第24話 関ヶ原

文字数 35,561文字

 真田昌幸が上田で徳川兵を迎え撃つ算段をしていた頃に話は遡る。

 「細川家に嫁いだ千世姫は、ただ今江戸におられます」
 伊勢の行軍から離脱して高宮城に入った小早川秀秋のもとに、墨染め姿の徳川の密使が訪れた。
 「細川どのの奥方…千世姫の姑どのは大坂で石田の人質に取られておりましたが、夫の忠興どのが後顧の憂いなく我が軍に加われるよう家臣に自らを斬らせ、屋敷に火を放させたそうです」
 「そんなことが」
 「千世姫は姑と運命を共にしなかった咎で細川さまの怒りを買い、暇を出されたとのこと。その後、江戸にお住まいのお母上、芳春院(まつ)さまと共に徳川方の人質となって居ります」
 「芳春院さまと?」
 「芳春院さまが呼び寄せたそうです」
 「……」
 小早川は無意識のうちに髷をいじりながら回想した。千世姫の母で北政所の親友でもあった加賀の芳春院には、幼少時によく可愛がってもらったものだ。たくさんの子供たち全てに深い愛情を注いでいた慈母そのものの女性だったと記憶している。
千世姫が母親とともに戦とは遠い江戸の地に居ることにまず安堵し、同時にさらなる不安に駆られた。
 もしも此度の戦で徳川が敗れたら、徳川に与した者たちはどうなるのだろう。将兵の行く末はただ一つだとしても、一族にどこまで累が及ぶのだろうと。
 大義は豊臣家にあるが、徳川が敗れることも小早川にとっては好ましくない。
 そんな逡巡を見透かしたのか、密使は続ける。
 「中納言どのがこちらに付いてくだされば、徳川の勝利は確実になると内府さまは仰せです。中納言どのは東軍勝利の立役者として、さらに上のお立場を用意するとも約束してくださいますぞ。お望みとあらば江戸へお屋敷も」
 「江戸へ……」
 「さすれば千世姫を奥方に迎えることも出来ましょう。いえ、内府さまの手でそのようにお取りはからいくださるとも仰せです」
 十八歳と年若い小早川の心はゆれ動いた。千世姫への気持ちは今も変わっていない。迎えに行けるものならば、ぜひともそうしたい。
 (けれど叔母上が大事にして来られた豊臣に引導を渡すなど……)
 晩年こそ秀吉や石田治部によって中央から追放されたとはいえ、叔母から受けた恩を忘れた訳ではない。実際の母親以上の愛を注いでくれた叔母を悲しませることを思えば気がひけるのもまた事実なのだ。
 「少し時間をいただきたいとお伝えください」
 「勿論でございます。ですが、内府さまは良いお返事を期待しておりますぞ」

 数珠を鳴らして山間に消えた密使の名は板部岡江雪斎。かつての主、小田原の北条家を豊臣秀吉に滅ぼされた僧である。


 「立花さま、それはもしや?」
 秀吉の死後、事実上徳川家康のものとなっていた伏見城が落城し、上方軍にとって幸先よい始まりとなった戦の後のささやかな酒宴で。
 伏見攻めで総大将を務めた宇喜多秀家を上座に酒を酌み交わしていた一人、宇喜多家に仕える明石全登は、酒に酔った立花宗茂が着物の胸をわずかに開いた時にちらりと見えた十字架を見てついつい声をかけていた。
落城を見届ける間もなく、毛利秀元・長束正家・長宗我部盛親・小早川秀秋らは伊勢路から岐阜城を目指して既に出立していた。伏見に残って城の占領と鳥居元忠の首級を確かめた者達も、次の戦場では別行動になる。立花宗茂は徳川方に臣従した京極高次が治める大津へ攻め入り、宇喜多秀家は石田治部少輔が待つ美濃へと進軍する事になっていた。
 「もしや立花さまもキリシタンであられますか?」
 私も、と明石は自らも首に提げた十字架を見せる。齢三十歳を越えたばかりの立花は、同年代の明石に「ほう」と大柄な体を丸めて子供が宝物でも見せ合うかのように十字架を取り出してにやりと笑いあった。
 「最初は賛美歌の何とも美しい音色に惹かれたのですが、大坂の細川屋敷にてガラシャ様のお話を拝聴しているうちにすっかり虜となりまして……禁教令が敷かれる直前に洗礼を受けました。長崎での事件の後も細々と信仰を深めております」
 禁教令が敷かれたとはいえ、それも秀吉の関心がそちらにあった時期だけのこと。秀吉が二度目の大陸出兵に躍起となり、その最中にすべての力を使い切ったように没してからは中央もキリシタンに対して何らかの制裁を行う時間がなかった。それが幸いして、キリシタンは各地で脈々と息をひそめていたのだ。大坂や京都の大名屋敷には身分の貴賤なくキリシタン達が集って礼拝を行っていたのだが、太閤の死後の勢力争いに忙しくなった大老達に彼らを咎める時間などなく、事実上黙認されていた。
 「それは熱心ですな。私は洗礼も受けておらず、明石どののように本格的な教えを受けた訳ではありませぬが……かつての主が敬虔なキリシタンであった故、その思いだけでも受け継ぎたいと久留子(十字架)を身につけているのです」
 「たしか豊後のドン・フランシスコ……大友宗麟さまでしたね。ザビエル様と引見し、布教にも熱心でおられたと聞いております」
 我々の憧れでした、と明石は安らいだ顔で十字架を見つめる。
 「ええ。キリシタン王国を作るという大志を生涯抱き続けた童のようなお方だと思っておりましたが……宗麟さまは信仰によって九州に住まう者すべての心を平定し、領土をめぐる小競り合いを終わらせようとお考えだったのではないかと最近では思うことがあります」
 立花の告白に、明石は理解を示した。
 「過去の帝たちが、それまで日ノ本に存在していた自然崇拝から仏教という目に見える信仰対象へと舵を切って日ノ本をまとめ上げたのと同じ流れですね。信じるものが同じであれば、人は国も言葉も超えられるもの……太閤殿下も、キリスト教は日ノ本の根幹を揺るがす脅威だと捉えて弾圧へと動かれた」
 「明石どのの仰る通り。ですが弾圧は何の解決にもなりませぬ。先の禁教令の後、九州のキリシタン達は地に潜んで結束を強めています。私も、忠義にもとると知りながらも黙認しておりまして……人は、力で抑えつけようとすればするほど頑なに信ずるものを守るようになるのだと、我が統治の戒めとしているところです。平静、国元では大っぴらにならなければ信者の集会も大目に見ておりますが、私自身は太閤への義を果たすため参集に応じずにはいられませんでした」
立花宗茂の実父・高橋紹運、そして養父・『鬼道雪』と異名をとった立花道雪は、主家の大友家が島津や龍造寺といった勢力によって滅ぼされた事であわや滅亡の危機に瀕していた。だが豊臣秀吉の九州討伐に加勢することで仇討ちの機会を与えられ、豊後から島津軍を追い払った武功によって立花家は存続を許され今に至る。そのとき宗茂は二十歳、『鎮西一の強者なり』と秀吉から絶賛された戦であった。
 そのとき敗走した島津義弘と真田源次郎が九州の山中で見えていたのだが、それは立花が知るところではない。
 「信仰と義の釣り合い…難しいところでございますな」
 「いかにも。東西に分かれているとはいえ九州の主だった大名たちはみなキリスト教で繋がっておりますし、唯一キリシタンではない加藤肥後守どのには黒田のご隠居どのが目を光らせております。九州勢が大きく争うような事はないかと考えますが……それでも国元に残してきた奥が心配になります」

 このとき立花は加藤清正のみを脅威としていたのだが、本当の脅威は往々にして思わぬところから現れるものである。
 長月九日。息子の長政が徳川方として戦っている中、隠居していた黒田如水が突如挙兵し細川領豊後へと攻め入った。


