源三郎は既に舅の本多忠勝から聞いていたらしく頷き、どちらかというと秀頼に近い源次郎は膝を一歩進めて疑問を口にする。
 「その戦、秀頼さまがお認めにならなかったと聞いておりますが」
 「ちょっと待て源次郎。徳川さまは、秀頼さまより金子と兵糧を授かったと聞いておるぞ」
 「そのような事実はございません。話を聞いて裏を取りましたが、淀さまは徳川さまには肩入れせぬと」
 さちを通じて淀からひそかに事情を聞いていた源次郎が即答する。
 「徳川の『ほら』であろう。そうでも言っておかねば離反する者が続出しかねんからな」
 昌幸は平然としたものである。
 「では、内府さまの行いは総無事令違反となりましょう。内府さまに従うとなれば真田家にも累が及ぶ可能性が……」
 「しかし天皇の勅書を取り付けた。徳川が勝利した日には、徳川は朝廷を後ろ盾に出来る」
 「関白よりも天皇に付くという事ですか」
 「そうじゃ。さすれば奴が望むのは何だと思う?」
 「まさか『征夷大将軍』?」
 武士の頭領にして最高位。秀吉ですら、出自を理由に得られなかった身分。
 「内府は豊臣よりも上の権力を手にするつもりだ。立場が逆転してしまえば総無事令などどこ吹く風となろう」
 「ならば猶更、豊臣家をお守りするべきではないでしょうか」
 「真田家は徳川家の与力だ。亡き太閤殿下がお決めになった約定はまだ生きておる。従わぬ訳にはいくまい……既に連判状にも署名した」
 「そんな……」
 大谷刑部が日ノ本じゅうの大名に出したという徳川の弾劾状に賛同する書簡に、自分とともに署名していた父は何を考えているのか。
 「源三郎、後はそなたに任せる。我らが出せる兵の数は分かっておろう。徳川と調整しておいてくれ。源次郎も良いな?」
 「心得ました」
 「源次郎、おまえはちと残れ」
 こういう時はまだ裏がある。源三郎もそれを感じ取ったが、聞かない方が己のため…けっして徳川に近い自分が信じてもらえていない訳ではない事くらいはとうに承知していたので、そのまま引き下がった。
 「さて、源次郎よ」
 「はい」
 「わしが徳川に従軍した事に不満を持っておろう」
 「……父上は、また綱渡りを行うおつもりなのですか?」
 ずばりと言う我が子に、昌幸は平然と「いかにも」と返した。
 「此度の会津征伐、職を退いたとはいえ石田が…いや、大老・宇喜多のように正義感の強い御仁が指をくわえて見ているだけと思うか?」
 「徳川さまご不在の大坂で、何かが起こるとお考えなのですね」
 だから、どちらにも肩入れしておいたのか。人として引っかかるものはあるが、実際そうする事で信濃国は守られてきたのだから文句は言えない。
 「いかにも。異変程度で済めばそれに越した事はないが、我らは会津での戦に加わりながら西の情勢を見極める。上方が優位に立つようならば、わしはそちらに寝返るつもりだ。会津、京、どちらが戦場となっても対応できるよう、手は既に打ってある」
 おまえも頭に入れておけ。昌幸は念を押した。


 かくして、慶長五年の水無月。
 伏見城に集った五万を超える兵の先頭に立った徳川家康は、ひたすら大義を唱えて士気を高めた後、後陽成天皇から賜った布で作らせた大量の『厭離穢土 欣求浄土』の旗印とともに会津へ向けて進軍を開始したのであった。

 三か月後に訪れる、真の天下分け目の大戦への第一歩であった。


 「徳川め、鼻息荒く大坂から出陣しおったわ。あの面構えでは個人的な意趣返しであることがまる分かりだと公卿も扇の下で笑っておった」
 佐和山を訪れた大谷吉継は、石田にそう伝えた。
 「こちらの兵力はどうなっている?」
 「毛利どのは、宇喜多どののご説得の甲斐あって総大将就任を受諾なさり、連判状に名を連ねた者の多くが会津討伐には参加せずこちらにつくと約定してくれた。九州筑後からは立花宗茂どのも到着する」
 「猛将で知られる立花どのか。心強いな」
 「ただし、真田一家は全員徳川について行ったぞ」
 「上田城は微妙な位置、そして真田家は微妙な立場だ。仕方あるまい……して、秀頼公のご裁可は」
 「毛利どのが取り付けてくれた。豊臣精鋭の黄母衣衆も貸し与えてくださるそうだ」
