第17話 太閤、唐に入りて

文字数 14,342文字

 「肥前へ参るぞ。源三郎、源次郎、支度をせよ」
 政宗の上洛騒動から半年あまり。天正二十年の年明け早々、真田家にもついに太閤からの朱印状が届けられた。
 「源三郎は上田に戻り兵を集めて参れ。源次郎はわしと共に名護屋城の普請の続きだ。こういう時は現場の奪い合いになる故、急ぐぞ」
 「はい」
 いよいよか。
 嫡男の死で衰えた秀吉の心変わりを日ノ本じゅうが期待していたのだが、秀吉は自ら言い出した事を曲げることはなかった。
 どう考えても小田原の時とは比べものにならない長期戦になるだろう。城を普請しているうちに片がつけば良いが、そうでなければ手の空いた者から大陸へ渡らされるのは明らかなので、いち早くはせ参じたと見せかけた上で敢えて時間がかかる仕事を引き受けて時を稼ぐ。そう考えるのは昌幸だけに限った事ではない。
 「宇喜田秀家どのや小西行長どのが率いる十六万の兵がまず先陣を切ることになっている故、源三郎はゆるゆると参って良いぞ。以前にも申したように徳川の与力という立場を強調し、何なら徳川の隊列に加わっておれ」
 「そういたします」
 先陣を切る宇喜田秀家に従うのは、黒田長政、島津義弘、小早川隆景、立花鎮虎(のちの宗茂)など西方の武将が主であった。
徳川家康、前田利家、上杉景勝など、東方の武将はみな名護屋までの到着期間を加味して後詰の隊に名を連ねていた。効率的な割り振りは石田三成の采配である。後詰隊の名簿作成には源次郎も携わっていた。
しかし、京で執務にあたっていたはずの伊達政宗の動向がどこにもない。東日本よりさらに北から兵を集めるのだから、後詰に加わっていて然るべきなのだが。
 (ひょっとしたら、先発隊の中に加わっているかもしれないな)
 花押事件の際、太閤が上洛した政宗をそのまま京に置いたのは、どこかの隊の与力として出兵させることで過去の行いを償わせ豊臣への忠誠を試すつもりであったのかもしれない。上の人間に対する心証が良くない者は、その後も往々にしていつまで経っても損な役回りを押し付けられるものだ。

 「大陸へ出兵なさるのですか……」
 館に戻り事の次第を伝えると、さちは源次郎が脱いだ着物を畳みながら心配そうに顔を上げた。
 「大戦になりそうですね」
 「うん。武士としては不謹慎かもしれないが、此度ばかりは先陣を切ることがなくて良かったと思うよ。茶々さまに感謝している」
 「そうですわね……あの、源次郎さま。これを」
 さちが自分用の文箱から出して源次郎に渡したのは、茶々からの文であった。武士同士の私的な文は様々な力関係や中央の監視などもあって儀礼的なもの以外はあまり容易く送ることができないのだが、そういった関係に囚われない女子は女子の間で独自の人間関係を築き連絡手段を持っているのだ。特にさちは秀吉の信が篤い大谷吉継の娘で茶々とも幼馴染であった事から顔見知りの侍女も多く、一般の武士にとっては異世界に等しい伏見城へも気軽に文のやりとりが出来るのだという。
 勧められるまま文を読み始めた源次郎の顔色が変わった。
 「太閤殿下が……帝の地位を望んでいらっしゃると」
 「はい。民としては最高位の関白にまで上りつめられましたが、帝位だけは公家筋でなければ継げぬもの。ならば自らの手で国を作り上げて開祖として頂点に君臨すればよいとのお考えを、このごろ茶々さまにお話しになられるのだとか」
 関白職を譲ったのは、後継争いを早期に収拾したいからだけではなかったのか。失意の中でも自らの野心を貫く秀吉の逞しさには舌を巻く思いである。
 しかし、大陸出兵以上に、これはいかな秀吉であろうとも正気の沙汰とは思えぬ考えであった。
 ただでさえ大名たちは大儀が何処にあるのか…先に入貢を断られた件だけでは大儀に当たらぬと疑問を抱いている戦。秀吉の本心が知れれば、士気などあっという間に崩れ去るであろう。
 「戦国の世を戦い抜いてきた殿下のお言葉とも思えないな。一体どのような勝算をもってこのような発言を」
 「それにつきましては、お文の先をお読みくださいませ」
 さちの勧めるまま、源次郎は折られた文の続きを開いた。そこには茶々のしなやかな文字で、秀吉が時折辻褄の合わないことを言い出すようになったこと、少しでも気に入らない事があれば茶碗を叩きつけて怒り狂い、家臣や女中が困惑する場面が最近とみに増えたことなどが率直に綴られていた。
