第13話 沼田裁定
文字数 13,380文字
天正十七年
秀吉をはじめとした一族が京都に移り、聚楽第に入って二年。
「殿下ったら、大坂のお城を一族に任せきりでこのお城に入り浸ってばかり。大丈夫なのかしら」
その日、茶々は、気のおけない友二人を前にこぼしていた。
この日、非番であった源次郎は久方ぶりに女の姿に戻り、「繁」という名で真田源次郎が妻・安岐こと「さち」の侍女に身をやつして聚楽第の茶々の許を訪ねていた。茶々の幼馴染であるさちが茶々の話し相手に呼ばれたので、伴として紛れ込んだのである。それは茶々の意向でもあった。
「安土から岐阜に移られた秀信どのから蜜柑が届いたの。あなたも一緒にいただきましょうよ……ああ、皆は退がって休んでいなさいな」
それが合図となって、茶々の侍女たちは細波のように引き払う。大蔵卿局は最後まで残っていたが、茶々に目配せされて渋々引き下がった。
「安岐の夫婦仲は睦まじいようね。聚楽第の奥にまで噂が聞こえてくるくらい」
茶々が蜜柑の入った盆を三人の中央に置いた。
「旦那様はもちろん、義父さまも義母さまも、とても良くしてくださいます。漢詩や大陸の文献が好きなわたくしの趣味にも寛容で、好きなように学ばせてくださいます。何より旦那様はとてもお優しい方で、お役目が終わればまっすぐ帰宅されますし……本当に毎日が幸せです」
「それはきっと、源次郎があなたをとても大事にしているからよ……ねえ、そこのあなたもそう思うでしょう?」
「……はい」
茶々は源次郎に意地悪な質問をする。そして源次郎が恥ずかしさに堪えながら肯定すると、「うふふ」と猫のように笑うのだ。
辺りで他の側室の息がかかった侍女が聞き耳を立てていることを警戒して、三人はしばらく気候や茶々と安岐の子供時代の話など他愛もない話題に時間を費やした。そして放っておいても大事ないと気を緩めた彼女らが完全に引き揚げたところでようやく本音で語り合う。
「茶々さまも意地が悪うございます。茶会にて殿下から縁談をいただいた際にはどれだけ肝を冷やしたことか」
源次郎が、ずっとしまっていた文句を引き出した。しかし茶々はあっけらかんとしたものである。
「あなたなら上手くやってくれると思っていたからよ。それに、殿下じきじきに勧められた正室を娶っておけば、この先余所から強引に側室を取らされることもなくなりましょう。あなたの秘密を守るには最善だったと思いますけれど?」
「それはそうでございますが……」
「わたくしは茶々さまに感謝しております。嫁ぐことなど夢のまた夢だと諦めていたわたくしに、このような良縁をいただけたのですもの」
「源次郎…ああ、その恰好の時は『繁』でしたわね。あなたは彼女のことが嫌い?」
「それだけは断じてございません。その……私も、さちと同じでございます……」
「さち!まあ、既にその名前で呼んでいますのね。まるで夫婦ではないの」
「お言葉ですが、私とさちは既に祝言を挙げた夫婦ですが?」
「ええ知っています。自覚しているのなら問題ありますまい?」
「!」
茶々とさちは目配せをして笑いあった。「討ち取ったり」と茶々が声を弾ませる。
徳川家康にも島津義弘にも負けなかった真田家の次男も、まるで異なる視点から世を見てきた姫君たちには敵わない。だが肩の力を抜いての軽口は不思議と心地よかった。
そして、先の言葉である。実際、秀吉はほとんど大坂には行かず聚楽第にて執務のほとんどを執り行っている。実務と政務を分けたおかげで大坂と京を行き来する伝令役の武士は大わらわなのだ。たった書類一枚、花押一つのためだけに一日二往復する事も珍しくない。
もっとも、この頃では秀吉も一日何度も大坂から遣いが訪れることが鬱陶しくなってきたらしく、大坂での実務で完結するようなものの決定権は石田や大谷といった奉行衆に、定期的な裁可であれば決定権を甥の羽柴秀次に委ねる機会が増えていた。
「大坂城は、今や大谷さまや石田治部さまを始めとした事務方が取り仕切る実務場所となっているようですね」
「石田治部少輔?ああ、『石頭』な人ね」
面識はなくとも、秀吉から話は聞いているのだろう。それも、秀吉は仇名までつけているらしい。
「あの人が各地の大名の不正やら謀反の噂やらをこと細かに報告するから、そのたびに処分が大変だって殿下がこぼしていたわ。……でも、他の人と違って石頭さんの報告はきちんと裏を取ってあるから信用できるのですって」
城仕えの者がある日突然失脚したり、稀に流罪や切腹を申しつけられているのは石田が目を光らせているからなのか。この手の裏話は源次郎にも貴重な情報である。
家臣の間で不穏な動きがあると、まず石田三成が内密に調査をする。そして確証を得てから報告しているらしい。おそらく大谷も協力しているだろう。
それゆえ単なる噂だけで失脚するような事はないのだが、それだけに城内における石田の評判が必ずしも良いものではないと源次郎は聞いていた。
茶々が『石頭』と呼ぶとおり、石田は不正が大嫌いな上に融通が利かないのだ。いわゆる『お目こぼし』はないし、かつての同僚であろうと不正が発覚すれば容赦なく処罰の対象にする。清廉と言えば聞こえはいいが、魚は水が清らかすぎても棲み難いものなのだ。
もとより足軽や地侍が集まって『なあなあ』で出来上がったような秀吉の体制。自分達で造り上げたものなのだから恩恵もあって然るべきだと考える者達が、仲間うちの阿吽の呼吸で曖昧にしておきたい事まで詳らかにされてしまえば、それは面白く思わないであろう。桁は違うが童がお駄賃を親に召し上げられるようなものだ。
が、籠の外の機微は茶々には預かり知らぬ事であり。
「石頭さんが居るから安心して大坂を任せられるのでしょうけれど……殿下があまりにこちらに入り浸りなものだから、まあ、色々あるわね」
茶々は重たい打掛が動くくらい肩をすくめた。
「北政所さまが、聚楽第の外に新しくお屋敷を建ててそちらへ移られたわ」
「では、こちらの皆様をまとめるお役目は?」
「十日に一度くらい、お屋敷からこちらへ通って来られるの。わたくし達側室の間に揉め事があれば仲裁に入ってくださいますし、殿下が北政所さまを最も信頼なさっている事は揺らぎませんけれど……殿下はああいうお方ですから」
同じ屋根の下に暮らしながら、毎夜ごと若い側室の部屋を行ったり来たりする夫を側で見る妻の気持ちはいかばかりだろう。源次郎にもさちにも、北政所の気持ちが何となく解る気がした。
「わたくし達も気がひけないと言えば嘘になります。けれどお城の中での力関係はまた別。殿下にはお世継ぎがいらっしゃらないから……」
瞬間、茶々は憐みと申し訳なさが入り混じった顔をして北政所の部屋の方に視線を向けた。
「北政所さまは、ご自分と殿下との間についぞお子が生まれなかったことで勢力争いから退く…側室たちの後ろにいる大名たちの無用な争いを避けるためのまとめ役に徹するお考えのようでいらっしゃるから、一番先に殿下の嫡子を産んだ側室が事実上の正室になるでしょうね。今はその座を巡ってみんなで争っている、そんなところ」
「それは……気が抜けないですわね」
「でも負ける訳にはいかないわ。わたくしも覚悟を持って飛び込んで来たのですもの。非情になれと言うのなら、わたくしはいくらでも感情を殺しましょう」
次々と蜜柑を口に放り込みながら、茶々は宣言する。思いを口にして自らに言い聞かせるようでもあった。
「あの、茶々さま」
源次郎がふと気づいた。
「なあに?」
源次郎が向けた視線の先には、空っぽの盆と、代わりに積み上げられた蜜柑の皮。すべて茶々一人で食べたものだ。さちが「あ」と声を上げる。
「先ほどから、蜜柑をたくさん召し上がっておられますが」
「ええ。侍女はみんな酸っぱいと言うのだけれど、わたくしはこの酸っぱさに病みつきになってしまいましたの。あまりに美味しいので、もう少し送っていただこうと思っているのよ」
