第8話 第一次上田合戦

文字数 13,405文字

天正十三年 -第一次上田合戦-

 源三郎たちが出撃する半日前、空が白み始めてもなお霧深い時間の千曲川沿岸に話は遡る。
 「御伽衆が語る川中島の決戦のようだな」
 夜陰にまぎれて南原の最前線からさらに北上し、千曲川を挟んで信濃国分寺、その西に上田城の櫓も確認できる浅瀬に展開した徳川軍は、夜明けとともに川を渡って上田城下へ進軍するべく蘆の深い川辺に潜んでいた。
 「かの戦の舞台も千曲川だったという。山本勘助会心の策であった啄木鳥戦法を見破り、霧に紛れて武田の眼前にまで迫っていた上杉謙信の大軍を見た武田信玄は大層驚いたとか」
 「ははは。ならば此度は我らが上杉役といったところか」
 総大将の鳥居元忠は本陣で展開完了の報告を聞き、大久保忠世相手に軽口を叩いていた。
 「霧が晴れたら一斉に法螺を出させろ。真田の驚く顔が目に浮かぶようだ」
 陣頭指揮を執る大久保は配置につき、目を凝らしてもすぐ隣の味方すらよく見えない濃霧は細かい粒子となって渦を巻き、やがて渦が天上へと上っていく。
 開戦は近い。法螺を持った兵が構えようとした時、地の底から響くような低い声があたりを揺るがした。

 疾きこと風の如く、徐かなること林の如し。
侵略すること火の如く、動かざること山の如し
 知りがたきこと陰の如く、動くこと雷霆の如し
 郷を掠むるには衆を分かち、地を廓むるには利を分かち、権を懸けて動く

 「な、何だ?」
 抑揚のない声で幾度も繰り返される風林火山の合唱。兵らにざわめきが走る。その時点で霧に紛れての急襲は失敗となった。
 やがて霧の向こうにうっすらと現れた声の正体、その輪郭を見た兵らは一様に脚を震わせた。
長槍を立てた赤揃えの兵たちが居並び、こちらを見据えていたのだ。
絶えず続く風林火山の文言が経のように聞こえて来て、もしかしたらここは三途の川なのではないかと錯覚してしまう。
武田との戦を経験した事がある者…特に三方ヶ原の大敗を知る大久保は背筋に悪寒が走った。
「お、落ち着け。怨霊などあってなるものか」
 しかし掠れた声ではまるで説得力がない。将ですら動揺を隠せない現象、兵はなおさらである。
 「亡霊だ、武田の亡霊が出た」
 「川を渡ってはならぬ、帰れなくなるぞ」
 「馬鹿な事を申すではない。武田を滅ぼしたのは織田ぞ、我らに化けて出る理由なぞないわ」
 混乱が絶頂を迎えた時、霧の向こうの怨霊がついに正体を現した。

 赤色の旗に記されていたのは、三途の川の渡し賃。

 「迂直の計を先知する者は勝つ!」
 赤揃えの先頭に居た源次郎が高らかに宣言した瞬間、赤備隊が鉄砲を放った。十挺ほどの銃を、一斉射撃ではなく一息ほどの時間差で連射させる事で数の少なさを感じさせずに敵の焦りを呼ぶ。

