第18話 夢のまた夢

文字数 24,096文字

文禄三年 

 「真田源次郎信繁。そなたを『従五位下左衛門左』に任ずる」

 翌、文禄三年。明国との講和に向けた交渉が進む中で聚楽第に呼び出された源次郎は、関白秀次からそう告げられた。

 「私に官位を下さるのでございますか?」
 「いかにも。そなたの兄、真田源三郎信幸にも『従五位下伊豆守』を授ける旨、既に徳川どのを通じて内示を出しておる」
 「兄上にも……」
 従五位下とは、大名であると同時に貴族とも認められる…朝廷に上がることを許される階位である。
 兄弟同時に従五位下を授かる。それは、真田家の大名家としての格が一段上がることを意味していた。
家だけでなく、源次郎個人としての城内における立場も上がることになる。国司と同等の発言力を持つのだ。夕餉の席で昌幸が聞いたらきっと小躍りするだろう。
 「……此度の出兵でにおける働きに対して、我が豊臣はこのような形でしか応えてやることができぬのだが……受けてくれるな?」
 御簾の向こうに座する秀次は、おそるおそる訊ねてきた。自らの意思でなく、秀吉の意向をそのまま伝えているであろうことは想像にかたくない。断られでもしたら自分が太閤からどのような責を受けるのかという不安が勝っているようにも伺えた。
 秀次の言葉が少々引っかかったが、秀吉の意向が強いのならば源次郎に断る理由などない。
 「身に余る光栄にございます」
 夕刻、同様の報告を持って帰宅した源三郎とともに官位を謹んで受ける旨を両親に報告した。公家に縁のある山手はたいそう喜んだが、昌幸は
 「分けるものがないから名誉で払う、か。堕ちたものだ」
 と言い放つだけである。
 事実。親授式当日。
二条御所にて天皇、あるいは関白から勅書を受ける直垂姿の行列を見た時、源次郎と源三郎は昌幸の言葉の意味を知ると同時に、この官位はただの「肩書き」と成り下がった。
 「みな官位を賜るのか」
 順番待ちの列に並ばされた源三郎も呆気にとられている。
 「これではまるで叩き売りですね。官位の権威というものが失墜します」
 源三郎も杓で口許を隠しながら呆れた。
既に高い官位を持っている大名や公家にとっては、官位の格を貶めることこの上ない事態、しかも田舎侍と軽んじていた者が官位を手にした事で我が物顔で朝廷に出入りするようになるのは由々しき問題。歓迎する者など皆無なのは居並ぶ彼らの冷ややかな視線が物語っている。
 大名側にしてみても、このような形での叙勲ならば有難迷惑だった。大陸出兵にはどの大名もそれぞれ兵を引き連れて戦っている。彼らの兵糧や武器だけで相当な負担であったのに、彼らへ与える俸禄としてあてにしていた太閤からの褒賞が官位ただ一つとなれば不満を募らせる者がいてもおかしくないだろう。そもそも官位で腹が膨れることはない。
 「よう、真田の」
 待ち時間の長さと期待外れの親授式に辟易しかけた真田兄弟に声をかけたのは伊達政宗であった、既に官位を持っている政宗は相も変わらず華やかな装束を好んでいるようで、光に当たると複雑な文様が浮き出る織地で仕立てた上等な直垂と烏帽子姿が居並ぶ他の大名たちの中でひときわ目立っている。
 政宗が無事に帰国し、何事もなかったかのようにそこに居ることが源次郎にとって何よりの安堵であった。
 「伊達どの。ご無事でありましたか」
 「そう簡単にくたばりはしないさ。今日は俺も官位の親授を受けるために呼ばれたが……」
 このとき従四位下、右近衛権少将に昇格した政宗は、直垂姿の源次郎の肩をぽんぽんと叩いた。
 「これでおまえも官位持ちか。従五位下だったか?貴族の仲間入りじゃないか」
 「……大勢の中の一人でござる。この様では感慨も吹き飛びましたぞ」
 「ははは、金子や所領は大陸で命張った奴優先だからな。俺だって、あれだけやって一千石くらいしか加増されていない。完全に『持ち出し』だ」
 「そうだったのでござるか」
 「まあ、命があっただけ儲けもんだと思っておくさ。おまえも兄上殿も、これで出世の足掛かりが出来たんだから腐ってないで有難く頂戴しておけばいいだろ。長いものに巻かれ、貰えるものは貰っておくのも処世術だぞ」
 その時、源次郎と源三郎の名が呼ばれた。政宗は「頑張れよ」と言って持ち場に戻る。

 官位を授かり退室した帰り、伏見城から来ていた武士達からの噂で茶々の名を聞いた。
 茶々は秀吉の期待に見事応えて男子を出産したが、秀吉は鶴松の時以上の狂喜乱舞ぶりで、名護屋から戻って以降は伏見城に籠りきりで我が子の世話を焼いているという。伏見城には各地から名の知れた医師が呼び寄せられ、各国から滋養強壮や疳の虫に効くという妙薬も毎日のように山と届けられている。鶴松の時と同じように、源次郎はしばらく大坂城内でそれらの品の検めに追われることとなった。
 しかし、鶴松が誕生した際に行われた大坂城下での金子ばら蒔きは、験を担ぐという理由で行われなかった。出兵の直後で金子をばら蒔く程の余裕もないのだろうと町人は噂していたが、それは恩恵にあずかれなかった者の僻みである。やると決めたらどれだけ困窮していようが見栄を張り通すのが秀吉なのだ。
 ともあれ、茶々は壮健であるらしい。


 なぜ秀吉が官位をばら撒いたのか。それは出兵における恩賞の不足分を補うだけでなく、自らの後継を見据えた時に来る不安からであった。
鶴松が夭折した翌々年、肥前から京に戻った茶々が産んだ拾丸(のちの秀頼)は文禄三年の時点でまだ一歳。この子が元服するまで秀吉が存命できる可能性はほとんど無く、そうなれば頼みは周囲の家臣だけである。ただでさえ被害妄想が強まってきた秀吉のこと、振る舞い膳のように気前よく官位を授けることで彼らの心を豊臣に繋ぎ止めておこうと躍起になっていたのだ。もはや力や徳で天下を率いるべく努力してきた男の姿はそこになく、古参の大名や老中は内心で秀吉を憐れむしかなかった。
 そして、老いた秀吉の不安は身内にも向けられていたのだ。