「……」
源次郎とさちが顔を見合わせる。茶々はきょとんとしていた。
「何か?」
若夫婦の譲り合いの末、家臣としての責任も併せ持つ源次郎がおずおずと述べた。
「茶々さま。私の口から申し上げるのも憚られますが、もしや……」
茶々が自らの変化に気づき、まだ周囲に気づかれてはならないとして密かに医師の診立てを待っていたある日。
源次郎は、聚楽第からの使い文を持って北政所の住まいを訪れていた。
「金吾が丹波亀山に城を……あの人、随分と気を遣っているのね」
文に目を通した北政所はふうと息を吐いて笑った。
「金吾というのは、わたくしの里の甥っ子ですわ。まだ元服して間もないのだけれど、関白の養子にもなっているの。日秀尼さま(秀吉の姉)がお産みになられた孫七郎(羽柴秀次)と並ぶ、将来の跡継ぎ候補として……それが本人にとって幸せかどうかは、わたくしにも分からないけれど」
金吾(のちの小早川秀秋)の名は源次郎も知っていた。実子のいない秀吉にとっては次期関白候補の一人である。破格の厚遇もその一環であろう。
ただ、それもあくまで『現時点』での話である。
目を細める北政所に、関白ですらまだ知らない茶々の変化を語る訳にはいかない。源次郎は茶に目を落とすことで心中を悟られまいと堪えた。
「一族というだけで身の丈に合わない振る舞いや争いを求められるのも窮屈なものだわ。……ここはわたくしにとって一番心が落ち着く場所なのです。若かりし頃、あの人と一緒に暮らした最初の家があったのですから」
源次郎を茶でもてなしていた北政所はそう打ち明けた。
聚楽第ではなく、このような落ち着いた屋敷が似合う人だ。源次郎はゆったりと茶を点てる北政所に好感を持った。着物も茶々の打掛に比べたら随分と地味ではあるが趣味は良い。
何より、一緒に居ると安らぐ人だ。秀吉が一族郎党を荒っぽくまとめて来られたのも、夫の手が行き届かないところで彼女が周囲に気配りを欠かさなかった事が大きいのだろう。
「さあ。たいしたおもてなしも出来ませぬが、一服あがってお行きなさいな」
「恐れ入ります」
茶をいただいている間、庭先に植えられて間もない梅の木に雲雀が停まった。北政所は年齢を重ねてもなお美しいと思える目じりに品よく皺を寄せて、その愛らしい鳴き声に耳を澄ませる。
まだ地侍だった頃から夫を支えてきた関白の正室は、質素な暮らしの中に充実を見出す喜びを知っているのだ。
「こちらに居ると心が落ち着きます。聚楽第はどこもかしこも色が多すぎて目が回りますわ」
ふふ、と北政所は小さく笑った。
その時、板塀の先から一人の奥方がひょっこり顔を覗かせた。
「寧々さま、お久しゅう」
北政所の顔がぱっと明るくなり、縁側から草履をつっかけて塀に駆け寄る。
「まあまあ。まつ殿、久しぶり」
奥方二人はさながら姫君のように手を取り合って跳びはねた。
「加賀の奥のお役目を永(利長の正室・織田信長の娘)に引き継いでまいりまして、先ほど到着いたしました。寧々さまもお元気そうで何よりでございますわ。こうして板塀ごしにお話ししていると、昔に戻ったようですわねえ……そちらのお侍さまは?」
「信濃から来られた、真田源次郎信繁どのですよ。あの人ったら源次郎どのにばかり用事を言いつけるものだから、いつも大忙しなの。だからちょっと息抜きしてもらっていたところ」
「あらあら。それだけ殿下に気に入られているという事は将来が楽しみですわ。信濃の真田家といえば、もしかしたら上杉さまの所へ人質に来ていた方のご家族かしら?」
「あ、それは私自身の事でございます」
「まあ、そうでしたの……春日山城で慶次が会ったという人質も、あなたですのね」
その節は慶次がお世話になりました、とまつが頭を下げる。腰が低い…夫の利家と同じで誰にでも友好的な人柄に源次郎は却って恐縮した。
「いえ、私の方こそ慶次さまには大変良くしていただきました」
「あなたが良くしてくださったのではなくて?あの子は大きな子供みたいなものですから、あの齢になっても奇抜な恰好で遊び歩いては周りの方に迷惑をかけっぱなしで」
「いえ。慶次さまは教養が豊かであられたので、古典の絵巻や歌だけでなく書や茶といった京のたしなみを学ばせていただきましたし、何よりあの方が居られるだけで場がとても明るく和やかになるのです。上杉の殿も、家中の皆様も、慶次さまの事が好きでいらっしゃいます」
「そう言っていただけると嬉しゅうございますわ。最近ようやく上杉どのの許へ腰を落ち着けると文が届いて、わが殿と一緒に安堵していたところなのですよ」
越後に居た時にも感じていたが、やはり前田の者は慶次を案じている。まつの目じりが潤んでいるのが何よりの証のように思えた。
「まつ殿。時間が経てば、みんな変わるものですわよ。……その点、うちの人といったら相変わらず派手なものと女子に目がなくてねえ」
「あらまあ、出世してもお変わりありませんのね」
「あの人の女子好きは今に始まった事じゃないのだけれど、相手の気持ちも考えずに全員まとめて聚楽第に住まわせてしまって……きらびやかすぎるお城も何だか落ち着かないし、何より寝ても覚めてもどこかで側室や女中が喧嘩する声が聞こえていて息が詰まりそうだったから逃げてきちゃったわ」
これ以上皺や白髪が増えるのは勘弁ですわ。北政所は鬢のあたりを指でかきあげる仕草をした。
「うふふ。殿下がお好きに振る舞えるのも、寧々さまがいらっしゃる安心感からですわ。きっと甘えていらっしゃるのでしょう」
「だといいのだけれど」
北政所とまつは顔を見合わせて陽気に笑いあった。同じ時期に織田の家臣として下積み生活を送っていた夫を持つ者同士、親友であり戦友のようなものなのだろう。
「それにしても……ようやく平和が戻るかと思いましたら、また雲行きが怪しくなりそうですわね」
まつが眉間を曇らせた。
「小田原のことでしょう。あの人は天下統一の仕上げだと言って乗り気だけれど、戦を禁じる『惣無事令』を出したのもあの人自身。一体どうするおつもりやら」
「早々に上洛して殿下に臣従を誓ってくださるよう、うちの殿や上杉さまが北条さまを説得しているようですわ。聞き届けられれば良いのですが」
「本当に。あの人は日ノ本すべてを従えなければ気が済まないのでしょうね。小田原の次は奥州に陸奥……」
北政所が高い空を見上げた。
「日ノ本を統一したら、一体どうなるのか……あの人の「欲しがり屋」ぶりは信長公の上を行くから心配だわ」
「北条氏政公は今回の上洛を断ったとか。太閤はお怒りだったそうだぞ」
秀吉が入り浸る聚楽第の内部は安全なので手が空いた源次郎は、秀吉から許可を貰った石田三成からの依頼で大坂に入り、各地から大名が上洛するたびに届けられる献上品を検めて蔵に収めては帳簿に記録していた。その最中、同じ作業をしていた馬廻衆の同僚がふと漏らした。
京都出身の彼は、名を大野治長という。源次郎より二歳年下で、母は茶々の乳母・大蔵卿局である。後の大坂の陣をともに戦うまで長いつきあいになることは、まだ互いに知る由もない。
「北条どのが?」
「ああ」
荷物を運び終えた空の荷車が商人や人工とともに行きかう土埃の中、大野は周囲に聞こえないよう声をひそめた。
「将軍でも天皇でもない者に呼びつけられるのが気に入らないのだそうだ。徳川家康公が間に入ってどうにか仲裁をしたというが、今もって百年も昔の栄光を引きずっているのだから哀れなものだよ。何も起こらなきゃいいけどな」
北条氏政の三代前の祖先は、北条早雲こと伊勢新九郎……足利将軍家の一族である鎌倉公方の嫡子を殺し、松永久秀・斉藤道三と並んで戦国の三大梟雄と呼ばれた男である。
厳密には伊勢新九郎が北条を名乗り始めた訳ではないが、北条家は鎌倉幕府の執権として名を馳せた北条家とは家系が異なるため『後北条家』とも呼ばれていた。執権家とは縁もゆかりもない家が北条姓を名乗った理由は簡単である。
