第27話 不如帰を待てない女たち

文字数 22,966文字

 慶長八年・大坂

 「義母上さま、お歌をみてくださいな」
 大坂城。豊臣家の居館に増築された離れは、最高級の漆に螺鈿もきらびやかな婚礼道具、身の丈よりだいぶ大きい金襴緞子の色打掛、さらに琴や絵巻物、人形道具の数々までが所狭しと飾られていて花が咲いたようであった。
 木の香りも高い部屋の主となった千姫は、顔が映るほどつやつやに塗られた真新しい文机の前で淀に歌の手ほどきを受けている。当年七歳の新妻であった。
 「まあまあ、二つも詠んだのですか?千は心が豊かですね」
 拙い文字を添削しながら淀がその出来栄えに感心すると、千は『うふふ』と林檎のように頬を染めた。彼女の母親の幼い頃そっくりである。
 「こちらは殿(秀頼)に贈るお歌で、こちらは……」
 言い回しは変えられているが、いずれも夫から今年最初に咲いた桃の花を贈られて嬉しいというような内容の歌であった。
 「江戸の母上さまに贈るのです。母上さまは、わたくしがじじ様とご一緒にこちらへ参る時、ずっと泣いておいででしたから……義母上さまも殿もとてもお優しい方で、わたくしは幸せですとお伝えしたいのです」
 「江が……」
 千の父は徳川秀忠、母は淀の妹・江。
 つまり千は家康の孫にして淀の姪、秀頼にとっては従妹にあたる。織田・浅井・豊臣・徳川すべての血を受け継ぐ、戦国の世の結晶のような子であった。
 江は太閤に望まれて秀吉の甥・豊臣秀勝に嫁いだが、大陸にて戦死した夫の三回忌を終えて間もなく秀忠に再嫁した。秀勝の兄・秀次が高野山にて切腹事件したため、それまで身を寄せていた聚楽第が破壊されてしまい居場所がなくなったからである。太閤の存命中に豊臣との縁戚を結んでおこうと目論んだ家康に言われるがままの婚姻であった。
 その後秀忠が伏見城から江戸へ本拠を移したこともあり、淀は長らく彼女と会っていない。
 秀忠と江夫妻が伏見で暮らしていた際に生まれた千は江戸で育ち、家康が征夷大将軍の宣下を受けるために上洛した際に連れられて大坂の秀頼に嫁いで来た。十二歳の秀頼と、七歳の千。関ヶ原の戦いから幕府の設立まで大坂と微妙な関係にある家康の、これも一つの根回しであった。淀を黙らせるために大切な孫姫を切り札として差し出すのだから、家康の厚顔さと周到さは流石といったところである。
 しかし、当の千は人なつこく愛くるしい姫で、秀頼とも従兄妹同士という気安さもあってすぐに仲睦まじくなった。この時点では契りも結んでいないため夫婦というより兄妹のようだが、二人で絵巻物を眺めたり貝合わせをして遊んでいる姿は周囲の者も口許を綻ばせずにはいられない。
 淀もその一人であった。
 徳川が押し付けるように用意した、あからさまな政略結婚の相手。しかし相手は淀と血が通った姪…憎みようがない者をあてがったところに徳川のいやらしさが感じられて当初こそ不愉快ではあったのだが、実際は何も知らない状態のまま親から離され不安いっぱいで見知らぬ世界に嫁いで来る姫に罪はない。
 初めて対面した際、不安そうに小さく震えながら淀と秀頼に向かって口上を述べた姿に、自らの幼い頃が重なったこともある。
 平和だった頃の小谷城で三姉妹そろって伸び伸びと育った自らの幼少期。その先に待ち受ける運命など考えずともよかった、城という園の中だけの世界。いつも慈愛に満ちた笑顔で自分達を見守ってくれた両親。温かかった頃の記憶は、殺伐としていた淀の心を今でも和ませていた。
 ゆえに千姫には自分と同じ思いはしてほしくないと、淀は自然と娘に接するような気持ちで千を慈しむようになっていた。
 「江戸の母上さまからこの間いただいたお文では、もうじき母上さまにやや児がお生まれになるのですって。男の子なら父上の跡を継いで『しょうぐん』になるかもしれないって、刑部卿(千の乳母)が言っておりました」
 「将軍に……」
 「母上に仕えている『福』にもやや児が生まれるので、福が乳母になって『しょうぐん』になれるようお力を貸してくださるそうです」
 「……」
 その名を聞いた瞬間、花の咲く日を待つかの如くただ純粋に弟の誕生を待ちわびる千の笑顔とは裏腹に、淀の胸を黒雲がよぎった。
 (福……たしか明智傘下だった斉藤家の……)
 千が話していた『福』なる女性の噂は淀も耳にしていた。
 実際に会ったことはないが、鎌倉の尼将軍に喩えられた淀は自分と似た思想や手管を持つ女の出現には敏感である。その者が織田家ともわずかな縁がある事も含めて、淀の頭の片隅には既に名が刻まれていた。
 福こと斉藤福はもともと斎藤道三にも連なる一族で、遠縁には信長の妻・濃姫も名を連ねている。福の家族は明智光秀に仕えていたが、光秀が豊臣秀吉に討ち取られた後、光秀家臣団の没落とともに福の消息もぱたりと途絶えていた。
 しかし関ヶ原の戦いが終わり江戸に幕府が開かれた頃になって、突如として福の名が再浮上して来たのだ。
 福の夫・稲葉正成は小早川家の家臣であったが、関ヶ原での戦いが始まる前から主君を寝返らせるための裏工作に奔走した者がいたという噂話で取沙汰された中の一人であった。稲葉は小早川の家臣でありながらいち早く旗色を察して徳川方の板部岡江雪斎と内通し、小早川の動向を伝えるとともに板部岡がこまめに小早川と接触できるようお膳立てを整えていたと噂されている。しかしその働きも小早川が精神を病んだ末に死んでしまったことで闇に葬られ、梯子を外された形となった稲葉は牢人として捨て置かれたのであった。
 が、人生で二度も歴史に埋もれた女性が今は江戸城に……江の側近として仕えているのだ。
 光秀といい小早川や稲葉といい、近しい間柄となった者がことごとく裏切り者として名を遺している業の深さも珍しいが、それでも潰されぬしたたかさは自分と良い勝負かもしれない。

