第12話 大谷刑部の娘

文字数 12,557文字

天正十六年

 秀吉が九州平定を終え、大軍の先頭に立って大坂へ凱旋してから半年。源次郎が受けた戦の傷も癒え、元の生活に戻っていた。
 実りを祝う村人の祭りも山々の燃えるような紅葉も終わり、祭の後のように寂しくなった山の色がもうじき訪れる冬を予感させている。
 乾いた空気と高い空。うっすらと寒いがよく晴れた日、源次郎は京都の真田屋敷の縁側で中に綿の入った羽織に包まりながらぼんやりと書類を眺めていた。
 「源次郎さま、そんなところにいつまでも居ると冷えますよ?」
 雑色として庭の手入れやこまごまとした雑用もこなす佐助に声をかけられ、源次郎ははっと顔を上げた。
 「ああ、ごめん。つい考え事をしていた」
 庭の落ち葉を掃いていた佐助はいったん下がり、源次郎に温かい茶を出すよう楓に頼むと庭先に膝をついた。
 「縁談が持ち上がってから元気がありませんねえ。まあ、仕方ないですが」
 「本当に、まさかこんな所から話が来るなんて思ってなかった……私に縁談など断じてないと信じて油断していた」
 きっかけは、九州征伐に勝利した秀吉が凱旋と将兵の労い、落成したばかりの聚楽第のお披露目を兼ねて京都の北野天満宮で催した大茶会の席であった。公家も武士も庶民・百姓も問わず、誰でも茶碗ひとつで参加して良いという大盤振る舞いである。
無論そこには大名から庶民にまで秀吉の栄華を印象づけ、庶民に対しては農民出身の秀吉は関白となってもなお民の代表であり身近な存在であることを知らしめたいという計算もある。大衆の心を掴めば、大名や公家に対しては自らの背後に無数の庶民がついているのだという圧力をかける事にもなるのだ。
 ともあれ、神無月の初め。一か月もの準備期間を経て、まさに鳴り物入りで茶会は開催された。
 天満宮の拝殿を三つに仕切り、中央には秀吉自慢の黄金の茶室が設けられた。柱や天井だけでなく障子の桟まで黄金貼りで、用いられる茶道具もまばゆく輝く黄金である。これでもかと権勢を見せつけたい秀吉の自己顕示欲が現れていたが、黄金の茶室というのは不謹慎ではあるがまるで真宗の仏壇のようだと源次郎は率直に思ってしまう。お世辞にも趣味の良い代物ではない。
 ともあれ、黄金の仏壇を含めた三つの部屋で千利休、津田宗及、今井宗久という世を代表する茶人が茶頭となり、身分に関係なく割り振られたそれぞれの部屋で茶をいただく華やかな時間が過ぎて行く。もっとも庶民でその場に乗り込む猛者はさほど多くなく、公家はそもそも民に顔を晒すことを厭がる。ゆえに参加者は庶民の中でも畿内の地頭や上級武士、そして上洛した大名たちばかりであった。父・昌幸の名も参加者名簿に記帳されている。
 「おう、真田よ」
 拝殿に上がるのもおこがましく、場の下座のさらに隅で参加者の案内などの雑務を黙々とこなしていた源次郎に声をかけて来たのは前田加賀守利家だった。
 「孫四郎(利長)から話は聞いておる。九州ではよく孫四郎を助けて戦ってくれた。真田と聞いてもしやと思ったが、やはりそなたはあの真田安房守どのの子息であったか」
 「勿体ないお言葉にございます」
 「上杉どののところに有望な若侍がいたと慶次から聞いて興味を持ってはいたのだが、それもそなただったとはなあ。もっと早くに声をかけて前田に引き抜いておくべきであったな。ははは」
 源次郎から見たら雲の上の存在である前田は、実のところ大大名に似つかわしくない陽気な人物であった。若かりし頃は慶次とともにやんちゃをしていたという逸話も納得できてしまう。慶次といい、どのような人との間にも『身分』という垣根がないのは前田の家風なのだろうか、それとも織田信長の影響だろうか。 その上で、何年も前の些細な噂話まで憶えている記憶力や自ら若者に声をかける…この上ない栄誉を惜しまず与える度量の大きさが多くの人心を掴み前田の安泰に繋がったのだろうと納得してしまった。