「相模の民を従えるには『北条』の名を使うのが最も手っ取り早いから」
しかしその名が「はったり」に終わらないところが北条一族の実力であった。今川の滅亡後いち早く関東に領土を拡げ、最盛期には東は上総、安房まで、西は相模や駿府、北は下野沼田から信濃国小諸あたりまで関東一円二百万石あまりを支配し、武田や徳川、上杉といった大勢力と何度も渡り合う大勢力となっている。真田家も沼田城を巡って幾度か干戈を交えていた。
その北条と豊臣との関係は、隣接していないだけに常に微妙なものではあった。北条と同盟を結んでいる徳川が豊臣と同盟を結ぶことで、どうにか均衡が取れているのだ。直接の友好関係はないに等しい。しかし討伐する理由もないので豊臣もそのまま放置せざるを得ないのが現状であり、小さな石つぶて一つで大きな流れを巻き起こす凍りついた川のような危うさの中で東日本は表向きの平穏を保っていた。
それでも北条がおとなしく豊臣に臣従していれば、まだ安泰が約束されていたのかもしれない。そこで意地を張り通してしまうことが、豊臣と北条との間の小さな皹とならなければよいのだが。
しかし北条が倒れるようなことがあれば、上田の父はさぞ胸をなでおろすだろう。戦いは好ましくないが、源次郎はそんなことを考えてしまう。
いくら父とはいえ、さすがに豊臣の後ろ盾なくして徳川と繋がっている北条相手に謀略を巡らせることはしないだろうとは思ったのだけれど。
「あの頑固者の北条は、やはり関白とは反りが合わぬようじゃな」
大坂からほど遠い三河国。岡崎城の天守にて、徳川家康は庭を眺めて扇を弄んだ。
「此度の説得も門前払いされたわい……まったく、この齢で京と小田原を行き来する身にもなってほしいものじゃ」
縁側に置かれた薬湯をすすり、まだ熱いと顔をしかめて茶碗を置く。
「今の関白は増上慢を絵に描いたような男じゃ。何でも欲しがる赤子のようなもの。下賤の者が士姓など賜っただけでも士族の反発は強いというのに、己が身の程を忘れ上ばかり見て足掻くその足で敵を蹴落とす様はまさに井の中の蛙じゃのう。そう思わぬか、本多」
「左様にござりまするな。人には皆それぞれ生まれ持った『分』というものがあり、分を超えた振舞いは己が身を滅ぼすだけでなく世を混乱せしめるというのが我が家の教えにございます」
すぐ下座に控えた家康の参謀、本多正信が話を合わせる。石川数正の出奔をたんなる裏切りとしか捉えていない家康とは異なり、本多はその理由が家康自身にあることを承知していた。しかし家康もまた諫言を嫌うという点では秀吉と似たような性分、石川のようにぞんざいな扱いを受けぬために主の機嫌を損なわない答えをひねり出す術を、本多は知っていた。
藤原氏に始まり源氏の時代を生き抜いて来た根っからの士族である松平氏の家系である家康から見れば、北条も豊臣も庶民出身の成り上がりである。にもかかわらず、家康は幼少時代にさらなる格上の今川家に人質に出されて以降、今川の滅亡や織田信長の横暴、北条との争いなど常に二番手として辛酸を舐めてきた。『家格』というものに矜持を持っていなければ、到底耐えて来られなかっただろう。
それゆえ、今もなお豊臣秀吉に対しては面従腹背、冷ややかであった。しかし、それを億尾にも出さない術はとっくに身に着けている。
温暖な駿府の風は心地よく、庭園の隅に家康が植えた蜜柑の苗も青々と歯を茂らせている。つかの間の静寂も嵐の前の静けさと受け止めて緊張を解くことなく日々を過ごす生活が身体に染みついた家康が物思いにふけった後、ふと思い出したように口にした。
「そういえば、真田の次男坊が大谷刑部の娘を娶ったとか」
「たしか関白殿下直々のお声がかりであったと聞いております……異例であったが故に、大坂が随分とざわめいたとか」
「やはり豊臣も真田を取り込もうと画策しておったか」
家康は、広げた扇の下で口許をゆがめる。
「しかし大谷の娘とはまた大きな手を打ってきたのう。豊臣二兵衛の一翼と呼ばれた竹中半兵衛の教えを最もよく受け継ぐ者と、小憎らしい真田……考えただけで頭が痛くなるわい」
「お察しいたします。ですが、今はじっと機を待つ時でございましょう。関白殿下から惣無事令が発令された今、大名が勝手に戦を行うことは出来ませぬ。しかしながら、それはつまり彼奴らも下手には動けぬということ。良好な関係を保つことが肝要と存じます」
「うむ。でなければ真田の倅をこちらに置いている意味がなくなるのじゃ」
「沼田の城のこともございますからなあ」
「真田が関白に沼田を安堵されているうちは、まだ安心じゃ。真田は徳川の与力、事実上、儂にも沼田を使う権利があると考えて良いじゃろう……北条がどう動こうとも、争わずして沼田を手に入れられるのならこれ幸い」
徳川は、戦においては実に真田と、ことに真田昌幸との相性が悪い。武田信玄の遺領をめぐる争いでは途中で真田が北条から離反するまで苦戦させられ、大軍で臨んだ上田合戦ではこてんぱんに負かされた。しかも、真田はいつの間にか豊臣に和睦の仲介を取り付けていたので、徳川としてもそれ以上攻撃することが出来なくなり臍を咬む思いで引き下がるしかなくなったのだ。狐と狸の化かし合いのような謀略戦も、小国で身軽な分だけ真田安房守の方がひらりひらりと上手に世を渡っている感がある。家康にとって真田安房守は面白くない存在であった。
これが信長であったならどこの誰が惣無事令を出そうとお構いなしに潰しにかかっただろうが、家康は機を待つことを選んだ。わずかずつではあるが、時勢は動いていく。何もないに越した事はないのだが、もしもに備えて真田の長男を押さえたのだ。
この先徳川と豊臣の間に『何か』が起こったとしたら、兄弟が東西に分かれて付くだろう。真田家は又裂きになるかもしれないが、縁戚があれば少なくても一家全員が徳川と敵対することだけは免れる。
「北条が崩れた後、そして太閤の後……まだ天下は決しておらぬわ」
その鍵の一つとなるのが真田だ、家康の心の声が本多には聞こえるようであった。
茶々が秀吉にとって初めての子となる鶴松を出産したという吉報が京と大坂を駆け巡った年の暮れ。
「関白から、沼田を北条に明け渡せと命じられた」
屋敷に戻るなり淡々と源次郎に告げた昌幸は、すぐ上田に向かうと言って支度を始めた。
「父上、あれほど大切にしてきた沼田を明け渡せとは」
「関白殿下のご命令だ。逆らえばどうなるか、知らぬ訳ではあるまい」
「……例の裁定の結果でございますか」
「そうだ」
事の発端は十年前、繁こと源次郎が初めて人質に出た沼田城奪取作戦に遡る。武田家の領土拡大の命を受けた昌幸が北条から奪い取った戦いだ。
武田の手の者とはいえ、北条から見ればはるかに格下の田舎侍に要所を奪われた屈辱は思っていた以上に大きな禍根を残したようである。
以降、北条は徳川との同盟の条件に沼田城を組み込むほど執着をみせていた。徳川との連合軍として参加した上田合戦では、あくまでも上田城奪還を掲げる徳川には脇目もふらず沼田城へ向かっている。
しかし、どうしても奪い返せないのだ。
そうしている間に天下は秀吉のものとなり、徳川、上杉、北条、そして真田といった勢力が自分の目が届かない場所にて戦を繰り広げていることに危機感を覚えた秀吉は、日ノ本に『惣無事令』を発令していた。秀吉の許可なくして国同士の戦闘行為を禁じる命令である。
もはや力で奪うことはかなわない。
そんな折、散々上洛をせっつかれた氏政は、またしても「沼田城」を交渉の机上に載せたのであった。
秀吉は秀吉で、北条を臣従させる機会であるとしながらもすぐに要求を呑むことはせず、「沼田が北条・真田どちらの領土であるか、おのおの正当な理由を御前で申してみよ」として裁定の機会を設けたのである。言うまでもなく真田に…全国各地で同じような問題を抱える大名たちに対する配慮であった。
聚楽第にて行われた裁定の場にて。