 「拾丸や。さあ、歩きなさい。丈夫な脚は健康な体に繋がりますゆえ」
 伏見城にある太閤の居館。後宮を兼ねた寝殿造りの豊臣家邸宅・西の対屋から池の上へと延びた釣殿で。乳母として拾丸の世話をしていた正栄尼や、茶々の乳母からそのまま拾丸の養育係となった大蔵卿局らに囲まれ、よちよち歩きの拾丸が小さな歓声を上げている。拾丸は、誕生の際に父が集めた山のような薬草を一度も使うことなく健やかに成長していた。
 「茶々さま。外は冷えますゆえ、拾丸さまにもう一枚お召しいただきますか?」
 「いえ、このままで」
 正栄尼の勧めを茶々はきっぱりと跳ね除けた。
 「厚着でぬくぬく育ってしまうと、却って病がちの子になってしまうと聞きました。そういえば、わたくしも子供の時分には綿入れを着るのは寒の入りから立春までと決められていたことを思い出したのです。丈夫な体は生きていく上で何よりの資本。幼い頃より少しずつ馴らし、よく歩いて足腰を丈夫に鍛えることで武士として体の基本を作るのですわ。さすれば多少の病など撥ね退ける強い子に育ってくれましょう」
 「まあまあ、茶々どのは大切なお子をそのように粗雑にお育てですのね」
 いつの間に現れたのか、渡り廊下に京極竜子の姿があった。聚楽第の頃から茶々の最大の敵ともいえる女は伴を従え、すたすたと釣殿の入口に立つ。正栄尼がすぐさま場を譲り、茶々も露骨に厭な顔を見せながら竜子の座る場所を空ける。
 「これは京極どの。先触れもなくお渡りとは珍しいこと」
挨拶の姿勢で嫌味を言う茶々に、竜子は敢えて涼しい顔を向けて空いた座におさまる。そして拾丸を一瞥し『ほんとうに薄着ですこと』と一言言い放った。
 「この拾丸はいずれ殿下(秀吉)の後継者になる子。日ノ本を背負って立てるだけの健康で立派な男子に育て上げるのが、わたくしの使命でございますゆえ」
 「それは大層なご決断ですこと。まあ、拾丸どのが天下を手中にすれば茶々どのも国母として権勢を振るい放題ですものね。それは身も心も入りますわ」
 「あら、竜子どのはわたくしが大事な授かり子をお人形と間違えているとでもお思いですの?」
 「人形だなどと人聞きの悪い。ですが子は親の背を見て育つもの、親の内にあるものを感じ取り、親が望むように育つものですわ……あなたもそうだったのではなくて?」
 「そうでございますわね。京極どのとご母堂さまのご関係に近いのではないでしょうか。わたくし達は従姉妹ですもの、お考えが似ていて当然です。ゆえにご注進は無用でございますわ」
 にっこりと笑う茶々に、竜子は扇で口許を隠して軽く肩をすくめる事で動じない姿勢を見せた。周囲の者はみな、はらはらしながら成り行きを見守っている。
 「ここでわたくし達がお子の心の中をどうこう申しても栓なきこと、穢れのない幼子とはいえ、ちゃんとした一人の人間ですわ。わたくしは、ただこの子が健やかにまっすぐ育つよう手助けをしているだけのこと」
 「ほほほ。織田と浅井、それに大蔵卿どのの庇護を受けたお子ですものねえ。生まれが複雑なれば、せめて心は健やかに……いかにも、ですわ」
 「!」
 『大蔵卿どの』とは、茶々の乳母である大蔵卿局を指した竜子の揶揄であった。その背景には、大坂や京の城内から市井まで広く囁かれている噂がある。
 拾丸が誕生したのは、数えで秀吉五十八歳の時分。茶々の長子、鶴松の夭折後に気落ちして老け込んでしまった太閤がふたたび茶々に子を産ませることができたのは、年齢的に考えてもまさに奇跡であった。若い頃から色を好んだとはいえ、すでに男としての老後を迎える域にさしかかった太閤に子を作るだけの力は残されていたのだろうか。

もっと俗に言ってしまうと、拾丸の父親は本当に太閤であったのか。
 世間は、茶々懐妊の話が出た時点からそのような噂でもちきりであった。

 茶々の不義の相手として取りざたされていたのが、大蔵卿局の子・大野治長である。茶々にとっては父兄妹にあたり、その気安さから茶々の用事を言いつけられるなど聚楽第時代から茶々専属といっても良い武士である。源次郎の同僚でもあった。
 本人もいたって誠実な人柄で実直に役目を果たし、手柄を大げさに吹聴して回るような事もしないため、何度も聚楽第と大坂を行き来しているうちに石田三成や大谷刑部といった事務方の重鎮にも一目置かれるようになっていた。その頻度は、同じく茶々のお気に入りとされた源次郎の比ではない。
 そのようなお役目大事の男が主の室と密通など、実際は起こす気にもならないだろう。茶々のお気に入りというだけで噂が立ってしまうのなら、源次郎が大野の立ち位置にいてもおかしくない。そのくらい下世話な噂であったのだが、茶々に関しては母親と太閤の因縁もあるため人々にとって憶測が憶測を呼ぶこの不貞疑惑は恰好の話題であり、噂好きな女中らの口から尾ひれが何重にもついて面白おかしく流されてしまうのも致し方ないものだった。
 さらに、大野は母親が取り立てられた事だけで大坂城の中枢に入り込んでいたと思われていたため、いわゆる『叩き上げ』の武士から妬みの対象になりやすいことも噂を助長させる一因であった。もとより噂にもならぬほど格下の源次郎との違いはここにもある。
 事務方の大野は仕事も裏方的な目立たないものが多く、あまり表に出ない功績をしっかりと見ていた石田や大谷から信頼されてこつこつと出世した結果が和泉と丹波に一万石の所領および従四位下修理太夫という華やかな経歴である。三下からぽっと出た男がいきなり要職に就いていたという印象を周囲に与えてしまったのだ。
地味な者が突然表舞台に出たからには何かある、調べてみたら彼は茶々と乳兄弟ではないか、と。

 そして、竜子は茶々を『いけ好かない女』だからという理由だけで目の仇にしていた訳ではない。
 茶々が聚楽第に入るまで、竜子は自他ともに求める秀吉の寵姫として権勢を誇っていた。しかし、その立場も茶々が来たことで大きく揺らいだのだ。
 (まあ、市どのにそっくりですこと)
 茶々の母・お市の方の義姉でもあった京極マリアがもらした言葉がすべてを物語っていた。
 秀吉が懸想していたというのが定説となっているお市の方に生き写しの姫。その存在は、竜子の立場を揺るがすだけでなく女としても大きな危機感を与えた。
そして茶々は自分が意識していないところで竜子の劣等感や危機感を容赦なく刺激していく。
 竜子も、実は茶々が聚楽第に入る前に秀吉の子を死産したことがあった。男児であった。以来子には恵まれず、齢ばかりを重ねて焦りが募っていた時に茶々が現れ、秀吉は茶々に夢中になっていく。自分の扱いはなおざりになってしまったことで…子をなせる機会が減ったことで、不満と危機感はさらに膨らんだ。
それだけでなく、茶々はいとも簡単に子を産んでしまったのだ。長子の鶴松は夭折したが、それで終わらず二人目の嫡男まで。
 子をなくした母として、そして寵愛を競いあう女として、現在目の前で秀吉の後継者を育てている茶々が妬ましくて仕方ないのだ。
 妬みを露にすれば自らの劣等感を認めることになる。それもまた自尊心が許さないから、竜子はついつい嫌味を言わずにはいられないのだ。それも繰り返すうちに感情が抑えられなくなり、しだいに茶々が大きく傷つく言葉をあえて選ぶほど激化して現在に至っている。

