第38話 さだめなき浮世にて

文字数 8,813文字

- 上田 -

 昌幸が築いた城の名残は欠片もないが、信之の手によって新たな城を造るべく整備されつつある上田城。
 幼子を連れた女はその威容を懐かしく見やった後、まだ日陰に残雪が残る上田藩主居館の門をくぐった。
 「殿さま。お久しゅうございまする」
 屋敷の縁側にて父の従妹にあたる侍女と旧交を温めていた女は、現れた主に深々と頭を下げた。
 「おお、楓ではないか」
 上田城の主、真田伊豆守信之…源三郎は懐かしそうに上座に就くと、厚手の夜着を肩から羽織り直す。一族の気安さから、侍女がそっとその襟元を直していた。
 「大坂は大変な事になっておるが……戦となる前に戻って来られて何よりだ」
 「実は、左衛門佐さまよりお暇を賜りました」
 「暇、か……」
 なるほど、と源三郎は顎髭をしゃくる。その仕草がどことなく昌幸に似て来ていることを、おそらく本人は自覚していないだろう。
 「左衛門佐さまは、まず若殿さま(信吉)の陣へ行くよう申されまして……そちらから、小山田さまのお計らいで上田への伝令役のご一行に加えていただきました」
 「内記は?」
 「わたくしと共に暇を出されたのですが、牢人となってでも大坂に残り戦うと頑なに拒みまして……左衛門佐さまがお暇を取り下げてくださいました。ですが、わたくしには高梨の家と信濃国衆の血をひく子を上田で育てて欲しいと…血筋を途絶えさせるなと申して送り出してくれました」
 「なるほど、内記らしい。その童がそなたの子であるか」
 幼いながらに物事の分別がつく年頃に育った子は、母の真似をしてちょこんと正座している。眉から目元にかけてが内記によく似ている男子であった。
 「わかった。そなた達の身の安全は私が責任を持って保証しよう。ほとぼりが冷めるまで、信綱公の菩提寺あたりにて暮らすと良い……頼めるか」
 先ほどの侍女は「勿論でございます」と請け負った。
 「わたくしのお里です、ご安心ください。二度の上田合戦でも徳川の者が攻めて来ることはありませんでしたし、郷に暮らすのは父と親交を深めていらした内記さまを親しく思う人々ばかりでございます。きっと、お子と一緒に静かに暮らせることでしょう」
 楓は「感謝いたします」と平伏した。
 「それから、左衛門佐さまよりこちらをお預かりして参りました」
 楓が大切そうに桐の箱と文を差し出す。箱の形と楓の帰郷から中身を察した源三郎の気配を察し、楓と侍女は黙って退がる。
 一人になった源三郎は、胸を伝わる厭な鼓動を鎮めるよう大きく息をついてから封を解いた。
 「……」
 案の定、というべきであろうか。
 箱に納められていたのは、絹布に包まれた『一翁閑雪』の位牌。
 「源次郎よ……」
 文を紐解けば、そこには乱れた文字に映し出された源次郎の心情が綴られていた。
 配流されていた九度山へ援助の手を差し伸べてくれた事に対する感謝の意と、その恩を返すどころか敵対することを承知で大坂に参陣した……どうしても豊臣を見捨てることができなかったことを詫びる旨。
 楓に託した父の位牌を上田にて祀ってほしい旨。
 養女にしたすえが信濃にて『徳川に楯突く左衛門佐の子』として肩身の狭い思いをしていないかを案じ、どうか面倒をみてやってほしい旨。
 姉の村松には、戦流れによっては夫である小山田茂誠と戦わなければならぬことに対する謝罪。
 そして。

 『さだめなき浮世にて候へ者 一日先は知れず
 我々事などは、浮世にあるものと思し召し候まじく候』

 ……明日のこともどうなるか分からぬこの身でございます。自分の事は、もうこの世に居ないものと思ってください。

 「……だんなさま?」
 最後に記された文言を読んでから、信之はどのくらい放心していたのだろう。
 気がつけば部屋には灯りが入れられ、目の前では稲が心配そうに自分の名を呼んでいた。
 「またどこかお加減が宜しくないのですか?夕餉は粥にいたしましょうか」
 「いや……」
 しばし思案を巡らせていた源三郎は、考えをまとめるように文机に向かって紙を広げた。
 「稲。本多美濃守どのに『渡り』をつけてくれるか。それから三十郎をここに」
 「かしこまりました」