「我ら北条には、関白殿下と干戈を交えるつもりは毛頭ございませぬ。天下は関白殿下のものである事は、いまや明白。ですが、武田との戦の最中に真田に奪われたままの沼田城だけはどうしても取り戻したいのでございます」
北条氏政の使者に立った小田原評定衆の一人にして僧侶・板部丘江雪斎は、口角に泡を飛ばしながら言い切った。氏政からこの一点だけは譲るなと厳命されているのだろう。
「しかし、戦の世で城の奪い合いは必定であろう。北条とて、関東の城を数多く手にしてきたであろうに」
「沼田を真田が治めている経緯に関しては、まったくもって騙し討ちでございます」
「だまし討ち、とな?」
高座の秀吉が額に皺を寄せる。
「もとは上杉のものであった沼田城を、我ら北条は攻め落としました。それはまっとうな戦の結果でございます。ですが真田は内部から城を奪い取り居座った次第。織田信長公が信濃を制した後も、知行を任されていた滝川氏が清州へ出立なさるや否やまたもや居座ってしまい、以降頑として譲りませぬ」
「安房守、どうじゃ?」
「城攻めの手法の一つに『調略攻め』というものがございます。兵法にも記されているこの手法を我らもまた用いただけのこと。何ら珍しい事ではありませぬし、咎められる筋合いもございますまい」
「そもそも真田は天正壬午の乱の際にも上杉、北条、徳川と目まぐるしく臣従する相手を変えております。そうやって、のらりくらりと信濃一帯と沼田に領土を拡げてしまった者、まこと信用なりませぬぞ」
「当時は国衆が主家を変える事など日常茶飯事であり、何ら罪とはされませなんだ。より良き条件を提示された者に就くは、乱世を生き抜くための知恵であり誰もが行っていた事でございますぞ。あの時、我ら真田は徳川どのから信濃・諏訪・上野において切り取り放題のお墨付きを頂いておりました。自らの城を守りながら領土を拡大するは戦国の常識ではござらなかったかな?」
「世間は許しても、信長公一筋に仕えていらした殿下はかような不忠義をお許しになりますまい」
「いや、それは信長公という大きな器を持つ主に仕えることができた儂が幸運であったという事に他ならぬ。半兵衛も『待遇の不満、あるいは身の危険で主を見切ることは恥ではなく生き抜くための知恵だ』と申しておった。たまたま、儂にそうする機会が訪れなかっただけじゃ」
きっぱり言い切った秀吉に、江雪斎は不満そうに口をつぐむ。
秀吉の側に控えた石田三成は、ただ黙々と事の経緯を綴っていた。筆が止まってもなお双方に緊張の糸が張りつめたままの沈黙が訪れたため「何かあらば申せ」と促す。
江雪斎は「では」とさらに切り出した。
「天正壬午の乱の後に徳川どのと我が殿とが和睦を結んだ際の起請文にも、沼田城の明け渡しが約定されておりました。ですが真田は約定を反故にし、沼田を明け渡さぬどころか徳川が普請した上田の城まで掠め取ってしまったのです」
「ほう。安房守、申開く事はあるか」
「上田の地はもとより我々真田の地。城は「上田の守りのために」と我らに知行を任せた徳川どのが普請されたもの。些細な行き違いによる戦はあり申したが、既に殿下にご仲介いただいての和睦も成立しておりまする。一方、北条どのに対する沼田の件は『北条が徳川と組んで上田を攻めるのであれば』という条件つきであった筈。ところが北条どのは上田攻めには加担せずにまっすぐ沼田に向かわれた。それは即ち、北条どのは徳川どのとの約定を守らなかったという事に他なりませぬのでは?」
「ぐ……詭弁ばかりを」
まったく怯むことなく堂々と自論を述べる安房守を江雪斎が睨んだが、昌幸はしれっと「どこが?」と言い返す。
「守られてもおらぬ約定、成り立っておらぬ同盟のために沼田城を明け渡す道理など、どこにもござらぬであろう。そもそも徳川と北条との間で真田の城を勝手に取引する事自体がまったくもって解せませぬ。こちらの預かり知らぬところで交わされた、しかも守られなかった約定によって攻められたのですから追い払うが理。違いますかな?」
「うう……」
しかし、江雪斎は頑として譲らなかった。南蛮仕様の高足の床几に手をつき、声を張り上げる。
「関白殿下が沼田城の知行を北条に安堵してくださるのなら、殿には上洛するお考えがございまする」
「何と」
そうならそうと、なぜ早く言わないのじゃ。
秀吉の心が大きく傾いたのを、昌幸ははっきりと読み取った。
「その言葉、真実であるな?」
「殿がかように申しております故、間違いございませぬ」
「そうか……ではここで城ひとつをどうと議論しても栓なき事であるな」
「殿下!」
「争わずして北条が従ってくれるのなら、それに越したことはあるまい。沼田城はくれてやるゆえ、氏政には早急に上洛せよと伝えよ」
「ははーっ」
秀吉はここで裁定を打ち切る旨を宣言し、石田三成も議事をまとめて引き揚げた。茫然となる昌幸、安堵して気が抜けた江雪斎の間を、秀吉が扇子で顔を扇ぎながら退出していく。
かくして、秀吉は昌幸に沼田城の明け渡しを命じたのであった。
「……安房守よ」
江雪斎ら北条家の評定衆が引き揚げたのを見計らって、秀吉がこっそり真田昌幸を呼びつけた。
「沼田という土地がいかに重要かは、儂もよう知っておるつもりじゃ。そちが寡兵で徳川と渡り合ってまで守り抜いたということも」
「いかにも……沼田は信玄公より預かった大切な城、いわば遺産であり我が家の宝にございます」
「そうして守り抜いた城を儂の一言であっさり引き渡すことは無念であろう。だが、これは徳川への牽制にもなるのじゃ」
「徳川どのの?」
「あやつは未だに何を考えておるか分からぬ。聞けば、そちの嫡男に養女を嫁がせたというではないか。真田が徳川の与力であること、さらに縁戚となれば沼田を牛耳ることも可能じゃろうて」
「それは……由々しき問題にございますな」
「じゃろう?あやつに乗っ取られるくらいなら、北条に知行を任せて儂の眼が行き届くようにしておいた方がまだ良いとは思わぬか」
「……そう、でございますが……」
そこで昌幸は無念というように顔をしかめた。秀吉は「わかる、わかるぞ」と小さく発する。
「だがなあ、天下安寧という大願のためには諸大名に少しずつ無理を申さねばならぬのじゃ。どうか分かってほしい……そうじゃ、無事に北条が上洛した暁には、そちの嫡男と源次郎に官位を授けようではないか。それで納得してはくれぬか?」
従五位下でどうじゃ?と具体的な位を示す秀吉に、昌幸はしばし躊躇する顔を見せた上で床板に両手をついた。
「官位欲しさに領土を明け渡したというような噂が立つことは望んでおりませぬが……殿下のお気持ちは、倅達の将来のために有難く頂戴いたします。沼田の件は御心のままに」
「うむ、よう言ってくれた」
秀吉はかつて源次郎にしたように昌幸の手を取り、息がかかるほど近くにまで寄って昌幸を褒め讃えた。
大谷刑部流に表情を読むとしたら、翻意は許さずという意味で。
翌朝。昌幸はわずかな伴を連れて沼田明け渡しについて国衆に説明するため上田へ向かった。
「源次郎。留守の間、山手を頼むぞ」
「承知しました。兄上にもどうか宜しくお伝えくださいませ」
「うむ」
「道中、ご無事でありますよう……」
母は手を合わせて加護を願っていたが、源次郎は昌幸の態度の方が気にかかっていた。
信濃国にとって重い話をしに行く割には、妙にすっきりした顔をしている。
(また良からぬことを考えておられるのではないか)
源次郎の、父に関する予感はほぼ外れたことがない。食わせ者と世間は言うが、存外分かりやすいものだと思ってしまうのは、源次郎の中にも父と似たような心根があるからだろうか。
昌幸は京都を離れ、美濃国との国境にある峠から京の方角を振り返った。そして
「三河の狸に京都の猿。化かし合いに付き合うのは疲れるわい。そもそも、徳川に牛耳られるほど真田の男は脆弱ではない。まったく、いいように嘗めくさってくれる」