 「それは有難い。では徳川が関東に入った期をみて、先に紀之助が出した弾劾状をもう一度私の名で諸国の大名に送る。徳川への最後通牒だ。その間にこちらも兵を整え、徳川が江戸に入る頃合いで……」
 「まずは伏見、その後大津を陥として徳川方の後方を押さえる。そちらは宇喜多どのが大将を引き受けてくださった」
 「伏見城を陥とされたとなれば、徳川は必ずやこちらへ引き返してくるであろう。奴らの進路を見極めた後、我らはそれを迎え撃つ」
 まずは二人で立案したものを城に残った反徳川派の大名に諮って何度も練ってきた戦略を確かめる。
 「いよいよであるな」
 「ああ」
 二人は顔を引き締め、そして互いにふっと表情を緩めた。
 「そなたに指摘されてから迷っていたのだが、やはり私はこの生き様を選んで良かったと思っている。忠義や信念を貫くことにより敵も出来たが、残った味方の何と心強いことか」
 「無欲ゆえの徳、それを理解している者もまだまだ多いという事だ。名ばかりの『徳』を冠する者を『無欲の徳』が破る、後世に残る戦いをしようではないか」
 「うむ。感謝しているぞ、大谷」
 固い握手を交わしたその一方で。
 その日から、石田三成は周囲に悟られないよう少しずつ愛用品を家人や子息に譲り渡し始めた。長年の奉公に対する慰労や領土統治におけるちょっとした働きへの褒美という名目ではあるが、事実上の身辺整理であった。妻の宇多は、それを知りながらも黙って夫の思うようにさせていた。
 主が出陣した後の佐和山城に残されていたのは、黙って神仏に祈りを捧げる宇多の姿と彼女が夫から譲られた愛用の文箱ひとつ。中身は若かりし頃の三成が秀吉から賜った褒め言葉を記した書状のみであったといわれている。


 徳川を弾劾したことで大義は石田方に傾きかけたが、義を手にしたからといって意のままになるとは限らないのは世の常である。
 大谷刑部の提案により、三成は大坂や京に滞在していた各国の大名たちの妻や息女の身柄を大坂城内に留め置いた。人質である。中には徳川方への参戦が明らかである者やまだ立場を決めかねている者の家族も大勢いた。
 太閤の命令により畿内に住まいを移した時点で、大名家の者はすべからく豊臣家の人質なのだ。異論を唱えられる者はいない。
 ところがある日、それら人質が住まう屋敷の一つが焼け落ちた。いち早く徳川方であることを表明していた細川忠興の屋敷であった。
  細川の妻ガラシャが自ら屋敷に火を放ち、その身を家臣に斬らせたのだ。
キリシタンの教えは自害を禁じている。敬虔なキリシタンとして、細川の妻として。夫が心おきなく戦うために、ガラシャは最善の策を選んだのであった。
 武家の妻の鑑。彼女がそのように語られるのは後の時代の話。
 痛ましい出来事は、同じく人質となっていた大名の家族たちを震えあがらせた。ガラシャの死は、石田三成による徳川方への警告であると。
 太閤秀吉は、かつて豊臣秀次の妻子を皆殺しにしている。
 そして太閤の教えを頑なに守る石田三成もまた、太閤に倣って徳川方についた武将の家族を殺害するつもりなのだ。怯えが地を這う炎のように間違った噂を広めるまでに時間はかからなかった。
 自分の夫は、父は、はたしてどちらに加勢するのか。徳川方についたとなれば、いつ自分が細川夫人のようになってもおかしくない。
 ガラシャの件があったその夜から、夜陰に紛れて大坂城を脱出する女子供が毎日のように城下を駆けた。兵に見つかり連れ戻される者も居たが、中には多額の賂によって逃げおおせた者も少なくない。
 真田家の者はというと、大谷刑部の娘であるさちは三成の挙兵前に義母の山手や養女のすえとともに越前敦賀の実家へ呼び戻された。そして徳川に近い源三郎の妻・稲が守っていた源三郎の屋敷も、とうにもぬけの殻となっていた。
 この戦の顛末がどうなっても家族が生き延びられるように。真田の男たち全員の迅速な判断であった。
 沼田へ脱出した稲たち一行の中には、彼女が産んだ息子二人と同じ年頃の幼子も居た。
 稲の侍女が産んだ子と装われたその若君は、伊達政宗の嫡男・秀宗である。


 人質脱出の流れは大坂城にも伝播していた。
 「竜子どの。大阪を出るというお話は真でござりますか」
長い廊下を衣擦れも慌ただしく渡り廊下を駆け抜けて竜子の居室に現れた淀は、侍女が出された座布団も蹴散らしながら竜子の前に詰め寄った。