 「此度の戦で治部少輔が勝利した日には、小早川中納言さまには関白職に就いた上で秀頼さまの後見人に名を連ねていただきましょうぞ」
 小早川が逗留する高宮城。徳川の遣いの次は、石田治部少輔三成を総大将とした上方軍の連判状を携えた大谷刑部少補が小早川秀秋と対面していた。
 かすかに抹香の香りが残る部屋。弱りゆく視力と引き換えに嗅覚が鋭くなっていた大谷がその香りに気づかない訳がない。そして大谷は、ありふれた抹の香を残した者が何者なのかおおよその見当がついていた。
 これが石田三成ならばすぐさま小早川を詰問するだろうが、それは愚策である事を大谷は承知している。頭巾と覆い布が表情を隠してくれるのをいいことに素知らぬ振りを貫けば容易く安堵するのが小早川、老獪や海千山千といった形容とは無縁の若者なのだ。
 「太閤殿下のご遺言どおり、秀頼さまの後見は五大老が連携して行う決まりだった筈では?」
 「戦が終われば五大老の一人が欠けるでございましょう。その席に中納言さまを」
 小早川の表情が強ばった。誰の事を指しているのかは言うまでもない。
 「ご身分といい秀頼さまの縁戚にあたるお立場といい、中納言さまが後見に当たられる事に何ら支障はございませぬ。秀頼さまが元服なさるまでではありますが関白職を、その後は執権として秀頼さまの相談役となり、若い力で豊臣を盛り立てていただきたく…それが治部少輔の考えでございます」
 「なぜ今更そのような事を持ちかける?伊勢から離脱し勝手に高宮城に入った私が信用できぬゆえ、裏切らぬとの約定を取り付けようとしておるのか?」
 「……まあ、かようなお振る舞いを臆病者よとあざ笑う者が居るのも事実ですし、このまま動かずにおられればいずれ不信感も買うことになりましょう。不安の芽は早いうちに摘んでおかねばと、中納言さまのお命を狙う動きがあるのもまた確かでございます」
 「!」
 それは大谷の出任せであったのだが、うしろ暗い小早川に大谷の発言の裏など読める訳もない。
 「ゆえに治部少輔は『中納言は我が軍とともにあり』と名言して平穏を図り、中納言さまの御身もお守りしたいのです。この私が、輿に乗ってまで大垣から中納言さまの元へ急行したのが証」
 「あの者が私のために何かをするとは思えぬが」
 大谷刑部は嫌いではない…むしろ物腰の柔らかな知識人という点では尊敬しているが石田治部は好まない小早川があからさまに嫌な顔をする。
 「これはこれは。中納言さまは石田を随分と嫌っておいでですな」
 「……刑部少輔。私は解らぬのだ」
 「何を、でございましょう」
 「此度の戦、私はどう振る舞えば良い?私に今の地位を与えてくれた叔父上への義は感じておるが、叔父上にお子が生まれた途端に用済みとばかりに梯子を外された。それに秀次さまの件もまだ忘れる事ができない」
 「……」
 「私は石田治部少輔が信用できぬ。小早川に養子に出されたと思えば、死ねと言われたも同然の大陸への出兵。死ぬ気で戦い武功を立てて戻っても何の労いもなく豊後やら筑前やらを転々とさせられた。殿下の代わりにそれらの段取りを行ったのは石田治部だと聞いている。己の美濃振りひとつ自分で決められぬ私の生はどこにあるのだ?太閤殿下の存命中は殿下の、そして今は石田治部の胸ひとつ、秀頼さまが長ずれば秀頼さまの気持ちひとつか?」
 自らの意思などまったく無視された人生だ、と小早川は畳を手で何度も叩いた。石田が秀吉の意を受けて動いていたうちはまだ自分で自分を納得させられもした。だが今は違う。
 「何者かから、何ぞ吹き込まれましたかな?」
 「……」
 小早川の顔色が一瞬変わったが、大谷は気づかぬふりをして小早川の言葉に耳を傾ける。
 「私はもう厭なのだ。小早川の父上の跡を継ぎ、私も一国を預かる将となった。もう自らの意思で生き方を決めたい。誰かの駒として生きるのはこりごりなのだ」
 甘い、と一喝したい気持ちを大谷はぐっと堪えた。そのような疑問を捨てなければ、秀吉の体制下での仕官など務まる訳もない。結果如何は別として、豊臣秀次が金吾中納言の代わりに関白になれたのは彼が金吾よりは自我が弱かったからなのだ。 その秀次も、自我が芽生えた途端に太閤の不審を買って抹殺されたというのに。
 それら出来事から学習していない小早川が言うところの『自分の意思』は、すなわち誰かに立てられた柱にもたれかかっているようなものである。生まれた頃から全てにおいて誰かの言いなりに生きてきた者が遅い自我に目覚めたところで、それを自らの生き様として確立していく事は難しい。事の善し悪しを判断する物差しは培えるが、意見も思惑も異なる大名たちの間で角を立てずに己の意見を主張できるよう立ち回れなければ、正義も生き様もただの独りよがりに終わってしまう。相手が太閤でなく徳川だとしても、無用となれば抹殺は免れない。それに気づかないのは小早川の甘さに他ならないのだ。
 そして今、小早川の自我を支えているのは間違いなく徳川だ。豊臣に、石田に何らかの禍根や軋轢がある者をすべからく丸め込んでいった徳川のこと、小早川を見逃す筈がない。
 (後ろ盾も兵力もそこそこあり、なおかつ御しやすい者……懐柔の狙い目はどちらも同じという事か)
 大谷はつとめて穏やかに、小早川の心を開かせるように訊ねた。
 「……なるほど。中納言さまは治部少捕を誤解なさっておられるようですな」
 「誤解などではない。私なりにあの者を見て好ましくないと思ったのだ」
 「中納言さま程のお方が、ご自分の眼だけで一家臣の評価を定められるほど石田と接している訳ではございますまい。中納言さまのお心にある石田の評価には、ご自分で石田をご覧になってのご判断ではなく他人から伝え聞いた要素が少なからず混じっている…違いますかな?」
 「それは……」
 小早川が何となく弄んでいた扇が止まった。たじろぐ小早川に大谷が畳みかける。
 「いかな太閤殿下とて、すべての者が得心するようなご裁定など出来ますまい。一方に光を当てれば、もう一方に陰がさすのは理。ですが殿下は常に日ノ本の光でなくてはならなかった。ゆえに、殿下のご意思のうちに生じた矛盾を自らの責とすることで、石田は殿下のご威光を傷つけまいとしていたのですぞ」
 「……」
 「でなければ、殿下は信長公の二の舞になっていたでございましょう……殿下をお側でご覧になっていらした中納言さまならば、それを否定できますまい。……もっとも、汚れ役に徹した石田に人望がないのは私も否定できませぬが」
 「そなたも石田が危ういと思うておるのか?」
 「中納言さまが、此度の戦が石田ではなく徳川の方に風が吹いているとお考えになっていらっしゃる程度には」
 小早川は、「ううむ」と頭を抱えた。敢えて迷いを深めさせ、そこから裏を垣間見ることが出来ればという大谷の計算など まったく預かり知らぬうちに。
 「ならば大谷刑部、そなたは私と行動を共にせぬか?」
 「どういう事でございましょう?」
 「実は……私は徳川内府から内応の打診を受けている」
 「何と」
 わざと大きな声を上げた大谷を、小早川は「しっ」となだめる。
 「筑前の安堵、大納言への昇進、石田治部が治めている佐和山と長浜の知行、それに……江戸に屋敷をと持ちかけられた」
 「中納言さまは江戸での暮らしをお望みでしたか」
 「大坂や京はしがらみが多すぎる。私は何もない場所に移り住みたいのだ」
 「……左様でございますか」
 「私は石田治部のために戦える自信がない。あの者は殿下のやり方をそのまま踏襲しようとしているが、それでは今後も私のような目に遭う者が出て来るであろう。いや、私だってもう国主として自由に振る舞いたい」
 「それは豊臣家が天下に在る限り為し得ないとお考えなのですな?」
 「いかにも。内側から変えていこうにも、私はもう蚊帳の外。下手に出しゃばれば秀頼さまがご元服なされるまでに私が切腹させられないとは限らない。ならば私はこれまでの世を変えられる方に賭けてみたいのだ。内府さまに治世をお任せして、新たな世を築いていただきたい」
 「徳川内府さまが築かれる世とやらが、どれだけ中納言さまの思い描いたものに近いかはまったく分かりかねますぞ。博打を打つおつもりならば、御身の行く末を定めるものとしてはあまりに軽率ではございませぬか?」
 「軽率などではない。私なりにこれまで熟考していたのだ」
 「……なるほど」
 「そなたが私に加勢してくれるのなら、私が与えられる佐和山や長浜はそなたに譲ってもよい。だからどうだ?」
 「そうですなあ……」
 大谷は、ここで長考のそぶりを見せた。すべてを打ち明けた小早川がもう戻れないのを承知の上で。
 「関白や執権の座に執着はございませぬか?」
 「権力など枷でしかない。徳川の言う大納言の座だって要らないくらい、私は自由が欲しいのだ」
 「……わかりました。中納言さまがそこまで深くお考えならば、この大谷刑部もお手伝いいたしましょう」
 「本当か!」
 「正直なところ、私もかような体で先短い命ならばこそ一族に汚名を遺すような真似はしとうございませぬからな。私は、石田治部より徳川との戦にて陣を組む役目を命じられております。中納言さまの陣のすぐ前、盾となるようわが軍を配置いたしまする。さすれば、中納言さまが内応した際に一緒に石田の本陣へと攻め込めるかと……もっとも、そのためには中納言さまも最初は石田方としてご出陣いただきますが」
 「勿論そのつもりだ。ああ、何と心強い」
 胸の内を吐き出してすっきりした上にようやく味方を得た小早川は、連判状に快く名を連ねた。

 (小早川はこれで押さえ込める。あとは石田とともに戦う宇喜多どのや小西どのに励んでいただくより他にあるまい)
 万全ではないが最善は尽くした。輿に揺られた帰路、大谷は一分の隙もない陣を立てるべく、徳川の布陣を予想しつつあらゆる可能性を想定していくつもの布陣を組み立てていく。

 しかし。

 「内府さまは、あなた方のお働きこそ天下を動かすと信じておられます。既に石田治部に見切りをつけた大名に遅れを取ったとお思いでしょうが、来る戦で武功を挙げれば何ら問題ありますまい。ぜひともお力をお貸しいただきたい」

 小早川に接触した板部岡江雪斎も、ぎりぎりまで夜の近江を…各部将の許を歩き回っていたのだ。


 長月十四日、美濃国関ヶ原。

 この地がまだ『青野が原』と呼ばれていた南北朝の時代にも、ここにて南朝と北朝が大きな戦を行っている。
 そのとき勝利した北朝の足利方を滅ぼした織田信長は美濃国出身の明智光秀によって殺害され、そこから戦乱の時代を経て再びこの地で天下分け目の決戦が行われるのだ。
 この土地には、日ノ本を東西に別つ宿命が宿っているのだろうか。あるいは伊邪那岐命と伊邪那美命が淡路島を創造した際、混沌たる大地に初めて天沼矛の穂先が入った地は、もしかしたら関ヶ原であったのだろうか。

 「そうか、真田安房守どのが秀忠隊を足止めしてくれたか」
 その関ヶ原から京へ続く道を塞ぐようにそびえる笹尾山に設けられた本陣に座した石田三成は、間者から徳川秀忠の遅参を聞かされて真田家の奮戦に思いをはせた。
 「敵が四万近く減るのは大きな追い風だ。それに、徳川方に虎ノ助が参戦する気配もない」
 「五日ほど前、黒田如水が豊後の細川忠興領に攻め入ったとか。この時期に黒田の隠居が動いたとあらば、虎ノ助は肥後から動けぬだろう」
 「それは何とも……あの方らしい」
 「半兵衛さまとお親しかった隠居らしい茶番だ」
 九州の思惑がどこにあれ、加藤清正と刃を交えずに済みそうなのは石田にとってひと安心であった。虎ノ助が憎んでいるのは三成ただ一人であり、豊臣家には今も篤い恩義を感じている筈。もし自分が敗れることになろうとも、彼ならば上手く秀頼を支えて豊臣を徳川の傀儡にはさせないだろう。虎ノ助ならば、福島正則や加藤嘉明といった者をふたたび豊臣に呼び戻すこともできる。
 「茶番といえば、あちらには大野修理太夫治長が参戦しておる。徳川は大野を試すつもりだろうが、あの者はもともと豊臣家の最古参であり淀さまの乳兄弟であられる。徳川の監視が堅いゆえ内応を促す接触は図れずにおるが、戦の混乱に乗じて引き入れる事は可能であろう。もしかしたら、当人もそのつもりやもしれぬ」
 大野の、淀に対する個人的な感情は、城内で実務を執り行っていた事のある旧臣なら一度は噂を耳にした事がある。家康ほどの立場の者は知らぬ下世話な話ではあるが、大野が賤機山にて徳川に臣従したという話は生き延びるための方便だというのが石田を始めとした豊臣家臣らの見解だった。
 「取り込まれたと見せかけておいて、体よく徳川を離反するつもりか。まあよい。豊臣黄母衣衆に小西行長、大津から宇喜多どのも到着し、伊勢から回り込んだ毛利秀元どの、長束正家どの、長宗我部盛親どのも奴らの後方に展開を完了したと報告が入った。これにて我らが布陣は完了だ。大津城へ攻め入った立花どのの首尾も上々、京極は戦には出て来られないだろう。毛利中納言どのは大坂城から動かぬままであるが、今をおいて機はない。参るか」
 「いや、あと二日待て」
 「?」
 「おまえの星回りが良くない。特に明日は凶日と私の八卦に出ておる。明後日は転じて吉だ。力が互角であるのなら、最後に明暗を分けるのは運であるぞ」
山に差す陽が陰り、松明が『大一大万大吉』の陣幕を囲むように据え置かれていく中。大谷は静かに三成を諫めた。
 「やれやれ。相変わらず占に系統しているか」
 「それが結構当たるのだぞ。徳川が上杉討伐に出る際も、私は敢えてあやつの厄日に出立を合わせるよう段取りを行っていた。その結果がこれだ」
 「……なるほど。油断はするなという事か」
 「徳川の強運は厄をも相殺させてしまう。大凶となる筈がただの凶くらいにまで転じさせて戦に臨むような男なのだ。目に見えぬものであっても縋っておいて損はあるまい」
 平安の昔、朝廷が陰陽だの八卦だのといったものを行動の主軸に置いていたのは、ただの迷信からではない。軍師でありながら歴史や学問にも精通する大谷はそう信じていた。過去の大きな戦、大将たちの星回りと結果をことごとく調べて得た結論である。
 とはいえ占と預言は違うので勝負の行方は相変わらず見えないが、大谷はこれから戦う盟友にどうしても言えない占の結果をたった一つだけ抱えていた。
 