 「某はこれから殿下の茶に同席するのだが、一緒に来い」
 「そのような……私のような者が居ては場違いに他なりませぬ」
 馬廻衆に任ぜられたとはいえ、秀吉と直に言葉を交わしたのは最初の目通りの時だけ。以来目立たず地道に役目をこなしていたのは、石田と大谷の警告を頑なに守っていたからに他ならない。
 「遠慮するな。殿下も九州での話を聞いてそなたに興味を持っておる。さあ」
 断るに断りきれなくなり、ぐいぐいと引っ張られて行った先は黄金の茶室。上座に構えた秀吉の側に控えている上品な佇まいの茶人が千利休と思われた。
 「殿下、真田源次郎を連れてまいりました」
 「おお、久しいのう。日頃の務め、よく励んでおるようで何よりじゃ」
 「殿下の御前にお招きいただきましたこと、身に余る光栄にござりまする」
 観念した源次郎はできる限りでもっとも低く平伏した。父であればきっと秀吉に取り入る千載一遇の機会とばかりに気のきいた話題でも持ち出せるのだろうが、源次郎にはそのような度胸はない。何より、きらびやかな場は居心地が悪く苦手だった。
 しかし、若い侍が自分を前にすっかり恐縮している様も秀吉にとっては己の尊大さが裏付けられているようで面白いらしい。扇を軽くひょいひょいと振って笑っていた。
 「そう固くなるでない。今日は無礼講、肩の力を抜いて茶でも点ててみやれ」
 「真田どの、茶を」
 前田利家に促されるまま、関白と天下一の茶人が見ている前で慣れない茶を点てる。平常心は緊張の前に消え去っていたがとりあえず形にはなっていたと思う出来で、秀吉も一服して「結構じゃ」とご満悦であった。上杉家にいた頃、直江邸でお船から心得を教わっていたのが思わぬところで役に立ったものである。
 茶碗を返され一礼したところで、改めて秀吉から言葉があった。
 「そちの話は又左(利家)から聞いておるぞ。真田の小倅が豪傑で鳴らした島津義弘に一太刀浴びせたとのこと、まこと愉快なり」
 太閤が言うところの『一太刀』とは、斥候として最初に島津と接触した際の出来事を指している。
 数日間山中を彷徨ったため戦いに参加できなかったことを咎められないためにはその理由を正当化しなければならないという佐助の主張を採りいれたのだ。身体の回復に時間がかかった源次郎はその弁明を前田利長に頼んでおいたところ、 『源次郎は斥候に出た信繁は島津義弘と遭遇、一太刀浴びせたものの逃げられた』
 と脚色した報告がなされたようであった。もっとも、その遭遇と源次郎側からの迅速な報告があったからこそ前田利長は高城城北からの襲撃を予期して防衛に回り、島津に高城城の援護を阻止することに繋がったのだから、取り逃がした事など取るに足りない。戦にも勝利したのだから、むしろ手柄にして然るべきだと利長も判断したようである。
 何より、秀吉にとってはこれまで苦戦させられた島津の大将に一太刀浴びせた豊臣側の小兵という図式が愉快で仕方ないらしい。こちらには若い戦力が育っているのだ、という周辺国への宣伝にもなる。
 「真田というのは、まこと豊臣のためになる一族よのう」
 秀吉は、そう言って源次郎の点てた茶をもう一服した。「おなごのように繊細な点前であるな」という言葉にぎくりとしたが、上機嫌の秀吉に他意はないようである。
 「そちの働きによって島津は降伏してきたようなものだ、此れすなわち大きな武功なり。そちには褒美を取らせよう」
 「ありがたき幸せにござりまする」
 「それと……そちは二十歳にもなってまだ独り身と聞いたが?」
 「は……今はお役目と身の鍛錬を第一として精進すべきと自らに言い聞かせておりまする」