 「そちらのお子が姫であれば秀次さまの室に入って万事めでたしとなったでしょうに、まこと惜しゅうござりますわ。あなたにそっくりの姫であれば、織田の妹姫さまのようなお顔がお好きな殿下もさぞお喜びになったでしょうに」
 茶々が秀吉の寵愛を受けているのは、その身体ごしにお市の面影を求めているだけなのだ。竜子は遠回しに茶々の負い目を刺激する。
 しかし、茶々もそこまで嫌味を言われて黙っているだけの女ではなかった。城の奥のような小さい世界で心折れていては、今後の悲願など到底叶わない。
 「まあまあ。竜子どのはご存じないようですが、男の世界でも、知恵、力、人脈など使えるものは何でも使うことが出世への道でござりますよ。殿下などそのお手本ではございませぬか。わたくしも枕語りでようよう武勇を拝聴いたしますれば、この拾丸も次期関白として殿下のようにお育て申し上げたいと願う次第でございますわ」
 「ま、枕語りなどとはしたない」
 「そうでございますか?殿下のお傍でたくさんのお話を拝聴するのは学ぶことも多うござりませぬか。殿下の眼を通して、此度の大陸の事情をはじめこの伏見城の外の世界から過去の出来事までの全てにこのわたくしがご一緒しているような気持ちになれまする……竜子どのはそう思われませぬか?」
「!!」
 秀吉に召されなくなって久しい…夜離れされたのではないかという不安を秀吉の年齢のせいにしてようやく精神を保っている竜子にとって、これは大きなしっぺ返しであった。竜子の顔がみるみるうちに怒りで真っ赤に染まる。
 「織田の姫様は随分と庶民的でいらっしゃいますのね。でしたら、妄想がたっぷり入った夢物語でも書かれたらいかがです?」
 「書くのなら、わたくしは殿下から伺った武勇伝や殿下のお人柄を委細漏らさず後世に伝えるための伝記にいたしますわ。今は亡き竹中半兵衛どのの『豊鑑』を完成させるのもよろしゅうございますね……ああ、それから。竜子どの、額の青筋と眉間の皺はどうにかなさった方がよろしゅうございますよ。人の心はその外見にも現れてしまうもの。殿下の寵姫と自負しておられる方に何かご不満でもおありかという噂が立てば殿下のお心も乱れますし、穏やかにお暮らしになられている北政所さまもよい気はなさらないでしょう。それに子はよく大人の顔つきを真似るもの。そのような面持ちで拾丸の前に立たれては、次期関白となるこの子に良くない影響が出てしまうやもしれませぬ」
 「し、知りませぬわっ!」
 竜子は床を踏み鳴らして立ちあがると、着物の裾をあえて振り回すように大きく捌いて釣殿を飛び出した。「あらまあ、粗忽な振る舞いも子の教育によくありませんわ」との茶々の嫌味を聞こえないふりで無視し、わざと床を踏み鳴らして去っていく。
 「茶々さま、わたくしの家の者のことでお心を乱してしまい、申し訳ござりませぬ」
 竜子の足音が渡殿の向こうに消えるのを確かめてから、喧嘩のきっかけとなった大蔵卿局がまず深々とひれ伏した。しかし茶々は彼女の手をとって『いいえ』と否定する。
 「あなたが悪いのではありませぬ。第一、大野とわたくしの間柄は本当にただの乳兄弟ではありませぬか。根も葉もなき下世話な噂など、放っておけば自然と立ち消えましょう」
 「ですが……」
 「さまざまな人のいる世界に身を置けば、どこにいても反りの合わない相手の一人や二人はいるもの。わたくしはこのような言葉で心折れることはありませぬ……それより、あなたに要らぬ気苦労をかけてしまっている事のほうが心配ですわ。どうかお体を慈しみくださいまし」
 「姫様……ああ、なんという勿体ないお言葉」
 年配の大蔵卿局を気遣って局に下がらせた後、疲れがどっと肩にのしかかった茶々は半分寝ころぶように脇息にもたれた。自分で望んだ道とはいえ、やはり他人を罵るのも自分が罵られるのもいい気はしない。しかも『枕語り』などという下品な言葉まで持ち出すなど、自分の矜持がどんどん地に堕ちていくようで神経がすり減る思いだった。
 「茶々さま、どうぞ召し上がれ」
 正栄尼が気を遣って出してくれた葛湯を、茶々は有難くいただいた。思考をゆっくり落ち着かせ、昂ぶった感情を胃の腑に落とし込んだ後で今の自分が進むべき道をもう一度思い出す。
 その上で、茶々は正栄尼にぽつりと漏らした。
 「秀次どの……文武両道にて温厚、人々を和ませるお方と聞いておりますゆえ、さぞ人望もあるのでしょうね」
 「まさか姫様、竜子どののお言葉を真に受けられたのですか?」
 「まさか。それほど才ある方なら、将来は拾丸の後見になっていただければと思ったのです」
 「まあまあ。そのような心配をなさらずとも、拾丸さまには殿下を慕う方々の篤い支えがございますわ。それに、殿下も拾丸さまの前途を案じておられない事などございますまい。秀次さまの後には必ずや拾丸さまの御世がやってまいります」
 「……そこなのですわ」
 (殿下が、秀次の元服まで待てるかしら)
 「はー」
 まだ言葉の拙い拾丸が、母の膝の上に乗るとその顔を心配そうに見上げて来た。茶々が薄い髪をそろそろと何度も撫でてやると、拾丸はようやく安心したように茶々の胸にもたれかかる。そしてすぐに寝息をたてた。愛らしさも、我が子となれば格別である。それは夫の秀吉も同じだった。執務の合間を縫って聚楽第を訪れては、顔の皺をさらに深くしてくしゃくしゃの笑顔で拾丸を抱き上げ頬ずりする姿は、茶々だけが知っている天下人のもうひとつの顔である。
 年老いて融通が利かなくなった思考を持て余して癇癪を起している『平凡な老人』であるのならばまだよい。
 しかし、秀吉の極端な思考がもたらす判断はひとつひとつが政治を大きく揺るがすものであるがゆえ、茶々はどうしても今後が気になるのだ。
 秀次を関白の座から降ろし、拾丸が元服するまでの後見として役目を与え生かしておくのなら、秀吉としてはまだ慈悲ある決断であろう。だがあの秀吉が、後々に争いとなりそうな芽を残すとは思えない。いったん関白に就いてしまった秀次には、若い層を中心とした取り巻きも出来つつあるのだから。
 置いて耄碌したとはいえ、そういった空気の流れに気付かない秀吉ではない。自らの思い通りに物事を動かすためなら手段を選ばない秀吉は、果たしてこのままおとなしく秀次に次を託すのだろうか。

 そして、茶々の危惧は、現実のものとなってしまった。


 「茶々よ。一ノ台が息災であるか存じておるか?」
 西釣殿で拾丸を膝に上機嫌の秀吉が、ふと思い出したように茶々に訊ねた。
 「一ノ台どの、でございますか?」
 一ノ台とは、かつて秀吉の側室であった姫である。側室とはいえ人質同然に差し出された者のため他の室らと妍を競う訳でもなく聚楽第の隅で目立たずひっそりと暮らしており、秀吉が居所を伏見に移した際に病を理由に暇を与えられて国元に戻っていた筈であった。
なぜ、今になって捨て置かれた姫の名など口にするのか。
 「殿も人がお悪うござります。わたくしの前で他の女子の名を出すなど、どのようなお心変わりでしょう」
 「なに。捨て置いたままだった故、ふと気になってな。……そのような顔をするでない、今のわしは茶々と拾丸だけが生きがいじゃ」
 「そうでしたら嬉しゅうござりますが、何やら胸の内がざわめきまする」
 忘れ去られた女とはいえ元は寵愛を競った者の名に微かな嫉妬を覚えた茶々は、それでもふいと記憶を手繰り寄せた。
 「……そういえば、三日ほど前に北政所さまの許にご機嫌伺いのお菓子を届けさせた侍女が、帰り道で一ノ台どのに仕えていた者に会ったと話しておりましたね。何でも秀次どのの御座所に御用があると話していたとか」
 「ほう」
 拾丸に視線を落とした秀吉の眼の色が変わったことを、茶々は見落としてしまった。見たままを正直に告げた己の言葉が、後に大きな波紋を呼ぶことになろうとは。
 文月に入ってすぐ、突然石田三成が数名の武士を引き連れて聚楽第へ踏み込んで来た。門番の兵士を軽々と退がらせたその行いの片手には秀吉からの令状がある。
 唐突な捕り物の騒がしさは伏見城の寝殿にも聞こえて来た。人のざわめく声と馬の嘶きは、茶々に過酷な少女期の記憶を呼び起こさせる。茶々はすぐさま大野治長を呼びつけると様子を見に行かせた。
 じりじりと数刻ほど待った後、ようやく戻って来た大野は石田三成を伴っていた。
 「これは石田どの。外が騒がしいようですが、何かあったのです?」
 「は。太閤殿下の命により、秀次さまを高野山へお連れする手筈を整えておりました。こちらの寝殿までお騒がせしてしまい、申し訳ござりませぬ」
 「石田どの、そこは『関白殿下』とお呼びするところではありませぬか?」
 「本日、秀次さまは関白職を辞する旨の意思を示されました」
 「えっ?」
 「殿下のお許しなく、でございます。職務を放棄し、太閤殿下のお顔に泥を塗った所業は到底許されるものではございませぬ」
 「秀次どのが自ら……」
 「それだけではございません。秀次さまは、畏れ多くも殿下の側室であられた一ノ台さまと通じておられたのです。暇を与えられたとはいえその行いはまさしく不義であり、殿下はお怒りにございます」
 そんなばかな、というのが茶々の感覚であった。秀次も秀吉に似て色を好む者ではあったが、一度でも秀吉の室であった姫に手を出してしまうほど秀次も愚かではあるまい。自らの置かれた立場をきちんと理解している者なら、想いを抑えられなくなる前に理性が働く筈である。
 「そのようなこと、にわかには信じがたいお話ですわね」
 「お茶々さま、あなた様の証言が何よりの証拠となりましたぞ」
 「……!」
 そういう事だったのか。茶々の顔から血の気が引いた。
 秀吉が突然に一ノ台の名を出したのは、秀次を追及するための証拠が欲しかったからだ。茶々が見た者が実際はどのような用向きで秀次のもとを訪れていたのか、本当に秀次が一ノ台と通じていたのかなど関係ない。一ノ台ゆかりの者が秀次のもとを訪ねた事実さえあれば、そこからいくらでも嫌疑をかけてしまうのが秀吉なのだ。