- 京都 -

 堅牢な門を屈強な兵が日夜守り、夜通し松明の明かりが絶えることのない二条城にも、人目を憚る通用門がある。
 敢えて薄暗く警護を手薄にしているその門は、このところ毎夜のように誰かしらの出入りで扉を軋ませていた。墨染めの僧侶、頭巾の武士など様々な者が入れ替わり立ち替わり門の奥に消えていく。
 その日も竹田頭巾で顔を隠した男が二人、こっそりと門をくぐった。

 「摂津からの進軍を推し進めてもよろしいかと」
 阿茶局に薬湯を淹れさせている家康を前に、織田有楽斎が進言した。
 「裏の裏は表とも申します。豊臣は摂津にて徳川軍を待ち伏せすると話していたが、それが罠であろうことは大坂城を追放された我が身を見れば明らかでありましょう。徳川軍は裏をかいて大和から大回りすると読み、生駒山の南端に主力を置いて待ち受けているに違いありませぬ。敢えて大坂城に近い摂津から攻め入れば混乱は必至かと」
 「……」
 「いや、我々が裏をかくことまで想定しておれば、やはり当初の決定どおりに摂津の守りを固めておりましょう。やはり大和と摂津の国境にある生駒山を盾にしながら進軍し、大和から回り込んだ方が」
 こちらは織田信雄である。着の身着のまま大坂城を出た有楽斎は、京都にて信雄の世話になっていた。
 「私を大坂城から追い出した時点で貴奴らの肚は決まっていた筈、私が偽の情報を持って大御所さまの元へ赴くと知っての事でありましょう」
 「……そなた達の混乱も、儂を翻弄した真田の策よ。敵の術中を深読みするもまた戦であることを心得ておる。まったく、どこまでも食えぬ奴じゃ」
 薬湯を口に含んだ家康は苦々しい顔をする。薬湯の味なのか、それとも真田の策に対してなのか。
 「山の多い大和を進めば隊列は縦に長くなり、奇襲に弱くなってしまう。徳川本隊は大坂城との距離をぎりぎりまで開けつつ摂津を南下し、大坂城を目指す」
 「本隊、と申されますと」
 「我らの進軍と並行して生駒山の東、大和側からも兵を向かわせる。そちらは伊達陸奥守に任せよう」
 「兵力を二分させるおつもりでございますか?しかし陸奥守どのにお任せするのは……」
 家康の言葉を補ったのは、廊下に控えていた本多正信であった。家康同様、仙台藩主を完全に信用してはいないのだ。
 「案じるな。奴には越前の忠輝を同行させる。儂に功を見せたがっておる者が居れば、陸奥守も迂闊には動けまいて」
 本多忠政、松平忠明といった信のおける譜代衆も別働隊に加える念の押しように、有楽斎は「ほう」と膝を打つ。
 「見事な策にございますな」
 「秀忠め、珍しくまともな進言をして来おったわ。陸奥守の隊は良くも悪くも目立つ。大和を進めば大坂はそちらに注目し、主戦力を割くであろう。あるいは他の兵を大坂の守りに残し、真田が単独で迎え撃つやもしれぬ。忠輝と陸奥守が真田の隊と見えたとすれば激戦は必至。それはそれで僥倖ではないか」
 「なるほど」
 口先だけの感嘆の声。織田信雄も有楽斎も、家康の本心にはうすら寒いものを感じずにはいられない。
 加藤肥後守や浅野紀伊守、そして前年に死んだ加賀の前田利長。みな直前までは精力的に政務に勤しんでいたと言われる中で原因不明の急逝である。
 表向きは流行病だの心を病んだ末の自死だのとされていたが、死因にまつわる噂は絶えることがない。それらが、あながち外れてはいない事も含めて。
 豊臣に残って討たれるか、徳川に降って謀殺の危機に心を削りながら日々を生きながらえるか。
 臣従とは主に命を握られること。信長の時代からその原則は変わっていないのだが、家康の世になってからは生殺与奪がより巧妙となったものだ。
 天下泰平とは名ばかり、おそらくは秀頼を亡き者にした後も水面下で誰かが間引かれていくのだろう。
 幕府に楯突くとこうなるのだと、暗に知らしめる材料として。