 「それはいかんのう。武士は所帯を持って一人前、いつまでも浮ついた身では身辺の世話もままならぬまい」
 怪しい雲行きを察知した源次郎はすぐさま「畏れながら」と言葉を返した。
 「私は殿下の御為に身命を尽くす所存でございます。ですがまだ何事にも未熟者でありますゆえ、所帯を持つなど身の丈ではござりませぬ」
 「そうか、わしの為であるのならのう……ならば命じよう。妻を娶れ」
 「殿下!」
 「わしの為に働く所存なら、わしの命に異存はあるまい。それとも、従えぬ理由でもあるか?」
 「いえ、そのようなことは断じて……」
 「では決まりだ。ちょうど齢もつり合う姫を知っておるのだ。相手の家柄といい、そちにとって悪い話ではないぞ?」
 「おお、良かったではないか源次郎。殿下御自らの思し召し、この上ない誉なるぞ」
 宴という浮ついた場に降ってわいた慶事。前田利家もすっかり乗り気で、たちまち辺りは目出度い目出度いの大合唱となる。そうなると信繁も断ることが出来ず、押し切られる形で話がどんどん進み……。
 
 源次郎は屋敷の縁側でぼんやりと釣書を眺める事になったのだった。

 相手は源次郎も知っている大谷刑部少輔吉継の娘で当年数え十三歳、名を『安岐』というらしい。
 大谷は先の九州討伐から戻って間もなく敦賀の城と五万石の知行を与えられていた。九州にて島津の策をいち早く見抜き、秀吉率いる本隊の影武者を仕立てて秀吉の危機を救った功績だという。
 秀吉は「紀之介(大谷)は半兵衛の思いをよう受け継いでくれておる。いつか百万の兵を預けて指揮させてみたいものじゃ」とまで絶賛し、大坂における大谷の立場は盤石なものとなっていた。
 そのような機に大谷の娘婿となることは、すなわち源次郎が出世街道に乗るのと同じ意味を持っていた。
 無論、この縁談はただ単に秀吉が源次郎を気に入ったからだけではない。
 上田合戦での事実上の大勝により、真田家は徳川家康に苦手意識を植え付けた。秀吉はそこに目をつけていたのだ。徳川家康も今でこそ服従してはいるが、この先どういった行動を起こすか分からない。家康が何らかの動きを見せた時のために、彼が苦手とする真田を手許に置いておきたいという背景があった。真田安房守を名目上は徳川の与力としながら、事実上は京都住まいにさせたのも同じ理由からである。
 そんな矢先に徳川家康が真田の嫡男と縁戚を結んだという話を聞き、豊臣方としては真田家がこのまま徳川に丸め込まれないためにこちらも真田と縁戚関係を結んで徳川に対抗しておく必要があったのだ。
 しかし、そのような思惑が今の源次郎にはありがた迷惑でしかなかった。
 どのような姫であるか、好ましいか否かは、源次郎の場合には関係ない。いくら城内では男として通していても中身は女、夫婦のあり方、伽のあれこれを知らぬ訳ではない源次郎は大いに焦り、まずは両親に相談してからと駆け込むように京都へ入ると両親に事の次第を報告した。父の力でどうにか秀吉に翻意を乞えないだろうかと。
 だが、一晩待ち焦がれた源次郎のもとへ現れた父からの答えは

 「謹んで受けるべし」

 であった。

 「この話を断るのは、殿下の顔に泥を塗るも同然。さすれば信濃国などひと捻りじゃ」
 「ですが」
 「源次郎…いや繁よ。我々が為すべきはただ一点、信濃の国を守ることのみ。ここで潰される訳には参らぬであろう。上手くやってくれ」
 「上手くと申されましても……兄上の祝言とは違って流石に無理がございます」
 「そこを何とかするのが、おまえの知恵の見せ所だ」
 つまり丸投げである。しかし、こればかりは神仏に縋ってもどうにもならない。