 「殿下はお気が短くなられたと」
 「はい」
 そのことについては、源次郎も思い当たる節があった。秀吉の周囲では嫡男の鶴松の夭折に続き実弟の豊臣秀長も病死していたのだが、秀長を信頼し重用していた秀吉はその死が豊臣政権を揺るがす陰謀だと疑い不安を募らせていたという。
 折悪しく、秀吉は長年の相談役として側に置いていた茶人の千利休に対して大陸出兵の構想とそこにある己の本心をふと漏らしたところ、利休から返ってきた言葉は「天下に一分の利なし。殿下は力を得て初心をお忘れになられたか」という諫言であった。
 秀吉は恥をかかされたとして利休を遠ざけていたが、その距離が不要な猜疑心を育てるに充分な時間を与えてしまった。一番の理解者に裏切られたと思い込んでいる秀吉は正常な思考を失い、ついに鶴松と秀長の死は利休が裏で糸を引いた毒殺であったとまで思い込んでしまったのだ。
 「利休じゃ、利休が儂のすべてを奪おうとしておる」
 大坂城や聚楽第の茶室をことごとく破壊し、茶器を砕いても怒りはおさまらない。
ある朝、家臣が一同に集まる会議の場で、秀吉はまるで白湯でも所望するかのように唐突に利休の切腹を申し渡した。
 利休の何が秀吉の逆鱗に触れたのかはまったく不明、誰がどう事情を調べてもすべてが唐突にして辻褄の合わない事ばかりで、今回ばかりは前田利家など利休の弟子にして有力な大名たちが結束して利休の助命に奔走したのだが、そうなれば今度は利休が彼らを上手く言いくるめて利用したとまで秀吉は思い込んでしまう有様である。
 いかなる大名も秀吉に逆らえなくなり思い悩む中。千利休はこれ以上大名たちと秀吉の間に軋轢を生むのは日ノ本のためにならぬと切腹を受け入れ、首は一条戻橋に晒された。
 源次郎も伝え聞いていたそれらの出来事の内情をつづった茶々の文には、そういった秀吉の変化に対する茶々自身の困惑も見え隠れする。それでも秀吉の乱心は側近が必死に取り繕っていられる範囲内、まだ内々の事であり一時的な心の病であってほしい、という言葉で文は締めくくられていた。
 たしかに、そのわずか四月後に政宗が上洛した際は気前よく彼を赦しているのだ。政務にも今のところ支障は出ていないと聞く。つまり完全に乱心した訳ではなく、正気と狂気の狭間をゆらゆらと行き来している状態にあるとしか考えられない。
 「齢を重ねた人の心がふたたび童へ戻って行くことがあると聞いておりますが……もし殿下がそうであられるのなら、おいたわしい事でございます」
 「そうだな……実に痛ましい」
 「殿下のお心は、夢を抱いて戦いに明け暮れていた若かりし頃の世界へ戻られているのかもしれませぬね。お体はすでに老兵の域に差し掛かっておりますが、お気持ちはお若い時分のものなのでしょう。そのお気持ちと現実との狭間がしだいに曖昧となり、御身が思うように動かない焦りが此度の行動に現れているのかもしれませぬ」
 いたって現実的に夢物語を遂行する。痛々しいのは源次郎も同感であったが、かといって人一人の狂気で十万以上の兵を命の危機に晒すような行為はいただけなかった。数十年前までの武士は乱世を終結させて平和な世を創るための礎になることを信念として戦い散っていったものだが、今回は同じ戦を行うにしても目的が彼らの理想とはかけ離れすぎている。
秀吉の乱心は遠からず暴かれるだろう。戦を生きがいにしている者はともかく、そうなった上でも今回の戦いで士気を保っていられるのだろうか。
 「まさに無常だな……武田のお館様をはじめとした先人は、自らの勢力を拡大するためだけに戦っていた訳ではない。それは殿下も同じであった筈なのに」
 どのような実力や運に恵まれ権力を得ようが、老いや死というものに対して人は無力である。しかし、現在の秀吉の所業を見たら先人たちはどう思うだろう。
 諸行無常、先人の言葉が源次郎の胸に沁みた。


 日の本じゅうの武士が参陣を求められた名護屋城は、小規模な大坂城のようであった。高台に設けられた天守、城下に見立てた平地には各国の大名屋敷となる土地まで整備されている。
 「殿下はここに都を移されるおつもりか」
 普請に時間がかかるのは良い事なのだが。父がふと漏らした言葉が源次郎を複雑な気持ちにさせた。