 自分の命は、あと数日のうちに尽きる。

 大谷が読める限りでは…大谷の心が『この世』を見ていられる範囲では、三成の命を司る星がどう回るかまでは見えなかった。それが勝利に直結するとは限らないのだが、自分の命は三成の義を成し遂げるために捧げよという事なのだろう。
 「佐吉。久しぶりにおまえの点てた茶を飲みたいのだが」
 「ふふっ、殿下にお仕えした頃の心に立ち返るのも悪くないな」
 三成が大谷と出会うきっかけとなった…秀吉に仕えることになったのも、ここまで戦ってこられる程の絆を強めたのも。きっかけはいつも茶だった。
 戦を前にした昔語りは不吉に他ならなかったから、二人は無言のまま一つ茶碗で茶を回し飲みした。
飲みさしの茶碗を回すたびに、ひとつひとつ思い出を、それが尽きるとこれから先の展望を語り合いながら。


 しかし、その翌日は、やはり三成にとって凶の日であった。


 翌、長月十五日の早朝。

 石田と徳川、それぞれが進軍開始の機会を伺いながら互いにまんじりともせず睨み合い、ほんの一指触れただけではじけ飛んでしまう状態にまで張り詰めた緊張の糸が、美濃関ヶ原に集った兵士の数だけ巡らされている。それぞれが開戦を知らせる太鼓や法螺を待っていた。
 笹尾山、石田三成本陣の麓。石田の先鋒として上方軍の西端を守る位置に布陣していた島左近もその一人である。
 「落ち着くことだ。本来の力を出しても互角やもしれぬ相手に勝るには、焦らず恐れず日頃の鍛錬を十二分に活かす戦いをすることこそ肝要ぞ」
 最前線、一番槍に最も近い場に置かれる光栄を緊張に代えて、島左近は配下の引き締めに駆け回っていた。
 形こそ三顧の礼をもって石田治部少輔に迎えられた左近だが、仕えた以上は持てる力のすべてをもって働くことこそ臣の務め。野武士として数多くの戦で首級を挙げたが、祖先が伊賀の出身という事から草の者ではないかという噂が立てられたおかげでどの国にも仕官には二の足を踏まれる不遇を人生で最も気力のある時期に味わった苦悩。だが石田はそれら過去には一切こだわらず、力を正当に評価してくれたのだ。
 その恩義に応えるためにも、そして太閤亡き後の石田の苦悩を間近で見てきたから…困窮に陥ってもなお自分に暇を与えず側に置いてくれたからこそ、この戦いでは何としても石田の期待に応えなければ。齢六十を超えた老武者は、ここを死地とする覚悟で戦場に立っている。それだけに迂闊な死に方は出来ないのだ。配下に足を引かれてはたまらぬ。
 しかし、後の世に『石田に過ぎたる者』とまで呼ばれた左近ですら、実はこれほどの数をまとめるのは初めてだったのだ。
 不安は時として自らの足を引く。左近の危惧は的中してしまった。
 不気味な沈黙が続く最中、左近隊の一人がうっかり槍をとり落としてしまった。拾おうとした槍は山の斜面を滑り落ち、追いかける兵とそれを見ていた仲間達が一緒に槍を拾おうと駆け出し、ちょっとした騒ぎとなる。
 それを敵襲だと勘違いした敵兵が、すわ一大事と雪崩を打つように突撃して来たのだ。極限の恐怖は目を眩ませ心を歪める。数名の怒号が波紋となり、瞬く間に関ヶ原全体に拡がる乱戦という形での開戦であった。
 「島さま。前衛が敵と交戦開始」
 静けさを破る怒号は伝令より速く左近の耳に届いている。伝令が飛び込んで来る頃には、左近も刀を取って馬にまたがっていた。
 「ええい、どうにかして鎮めなければ全軍が浮き足立ってしまう。信勝、私が出たら見方を鎮めよ」
 「承知しました、父上」
 統率が取れなくなったために上方軍全体を巻き込む事だけは回避しなければならない。左近は馬を駆って最先端に躍り出た。一騎打ちとなれば戦の中に『間』が出来る。ほんの数刻でも、それで味方が冷静になってくれれば充分だ。

 「我こそは石田治部少輔の覚えめでたき島清興こと左近なり。我が首を討ち取らんとする猛者よ、いざ尋常に勝負!」

 「申し上げます、島左近どのが杭瀬川にて徳川軍と交戦、見事一隊を壊滅させてございます」
麓が騒がしいと様子を探らせに出ていた者が三成の陣に報告を持って現れたのは、左近の奮戦により小競り合いが一段落してからであった。
 「左近どのが自ら先頭にて馬を駆け、敵方を攪乱させて討ち取らせたとのこと」
 「佐吉、あの者に戦を命じたのか?」
 自陣に戻る支度を調えていた大谷が訝しむ。
 「聞いておらぬ。あやつは時々気を回しすぎるゆえ早まらぬよう釘は差しておいたのだが」
 「では足軽達が左近よりも恐怖に負けたか。結果としては前哨戦に勝利したという形にはなるが、それにしても拙速な」
輿に乗って外へ出た大谷は、眼の代わりに全身の感覚を研ぎ澄ませて戦場の空気を感じ取った。
 「佐吉……『山』が崩れ始めている」
 衝突の一報は、既に各陣営に伝わっている事だろう。あるいは戦の喧噪を聞き取った伝令らがいざ開戦と駆け回っているかもしれない。
 開戦の機運が伝搬するのはあっという間だ。このままなし崩し的に戦が始まるのは無駄に兵力を消耗しかねず好ましくない。戦場の立ち位置によっては、いち早く情報を察知した敵に先制攻撃を許してしまうやもしれない。
 いつまでも顔をしかめている訳にはいかぬ三成は、即座に乱髪の兜を取った。
 「動き出した幾万の兵たちは、もう止められぬ……殿下だったら迷うまい。左近にはそのまま先鋒として前線を維持するよう命じろ。合戦だ」
 「はっ!」
 伝令が駆けていく山の麓。徳川に味方した勢力の布陣ごとに篝火が焚かれ、その全貌が見て取れる。
三成の陣を目指すように、あるいは徳川家康の盾となるように配置されているのは、石田を暗殺しようとした元・五奉行の者達。
 「大谷。戦が始まったら、私と左近、宇喜多どのの隊が徳川軍の先鋒どもを引きつける。その間に毛利どのと連携して背後を叩いてくれ。毛利を何としても戦場に出すのだ」
 「よいのか?」
 「五奉行らの狙いは私の首だ。ゆえに視界も狭い。視野が狭くなれば隙も広がる」
 「承知した。武運を祈るぞ」
 「私の武運の前に己が身を案じよ。愚痴のひとつも聞いてくれる相手が居なくなってくれると、私が困る」
 輿を上げさせた大谷に、三成が軽い笑みで返す。
 戦前で武者震いが止まらぬ体とは裏腹に、珍しく軽口もどきの言葉を口走る三成。つきあいの長い大谷ですら、前に聞いたのはいつであったかと首を傾げてしまう。
 異例が続くは多くの場合凶兆であるから、大谷は敢えて何も見ていないかのように…大坂城の奉行所でともに書簡を広げていた頃と変わらぬ態度で返した。
 「余命がいくらか延びる程度には気を遣おう」
 それが三成なりの精一杯の謝辞であると受け止めた大谷は、そう返して頷いたのであった。


 音に形があるとしたら、静かな池の中心に石を放り投げた時に出来る波紋のようなものなのだろう。

 関ヶ原の空気を太鼓と法螺が震わせ、それらが地平の先にまで伝搬する頃には兵らが自らを鼓舞する鬨と蹄の音が大地を揺るがして、戦は始まった。

 「島隊、ついて参れ!一番槍をものにしてみせよ!」
 はからずも戦端を切る事になった島左近は、一番槍をつける事で汚名を返上し全軍の士気を高める役割を全うするべく進軍を開始した。
 徳川は豊臣の旧臣たちをことごとく最前線に配置することで忠義を試し、あるいは石田方の躊躇を誘うのが狙いなのは明白だった。その思惑を破るには総大将を倒すのが最も手っ取り早い。そして、その役目は豊臣にしがらみの薄い…石田三成個人に仕えている自分が最も適している。
 しかし黒田長政の五千あまりの兵に対し、左近の隊は五百程度。突進するだけでは大将に届かない。
 「父上、こちらの手筈も整っております」
 左近の長男・信勝が膝をつく。左近は「頼んだぞ」と言い残して馬を走らせた。
 「あれが島左近だ。討ち取れ!」
 黒田長政が采配を掲げる。五千の兵の先鋒隊が左近隊に群がった。剛の者として知られた左近はこれらを冷静に捌き、配下の者もみな左近の手足のようによく戦う。
 数の差をものともしない戦いぶりに黒田兵が焦り始めたとき。
 「全軍後退!」
 左近が声を張り上げる。
 「追撃せよ」
 黒田隊が執拗に左近隊を追った。
 しかし、それが左近の狙いであった事に気づいた時には、黒田軍の兵らは深い空堀に滑り落ちた後である。
 多勢相手に闇雲な戦いをしているように見せかけて、左近は少しずつ敵を自陣に引きつけていたのだ。そして息子が仕掛けていた堀の手前で一気に後退する。
 堀に落ちてもがく兵らは、島隊の足軽らの長槍の餌食となっていった。
 「お見事にございます、父上」
 足軽を指揮していた信勝に、左近は皺だらけの顔をかすかに緩めた。
 「これで黒田隊の二割は減ったな。あと二回ほどこの手を使ったら、私は黒田の大将を討ちに参る」
 「援護いたします。どうか存分に」
 「よし、次!」
 左近が再び黒田隊に向かって駆ける。
 だが、地響きとなっていた鉄砲の音のどれか一つが、左近を止めた。
 戦の喧噪の中、左近は馬から転がり落ちる。主を残したまま、馬は戦の怒号の中に消えていく。周りの兵が左近を抱えて後方へ引き揚げさせたが、黒田軍はその背にも容赦ない銃撃を浴びせた。
 「父上が?」
 左近が戦乱の中で消えたとの報告に、信勝は青ざめた。が、立ち止まることを父は最も望んでいないと気を取り直して指示を飛ばす。
 島隊はまだ潰えた訳ではない。
 「私が指揮を執る。進軍!」
 真新しい采配は、父が居るかぎり必要ないと固辞する信勝に左近が無理矢理持たせたものだった。
 左近は、主の戦にいかほどの分があるのかを解っていたのだろうか。それとも、ただ単に己の身に何が起こるかを感じ取っていただけなのだろうか。
 今となっては、それら推察は後回しである。