 源次郎が途方に暮れているうちに昌幸と大谷刑部の双方が縁談を受ける旨を秀吉に伝えた事で縁談は着々と進んでしまい、勤めの間もすれ違う同僚たちからの「うまくやったなあ」という冷やかしや「やあ、真田刑部どの」といった妬み混じりの言葉が胸に突き刺さる。
 さらに京都の屋敷には日を追うごとに祝言用の装束や花嫁に贈るための着物地、帯地、信濃から取り寄せた酒や酒肴など支度の品が次々と増えていく。それに加えて大谷家からも嫁入り道具や調度品が次々と届けられ、あっという間に後には引けぬ状況が出来上がってしまっていた。館の一角に若夫婦用の部屋まで用意され、そこだけ真新しい几帳や屏風で模様替えされた様は見るだけで気恥ずかしい。
 それらは母が張り切って整えさせたものらしい。母だけは味方だと信じていた源次郎…繁は母に抗議したが、
 「国へ残してきた村松や源三郎が身を固めた今、繁の晴れ姿を見ることが母にとって最後の夢でありますれば……あなたには結婚というささやかな夢など叶わぬと思うておりました故、此度のお話はまるで天から降ってきたような良いお話ですわ」
 と夢見心地で着物地や調度品を撫でながら愛でる始末である。
 (母上ときたら、私が男か女かも分からなくなる程舞い上がっておられる……もう、どうなっても知らないぞ)
 完全に戻れなくなっている状況に内心自棄になりながらも、源次郎は花嫁となる姫にどう接するか不安を抱えていた。おそらくまだ初花も迎えていないであろう幼い姫とはいえ、嫁ぐ以上は夫婦の云々くらい学んで来るだろう。そのあたりをどう打ち明け、なおかつ義父となる大谷をはじめとした外部の者に口外されないようどうやって説得するか。
 当初こそ相手の性格に応じた説得方法を想定して書き出したりしたが、婚礼の日が近づくにつれそれら全てが申し訳ない気持ちに変わり始めた。戦国の世に姫として生まれた宿命として親や周囲からの期待を背負い、武家の妻として婚家に尽くし子をなすという役目に責任を持って自分のところに来てくれる姫を自分は裏切るのだ。そう思うと、世間の耳目が遠ざかった頃合を見計らってともに出家するか暇を与えるべきなのかとも考えていた。そのかわり、自分の妻でいてくれる間は何よりも大切にしようと思う。

 そうしているうちに年は明けて天正十六年。雪解けの季節を迎え、婚礼の日が訪れた。大安吉日、しかも穏やかに晴れた好日である。
 上田から源三郎や一族郎党が駆けつけた中、まず真田家から大谷家に向けて花嫁の『迎え役』が出される。これは大叔父の矢沢頼綱が務めた。
 それから三日後。迎え役を散々待たせて勿体をつける形式だけの慣習を経て大谷家から出立した花嫁一行は、矢沢翁と大谷家から『送り役』として出された大谷家の家臣、湯浅五助に付き添われて真田家に到着した。
 この湯浅五助という男であるが、子の十郎左衛門とともに親子で大谷刑部に仕える忠臣である。源次郎も堺の奉行所で何度か会っていた。実務面は大谷や石田があまりに優秀すぎるので計りかねるが、主から下された指示は確実にこなす実直な武士という印象である。大谷刑部は最も信頼を置く者に娘を任せたのだが、そのことが源次郎の心をさらに重くさせた。
 花嫁が到着した後、館の中にてささやかな祝言が執り行われる。
 源次郎はあくまで豊臣の一家臣であったため、固めの杯を交わした後は両家の近親者と上田からつき従って来た者達だけでささやかなお披露目を行った。昌幸と山手の義弟にあたり、大谷刑部の盟友でもある石田治部も席に加わっている。
緊張していた新郎新婦は勿論、父の昌幸も義父の大谷も、そして石田治部も羽目を外すような酒は飲まないため、宴は時折笑い声が上がる和やかな雰囲気の中で進んでいった。山手は我が子の祝言を喜ぶと同時に三成が連れて来た妻・宇多との久方ぶりの姉妹対面に喜んでいた。婚姻とは、まさにわずかな縁の積み重ねでありそれらの縁を再確認する場なのだと思われる。