京と九州、二つの都に二人の帝が誕生する可能性は未知数であったが、なくはない。だが自分に心を許しているからこそ打ち明けてくれる茶々の懸念を、父とはいえ簡単に打ち明けることはできない。
 実際、秀吉は日の本を統治するために一族郎党をはじめ必要な機関や役人の多くを引き連れてそちらに移り、いわば仮の都と定めてその場で大陸出兵の指示と国内統治の両方を執り行うことになっていた。ついでと言っては何だが、伏見城の側室たちの中でも特にお気に入りの者まで連れている。勿論、その中には茶々の姿もあった。
 出兵の本陣と国の中枢をまとめる。太閤らしい実に合理的な手法ではあったが、安全管理でいえば危険きわまりないものであった。もし出兵に失敗し、返り討ちついでに大陸の兵が日の本に襲来するとしたら、大陸との距離が近い名護屋は最も危険な地でもある。
 石田三成や大谷刑部、北政所まで総動員して京に留まるよう説得するのも聞かずに秀吉は自らの意思を徹した。制圧した地に、後光差す兜で意気揚々と乗り込むために。

 弥生の月なかば、十六万の大軍はついに名護屋から対馬を経て半島に渡った。加藤肥後守清正や小西日向守行長らが先頭の船の舳先で槍を立てながら胸を張る様を率直に勇ましいと思った大名はどのくらい居るのだろう。
『文禄の役』の始まりである。
 ちなみに、元号が『天正』から『文禄』に改元されたのはこの年の師走のことである。後陽成天皇が在位したまま改元したのだが、出兵を始めた時点ではまだ天正年間であった。秀吉はこの年のうちに大陸を手中に収め、統一国家としての始まりを飾るつもりで改元の準備を進めていたと思われる。いわば秀吉のための改元になる筈であった。
しかし、戦いが秀吉の目論んだ通りに進まず長引いたこともあり、結果として改元だけが予定どおり行われてしまった。新しい元号が一連の出来事の時系列を明確にすることになってしまったのは何とも皮肉なものである。

 源三郎率いる真田家の軍は文禄二年の春に肥前へと到着した。開戦から一年、ちょうど小西行長が平壌を制圧し、加藤清正は女真族にて戦いを繰り広げながら破竹の勢いで北上しているとの報せに名護屋城の士気が向上した熱気の最中であった。
東方の軍をまとめ、当初は留守預かりとして兵をまとめ頭数や装備を検め、練兵を仕上げてから要請に応じて名護屋に赴くと宣言したのは徳川家康である。京にて戦況を見極め、自軍が有利と知って初めて肥前へ来たのである。源三郎は家康に従っての到着であった。
家康がいよいよ九州に入ったことで、東日本の大名たちも続々と肥前入りする。
 本当に都が引っ越して来たように、一気に賑わいを増した名護屋城。
 ある日、そこへ何とも奇妙な隊列が入城した。
 「何だ、あれは」
 真田昌幸もさすがに目を丸くしており、源三郎はあんぐりと口を開いたまま絶句していた。そんな中、源次郎は彼らとは違った視点から呆れる。
 (また奇抜な真似を……)
 旗印を確かめるまでもなかった。あのような奇妙な出で立ちで上洛する大名など一人しかいない。
 「伊達政宗どのですね。また太閤を驚かせるつもりでしょう」
 死装束の次は奇妙な隊列。
総数にして、ざっと三千はいるだろうか。部隊ごとに深紫色に金で大きな月を描いた大小さまざまの幟を掲げ、足軽歩兵は群青色の小袖に金色の羽織、朱塗りの太刀に銀の脇差を見せびらかすように差し、頭には背丈の半分はあろうかという長さで先が尖った陣笠を被っていた。笠の表面には金箔が貼られていて、それが日の光に反射して眩いばかりである。隊の要所要所には、笠のてっぺんに孔雀の羽をあしらった者もいた。
 歩兵がそのような出で立ちなら、騎馬の武将は派手さに重厚さが加わっている。漆黒の鎧に金色の前立て、背中には黒地に金色の半月を描いた母衣(ほろ)。具足の膝当てや草摺りを縫いつける紐が金色で出来ているのか、動くたびに黒の合間から金色の光が現れた。隊長格の武将はさらに豪華で、虎や豹といった日の本にはいない動物の革を用いた馬鎧、母衣のかわりに九尺はあろうかという大きな太刀を背中に帯び、太刀と鎧の肩部分が金色の組み紐で繋がれている。余った紐は『遊び』として肩で二連ほどの弧を描いて端の部分がだらりと下がっていたが、それらは日ノ本では見かけない意匠であり随分と贅を尽くした装飾だった。