 「おや、淀どのがこちらにいらせられますとはお珍しいこと。わたくしの顔などとうにお忘れだと思うておりましたわ」
 軽い皮肉で迎えた竜子は、それでも上座を譲ると整理していた文や写経の数々を几帳の裏へ追いやって淀と対面する。
 「ご覧の通りですわ。長年仕えてくれた者にも、すでに暇を出しました」
 大坂城内、豊臣家居館の中でも北政所と淀に次ぐ広い対屋を与えられた竜子の居室からは、聚楽第時代に秀吉から贈られたと自慢していた豪華な調度品のほとんどが消えていた。移り住む大津へ運ばれたものもあれば、家人達に暇を出す際に持参させる慰労金に化けた品も少なくないだろう。
 実際、淀が竜子の場所替えを知ったのも、大蔵卿局の侍女が竜子から調度品の買い取りを打診されたと報告に来たおかげなのだ。
 「北政所さまのご出家に続いてあなたまで……殿下が遺された大坂での暮らしは、それほどまでに不満ですの?」
 何か不自由があるのなら自分の力の及ぶ限りは何なりと、とまで訴える淀に竜子は目を丸くした。
 「まあまあ、あなたがそのような事をわたくしに仰るなど思ってもみませんでしたわ。……ですが、これはわたくしが決めたことです。けっして不自由や不満があってのことではございませぬ」
 「では何故」
 「そうですね……しいて言えば、いい加減あなたと喧嘩をするのに飽きたのです。何より、政ばかりでざわついて四季の趣も感じられない大阪城での暮らしはわたくしには面白くのうございますゆえ、今後は兄を頼って大津で気楽に歌でも詠んで暮らしますわ」
 「四季ならば城内の庭に殿が造られたお庭もございますし、京への遊山もできましょうに」
 「おやおや、わたくしを引きとめてくださるのですか?……それとも、わたくしに何か裏があるとでもお思いですの?」
 「そのような事はござりませぬ。竜子どのは、喧嘩をなさる時は陰険な策略などせず真正面からぶつかっておいででしたもの。ですから、わたくしも本気で……」
 「まあ、正直なこと。うふふ」
 評価されているのかしら、と竜子は袖で口許を覆った。
 「では、ずばり本音を申し上げましょう。……淀どの、あなたはすでにわたくしの喧嘩相手ではありませぬわ。わたくしはこんな性分ですから、喧嘩する相手が居ない場所などどうにも張り合いがなくてつまりませぬ」
 「それは一体どういう事ですの?」
「あなたは、おなごの世ばかりを見ていてはいけないという事です。秀頼どのの生母として、殿が築いたものを護るべく孤軍奮闘なさっておられる……このわたくし、おなごの意地と粘り強さを見せつけられた思いですわ。もはやあなたはわたくしとは違う世界の住人なのです。ならば過去に縋っていつまでも足を引っ張るのも見苦しいこと。兜を脱いで早急に立ち去るのがお互いのためですわ」
 「そのようなこと……」
 眉尻を下げた淀の寂しそうな顔は、竜子にとっては初めて見るものだった。聚楽第での二人は犬猿の仲で有名だったが、それも喧嘩をするだけの価値があると認めていればこそである。竜子の顔が自然と穏やかになる。
 「殿下も亡くなられた今、もはや意地を張り合う必要もありますまい。……終わってみれば馬鹿馬鹿しいものでありましたわね。浅井の血筋をひく従姉妹同士でありながら、いったい何を求めてわたくし達は争わなければならなかったのでしょう」
 「……」
 「本当を申しますとね。わたくし、自分が欲しいと思うものをすべて手に入れさらに権力まで手に入れようとしているあなたのことを、つい最近まではどうしても認めることができずにもがいていたのです……ですが、あなたの秀頼どのを育てる姿勢に触れて心が変わりました。あなたは日の本に何が必要なのかを分かっていらっしゃる。晩年の太閤のあり方から目を背けたわたくしが妍を競うことに現を抜かしている間に、あなたは太閤亡き後の日の本のあり方まで考えていらして、お子が権力を継承するのはそのための手段であると割り切った。あなたとわたくしの差は、そこで開いてしまったのですわ。潔く認めてしまえば、もっと早くこんなにすっきりした気持ちになれたのに……何とも浅はかなものです」
 「いいえ、わたくしにも至らぬところはございました。自らのことばかりを考え周囲を思いやることができなかったのは、わたくしの不徳のいたすところですわ」