 「六文銭…真田の兵か?」
 してやられた。武田方は自軍の方であったと気づいた大久保は、すぐさま突撃命令を下した。しかし脚がすくんでしまっている兵たちはなかなか動かない。
 「ええい、早く川を渡らぬか!」
 「でも、川を渡ったらあの世へ連れて行かれるのではないか?」
 「そのような事があるものか。生きて帰りたくば前進あるのみだ!」
 おろおろしている兵に大久保が苛立ちを隠せない。しかし兵たちを動かしたのは彼ではなく真田側であった。
 源次郎が朱槍を掲げて嘲笑う。
 「徳川の兵は腰抜けばかりなり。腰抜けが信濃の地を踏むなど笑止千万、早々に立ち去り、白旗を掲げるがよい」
 「な……!徳川の精強を腰抜け呼ばわりするとは生意気な。貴様ら、誇りある徳川の兵として戦え!」
 「ぎょ、御意にございます」
 挑発による怒りを動力として数千の兵が動く。赤備隊は川を渡る兵たちにいくばくかの矢を降らせた後、迎撃せず城へ向かって後退を始めた。
 その数を見た大久保は呆気にとられ、すぐにそれは嘲笑へと変わった。
 「何だ、百もおらぬではないか。とんだ『はったり』だ」
 実際、赤備隊は後ろを振り返ることなく一目散に城下へ駆けていく。
 「我らを怯ませて戦意を削ぐ作戦であったか。よし、奴らを一気に追い込め。一人残らず討ち取り、その首を上田城の門前に晒してやろうぞ」
 「ははーっ!」
 「安房守め、所詮は滅びた国の威光をいまだ傘に着て虚勢を張るだけの小物であったか。武田の頃より徳川に従わぬ愚行、その命をもって知らしめてやる」
 赤備隊は城下に散開したようであった。粗末な建物が並ぶ城下に赤は目立つ。
 「居たぞ!」
 科野の社に立ち並ぶ銀杏の大木の合間に、寺の墓地へ続く細い路地の間に、三の丸の堀に。徳川の兵は赤を見つけるたびに数人の小隊ごとに分かれて追撃にかかる。
 「ぎゃあっ!」
 「敵兵を討ち取ったり!!」
 あちこちから声が上がり、それがまた兵の士気を高揚させた。兵らは赤を見つける事に熱中し始め、ちらりとでも赤が見えればそちらへ急行していく。
 当初こそ指示を飛ばしていた大久保であったが、ふと気づいた。
 「おかしい。数十の兵にしては神出鬼没すぎる。しかも奴らを討ち取った連中が戻って来ない……まさか」
 千曲川に居た兵は最初から陽動目的で、実際はもっと多くの赤揃えがこの城下に潜んでいるのか。そして、討ち取られたのは徳川の小隊の方なのではないか。
 「いかん、赤揃えに気を取られるな!まっすぐ城に向かうぞ」
 だが大久保が指示を出した時には、すでに徳川方にもかなりの脱落者が出ていた。それでも上田城を力攻めで陥とすにはまだ充分な数の兵が居る。
 曲がりくねった城下町に手こずりながら、城の天守を目指して進んだ。
 が、伏兵は赤揃えだけではなかった。
 狭い路地を進む徳川軍に対し、左右の民家や寺の中から投石や矢が次々と放たれたのだ。農民兵だけでなく、城下に暮らす民すべてが力を合わせて攻撃をしてくる。
 「わしらの殿様を攻め落とすなど許さん!」
 「上田はわしらと真田さまの土地だ!よそ者は帰れ!」
 安房守の求心力に感心している場合ではなかった。家の屋根の上から次々と石を放ってくる者、弓を放つ者。投石を行う者に次々と石を手渡している童の姿もある。彼らは石だけでなく灰や籾殻といった物までぶちまけていくので、馬が目を潰されてさらに進軍速度が落ちた。
かと思えば民家の格子戸の隙間からいきなり槍が飛び出て来て、運悪く貫かれた兵も現れる。
 道を変えようとしても、迷路のように入り組んだ上田の城下町は至る所に木材や空の酒樽が積み上げられていて行き止まりばかりであった。袋小路に迷い込んだ兵らの後方から赤鎧の兵が押し寄せ、確実に兵力を削いでいく。
 「ええい、安房守め。最初から戦ありきで城下を造ったか」
 それでも城へたどり着ければ何とかなる。上州街道からの援軍も到着するであろう。
 念のため鳥居が待つ陣へ援軍要請を出し、大久保隊は目標を城へ切り替えて城の北側へ回り込んで攻略を試みた。しかしここにも罠があった。渡り始めた橋は数頭の騎馬が乗っただけで崩れ落ちて川へと転落していく。そのような橋が数限りなく架けられていたので、ついて行った兵たちはどの橋を渡れば城に近づけるのか分からず右往左往するばかりであった。
 橋をいちいち槍でつついて安全を確かめている間に赤揃えが現れ、兵を拡散し兵力を削っては何処かへ去っていく。苛立ちを爆発させまいと堪えた忍耐が神仏に通じたのか、ようやく大久保隊は上田城の門前へとたどり着く。
 「ようここまで辿り着いたのう、徳川の者よ」
 盾で守るようにして城の周囲、出入口になり得る箇所をすべて封鎖したところで。櫓門の上からよく通る声が響いた。
 「安房守!」
 「流石は数に任せた徳川軍。ここまで来られるとは天晴じゃ」
 まるで友でも出迎えるかのようなにこやかさで櫓の上に姿を現した真田昌幸は、鉄扇を仰ぐ余裕まで見せつける。
 頭から灰を被った真っ白な出で立ちの大久保は顔を真っ赤にして怒り狂った。
 「籠城しておいて何を申すか。千の兵が既に城を包囲しておるぞ」
 「おう、見ておったぞ」
 「では潔く降伏せよ。もはや勝ち目はあるまい」
 「それはどうであるかな。わしは自ら投降するつもりはござらぬ故、この首を所望ならばそちらから参られよ」
 「悪あがきを……ごほっ、ごほっ」
 灰が喉の奥に詰まり、大久保は激しくせき込んだ。安房守の愉快そうな笑い声も憎たらしい。しかし怒りと焦りは敗北のもとだと必死に己を戒める。
 本来ならば、この状態に持ち込んだ後は兵糧攻めが基本である。大久保も基本に忠実にと待機を命じようとしたのだが。
 「大将!城下から火の手が上がりましてございます」
 「何と?」
 「こちらに向かって延焼中とのこと」
 「安房守、貴様!!」
 昌幸はいつの間にか姿を消したが、怒り狂っている余裕はない。板張りの家が密集した狭い城下で火の手はあっという間に燃え広がり、後方の兵は逃げ場を求めてどんどん前へ出てくる。後方では仲間同士のせめぎ合いも生じているようだった。
 城との間に挟まれた兵らの混乱と迫りくる煙に、ついに大久保は力攻めを決意した。
 「全軍、城を破壊せよ!門を打ち破れ!」