 秀次が突然関白職を辞した理由は、茶々にはすぐに見当がついた。
 秀吉は、拾丸が関白宣旨を受ける姿を見たくて仕方ないのだ。自分が生きている間に。
 そうなると秀次の存在が邪魔になる。既に秀次を自らの後継として指名し、公家や各国の大名たちに「よろしく頼む」と披露目の宴まで催してしまった後である。
 ここで余程の理由がなく秀次を更迭してしまえば「太閤は公家を私物化していると」され、ただでさえ大陸出兵で落ちていた求心力はさらに低下するのは間違いない。
 そこで秀吉は『秀次と一ノ台との密通』という名分をでっち上げたのだ。
 秀次も自らが嵌められたことに気づき、先手を打って出家を切り出したのだろう。
 しかし、今の秀吉の執念深さは秀次が知っている「かつての」叔父の比ではないのだ。

 「では、急ぎますので御免」
 石田は玉砂利をさくさくと踏みしめて退出していった。太閤の命令こそ至上と心得て動く石田は、謀反人を捕らえるという命令を全うする事しか考えていない。
 「待ちなさい、石田どの」
 茶々の声は、石田の使命感によって無視された。足早に去って行く背中を止める術もなく、茶々は茫然としてその場に佇む。
 かつては父・浅井長政も同じように嫌疑をかけられ信長に処断されたのだ。茶々の胸に幼い頃の記憶が蘇る。焼け落ちる城、母や自分たち姉妹を強引に外へと逃した後で城内へと戻って…炎の中へ入って行く父の背中と、父の名を何度も呼び続けた母の声。
 あの悲劇を繰り返したくなくて秀吉の室に入ったのに、自らの迂闊さから一人の人間に悲劇をもたらしてしまった。
 今も耳に残っている母の悲鳴が茶々の頭の中でどんどん強まり、繰り返されていく。力なくその場にへたり込むしかない自分の弱さを、茶々はただひたすら悔やむしかなかった。
 だがここで放心していても事態は動かない。茶々は大蔵卿局親子を呼んだ。
 「北政所さまに文を書きます。大野、すぐに届けなさい」

 その夜のうちに秀次は捕らえられ、高野山に蟄居を命じられた。

 「殿下!孫七郎(秀次)が何をしたというのです」
 伏見城に駆け込んできた北政所は、周りの者が思わず一歩引き下がるほどの勢いで秀吉に抗議した。そこには官位を授かったことで馬廻衆として京に戻った源次郎の姿もある。
 「何じゃ、寧々はあいつの肩を持つのか」
 畳にもずいずいと上がっていく糟糠の妻の勢いに押されて脇息からずり落ちた秀吉は、それでも弱った腕でどうにか体を支えて妻と向かい合う。
 「あんなに殿下を慕っていた子が殿下を裏切るなどあり得ないでしょう?よく考えて御覧なさい」
 「人は力を持つと変わるものじゃ。あいつは儂の信を裏切り顔に泥を塗りおった。処罰は当然であろう」
 「あの子は本当に心優しい子、殿下の後見のもとで拾丸が関白になるべきだと自ら身を引いたとは思わないのですか」
 「それは……」
 「一ノ台のことも直接確かめて参りました。あの者は今、死の床についております。ですが殿下が何のお見舞いも遣わせないことを不憫に思った孫七郎が、一ノ台の家臣に見舞いの品を取りに来させただけですわ。しかも品は殿下からのものだと嘘をついてまで」
 あなたが放っておいた事の決まりをあの子がつけていたのです。北政所は畳を掌で何度も叩きながら太閤に詰め寄る。太閤相手にこのような真似が出来るのは天下でただ一人しかいない。
 「畏れながら殿下」
 石田三成が口を挟んだ。
 「北政所さまが仰った事はすべて事実でございます。刑部少輔と私で裏付けを取りました」
 秀次には謀反や密通といった罪は見当たらない。石田はきっぱりと言い切る。
 太閤の命令として秀次を捕らえたが、事実関係が認められなければ裁くことはできない。
そのあたりは石田の徹底した清廉さが為せる業であった。他の者ならば、太閤の…後々の自分の立場を慮って嫌疑を確定させてしまうだろう。
 「佐吉!貴様、この儂に恥をかかせるつもりか」
 「今でしたら何もなかった事に出来ましょう。秀次さまはご自分の意思で出家なさった、それだけで収まります」
 「うむむ……」
 「殿下、間違いはいずれ世の知るところとなります。その上で孫七郎を処罰すれば大名たちの心は殿下から離れていくばかりですわ。殿下がここに居るのも、些細な失敗や無礼を働いても笑って許してくださった信長公のおかげではありませぬか?ここは騒ぎが大きくなる前に間違いを認めて、後は佐吉や紀之助に任せるべきでしょう。ね?」
 「……」
 三成や大谷が北政所に御意との目配せをした。そして秀吉はついに観念する。
 「……追って沙汰を申し渡す。それまでは高野山に監禁しておれ」
 すぐには折れずに強がることが、秀吉にできる最大限の譲歩であった。


 秀次は関白職を解かれ、高野山にて出家という事で収まるだろうと大坂や京の誰もが楽観し始めた半月後。
 事態は急変した。
 蟄居先の寺にて、秀次が自害したのである。

 秀吉が沙汰を言い渡すまでに時間がかかりすぎたのである。その間、一日じゅう禅を組んでばかりだった秀次の心は穏やかになるどころか今後への不安や秀吉に対する恐怖に支配されてしまったのだ。
 それだけ秀次は優しく繊細であった。恐怖に耐えきれなくなり、ついに死へと逃れる道を選ぶくらいに。