 人とは不思議なもので、強く出れば相手も反発して非難合戦が始まってしまうのに、どちらかが素直になった途端にお互い自分が悪いと言い出す。現実から目を背け少しでも他者より優位を保つことで自我を保っているのがよく分かってしまう。
 だが先に兜を脱いだ竜子は、淀に『もうおしまい』と言葉を止めさせた。女中らの目がある場で淀が遜るのは良くないとの思いやりである。
 「……わたくし達、似ているが故に反発しあったのかもしれませぬね。聚楽第という篭の中の世界で満たされぬ心がどうなれば得心するのかを探し求めるように争って……太閤の寵愛が欲しかったのか、それとも御子が欲しかったのか、周囲からもてはやされる栄華や贅沢な暮らしを求めていたのか……でも結局、それも終わってみれば夢幻の彼方のこと。わたくしは何一つあなたに勝てなかった」
 竜子は、ふと行李から一握の取り出すと淀に手渡した。古く黒ずんだ扇子で伽羅香も飛んでいたのは、それだけ愛用された証である。
 「わたくしの母が、あなたのお父上に京で買っていただいたという扇子です。浅井の家は滅ぼされて長政どのの形見の品もないと聞きますゆえ、これをあなたに差し上げましょう。茶々……いえ淀殿、どうか大坂で戦い抜いてくださいませね。太閤殿下の御子を周囲の有象無象からお護りし、晴れて殿下の後継者として独り立ちなさるその日まで、どうかご機嫌よう」
 「竜子どの。……わたくしも、あなたを認めますわ。あなたはわたくしにとって手ごわい喧嘩相手でしたが、聚楽第の中で切磋琢磨できる励みでもありました。あなたがいらしたから、わたくしは今日まで心折れることなく……」
 感極まった淀は竜子の手を取って、初めてまっすぐ彼女の目を見た。竜子はいささか困惑しながらも強い意志をもった言葉で淀の気持ちに応える。
 「まあまあ、殊勝ですこと。あなたらしくありませんわ。……わたくしはいなくなっても、まだ敵は多うございましょう。けれどあなたなら大丈夫。その意気で、前を向いてお行きなさいな」
 「ええ」
 二人の間を固く阻んでいた雪が融けて水に流れ、かつ空へと昇華していく。例えるならそのような心境だと淀は思った。竜子もきっと同じだろう。
太閤が極めた栄華の終焉には、このような清々しいものもあるのだ。竜子の言葉は淀にとっては自分のやり方が間違っていなかったのだという評価であったし、今後の施政においても大きな励みとなったのである。

 淀はこの時まだ知る由もなかったが、竜子の兄・京極高次は既に徳川方につくと一族に知らせていた。
竜子が大坂城を出たのも、豊臣と敵対する兄の足かせにならないように、一方で豊臣家が徳川方の者を人質として幽閉しているなどと心無い噂が立たぬようにとの配慮である。
 大坂城を出る際、竜子は秀吉の側室として各国から聚楽第や伏見城に集められた姫君たちのうち国元が滅びるなどして寄る辺がなくなっていた者たちをみな同行させ、兄が治める大津にて庇護した。そこにはもう過去の身分による上下関係はなく、誰もが自由に行き来したり共に湯治に出かけたりと旧友のように和やかな関係を築いていったのだ。
 竜子は後に庵を結んで出家したのだが、大坂の陣の後には秀頼の息子・国松の亡骸を引き取って埋葬し、幕府の厳しい監視下において『死者に罪はない』と言い張って堂々と淀や秀頼らの菩提とともに供養し続けながら余生を過ごしたという。
 竜子もまた、清廉な女性であった。


 その頃、九州でも密かな動きがみられた。
 「おまえが敵対したのは石田治部少輔であって、豊臣家ではないのだろう?」
 鬱蒼とした森に囲まれた寺で説いていた僧は、目の前の男にそう切り出した。
 墨染めをまとった坊主頭は黒田如水…かつて黒田官兵衛と名乗っていた男である。
 密談の相手は加藤清正。
 「黒田どのこそ、ご子息は徳川にお味方したと聞いておりますぞ」
 「今の黒田家の当主は長政だからなあ。あいつの決定が国の方針だ……が」
かつての『豊臣二兵衛』は数珠をじゃらじゃらと弄びながらはるか東の方を見た。
 「父子とて、武士としては『他人』なのだよ。わざわざ一蓮托生を選ぶ義理もあるまいて」
 「それはまた剛毅な」