 しかしその掛け声に応えたのは、意外なことに上田城の門であった。
その先で具足に身を包んでいたのは、真田安房守その人、そしていつの間に戻っていたのか城下で徳川軍を翻弄した赤揃えである。
 「安房守!!」
 「ほれ、望みどおり出てきてやったぞ」
 「ええい、討ち取れ!!」
 しかし、先に橋を制したのは真田方であった。櫓の上に展開した鉄砲隊が徳川兵の動きを牽制した一瞬の隙を突いた源次郎率いる赤備隊が徳川の盾を飛び越え、兵らの間を駆け回る。
 赤備隊は精鋭の名に恥じぬ戦いぶりを見せたが、それでも数で勝る徳川兵が間隙を縫って城内に突入を試みる。彼らは鉄砲隊と櫓の床下に設けられた石落としの餌食になっていた。
 「さて、わしも久々に暴れてみるか」
 ひらりと馬を跳躍させた昌幸は、大久保目指して突進していく。護衛に入った兵達は昌幸が軽々と振るった槍に薙ぎ払われていた。
 (父上も朱槍をお持ちだったのか)
 源次郎が父の戦う姿を見たのは初めてであった。軍師として名高い父であったが、それ以前に幼い時分から信玄によって鍛えられた武士なのだ。巧みに馬を駆りながら自在に朱槍を振り回し、徳川有数の猛将相手にまったく引けを取らない戦いぶりである。
 士気の高揚、そしてそこからの勢いもまた策。総大将が出た事で一気に士気が上がった真田軍は、ついに徳川兵を押し返し始めた。
 その間にも城下の炎は迫る。南には崖。挟まれた徳川兵は、ついに北へと退路を求めて後退を余儀なくされた。
 どうにか真田軍を振り切った徳川軍の先頭が上州街道に逃れた頃、ようやく北方からの友軍が到着した。
 「おお、待っておったぞ」
 しかし大混乱の中で味方と合流できた安堵は束の間のものでしかない。
 「大変でございます。上杉が真田に味方している模様」
 「な、何だと!?」
 「砥石城に、数えきれない程の上杉の旗が立っておりました。そら、今も上杉の旗がすぐそこまで」
 北を見やれば、確かに真田と上杉の旗を掲げた騎馬兵達が大声を張り上げながらこちらへ向かって来る。旗の数と騒ぎの大きさからして数は少なくない。

 本当のところ、源三郎と高梨が率いる軍はわざと法螺や太鼓、鬨の声や奇声などありったけの騒音を上げながら下って来たのだ。
真田と上杉の旗を両方背に差しているのは、もちろん全員が真田の兵。実数よりも数を多く装うのと、威勢によって敵の恐怖心を煽るためである。
 「いささか恥ずかしゅうございますな、若」
 「ああ。まさか傾奇者の真似事をさせられるとは……」
 しかしその策は見事に嵌ったのだ。