 「淀さまのご想像通りでございましょう。江戸の福なる女の噂は、徳川に近い大名に仕える侍女たちの間では有名なのだそうです」
 千が手習い処にて講義を受けている間、大蔵卿局が打ち明けた。
 「関ヶ原の後、福どのは伏見城の落城によって失われた侍女の補充として家康公に近づいたようです。働くことで夫を支えようとしたと申せば美談にもなりましょうが……」
 大蔵卿局がいったん言いよどんで淀の顔を伺ったことから、話の続きを察した淀は先回りして答えた。
 「家康のお手がついたのでしょう。それを足がかりに浮上した」
 「あからさまに口にするのも憚られますが……仰るとおりでございます。徳川が江戸に幕府を開いた際に稲葉どのと離縁して江戸の奥女中へと取り立てられたとのこと。稲葉どのには、離縁の代償として徳川家より多額の金と地方のわずかな所領が与えられたといわれております」
 ならば、これから江が産む子の乳兄弟は家康の子ということか。
 「分かりきった話ではありますが……どこまでも抜け目のない女性ですわね」
 まさか自分の上を行くしたたか者が現れるとは。淀は時代が少しずつ代わり初めているような気持ちであった。自分の頃よりも、わずかな先へ。
 夫を金で切り離してまで権力者の身内と同じ時期に子を産み、乳母となることでさらに発言力を上げる。
 それを貪欲と呆れるのは野心のない女と、女にも野心があることを知らない男のみ。出自が逆賊の謗りを受けた家となれば、淀以上になりふり構わず家康の寵愛獲得に励んだことは想像にかたくない。
 そこまでするのだから、淀が女の争いから抜きん出て男の世界に分け入り現在の地位を築いて来たように、福という女も江戸幕府での地位を狙っているのだろう。淀における秀頼のように権力に血筋の者を直接連ねるのではなく、権力を持つ者を一言で動かせる地位を。
 淀が尼将軍・北条政子に喩えられている事と比較するのなら、福は足利将軍家における日野富子のような存在だろうか。
 「因果なのは、男の世界だけではないということ……戦で勝ち負けを争わない分だけ、おなごの競い合いの方がよほど熾烈であるのは承知していますが」
 天下を狙う男が一人ではないように、女もまた目に見えないものを目指して戦っているのだ。時代は着々と新しい世代へ動いているが、権力者の大きな決断がときに寝所で決まることがある流れはまだ健在であるらしい。
 その先端を切り開いたのは自分だと淀は自負しているが、後に続く者の出現については用心に越したことはない。男たちの争いの舞台は日の本という広大な土地すべてにおいてだが、女のそれはまだ城の奥の碁盤くらい小さなもの、一枚上手の者が現れれば簡単にひっくり返ってしまう。
 (お手並み拝見、などと暢気に構えている訳にはいかないかもしれないわね)
 新たな脅威となり得る存在に心を引き締めると同時に、淀は無邪気な千を不憫に思った。
 徳川が幕府を開いた今、江戸と大坂はそれぞれ権力の中枢として競うように存在していた。が、まだ家康が将軍に就いて間もないというのに、徳川家の中では次の次までを見据えた権力争いが始まっているのか。ならば、徳川にとって盤石な体勢作りの邪魔となるのは言うまでもなく豊臣家である。江戸の女たちが次の将軍を争う…つまり徳川幕府の存続を目論んでいるのも、家康の意向を強く意識しての事なのだろう。
 ひとつの国に二つの政権という異例の力関係がいつまでも続くとは思えない。淀自身はその時が訪れたら戦うことも辞さない覚悟だが、板挟みになる千の立場はどうなるのだろう。そして秀頼は。
 (この日ノ本で、権力を争う者が戦以外で決着をつけた例などない……けれど)
 小谷城のような悲劇が秀頼と千の身に訪れることのないように。淀はそう願わずにはいられなかった。