 秀吉が『木下藤吉郎』のままであったのなら。この世でたった一人しかなれない天下人の座に就かなかったら。
 きっと秀次も尾張のどこかで畑を耕し、秀吉や北政所ともありふれた家族の関係で居られただろう。
 権力の座よりも平凡な幸せ。秀次が願っていたのはそちらの方であったかもしれない。
 一族のたった一人が権力を望んでしまったがために人生の殆どを翻弄された挙句の最期。
秀次の生は一体何のためにあったのだろうかと問われて『豊臣を終焉に向かわせるためだ』と答えられるのは、後の世にて歴史を俯瞰する者のみである。


「秀次さまの追捕、大儀であったな」
 一連の事件の衝撃がまだ残る京都。秀次の監視役として高野山に出向いていた源三郎が憔悴した顔をして真田家に戻って来た。
 「茶を点てたいと所望され、我々が支度をしていたわずかな間の出来事でした」
 あれほど哀れな最期もない。源三郎は久方ぶりの酒にも酔えぬ様子だった。
 「しかし太閤も随分と耄碌したようであるな。此度の行いには誰もが辟易しておる」
 「石田さまや大谷さま、北政所さまが粘り強く説得しておられました故、お命は助けられると思われていたのですが……」
 源次郎の言葉に、源三郎も「我らもそのように申し上げ、とにかく堪えるよう説得申し上げていたのだが」とため息をつく。
 「人は戦や病だけでなく、恐怖でも死んでしまうのだと思い知らされた……おいたわしや」
 「まるで織田信長公の時代に戻ったようですね」
 「そうであるな。権力者というものは、かくも歴史から学ばぬものなのか……この有様では、天下はまた荒れるぞ」
 もっとも、明智光秀は必要ないだろうが。昌幸は伏見城の方を見て思慮を巡らせていた。
 「まさか、父上は殿下のお命がもう長くないとお考えなのですか?」
「わしの祖父上がああいう老い方をしたのだ。命があっても、政務どころか己の身の回りの世話すら出来なくなって死んでいく。今の太閤の状態だと……あと五年のうちには必ず」
 太閤がどのようなよすがを持とうと、天命の前には何の意味もない。
 この二、三年に日ノ本の各地で大きな地揺れが続き、太閤が着手していた大仏建立が頓挫してしまっているのは、果たして偶然なのだろうか。


 北政所の説得により一旦は赦す方向に傾いていた秀吉の心は、秀次の突然の自害によって完全に壊れてしまった。
 世は秀次を哀れみ、秀吉が拾丸を関白にするために秀次を謀殺したのだという噂があっという間に家臣や民の間に広まったのだ。
 このままでは人心がどんどん離れていってしまう。
 慈悲ではなく鉄槌をもってその死に報いなければ体制を維持することはできない。それは秀次自身が蒔いた種である。
焦りと怒りで我を見失ってしまった秀吉の行動は速かった。

 秀次の自刃から半月後、京の三条河原において秀次ゆかりの者全員が斬首された。妻子は勿論のこと直属の家臣や小姓、仕えていた女中に至るまで総勢四十名近くという異例なまでの数である。秀次の血筋は根絶やしにされた。
 その中には、秀次に乞われて側室になるため上洛したばかりで秀次とは顔を合わせた事すらない十五歳の幼き姫の姿もあった。最上義光の娘にして伊達政宗の叔母にあたる駒姫である。
 伊達政宗は、領地争いや国元の治世においては最上義光とは相容れなかったが、流石に駒姫の件は理不尽すぎるとして太閤に抗議した。しかし「秀次の手がついていないことが証明できぬ以上は連座させるべき」とする秀吉に一蹴されてしまった。
 のみならず、伊達や最上は豊臣に叛意があるのか、ならば奥州を討伐するぞとまで詰め寄られたのだが、それは同席した徳川家康の取り成しによってどうにか免れている。
 惨たらしい事件に民は、直接手を下した武士は勿論のこと事情を詳しく知る大大名の多くは秀吉のやり方に織田信長のそれを重ね、恐怖し、良心の疼きを感じ、また危機感を覚えた。
民は、自分達の代表として天下人になった筈の秀吉は完全に死んでしまった、伏見城に居るのはただの鬼だと噂しあった。
疑心暗鬼は負の循環を招き、天下という太い柱から人心という大切な表皮を薄く、だが確実に剥ぎ取っていく。この事件を機に、一見すると分からないほど少しずつではあるが『人たらし』秀吉から人々の心が離れ始めていったのだ。

 豊臣の家督を継げるのが拾丸しかいなくなり、拾丸を天下に据えるという意味では、茶々の願いは叶えられたといえる。しかしそれは茶々にとっても何とも後味の悪い…嫌悪しか覚えないほどの結末であった。いや、これが武士の世界の必定であるのなら、自分の認識がいかに甘かったことか。
権力の座とは、かくも座り心地が悪いものなのか。
事の顛末を伝え聞くだけの伏見城で、茶々は大蔵卿局にぽつりともらしたのだった。

 妻子の処刑だけでは癇癪が収まらなかった太閤は、続いて聚楽第の破壊を命じた。自らの権勢の象徴として作り上げたものにもかかわらず、すでに秀次に譲ってしまった建物である。血筋の次は痕跡を消し去り、秀次は最初からこの世に存在しなかったものにしてしまおうというのだ。
 黄金の館は、瞬く間にまっさらな土地になってしまった。日々の取り壊しで生じる残骸は、一晩も置いておけば民が綺麗に持って行ってしまう。
 『信長公の二の轍は踏むまい』若かりし頃の秀吉が何よりも肝に銘じてきた心得はすでに影も形もない。感情のまま無茶苦茶で強引な施政を執る秀吉は、もはや暴君でしかなかった。
 聚楽第が破壊されると、今度は秀次のような謀反人を出した忌々しい元号も変えてしまおうと朝廷に打診したが、さすがにそれは朝廷によって却下されている。太閤の威光は、朝廷においても失墜していたのだ。
 それでも昌幸の読みどおり太閤が謀反や暗殺を免れたのは、すでに放っておいても余命は長くないと見なされていたからである。むしろ生きてもらっていた方が、大名たちにとって『その後』のために今から様々な根回しを始める時間が出来る。
 それは茶々も同じであった。
 太閤の冠が外れた後の拾丸の安泰を、どうやって得るか。前年の秀次事件は茶々の心にも大きな影を落としたが、黙っていれば拾丸は秀吉の時代が終わった後に天下から引きずり下ろされるだろう。座り心地が悪い天下でも、子を守るためであれば固守しておかなければならないのだ。
 太閤は五人の大老と六名の奉行に共同して拾丸の後見にあたるよう命じて…もはやそれは懇願となっていたが…、野心を持つ者は必ず出るであろう。
 拾丸が元服し、天下人としての器を身に着けるまでは、誰の傀儡にもならぬよう自らが舵を取って天下を動かさなければならない。
 肚を決めた茶々は歴史を書物にしたためたいという名目でたびたび講師を呼んでは戦国の歴史を遡り、各国の勢力変遷から歴史的背景、現代の人間関係に至るまでを頭に叩き込んだ。