 「安房守め、あの余裕は上杉と密かに通じていたからであったか」
 「いかがなさいますか?」
 北に上杉と真田の援軍、南には川。そして城の周囲には赤揃えの騎馬隊と城下の火災。
 「くそっ、一時退却だ!本陣に戻って体制を立て直す」
 屈辱的と思われがちな『仕切り直し』も、奇襲を受けた戦の場合には役立つものである。同じ手は二度と通用しないからだ。
 正攻法で戦う事が出来ない真田の兵を、次こそ万全の態勢で叩きのめす。大久保は采配で後退を指示した。後から駆けつけている筈の援軍も一旦退かせなければ。
 「殿(しんがり)は川を渡る前に信濃国分寺に火を放っておけ。追手を足止めするのだ」

 しかし、それは真田昌幸が大久保自身に掘らせた墓穴であった。
 源三郎や源次郎の兵に追い立てられるように後退していく徳川方が気づかない…気に留めている暇もないうちに、上田城から狼煙が上がる。
 上田城から、そして砥石城から追われた徳川兵と、新たに援軍として到着したものの炎に阻まれて城下に近づけないまま撤退を知らされた兵らが蜘蛛の子を散らすように敗走しながら染谷台というなだらかな平地にかかる神川の浅瀬を横に広がってわれ先にと渡り始めた時。
 それまで十歩も足首を濡らせば渡れる程の水しか流れていなかった神川の水底が揺らいだかと思うと、上流から突如として大水が押し寄せてきたのだ。
 「うわーっ!!」
 兵も馬も、なすすべもなく激流に流されていく。川岸で踏みとどまった者も居たが、川にほど近い国分寺からの炎に追われて後ろからどんどん逃げてくる味方に押し出されて哀れにも落下していった。
 その数、一千は下らない。徳川方にとっては、まさしく『とどめの一撃』であった。

 「城を水没させるだけが水攻めと思うなよ。それ、三途の川の渡し賃だ」
 上田城の西櫓。氾濫した神川から千曲川を経て海士ヶ淵に流れついた数多の骸を見下ろしながら、昌幸が六文の銭を放る。
 「出浦さまが話していた『工事』はこの事だったのか……」
 源次郎はここに来て得心した。
出浦は、神川のうち徳川兵の進路からは見えない所に堰を築いていたのだ。城からの狼煙を合図にそれを切って落とす。数日前に山に降った雨が貯まっていた川は、勢いをつけて千曲川へと流れていく。
「城下の建物も、ほぼすべてを最初から板きれをそれらしく組み立てた『張り子』で造っておいたのだ。火を放った後、民はみなそこらの寺へ逃げ込んで無事だ」
昌幸が補足する。そういえば城下にある寺の多くは周囲に細かい水路が張り巡らされていたが、それは延焼を防ぐためのものであったのか。
そして半日もおかず、海士ヶ淵にも徳川方の旗や死体が流れ着いてきた。もはや徳川兵の士気は立て直せる筈もなく、残った兵たちも罠にびくびくしながら退却を余儀なくされたのであった。

 真田の勝利である。

 赤備隊もほとんどが生き残り、源三郎と無事を喜び合った後で。
 「徳川の総大将は丸子へ向かったらしい。出陣するぞ」
 昌幸から命令が下った。どうやら徳川方は信濃国衆が治める丸子の城を占領して援軍を待ち、体制を立て直す算段らしい。
 城内で待機していた兵らはまだ丸ごと温存されている。城の守りを源三郎と国衆に任せ、昌幸は源次郎とそれらの兵、そして赤備隊を伴って丸子城へ向かうと告げた。
出陣までのわずかな時間、源次郎は猩々緋の陣羽織姿で西の櫓に立ち海士ヶ淵に漂う骸を交互に見下ろした。
 鳥の目線で俯瞰してみると、戦場とは何と『負』の気配に満ちたものだと思わずにはいられなかった。
徳川家康は勿論のこと、主の命令で戦っている兵達もみな憎しみをもって上田城を睨んでいることだろう。だがその誰もが悪人という訳ではない。一人一人にある生存本能が恐怖を憎しみに変えることで敵に向かって槍を突き出し、刀を振るい、火縄の引き金を引く。やらなければ、自分の命がないのだから。
 (いや、本当に恐ろしいのは冷静に人を殺める者の方だ。自ら処断せずとも、己の利益のために何人でも命を犠牲にできる者こそ真の悪なり)
 安全な天守閣の中で兵に守られながら思惑と打算のみで討伐だの切腹だのを命じる支配者に比べれば、死にもの狂いで戦って命を勝ち取る兵の方がまだ健全だと源次郎は思った。今後もし自分が『将』になったとしても、簡単に命を切り捨てるような将にはなりたくない。
 憎しみが空へ舞いあがるような空気を、源次郎は全身で受け止めた。
 「愚直の計、か……お館様、この信繁にはまさに戦そのものが愚であると思えてなりませぬ」
 あるいは信玄も長じた源次郎にそのことを悟らせたくてあのような言葉を教えたのかもしれない。戦の世が愚であるのなら、自らの手で終わらせてみよと。そのためには自ら愚にならなければ…戦に命を投じなければならないのだ、覚悟して生きよと。
 目の前にある戦いを積み重ねて乗り越えた先には、一体何が自分を待ち受けているのだろう。源次郎は大きく息を吸っては吐く仕草を何度か繰り返した。
そうすることで胸に入ってくるのは、厳しい残暑の中を漂う血なまぐさい空気。その重苦しい臭いは源次郎の鼻の奥にいつまでも残るのだった。