 田植えも畑の作付けも終わった九度山。
 屋敷内や庭を駆け回ることを覚えた繁の長男・大助は若竹のように健やかに育っている。
 さちを慕って屋敷に出入りする手習いの子らが兄姉となり面倒をみてくれるので人見知りのない素直な子になり、その人なつこさでさらに村人から可愛がられるという幸福を小さい手で自ら掴んでいた。
 そして、縁側に寝かされた二人目の子……懐妊した事を知らせたところ、政宗があらかじめ男女両方の名を記した文を届けてくれた通りに『阿梅』と名付けられた女児は、風に揺れる木々の影に小さな手を伸ばして一人で機嫌よく遊んでいる。
 そんな我が子とは対照的に、繁は屋敷を訪れるようになった他人を警戒するようになっていた。
 日頃の昌幸は高梨内記らと碁を打ったり孫らと遊んだりしているのだが、朝が訪れる日は朝から離れに籠もって彼を待ち、八つ時まで屋敷の離れに籠っていた。時折談笑する声が聞こえてくるが、何を話しているのかは分からない。やはり朝は火薬臭かった。
 朝が滞在中の離れはいつも完全に人払いがされており、周囲は出浦が目を光らせているため佐助であっても近づくことは出来ない。離れに限っては掃除ですら自分で行ってしまうため、そこは完全に昌幸しか知らぬ空間となっていた。
 (父上は何を考えておられるのだ……)
 人はどうやら影のない場所では落ち着けない性質があるらしい。晴天の時にもふと足下の影に見入ってしまうように、不安を持つことで幸せであることの罪悪感との均衡を保とうとでもしているのか。
 しかし、繁はそれが単なる不安探しでは終わらないと予感していた。
 徳川家康すら畏れた知略者が、国衆でもなければ利害関係にもない赤の他人にそう易々と心を許すとは思えないのだ。今更あのような胡散臭い男と何をしようというのか。
 父のことだから何か考えあっての事だろうけれど、父が何かを企てること自体に不穏な予感しか考えつかない。
 子を守る母としての本能が、繁を保守的な思考に変えていた。今の暮らしを壊したくないし何も失いたくはない。
 天下などどこか遠くで争ってくれればいい、自分達は与えられた環境でこのままひっそりと暮らしながら一生を終えたいのだ、子も里人として平々凡々と生きてくれればそれで良い。
 自ら中央に乗り込み戦っている淀がどれだけ勇気と気力に満ちた女性であったのか、繁は今更ながら思い知った。一度は武士であった心は頂点に君臨する存在に憧れもするが、既に自分はそれを望む環境にはない。
 その諦めは本心なのか、あるいは不本意ながらなのか。覗いてはならぬ深い井戸のような自分の心の奥底に蓋をして、繁は生きている。
 「繁さま」
 風に揺れる花を見やりながらぼんやりしていたところ、庭に佐助が膝をついて報告を始めた。
 「やはりあの朝という男、只者ではございませんぞ」
 「おまえでも正体を掴めなかったのか?」
 「あの男、九度山村を出た時点ですでに我らの追跡に気付いているようで、いつも我らを撒いてしまうのです。土地柄、伊賀国の服部家の忍かとも考えましたが、伊賀出身の才三らに言わせれば、身のこなしは伊賀の流儀と違うとか」
 「佐助を撒くとは相当な手練れだな」
 「……申し訳ございませぬ」
 忍としての自尊心がへし折られて口惜しそうに謝罪する佐助を、繁は土地勘の違いもあると言って責めなかった。まだ自分達はこの地に来て日が浅いのだ。むしろ伊賀の者でないと知れた事だけでも安堵するべきなのかもしれない。
 若いうちから各地を放浪し、真田家に臣従を誓った時点ですでに伊賀の郎党から放逐されていた才三は別であったが、その後伊賀は国主の服部半蔵が『武将』として徳川に引立てられた事によって実質徳川お抱えの忍衆の国となっている。彼らが九度山に出没しているとなれば、配流されながらも命は徳川家康に握られているといっても過言ではない。
 「出浦どのはご存じなのだろうか」
 「真田にとって危険だと感じればあの者を始末するでしょう。そのような気配はないので今のところは安全かとは思いますが……それにしても、あの茶室は火薬の臭いが強うございます。どうやら茶を点てておられる訳ではなさそうですな」
 紀ノ川といえば、と佐助は声を落とした。
 「この紀州には、かつて雑賀衆という傭兵集団が存在したのです」
 「雑賀衆?火筒の民と呼ばれた彼らか」
 その名は繁も知っていた。戦国時代において、味方につければこの上なく頼もしく、敵に回すと最も厄介だとされた傭兵集団だ。独自の交易で得た火縄銃を主たる武器としていたが接近戦も一騎当千の強者揃いといわれ、正攻法と奇襲を巧みに使い分けるその戦法には、かの織田信長でさえ本願寺において散々な目に遭っている。たかが僧兵と侮った相手が実は雑賀衆だったのだ。
 しかしその素性や暮らしぶり、はたまた雑賀衆という集団がどのくらいの勢力を持ちどのような構成をなしているのかは謎が多かった。一族を率いていた雑賀孫一という男は信長と戦う過程で仲間割れを起こして一族から追放され、残された者は基盤が緩んだところを秀吉の紀州討伐によって瓦解に追い込まれた筈なのだが。
 火薬と草の者のような俊敏さ。
 「佐助は、あの男が雑賀の手の者だと思うか?」
 「太閤の紀州討伐を手引きしたのは他ならぬ孫一という噂もありますゆえ、すでに雑賀衆としては機能していないと思われます。が、彼らは我ら忍のように歴史の表に出て来ない集団だけに謎も多うござりまする。年貢を不正に取り立てて私腹を肥やしていた地頭が領地を視察した際、畦道で遊んでいた童にいきなり襲われたかと思えばどこからともなく無数の鉄砲玉が飛んで来て大坂へ逃げ帰った、しかし後日村を検めても銃器や火薬はおろか撃ち手らしき者すらまるで見つからず、下手人はついに分からずじまいであったなどという噂までありますゆえ」
 「その件なら覚えがある。紀州の不正を聞きつけた石田治部さまが調査させても台帳が巧妙に操作されていたため証拠が見つけられなかったが、襲われた地頭が殿下に雑賀衆の仕業だ、紀州討伐はまだ完全に終わっていないと騒ぎ立てて討伐の許可を願い出たために石田治部さまは『それはそなたの行いを民がしっかと見ているためではないか』と問い糾し、彼の者は結局自らの不正を白状してしまったという件だな」