 そして、隊列の先頭にはもっとも派手な装備の馬。虎や豹の馬鎧は勿論のこと、磨きこまれた黒漆塗りの鞍にまで金銀や朱、螺鈿を用いた手の込んだ装飾が施されていた。手綱にも金糸銀糸が使われている。
 主が騎乗していないところを見ると、政宗は一足先に太閤に目通りしているのだろう。
 黒や鼠色などの地味な出で立ちが揃った兵の集団の中で、その色彩はひときわ目立っていた。
 「これはまた金がかかる支度を。あれだけの兵と装備を用意していたのなら、一年はかかって当然だなあ」
 「この源三郎、眼がちかちかして参りました。南蛮の装束を真似ておられるんですかね」
 「あれは太閤の天邪鬼さを逆手に取ったのだろう。上手くやりおったなあ」
 源次郎と同じく死装束の逸話を知っていた昌幸はすぐに見抜いていた。
 人というのは、常に手ごたえを求めて生きる習性でもあるのだろうか。反発する相手は力ずくでも従属させようと躍起になるが、力押しをすんなり受け入れられてしまうと逆に鼻白む。
太閤は政宗にも大陸へ渡るよう命じたことで圧力をかけたつもりなのだろうが、その政宗があのようなやる気満々の出で立ちと指示されたよりはるかに大人数の隊列で参陣すれば、政宗の思惑にはまることを嫌がっているであろう太閤のこと、『意地でも出兵させまい』と政宗の支度を無駄にさせようと考えるだろう。
 実はそれこそ政宗の本当の狙いであると気付いていたとしても、太閤はあくまで対外的に政宗の鼻をへし折ることに固執するのだから。
 その政宗とは、城の馬寄せで再会した。
 「よう、真田の次男坊」
 石田三成による兵の検めを待っていた政宗が、城壁の装飾の出来具合を検査していた源次郎を呼び止めたのだ。
 「やはり派手な隊列は政宗どのでござったか」
 その政宗も大層な出で立ちである。源次郎は目がくらくらしそうになった。
 織りも見事な錦地の直垂の上に漆黒の雪割胴、その上に纏った陣羽織がまた見事で、布というより何かの動物の毛を綿密に縒っているようにも見える厚地で丈夫な、底光りのする生地を使っていた。値段など想像もつかないその生地を分厚い金糸で縁取りし、背中にも金色で『竹に雀』の紋を縫い取ってある。長い裾には羽織と同じ生地でできた濃い赤や薄青の円模様が大小ほどよく配置され、その縁もすべて金糸で丁寧に飾られていた。よく見れば、具足の下の袴にも黒地に金糸の線が上下に走っている。
 その姿は、さながら錦絵がそのまま動いているようだった。しかし派手を好む者にありがちな傾いた趣向ではなく、色の選択や配置などすべてにおいて完璧に計算された上品さである。着る者が装束に負けない容姿であることも大きな要素を占めているかもしれない。
そして兜の額には三日月の前立てが燦然と輝いていた。月なのに、陽よりも眩しい。源次郎が政宗の戦装束を見るのは初めてだったが、悠然と佇む政宗の出で立ちは噂に聞く以上に華やかで、なおかつ迫力があった。
 兜で顔の陰影がはっきり刻まれた政宗は、ニヤリと笑って源次郎の顔を覗き込む。
 「どうした。死装束じゃないから見違えたか?」
 「いや、そのようなことはござらぬ」
 源次郎の一式も、誂える際自分なりに女性としてのささやかな主張を織り込んでみたつもりだった。しかし政宗の装束に比べたら、猩々緋の背に黒で六文銭が染め抜かれた陣羽織や中央に波を模した装飾が一筋入っただけのくすんだ鎧、草摺りの裾にあしらった猪目の透かしなど何と地味なことだろう。
 やはり、由緒ある大名と田舎侍上がりの次男坊なのだ。隔たりを見せつけられたようで口惜しいのは武士としての矜持、圧倒的に見劣りする地味な装束で政宗と会う気恥ずかしさは源次郎個人の自尊心。戦は服装でするものではないが、ふたつの気持ちが源次郎の中で混ざり合った。
 「そなたは京都に滞在していたと聞くが」
 「まあな。本来は先陣に入れられる筈だったんだが、太閤が九州に発つぎりぎり直前にあの隊列で京に現れてやったら『おまえは京に居れ』と命じられた……が」
 政宗は軽く肩をすくめた。上等の鎧はぶつかり合う音まで違う。刀が斬り結ぶ音と同じ、甲高く澄んだ音だった。
 「あいにく、後詰のままでいられなくなったようだ。俺は第三陣として来週にも船出する」
 「えっ?」