 何をどう切り出せば良いのか分からぬ空気が場を支配していた中、本多正信の子、佐渡守正純が「大御所さま」と廊下を渡ってきた。
 「本多美濃守どのが大御所さまにお目通りを求めております」
 「平八郎か。わかった、参る」
 本多忠勝の子、忠政である。家康はしばし席を外し、一刻ほどして戻って来た。
 「噂をすれば何とやら。真田伊豆守は平八郎に泣きついたわ」
 口直しに淹れされた茶で口を湿らせ、家康は口の端に笑いを浮かべる。
 「伊豆守が……たしか、病で療養していると聞き及んでおりますが」
 「大坂には倅どもが参陣するが、まだ儂に目通りできる身分ではない。ゆえに平八郎なのであろう。伊豆守は自らの隠居を願い出、儂の許可さえあれば沼田以外の所領すべてを左衛門佐に譲り渡す用意があると申しておる」
 「真田の石高は十万ほどあった筈。それはまた大胆な」
 有楽斎と信雄が目を丸くする。
 「身を切る代わりに儂から再度調略してほしいとは、やはり肉親の情に篤い男よ」
 「大御所さまからの調略、でございますか」
 「それで左衛門佐が動いておったら苦労はせぬわ。とはいえ真田を無碍にも出来まい」
 冬の戦によって真田の名は再び影響力を取り戻しつつあるのだ。ここで信濃真田家が徳川に不信を持って豊臣に寝返るような事態にでもなれば、徳川の安泰を疑って同調する者がどのくらい出るか知れたものではない。
 万が一にも伊達や上杉、江戸に残して来た福島正則らと手を組むような事があれば厄介を通り越して恐怖となる。
 「佐渡守よ。隠岐守に今一度真田の調略を命じよ。上田の真田領に加え松本、飯田、川中島一帯、併せて四十万石じゃ」
 「四十万とは…また大胆な」
 「松本を治める小笠原信濃守は、かつて豊臣へと出奔した石川数正の腹心じゃ。領地召し上げの理由などいくらでも付けられよう。そのくらいで真田の怨霊から解き放たれるのであれば安いものじゃ」
 「ただちに」
 本多正純は旗本として参陣している真田隠岐守信尹を呼びつけるよう近習に命じる。正純の父・正信は家康の真意を確かめた。
 「大御所さま。左衛門佐はなかなかの頑固者でございますぞ。たとえ肉親の説得であろうと、いかに石高を積まれようとも調略に乗るとは思えませぬが」
 「調略したという事実があれば、それでよい」
 「心得ました」
 つまり、調略の成果など端から期待などしていないという事であろう。
 左衛門佐自らの意思で調略を断り豊臣に忠義を貫くことを示したという事実さえあれば、あとは徳川方が処断したところで伊豆守が不服を唱える筋合いではなくなるのだ。
 加えて。四十万石で調略を持ちかける程の価値がある者だと知らしめることで、戦が始まれば武功を逸る者がこぞって左衛門佐の首を獲りに群がるだろう。
 家康の思惑を読んでいたように…当たり前のように受け止める正信との阿吽の呼吸は、そのような立ち回りなど初めてではないと語っている。
 もしも調略に応じ打倒豊臣の功労者となり得たとしても、その後は。
 (やはり、恐ろしい御方だ……)
 織田の生き残り二名は、もう一度強張った顔を見合わせた。


 「源次郎は調略を拒んだ」
 信濃真田家の京屋敷。厨で矢沢三十郎や小山田茂誠と酒を汲み交わしていた真田信尹は、もう何度目かの苦い杯を呷った。
 「大坂城二の丸から茶臼山に住まいを移しておった時点で察しはついていたが、もはや源次郎の頭の中には打倒徳川の念しかない」
 「殿や信尹さまのお心をもってしても、源次郎さまのお気持ちは動かせませんでしたか……」
 「もはや信濃の治世と真田家の存続は源三郎が立派に果たしているのだから、今更自分が出ていく筋合いではないと申しておった。源三郎には『自分はもうこの世に居ないものと思ってくれ』という旨の文を送ったそうだ」
 「……」
 家康から調略の機が与えられたと聞いて一縷の希望を抱いていた三十郎と茂誠も落胆を隠せない。
 「これで、徳川と源次郎さまの衝突が避けられなくなりましたね」
 「もしかしたら我が軍と見えるやもしれぬ……我らが源次郎さまに槍を向けることなど出来るだろうか」
 「……そうなっても、源次郎は躊躇なく向かって来るぞ」
 信尹は断言した。
 「自らそうしたのか、成り行きでそうせざるを得なくなったのかなどを論じている時期は過ぎたのだ。豊臣方の事実上の総大将として、あいつは覚悟を決めておる」
 同時に信濃真田家の徳川への忠義も試される。信尹の言葉に家老二人は唾を飲み込んだ。
 「冬の戦では初陣という事もあって側方で傍観して居られたが、此度は豊臣方が野戦を選んだ事で徳川も広範囲にわたって兵を展開せねばならぬ。一番駆けと言えば聞こえは良いが……」
 「その分だけ危険が伴う前線に、関ヶ原以降に臣従した大名の隊を置くつもりなのですね」
 「いかにも。特に信吉の隊は源次郎の本陣が置かれておる茶臼山近くに配されるであろう。源次郎は確実に大御所さまの命を狙いに来る。おそらくは、その盾として」
 「!!」
 「信吉も試されておる。そなた達の迷いは信吉の命だけでなく真田家の存続をも左右しかねるのだ。辛い事だが、覚悟を決めておいてくれ」
 「……承知いたしました」
 武士に『逃げ』という選択はない。そして、自分達は真田昌幸のような突飛な知恵も表裏比興と呼ばれた処世術も持ち合わせていない。
 武田滅亡の頃からの戦の世を知っている古参の将二人は、もはや酔いも何処かへ吹き飛んだ顔を引き締めるしかなかった。