 民にとって、そして不正を嫌う石田治部や大谷刑部、当時の源次郎らにとっては痛快この上ない話だったゆえ印象に残っていたのだ。地頭は職を解かれ、石田治部が毛利輝元らと諮った結果、国主も操作されていた分の年貢を倍にして太閤に献上することでどうにか決着をみたのであった。 しかし、それから間もなく大陸出兵が始まったこともあり、地頭国主を襲った者らについては石田治部も放置したままであった。彼らが雑賀衆の残党であったとしたら。
 「民がいきなり武士を襲う奇襲戦法か……父上のようだ」
 仮に朝が雑賀の者だったとしたら、それは昌幸と気が合うことだろう。
 しかし、そうだとしても昌幸は一体何をしようというのだ。ただの興味で朝から話を引き出しているとも思えないし、朝は朝で昌幸に乞われるまま昔話をしている訳でない事は想像にかたくない。
 「我らはすでに隠遁の身、今更どのような行動も起こせないというのに……まさか父上は蜂起でも考えておられるのか」
 だとしたら昌幸の判断力も随分と落ちたものだと思わざるを得ない。もはや昌幸に徳川と戦う力は残っていないし、上田を守っている兄をあてにしては自分達が一家分断してまで戦った意味がなくなる。
 あるいは、あの男が雑賀の生き残りだとして。実際は徳川に雇われた間者で、言葉巧みに父を揺さぶり動かしながら蜂起の決意表明へと誘導したところで討伐対象に仕向けようとしている可能性はないか。昌幸がそう簡単に話に乗るとも思えないが、手練れの傭兵が相手ならばどうであろうか。
 「手玉に取られたままでは真田忍衆の名折れ。もう少し調べてみます」
 「頼む」
 今の生活を壊そうとする者がいるのなら、早いうちに芽を摘んでおかなければならぬ。すっかり保守的になってしまった己の思考に一抹の寂しさを感じたが、子らを守ることは何よりも優先させばければならない。
 「父上」
 不安を拭いきれない繁は、ある日の夕餉の席でつい口走っていた。
 「どうした?」
 「徳川と豊臣がしのぎを削る今の世において、もし第三の勢力が蜂起したらどうなるのでしょうね?」
 目を合わせると真意がばれる……自分が父を疑っていることを見抜かれてしまうので、言ってすぐさま顔を隠すように汁椀を傾ける。昌幸は『蜂起、なあ』と呟いたところでふんと鼻を鳴らした。
 「豊臣ですら徳川に抗う力を削がれたままの現状では、上杉だろうが伊達だろうが、はたまた島津だろうが、徳川相手に蜂起を目論むなぞ浅間山の火口に一束の藁を投げ込むようなもの。もはや群雄割拠の世は終わっておる。我らは戦いに敗れたから九度山におるのだ、違うか?」
 「……いえ、その通りです……」
 「我らは、ただただ世の流れを傍観しておれば良いのだ。俯瞰してみると、歴史の只中にいた頃よりも様々なものが見えて来るものだぞ。それもまた趣だ」
 「……」
 昌幸は茶をすすりながら繁の顔を眺めていた。おまえの危惧しているところはちゃんと知っている、そんな声が聞こえてくるような視線だった。


 慶長十年。
 「秀忠に将軍職を明け渡す」
 幕府を開いた二年後、家中が集まる席でいきなり宣言した家康はさっさと息子の秀忠に将軍職を譲り渡して駿府城へ隠居した。
 生まれ育った温暖な地で余生を送るといえば聞こえは良いが、それもまた家康の戦略であった。
 秀吉は最高位に長く居すぎたために様々なしがらみや軋轢を生んだ。しかも後継がしっかりと立つ前に死んだことが関ヶ原での戦に繋がったのである。家康にとっては最後にして最大の好機をものにした訳なのだが。
 太閤の二の轍を踏まぬよう、家康は元気なうちに息子に権力を移譲することで徳川幕府は代々続いていくものだと日ノ本に宣言し、過去の権力者の躓きに学びながら足元固めにかかったのであった。
 江戸は秀忠に任せ、自らは江戸と京・大坂の中間に位置する駿府国に本拠を構えつつ江戸と京・大坂を頻繁に行き来することで日ノ本の大名たちを牽制する。
 一方、古参の家臣らには江戸に屋敷を与えて妻子を住まわせた。事実上の人質である。
 秀忠の代にはまだはっきりと強制はしなかったが、家康の腹心たちが江戸に人質を出したことは各国の大名たちには暗黙の布令と同じ意味を持つ。徳川への反目の意思がない事を示すために各国の大名たちはこぞって江戸に屋敷を構えて参勤し、妻子を江戸に住まわせるようになっていった。上田の地を安堵され、かろうじて父と弟の命を救われた真田伊豆守信之も、屋敷が完成する前から妻の稲とともに義父の本多忠勝の屋敷に滞在することで徳川への臣従の意を強く印象づけている。
 大坂から江戸へ、大名は次々と移動していく。豊臣家がどれだけ口惜しがろうが、権力の移譲とは吹きすさぶ風そのものであった。
 無論、強制ではないのだから、上杉や毛利といった大大名や未だ豊臣に忠節を誓う者は国元に残り、江戸から遠く離れた西日本や九州の大名などは屋敷すら建てていない。
 そんな中、伊達政宗は幕府に呼び出されて『松平』姓とともに江戸城のすぐ隣に屋敷を与えられた。これは異例である。
 表向きは関ヶ原の後始末のため政宗の所領だった地にかつて石田方についた大名を幾人か転封させた分だけ減った伊達家の所領への見返りとなっていたが、実際そうではない。物騒な者は近くに置いて目を光らせておきたいだけなのだ。政宗の娘を秀忠の弟の妻に迎えたくらいでは安心できない。
 政宗自身もそれが分かっていたから、江戸屋敷には嫡男の秀宗を、京都には長年住み慣れているという理由で正室の愛姫を住まわせ、自らは仙台の青葉山に新たな城を普請中であるため当面は仙台で暮らしながら城下町の整備に専念するとして徳川とは一定の距離を置いていた。江戸に屋敷を貰う『ついで』に、朝廷から賜った官位相応の役目も果たさなければならぬという名目で京都への自由な上洛も認めさせるあたり、抜け目のなさは相変わらずである。
 日ノ本を自由に行き来できる数少ない者となった政宗は、もちろん九度山にも足しげく通っていた。