 大敗を知り丸子へと敗走していく鳥居元忠が、家康にどのような申し開きをしようかと茫然となっていた頃。
 「真田め、分もわきまえず赤備隊を真似るとは不遜なり」
 援軍として駿府や岡崎に近い遠江国井伊谷から山を越えて到着した井伊直政は、大敗の報せを聞いて怒り心頭であった。徳川に臣従していた井伊は武田の旧臣を数多く従え、家康の命令により武具や武器一式をすべて赤揃えにした『元祖』赤備隊を所有していたのだ。甲斐の多くを制し、武田の家臣であった者が数多く臣従している徳川にとって、武田の伝統を復活させることは家康が自らの自尊心を譲ってもなお余りある程の士気向上に大きな意味を持っていた。当然、彼らを率いる井伊の誇りは並々のものではない。
が、赤揃えとしの実戦は先の小牧・長久手の戦いが初であり、しかも徳川軍は講和という名の実質的な敗北を喫している。
この上田にて勝利をもぎとり、特別な部隊の戦歴に華やかな勝利を飾るべく並々ならぬ気合いで登場してみれば、すでに敵方で赤鎧の騎馬が戦場を所狭しと駆け巡っている有様なのだ。
 真田の赤備隊は、徳川が信玄に倣った赤備隊を使い始めた事をいち早く知っていた真田昌幸の、徳川に対するささやかな嫌がらせであった。秘蔵の部隊も出す機会を逸してしまえば価値が薄れる。井伊が真田を「真似だ」と怒っても、結局のところ先に出した方が一番手で、後から現れた者はすべてにおいて前者より優れていても二番煎じに甘んじてしまうのだ。そのことを承知していた昌幸は井伊が到着する前にこちらの赤備隊を出撃させ、徳川の赤備隊以上の活躍ぶりを見せつけることでこちらが『元祖』であると世に印象づけてしまったのである。
 しかし、挑発も数の差を前にしてはただの無駄吠えにしかならないもので。
井伊隊の数は五千だという間者の報告に苦笑いした昌幸は、采配をぽんと手のひらに打ちつけた。
 「井伊の奴、かような大軍を率いて来おったか。このような田舎の小国に本気を見せるとはいやはや……が、これで敵の士気も上がるとなれば迂闊に手出しは出来ぬな」
わしの策が優秀すぎたか、と昌幸は呟いた。言葉のとおり、危機感はその顔にない。
 「井伊直政は徳川四天王と呼ばれる程の猛将と聞いております。父上、大丈夫なのでしょうか」
 「うむ。あの数相手では、ちと長引くかもしれぬな。『あちら』の動き次第なのだが」
 一足先に丸子城を占領することに成功した昌幸は、この期に及んでまだ何かしらの策を弄しているらしい。何重にも思考を巡らせている様は、ただ奇策を練っているだけではないと知らしめる。ただ従属していただけでなく各地の大勢力の戦術や国主の人柄をつぶさに見て来た昌幸は、慎重に慎重を重ねる術をよく心得ていた。
 「まあ、何とかなるだろうて」
 既に昌幸の中には何らかの策がある。源次郎にはそんな風に聞こえた。