 同年、秀吉は拾丸を強引に元服させると『秀頼』の名を与えた。


【文禄五年(慶長元年)・伏見】

 翌、文禄五年…慶長元年の長月。
文禄の役における戦後交渉の詰めとして、明国から提示した講和の条件を携えて訪れた沈惟敬が、小西行長の案内のもと大坂城にて秀吉に謁見した。自らの大陸における地位をいよいよ世界に知らしめる時が訪れたと信じて疑わない秀吉が上機嫌で次から次へと酒や肴を運ばせ手厚くもてなす中、沈惟敬はそれらには手をつけずただ秀吉の正面で空中の一点を見つめていた。
 しかし、意識が空中に向かっているのは秀吉も同じである。
 「使者どのと会うのは初めてじゃのう。名は?」
 「は?」
 既に何度か目通りしている筈…いちど会った者の顔と名は忘れないのが特技であった筈なのに。秀吉は沈惟敬のことをすっかり忘れていた。それが嫌がらせでない事は、小西を虎之助(加藤清正)と間違えているあたりから沈惟敬も察していたので聞き流す。
 「まあよい。一献あてよ」
 「は……」
 とうに酔いが回り、膳の上の貴重な海産物を一口ずつ食い散らかした秀吉が何度か勧めたが、使者は緊張に強張った顔のまま酒にも料理にも手をつけない。
 「どうした。わしのもてなしを断るのは、日の本では罪になるぞ?」
 秀吉の中では、すでに明国は属国扱いなのだ。それを承知しているのも、使者の緊張に拍車をかけているのだろう。何度かそのようなやり取りを繰り返した後、とうとう使者は申し出た。
 「太閤さま。せっかくのご厚意ですが、わたくしの使命を果たすまでは喉を通りませぬ」
 「ほほほ。何とまあ殊勝な使者どのであるなあ。では、先にかの国からの親書を読み上げるがよい」
 「ははーっ」
 沈惟敬は、ひれ伏した際に横目で小西行長とひそかに視線を交わした。小西の眼が促す。暴れ馬のように震える手と胸の鼓動をどうにか抑えながら、沈惟敬は親書を広げると静かに読み上げた。

 『日ノ本は、大陸からすべての兵を速やかに撤収させよ』
 『撤収後は、二度と大陸を侵すべからず』
 『明国は、日の本に対して一切の入貢を行わない』

 「なんと……正気であるか」
 条文をひとつ読み上げるごとに秀吉の顔から笑みが消え、しだいに扇を扇ぐ仕草も止まった。みるみるうちに変わっていく空気に、同席していた大名たちも静まり返る。
 この他にも、秀吉が出していた人質などの条件もことごとく拒絶されていたのだ。沈惟敬は『これが、わが国の王の勅書にござりまする』と主張して広げたままの親書を秀吉の側に控えていた石田三成に差し出した。たしかに明王の朱印がある。
 「そのような馬鹿げた話があるか。先に降伏した国がこちらに対して何の礼も尽くさないとは、どういう了見だ」
 秀吉は扇を放り投げ激怒した。それだけでは収まらず、椅子から転がり落ちたまま地団駄を踏み暴れ回る。馬廻衆が総出でなだめにかかったが、秀吉はそのうち一人の顔を部屋の端まで吹き飛ぶほど殴り飛ばした。
 癇癪を起した老人の腕力は、時として大の男のそれを上回る。
 宴席に並べられた膳はすべて蹴られてひっくり返り、御簾も屏風も倒され破られた。愛用の酒器も、庭に放り投げられ大破している。席にいた者はみな蜘蛛の子を散らすように離れ去り、ただ一人残された秀吉は憐れにも肩で大きく息をつくしかなかった。
ただ一つだけ運が良かったのは、宴席という事もあってその場に太刀がなかったことである。もし秀吉が刀を手にしていたら、その場にいた全員が斬り殺されていただろう。
 「なぜじゃ……なぜ儂に屈服しない……」
 「殿下……」
 騒ぎを聞きつけて駆けつけた茶々は、馬廻衆が北政所を呼びに行っている間、廊下で一部始終を見守っていた。
 豪奢な大広間に、たった一人でたたずむ天下人。
 遠巻きに様子を伺っている家臣達の中に狼藉を諌める者はなく、かといって同調して次の策を進言する者もない。
 栄華もすでに表面を取り繕うだけの薄衣になり果ててしまったか。茶々は冷静に秀吉の現状を見定めた。広間でたった一人茫然としている姿こそ、今の秀吉が置かれた立場なのだと。
 凋落というのは、河に現れる渦のようにいつの間にか人の足を引っ張っているのだ。まるで気づかないうちに底へと引きずり込み、巻き込まれたら二度と浮上はできない。
 茶々の眼に映る景色は混沌そのものであった。

 一方、使者としての役目を果たした沈惟敬は、そのまま肥前に渡ってさっさと日ノ本を脱出した。その手際の良さも、小西行長との打ち合わせ通りであった。
 これこそが、文禄の役における小西行長と沈惟敬の策であったのだ。文禄二年の夏、秀吉と明国国王それぞれが自国の勝利だと思い込んだ事によって休戦状態になっている間、両国間にひとまずの猶予が与えられていたのだ。
 しかし、そこからが本当の難関であった。
 完全に戦を終結させるための講和交渉は難航を極めた。秀吉と明王、それぞれが自らの主張を絶対に緩めようとしなかったからである。
 秀吉からの講和の条件を示した親書を床に叩きつけて以来、明王は秀吉に対する嫌悪をさらに強くしていた。降伏の報を聞いただけでは満足せず、二度と大陸の地を踏ませまい、のみならず今度はこちらから日の本を蹂躙して屈服させようとまで気が荒ぶっていたのである。
 そこをどうにか抑えようと沈惟敬は奔走したのだが、実際に王に戦略を授ける軍師は味方につけられたものの多数の官吏にまで根回しをしきれるものではない。年数をかけて王の心を落ち着かせながら引き出した答えとして
 「日の本の権力者は、いまだ敗北を認めるに至っておらず。ここは断交も辞さず引導を渡して捨て置くべし。相手の意向など聞くに値しない」
 これが限界であった。王が下した決断は、日の本のように朝廷と幕府が並行して存在する訳ではない明国においては絶対である。そうして、大坂での謁見に至ったのだった。
 講和の交渉がまったく意に沿わない結果に終わり不貞腐れた秀吉は、その責が自分の無謀な行いによる報いだなどとは全く考えていない。
 すべて大陸側が、異国の民が悪いのだ。

 折悪しく、土佐国の海岸に西班牙(スペイン)の船が漂着した。乗組員は拘束され、珍しい渡来品や黄金といった大量の積荷は没収された上で全て秀吉のもとに届けられたことで秀吉の機嫌も直るかと、検分に赴いた豊臣家奉行・増田長盛は胸をなでおろしたのだが。
 漂着の仔細を説明するべく大坂へ連行された西班牙人の水先案内人は、存外にも日ノ本にキリシタンが多いことに感心した。
 しかし彼らが信ずるキリスト教が、案内人の母国が支持するイエズス会と布教を巡って張り合っているフランシスコ会のものであったと知った時、彼はつい口を滑らせてしまったのだ。
 「フランシスコ会の者は、敵国を侵略する際はまず宣教師を送り込んで信者を増やし、彼らに内応させて国を奪う」
 ……そういう事がかつて他国であったと彼は言いたかったのだが、調略も立派な戦術とされる日ノ本では由々しき発言である。
 奉行はみな色めき立ち、各地のキリシタン達…特にキリシタン大名に不穏な動きがないかをすぐさま調査した。
 だがその結果が出る前に発言が秀吉の耳に入り、ただでさえ明国の件で異国に敵対心を募らせていた秀吉は怒り心頭に達した。
 「京と大坂にてキリシタンを見つけ出し処刑せよ」
 命令はすぐさま実行に移され、二十六名のキリシタンが長崎で磔にされた。長崎を通じて日ノ本に出入りする貿易船からよく見えるように晒された殉教者の骸を見た乗組員たちはみな「正気の沙汰ではない」「日ノ本の皇帝は我らの神を敵に回した」と憤りを隠せなかったが、国内に留まるキリシタン達にとっては充分すぎる程の見せしめとなった。
 だが、試練あってこそ結束を強めるのが弱き者の常である。生き永らえたキリシタン達は、その後も各地で地に伏せるように信仰を深めていくことになる。