【江戸城】

 江戸城の広大な本丸御殿は、二代目将軍秀忠の手によって整備と棲み分けが進んでいた。家康は幕府の大まかな体制だけを固めてさっさと駿府に隠居してしまったので、事実上これが秀忠の将軍としての初仕事にして最大の役目となっていた。
 政を行う『表』、将軍の執務空間である『中奥』、そしてその先にある、長い廊下で隔てられた空間。
 そこが将軍の私邸『大奥』である。迷路のように入り組んだ……たとえ家老並みの立場にあっても迷い込めない空間に暮らしているのは、将軍以外はみな女である。
 花園のような大奥を主宰する『御台所』こと正室、側室、そして彼女達の身の周りの世話をする女中達が暮らしていた。秀忠の時代では女中には旗本や御家人の娘が各地から集められ、親の身分に応じて上は将軍や御台所の世話をする上臈御年寄(じょうろうおとしより)から下は御半下という雑用係まで細かく身分分けされている。
 大奥の女にとって将軍以外の男はみな下賤の者、将軍の私生活を垣間見るなどもっての他、という単純にして最もな理由がついているが、要は将軍の室が万が一にも不義密通などしないように、生まれた子の出自にまつわる噂に足を引かれないように外界との接触そのものを絶ってしまおうという発想の産物である。自らの血筋を天下に導く事にこだわる家康が、秀頼の誕生をめぐる淀の噂を意識していたのだろうか。
 しかし、室の不義密通には厳しい反面、唯一の男である将軍の立場からすれば大奥というのは色を好んだ太閤秀吉が築いた聚楽第とさほど違いはなかった。
 身分の貴賤にかかわらず目に留まった女中がいれば遠慮なく手をつけるのは大いに結構、手をつけられた女中の側も将軍の子を産めば側室として認められ、それが男子であれば徳川や松平といった姓を賜り前途洋々、母の身分によっては次期将軍の母あるいは乳母としての絶対的な地位も夢ではないのだ。
 たとえ孕まずとも、一度でも将軍の寵愛を受けたというだけで『お手つき』として他の女中たちから頭ひとつ抜きん出る。向上心を持つ女にとって大奥入り、お手つきは千載一遇の好機であり、それら争いを意に介さない将軍にしてみれば様々な女を吟味できる至上の空間でもあった。
 家康の構想を受け、それらの仕組みを構築したのが「斉藤 福」であった。自ら家康の「お手つき」であった福は、自分の発言力を高めて大奥を取り仕切るために、自分にとって有利な仕組みを作り上げていたのだ。
 人が集えば当然諍いも起こる。将軍であっても全容を掴みきれない程の巨大な籠となった大奥は、入りたての御半下が翌年には側室筆頭となっているような極端な下剋上による混乱や女同士の嫉妬による無用な諍いを招かないため、女中たちの中でもある程度の年季奉公を積まなければ将軍や側室に目通りできないような制度も後に設けられた。以降徳川十五代にわたって謎の多い閉鎖された世界の中で戦国時代さながらの女同士の権力争いが繰り広げられるのである。
 秀忠の治世下ではまだ大奥も歴史が浅く身分構造も試験的なものとして始まったばかりであったが、自尊心は高くとも世間を知らない武家の娘が集う世界ではそれぞれも親の思惑も絡んで影に日向にと争い、ときに幕府の舵までを動かしていくのである。