 日が暮れたあたりから屋敷の雑色や女中達にも庭で酒食が振る舞われ、その頃になってようやく宴らしい賑やかさを見せた。こちらは無礼講で、矢沢三十郎や佐助達が数少ない機会を楽しむように大いに羽目を外していた。陽気な舞や歌が場を盛り上げていく。
 そんな中、源次郎は隣に座ったままの新婦とその親を何度も交互に見た。新婦の顔は半分以上が綿帽子に覆われていてあまりよく見えないが、場の盛り上がりに応じて時折浮かべる微笑み以外はあまり感情が見て取れなかった。
しかし新婦の父・大谷刑部は宴の間も源次郎と花嫁を感慨深げに眺めてはそっと着物の袂で目頭を拭っていた。心優しい父親の顔である。それだけに源次郎は心が痛む。
 豊臣の忠臣である以前に一人の父親としての思いと、その思いを受けて嫁いでくれた花嫁を欺いているのだ。しれっとした顔をして大谷と酒を酌み交わしている父に今更憤っても始まらない。
 自分に出来ることといったら、花嫁を幸せにすることくらい。つまり武士として秀吉の下で出世すること。そう考えると、自然と責任というものが芽生えたのだった。

 宴もお開きになり、客人がみな引き揚げた夜。源次郎は寝所に入って初めて安岐姫の顔をまともに見た。
 十三歳というから、もっと幼い…源次郎にとっては妹を迎えるような感覚でいたのだが、安岐は小さな額や林檎のように丸みをおびた頬にあどけなさが残るものの、父親に似て賢そうな表情をした落ち着いた雰囲気の姫であった。もし男子であったなら、学問所に詰める学者や医師といった仕事が似合いそうである。
 そういえば嫁入り道具の柳行李の一つに、書や茶といった姫君のたしなみとされる道具一式とともに古今の書物…絵巻物だけでなく漢文の書物が何冊も入っていたと女中が驚いていたような気がする。同じ齢の頃自分はどうしていただろうと思い起こしても、野山を駆けまわっていた記憶しかない。育ちの違いとはこういう所に出るものなのかと、こちらが恥ずかしくなる思いであった。
 真新しい寝間着姿の新妻は、夜具がきちんと並んで敷かれた枕元で小さな手を三つ指について頭を下げる。
 「安岐にございまする。旦那様にお目にかかる日を待ち遠しく思うておりました。どうか末永く、よろしくお願いいたします」
 「あ、いや、こっちこそ……」
 この聡明な妻は、新婚の夜に夫婦がすることを、もしかしたら源次郎以上に分かっているのかもしれない。仕草のすべてにそつがなく、源次郎の方が却って動揺してしまう。
 「旦那様もお疲れでございましょう。どうぞお召し物をお外しください。わたくしがお架けいたしますゆえ」
 「いや、その、私は……」
 「ご遠慮なさらないでくださいませ。妻としての務めにございます……それとも、この安岐がお気に召しませぬでしょうか」
 「そうではない。安岐どのはまこと聡明な姫で、私には勿体ないくらいだ」
 「では、妻の役目を果たさせてはくださいませぬか?」
 安岐にじっと見つめられ、源次郎は改めて罪悪感に駆られた。ささやかな妻としての役割くらい果たさせてあげたいのは山々だが、やはり躊躇いと羞恥心が勝ってしまう。
 脱ぐ脱がないの押し問答を何度か繰り返した結果、ついに良心の呵責に耐えられなくなった源次郎はがばっと頭を下げた。
 「安岐どの、申し訳ない」
 「はい?」
 「その……私は固めの杯を交わした相手に秘密を持つことは出来ないゆえ、正直に話し申す。ただし誤解しないでほしい、謀るつもりはまったくないのだ。……それがし、本当は……え?」
 「……」
 枕元で白い寝間着が小刻みに揺れていた。顔を上げると、安岐姫は袂で口許を抑えてクスクスと笑っている。
 「なぜ笑う?」
 「うふふ。源次郎さまは、まことにお噂どおりの方でございますのね」