 島左近行方不明の報告は、三成の本陣にもすぐさま届けられた。
 「左近隊はどうしておる」
 「左近どのの嫡男、信勝どのが指揮を執って作戦を続行しておられます」
 「そうか……左近の戦ぶり、宇喜多どのや小西どのにも伝えよ。まこと勇敢な男であったと」
 「承知いたしました」
 「左近の働きを無にはせぬ。我らも参るぞ」
 「ははーっ」
 戦開始早々に片腕を失ったのは石田にとって大きな痛手であったが、左近の離脱が却って味方の士気を高め、結果としては左近の狙いどおり石田軍が冷静を取り戻した。とにかく石田を目指して突進する五奉行勢を島信勝率いる騎馬隊が遊撃し、父がそうしたように空堀や味方の陣近くへと兵力を分散させながら誘導する。おびき出された兵らは石田や宇喜多の鉄砲隊によって倒され、開いた進路を小西行長や蒲生郷舎の隊が押し広げるように前線を進める。
 序盤は上方軍が優勢であるようだった。まだ陽が南の頂に到達していない頃合いである。

 (上方が有利とは……本当に内応しても良いのか)
 笹尾山の隣、松尾山に陣を構えている小早川秀秋は、木々の間に立って戦の全貌を読み解きながら迷っていた。
 上方軍の前線が徐々に進んでいる。徳川は、当初伝え聞いていた秀忠軍が到着しない事で劣勢に陥りかねない状況だった。もしここで毛利秀元が攻撃を開始すれば徳川は挟み撃ちである。
 「金吾さま、早くご命令を!」
 豊臣として戦い抜くと信じて疑わない軍監は声を張り上げる。
 「現状は上方が有利だ……」
 「では一刻も早い加勢を」
 「いや、待て。このまま山を下りれば本多忠勝どのの軍とぶつかる」
 「前方には大谷さまを始め、賤ヶ岳七本槍がお一人、脇坂安治さまもおられます。合流して攻めれば、数ではこちらの方が上」
 「けれど、そうしたら……毛利秀元どのの軍勢と我が軍が衝突したら、兵達は一族で同士討ちとなってしまう」
 進軍できぬ理由を思いつくまま並べ、金吾は迷っていた。何度も采配を肩の高さまで持ち上げては下ろし、指示の声もぶつぶつとしたもので終わってしまう。
 「金吾さま!」
 軍監の声が悲鳴に変わりかけた時。
 ドスン。
 徳川方の福島正則陣から放たれた大砲の弾が小早川の頭上をかすめて背後に着弾した。大谷の陣を狙った流れ弾か、あるいはこちらの尻を叩くためかは定かでないが、その轟音と震動に、心揺らぐ小早川は『ひっ』と震えあがる。
 砲撃は、もしかしたらいつまでも内応しない自分に対する威嚇かもしれない。だが、砲弾を食らってもなお決断を示せない。
 千代姫の顔も浮かぶのだが、それ以上に幼少期から返しきれない程の恩を受けてきた人々……叔母の北政所や、養家である小早川の一族といった者たちを裏切ろうとしているのだ。いざとなると躊躇が生まれるのは当然だった。
 特に毛利方は小早川家にとって縁戚にあたる。内応か翻意か、どちらを選んでも自らの内応が毛利家に悪い影響を与えてしまうのではないか。
しかし、その時。
 「毛利どのは動きませぬぞ」
 まるで空間を裂いて現れたかのように登場したのは板部岡江雪斎だった。
 「どういう事だ?」
 護衛が抜刀しかけたのを手で制しながら訊ねると、板部岡は数珠を鳴らしながら小早川に迫る。
 「秀元さまはご存じありませんが、あちらにも徳川への内応者がおります。その者が総攻撃を阻止する手筈。毛利軍は多勢であるが故に一枚岩でないのが災いしましたな」
 「それは……」
 「此度の戦、既に『筋書き』が整っているという事にございます」
 江雪斎の伴が、小早川の前にひとつの死体を引きずり出した。背の旗指物を見て小早川が眼を見開く。
 「大谷刑部どのの兵……」
 「山に潜んで中納言さまのお命を狙っておりました。もとより大谷刑部どのは小早川さまを信用しておられなかったという事に他なりませぬな……ですが、それもすべて『筋書き』の中にございます」
 無論、中納言さまの身の振りも含めて。淡々とした江雪斎の言葉に、小早川は身震いする。
 絡め取られた。
 徳川の言葉に耳を傾けた時点で、既に自分の中の選択肢はなくなっていたのだ。
 恐ろしさと後悔が小早川の良心を苛んだが、もはや後戻りはできない。
 「参りましょう、殿。豊臣の軛を断ち切る時でございます」
 促したのは小早川の家臣・清水景治であった。清水と江雪斎が金吾の見えないところで目配せしあっている。
 「……!!」
 千世姫。
 小早川はついに心を決めた。せめて内応に賛同してくれた大谷を信じるのみである。
 「全軍、出陣!目指すは大谷吉継の陣。たった今から、わが軍は徳川どのに加勢いたす!」

 「小早川さまご出陣、進軍を開始いたしました」
 引きつった報告の声が『向い蝶』の幕が張られた陣に響き渡る。中央に据えられた輿の上に座したままの大谷は、『来たか』と静かに呟いた。
 「小早川め、やはり徳川に怖気づいたか」
 「やはり、と申されますと」
 「もとより獅子身中の虫であったということだ」
 差し向けた刺客は戻って来ない。し損じたのだろう。大谷は慌てることなく物見台から戦況を報告させた。
 いち早く徳川方についた福島正則、藤堂高虎、京極高知の軍を、西軍の宇喜多秀家擁する一万七千の兵が押さえ込んでいる。石田の兵もまだほとんどが健在であった。大谷はすぐさま命令した。
 「小早川秀秋は徳川に内応した。吉治の兵を松尾山へ向けよ。小早川の徳川合流を許すな。わが軍は吉治の援護に回る。赤座・朽木・脇坂・小川にも吉治の援護を命じよ。逆賊を討ち取れ」
 密談の場では約定を交わしたものの、そもそも大谷に三成を裏切る気持ちなどさらさらなかったのだ。
 大谷が彼らを小早川の前衛に配置したのは、小早川を足止めするためであった。制圧まではせずとも良い。時間を稼いでいる間に石田が徳川を討ち取るか、退却させれば良いだけのこと。
 「大谷刑部どの、約定を果たしていただこう」
 長槍を突きつけあう足軽たちを挟んで、小早川と大谷が対峙した。
 だが大谷はきっぱりと拒絶した。
 「金吾中納言、それは叶わぬ」
 「そなた、やはり私を欺いていたか」
 「そなたにとっての欺きとは如何に?先に内応したのはそなたではないのか?」
 「……っ」
 「『義』とはどういうものかを学ぶ機会がなかったのが、そなた最大の不幸であるな」
 「その体で私と戦えるとお思いか」
 「たとえ時間稼ぎであろうと、友のため、そして義のために戦うことこそ我が生き様なり」
 大谷の言葉は小早川の胸を抉った。だが互いの兵は大将の思惑などまるで無視して争いを始める。
 零れた水は二度と元の器には戻らぬ。何をどう悔いても、立ち止まれば命はない。両者は満足のいく問答を終える前に濁流のようになだれ込む兵たちに距離を開けられ、次第に遠ざかっていった。

 しかし。
 大谷吉継には、小早川軍の寝返りが思いもよらぬ反動をもたらす事までは予想できなかった。
 「小早川どのが寝返っただと?」
 小早川から見て進軍方向、徳川との間に挟まれる形になった脇坂安冶・朽木元綱・小川祐忠・赤座直保の四者は大谷からの一報を受けて心が揺らいでいた。
 すぐ隣の戦場で大谷吉継・吉治親子の軍が小早川と対峙している間、彼らは急遽集まって対策を講じていた。
 「小早川どのにも徳川公から内応の打診があったという事か」
 「『にも』とは」
 「私のところにも極秘裏の接触があった」
 「私もだ」
 確約まではしなかったものの、全員が内応の誘いを受けた事実に彼らは顔を見合わせるしかなかった。
 「……という事は」
 四者は一様に考えた。勝てば官軍、負ければ賊軍。豊臣への義と勝敗は切り離して考えざるを得ない。官軍となるにはどちらに付くべきなのか。
 「筑前領主が誘いに乗って東軍についたのであれば毛利も内応する可能性が高い。五大老のうち三名が徳川につくのならば、大坂も長くないと言う事か」
 「宇喜多さまの戦況はどうなっている」
 「今のところ五分の戦いだそうだが、福島正則どのは手強い相手だ。さらに戦では敗けなしの本多忠勝どのの軍もいまだ温存されている」
 「では我らが内応せず小早川軍を相手にすれば、本多どのや京極どのに背後を突かれる可能性もあるということか」
 大谷刑部にとって不幸なことに、彼らは太閤亡き後の豊臣にさしたる執着を持っていなかった。豊臣家の権力はいまだ絶大、大義もこちらにある。
 が、戦の結果によって大義など簡単にひっくり返る事を知る武士たちが物事を決める基準は、あくまで自分や自分の一族郎党が安泰を保てる可能性が高いか否かなのだ。
 「大谷どのからは小早川の下山を阻止すべく戦うよう指示が来ております。ご命令を」
 軍師が促す。
 「うむむ……」
 「寝返るのであれば早いうちだ。上方の将をできるだけ多く討ち取り、徳川どのへの土産にすれば我が地位も安泰になる」
 「しかし、現在はまだ石田軍が優勢。戦局がどうなるか……決断によっては四方すべてを敵に回すことになるが、他の者はどう動く」
 四名は馬上で互いにちらちらとと顔を見合わせていたが、やがて最端に陣取っていた脇坂安冶が意を決して采配を北へ向ける。
 「ならば皆で動き、戦局を有利に運べば良いではないか。わが軍は小早川どのにお味方いたす。目指すは石田三成、邪魔立てするなら罷り通る」
 「脇坂どの?」
 「拙者が仕えていたのは豊臣家であり、石田治部少輔ではない。奴は『けち』ゆえに俸禄まで渋る有様、まこと息苦しくてたまらぬ。どうせ仕えるなら禄の多い方と考えて何が悪い……では御免」
 「ま、待たれよ」
 陣を出て行く脇坂の袖を朽木がひっ掴んだ。止めるのではない。脇坂を止めず…むしろ最初の決断を下してくれた事に感謝すら覚え、ともに戦うと決意したのだ。
 「脇坂どのが徳川に付くのであれば、我が軍もお伴つかまつる」
 「我らもだ。たった今から東軍である」
 小川、赤座もそれに続く。
 その様は、まさしく並んで立った将棋の駒を端から倒すようであった。兵らは一時混乱し右へ左へと入り乱れたが、混乱で前後を見失っているうちに大勢が向いている方向を攻めるべきだと判断して大谷隊へと突撃を開始したのである。