吐き捨てるようにそう呟いて馬首を返した
秀吉をはじめとした一族が京都に移り、聚楽第に入って二年。
「殿下ったら、大坂のお城を一族に任せきりでこのお城に入り浸ってばかり。大丈夫なのかしら」
その日、茶々は、気のおけない友二人を前にこぼしていた。
この日、非番であった源次郎は久方ぶりに女の姿に戻り、「繁」という名で真田源次郎が妻・安岐こと「さち」の侍女に身をやつして聚楽第の茶々の許を訪ねていた。茶々の幼馴染であるさちが茶々の話し相手に呼ばれたので、伴として紛れ込んだのである。それは茶々の意向でもあった。
「安土から岐阜に移られた秀信どのから蜜柑が届いたの。あなたも一緒にいただきましょうよ……ああ、皆は退がって休んでいなさいな」
それが合図となって、茶々の侍女たちは細波のように引き払う。大蔵卿局は最後まで残っていたが、茶々に目配せされて渋々引き下がった。
「安岐の夫婦仲は睦まじいようね。聚楽第の奥にまで噂が聞こえてくるくらい」
茶々が蜜柑の入った盆を三人の中央に置いた。
「旦那様はもちろん、義父さまも義母さまも、とても良くしてくださいます。漢詩や大陸の文献が好きなわたくしの趣味にも寛容で、好きなように学ばせてくださいます。何より旦那様はとてもお優しい方で、お役目が終わればまっすぐ帰宅されますし……本当に毎日が幸せです」
「それはきっと、源次郎があなたをとても大事にしているからよ……ねえ、そこのあなたもそう思うでしょう?」
「……はい」
茶々は源次郎に意地悪な質問をする。そして源次郎が恥ずかしさに堪えながら肯定すると、「うふふ」と猫のように笑うのだ。
辺りで他の側室の息がかかった侍女が聞き耳を立てていることを警戒して、三人はしばらく気候や茶々と安岐の子供時代の話など他愛もない話題に時間を費やした。そして放っておいても大事ないと気を緩めた彼女らが完全に引き揚げたところでようやく本音で語り合う。
「茶々さまも意地が悪うございます。茶会にて殿下から縁談をいただいた際にはどれだけ肝を冷やしたことか」
源次郎が、ずっとしまっていた文句を引き出した。しかし茶々はあっけらかんとしたものである。
「あなたなら上手くやってくれると思っていたからよ。それに、殿下じきじきに勧められた正室を娶っておけば、この先余所から強引に側室を取らされることもなくなりましょう。あなたの秘密を守るには最善だったと思いますけれど?」
「それはそうでございますが……」
「わたくしは茶々さまに感謝しております。嫁ぐことなど夢のまた夢だと諦めていたわたくしに、このような良縁をいただけたのですもの」
「源次郎…ああ、その恰好の時は『繁』でしたわね。あなたは彼女のことが嫌い?」
「それだけは断じてございません。その……私も、さちと同じでございます……」
「さち!まあ、既にその名前で呼んでいますのね。まるで夫婦ではないの」
「お言葉ですが、私とさちは既に祝言を挙げた夫婦ですが?」
「ええ知っています。自覚しているのなら問題ありますまい?」
「!」
茶々とさちは目配せをして笑いあった。「討ち取ったり」と茶々が声を弾ませる。
徳川家康にも島津義弘にも負けなかった真田家の次男も、まるで異なる視点から世を見てきた姫君たちには敵わない。だが肩の力を抜いての軽口は不思議と心地よかった。
そして、先の言葉である。実際、秀吉はほとんど大坂には行かず聚楽第にて執務のほとんどを執り行っている。実務と政務を分けたおかげで大坂と京を行き来する伝令役の武士は大わらわなのだ。たった書類一枚、花押一つのためだけに一日二往復する事も珍しくない。
もっとも、この頃では秀吉も一日何度も大坂から遣いが訪れることが鬱陶しくなってきたらしく、大坂での実務で完結するようなものの決定権は石田や大谷といった奉行衆に、定期的な裁可であれば決定権を甥の羽柴秀次に委ねる機会が増えていた。
「大坂城は、今や大谷さまや石田治部さまを始めとした事務方が取り仕切る実務場所となっているようですね」
「石田治部少輔?ああ、『石頭』な人ね」
面識はなくとも、秀吉から話は聞いているのだろう。それも、秀吉は仇名までつけているらしい。
「あの人が各地の大名の不正やら謀反の噂やらをこと細かに報告するから、そのたびに処分が大変だって殿下がこぼしていたわ。……でも、他の人と違って石頭さんの報告はきちんと裏を取ってあるから信用できるのですって」
城仕えの者がある日突然失脚したり、稀に流罪や切腹を申しつけられているのは石田が目を光らせているからなのか。この手の裏話は源次郎にも貴重な情報である。
家臣の間で不穏な動きがあると、まず石田三成が内密に調査をする。そして確証を得てから報告しているらしい。おそらく大谷も協力しているだろう。
それゆえ単なる噂だけで失脚するような事はないのだが、それだけに城内における石田の評判が必ずしも良いものではないと源次郎は聞いていた。
茶々が『石頭』と呼ぶとおり、石田は不正が大嫌いな上に融通が利かないのだ。いわゆる『お目こぼし』はないし、かつての同僚であろうと不正が発覚すれば容赦なく処罰の対象にする。清廉と言えば聞こえはいいが、魚は水が清らかすぎても棲み難いものなのだ。
もとより足軽や地侍が集まって『なあなあ』で出来上がったような秀吉の体制。自分達で造り上げたものなのだから恩恵もあって然るべきだと考える者達が、仲間うちの阿吽の呼吸で曖昧にしておきたい事まで詳らかにされてしまえば、それは面白く思わないであろう。桁は違うが童がお駄賃を親に召し上げられるようなものだ。
が、籠の外の機微は茶々には預かり知らぬ事であり。
「石頭さんが居るから安心して大坂を任せられるのでしょうけれど……殿下があまりにこちらに入り浸りなものだから、まあ、色々あるわね」
茶々は重たい打掛が動くくらい肩をすくめた。
「北政所さまが、聚楽第の外に新しくお屋敷を建ててそちらへ移られたわ」
「では、こちらの皆様をまとめるお役目は?」
「十日に一度くらい、お屋敷からこちらへ通って来られるの。わたくし達側室の間に揉め事があれば仲裁に入ってくださいますし、殿下が北政所さまを最も信頼なさっている事は揺らぎませんけれど……殿下はああいうお方ですから」
同じ屋根の下に暮らしながら、毎夜ごと若い側室の部屋を行ったり来たりする夫を側で見る妻の気持ちはいかばかりだろう。源次郎にもさちにも、北政所の気持ちが何となく解る気がした。
「わたくし達も気がひけないと言えば嘘になります。けれどお城の中での力関係はまた別。殿下にはお世継ぎがいらっしゃらないから……」
瞬間、茶々は憐みと申し訳なさが入り混じった顔をして北政所の部屋の方に視線を向けた。
「北政所さまは、ご自分と殿下との間についぞお子が生まれなかったことで勢力争いから退く…側室たちの後ろにいる大名たちの無用な争いを避けるためのまとめ役に徹するお考えのようでいらっしゃるから、一番先に殿下の嫡子を産んだ側室が事実上の正室になるでしょうね。今はその座を巡ってみんなで争っている、そんなところ」
「それは……気が抜けないですわね」
「でも負ける訳にはいかないわ。わたくしも覚悟を持って飛び込んで来たのですもの。非情になれと言うのなら、わたくしはいくらでも感情を殺しましょう」
次々と蜜柑を口に放り込みながら、茶々は宣言する。思いを口にして自らに言い聞かせるようでもあった。
「あの、茶々さま」
源次郎がふと気づいた。
「なあに?」
源次郎が向けた視線の先には、空っぽの盆と、代わりに積み上げられた蜜柑の皮。すべて茶々一人で食べたものだ。さちが「あ」と声を上げる。
「先ほどから、蜜柑をたくさん召し上がっておられますが」
「ええ。侍女はみんな酸っぱいと言うのだけれど、わたくしはこの酸っぱさに病みつきになってしまいましたの。あまりに美味しいので、もう少し送っていただこうと思っているのよ」
「……」