 そこから数日は丸子城、上田城、そして徳川隊みな沈黙のまま過ごした。
 真田軍も積極的に打って出ることはせず、窮地に陥っていた徳川も援軍を得ていったん戦線を下げた上で再攻撃の機会を伺っている。両者睨み合いの様相となるかに思えたのだが。
 「……そろそろ、の筈なのだが」
 丸子城の物見台から徳川の陣を眺めていた昌幸が呟く。
 「はい。そろそろ徳川の援軍が動き出す頃合いでございます。ご指示を」
 「ああ、適当に相手しておけ」
 「籠城なさいますか?」
 「それでも良いか。ひと月分くらいの兵糧があれば充分だろう。余ったら近隣の民に分けてやれるからな」
 ひと月の兵糧を余らせる。確実に何らかの策が進んでいるのだろうと確信した源次郎は、すぐに伝令を走らせる。
 「まあ、ここまで来られればの話だが」

 昌幸の思惑は、見事に的中した。
 「徳川方、突如として撤退!」
 ある朝、見張りの兵が声を張り上げた。粥をかきこんでいた昌幸は「よし」と歓喜に拳を握りしめる。
 「丸子の山頂と上田城に、できるだけ高く真田の旗を掲げておけ。奴らから見える場所にもありったけの幟も立てておくのだ」
 昌幸の命令はすぐさま実行に移された。上田の高台が赤で埋め尽くされる。
 高々と掲げられた六文銭の旗が、わずかな反撃も出来ずに撤退せざるを得なかった徳川の兵たちをさらに惨めな気持ちにさせる。屈辱を味わわせておいて、二度とこの地を攻める気など起こさせない心理的な牽制であった。
 「父上、まさかこうなる事をご存じだったのですか?」
 一通りの命令を出し、上田城にも伝令を走らせた後で座り直し、冷めた粥の残りを啜った昌幸は源次郎に「城に戻ったら教える」と答えた。

 源次郎達が帰城の支度や余った兵糧を近隣の農民に配分する手はずを整えに走り回っている中。
 「徳川方の石川数正が岡崎を出奔して羽柴秀吉の家臣となったそうだ。突然の出来事に三河国は混乱しており、家康はそちらを収めるのに手いっぱいだとか。信長の二の舞を恐れ、上田攻めに出ていた将らを早急に呼び戻したかったのだろう」
 草の者として裏工作に走っていた出浦からの報告を、昌幸は笑って聞いていた。
 「さすが出来る男は違うのう」
 「徳川が、か?」
「いや石川の方だ。家康がもっとも痛手を食らう機を逃さずに出奔してくれたわ」
 「やはりそっちか。まったくよく言う。石川が徳川に不満を抱いているという情報を羽柴方に流し、引き抜きを画策した張本人が」
 「忠義者を軽んじると手痛いしっぺ返しが来るという事だ。石川どのには、次に会ったら礼を言っておかなければな」


 戦は終わったが、残暑が厳しい上田の地では領民も兵士もみな戦後処理に追われていた。収穫期を控えている農民兵はできるだけ帰宅させたので、後は国衆とその一族が総出で片付けに当たるしかない。源次郎も各地の被害状況の把握や支援要請の取りまとめに馬を走らせる日々が続いた。
 神川の上流、真田山本城に寄った帰りの街道では戦死者を板車に乗せて山へ運ぶ作業が行われていた。彼らの姿は甲斐で見た武田の死者と同じである。街道沿いの集落のあちこちに、徳川が旗印として記していた『厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)』の文字が記された布きれや小袖が洗って干されていた。あとの死体は大昔からの鳥葬に倣って処理されるのみ。旗印の文言が意味する『戦で穢れた地上を浄土のように住みよい世にするため邁進するべし』という狙いとは程遠く、すでに山には死体目当ての烏が無数に集まって声を上げている。加賀で佐々軍を撃退した際も、揚々と引き揚げる道中でこのような光景を見た。本当に戦が終わったのだと感じる瞬間であった。
 その日に片付けられていた骸の数は、ざっと見ただけで数百。すでに処理されてしまった分も考えれば千は超えるだろう。しかし死者のほとんどが徳川の者で、真田側の死者は五十に満たなかったと報告を受けて仰天した。
 一昨年の小牧・長久手では、徳川が出した兵のべ三万五千の中での死者は六百ほどであったと兼続から聞いていた。今回は一万を超えた程度の兵であったにもかかわらずその倍もの死者を出したのだから、兵力全体に対する戦死者の割合はもっと大きくなる。それを上田の小国から被ったのだとしたら、徳川の屈辱たるや計り知れないものがあるだろう。真田が大国に侮られることはなくなったかもしれないが、逆に怖れから潰される危険も高まったのだ。今後を考えると、あの父がどう出るのか。 