 しかし、権力の頂点、国母の座を約束されていてもまた別の危惧はあるもので。
 「まあ竹千代。何をなさっているのです?」
 江が、大広間の襖や床一面に塗りたくられた墨を見て目を丸くした。
 「部屋をこのような有様に……ああ、誰か早く掃除なさい。それから竹千代に着替えを」
 江はすり寄ってくる息子が抱っこを求めて差し出した手を思わず避け、着物の袖をつまむとさっさと女中に預けてしまった。一瞬寂しそうな顔を見せた竹千代に申し訳ないと思ったが、誂えたばかりの錦の打ち掛けが墨で汚れれば竹千代の粗相が夫や舅に知られてしまう。
 床を拭く水を手配する者、布を取りに行く者、そして竹千代の着替えと湯浴みの支度をする者が慌ただしく行きかう様を目に映しながら、江は激しく波打つ胸を押さえながら佇んでいた。
 (もう二歳になるというのにこの有様……竹千代は、はたして無事に将軍となれるのだろうか)
 念願叶って生まれた待望の長男は、家康の幼名である竹千代と名付けられる光栄を頂いた。それだけ期待を背負っていたのだ。だが二歳を過ぎても親子の会話が成立せず、この頃ようやく一つ二つと出るようになった言葉も明瞭ではなかった。書写の学習も半時ももたずに足をばたつかせ、講師が諭せば泣いてかんしゃくを起こす。文字が覚束ないので次の段階である素読になかなか進めない。剣術は歳相応にこなせるのだが、このまま言葉や文字を覚えることなく成長すれば将軍としての資質を問われることは間違いない。
 そんな矢先、竹千代に弟が誕生したのである。国千代と名付けられた子は父母ともに竹千代と同じ、つまり秀忠の子らの中でも竹千代に並ぶ身分であり、間違いなく次代の将軍候補に名を連ねるだろう。口に出さずとも竹千代の成長がゆっくりである事をうすうす察していた家臣の中には、早くも竹千代よりも国千代に肩入れする雰囲気が出始めていた。各地から届けられる祝いの品が竹千代の時よりも数多く豪勢な事に始まり、みなこぞって傳役だ養育係だといった腹心に自らの身内を送り込みたがったのだ。
 国千代が可愛くない訳ではない。どちらも可愛い我が子ゆえ、赤の他人によってあからさまな扱いの差をつけられるのは江としても不憫でならないのだ。何より、子の成長で家臣たちの目の色が変わるのは見ていて気分の良いものではない。
 竹千代はただ言葉が遅いだけで、長ずればきっと遅れなど取り戻せる。いや、日の本じゅうから高名な教育係をかき集めてでも取り戻してもらわなければ。江の中にある願望が、受け入れがたい現実と真向かい葛藤していた。
 (この子が将軍になれなかったら上様に申し訳がない。それより世継ぎ争いに敗れて切腹などとなったら、わたくしは……)
 最近強くなってきた不安、漠然としたものに押し潰されそうになって、江は自らの胸を押さえた。
 本来なら洋々とした未来が見えている筈なのに、闇しか見えない現実を思うと不安で胸の鼓動が治まらなくなった。このままでは心の臓が止まってしまうのではないかという恐怖に絡め取られた江は抗うよう何度も何度も息をするのだが、それも次第に苦しくなってくる。
 まるで溺れているかのような苦しさに耐えきれなくなった江は、大きな呻き声を上げてついにその場で卒倒してしまった。すぐさま侍女が駆け寄る。
 「御台さま、しっかりなさってくださいまし」
 「誰か!すぐにお医師さまを」
 墨で黒く染まった手や掃除をした手で御台所に触れるわけにもいかない女中がおろおろと行きかい、足音と悲鳴を聞きつけた他の女中がすわ一大事とばかりに続々と馳せ参じる。だがその殆どは自分がどう動けば役に立つかも分からずただ狼狽えるだけなので、たちまち大奥は上を下への大騒ぎとなってしまった。
 そんな時。
 「みな、静かになさい。本丸御殿にまで騒ぎが聞こえてしまっては余計な騒ぎとなりますよ」
 毅然とした声で一喝したのは、竹千代の乳母・斉藤福こと春日局であった。慌てる女中に医師は不要だと言い渡し、かわりに白湯を用意するよう命じるとまず江を脇息にもたれさせて落ち着かせた。
 「御台さま。さあ、息を大きく吐いてくださいまし。お胸の中の息をすべて出してから、ゆっくりと新鮮な風を吸うのです。大丈夫、苦しくとも命にはかかわりませぬゆえ」
 福に言われるまま何度か大きく息を吐き、そしてゆっくりと吸う。何度か繰り返すうちに、虚ろだった江の顔は落ち着きを取り戻し、やがて自力で白湯を口にした。
 「助かりました、春日。殿にご心配をおかけしてしまうところでしたわ。礼を申します」
 「いえ。わたくしも生家が取り潰しになった際に同じような経験をしたのですわ。胸が早鐘を打っている間は死ぬかと思うほど苦しくて不愉快なものですが、時とともに必ず治まるものでございます。どうかご安心くださいませ」
 「春日も?」
 「はい。生きるか死ぬか、今日は無事でも明日はどうなるか分からぬ暮らしが長うございましたので……ですが幾度も経験していくうちに、これを治すのはお医師さまでも伝来の妙薬でもなく『時間』だけなのだと知りました」
 「時間……」
 「不安で胸が潰れるというのは本当にございますわ。けれど、大抵の物事は自分で思うほど最悪の状況にはならないものでございます。それに気づくまでは苦しみ煩いました。ですが時間に身を委ねて過ごしていれば大抵の困難は乗り越えていけると知ってからは、かように落ち着いてございます」
 江の不安の理由を知っている福は、その気持ちに寄り添いながら江を支えていた。
 「わたくしも、いずれこの不安から解き放たれるのでしょうか?竹千代は立派に成長するのでしょうか」
 半信半疑の江に、福は笑顔で大きく頷いた。
 「御台さま、そのような不安なお顔をなさらないでくださいまし。襖に描かれた作品、竹千代さまは類稀なる才能をお持ちではございませぬか」
 「作品?これが?」
 「この襖をご覧くださいまし。これはお城の廓から見た眼下の景色ですわ。それにほら、描かれた者達の着物と仕事が見事に合っているではありませぬか。女中の表情も一人一人個性がありまする」
 「これが……?でも、竹千代が廓に上がった事など数える程しかありませんのに」
 「いいえ、どうぞじっくりご覧あそばせ」
 福の言われるように目を凝らしてみれば、たしかに山の稜線らしき線から下方向に町らしき四角形がいくつも描かれている。点々と黒く塗りつぶされた場所は、おそらく森であろう。別の襖には城の外壁と庭園らしき絵、裃姿の武士や水汲みをする女中らしき着物姿の人型も描かれている。
 「どうやら、竹千代さまは一度見ただけの景色や会ったばかりの人の顔を憶えるのがお得意なご様子。これはとても良い才能でございますわ。例えば、たった一度目通りしただけで竹千代さまに顔を憶えていただけた家臣は、この上ない光栄とご恩から竹千代様にさらなる忠誠を誓いお役目に励むこととなりましょう。忠義に篤い家臣に恵まれることは施政の上で最も重要でございますし、竹千代様にとってもお幸せな事にござりまする」
 「春日……本当に竹千代は将軍になれるのでしょうか?」
 江の一言に周囲の女中が耳をそばだてたのを素早く察した福は、「さあさあ、早く掃除を済ませてしまいなさい」と女中達を追い払った。そして江を支えながら自分の局(個室)に移動させ、人払いを命じる。
 日々の暮らしや息災であることの報告に紛れさせて国元に城内の動きを送るのが彼女たちの役目であるのは暗黙の了解であり、福も差し障りのない範囲ならばと目を瞑っていた。けれど度を過ぎて福に睨まれたら大奥を退出させられてしまう…それは実家の浮沈をかけてこの場にいる娘たちにとっては大きな痛手となるため、福の命令に背く者は誰一人としていない。かくして、福の局には江と福の二人だけになった。
 「不安がおありでしたら、この福にお聞かせくださいまし」
 「ありがとう、春日」
 江は、出された茶と静かな空間で気持ちを落ち着けた。そして、ぽつりぽつりと語り出す。
 「竹千代と国千代、どちらも可愛い我が子ではありますが、竹千代はあのような有様で……わたくしに子を授けてくださった殿(秀忠)にも申し訳が立ちませぬが、何よりも兄弟が殿のお継を巡って争うやもしれぬと思うと苦しゅうございます」
 伯父・織田と父・浅井の争いを淀は鮮明に憶えていたが、当時まだ幼かった江が事の背景を知ったのはだいぶ後のことであった。しかし継父・柴田勝家と母の自死、そして焼け落ちる城の光景はよく憶えている。近親者の争いほど血肉でどろどろしたものになるのだと江は信じ、怖れていた。我が子が彼らと同じ道を歩むかもしれぬと考えただけで、普段は触れまいと心の奥に封じている恐怖が闇の中で不穏に蠢くのだ。
 だが福は、江の心にある不安の種がそれだけではないと直感している。
 「他にお案じの事はございませぬか?」
 「もし……もしも国千代が竹千代と同じように育ったらと思うと……」
 『尾張の大うつけ』と呼ばれた伯父の狼藉の数々、天下布武を発令した後もなお狂気とまで言われた恐怖政治を貫いた気性をもたらした織田の血は江にも流れている。ゆえに竹千代の奔放に過ぎる行動を目の当りにしてしまうと、どうしても伯父の血筋がそうさせているのかと考えてしまうのだ。初めて産んだ子がそうなので、国千代に対しても同じ危惧を持ってしまうのも無理はない。そうなれば、子らを通して自らを否定されてしまう。本当のところ、江はそれが最も恐ろしかったのだ。
 胸騒ぎを通り越した不安の蠢きはやがて強烈な恐怖に発展し、江は先ほどのように呼吸も上手くできなくなる程の激しい情緒不安定に陥ることが増えたのだ。
 福こと春日局は、そんな江の狼狽や不安をただ黙って側で聴いている。時折相槌は打つが、それ以上の事は言わず、ただ胸の内を吐露し終えるまで受け止めるだけだった。
 相手の本心を知るため聞き役に徹し、自分の口から喋らせる。それが春日局の人心掌握術であり情報源であった。無論、口外せぬという約束は守る。言い換えれば、すべてを自分の胸にしまっておくことで、将軍家の人間関係や思惑を春日局のみが完全に掴んでいるという状況が出来上がるのだ。城の人間たちの間を結ぶ思惑という名の地図が出来れば、そこに道筋を立てるのはさほど難しい作業ではない。
 「ご安心くださいませ、御台さま」
 福は請け負った。相手が何を案じているのかさえ解ってしまえば、それを取り除くことで安心と信頼を勝ち得ることができる。そして福は瞬時にその手立てを頭に描いていた。
 「竹千代様の養育は、この福にお任せくださいまし。必ずや立派なお世継ぎにお育て申しますわ」
 城内が国千代を歓迎する雰囲気は春日局にとっても面白くない。春日局が乳母となった竹千代が将軍にならなければ、春日局が夫と離縁してまで大奥に入った意味がなくなるのだ。
 父や夫が仕えた主がことごとく裏切り者の汚名を着たことで不遇の暮らしが長く続いた福は、周囲の男に依存していては自らの幸せを得られないと考えていた。家康の寵愛を得て江戸城の大奥に入ったのも、自分の手で運命を切り拓く気概ゆえである。そのあたりの思考は淀とそっくりであった。
 自分の人生すべてを賭けたものが無意味になるのは、己の人生そのものの否定につながってしまう。それもまた恐怖である。
 しかし、春日局は不安ゆえの焦りは禁物だという事をよく知っていた。父、そして夫が仕えた主がことごとく謀反や造反に失敗し、そのため自らの家までが没落していく様をつぶさに見て来た経験が彼女にもたらしたのは、結論を急がない辛抱強さと慎重さである。先は長いが、必ず勝ってみせる。戦国の戦を将棋に例えるなら、知略による権力争いは囲碁のようなもの。一手一手を慎重に打ち、ひっくり返されることなく進めなければならない。
 忍耐を知り、機を待つことを苦にしない性分という点では、福も家康と同類であった。不如帰はいつか必ず啼く。ならばその時を待とうではないか。