源次郎とさちが顔を見合わせる。茶々はきょとんとしていた。
「何か?」
若夫婦の譲り合いの末、家臣としての責任も併せ持つ源次郎がおずおずと述べた。
「茶々さま。私の口から申し上げるのも憚られますが、もしや……」
茶々が自らの変化に気づき、まだ周囲に気づかれてはならないとして密かに医師の診立てを待っていたある日。
源次郎は、聚楽第からの使い文を持って北政所の住まいを訪れていた。
「金吾が丹波亀山に城を……あの人、随分と気を遣っているのね」
文に目を通した北政所はふうと息を吐いて笑った。
「金吾というのは、わたくしの里の甥っ子ですわ。まだ元服して間もないのだけれど、関白の養子にもなっているの。日秀尼さま(秀吉の姉)がお産みになられた孫七郎(羽柴秀次)と並ぶ、将来の跡継ぎ候補として……それが本人にとって幸せかどうかは、わたくしにも分からないけれど」
金吾(のちの小早川秀秋)の名は源次郎も知っていた。実子のいない秀吉にとっては次期関白候補の一人である。破格の厚遇もその一環であろう。
ただ、それもあくまで『現時点』での話である。
目を細める北政所に、関白ですらまだ知らない茶々の変化を語る訳にはいかない。源次郎は茶に目を落とすことで心中を悟られまいと堪えた。
「一族というだけで身の丈に合わない振る舞いや争いを求められるのも窮屈なものだわ。……ここはわたくしにとって一番心が落ち着く場所なのです。若かりし頃、あの人と一緒に暮らした最初の家があったのですから」
源次郎を茶でもてなしていた北政所はそう打ち明けた。
聚楽第ではなく、このような落ち着いた屋敷が似合う人だ。源次郎はゆったりと茶を点てる北政所に好感を持った。着物も茶々の打掛に比べたら随分と地味ではあるが趣味は良い。
何より、一緒に居ると安らぐ人だ。秀吉が一族郎党を荒っぽくまとめて来られたのも、夫の手が行き届かないところで彼女が周囲に気配りを欠かさなかった事が大きいのだろう。
「さあ。たいしたおもてなしも出来ませぬが、一服あがってお行きなさいな」
「恐れ入ります」
茶をいただいている間、庭先に植えられて間もない梅の木に雲雀が停まった。北政所は年齢を重ねてもなお美しいと思える目じりに品よく皺を寄せて、その愛らしい鳴き声に耳を澄ませる。
まだ地侍だった頃から夫を支えてきた関白の正室は、質素な暮らしの中に充実を見出す喜びを知っているのだ。
「こちらに居ると心が落ち着きます。聚楽第はどこもかしこも色が多すぎて目が回りますわ」
ふふ、と北政所は小さく笑った。
その時、板塀の先から一人の奥方がひょっこり顔を覗かせた。
「寧々さま、お久しゅう」
北政所の顔がぱっと明るくなり、縁側から草履をつっかけて塀に駆け寄る。
「まあまあ。まつ殿、久しぶり」
奥方二人はさながら姫君のように手を取り合って跳びはねた。
「加賀の奥のお役目を永(利長の正室・織田信長の娘)に引き継いでまいりまして、先ほど到着いたしました。寧々さまもお元気そうで何よりでございますわ。こうして板塀ごしにお話ししていると、昔に戻ったようですわねえ……そちらのお侍さまは?」
「信濃から来られた、真田源次郎信繁どのですよ。あの人ったら源次郎どのにばかり用事を言いつけるものだから、いつも大忙しなの。だからちょっと息抜きしてもらっていたところ」
「あらあら。それだけ殿下に気に入られているという事は将来が楽しみですわ。信濃の真田家といえば、もしかしたら上杉さまの所へ人質に来ていた方のご家族かしら?」
「あ、それは私自身の事でございます」
「まあ、そうでしたの……春日山城で慶次が会ったという人質も、あなたですのね」
その節は慶次がお世話になりました、とまつが頭を下げる。腰が低い…夫の利家と同じで誰にでも友好的な人柄に源次郎は却って恐縮した。
「いえ、私の方こそ慶次さまには大変良くしていただきました」
「あなたが良くしてくださったのではなくて?あの子は大きな子供みたいなものですから、あの齢になっても奇抜な恰好で遊び歩いては周りの方に迷惑をかけっぱなしで」
「いえ。慶次さまは教養が豊かであられたので、古典の絵巻や歌だけでなく書や茶といった京のたしなみを学ばせていただきましたし、何よりあの方が居られるだけで場がとても明るく和やかになるのです。上杉の殿も、家中の皆様も、慶次さまの事が好きでいらっしゃいます」
「そう言っていただけると嬉しゅうございますわ。最近ようやく上杉どのの許へ腰を落ち着けると文が届いて、わが殿と一緒に安堵していたところなのですよ」
越後に居た時にも感じていたが、やはり前田の者は慶次を案じている。まつの目じりが潤んでいるのが何よりの証のように思えた。
「まつ殿。時間が経てば、みんな変わるものですわよ。……その点、うちの人といったら相変わらず派手なものと女子に目がなくてねえ」
「あらまあ、出世してもお変わりありませんのね」
「あの人の女子好きは今に始まった事じゃないのだけれど、相手の気持ちも考えずに全員まとめて聚楽第に住まわせてしまって……きらびやかすぎるお城も何だか落ち着かないし、何より寝ても覚めてもどこかで側室や女中が喧嘩する声が聞こえていて息が詰まりそうだったから逃げてきちゃったわ」
これ以上皺や白髪が増えるのは勘弁ですわ。北政所は鬢のあたりを指でかきあげる仕草をした。
「うふふ。殿下がお好きに振る舞えるのも、寧々さまがいらっしゃる安心感からですわ。きっと甘えていらっしゃるのでしょう」
「だといいのだけれど」
北政所とまつは顔を見合わせて陽気に笑いあった。同じ時期に織田の家臣として下積み生活を送っていた夫を持つ者同士、親友であり戦友のようなものなのだろう。
「それにしても……ようやく平和が戻るかと思いましたら、また雲行きが怪しくなりそうですわね」
まつが眉間を曇らせた。
「小田原のことでしょう。あの人は天下統一の仕上げだと言って乗り気だけれど、戦を禁じる『惣無事令』を出したのもあの人自身。一体どうするおつもりやら」
「早々に上洛して殿下に臣従を誓ってくださるよう、うちの殿や上杉さまが北条さまを説得しているようですわ。聞き届けられれば良いのですが」
「本当に。あの人は日ノ本すべてを従えなければ気が済まないのでしょうね。小田原の次は奥州に陸奥……」
北政所が高い空を見上げた。
「日ノ本を統一したら、一体どうなるのか……あの人の「欲しがり屋」ぶりは信長公の上を行くから心配だわ」
「北条氏政公は今回の上洛を断ったとか。太閤はお怒りだったそうだぞ」
秀吉が入り浸る聚楽第の内部は安全なので手が空いた源次郎は、秀吉から許可を貰った石田三成からの依頼で大坂に入り、各地から大名が上洛するたびに届けられる献上品を検めて蔵に収めては帳簿に記録していた。その最中、同じ作業をしていた馬廻衆の同僚がふと漏らした。
京都出身の彼は、名を大野治長という。源次郎より二歳年下で、母は茶々の乳母・大蔵卿局である。後の大坂の陣をともに戦うまで長いつきあいになることは、まだ互いに知る由もない。
「北条どのが?」
「ああ」
荷物を運び終えた空の荷車が商人や人工とともに行きかう土埃の中、大野は周囲に聞こえないよう声をひそめた。
「将軍でも天皇でもない者に呼びつけられるのが気に入らないのだそうだ。徳川家康公が間に入ってどうにか仲裁をしたというが、今もって百年も昔の栄光を引きずっているのだから哀れなものだよ。何も起こらなきゃいいけどな」
北条氏政の三代前の祖先は、北条早雲こと伊勢新九郎……足利将軍家の一族である鎌倉公方の嫡子を殺し、松永久秀・斉藤道三と並んで戦国の三大梟雄と呼ばれた男である。
厳密には伊勢新九郎が北条を名乗り始めた訳ではないが、北条家は鎌倉幕府の執権として名を馳せた北条家とは家系が異なるため『後北条家』とも呼ばれていた。執権家とは縁もゆかりもない家が北条姓を名乗った理由は簡単である。
「相模の民を従えるには『北条』の名を使うのが最も手っ取り早いから」