 大谷にとって小早川の内応は予想の範囲であったが、彼の軍に蓋をする意味で布陣させていた四名の内応はまったくの計算外であった。
 「大谷さま。小早川に連動して、赤座・小川・朽木・脇坂の四名もわが軍に向かって突撃を開始いたしました」
 「何と!」
 「小早川軍一万五千が迫りくる様を見て、徳川優位と考えた模様でございます」
 「わが軍は完全に挟まれております。もはや小早川軍を止めることは不可能かと」
 寝返った将の擁する軍、総勢二万弱に対して大谷軍は四千。石田に援軍を頼むことは出来ない。危うい橋を渡りきれなかった無念に、大谷は弱々しく拳を握りしめた。
 「日和見どもが……いや、小早川め!」
 「大谷さま。ここは捨て置き、大谷さまだけでも石田さまの軍と合流いたしましょう。体勢を立て直すのです」
 本陣で大谷を守っていた四名の腹心が大谷の命令を待たずに輿を担いで走り出す。それ以外の手勢はみなその場に留まり、主の脱出を援護した。
 天満山の中腹、島津の陣の後方へ回り込むように斜面を上る。中腹にさしかかったあたりで木々の隙間から戦場の様子を見た大谷は低く唸った。
 石田の軍は、小早川の寝返りにより勢いづいた徳川軍に圧されている。自らの陣があったあたりを振り返れば、そこにはすでに小早川の幟が立っていた。
 (もはや、ここまでか)
 ここで自分が石田の下に逃げ込んでも、徒に敵兵を総大将の許へ誘導するのみ。大谷は静かに采配を振った。
 「輿を置け。そしておまえ達は小早川の軍勢が石田に近づかぬよう防御を頼む」
 「大谷さま?」
 「この身、もはや自らの意思で動くのは両の腕(かいな)のみ。持ち場を守備できなかったとなればただの足手まといだ……すまぬ石田、先に逝くぞ」
 「そのような事を仰らないでください。石田さまをお助け申し上げるのではなかったのですか」
 「おまえ達は、このような異形の私を恐れずよく尽くしてくれた。その忠義、働きは太閤殿下に仕えていた石田三成にも引けを取らぬ立派なものであった。礼を言うぞ」
 「大谷さま……」
 「残念ながら、もはや私がこの世で為せる事はない。後はおまえ達に任せた。私は黄泉に赴き、彼の地から小早川を呪うとしよう」
 「……」
 怨みは頭巾の下から覗く眼を見るだけで窺い知れる程強いものだったが、大谷が案じていたのは輿を担がせたままの家臣たちであったのは彼らにもすぐ分かった。
 四人の家臣は無念に唇をかみしめたが、やがて互いに顔を見合わせて決意が同じであることを確かめ合った。
 「……大谷さま。これより私どもがあなた様の手足となり、敵に一矢報います。たとえ今は劣勢であろうと、その機運が上方を盛り返すきっかけになれば幸いというもの。しかるべき後、黄泉にて再会いたしましょうぞ」
 まず諸角余市が膝を上げ、刀を抜いて戦の喧騒へと走り去る。
 「大谷さま、あの世でまた酒を酌み交わしとうございまする」
 土屋守四郎もそれに続いた。
 「待て。貴様ら、私を置いてさっさと行くな……それでは大谷さま、しばしの間御免つかまつります」
 三浦喜太夫も涙でくしゃくしゃになった顔を深々と下げて駆け去った。彼らに遅れを取るまいと腰を上げた湯浅五助だけを、大谷は呼び止める。
 「五助、そなたは私の介錯をしてから行け」
 「大谷さま……」
 「頼む」
 輿の上で脇差しを抜いて胸元をはだけた時、懐に挟んでいた一枚の半紙がひらりと落ちた。今は息子の大谷吉治の許で戦っている、かつての大谷の部下だった武士…平塚為広という男が、小早川に応戦する際に託していった辞世の句である。戦況を見る限り、吉治もろとも既に討たれているかもしれない。

君がため棄てる命は 惜しからず 終(つい)にとまらぬ浮世と思へば

 「時代の礎となるのであれば命を捨てることも厭わず……そうだ、その通りだ。我らは彼らのような者達に支えられてここまで来た……義は我らにあったのだ」
 半紙に記された句に目をやった大谷の頭巾が濡れた。
 「私は、私に後を託した者に報いることもできなかったな……せめて彼らの生を後の世に伝えることにしよう」
 大谷は筆でさらさらと返句となる自らの辞世をしたためた。

契りあらば 六の巷に まてしばし 遅れ先立つ ことはありとも

 「意のままに動かなくなって久しい我の体であったが、死後は平将門どのに倣い日の本を自在に飛んで無念を晴らしたいものだ。……五助、わが首は決して誰にも見られぬ場所へ埋めよ。どうあっても徳川の手に渡らぬように」
 「……『義をもって為さざるは勇なきなり』……」
 儒学の基本である一節を反芻しながら涙でくしゃくしゃになった五助の顔を、大谷は慈愛に満ちた顔で見つめた。
 「それは私が最初に教えた文言であったな。五助は、他の誰よりも熱心に学んでおった」
 「大谷さまのおかげにございます。力に任せて暴れるだけだった拙者を拾っていただいただけでなく、一人前の武士としての学問や武芸を授けてくださり……このご恩、生涯をかけて返す所存でございました」
 「恩ならば、これから返してくれるではないか」
 「……」
 「『三軍も帥を奪うべきなり 匹夫も志を奪うべからざるなり』……いや、むしろ今の私の心持ちは『朝に道を聞かば 夕べに死すことも可なり』だな」
 頼む、と五助に二首の句を託し、大谷は改めて空を見上げた。
 「源次郎どの、娘を頼む。そして願わくば、いつか我らが無念を……」
 祈りの念を最期の力に代えて、大谷は脇差をあばら骨の合間に突き立てた。そして枯れ木のように輿の上に伏せる。
 「大谷さま、御免」
 五助の無銘刀が閃いた。このような状況で臣下が行える最大の忠義は主君の最期の望みを果たすこと、そして腹に刀を突き立てる力も弱々しくなった主君が苦しまないよう一瞬で介錯を果たすことなのだ。
 「大谷さま……ろくに読み書きも出来なかった拙者に学問や武芸まで与え育ててくださった事、どれだけ感謝してもしきれませぬ。そのご恩を、まさかこのような形でお返しする事になるとは思いませんでしたぞ」
 刀を下ろしたまま号泣していた五助の頬に主の返り血がかかる。首を抱えて山を駆ける五助は、主に変わって血の涙を流したのであった。

 その後、五助は言いつけどおり大谷の首を広大な関ヶ原の山中に埋めた。それから仲間が戦う戦場に戻り奮戦したが、徳川方・藤堂高虎軍の武士によって討ち取られた。
 五助の着衣から大谷の書いた句が見つかったことから、彼が討たれた辺りに大谷刑部が隠れて居るのではないかと藤堂らは躍起になって周辺の山々を捜したのだが、大谷刑部は…その首も、ついに見つからずじまいであった。五助は主から与えられた役目をしっかりと果たしたのである。
 最期まで大谷につき従った他の三名は、関ヶ原の大争乱の中へ飲み込まれたきりである。戦の後に転がっていた無数の死体の中のどこかにあったのかもしれないが、首を掻かれた後は馬に踏み荒らされたり大砲の火に焼かれたり、あるいは進軍の妨げになるからと川に転がされたりといった死者の中から彼らが見つけ出されることはなかった。


 「伝令!大谷刑部さまの陣が壊滅、大谷刑部さま、嫡男の吉治さまとも所在は不明」
 小早川寝返りの一報からまだ一刻も経っていない頃合にもたらされた報告に、石田の顔から血の気が引いた。
 「おのれ小早川め……!」
 石田は思わず抜刀して床机を叩き斬っていた。
 太閤の時代からの扱いを根に持っているのであろうことは察しがついた。だが太閤の意思は絶対、豊臣の一族ならばそれを誰よりも理解し納得しなければならぬ筈なのに。
 「どいつもこいつも腐っておる。太閤殿下が望んでおられたのは、このような有様ではないというのに……誰も殿下を理解しておらぬというのか」
 しかし今は恨み言を口にしている場合ではない。石田は思考を停止させまいと躍起になって情報を集めた。
 「東の毛利と長宗我部はどうしておる」
 「毛利軍、いまだ動く気配なしでございます。どうやら毛利軍に内応者が現れ秀元さま率いる本隊の下山が阻止されている模様。毛利どのが動かぬゆえ、長宗我部盛親さまや長束正家さまも先へ進めずにおります」
「一枚岩の毛利にまで内応者がいたとは……何という事だ」

 毛利秀元の陣は、徳川家康の本陣がある桃配山の隣、南宮山にあった。
 「吉川、麓で我らの兵が小競り合いをしているようだが?」
 総攻撃の指示を出してから二刻、いまだに毛利本陣の兵たちに動きがみられぬ事を不審に思った秀元は、側に控えていた吉川広家に糾した。
 「下山しようとする兵を、私の兵が制止しております」
 吉川は平然と答えた。
 「どういう事だ」
 「小早川秀秋どのが徳川方に寝返り、形勢は徳川方有利に傾きつつあります。若殿、ここは毛利が動く場ではございませぬ」
 「小早川が?ならば尚のこと我らが動かねば」
 「もはや手遅れにございます。小早川どのに朽木・脇坂・赤座・小川といった強者たちも離反しております。大谷刑部の隊を破った後は徳川方の藤堂どのや福島どの、本多どのと合流し、側面から宇喜多・小西の隊を潰すでありましょう」
 「……そなた、小早川の行動を知っておった上で私に様子見を進言したな?」
 「徳川内府さまは、此度の戦の勝敗がどうであれここで毛利が動かずにおれば安芸国の安寧をお約束してくださいました」
 「何と……まさか、そなたも内通しておったか」
 「大殿のご命令でございます」
 吉川は開き直ったように堂々と申し開きをしたが、秀元にとっては寝耳に水であった。
 「父上は豊臣五大老として此度の総大将を快諾なさったのでは」
 「拙僧もそのように伺っておりますぞ」
 大谷刑部より石田三成と毛利輝元との橋渡しを頼まれ、その役目を果たした毛利の外交僧・安国寺恵瓊は青ざめる。
 「五大老という立場上、大殿はそうする以外に面目を保つ術がなかったのです……ですが勝利した方が正義となるのもまた戦の理。形勢が内府さまの方に動いている以上、毛利の家と領土を守るよう立ち回るのが若殿の役目にございますぞ」
 「しかし、それでは太閤殿下へのご恩はどうなる」
 「太閤には安芸の地を攻めた過去もございます。自身の手柄のため清水宗治どのを切腹させ、後にそれを武士の美徳とまで褒め称えてしまった。だがそれはまったくもって理不尽な話。家を危うくしてまで理不尽な者に尽くす義理などありますまい。清水どののご子息も、今頃この戦場で恨みを晴らすべく戦っておられるでしょう」
 「清水の子息……景治か」
 それまで失念していた名を秀元は思い出し、しまったと舌打ちした。父の死後、彼は小早川隆景…金吾の養父に仕えていたのだ。太閤にひとかたならぬ恨みを抱いていた彼ならば、この戦こそ敵討ちの好機と奮い立ってもおかしくない。
 しかし。毛利家としてはその秀吉によって五大老に取り立てられ、薫陶を受けたのもまた事実。
 「父上は利と害を使い分けすぎている。どちらも益にしようなどと虫の良いことをお考えであれば、いずれ何処かの勢力から恨みを買い敵視されるであろう」
 「それでも、一気に潰されるよりは良いと存じます。元就公の時代より、毛利家は領土の安寧を第一とし、自ら天下を欲しませぬ。ゆえに天下人という大樹に寄りかかる事で日ノ本における地位を保ちつつ存続できるのでございます」
 「……!」
 老獪な。秀元の言葉を吉川は聞き流した。腹立たしさに采配を床机に叩きつけたが、陣幕の中を一周してそれを拾って軍師の前に立った。
 「……安国寺。そなたは石田どのの陣へ赴き、徳川との和睦を進言して参れ。和睦が成立すれば、石田どののお命を助けるために私が父上を説き伏せる」
 「拙者の話を聞いておりませなんだか!若殿は安芸の国を潰すおつもりか」
 「祖父上の代から毛利はそうだ。いつだって日和見に徹し、敵味方を使い分けて利益のみを手にすべく立ち回る。だがそれも我らに義を尽くす臣たちがあっての事なのだ。国主とて豊臣家に仕え、恩義を受けたのであれば、戦によってそれを返すのが筋というもの」
 「元就公や大殿が守ってこられた毛利の家を潰さぬのが、若殿の役目にございます。日ノ本が揺らぎ天下人が目まぐるしく変わっていく中でも毛利家がほとんど領土を失わずに来られたのは、元就公や大殿の忍耐があってこそ」
 「父上がどうお考えであろうと、この場の大将は私だ。私の指示に従ってもらうぞ……行け、安国寺」
 「ははーっ」
 秀元の腹心にして軍師の安国寺恵瓊は、すぐさま僧兵隊を率いて本隊とは別の山道から下山を開始する。
 用を足す振りをして本陣から離れた吉川は、忍んでいた草の者に向かって命じた。
 「すべては毛利家を守るため……安国寺どのを捕らえよ」