 江戸の竹千代が、ようやく言葉による意思疎通と一通りの礼儀を覚えるまでに五年ほどの時間が流れた。
 春日局は江戸へ入ってからかれこれ十年にもわたって不如帰が啼くまで忍耐強く足下を固めていた事になるが、焦りのあまり不如帰が啼く日まで待ちきれなくなった者もいる。


 「秀頼。側室の話にまだお返事をしていないようですね」
 九度山の繁が第四子のかねを産んで間もない慶長十二年。翌々年には、のちに大坂の陣に馳せ参じる『真田左衛門佐幸村』の人質として出される娘・桐を産んでいた時分である。
 大坂城において、淀はこのところ秀頼の顔を見るたび溜息まじりに小言を言う機会が増えた。
 数え十六歳、見た目こそ一人前の武士に成長した秀頼に自我が芽生えたのだなどと呑気な考えは、淀には到底持つことができない。女親の感覚として『子』というものはいつまでも童のままなのであり、なおかつ秀頼と大坂の城を守ってきたのは自分だという自負が強い淀だからこそ、自らの意に沿わないものに焦りと苛立ちを隠せないのだ。
 徳川家には既に千姫の弟となる若君、そして弟も誕生している。いずれも淀の妹・江が産んだ子ではあるが、それだけにこちらも早く跡継ぎを立てて豊臣の後継を盤石にしておかなければという焦りもある。秀吉のように最晩年になってようやく子が生まれたような悠長さでは、その間に家康が何らかの手を打ってくるだろう。
 徳川が将軍家としての地位を確立しつつある現状で豊臣が徳川に対抗し得るためには、まず何よりも先に関白位を豊臣に戻してもらい、秀頼に確固たる地位を築かせねばならない。
 しかし一度反抗する勇気を覚えた秀頼は一歩も退かずきっぱりと言い切った。
 「私は側室を娶るつもりはありません。千が居ればそれだけで充分です」
 「たしかに千は申し分ない姫ですわ。ですがまだ初花を迎えたばかりの娘。豊臣家の世継ぎと徳川家の世継ぎに歳の差があまり開いては、子らの代になってますます豊臣家が侮られていいように扱われてしまいかねませぬ。武家の当主たるもの、複数の室を迎えるのは常套なのですよ。ああ、千が正室である事に変わりはないですし、ちゃんと契っているのであればいずれ千にもお子が生まれましょう。さすればその子を世継ぎといたしますれば」
 「母上ともあろうお方が、身も蓋もない事を仰いますな」
 秀頼はあからさまに不快な顔で応酬する。
 淀の気負いももっともであったが、多感な年頃の我が子に性をあけすけに語るとなれば、流石に溺愛や所有物扱いを超えて一心同体のように扱う愚かな母だと誰もが嗤わざるを得ないだろう。
 秀頼の養育と豊臣家存続のためにとっての最善をすべからく尽くして十年あまり。目まぐるしい日々と徳川との間に張り詰めたままの緊張の中で淀は目指すべきものを見失い、真と偽、清と濁を見極める事も出来なくなってしまった…少なくとも秀頼にはそう見えた。
 「それでは父上と同じですね。叔父上を跡目に据えておきながら、私が生まれた途端に切腹を申し付ける……人の生き死にを何だと思っているのやら」
 「あれは秀次どのに叛意があったゆえ」
 「罪など、いくらでもでっち上げられます。母上が私を産んでまで守りたがっておられるのは、豊臣ではなく織田と浅井の血なのではありませんか?」
 「!」
 ずばり言い当てられ、淀は言葉を失った。本当に信長や秀吉の血を引いているのかと言いたくなるくらい、秀頼には野心がない。しかし頭の回転だけは淀に似て速かった。聡明だからこそ、野心たぎらせ積年の念願を子に託すため奔走する母の本心を見抜いてからは母の傀儡となる事を嫌い、最小限の公務だけをこなした後は書や歌といった公家寄りの生活を好むようになっていたのだ。淀が歯痒く思うのも無理はない。
 「しかし、関白の後継たる者がなければ豊臣の家が……ひいては天下が揺らいでしまうのですよ。徳川のこと、いつまでも豊臣家に子がなければどのような理由をつけて大坂を降らせようとするかも分かりませぬ」
 言った後になって、淀は辺りに千の姿がないことを確かめてしまった。かたや秀頼は母の懸念などまるで興味がないように肩をすくめて書物に目を落とした。
 「大阪城ひとつ明け渡して事が済むのなら、そのようにすれば良いではありませぬか」
 「何ということを言うのです秀頼。父君が苦労して築き上げられた天下の地盤を簡単に明け渡してはなりませぬ」
 「しかし豊臣家は将軍にはなれませぬ。一方、あちらはすでに二代目が将軍職を引き継ぎ、着々と地盤を固めているのです。その差はもはや埋めようがないのですから、好きにさせておけばよい」
 「たしかに殿下(秀吉)の願いは征夷大将軍でした。ですがこの世は武家より朝廷の方が格上なのです。より朝廷に近い関白の位が豊臣の手に戻れば徳川と肩を並べていられましょう。しょせんこの世は順送り、徳川家康の方が先に老いてゆくのです。そうしたら秀頼が関白職を前面に押し出して天下を平定すれば良いこと。いずれは父君と同じく太政大臣の宣旨も受けられましょう」
 「将軍と関白……ひとつの国に、天下人が二人いても良いのでしょうか。一人の天下人が日ノ本をまとめていくか、二つの権力が日ノ本を東西に分断してまで争い続けるか。どちらが民のためには良いのでしょうね」
 「天下に君臨しているのは豊臣家です。迷ってはなりませぬ」
 息つく間もなくまくしたてる母親を一瞥して、秀頼はふうとため息をついた。そして文箱から一通の書簡を取り出して淀に見せる。
 「……母上、これを」
 「!」
 封書の裏面にある花押を見た淀の顔色が変わった。震える手で開いてみると、秀頼の上洛と京での会見申し入れを希望する旨が記されている。
 場所は、徳川が足利将軍家に倣って建造したばかりの二条城。
 「徳川……主家であった豊臣家当主を呼びつけるとは何たる不遜な」
 「徳川どのは、天下が豊臣にあると思っておられないご様子。大坂を従えるまで野心は収まらぬでしょうね。……そう、お父上のように」
 今上(後陽成天皇)を騙し討ちのような形で強引に行幸させた秀吉の時と同じだ、と秀頼はあっさり言い放つ。秀吉の本心を手に取るように見ていた淀は、夫の振る舞いなどどこかへ放り出して徳川に激昂していった。
 秀吉の謀略には天下安泰という大儀があったが、家康のそれはたんなる野心、太閤を踏み台にしているものだと信じ込んでいるのだ。両者の振る舞いが五十歩百歩だと悟っている秀頼の冷めた目線など、まるで入っていない。
 「おのれ徳川、秀頼を呼びつけるなど何という侮辱!秀頼、絶対に応じてはなりませぬよ」
 文を無造作に丸めて火鉢に放り込んだ淀に、秀頼は肩をすくめた。
 「はるか西方にある異国の王は、自ら与えられた領土だけでは飽き足らず、生涯にわたって他国と戦を繰り広げていたと聞いています。人の欲とは、まこと留まるところを知らぬもの。そのような欲にまみれた駆け引きから降りてしまう道もあるのではないですか?」
 「降りるだなどと申してはなりませぬ!あなたの下には何百万という民がいるのですよ。この城を含め、それらすべてがお父上が一代で築いてこられたもの。それを易々と明け渡しては申し訳が立ちませぬ」
 「苦労をして造り上げたものを壊される傷みは、城であろうと田であろうと同じと私は考えます。だからこそ、壊さず済む方法があるのならば、それを選ぶのもひとつの道かと」
 「秀頼……そなたは天下人から一兵卒、いえ一農民に身をやつしても良いと言うのですか」
 「もとより父上は農民の出自、本来の身分に戻るだけだと思えばそれも悪くはありますまい。何より、田を作る大切さを説いてくださったのは母上でございます」
 「あれは民の心をあなたに分からせるためのこと。あなたは日の本の主でなければならないのですよ」
 「母上が、かの尼将軍がごとく天下に君臨するため、でございますか?」
 「……!」
 「私は母上の野心を投影する鏡ではございませぬ。それに、誰よりも子を望んでいるのは他ならぬ千自身なのですよ。夫である私が千の思いを踏みにじるような事はできませぬ」
 これ以上の問答は無用、と秀頼は決裁箱の書類をこれ見よがしに机に広げて目を通し始めた。淀は奥歯を軋ませながら自室へ引き揚げていく。眼尻に涙が浮かびそうになり、誰にも見られないよう髪を直すふりをして袖口を眼に押し当てる。
 「……私は間違っていたのでしょうか……天下を本来あるべき血筋の者に取らせようとしたことに一体何の間違いが……」
 自らの念願を我が子に託すという事自体に無理があったのか。織田や浅井の血をひく者を天下に据えたいという願いは、淀の独りよがりなのだろうか。
 ならばいっそ降りてしまった方が良いのか。しかしそれでは豊臣家の天下のために死んでいった…死に追いやられた者達にどう顔向けする。
 淀は何度も自問自答した。しかし答えは出ない。老いによって凝り固まってしまった考えや矜持を今更になって手放すことがどうしても出来なかったからである。だが自らの老いすら認めることも出来なかった。ないない尽くしである。
 天下を支えているという自負は、長い年月をかけて淀の心から柔軟さや余裕を奪っていたのだ。秀頼が言うとおり『血筋』を守ることに固執しすぎるあまり、本当はどの血筋を守りたいのか、本当に守りたいのは血筋ではなく今の暮らしではないのかという事すら分からなくなっていた。
 淀がそのような有様だから秀頼は淀を煙たがり、千の肩を持つ。それもまた淀にとっては面白くなかった。
 迷いが見え始めた大義に、一人の母、姑としての感情が混ざり合っているのだから、心の混沌はそう簡単に晴れそうにない。
 (秀頼が世継ぎさえ設けてくれれば……)
 淀の心の中にあるすべての迷いから逃れる…少しでも安堵できる手立ては最終的にその一点に絞られていた。後の世の安心さえ手に入れば、今の争いを生き抜く新たな支えともなるだろう。
 もはや思い込みを超えて強迫観念と化している事に自らは気づかず、自分の局に戻った淀は大蔵卿局と大野治長母子を呼んで自らの希望を伝えた。
 (今はなじられたとしても、後に豊臣家が安泰であれば秀頼も母の行いに納得してくれる日が来るでしょう……伯父上が地を均し、わが父上が血を流した末に築かれたものをみすみす徳川に攫われる訳にはいかぬのです)
 淀の所望に、大野は『御意』と短く応えてすぐさま手配に走ったのであった。

 結果、秀頼は、大野の策略に見事嵌ってしまった。
 宮中行事のため上洛した帰り道、誰かも分からぬ大勢に勧められるままいつもより多くの酒を口にした秀頼は、気がつけば豊臣家の別宅で見知らぬ女と共に一夜を過ごしていたのだ。
 相手がどこぞの武家の娘らしい事は所作から伺い知れたが、前夜に何があったのか、そして何故このような成り行きになっているのか。知らぬは当の秀頼のみである。
 大野は大野で、訳を訊ねる秀頼に『わたくしは殿のお指図どおりに働いただけでございます』と涼しい顔であった。