しかしその名が「はったり」に終わらないところが北条一族の実力であった。今川の滅亡後いち早く関東に領土を拡げ、最盛期には東は上総、安房まで、西は相模や駿府、北は下野沼田から信濃国小諸あたりまで関東一円二百万石あまりを支配し、武田や徳川、上杉といった大勢力と何度も渡り合う大勢力となっている。真田家も沼田城を巡って幾度か干戈を交えていた。
その北条と豊臣との関係は、隣接していないだけに常に微妙なものではあった。北条と同盟を結んでいる徳川が豊臣と同盟を結ぶことで、どうにか均衡が取れているのだ。直接の友好関係はないに等しい。しかし討伐する理由もないので豊臣もそのまま放置せざるを得ないのが現状であり、小さな石つぶて一つで大きな流れを巻き起こす凍りついた川のような危うさの中で東日本は表向きの平穏を保っていた。
それでも北条がおとなしく豊臣に臣従していれば、まだ安泰が約束されていたのかもしれない。そこで意地を張り通してしまうことが、豊臣と北条との間の小さな皹とならなければよいのだが。
しかし北条が倒れるようなことがあれば、上田の父はさぞ胸をなでおろすだろう。戦いは好ましくないが、源次郎はそんなことを考えてしまう。
いくら父とはいえ、さすがに豊臣の後ろ盾なくして徳川と繋がっている北条相手に謀略を巡らせることはしないだろうとは思ったのだけれど。
「あの頑固者の北条は、やはり関白とは反りが合わぬようじゃな」
大坂からほど遠い三河国。岡崎城の天守にて、徳川家康は庭を眺めて扇を弄んだ。
「此度の説得も門前払いされたわい……まったく、この齢で京と小田原を行き来する身にもなってほしいものじゃ」
縁側に置かれた薬湯をすすり、まだ熱いと顔をしかめて茶碗を置く。
「今の関白は増上慢を絵に描いたような男じゃ。何でも欲しがる赤子のようなもの。下賤の者が士姓など賜っただけでも士族の反発は強いというのに、己が身の程を忘れ上ばかり見て足掻くその足で敵を蹴落とす様はまさに井の中の蛙じゃのう。そう思わぬか、本多」
「左様にござりまするな。人には皆それぞれ生まれ持った『分』というものがあり、分を超えた振舞いは己が身を滅ぼすだけでなく世を混乱せしめるというのが我が家の教えにございます」
すぐ下座に控えた家康の参謀、本多正信が話を合わせる。石川数正の出奔をたんなる裏切りとしか捉えていない家康とは異なり、本多はその理由が家康自身にあることを承知していた。しかし家康もまた諫言を嫌うという点では秀吉と似たような性分、石川のようにぞんざいな扱いを受けぬために主の機嫌を損なわない答えをひねり出す術を、本多は知っていた。
藤原氏に始まり源氏の時代を生き抜いて来た根っからの士族である松平氏の家系である家康から見れば、北条も豊臣も庶民出身の成り上がりである。にもかかわらず、家康は幼少時代にさらなる格上の今川家に人質に出されて以降、今川の滅亡や織田信長の横暴、北条との争いなど常に二番手として辛酸を舐めてきた。『家格』というものに矜持を持っていなければ、到底耐えて来られなかっただろう。
それゆえ、今もなお豊臣秀吉に対しては面従腹背、冷ややかであった。しかし、それを億尾にも出さない術はとっくに身に着けている。
温暖な駿府の風は心地よく、庭園の隅に家康が植えた蜜柑の苗も青々と歯を茂らせている。つかの間の静寂も嵐の前の静けさと受け止めて緊張を解くことなく日々を過ごす生活が身体に染みついた家康が物思いにふけった後、ふと思い出したように口にした。
「そういえば、真田の次男坊が大谷刑部の娘を娶ったとか」
「たしか関白殿下直々のお声がかりであったと聞いております……異例であったが故に、大坂が随分とざわめいたとか」
「やはり豊臣も真田を取り込もうと画策しておったか」
家康は、広げた扇の下で口許をゆがめる。
「しかし大谷の娘とはまた大きな手を打ってきたのう。豊臣二兵衛の一翼と呼ばれた竹中半兵衛の教えを最もよく受け継ぐ者と、小憎らしい真田……考えただけで頭が痛くなるわい」
「お察しいたします。ですが、今はじっと機を待つ時でございましょう。関白殿下から惣無事令が発令された今、大名が勝手に戦を行うことは出来ませぬ。しかしながら、それはつまり彼奴らも下手には動けぬということ。良好な関係を保つことが肝要と存じます」
「うむ。でなければ真田の倅をこちらに置いている意味がなくなるのじゃ」
「沼田の城のこともございますからなあ」
「真田が関白に沼田を安堵されているうちは、まだ安心じゃ。真田は徳川の与力、事実上、儂にも沼田を使う権利があると考えて良いじゃろう……北条がどう動こうとも、争わずして沼田を手に入れられるのならこれ幸い」
徳川は、戦においては実に真田と、ことに真田昌幸との相性が悪い。武田信玄の遺領をめぐる争いでは途中で真田が北条から離反するまで苦戦させられ、大軍で臨んだ上田合戦ではこてんぱんに負かされた。しかも、真田はいつの間にか豊臣に和睦の仲介を取り付けていたので、徳川としてもそれ以上攻撃することが出来なくなり臍を咬む思いで引き下がるしかなくなったのだ。狐と狸の化かし合いのような謀略戦も、小国で身軽な分だけ真田安房守の方がひらりひらりと上手に世を渡っている感がある。家康にとって真田安房守は面白くない存在であった。
これが信長であったならどこの誰が惣無事令を出そうとお構いなしに潰しにかかっただろうが、家康は機を待つことを選んだ。わずかずつではあるが、時勢は動いていく。何もないに越した事はないのだが、もしもに備えて真田の長男を押さえたのだ。
この先徳川と豊臣の間に『何か』が起こったとしたら、兄弟が東西に分かれて付くだろう。真田家は又裂きになるかもしれないが、縁戚があれば少なくても一家全員が徳川と敵対することだけは免れる。
「北条が崩れた後、そして太閤の後……まだ天下は決しておらぬわ」
その鍵の一つとなるのが真田だ、家康の心の声が本多には聞こえるようであった。
茶々が秀吉にとって初めての子となる鶴松を出産したという吉報が京と大坂を駆け巡った年の暮れ。
「関白から、沼田を北条に明け渡せと命じられた」
屋敷に戻るなり淡々と源次郎に告げた昌幸は、すぐ上田に向かうと言って支度を始めた。
「父上、あれほど大切にしてきた沼田を明け渡せとは」
「関白殿下のご命令だ。逆らえばどうなるか、知らぬ訳ではあるまい」
「……例の裁定の結果でございますか」
「そうだ」
事の発端は十年前、繁こと源次郎が初めて人質に出た沼田城奪取作戦に遡る。武田家の領土拡大の命を受けた昌幸が北条から奪い取った戦いだ。
武田の手の者とはいえ、北条から見ればはるかに格下の田舎侍に要所を奪われた屈辱は思っていた以上に大きな禍根を残したようである。
以降、北条は徳川との同盟の条件に沼田城を組み込むほど執着をみせていた。徳川との連合軍として参加した上田合戦では、あくまでも上田城奪還を掲げる徳川には脇目もふらず沼田城へ向かっている。
しかし、どうしても奪い返せないのだ。
そうしている間に天下は秀吉のものとなり、徳川、上杉、北条、そして真田といった勢力が自分の目が届かない場所にて戦を繰り広げていることに危機感を覚えた秀吉は、日ノ本に『惣無事令』を発令していた。秀吉の許可なくして国同士の戦闘行為を禁じる命令である。
もはや力で奪うことはかなわない。
そんな折、散々上洛をせっつかれた氏政は、またしても「沼田城」を交渉の机上に載せたのであった。
秀吉は秀吉で、北条を臣従させる機会であるとしながらもすぐに要求を呑むことはせず、「沼田が北条・真田どちらの領土であるか、おのおの正当な理由を御前で申してみよ」として裁定の機会を設けたのである。言うまでもなく真田に…全国各地で同じような問題を抱える大名たちに対する配慮であった。
聚楽第にて行われた裁定の場にて。