 「まだ国境で残党との小競り合いが続いているというが、全面撤退も時間の問題だろう」
 上田城に戻った昌幸と源次郎は、源三郎や国衆達も交えて今後の話し合いをしていた。
 「では、次は正式な講和となりますね」
 「そうだな。だが此度の戦で徳川は懲りただろうし、北条は悔しさに憤死してしまうかもしれぬぞ?」
 「沼田の首尾も上々であったと報告を受けております。大叔父上はしばらく沼田に逗留なさるとの事ですが、真田と上杉との同盟が明らかになった今、北条もしばらくは攻めて来られますまい」
 「やはり、この上田を拠点として足元を固めるおつもりですか?」
 「うむ。わしは大名になる」
 「大名!」
 「そのためには一旦羽柴の傘下に入る必要があるのだが……人質が必要であろう」
 「人質……」
 「ゆくゆく羽柴が天下人となった際にはわしも京都か大坂住まいとなるだろうが、その前に羽柴への顔つなぎとして真田の者を送り込んでおきたい。此度も男子だ。お役目を与えられる男子なれば情報収集も兼ねられる」
 「父上は、臣従の意を示すことで羽柴公に徳川との講和を仲介していただくおつもりなのですね?」
 「その通りだ、源次郎」
 「戦に勝ったとはいえ、真田が徳川と対等な立場になるためには後ろ盾が必須。そして現在の徳川に最も強く意見できるのは羽柴どのをおいて他にありませぬ。それが真田にとって最も安全な策であろうかと想像はつきました」
 昌幸は、天下人となるのは羽柴秀吉であると見込んだようである。実際、現時点で羽柴最大の敵である徳川家康は畿内より西との繋がりが薄い上に上杉や前田など不仲な者が多い。足元を固めている間に羽柴が天下人との宣旨を受けるのはほぼ間違いないであろう。
 その羽柴に、早いうちから…徳川よりも先に従っておく。昌幸の中では、あくまでも信濃国と真田家を守ることが最優先なのは変わっていない。
 「しかし、いずれ父上が上洛なさるとなると、兄上には上田城代として残っていただかねばなりますまい」
 「浜松から信尹叔父上を呼び戻しますか?」
 「いや。ここで信尹を引き揚げさせては却って講和が難しくなってしまう。そこで、だ」
 昌幸は源次郎を見た。
 「おまえに大坂へ行ってもらう」
 「私が、でございますか」
 「羽柴どのの臣下となり、気に入られて来い」
 「しかし上杉さまへ不義理を働いてしまうのは……」
 「私が行きましょう。父上が上洛なさったら、交代して帰城すればよいのでは」
 源三郎の提案は、すぐに却下された。
 「いずれ国主となる者が簡単に動けば、真田は易き国として侮られてしまう。それにまだ羽柴が天下人になるまで時間がある。その間に何があるか分かったものではない。おまえが上洛するのはわしと一緒に、だ」
 「はあ……」
 つまり様子見…羽柴秀吉という人物の懐に入り込み、その器、周囲の人間の勢力や関係性まですべてを見極めて来いという事だ。そして羽柴がこのまま何事もなく天下人となれた時点で正式に臣従するつもりなのだろう。
 「よいか源次郎。京や大坂は甲斐とも越後ともまったく違うと聞いておる。西国の有力大名や公家が集まる地であり、羽柴秀吉は織田信長のやり方を踏襲して優秀な者を全国から次々と登用しているそうだ。その地でできるだけ多くの者と知り合い、全国の情報をつかんで来い。羽柴の現状だけでなく、大名同士の力関係も含めてすべて」
 「そのような場所で、私が頭角を現せるでしょうか」
 「だからこそ、だ。おまえには武田と上杉の両方から教えを受けた者という最大の売り込み文句があるではないか」
 「売り込み、ですか……」
 「敵対していた両者から学んだ者などそうはおらぬ。羽柴に興味を持たせたら、後はおまえの頑張り次第……なに、信玄公にも上杉どのにも気に入られたおまえなら心配は要らぬ。この際だから政治の中枢とやらで学んで来るのも良かろう」
 いずれ真田が大大名になった際の役に立つだろうからな。昌幸は冗談とも本心ともつかない…本当に天下を目指しかねない顔をして源次郎の肩を叩く。
 「上杉どのにはわしから丁重に礼と詫びを申しておくから、急いで大坂行きの支度をするのだ。……もっとも、上杉どのはこうなる事を折り込み済みでおまえを海津城に入れたのだが」
 「そうなのですか!」
 「わしならそうする、という話だ」
 実際、支度と言っても海津城の屋敷へ残してきた身の回りの品を上田に引き揚げさせるくらいである。それら手配は佐助と楓に頼んだ。簡単すぎる手続きは、やはり戦後の流れを読んだ上杉の配慮によるものだったのだろうか。
 大坂行きの支度が整うまでの間、源次郎も自ら上杉と兼続、お船に宛てて文をしたためた。儀礼的なものではなく、やはり自らの言葉で直接これまでの礼と詫びを入れておきたかった。
 (そういえば、あの男……)
 越後での日々を振り返りつつ筆を滑らせていた時、源次郎はかつて春日山の社で出会った隻眼の少年を思い出した。
 あれから何度か、源次郎は夜中に社へ足を向けてみた。だがついに再会することはなかった。やはり自らの国へ戻ったのだろう。
 (彼は大坂にいるのだろうか、それとも徳川方に)
 憎らしい男ではあったが、彼が二度と越後へ来ることがないのなら、自分が動くことで彼とまた会う日が来るかもしれない。そう思うと、突然の大坂行きも何故か楽しみに思えて来るから不思議なものであった。