 「え?」
 「お茶々さまが仰っていたとおりですわ。本当に偽りを仰れないのですね。安心いたしました」
 「茶々さまが、というと?」
 「はい。源次郎さまのことは、すべてお茶々さまから伺っておりますわ。わたくし、お茶々さまとは幼少の頃から仲良くしていただいておりました」
 「!」
 やられた。
 源次郎は、まずそう思った。この縁談を秀吉がごり押ししてきた裏には、茶々の強い勧めがあったのだ。
 安土城で会った茶々は、たしかに『いずれ友人と引き合わせる』というような事を話していた。が、それをまさかこのような形で実現させるとは。
 茶々も意地が悪い。源次郎はぽかんとしたまま口を開き、石像のように夜具の上に正座してしばらく動けなかった。安岐はそんな源次郎の表情を見て、秘密の暗号が通じ合った時の子供のように悪戯っぽく微笑む。
 しかし、姫にとって婚姻は生涯を決める一大事。目の前にいる『妻』は本当にこれで良いのだろうか。
 「それじゃあ、知っていてこの縁談を……でも、それでは安岐どのは子をなすことが……」
 身分の貴賤を問わず、女として生まれた以上は子をなし子孫を残すことが当然のように求められたこの時代。まして政略結婚ともなれば、いかに優秀な子、特に男児を産んで嫁ぎ先の「家」の名を継がせられるかが姫君に課せられた使命なのである。そんな時世に子ができずにいれば婚家からは白い目で見られ夫の寵愛は自然と側室へと流れていく。実家に戻れればまだ静かな余生を送れるが、政略結婚である以上はそう簡単に三行半を書かれることもなく、いずれ肩身の狭さに耐えられなくなり自ら出家するしかないのだ。……真田家はその例に当てはまらないが、それでも世間の噂につらい思いをする事もあるだろう。
 「それはわたくしが謝らねばなりませぬ……わたくしは生まれつき病弱の身でありますゆえ、お子は望めないだろうとお医師さまから告げられております」
 「!!」
 安岐は申し訳なさそうに目を伏せた。
自らその宿命を明らかにすることは、女にとってどれだけ辛いことであろうか。 なかば女としての生き方を諦めていた源次郎であっても、やはり絶句せざるを得なかった。
 しかし、当の安岐は健気にもにっこり微笑んで源次郎の心配が無用だという意思表示をしてみせる。
 「ですから、内々にお話をいただいた後でお茶々さまが源次郎さまの素性について打ち明けてくださった時、わたくしは一も二もなくこの縁談を承知してしまいました。無論、父に源次郎さまの秘密は何も話しておりませぬ。婚家から子を為せぬと責められるよりは、最初から互いに真実を知っての婚姻であればよほど心軽く過ごせようかと考えたのも事実です。……一種の取引のようになってしまったこの縁組、源次郎さまには申し訳なく思っております」
 「いや、私も皆を欺いているのだから謝るのはこちらの方で……でも、安岐どのはそれで良いのか?」
 「はい。この安岐、子は為せませぬが妻となった以上は生涯にわたり源次郎さまをお支え申し上げます。そこは、どうか信じていただきとうございます」
 手をついた安岐が深く頭を下げる。健気な姿に心痛み、同時にどこか安堵した源次郎はそんな安岐の肩に手を置いて、支えるように顔を上げさせた。
 「どうか顔を上げて。すべてを知りながら私の許へ来て、真実をちゃんと話してくれた妻を信じない訳がないだろう?」
 「よかった……嬉しゅうござりまする」
 心底ほっとした安岐が、初めて年齢相応の笑顔を見せてくれた。源次郎はそんな安岐の手を取り、安岐も手を握り返す。夫婦のそれとは違うが、心は確かに繋がり合った思いだった。
 「そなたのような女子が私のところへ来てくれて良かった。私たちは良き家族になれそうだな」
 「ありがたきお言葉でございます」