 「どうやら太閤の気が変わったらしい。大陸に渡りたくない誰かが若造にお鉢を回すよう入れ知恵でもしたかな」
 「しかし、戦局は日の本有利だと聞いていたが」
 「成果だけ見れば、それも嘘じゃないんだが」
 政宗は源次郎の手を引いて離れた場所へ連れて行くと、顎を引いて声を落とした。
 「ここだけの話なんだが……破竹の勢いで大陸を北上なんて言えば耳障りはいいが、実際のところ日の本の軍はまるで蟻の行列だ」
 「蟻?」
 「先頭の奴は後ろを見ることなくどんどん前に突き進むが、後続の奴は彼らに追いつけなくなって差が広まっていく。一部隊の差はわずかでも、十六万の兵が日の本の北から南までの距離と同じだけ動くとなればどうだ。そうやって軍が細長くなると、脇を突かれればたちまち寸断されてしまう」
 「では、実際は苦戦していると」
 「まあな。昨年には一時休戦の協定を敵軍が一方的に破ったこともあって、最前線の加藤肥後守は敵方殲滅に躍起になってるらしいが、一番隊の小西日向守は平壌から退却する機を伺っているという話もある。だが真実を伝えれば士気が下がるし、そこで大敗でもして太閤の怒りに触れればありったけの兵を上陸させて全軍突撃なんて事も言い出しかねない。海は海で半島に制海権を取られて、実際大陸に渡った船が対馬に戻って来るまでの時間も長くなっている……ったく、この状況で出陣だからなあ」
 「それは無謀な」
 「太閤がやけっぱちにならないよう、軍監を務める石田治部や大谷刑部、黒田官兵衛が今現在獲っている領地を固める作戦を考えついたんだな。その方がいざ退却となった時にも都合がいい。うちの軍は、その足場固めの仕事を命じられた。まあ、日の本の兵がみんな豊臣に盲目的な忠誠を誓っていると思っていた方が、太閤にとっては幸せなんだろうさ」
 「?」
 「歴史の常として、一人の権力者が無謀を過ぎればそれを止める良心ってものが作用するようになっているんだ。日の本の『良心』部分は、すでに講和に向けて動き始めている。それまで持ちこたえることができればこれ以上の兵が送り込まれることもないし、俺もまあ何とか助かるかな」
 「では、政宗どのは秀吉どのの怒りが他に向かないよう、あえて自ら出陣なさるのか?」
 「そんな恰好いいものじゃない。ただ太閤が真っ赤になって怒り狂う様にうんざりしているだけだ。俺は京で太閤の相伴(権力者の夕餉に同席する武士)にしょっちゅう呼ばれてたが、さっきまで上機嫌で酒を飲んでいたかと思えば、何が気に障ったのか突然顔をくしゃくしゃにして物を投げたり意味が分からない言葉でがなるんだぜ。あんな状態の奴のために俺の部下が斬られるのはまっぴらごめんだ。ここは大きな『わらし』が喜ぶものだけを見せて機嫌良くしておくに限る、そう思った」
 「そうでござったか……」
 秀吉の異変を政宗も察知していたのだ。しかも、茶々の手紙が届いた時よりも事態は進んでいる様子である。
 「あーあ、せっかく煌びやかな行列を仕立てて国から呼び寄せたんだけど、結局海を渡るんだったらあまり意味がなかったな……まあ、運を天に任せるしかないだろうさ」
 「あの」
 源次郎は、つい声をかけていた。
 「政宗どの、どうかご無事で」
 「……あんたからその言葉を聞けるとは思わなかったぜ。てっきり、あんたは俺を嫌っていると思っていた」
 「そのような事はない。多少奇天烈であっても、政宗どのが体を張って家臣を思いやる行いは立派でござる」
 「奇天烈、か。ははは」
 政宗は源次郎の肩に手を置いた。
 「……行ってくる」
 「はい」
 もはや気構えもなく、自分の正体を知る者に対してついしおらしい返事をしてしまった源次郎を見た政宗の左目がふと和んだかと思うと、次の瞬間には呆れたように言い放つ。
 「はい、ってなあ。おまえは俺の奥かよ」
 「ご、誤解するな。そのようなつもりで申したのではござらん……第一、互いに妻帯者ではないか」
 「『妻帯者』か。そうだよな。……いや、本当に面白いよおまえは。出陣前に逢えてよかったぜ」
 クックッと喉の奥で笑い、政宗は源次郎に触れた手に力をこめた。そして今度こそ『じゃあな』と手を振る。
 竹に雀紋を見送る源次郎の頬は熱かった。しかし心には自分が出陣するよりも強い不安がこみあげる。
今の自分は、もしかしたら誰にも見られたくない顔をしているかもしれない。