キリシタンを処刑した怒りも冷めやらぬ秀吉に対する仕打ちは、まだ続く。
今度は、朝廷が改元を行うと唐突に知らせてきた。
 「昨年、儂が改元を願い出た際にはあっさり却下しおったのに……公家どもは儂を虚仮にするか」
 説明では、文禄年間に日ノ本各地で地揺れや山の噴火といった天変地異が相次いだため、古来からのしきたりと陰陽道に基づいての改元だとされていた。その真偽はともかく、秀吉が積み重ねていた猜疑心はもはや誰にも拭えない。
 日ノ本が、いや豊臣体制が…自分自身が完全になめられていると確信した秀吉は、大陸への再上陸を決定した。
 まだ自分には日ノ本じゅうの大軍を動かせる力があるのだと誇示しなければ、自らの矜持まで崩れ去りそうで…自分の存在そのものを否定されそうで不安だったのだ。
 秀吉の自尊心を満たすのは、財宝に囲まれた城と自分に逆らわない…逆らえない家臣によって城に集められた兵の数のみ。
 それが空虚なものであると誰より解っていたのは、他ならぬ秀吉自身であったのだろうか。


 翌慶長二年、講和の使者を迎えてからわずか四月後には日ノ本から十四万の大軍が結成され、大陸に再上陸した。
 和睦に奔走した沈惟敬の望みは、ついに叶うことはなかった。豊臣軍の再上陸を聞き及んだ明王は、先の撤退劇が沈惟敬の欺瞞であったことを知って激昂し、彼を衆目の前で斬首した。
小西行長は、敵でありながらともに和平の道を模索し続けた盟友の死を聞き、ひどく嘆き悲しんだという。

 此度の戦にて総大将を務めるのは、若干十五歳の小早川秀秋……かつての「金吾中納言」である。
 秀次が自死したことを受けて、秀吉は秀次と仲が良く、拾丸以外で唯一関白になり得る存在である金吾も連座して粛清させようとした。
 しかし、大坂城の家老職にある毛利の家系という家柄に救われたのである。ここで金吾を断罪してしまえば、西日本の大名たちに影響力を持つ毛利家と豊臣家との軋轢を招いてしまうと前田利家ら大老の説得が功を奏したのだ。
が、それで金吾が生きながらえたと思うのは早計であった。正面切っての粛清が出来ないのであれば、他者に死を与えさせるのみ。
 大陸への再出兵決定は、まさにうってつけの機会であった。明国も日ノ本に対する敵意が最高潮に達している今、前回以上の激戦は避けられない。そのような大戦の総大将という名誉を金吾に与えることで、果敢なる討ち死にを果たしてくれれば秀吉にとって一挙両得である。
 老いて判断力が衰えたとはいえ、そういう思惑だけは素早く回せるのが老獪であり、口さがない者に『老害』と陰口をたたかれる所以であった。

 「叔母上、行ってまいります」
 出陣の前日。金吾…小早川秀秋は、今生の別れを覚悟して北政所の屋敷を訪ねた。
 「……兄様と一緒に植えた柿の木は、随分と大きくなりましたね」
 庭に植えられた柿の木を、金吾は感慨深く見つめる。
 「金吾も孫七郎も干し柿が大好きだったから、いつでも食べてもらえるようにと植えたのよね……桃栗三年、柿八年と言うとおりだとしたら、そろそろ実をつける頃合いかしら」
 「柿を植えた頃は、叔母上が干し柿をこしらえてくださる日を兄様と心待ちにしていたものです。ですが、どうやらそれは叶わぬものとなりそうで……」
 金吾が兄と慕った秀次は死に、その名は太閤の前では禁忌とされている。その禁忌の列に、遠からず自分の名も加わるのだろう。自分は、もはや『要らない』者なのだ。
 理不尽な運命への恨みや無念より、今は絶望と恐怖の感情が金吾を支配していた。今こうして穏やかな景色を眺めている眼も、自由に動く体も、過去を懐かしむ心も、すべて見知らぬ地にうち捨てられるのかと思うと震えが止まらない。
 「金吾や。あなたがこの戦で命を落とす道理はありませぬ。必ず無事に戻りなさいね」
 「……はい」
 精一杯の心をこめた言葉をくれる叔母を心配させまいと笑顔を作ってみたが、どうやっても自嘲的なものになってしまう。
 それを解っている北政所は、つとめて明るい顔で奥に声をかけた。
 「千世。金吾に渡すものがあるのでしょう?いらっしゃい」
 「千世どの?」
 北政所に呼ばれて現れた千世は、控えの間でいったん手をついて部屋に入ると、金吾の前でもう一度頭を下げた。
 「こちらを……」
 照柿のように輝く美しき少女へ成長した千世は、顔を赤らめながらおずおずと金吾に両手を差し出した。
 「どうかご武運を」
 千世が差し出したのは、自らの着物の端切れで作った守り袋であった。見れば、千世は両目いっぱいに涙をためながらも笑顔を作っている。
 持ち上げるだけ持ち上げられた挙句に捨てられた絶望の中でも、まだ自分を思ってくれる者がいる。それは、かくも眩しく温かいものだろうか。
 「……ありがとう」
 金吾の眼に涙が浮かんだ。北政所は千世を下がらせると、金吾の気持ちが済むまでそのまま見守るのであった。