 微笑みあった二人は姉妹のように仲良く夜具に入った。
 「あの……まだ源次郎さまにだけしかお話ししてはならぬと茶々さまから言われておりましたけれど」
 横になった安岐が東の方角に目線を向ける。
 「茶々さまは、殿下から聚楽第に入るよう打診されております」
 「殿下の?」
 「安土城がまもなく廃城されることに伴いまして、茶々さまや妹君さまがたもお住まいを移られる必要があるのです。聚楽第には、すでに茶々さまの伯母にあたる京極マリア様とお子の竜子姫がお住まいになることが決まっておりますゆえ、お二方を後見として頼られてはいかがかという殿下の思し召しですわ」
 「聚楽第に……」
 「お茶々さまはそのお話をお受けすると仰っていましたわ。たとえ嘲笑されようとも今は耐えて、いずれ上りつめてみせると」
 「上に、か」
 やはり茶々は本気だったのか、と源次郎は思った。かつての安土城での会談が思い出される。応援したいと思う反面で、どうか冗談か夢物語であってほしいという願いが断ち切られたようだった。
 聚楽第は、秀吉の政務所を兼ねた邸宅である。現代で言うなら官邸といったところだろうか。石山本願寺の跡地に大阪城を築いたことも大胆不敵な振る舞いであったが、聚楽第はさらに大きく出て平安京の大内裏の跡地を建造場所に選定しており、年内にも完成すると見られていた。秀吉の前には神仏も朝廷も恐るるに足りずと天下に知らしめる事業であり、名実共に上洛の証となる建造物であった。
 そして良くない噂も聞こえていた。聚楽第の奥には人質として差し出された大名の姫から下働きの女まで、女だけが暮らす区画を設けるというのだ。出入りできる男子は秀吉ただ一人……つまり花畑のように多数の女をそこへ置いた上で、秀吉が気の向くまま彼女達を手折っていくのである。寵愛を受ければそれなりの暮らしが約束されるが、気まぐれだけで一度でも愛されてしまえば、その後飽きられて捨て置かれたとしても『関白のお手つき』ということで他の男と一緒になる事も出来ない。さながら巨大な鳥かごのようでもある。
 茶々が聚楽第に入るということは、すなわちその奥へ入ること。しかも正室ではなく側室として。すでに第一線を退いている京極マリアの住まいをそちらへ移すというのは、京極竜子と茶々を同時に聚楽第へ囲うための口実作りの可能性が高いのは明らかであった。
 側室という身、そして織田の血筋を最大限に利用して、茶々はそれら戦いの舞台へ飛び込むのだ。
 ちなみに京極竜子がすでに秀吉の寵愛を受けているという噂は大坂の家臣であれば一度は耳にしていたし、そこへ茶々が住まうことになれば従姉妹で妍を競うことになりかねない。無用な争いに繋がらなければよいのだが。
 「しかし殿下と茶々さまでは親子以上の年齢差が……それに、こう申しては何だけど、殿下はもともと信長さまのお小姓だった方。いくら関白宣下されたとはいえ身分の差というものが」
 安岐が茶々の覚悟をどこまで知っているか分からない中、口にした後でしまったと思ったが、幸い安岐もそれらの事情は承知の上であったようで静かに「そのとおりです」と頷いた。
 「お茶々さまはこうと決めたら手段を選ばぬお人でありますわ。おなごとしての誇りを捨ててでも大願を成し遂げるお覚悟なのです」
 「血筋を守る……か」
 真田の家を守るためあえて男子として育てられた源次郎にも、茶々の気持ちが理解できる気がした。守るためには戦わなければならない、今はそういう時代なのだ。
 「源次郎さまは、この世のすべてを欺いてお家を守るために生きる宿命のお方だとお茶々さまから伺いました。それがいかにおつらいことかは安岐の想像を超えているのではないでしょうか。ですから、この安岐は源次郎さまとご一緒に嘘をつきましょう。源次郎さまと、お茶々さまと、安岐だけの秘密を持つことは、この戦国の世で女ができる最大の抗い……おなごが結束して歴史に嘘を刻むのも面白いではありませぬか」