 政宗が大陸に渡ったのと時期を同じくして、豊臣軍の疲弊は名護屋に駐留している大名の間でも噂に上り始めるようになっていた。
 大陸で大雨による飢饉が発生したのである。そのため日の本からの兵糧は最前線に届く前に大陸兵の襲撃や略奪によって奪われることが増え、豊臣軍は餓死者が戦死者を上回る状態にまで陥っていた。
 それはすなわち大陸側も限界まで追い詰められていたということであり、日の本から遠く離れた最前線の兵と明国の間ではどちらからともなく講和の機運が強まった。適当なところで手を打って此度の戦いを水に流し、日ノ本の兵にはさっさと引き揚げてもらいたい。そして日ノ本の兵は早く母国へ戻りたい。
 どちらも長期戦は望んでいないとなると話は早いもので、行く末を憂いていた豊臣軍の一番隊隊長・小西行長はキリスト教が縁で意気投合した明国の使節・沈惟敬を釜山まで連れて退却、その場で石田三成に引き合わせた後で名護屋へと連れ帰った。
 小西は自らも洗礼を受けたキリシタン大名であり異国の文化や考え方の違いというものに敏感だったこともあって、此度の戦に対する明国の考えにも理解を示していたのだ。その上で、これ以上戦局が泥沼化する前に講和を結ぶが最良だと判断したのである。
 「殿下に引き合わせるには丁度良い折であろう」
 石田も交渉に前向きであった。自らの命と講和を引き換えにする覚悟で上陸した沈惟敬が呆気にとられる中
 「茶々どのがご懐妊なさったのだ」
 と打ち明ける。
 もはや望めないと思っていた我が子に再び会えると太閤は狂喜し、すぐさま茶々のために豪華な輿を仕立てて京へ帰した。その浮かれた気分の波が変わらぬうちにと謁見はすぐさま行われた。
 だが、秀吉は三成たちが思っていた以上に浮かれすぎていた。
戦況はまだまだ日の本にありと思っていた秀吉が出した講和の条件は『明国の皇女を秀吉の妃とする』『朝鮮の王子を人質として日の本に置く』など滅茶苦茶なものであった。
 たとえ戦時でなく日の本と明国が友好な関係にあったとしても、これらの申し出がすべて受け入れられる事などあり得ないだろう。秀吉が望めばすべて手に入るのは日の本の中だけの話であり、歴史や文化が異なる国を相手に自らのやり方を押し付けようとしても反発を招くだけなのは当然であった。まずは過剰な要求を突き付け、そこからじわじわと譲歩を引き出し本来欲している地点で妥協『してやろう』という交渉術が見え見えであったのも、秀吉の狡猾さを必要以上に強調した結果になった。
 沈惟敬もさすがにそれらの要求は法外すぎると困惑したが、前線で現実を見て来た小西や石田はどうにか講和を成立させようと沈惟敬と協議し、小西は秀吉からの要求を一部修正した上で家臣の内藤如安を沈惟敬に同行させる形で明国へと向かわせた。
 政宗が大陸に渡ったのはまさにその時期である。釜山に上陸した後いったん北上した政宗であったが、明国へ侵攻していたはずの軍がしだいに押し戻され南下していることを知って早くも退却への道筋確保を考える。彼らが帰還するための足掛かりとなる晋州城攻略を命じられたこともあり、そちらに専念する振りをして自軍を無謀に北上させることはしなかった。小西の動きをいち早く察知し、そちらの交渉成立に期待したのである。
 しかし、『小倭国』に被害をこうむったことで怒り心頭の明王は日の本の要求があまりに分をわきまえないものだとして破り捨てた。そしてその怒りのまま秀吉に全面降伏を要求する旨を使節に叩きつけたのだ。もはや交渉ではなく意地の張り合いと化した権力者二人の思惑により、講和の協議は物別れに終わったのだ。
 一方で退くことを忘れ、いちど手にしたものに固執した秀吉の命令は次第に度を超していく。専守を命じる一方で前線には突撃を敢行させる。もはや戦の混乱では片づけられないほど統率の取れない命令に右往左往する武士達の間には、しだいに不満が溜まりつつあった。戦場での不協和音は士気の低下につながり、敗北どころか離散・全滅も現実のものとなりかねない。よしんば勝利したとしても、戦後の日の本に大きな軋轢を残すことになるだろう。
 小西は沈惟敬と再度接触を図り事態の打開に向けて動き出した。以降、小西は秀吉に、沈惟敬は明王にそれぞれ面従腹背の形で、水面下において終戦へ向けての策略を練るのである。