 「加藤肥後守はようやく城を中心とした国内の整備が終わったところ、さらに太閤の大陸出兵で疲弊した民のために石高を増やすべく、さらなる灌漑工事にも着手せねばならぬ矢先に百姓一揆の兆しありとして肥後国へ戻ってきた。が、それは表向きの理由。徳川内府の会津攻めに加担したくなかったのであろう?」
 「……」
 「所領が中央から遠い肥後、黒田・竹中が隣り合う土地だった事も幸いしたな。そこで『お隣さん』に相談だ」
黒田はちょいちょいと清正を手招きすると、ひそひそと自らの計画を打ち明けた。瞬間、『虎之助』の幼名をその風貌で具現しているかのような清正の三白眼が見開かれる。
 「何という!」
 「どうだ?これで九州勢は揃って高みの見物が出来るぞ」
 「……内府さまに知れたら打ち首ものだぞ。拙者が密告しないという保証はなかろうに」
 「いや。おまえは密告できない。なぜなら、今の大坂には石田の手の者しか居ないからだ。理由をつけて肥後へ籠った後でのこのこ駆けつけてみろ。あの猜疑心の塊みたいな内府からは裏切り者、治部少輔からは密通者扱いされるのが関の山さ」
 ここに来てわしに会った時点で、おまえの運命は決まっていたようなものだ。秀吉の信も篤かった男は高笑いし、虎は敗けたとばかりにうなだれる。
 「しかし如水どの。家督も何も譲ってしまった身でそのような事が出来るのか?」
兵はどうする。清正から出た問いに、黒田はニヤリと笑った。
 「二度目の大陸出兵の際、諸国から駆り出された地侍の中には異国への出兵を厭うて逃げ出そうとした者が少なからず居た。太閤にばれたら打ち首ものなのだが、石田治部少輔の家来……島なんとかという男がこっそりと肥前名護屋城の地下牢に匿い、以来わしが引き取って面倒をみていたのだよ。彼らを解放する」
 「何と」
 「石田も半兵衛の教えを受けていたからなあ。『使えそうなものは温存しておけ』という教えを実行したのだろうさ。彼らを有難く使わせてもらう」
 「……」
 黒田はそう言っていたが、三成をよく知る清正には実に意外な事実であった。
大陸との戦において、小西行長が和睦に奔走していた事は清正も知っていた。しかし、ついに太閤の耳には入らずじまい。それは何かあれば即刻太閤に報告する筈の石田三成の耳に入っていなかったからだ、戦の全容を把握している筈の石田が何も知らないのはどういう事だと思ってはいたのだが。
 その小西は、石田家襲撃に加わった後すぐ徳川に用立ててもらった金子を返済したと聞いていた。徳川の会津攻めにも参加していないという。
 小西はあの時に三成がした事、彼の本意に触れたのだ。そう考えれば合点がいく。
 「畜生……」
 清正ははがれかけた床板を拳で何度か叩いた。一時の利害だけで容易く目を曇らせた自分が不甲斐なかった。肥後国から出ないことで内府へのささやかな抵抗とした自分の温さが情けなかった。
 三成…佐吉は、自分達が思っていた以上に大陸での戦を、それが豊臣家に与える打撃を危惧していたのだ。褒賞の件も、大坂城の疲弊を試案した末で自らが泥を被ったのだろう。
 その結果、佐吉は自らの力すべてをかけて徳川と対立することになったというのに。
 「もっと早く話してくれれば……何なんだよ、佐吉……」
 「まあ、おまえ達を子供の頃から知るわしから見ても、おまえ達は童の頃からともに切磋琢磨していたからなあ。が、おまえはもう肥後国主だろう。民を守りたいなら、迂闊に動かずわしの策に乗れ。徳川の戦がどうなろうと豊臣はそう簡単には滅びぬ。おまえは、もしも石田がしくじった場合に備えて力を蓄えておくべきだと思うぞ?」
機は何度でも訪れる。黒田の言葉に、清正は頷くしかできなかった。
 「……わかった。その話、乗ろうではないか」
 「そうこなければ」
 では、と黒田は九州の地図を広げる。既に策は決まっているようで、要所を結ぶ朱の線と進軍日程はかつて名軍師として知られた官兵衛の頭脳がまだ衰えていない事を如実に示していた。
 「豊臣二兵衛の立てた策に拙者が異論を挟む余地などなかろう。が、黒田どのにひとつ問いたい。結局のところ、あなたは一体どちらの味方なのだ?」
 「わしの思いは、昔から変わっておらんよ。若かりし頃、太閤が抱いていた志に賛同した頃から、な」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み