 齢六十五を越えた老兵、島津維新義弘は、石田三成と小西行長の陣のちょうど中間に陣を構えていた。
 はるか後方、木々の先に、豊臣黄母衣衆の幟がちらりと見える。
 「戦で先陣を切るべき者が守られておるとは…肚も括れぬ豊臣も、まこと情けなかね」
 もともと、島津は徳川に参戦するべく上洛したのである。豊臣体制下では大陸出兵にも加わるなどの活躍を経てきたが、それもただ単に自慢の剣を振るいたかっただけのこと。此度も、より『剣を振るえる』方に身を置きたいという思いから、劣勢と伝え聞いていた徳川方に敢えて加勢する心づもりであったのだ。
 薩摩隼人が意思を曲げて石田方に与した理由は、実はたいしたものではない。
 豊臣と徳川の間で戦が始まると聞いてふらりと訪れた美濃の地。島津の誇りである十文字の旗印と薩摩言葉を理解できずにいた徳川の若い兵が、困惑するあまり仲間と顔を見合わせた際に薄笑いを浮かべたことに立腹した結果である。
 礼儀を知らぬ若造に喝を入れてやろう、そのくらいの感覚であった。上方から遙か離れた薩摩の地、戦の勝者がどちらであろうと島津にはたいして影響ないのだ。
 が、それらの期待は空振りに終わりそうであった。
 「徳川の数が始めに聞いたより少ないようじゃが」
 「内府さまの馬印は見えますが、四万に迫る軍勢で関東からこちらへ向かっていたという秀忠公の到着はまだのようですね」
 「そりゃあ徳川は相当焦っておるじゃろうな」
 「石田さまの陣太鼓とともに打って出ますか?」
 部下の進言を島津は「いや」と却下した。
 「数に任せた戦とて、総大将の手腕ひとつでひっくり返る事などいくらでもあるね。いくら剣ば振るいたかとて、闇雲に打って出るは下策よ。こげな大戦だからこそ、島津は釣り野伏を徹底する」
 島津は山奥に陣を移し、幟も馬印も下げさせた。その場で戦況を探る斥候の連絡を随時聞きながら酒を呑み始める。
 二刻(四時間)くらい呑んでいただろうか。斥候の一人が戻って来た。
 「報告いたします。徳川秀忠隊は信濃国上田城に攻め入ったところ、彼の地にて真田安房守に足止めされていた模様。此度の戦には間に合わないようでございます」
 「ほう、真田か」
 「忍から買った情報ですが、真田は三千足らずの兵で徳川軍を上田から撃退したとか」
 「三千で四万を!そりゃあ痛快じゃのう」
 寡兵にて四万近い軍を撃退したという報告を聞いた島津はまず愉快そうに笑い、そして柄杓で掬った焼酎を水のように豪快に呷ると大きく息をついた。
 「あの若もんは信濃で徳川を食い止めていたか。柔よく剛を制する戦ぶり、まっこと見事じゃ。が、ワシはここで会えると思うて来たようなものなのに残念」
 こちらはどうかと見やれば、既に両隣の宇喜多、小西の本陣が倒れていた。石田の馬印に向かって徳川方の兵が突撃を開始しているのか、山にこだまする法螺の音がどんどん近くなっている。
 「どうなっとる?」
 「石田さまの軍は、小早川どのの寝返りにより苦境にあるそうです」
 「味方に裏切られるとは……これが石田どんの命運か」
 よし、と島津は膝を叩いて立ち上がった。瓶の半分は呑んだ筈なのに、足取りどころか顔色もまったく素面のままである。
 「真田左衛門佐ともういっぺん刃を交えてみたかったが、そいが叶わんとなりゃあここに居る理由もなか。黒田どんが九州で暴れちょるいう報せも入ったばってん、顔見せの義理だけ果したら帰るっけんね」
 「維新さま、ご命令を」
 膝をついて指示を待つ家臣たちに、島津はついに命じた。
「おまはんら、薩摩からはるばる付いて来てくれたちゅうのに、活躍の場も与えられんですまんのう……撤退じゃ。石田治部に一報入れてやんね」
「はっ!」


 なぜ、石田三成は関ヶ原で敗れたのか。
 それは小さな誤算の積み重ねであったのかもしれない。
 戦は数の戦いでもある。これが帳簿の上であれば、ひとつひとつを潰していくことなど三成にとっては造作もなかった。
 だが、戦場で戦う『数』は算盤の珠ではないのだ。それぞれが意思や思惑を持って戦うため、大将の意思に反する者も当然のように出て来る。
 信長や秀吉が用いた『統率力』や『恐怖』はそれら誤算を抑えつけるのに有効ではあったが、残念ながら『義』だけ同じことは為せぬものらしい。
 幾千、幾万の兵達が誤算を積み重ねた結果、三成は本陣にて苛々と采配を震わせている。
 小早川が寝返ったとの報が飛び込んでからわずか一刻のうちに、石田の軍は正面の徳川本隊、南の小早川軍、北の黒田長政軍に囲まれ孤立しつつあった。
 頑強に見えて、いちど動けば谷底へと転落していく巨岩と同じである。
 「宇喜多さまの兵が持ちませぬ。明石全登どのを殿に撤退を開始いたしました」
 「報告!小西行長さま、捕らえられてございます」
 「安国寺恵瓊さま、捕らえられました」
 「毛利本体はいまだ動きませぬ。長束軍も長曾我部軍も毛利に行く手を塞がれたまま進軍できずにいます」
 「もはや……これまでか……」
 「殿、どうかお気を確かに」
 島左近は、瀕死のところを助け出されて石田の本陣にて手当てを受けていた。足を銃弾が貫通して出血が酷かったが、主君を残して死ねぬと気力を振り絞って石田の本陣にたどり着いたのだ。
 だが左近が三成の許に復帰した頃には小早川の内応により上方軍は敗色濃厚となっていた。三成の必死の采配もむなしく、飛び込んで来るのは討死や壊滅といった報告ばかりである。
 既に宇喜多秀家は捕らえられ、小西行長とも連絡が途絶えていた。両者とも、馬印や旗印は既に倒れてしまっている。頼みの豊臣黄母衣衆も、いつの間にか撤退していた。
 絶望的な状況下で、どうやって三成を落ち延びさせようかと左近が考え初めていた時。
 「石田さま。島津義弘どのが血路を拓きますゆえ、それに乗じろと申し出てくださいました」
 島津義弘は敵に背を向けることを拒み、正面突破の道を選んだ。すでに敗戦濃厚、孤立している軍において選ぶ道は、切腹か突破しかない。島津は生きる可能性に賭けたのだ。
 しかし、総大将はそう簡単に逃げ出す訳にはいかない。迷いが石田の思考を鈍らせた。
 そうしている間にも伝令がどんどん飛び込んで来る。
 「伝令!大谷刑部さま、ご自害なされた模様。大谷隊の生き残りが、松尾山の山中にて輿に乗ったままの遺体を確認したとのこと」
 「首級は?」
 軍師がまず訊ねる。
 「徳川の手に渡っていれば今頃首台に掲げられておりましょうが、今のところその様子は見られませぬ。藤堂高虎の兵が大谷刑部さまの本陣があった辺りに兵を動員しているとの報告もございます」
 「では、まだ誰かが持って逃げておるか……殿!しっかりなさいませ」
 「……」
 その報告が石田にとってのとどめとなった。もはや全身からすべての力が抜け、無念の情だけで体が動いている状態である。
 「私を諌めた刑部が自害したというのに、戦を強行した私だけがのうのうと生きていられるものか」
 「何を仰いますか、殿が諦めれば大谷さまの死が無駄になってしまいます。ここはいったん退却して体勢を立て直しましょうぞ。徳川も大坂までは攻め入って来られますまい」
 戦の怒号はすぐ近くまで迫って来ていた。『厭離穢土 欣求浄土』の旗が憎悪に歪む。
 「さあ、石田さま」
 軍師が石田を無理矢理馬に乗せ、その尻をはたいた。その後ろに家臣がぞろぞろと続き、鱗が剥がれ落ちるように殿から順番に徳川を足止めしていく。
 「石田さま。あなた様に出会えたことが、この左近一生の幸せでありましたぞ。うらぶれた牢人に、かくも華々しい死に場所をお与えくださった……御免!」
 三成のすぐ側を守りながら馬を駆っていた左近も一隊を率いて離脱していく。左近の叫びが遠ざかっていく。
 島津義弘が敢えての前方突破で退却戦を繰り広げている合間を縫って石田が戦場から離脱した時、側には二人の伴しか残っていなかった。


 天下分け目、と呼ぶには、その戦いはあまりにも呆気ない結末を迎えた。
 終わってみれば上方軍は総崩れ、兵らは散り散りに逃走していく。
 その様を、桃配山の家康はあんぐりと口を開けて眺めていた。
 「勝った……我らが勝ったのか……」
 「いかにも。宇喜多、小西、安国寺といった敵方の主力は我が軍の手中に落ち申した」
 「まだ半日だぞ?」
 「はい」
 「秀忠も到着しておらぬのに?」
 「小早川どのの内応が大きゅうございましたな。背後の毛利隊も既に退却を始めております。みな内府さまのご威光の前にひれ伏したのでございます」
さすが内府さま、と前田利長や織田有楽は持ち上げたが、当の家康はまだ困惑していた。
 「石田治部はどうした」
 「小早川中納言どのに佐和山城を攻めさせるがよろしいでしょう。城が落ちれば、いかな治部少輔でも観念しましょうて」
 「……」
 織田有楽が兄の信長から受け継いだのは茶のたしなみや詫び寂びの心だけかと思っていたが、時としてえげつない行動に出るところもしっかりと似ているらしい。たしかに石田治部が太閤から与えられた城を小早川に落とさせれば、石田の自尊心は完全に砕かれるだろう。
 が、家康とて一家が敵味方に分断したことを承知で秀忠に上田攻めを命じていたので他人をとやかく言える立場ではないのだが。
 ともあれ、石田の捕縛も時間の問題のようである。家康は、これが何かの策謀か、はたまた夢の中でないよう恐る恐る立ち上がった。
 「本当に、儂が勝ち名乗りを上げて良いのか」
 「勿論でございます。戦は始まる前に八割方の決着がついていると申すもの、此度も内府さまの周到な地ならしがあってこその勝利にございまずぞ」
 「地ならし、か……確かにそうであるな」
 全ては自分が勝つために…生き残るために講じた策の結果である。
 どれだけ後味が悪かろうと、自分は望みどおり生き延びた。それは同時に、これからも狡猾さをもって生きていかねばならぬと告げられたようなものである。
 (もはや、引き返すどころか身動きすら侭ならぬところまで来たか)
 少しでも迷いや誤りがあれば、いつ何処で織田信長や太閤と同じように憎まれ、あるいは成り代わろうとする者に寝首を掻かれるか。常に気を張って生きなければならない。
 自ら望んだ道、それが切り開かれた瞬間だというのに、背筋を伝う震えに家康の鎧がカタカタと鳴った。だがもう引き返せない。
 「さあ、勝鬨を」
 「……うむ」
 勝利の喜びの中にいくばくかの後ろめたさを感じながら、家康は陣から出ると兵らの前で拳を天に突き上げた。