 ちなみに小西が沈惟敬を連れ帰ったことも三成の判断も一番隊の軍監である黒田官兵衛を差し置いてのものだった事で、その時まだ大陸に居た黒田は無策のまま講和を持ち出すのは危険だとしてすぐさま帰国した。しかし「明国を降伏させる大切な時期に勝手な帰国は論外である」と秀吉の怒りを買って再上陸を余儀なくされている。

 出兵から一年四か月後。文禄二年の梅雨が明ける頃になって、突如として明国が兵を引き揚げたとの報せが秀吉にもたらされた。
 「ははは、ついに我が軍勢に明国が白旗を上げおったか」
 名護屋城の秀吉は後光差す兜を被って海の向こうに高笑いを投げつけた。
少なくても、自らが先に出した講和の条件は受け入れられた。明国を屈服させたのだと確信した秀吉は狂喜し、揚々として自らの軍にも撤収命令を下したのだった。兵の疲弊が耳に届き始めていた頃でもあり、兵が消耗する前にまず帰国させた上で相手国の降伏が前提の講和を一刻も早く結ぶのが最善である。
「これで儂の名が大陸にも轟くぞ。明国の次は天竺、蒙古、その先じゃ」
大陸に連なる国名を次々と挙げてはしゃぐ秀吉を、控えていた大名たちが…特に徳川家康は…冷ややかな目で見ていることも知らずに。

 明国の撤退は、日ノ本の本隊が退却を始めたとの報告を受けてのものであった。実際はまだ小競り合いは続いている。
 日ノ本と明国。同時期にどちらにも「敵軍逃亡」の報せがもたらされたことで、結果として双方が退く形で戦は下火になっていった。
 その報せを流したのは、小西行長と沈惟敬であった。彼らにその策を与えたのは黒田官兵衛である。

 黒田官兵衛は、己の遺恨よりも日ノ本の太平を選んだ。
此度の引き揚げが自らの策だなどとはおくびにも出さず、帰国後すぐに剃髪出家して名を如水と改めた黒田は改めて秀吉に謝罪し、明国が退却した以上は深追いせず改めて和睦交渉に持ち込み、自軍は一旦帰国させて休養させるべきと進言した。
 「戦は波のように押しては引き、引いては押すを繰り返して敵の根負けを誘うことも肝要と心得ます。我が友・竹中半兵衛どのなら、きっと同じことを殿下に申し上げるでしょう」
 豊臣二兵衛の片割れ…黒田がそう言ってくれた事で、豊臣家老たちも諸手を挙げて黒田の意見を支持する。半兵衛の名を出されては、さすがの秀吉も無碍には出来なかった。
 引き揚げ命令は速やかに実行された。伊達政宗も無事に生き延びた。一緒に大陸へ渡った彼の右腕・片倉小十郎や政宗の従弟にあたる伊達成実も無事であった。
 しかし、名護屋で待機していた源次郎が政宗を名護屋で出迎え、無事を自分の目で確かめることは叶わなかった。
大陸からの撤収を受けて早々に京へ帰ることにした徳川に同伴する形で…太閤の気が変わらぬうちに、真田家も京へ帰還することになったのである。

 「政宗どのは無事であったか。何よりだ」
 連絡役として肥前に残していた佐助からの報告を京の真田屋敷で受けた源次郎は、安堵のあまりなかば放心状態で縁側の柱にもたれかかった。
 「太閤も伏見城に戻られ、大陸には石田三成どのと小西行長どのが殿として残っています。まだ名護屋は引き揚げの兵で混乱していますが、伊達どのの隊は全員無事ご帰国されました」
 「して、政宗どのはその後いずこへ?」
 「兵は一門の者に任せて国元へ返し、ご自身は片倉どのと一緒に京都へ向かっておられる模様です」
 「そうか……」
 政宗が無事に戻って来た、それだけで充分な朗報だった。京都に逗留しているのなら、またいずれ会う機会があるだろう。
 引き続き名護屋や京の動向を探る命を下された佐助は、出会った頃とはまるで別人のような素早さで駆けていった。仲間たちも昌幸の命令を受けて上田や沼田との連絡に動いている様子である。
 「良うございましたね、源次郎さま」
 「ありがとう、さち」
 暑い京都の夏、気を利かせたさちが井戸水で冷やした瓜を源次郎に出した。食べ物の味を感じるだけの余裕が出たのは出兵して以来久方ぶりではないだろうか。小ぶりな瓜の甘さが、源次郎の見えない緊張を解きほぐして五感すべてを取り戻させてくれる思いだった。
 あっという間に器を空にした源次郎を見守りながら、さちが切り出す。
 「源次郎さまは、あの隻眼のお侍さまがお好きなのですね」