 それを一夜の過ちで済ませられれば良かったのだが、このとき娘は秀頼の子を身ごもり、翌年には男子を出産した。
 淀をはじめとした大坂の者にとっては待ちに待った豊臣家の世継ぎ誕生である。
 秀頼は頑として子の認知を拒んだが、そのような抗いは既成事実の前にはまるで無力であった。認める認めないの不毛な諍いの末、最終的には渋々認知したものの千の実家である徳川家の面目を慮るという理由をつけて国松は若狭京極家預かりの身となり、以来大坂の陣直前まで秀頼と目通りする事はなかった。
 子は秀頼の兄にちなんで国松と名付けられた。秀頼の意向である。夭折した童の名を敢えて授けたあたりは秀頼の淀に対する当てつけが見え見えであり、また未熟なところでもある。
 生まれた子に何の罪もなければ、愛情がない訳でもない。だが秀頼がそれらの気持ちを抑えてまで子を拒んだのは、徳川家に対する配慮でも何でもなく、千に対しての申し訳、ただ一つなのだ。
 「千よ、子は母親ともども若狭京極家に送った。だから機嫌を直しておくれ」
 すべての片がつくまで天守に籠もっていた秀頼は、千が居る居室におそるおそる戻るなりそう報告した。
 「送った?」
 「子とはもう二度と会わぬつもりだ。養育のための金子は送るが、元服した後らどこぞの大名家の養子に出す」
 「……」
 「家康公への面目を慮れば、それも致し方なかろう。それにあの子は庶子、豊臣の名を継ぐ子ではない」
 「……」
 「私は母上と大野に騙されたのだ。私には千しかおらぬ。それはよう知っておろう」
 「……」
 「だから、かくなる上は千との間に早う子をなしたいのだ。ここは水に流して仲直りせぬか」
 「……殿」
 千が雲雀のような声を発した。ようやく苦しい立場から解放されるかと期待した秀頼の表情は、次の瞬間には落胆に変わる。
 「殿が外のおなごとの間にお子をなしたと知った時、わたくしは殿に裏切られた気持ちでおりました。ですが今は……」
 「今は?」
 「失望しております」
 「何故だ?」
 千は、これまでの柔らかな佇まいとは別人のように強い眼差しで秀頼を見上げた。
 「殿の仰ることが本当だといたしまして。望んでおられなかったとはいえ、血を分けたお子に縁起の良くないお名前を授けるとは何事でしょう。何の罪もなく生まれて来たお子に対してまったく思いやりが感じられぬお振る舞い、千はそのことに失望しております」
 「では女ともども室に入れろと……そのような事、千は望んでおるまい。何より家康公に顔向けできなくなる」
 「大名はみな幾人もの側室を持っておりますゆえ、何も責められることはございますまい。ですが、殿のお考えが変わらぬ限りはお子と母君が肩身の狭い思いをなさるでしょう」
 「……だから、私には千ただ一人だと何度申したことか」
 「口では何とでも仰れます。それに……殿が本当に恐れていらっしゃるのは、わたくしでも徳川の家でもございませぬ」
 「?」
 「今の殿は、義母上さまの操り人形となる事を恐れていらっしゃいますわ」
 「それの何がいけない?母上のやり方は強引にすぎる。私は天下など要らぬ。千が居れば一大名として生きても構わぬのだ。いや、むしろそうして穏やかに暮らしたい。家のために自分の行き方を堪えることは望まないのだ」
 「これまで豊臣の家を守って来られたのは義母上さまでございます。家臣達を一喝し、祖父上さまのような者とも渡り合うことは並大抵の覚悟ではできませぬ。男ですら心折れるような政治の世界で、義母上さまはどれだけお心をすり減らしたことでありましょう。殿はご存じないでしょうけれど、義母上さまはお一人になると涙を流して耐えていらっしゃいました」
 「涙に免じて母上に従えというのか。それはおなごの理屈だ」
 「義母上さまはおなごですが、今は一国を預かる…事実上の大坂城主であらせられます。それもひとえに殿が立派な豊臣家当主となられて、亡き太閤殿下が築き上げたご功績を受け継いでいただく日のために守り抜いて来られたもの」
 「ならばどうすれば良いのだ」
 「いたずらに反発するのではなく、お話し合いをなさいませ。義母上のお考えをよく伺って良きところは見習い、ご自分と意見が違う時にはこうする方が良いと、ご自分のお考えを伝えるのです」
 「そのような事、母上に申しても一蹴されるだけだから私は否と言い続けておるのだ。何故おまえは母上の肩を持つのだ」
 「では、殿は今いきなり大坂城の主となり幾万の家臣の暮らしを預かる身になったとして。まずは何から手をつけるべきかお分かりですか?いまだ豊臣家を慕う大名たちの心を離さぬよう、どう応えてさしあげますか?」
 「それは……」
 秀頼は黙ってしまった。もしも今、淀が居なくなったら何をすれば良いのだろう。
 しかし、千の言葉を認めるのも言い負かされたと認めるようで口惜しい。
 「……分からぬ。そなたの気持ちも、一体どうすれば良いのかも……互いに少し頭を冷やそう」
 『互いに』と言ったのも秀頼の未熟さである。
 すべてを勝ち負けで量ってしまう心の癖では、千の言う正論や目前にある現実を認めることこそ負けになってしまう。それを自分自身が受け止められないのだ。
 「わたくしは休ませていただきます」
 千はそれ以上何も言わず、自分の居室へ下がっていった。秀頼は苛々と頭をかきむしったが、このまま寝所で千と枕を並べても気まずくて眠れそうにない。
 秀頼は近習に命じて夜具を担がせると本丸に戻り、広間にて床についた。
 日頃は家臣たちが次々と出入りして忙しない広間の夜は畳の上で風が競い合うように走り抜け、格子戸や屏風がカタカタと音をたてて震えていた。
 その夜は季節よりずっと寒いと感じるものであったが、秀頼は弱音すら吐く気持ちになれずじまいだった。

 翌朝、秀頼は秀吉の墓所に建造中の大仏殿の視察のために上洛する事になっていた。どのような顔をして千に会えば良いか分からぬ秀頼は、館に戻らず本丸の控えの間で朝餉と支度を済ませると逃げるように大坂を発った。
 そして数日後。そろそろ機嫌が直ったかとわずかな期待を込めて居館に戻ったところ千の姿はどこにもなく、かわりに置き手紙だけが残されていた。

 『吉野へ静養に行ってまいります』

 秀頼は慌てて詫びと釈明の文を送ったのだが無しのつぶて、沈黙ほど恐ろしい怒り方はないのだと秀頼に知らしめるかのようであった。
 毎日のように詫び状をしたためていた秀頼も、やがて千の頑なな態度が腹立たしく思えてきた。
 この私がこれだけ謝っているのに。
 男と女が諍った時、それぞれ相手を許せる着地点も、そこに至るための手立ても異なる。男の傲慢が見えている限り、女は男を許さない。
 まだ若い秀頼はそのことに気づかず、ただもやもやとした気持ちを募らせるだけであった。
 事情を聞いた秀頼の乳母・正栄尼の再三の取り成しにより千が数か月後に戻って来る頃には、互いの意地も手伝って視線すらまともに合わせることも出来ないほど夫婦関係は冷えていったのである。
 この一件で、ますますもって二人の間に子を望むことが難しくなったのは明らかであった。
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