 徳川が抱いた『悪』として生きていく覚悟は、石田の清廉さと歴史の自浄作用をもってしても止めることができなかったのである。
 清すぎる世に人は棲めぬ、と神も認めているのであろうか。


 東で天下分け目の戦が起こったことがまるで別の世界の出来事のように穏やかに晴れた瀬戸内の海を、一艘の船が往く。
 穏やかな日差しに船がたゆたう長閑さはこの辺りではよくある光景なのだが、その船に乗っている武将は今、どこまでも続く海原を苛々と眺めていた。
 立花宗茂である。
 伏見城を攻めた後、宇喜多秀家の指示どおり京極高次の大津城を開城させたところで合戦と石田三成の敗戦を知らされた立花宗茂は、急ぎ大坂城に戻って此度の総大将・毛利輝元に大坂城籠城にての決戦を進言したがにべもなく却下された。自分に出来る事は何もないと肩を落とす暇もなく、九州で挙兵した黒田如水が立花領に攻め入るとの情報が入ったのである。
 立花は徳川方の追手がかかる前に京から大坂へと逃れ、海路で九州への帰路についた。
 まず細川忠興領の豊後に白旗を掲げさせた黒田は、その勢いで加藤清正の肥後へ攻め入ったという。だが武闘派としても知られる清正との戦いは意外にも和睦という形であっさりと決着、そして両者は佐賀の鍋島直茂も旗下に加え、小早川領内を突っ切って久留米から立花領柳川に兵を進める気配が濃厚だった。
 「太閤殿下が身罷られたとはいえ、惣無事令はまだ有効だ。九州は安全だと思っておったが……まさか如水どのがかような暴挙に出ようとは」
 黒田官兵衛こと黒田如水。豊臣時代の竹中半兵衛と並んで豊臣二兵衛と称された稀代の軍師の思惑など、年若い宗茂が読み解ける筈もない。今頃関ヶ原で戦っているであろう嫡男の黒田長政ですら、隠居した父の行いにさぞ腰を抜かしているであろう。
 「おう、立花どん。九州へ戻るならオイも乗せてくれんね」
 堺の港で出航の支度を急がせていたところにどかどかと乗り込んできたのは島津義弘。宗茂にとって島津は実父の仇であったが、その怨恨は豊臣秀吉の九州攻めの際に宗茂が島津軍を破ったことで晴らした。それからは同じ九州に生きる強の者同士さっぱりと過去を水に流し、太閤の治世の下ではともに大陸へ出兵して厳しい戦いを生き抜いた仲である。宗茂は一も二もなく島津隊を同乗させた。
 「島津どの……美濃での戦から無事に落ち延びられましたか」
 「おう、戦は勝ち負けではなく生きてなんぼのものよ。あげな無様な戦場を死に場所になどしたくなかったとね」
 「石田治部さまは如何に?」
 「逃げる途中ではぐれてしまったね……今頃どうしているのやら」
 「まこと、義は石田どのにありと思うておりましたが……何とも無情な話でございましたな」
 「まあ、内応を許したのもまた石田治部の『徳』というものなんじゃろうが……おまはんは参戦できなくて正解だったかもしれんぞ」
 「大津から直接こちらに参りました。九州で何やら不穏な動きがあるという情報もありましたゆえ」
 「如水どんか……息子は徳川に与しているというのに、どう始末をつける気なのやら」
 「ご存じでしたか」
 「柳川の次は薩摩じゃけんのう。立花どんには何としても食い止めてもらわなければ」
 「はあ……ですが、九州の国主はみな関ヶ原に参じると聞いておりましたゆえ、戦はなかろうと国元には奥を城代として残したままでして……」
 「ああ、おまはんが側室を取るちゅう話に激怒して家出したっちゅう誾千代どんか。なら大丈夫じゃろうて」
 「い、家出……まあ、そうなのですが、かような事情までご存じだったとは、まことお恥ずかしい」
 「心配は要らんよ。毛利家と渡り合い、雷神とまで謳われた戸次の道雪どん(宗茂の義父・立花道雪)の下に弱卒はなし、九州なら常識ね。道雪どんの姫御も、旦那に側室を娶る話が出たと聞いて家出しよった九州男児顔負けの女武者と聞いちょるが」
 「そのような話が島津どののお耳にまで届いておるとはお恥ずかしい……」
 道雪の娘・立花誾千代の夫は頭をかく。
 「宗茂どん、何を恥じるね。誾千代どんはおまはんを好いておるから家出したとよ。それが証拠に、臍も曲げずにおまはんの留守をきちんと守ってくちょる」
 「たしかに……立花の結束と奥ならば、如水どのと肥後守どのが攻めて来ても持ちこたえてくれましょう。ですが、やはり心配です」
 幸村と同い年の立花宗茂は、群青の鎧と雉の羽をあしらった異国風の兜ゆえに大柄な体躯がさらに逞しく映え、伴天連と異名を取るとおりのくっきりとした顔立ちの、武者というより異国の戦士のような風貌の男である。
 しかし気性は義父の眼に適った実直な武士そのもの、心優しき大男は妻が戦っている西方を向いて目を細めた。
 「ふふっ、宗茂どんは相当な愛妻家じゃね」
 「九州男児にあるまじき、とは存じておりまするが」
 「何の。強がるだけが男の誇りとは思わんさ……落ち着いたら孝行しんしゃい」
 世に言われる九州の男そのままの威厳と迫力を持ち合わせた島津は豪快に笑った。
 「九州男児や薩摩隼人が無茶すんのも、内助の功あってのものじゃけんね」
 ところで、と島津は真顔に戻った。
 「如水どんの動き、おまはんはどう見ちょる?」
 「まったく解せない、というのが正直なところです」
 「そう、解せんのよ。如水どんは才能も野心も同じくらい持っておったが、徳川についている息子の事を思えば下手に動けぬ筈なのに」
 これはワシの想像だが、と島津は前置きした。
 「如水どんは、清正どんと『つるんで』おる。石田どんとの軋轢から徳川に付いたが、清正どんはもともと太閤の遠縁、童のうちに親を亡くした後は太閤と北政所に育ててもらったような人ね。如水どんの真意はともかく、清正どんが関ヶ原に出陣せずに済むために九州での戦は好都合」
 「では、此度の九州での戦は茶番であると?」
 「関ヶ原が長引いておったら、如水どんと清正どんは本気で九州を平定しておったかもしれん。が、これだけ早く勝敗が決したことでそれも消えた。さて、如水どんはどう言い訳するかのう」
 長政が頭を抱える様が目に浮かぶようだ、と島津は楽しげであった。親の代からの薫陶を忘れていち早く徳川に臣従した『ぼんくら』には、そのくらい厳しい道を歩かせるのが親心でもあると。
 「しかし肥後守においては、義と利…いえ理(ことわり)の間に悩んだ末の選択であったでしょうな」
 「肥後は、国も国主もまだまだ若いからのう。しかも処世術なんちゅうもんは持っておらん。九州男児のオイとしてはその強直さが面白いが、伏魔殿となり果てた今の京や大坂じゃ、強直なんてのはいいように利用されるだけね」
 「島津さまの仰ること、拙者も分かる気がいたします。伏見から大津へと、あの戦のどこに義があるのか見つけられずじまいでした……治部少輔どのと内府どのの戦い、互いに正当性を主張して味方を増やすことに躍起になっている様子でしたが、あの戦はつまるところ豊臣家の内部分裂が招いたもの。石田どのの清廉さには同情いたしますが、戦そのものは既に太閤殿下の御為でも何でもないように見えたのです」
 「だから、黒田どんの挙兵をいい潮に引き揚げてしもうた。オイと同じね」
 「……左様にございます」
 「……こげな時、九州が都から遠くて良かったと思うばい。これだけ中央の情勢がこじれておるなら、今回は黒田どんの策略とやらに乗って内輪で適当に戦いながら様子見を決め込むに限るね」
 「それが黒田どのなりに九州を守る策であったとしたら、流石と申すべきでしょうか」
 「あの者は、道楽に見せかけて先を読んでおる。朝廷からも大坂からも遠い九州は、中央の眼が届きにくい。自分が汚名を被ってでも中央の戦いから距離を置くことで、今後の情勢が如何に動こうとも九州は大きく動じる事のない…我々が隠れて好き勝手出来るよう手を打ちおった……長政どんじゃあ、そうはいかんね」
 「如水さま……まるで、噂に聞く真田安房守のような御仁でございますね」
 「そうじゃのう。あの二人が敵味方に分かれて戦っておったら日ノ本はいつまでも戦ばかりの国となる。反対に、手を結べば豊臣も朝廷もひっくり返るかもしれん……天は、何もしておらんように見えてきちんと力の釣り合いを考えて歴史を運んでおるようじゃな」
 物騒な者を近くに置かない、高千穂の神も考えたものよと島津は南を向いた。
 「島津どの、ひとつ訊いてよろしいか?」
 「何ぞ」
 「島津どのには、此度の戦で刃を交えたい御仁が居たと聞きました。一体どのような御仁なのですか?」
 「宗茂どのと同じ年頃の、細っこい若造じゃ。此度は仕合えんで残念じゃったが、己の国元で徳川を手玉に取って暴れ ちょったと聞いた。ずいぶんと痛快な若造ね」
 「世は広いのでございますね……島津どのがお認めになる程の猛者が、あの関ヶ原以外の地に居るとは」
 「おまはんなら、いつか見える事があるやもしれぬな。いずれにせよ、これで戦の世が終わるとは思えぬ。その日まで、宗茂どんもしっかりと生き延びる事じゃ」
 奥方も大事にな、と島津は繰り返して冷やかした。