 「たしかに政宗どのには世話になったし、大陸への出兵ともなれば心配するのが友情というか…いや、友情などとはおこがましいが、同じ武士としての情けだと思うが」
 「その『好き』ではございません。人を恋い慕う『好き』ですわ」
 「こ、ここ、恋慕う?」
 さちは当たり前のようにさらりと口にしたが、当の源次郎は今の今までそのような自覚はなかった。それゆえ、言葉がすぐに頭の中に入ってこない。
 「好き?私が、政宗どのを……?」
 「はい」
 「いや、そのようなことは……それに私にはそなたが」
 目の前に妻がいるのに。いや正確には世間一般で言うところの妻ではないのだが、それでも夫婦となった以上は貞操というものを堅持し続けたい。そんな葛藤と後ろめたさ、そして本当の気持ちを自問自答した末に言葉をなくしてしまった源次郎に、さちはただ微笑むだけだった。
館の周囲で木々がざわめく音が耳につき始めた夕刻の始まりになって、源次郎はおそるおそる顔を上げた。
 「……さちには、私がそのように見えるのか?」
 「ええ。お屋敷に戻られてからの源次郎さまと先ほどの報せを受けてからの源次郎さまでは、まるで別人のようにお顔の色が違いますわ。ほんの一刻の間に、見違えるほど明るくなりました。本当に伊達さまを心配なさっておられたのですね」
 武家の奥として、夫が携わっている戦いの背景や戦況、城の留守を預かるための政治的背景を学んでおくことは欠かせない。さらに、さちには「つて」もある。聡明なさちのこと、それらの知識と源次郎の態度を結びつけることなど造作もないのだろう。それに加え、同じ女としての勘も働いたのだろうか。
 そうだとすると、さすがの源次郎も観念するしかなかった。
 「たしかに、此度の戦局と政宗どのの挙動を重ねて一喜一憂したかもしれない。でも……人の夫としてそのような浮ついた気持ちになるのはどうかと……というか、さちはそういうのが厭じゃないの?」
混乱のあまり女言葉に戻ってしまった源次郎に、さちは「いいえ」と首を横に振る。
 「わたくしは構いませぬ。人を好くのは素敵なことですわ。源次郎さまは、どうかそのお気持ちを大事になさいませ」
 「この気持ちを大事に、か……」
 気づかされて初めて気がついた新しい気持ちは、認めてしまえば確かに心地よいものであった。しかし、現実を考えるとこれ以上この気持ちを育ててはならないとも思う。政宗が自分と同じ気持ちでいてくれると考えるのは願望から来る勝手な思い込みであり、何より互いに妻帯であり同じ武将として肩を並べる関係なのだ。どうひっくり返っても思いが実を結ぶことなど考えられない。一方的な気持ちが強くなりすぎて我を見失う前に自制しておかなければ。
 ふと、源次郎はさちの気持ちを訊いてみたくなった。
 「さちは、誰かを好きになろうとは思わないの?」
 「好いた殿方なら、お一人」
 「……もし望むなら、私と離縁してその者と一緒になっても良いよ?どうか、さち自身の幸せを最優先して」
 「その必要はございませんわ。だって、わたくしが想うその殿方は、もう目の前にいらっしゃいますもの」
 「!!」
 「夫である源次郎さま、姉であり友でもある繁さま。そのどちらも、さちはお慕いしております」
 さちは軽い冗談で源次郎の言葉を受け流し、それからにっこりと笑って続けた。
 「さちは今、とても良い夢をみさせていただいているのですわ。これ以上はないほどの素晴らしいお方と出会え、その方を通してわたくしも色々な世界を見せていただける。そしてわたくしは、そのお方の絵巻のような生き様を支えて差し上げられる……それこそがわたくしの夢でしたもの」
 そして、さちは小首をかしげてわずかに眉尻を下げた。
 「このような言葉、源次郎さまには重たいでしょうか?」
 「そんなことはない。さちが幸せになることこそ私の本望だ。私こそ、さちのおかげで存分に生きていられる。本当にありがとう」
 「そのお言葉で充分ですわ、源次郎さま」
 夫婦ではないが親友以上の繋がりが二人にはある。政宗のことは、さらに二人の繋がりを強くするために共有している『秘密』のままでいい。源次郎はそう思うことで自分を納得させたのだった。
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