 「実は、上田を発つ前に殿から預かっていた品があるのです」
 信尹が二条城に戻った後、三十郎は茂誠を誘って真田家の武器庫へ足を運んだ。
 伊豆守の名のもとに封がされている包み。第二次上田合戦の頃から変わらず…犬伏薬師堂にて信之が投げた履物で歯を折られてもなお忠義を尽くしている河原綱家によって厳重に見張られていたそれを、三十郎は茂誠に見せる。
 「その長さ……まさか」
 一族が真田家と同じ武田二十四将に名を連ねていた茂誠は、包みの中身をすぐに察した。三十郎も無言で頷く。
 「紐解くことは、さすがに我らでは憚られましょう。若殿をお守りする役目に反するかもしれませぬが、私はこれを何としてでも源次郎さまにお渡ししたいのです。お知恵をお借りできませぬか」
 「うむ……あちらの忍衆に渡りをつける手もあるが、迂闊に接触して内通を疑われては若殿の御身が危うくなる。どうしたものか……そうだ」
 茂誠は顎髭をいじりながら己の考えを整理した。
 「大殿…義父上が亡くなられた後、九度山から上田へ帰って来た国衆から聞いた事があるのだ。九度山にて源次郎さま夫妻にお子が生まれた直後から屋敷をたびたび訪れていた侍が居り、その方こそが源次郎さまの『お相手』に相違ないと」
 国衆達がその者の名を知らされることも干渉することもなかったが、人目を忍ぶ粗末な身なりながらも所作や立ち居振る舞いは年長者の昌幸にも引けを取らぬ武士のそれであったという。何より昌幸が源次郎の選んだ相手を認めていた事からほぼ間違いなく大名格であろうと聞いた山手は、良き相手に恵まれたと喜んでいたと茂誠は振り返った。
 「その御仁のお姿であるが……いたく特徴的であったという。顔のここが」
 こう、と言って茂誠は右眼を隠して見せた。三十郎は「ええっ?」と声を上げたが、脳裏に浮かんだ者の名を口にする事だけはかろうじて堪えた。
 事実であれば、とんでもない大物である。同じ人物を思い描いていた茂誠も頷く。
 「まさか、そのような御方と源次郎さまがどうやって」
 「仔細はご本人達にしか分からぬであろうが、その御方を通してであれば、あるいは」
 「残された手は少ない……賭けてみましょうか」
 そうであれば、此度の戦を打開する糸口が見つかるかもしれない。源次郎が選んだ相手であれば。