 島津が言うとおり、立花誾千代は夫不在の柳川をよく守り、自ら作戦の立案や諜報戦の主導、さらには野戦にて鉄砲隊を指揮するなど八面六臂の活躍ぶりであったと後に伝えられている。鬼道雪の血は余すところなく一人娘に注がれたというべきであろうか。
 しかしそのような活躍はおくびにも出さず、宗茂が帰還した際には何事もなかったかのように平然とした顔で夫を出迎えたという。
 そして関ヶ原で徳川勝利の報を受けた黒田・加藤の兵は、報せに触れてすぐさま柳川から退却していった。
 だがそれで宗茂の身が安泰となった訳ではない。関ヶ原で石田方に与した咎により、宗茂は領地召し上げの憂き目に遭い城主から牢人へと暮らしは一転した。立花道雪が婿を取ってまで守った家と領地は、実に呆気なく奪われたのだ。
 失意の底から這い上がって上洛した宗茂が本多忠勝の口添えによって徳川方へ臣従、陸奥国棚倉の領主から大坂の陣での活躍を経て柳川の領主に復帰したのは二十年以上後の事であるが、その時すでに誾千代はこの世を去っていた。宗茂の上洛は、鎮西一と呼ばれた宗茂が武士としての人生を終えるにはまだ早いと病床の誾千代が尻をはたいた結果なのかもしれないが、本当のところは本人にしか分からない。
 牢人となってしばらくの間、立花夫妻は加藤清正の庇護を受けて肥後で暮らしていたという。一牢人としての立花宗茂の暮らし向きは定かではないが、誾千代が亡くなるまでの二年間、幼馴染でもあった妻に宗茂が最期まで寄り添い暮らしたのだとしたら、その時間こそが夫婦にとって最も幸せな時間だったのだろうか。


 関ヶ原から敗走した石田三成は。

 三成は、関ヶ原から山を伝って伊吹山から姉川に出た。居城の佐和山城に帰還すれば、籠城戦で一矢でも報いることもできると希望を繋いで領地に戻ったのだが、佐和山城はわずかの差で徳川の軍勢が落城させた後であった。関ヶ原から付いてきた伴は、佐和山の偵察に向かったきり戻らなかった。
 数万の軍勢を動かした将の、そこからはたった一人の敗走である。
 水を求めて川に下りたところを領民に見つかった時は肝を冷やしたが、その者は三成を村へ案内すると庄屋の家に匿ってくれるよう頼んでくれ、庄屋もそれを快く承諾した。それどころか、次に落ち延びる先として隣の村とも密かに渡りをつけてくれたのである。
 「殿様!ささ、どうぞこちらへ」
 どの村も落ち延びた石田を手厚くもてなし匿ってくれた。理由を尋ねると、みな一様に『石田さまは不作の年には年貢を軽くしたり備蓄米を配分してくださいました。それにより我々は生き延びられましたし、干ばつで田が駄目になりそうな年には 石田さまが緊急で治水工事を行ってくださったおかげで禄を得ただけでなく収穫までこぎつけられ、その後は工事のおかげで水が行きわたるようになり安心して米作りが出来るようになったのです。このご恩を今お返ししなければ領民にありますまい』と口を揃えた。
 それは領主として当たり前の務めだと三成は信じていたのだが、領民はみな自分の行いを『恩』だと言ってくれる。その言葉が三成の心を癒し、行く先々で三成は涙の味がする粥を口にした。
 だがそれも五日間ほどしか続かなかった。
 敗走から六日後、その日は訪れたのである。
 「徳川家康どのの命令により村を捜索する!謀反人を匿っているのであれば早々に引き渡せ。後に露見した場合は村全体の謀反とみなし家の主を全員処刑する」
 (あの声は田中吉政か……皮肉なものだ)
 豊臣政権下での同僚であり、かつては佐和山とも近い近江八幡の領主であった男である。小田原の役後に岡崎に転封されたが、それが結果としてこの男の豊臣から徳川家康への鞍替えを促す結果となっていたのだ。
 庄屋はあくまで三成を庇い『ここに隠れてください』と村はずれの炭焼き小屋、薪の合間に三成を押し込んだが、捜索の荒々しさが蹄の音や女子供の悲鳴となって耳に届いて来る。
 それでも誰一人として口を割らない三成は、そこで観念した。
 「もはやこれまで……これ以上、民に迷惑はかけられぬ」
 我が行いは間違いではなかった。戦に敗れた三成にとって、民が自分を慕ってくれると分かった事が何よりの救い、それで充分である。
 「石田はこの者たちに無断でここに隠れておった。さあ、首を持って行け」
 三成は自ら小屋を出てその場に座し、『いたぞ!』と叫ぶ徳川兵の面前で衣の前をはだけて脇差を抜いた。
 「大谷……私もそちらへ参るぞ」
 しかし、その手は一瞬早く徳川兵の槍の柄に止められた。肩口を強く押され、落とした脇差は地面に転がった。そして三成は二人の兵に両腕を取られて組み伏せられる。
 「石田三成どの、切腹は武士のみに許された行為にございますぞ」
 「……!」
 つまり、今の自分は罪人なのだ。生け捕られ、徳川の嗜虐性を満足させるために考えられるだけの屈辱を与えられた上で見せしめとして斬首される。暴力ではなく屈辱、それだけは織田・豊臣時代から変わっていなかった。
咄嗟に舌をかみ切ろうとした石田の顎も押さえつけられ、厳重な猿轡を噛ませられる。
 息苦しさと屈辱で目の端に涙が浮かんだが、それを拭うことも叶わず。ちらりと見上げれば、気まずさと逡巡に目をそらす田中の顔があった。できれば自分が石田の発見者になりたくなかった、そんな顔だった。
 三成は観念し、彼が与えられた役目を果たさせるべく素直に縛についた。田中が小さく『すまない』と呟いた低い声が耳に残る。

石田三成、捕縛せり。

 かくして、板車に括り付けられた石田三成は自らの姿が敗北の触書がわりとなって、茫然となる領民たちの前を連行されていったのである。空の色に夜の兆しが見えた刻であった。


 徳川を追い払って気勢を上げていた上田では。
 「源次郎さま。関ヶ原にて上方軍が敗れました」
 西における合戦の様子を探らせていた海野六郎が城に駆け込むなり発した言葉に、城の広間に居た者全員が冷水を浴びせられたかのように静まりかえった。しばしの沈黙の後、信じられぬ、何かの間違いではないかという声や悲鳴があちこちから上がる。
 「……どういう事だ」
 昌幸と幸村は冷静に報告を聞き、地図と照らし合わせて状況の分析を急ぐ。
 「網の底を外から破ったのは、やはり小早川か……若造め、徳川に踊らされおって」
 昌幸は苦虫を噛みつぶす。この時点で、石田三成捕縛の報はまだ届いていなかった。
 「徳川本隊が佐和山城に向かったとなれば、佐和山の落城と治部少輔さまの捕縛も時間の問題でしょう。悪い方に転びましたな」
 「うむ。どのように事態を打開するべきか」
 考えられるのは源三郎を介しての徳川との和睦であるが、和睦が成立したとしても、秀忠を叩きのめした以上それなりの処罰は覚悟しなければならないだろう。良くて領地召し上げ、悪ければ六条河原行きである。
 「大変でございます」
 半日経って駆け込んで来たのは穴山小助であった。時系列での情報を主に提供するため、忍衆は配下を少数に分けて定刻ごとに上田へ向かわせていたのである。
 「戦が終結してから参上した秀忠隊は内府から叱責されたようですが、汚名返上のためにふたたび上田へと取って返す支度を始めました。四万の兵に加えて関ヶ原で後方に布陣していた兵も武功のため追従しておりまする。さらに……」
 「何だ?」
 「徳川内府が、信濃征伐の正式な許可を大坂へ求めました。家康公を逆賊とした関ヶ原での戦いが大坂の本意でないのなら、惣無事令に反した石田に与した者を討伐することに異論はあるまいと申し立てて……秀頼公が許可を与えるのも時間の問題かと思われます」
 「うむむ、徳川め」
 さすがに抜け目がない、と昌幸は唸った。
 勝てば官軍というのが戦の常。まして上杉討伐の段階で朝廷を味方につけている徳川が豊臣に対して強気に出るのも当然であった。これほどまでの大戦を起こした石田三成こそ太閤の惣無事令を侵した張本人である、そしてそれを止められなかった豊臣にも責を問うと。
 さすがの淀も、太閤が各地の大名を潰すために設けた惣無事令を逆手に取られては信濃討伐を拒否できないだろう。実際、昌幸は石田側に肩入れすると宣言し、上田で戦まで起こしているのだ。
 この地が第二の関ヶ原となるのか。いかな昌幸といえども、大きな援軍が期待できない状況で日の本を敵に回してしまえば手も足も出なくなる。
 「せめて上杉や伊達と同盟を結べれば……だが時が足りない」
 どうやって事態を打開するか。考え込む昌幸を横目に、源次郎は自らが気にかけていた事を訊ねた。
 「さちはどうしている?」
 「源次郎さまから命じられたとおり、大谷家の別宅がある伏見へお送りいたしました。西軍の敗戦を受け、今は吉野へ移動しておりまする。大谷吉継さまが、もしもの際にはあちらの奥方さまともども大谷家ゆかりの尼寺にて身柄を引き受けてくださる算段をつけておいででした故」
 「護衛はつけているな?」
 「拙者の配下は、当初からのお指図どおりに動いてございます」
 「そうか。では我らが取るべき行動も決まったな」
 源次郎は父の手を取って立ち上がった。尼寺はたとえ関白であろうと大老であろうと男子禁制、周囲を忍衆に守らせてさえおけば、さちや山手が人質として徳川に奪われることはない。時間を稼ぐことができれば、淀が彼女達を守るため何かしら動いてくれるだろう。最悪、出家すれば彼女達の命はどうにかなる。
 「父上、信濃討伐の許可が出る前に降伏し、上田城を兄上に明け渡しましょう。逃げ延びるのです」
 「何故降伏なのだ。我々は敗けておらぬ」
 「忍城をご覧になったでしょう。ひとつの城は守れても、軍を率いる総大将が敗れた以上は我々も敗軍なのです。城が徳川の手の者に占拠される前に、兄上に守っていただかなければ」
 「しかし……」
 「我らがここに留まれば、ふたたび上田が戦場となります。祖父上の代から守り通して来た上田の地と民が戦に巻き込まれるのですよ。ですが兄上が我らを降伏させた形で入城すれば上田の地は悪いようには扱われますまい。諦めず、とにかく生き延びて兄上を信じましょう。そのために我らは敵味方に分かれて戦ったのではありませぬか」
 「……」
 昌幸の計算に敗北はなかったが、こういった事態がないと言い切れないからこそ砥石城を源三郎に明け渡しておいたのだ。敗者がいつまでも上田に留まっていてはいけない。
 自分達の今後も兄に任せるしかないが、ともかく今は脱出が先である。源次郎は渋る父に代わって降伏の書状をしたため、強引に真田安房守の花押を記させた。
 それから義兄の小山田茂誠を降伏の使者として砥石城の源三郎の許へ向かわせ、柱にしがみついて抵抗しかねない昌幸を国衆総出で籠に押し込めた。自らは護衛も兼ねて馬にまたがり、高梨内記を含めた数名の国衆とともに殺生が禁じられている地…高野山を目指すよう命じる。
 源三郎に城を引き渡すため残る国衆と、騒ぎを聞きつけた民が不安に満ちた顔で見送る中の慌ただしい出立であったが、源次郎は敢えて「しばしの辛抱だ、必ず戻って来る」と笑顔を見せた。

 「よもや敗走とは……徳川こそこのような目に遭わせたかったというのに、まこと無念」
 昌幸が地団駄を踏むたびに揺れる籠はひどく不安定で、壊れるのではないかと思う程ぎしぎしと揺れた。担ぎ手はそのたびに山を転がり落ちそうになりながらの敗走であった。
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