 しかし、金吾が大陸へ渡ってからわずか三か月後。

 「殿下は金吾中納言に帰国を命じられた」

 大坂の城下、久々に訪れた友の屋敷で、石田三成は杯を片手にしながら大谷吉継に打ち明けた。
 此度の戦では、秀吉は伏見城に留まっていた。激務が秀吉の老いた体から体力を奪っていたのである。秀吉は名護屋へ渡ると言い張っていたが、大坂城へ移動する輿にすら乗っていられずに途中で伏見へ引き返した現実を突きつけられてついに観念したのだった。
 ゆえに源次郎が属する馬廻衆をはじめ政務にある者もほとんどが畿内に留まったまま、海の向こうで戦が繰り広げられている事などまるで想像できないほど静かに時間が流れていた。
 だが、戦況は日々こと細かに伝えられている。
 「金吾中納言は、大陸へ渡る際の海戦で敵の水軍を壊滅させる見事な采配を見せたというではないか。上陸してからも最前線で首級を挙げていると聞いておるが」
 「その活躍が、殿下のお気に召さないらしい」
 「……なるほど」
 「これまで中納言が武に長けたという話は伝わってこなかった故、虎之助の窮地すら救ってしまう捨て身の活躍など誰も予想できなかった」
 「小早川家は毛利元就が編み出した水陸それぞれの用兵術を受け継いでいる。中納言も養家で学んでおられたのだろう。それに、失うものが何もない者は想定外の力を発揮するものだ」
 「まことその通りだ。しかしここで帰国させては『殿下は中納言の戦死を待っていた』という民の噂を裏付けてしまうというのに……」
 石田は徳利を傾けてもう一杯酒を呷った。
 「……かわりに、左近衛(福島正則)どのと私が大陸に渡る。虎之助に先陣を任せ、早急に半島を制圧せよと仰せだ」
 「ほう」
 栄誉を加藤清正に取らせることで、金吾の活躍を薄めようという魂胆か。大谷の眼に映る盟友の姿は不憫であった。
 「……大谷。この出兵のどこに大義があるのだろうか」
 酔いが回る程呑んではいない石田が、ふいに漏らした。
 「どうした、石田」
 石田の真面目な性分と豊臣に対する忠義は誰もが疑うことなく、例えば秀吉がほんの戯れにでも腹を切れと言えば石田は本当にそうしてしまうだろうと誰もが囁く程である。それだけに、石田の迷いは意外であった。
 「小西がどうにか戦を終わらせようと奔走していたのは知っている。しかし、私はそれを太閤殿下に上申しなかった」
 「各地の大名が、ひそかに交渉成立に期待をしていたあの件か」
 その通りだ、と石田は肯定した。
 「無論、私は殿下を尊敬申し上げておるし、忠誠の誓いも破るつもりはない。だが、日の本のためを考えると……私が本当に為すべきことは、殿下が仰せになる通りの働きをすることなのか、それとも他にあるのか分からなくなる時があるのだ。私の心から忠義が消えてしまったのではないかと不安になる」
 「石田よ」
 なるほど、と大谷は納得した。目の前の盟友は、戦いの背景のすべてを知る立場にあるが故、迷っているのだ。己の良心と国の実情、そして何より兵となる者達の疲弊を照らし合わせても、大陸での戦いに大義を見いだせないのだろう。
 「それが、もっとも良心的な考えであろうな」
 「そうであろうか?」
 「大義のない戦だから虚しく感じられるのだ。勝つ事が殿下の目的になり果てているのは誰の眼にも明らかであるが、殿下以外の者は端から戦など望んではおらぬ。戦の後に日の本の栄光を見ているのは殿下のみだ……それになあ、石田」
 病が進行しているのか、大谷は痩せた体を重たそうに持ち上げて包帯が巻かれた胡坐の足を入れ替えた。顔の左半分には火傷のような痣が広がっており、それに伴って左眼も半分塞がってしまっている。
 望んでなった訳ではないと分かっていても、やはり異形ともいえる容貌に驚いて後ずさってしまう者が少なくないので城内では頭巾で顔を覆っているが、石田はそんな盟友の素顔を、眼を直視できる数少ない者である。石田の眼には、大谷が不穏なことを口走る時のように緊張していると映った。
 「たとえ大陸を制したとしても、太閤がそれを見ることはないやもしれぬぞ?」
 「大谷、それはどういう……」
 「私はこのような体ゆえ、弱った心のまま八卦というものに一時傾倒してしまってな……今も暇潰し程度にたしなむのだが、先日ふと好奇心から太閤の先を占ってしまった」
 「殿下の?」
 どうであった、と身を乗り出した石田に、大谷は首を横に振ってみせる。
 「それが、どれだけ目を凝らしても先が闇に包まれていて見えなかったのだ。あれが黄泉というものだとしたら……まさに『無常』という言葉が当てはまる、何もない世界であるな」
 「まさか、殿下が?」
 「八卦というのは、もともと近い将来を視るもの。が、今回はそれゆえ私も気にかかっていた」
 「……近いうちに、ということか」
 「そのような怖い顔をするな。素人の八卦ゆえ、あまり本気にされては困る」
 「いや……」
 時折見られる太閤の豹変乱心ぶりに触れていれば、今更驚くことでもない。
 では、そう遠くない『その日』までどうにか持ちこたえれば、大義が見えない戦いも自然と終わりを迎えるだろう。主の死を望むのは不謹慎であったが、石田の中にある良心に一筋の希望が見えたのも確かであった。
 「とりあえず、私は命じられたように戦の支度をしなければならぬ。必要なら、日の本にこれ以上の犠牲を出さぬため大陸に渡ろう。だが……その後のことも考えねばならないな」
 「どのように」
 石田は酒を二杯呷る間に考えをまとめると、紙と硯を所望した。そして覚書として己の考えを書き出す。
 「まず、上杉景勝どのに会津へ入ってもらう」
 「そこから入るか」
 「奥州の伊達は殿下に取り入りってはおるが、内心では殿下を小馬鹿にしている。殿下にもしもの事があれば、徳川と組んで東日本を巨大な軍としてまとめ上げる可能性が高い。牽制させるためにも上杉どのの力が必要だ」
 「しかし、理由は如何に」
 「会津を知行していた蒲生氏郷が死んだ際、子の秀行は石高を過少申告して遺領を相続した。日ノ本すべての検地を記した台帳と比べても、あの土地であの石高はあり得ない。殿下を謀ったとして減封させる」
 移封の理由としては充分だ。これまでも眼をつけた不心得者には容赦なく減封または召し上げを行ってきた石田にとっては造作もない。
 「夏のうちに国替えを行い、今年の獲れ高は上杉のものとして申告してもらう。伊達は米沢の北・岩出山に加増移封し、越後・会津・米沢を上杉どのの知行とすれば百二十万石にはなる筈だ」
 「しかし、殿下をどう説得するつもりだ」
 国替えというのは絵合わせのように単純なものではない。そこを治める者の思惑が常について回り、ときに禍根を招くのだ。それを知らぬ三成ではないのだが。
 「そこは徳川どのに一役買っていただこう。殿下が東北諸大名の動向を憂いているゆえ監視の任を担うという名分さえあれば、徳川どのが説得してくださるであろう」
 秀吉が老いた今、既に「その後」を見据えている家康は畿内から出たがらないのだ。ゆえに関東からさらに遠い土地の知行を任せたいと打診しても乗って来ないだろう。人手不足など適当な理由をつけて固辞することは目に見えている。
 そこを突いて、家康から太閤に国替えについての口添えをしてもらおうというのだ。知行は上杉であり、徳川がその案件に賛成しているとなれば、他の大老や奉行からも異論は出まい。
 「流石だな、三成。ひとつの大仕事を命じられてもなお先を読んで動けるとは」
 しかも的確だ。知識量では既に竹中半兵衛を超えたとも評される大谷刑部も唸ってしまう鮮やかさである。
 「私が大陸に渡るのは、それら根回しを行ってからになるな。殿下には兵と馬を整える支度に手間取っていると偽らねばならぬか」

 かくして、石田の思惑どおりに国替えは実行された。上杉景勝は越後から会津一帯を知行し、直江兼続が米沢城主に着任した。
 しかし、平穏を望むという目的で行ったこの国替えは、石田の思惑とは逆に数年後に大きな動乱を引き起こすこととなる。


 大谷の八卦が的中したのかどうかはともかくとして。
 結果として、秀吉が命じた石田三成と福島正則の大陸への派遣が実現することはなかった。
 慶長三年、自らの肝いりで再建させた醍醐寺において秀頼や妻たちと桜を愛でた直後から秀吉は床につき、樹が枯れていくように気力・体力ともにどんどん衰えていったのである。
 あらゆる妙薬……拾丸が誕生した際に全国から集めたものを自分のために使ってしまうのは何の因果であろう。
 だが薬石の功なきまま弱った体は暑い夏を越すことができず、立秋を過ぎて間もない葉月十八日。伏見城にて豊臣秀吉は波乱の生涯を静かに閉じた。
 享年六十二歳。
 天照大神が坐する日ノ本を自力で牽引してきた男も、黄泉津大神の前ではまるで無力であった。
 太閤が死去したことを受けて会談を設けた五大老の全員一致をもって大陸への出兵はただちに取りやめとなり、秀吉の死を伏せたままで兵の全員帰国が命じられた。
 石田三成が言うところの『義』なき大陸出兵は、うやむやのうちに集結したのだ。

 浪速のことも夢のまた夢。

 分不相応に抱いた夢を次々と実現してきた秀吉が最期に抱いた夢は、いかな強運の持ち主といえども究極の分不相応であったと言わざるを得ない。大きすぎる夢は夢のまま、秀吉の手に入ることはなかった。
 露と消えゆく秀吉が最期に抱いた望みは、大陸の帝ではなく、我が子秀頼の行く末であったという。

 同時に、秀吉の死は。
 茶々にとって、そして息をひそめていた各国の大名にとって、新たなる戦いの始まりを告げる号砲であった。
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