 仙台藩主・伊達政宗に対して『友軍としての挨拶』と称した武器弾薬の数々が上田藩真田家の当主代理、真田信吉の名で献上されたのは、それから十日ほど後の事であった。


- 九州・肥後 -

 「今度こそ豊臣は滅びるでありましょうね」
 加藤清正が築き上げた熊本城。
 急逝した父の跡を継いで肥後加藤家の当主となった加藤肥後守忠広は、冷静に分析した。
 「高虎どのも意気揚々と京都へ向かわれた。事実上の徳川領となったこの地は、もはや捨て置いても害はないと見なされたか……三途の川の向こう岸から、父の恨みの声が聞こえるようです」
 「おまはんが家督を継ぐ条件として藤堂高虎どんを後見に据え、家臣の人事や支城の知行まで幕府が決定するよう誓書を書かされたものなあ。あれじゃあ、清正どんを暗殺したのは間違いなく徳川だと白状しているようなもんじゃ」
 弱冠十六歳にして五十万石を超える大大名となった忠広と差し向かいで座り、焼酎を呷っていた老人は島津義弘である。隠居暮らしの気楽さゆえか齢八十を迎えてもなお矍鑠として九州を駆け回り若武者の指導に当たっている元気さは、若い頃の鍛錬の証だろう。
 「策もまた戦のうちじゃが、謀殺だけは気にくわんね。やるなら正々堂々と仕合うべき……その点、豊臣の倅は潔か。その下に集った牢人衆も然り。幕府の締め付けが厳しくなりつつある世に抗うとは何とも痛快な奴らよ」
 島津は遠い昔を思い出すように縁側から除く夜空を見やった。
 「特に、暮れの戦で徳川を翻弄したっちゅう真田左衛門佐。若造の頃に一度会ったきりじゃが、オイはあの者をえらく気に入ったものじゃ。どこまでも生へ執着し、力と知恵の両方で戦う。日ノ本一の兵、死なせるには惜しいのう」
 「いかにも。豊臣の危機に不利を承知で参陣し、滅ぼされるのを待つのではなく打って出た。何とも羨ましい姿です」
 何をするにも幕府の息がかかった者が口を挟んでくる身では、兵を出すなどもっての外。此度の戦に出陣を許されなかったのは留守の間に島津が熊本を占拠する事態を危惧しただけでなく、豊臣子飼いであった加藤家が戦場で豊臣に内応することを徳川が恐れたからに他ならない。
 そして加藤が動かないという事には、薩摩の島津を封じる目的もあるのだ。
 「……人事だけでなく藩の施政も幕府が決めた家臣達による合議制となり、私はそれら書類に花押を記すだけの藩主になり申した。いずれはこの熊本の地も…父が心血注いで築き上げた城も、土地も、父を慕った民も、此度の戦で手柄を挙げた者への報賞となるのでしょうか」
 「大軍を動かせば戦働きの報賞に困るものじゃ。九州のもんを徳川は良う思っとらんから、やりかねないな。無論、薩摩も例外ではなかとね」
 加藤は「やはりそう思われますか」と頷いた。
 「どう立ち回ろうと己の行く末は決まっていると判ってもなお、私は家臣達を振り切って大坂へ向かう事が出来ませんでした。私が城主であるうちは、父が愛した肥後国と民を守らなければならない……ですが父が太閤殿下から薫陶を賜ったご恩に報いるために何かしなければならない。私に出来る事には限りがありますが、実は最後の足掻きとしてやってみたい事があるのです」
 「ほう」
 「おそらく、父もこうする事を望んでいると思います」
 忠広はこれまで内密にしてきた事を島津に打ち明けた。島津は皺が深くなった喉をククッと鳴らして笑う。
 「日野江藩、天草の切支丹か。これはまた思い切った所に眼をつけたもんじゃのう」
 「前藩主の有馬晴信どのは切支丹であった事からキリスト教を保護しておられましたが、幕府の禁教令によって切腹させられました。子息の直純どのは大御所の側近である事からキリスト教を弾圧せざるを得なくなり……それでも留まる者は居る様子ですが、日野江から逃れたキリシタン達は肥後にも隠れ棲んでおります。私は彼らを城の侍女や下働きとして働かせています。彼らは城の家臣が幕府からの報賞稼ぎに切支丹の摘発を行おうとする動きをいち早く知る事が出来ますし、全てに目をつぶる私に忠義を誓ってくれました。切支丹は誠実を旨とするゆえ、私も彼らに信を置いております」
 「その者達に働いてもらうと」
 「はい。既に明石掃部どのの兵と接触し、大坂に隠れ棲む切支丹との『つなぎ』を整えております。戦が始まる前には、さらに数名を大坂へ向かわせる手筈」
 老練な島津からしてみれば正直に打ち明ける忠広もまた愚かなりと思うところである。もしも島津が自らの保身のためにそれら情報を幕府に流したらどうなるのやら。
 しかし、島津はこの愚直な国主に意地悪をする気にはなれなかった。自分に初めて愚直を思い知らせた若き日の左衛門佐の顔が重なったのだ。
 「幕府にばれたら九州まるごと取潰しもんじゃのう。が、そうまでして豊臣の力になりたい加藤どんの心意気、オイはカセ(加勢)したかとね」
 「島津どの」
 「……大坂へ向かうのに、肥後から壇ノ浦を通って瀬戸内経由では目立ち過ぎる。大回りじゃが土佐の南から紀伊水道、雑賀水軍の縄張りを北上するのが安全さね。奴らと薩摩は交易を通じて付き合いもある。薩摩の港と交易船を使うとよか」
 「かたじけのうございます」
 「何の。代わりと言っては何じゃが、戦の情勢をいち早く探らせるために薩摩からも密使を同行させてくれんね?」
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