「我ら北条には、関白殿下と干戈を交えるつもりは毛頭ございませぬ。天下は関白殿下のものである事は、いまや明白。ですが、武田との戦の最中に真田に奪われたままの沼田城だけはどうしても取り戻したいのでございます」
北条氏政の使者に立った小田原評定衆の一人にして僧侶・板部丘江雪斎は、口角に泡を飛ばしながら言い切った。氏政からこの一点だけは譲るなと厳命されているのだろう。
「しかし、戦の世で城の奪い合いは必定であろう。北条とて、関東の城を数多く手にしてきたであろうに」
「沼田を真田が治めている経緯に関しては、まったくもって騙し討ちでございます」
「だまし討ち、とな?」
高座の秀吉が額に皺を寄せる。
「もとは上杉のものであった沼田城を、我ら北条は攻め落としました。それはまっとうな戦の結果でございます。ですが真田は内部から城を奪い取り居座った次第。織田信長公が信濃を制した後も、知行を任されていた滝川氏が清州へ出立なさるや否やまたもや居座ってしまい、以降頑として譲りませぬ」
「安房守、どうじゃ?」
「城攻めの手法の一つに『調略攻め』というものがございます。兵法にも記されているこの手法を我らもまた用いただけのこと。何ら珍しい事ではありませぬし、咎められる筋合いもございますまい」
「そもそも真田は天正壬午の乱の際にも上杉、北条、徳川と目まぐるしく臣従する相手を変えております。そうやって、のらりくらりと信濃一帯と沼田に領土を拡げてしまった者、まこと信用なりませぬぞ」
「当時は国衆が主家を変える事など日常茶飯事であり、何ら罪とはされませなんだ。より良き条件を提示された者に就くは、乱世を生き抜くための知恵であり誰もが行っていた事でございますぞ。あの時、我ら真田は徳川どのから信濃・諏訪・上野において切り取り放題のお墨付きを頂いておりました。自らの城を守りながら領土を拡大するは戦国の常識ではござらなかったかな?」
「世間は許しても、信長公一筋に仕えていらした殿下はかような不忠義をお許しになりますまい」
「いや、それは信長公という大きな器を持つ主に仕えることができた儂が幸運であったという事に他ならぬ。半兵衛も『待遇の不満、あるいは身の危険で主を見切ることは恥ではなく生き抜くための知恵だ』と申しておった。たまたま、儂にそうする機会が訪れなかっただけじゃ」
きっぱり言い切った秀吉に、江雪斎は不満そうに口をつぐむ。
秀吉の側に控えた石田三成は、ただ黙々と事の経緯を綴っていた。筆が止まってもなお双方に緊張の糸が張りつめたままの沈黙が訪れたため「何かあらば申せ」と促す。
江雪斎は「では」とさらに切り出した。
「天正壬午の乱の後に徳川どのと我が殿とが和睦を結んだ際の起請文にも、沼田城の明け渡しが約定されておりました。ですが真田は約定を反故にし、沼田を明け渡さぬどころか徳川が普請した上田の城まで掠め取ってしまったのです」
「ほう。安房守、申開く事はあるか」
「上田の地はもとより我々真田の地。城は「上田の守りのために」と我らに知行を任せた徳川どのが普請されたもの。些細な行き違いによる戦はあり申したが、既に殿下にご仲介いただいての和睦も成立しておりまする。一方、北条どのに対する沼田の件は『北条が徳川と組んで上田を攻めるのであれば』という条件つきであった筈。ところが北条どのは上田攻めには加担せずにまっすぐ沼田に向かわれた。それは即ち、北条どのは徳川どのとの約定を守らなかったという事に他なりませぬのでは?」
「ぐ……詭弁ばかりを」
まったく怯むことなく堂々と自論を述べる安房守を江雪斎が睨んだが、昌幸はしれっと「どこが?」と言い返す。
「守られてもおらぬ約定、成り立っておらぬ同盟のために沼田城を明け渡す道理など、どこにもござらぬであろう。そもそも徳川と北条との間で真田の城を勝手に取引する事自体がまったくもって解せませぬ。こちらの預かり知らぬところで交わされた、しかも守られなかった約定によって攻められたのですから追い払うが理。違いますかな?」
「うう……」
しかし、江雪斎は頑として譲らなかった。南蛮仕様の高足の床几に手をつき、声を張り上げる。
「関白殿下が沼田城の知行を北条に安堵してくださるのなら、殿には上洛するお考えがございまする」
「何と」
そうならそうと、なぜ早く言わないのじゃ。
秀吉の心が大きく傾いたのを、昌幸ははっきりと読み取った。
「その言葉、真実であるな?」
「殿がかように申しております故、間違いございませぬ」
「そうか……ではここで城ひとつをどうと議論しても栓なき事であるな」
「殿下!」
「争わずして北条が従ってくれるのなら、それに越したことはあるまい。沼田城はくれてやるゆえ、氏政には早急に上洛せよと伝えよ」
「ははーっ」
秀吉はここで裁定を打ち切る旨を宣言し、石田三成も議事をまとめて引き揚げた。茫然となる昌幸、安堵して気が抜けた江雪斎の間を、秀吉が扇子で顔を扇ぎながら退出していく。
かくして、秀吉は昌幸に沼田城の明け渡しを命じたのであった。
「……安房守よ」
江雪斎ら北条家の評定衆が引き揚げたのを見計らって、秀吉がこっそり真田昌幸を呼びつけた。
「沼田という土地がいかに重要かは、儂もよう知っておるつもりじゃ。そちが寡兵で徳川と渡り合ってまで守り抜いたということも」
「いかにも……沼田は信玄公より預かった大切な城、いわば遺産であり我が家の宝にございます」
「そうして守り抜いた城を儂の一言であっさり引き渡すことは無念であろう。だが、これは徳川への牽制にもなるのじゃ」
「徳川どのの?」
「あやつは未だに何を考えておるか分からぬ。聞けば、そちの嫡男に養女を嫁がせたというではないか。真田が徳川の与力であること、さらに縁戚となれば沼田を牛耳ることも可能じゃろうて」
「それは……由々しき問題にございますな」
「じゃろう?あやつに乗っ取られるくらいなら、北条に知行を任せて儂の眼が行き届くようにしておいた方がまだ良いとは思わぬか」
「……そう、でございますが……」
そこで昌幸は無念というように顔をしかめた。秀吉は「わかる、わかるぞ」と小さく発する。
「だがなあ、天下安寧という大願のためには諸大名に少しずつ無理を申さねばならぬのじゃ。どうか分かってほしい……そうじゃ、無事に北条が上洛した暁には、そちの嫡男と源次郎に官位を授けようではないか。それで納得してはくれぬか?」
従五位下でどうじゃ?と具体的な位を示す秀吉に、昌幸はしばし躊躇する顔を見せた上で床板に両手をついた。
「官位欲しさに領土を明け渡したというような噂が立つことは望んでおりませぬが……殿下のお気持ちは、倅達の将来のために有難く頂戴いたします。沼田の件は御心のままに」
「うむ、よう言ってくれた」
秀吉はかつて源次郎にしたように昌幸の手を取り、息がかかるほど近くにまで寄って昌幸を褒め讃えた。
大谷刑部流に表情を読むとしたら、翻意は許さずという意味で。
翌朝。昌幸はわずかな伴を連れて沼田明け渡しについて国衆に説明するため上田へ向かった。
「源次郎。留守の間、山手を頼むぞ」
「承知しました。兄上にもどうか宜しくお伝えくださいませ」
「うむ」
「道中、ご無事でありますよう……」
母は手を合わせて加護を願っていたが、源次郎は昌幸の態度の方が気にかかっていた。
信濃国にとって重い話をしに行く割には、妙にすっきりした顔をしている。
(また良からぬことを考えておられるのではないか)
源次郎の、父に関する予感はほぼ外れたことがない。食わせ者と世間は言うが、存外分かりやすいものだと思ってしまうのは、源次郎の中にも父と似たような心根があるからだろうか。
昌幸は京都を離れ、美濃国との国境にある峠から京の方角を振り返った。そして
「三河の狸に京都の猿。化かし合いに付き合うのは疲れるわい。そもそも、徳川に牛耳られるほど真田の男は脆弱ではない。まったく、いいように嘗めくさってくれる」
吐き捨てるようにそう呟いて馬首を返した