 「源次郎は、やはり大坂へ向かうようでありますな」
 春日山城にて。先の戦においての援助に感謝する真田昌幸からの書状と源次郎個人からの文に目を通していた景勝に、兼続は話しかけた。
 「『やはり』とは……兼続も気づいておったか」
 「殿のお考えはすべて理解しているつもりでございます。ゆえに人質を春日山から離す事にも反対せずにおりました」
 「ははは、流石は兼続だ」
 景勝は文を盆に載せて茶をすすった。
 「ともあれ、真田が羽柴どのの傘下に入るとなれば我らは対等となる。最早人質を取る必要もあるまい」
 「真田が此度の戦に勝利した事で、徳川への牽制にもなりますからな」
 「そういう事だ。すべての者が望む形に収まるのなら、それが最も良い形であったという事……毘沙門堂に参るぞ」
 「はっ」
 景勝は謙信ゆずりの毘沙門堂に入ると数珠を取り出し、護摩を焚いて毘沙門天の真言を唱えた。源次郎の武運と仏の加護を祈る儀式であるが、それが上杉以外の者に手向けられたのは景勝の代になってからは初めてであった。
 しかし景勝は祈祷の最中に意外な言葉を口にする。
 「かの乙女に、御仏の加護があらんことを」
 「乙女、でございますか?」
 景勝の言葉に兼続は目を丸くした。
 「おや、気づいておらなかったか?」
 とうに知っていると思っていた。景勝は平然と答える。
 「まさか源次郎のように勇敢な武士が女子であったと……」
 「ははは。毘沙門天が教えてくださったのだ」
 それが冗談であることは承知していたが、兼続は主の眼力に改めて感服した。同時に己はどこを見ていたのだと猛省する。源次郎が女子であると知っていれば、加賀での戦においてあのような無謀な戦いはさせなかった。妻のお船や加賀の前田利家の奥方など、女性は必ずしも弱きものではないと承知していても、やはり女子供は何よりも優先して守るべきというのが兼続なりの信条なのだ。
 「……恐れ入りましてございます。この兼続の不覚でございました」
 「いや、あの者の振る舞いはまことの武士であった。今後もそうあり続ける覚悟なのであろう。しかしあのような細き身で、かような激動の歴史と戦うとは……我らに出来るのは、せめて幸多かれと願うことくらい」
 「はい」
 兼続も懐から数珠を取り出すと主に従って真言を唱えた。素性を知っても源次郎を認めた気持ちに嘘はない。
源次郎のこれからの武運と、そして、いつの日にか、源次郎自身が自ら望む形での幸せを手にすることを願って。
 「来春には私もまた上洛する。都での再会を楽しみにしようではないか」
 景勝は心待ちにするように西へ眼を向けた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み