 「歴史に嘘をつく、か……」
 今をとにかく精一杯生きている源次郎はそこまで考えたこともなかったが、たしかにその通りである。なかなかどうして、安岐は頭も良く肝の据わった女性だと感心させられた。あの茶々が友と呼ぶだけのことはある。
 そして味方を得たことは源次郎にも力を与えた。何が何でも、この乱世を生き抜いて歴史を欺いてやる。
 「では私も覚悟を決めよう。安岐のことを妻として守り、いずれ機が訪れれば茶々どのの夢を手助けする」
 「心強いお言葉、お茶々さまがお聞きになったらさぞお喜びになりましょう。わたくし達は夫婦でありながら同志ですわね。……では、お約束の証としてお願いがございます」
 「私に出来ることなら何でも申してみよ」
 「わたくしのことは、どうか『さち』とお呼びくださいませ」
 「さち?」
 「父上が、幼少時のわたくしをそう呼んでおりましたの。関白さまの臣下の家に生まれた者にしてはあまりに庶民じみているという理由で表向きは『安岐』と記して参りましたが、父上は常に病弱であったわたくしに心を痛めておりました。それゆえ少しでも幸あれという願いをこめて『さち』と呼んでいたのでしょう。
 おりしも源次郎さまのお家では『さち』とも読むことのできる『幸』の字が代々受け継がれておいでと伺って、これも何かのご縁だと思ったのです。馬も薙刀も操れぬ身ではございますが、真田家のお名前の一文字を頂戴すれば源次郎さまや真田の皆様とご一緒に日ノ本を駆けられる力がいただけるように思えてまいります」
 「わかった。父君からもらった名、大事にするがよい」

 源次郎が安岐こと『さち』と婚姻をした翌年、茶々は安土城を出て聚楽第に入った。茶々は自ら籠の中に飛び込んだのである。
 茶々の妹たちは聚楽第には入らず、初が京極マリアの子で従兄にあたる京極高次に、江が秀吉の養子である豊臣秀勝にそれぞれ嫁いで行った。江は秀勝が聚楽第の敷地に居を構えていたことから姉の近くに暮らしたが、五年後に夫が大陸出兵のさなかで病死したため、文禄四年には京都を出て徳川秀忠と再婚することになる。
 その後徳川が天下を獲ったことにより結果として江の運命は激変し、二代目将軍の継室にして徳川三代目将軍・家光の生母となり栄達の道を歩むのだが、それはまだ後の世の話である。


 茶々の輿入れとほぼ時を同じくして、秀吉は完成したばかりの聚楽第に周仁親王(後陽成天皇)を招くという大胆不敵な企てを実行していた。
 現人神である帝は御座所から決して動かぬもの、個人の邸宅に呼びつけるなどもってのほかと公家衆は激怒したが、秀吉は齢十五歳、即位してまだ二年という若き帝の自由を求める若さときらびやかなものに魅せられる童心をくすぐったのである。
 秀吉の思惑は的中し、帝は派手な道中行幸と絢爛豪華な聚楽第に目を見張って喜んだ。しかしそれが若気の至りだと親王が知った時にはもう遅かった。先の茶会で示した威厳にだめを押す形で秀吉は帝をも動かす実力者としての権威を武士だけでなく庶民にも強く印象づけることで、広く天下にその名声を轟かせることに成功したのである。庶民出身の 秀吉は、庶民の羨望をどういった形で刺激すれば自分の価値を高めるのに効果的であるかをよく心得ていた。そのために、神である天皇は利用されたのだ。
 後の時代の話になるが。周仁親王はこの時の行いを強く恥じ、徳川が江戸に幕府を開いた後は朝廷の威信回復に生涯をかけて尽力したのである。
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