第32話 大坂へ

文字数 13,976文字

慶長十九年

「七人、腹を切りました」
 開幕早々の大不祥事。後に『大久保長安事件』と呼ばれる越前松平家の騒動の顛末である。

 本多佐渡守は、江戸城の庭園にて春日局に報告していた。
人払いをした庭園で、誤解を招かぬ程度の距離を置いて話す二人。遠目には世間話をしているようにしか見えない。
 ほとんど表情を崩さない本多に対して春日局は明らかに苛立っている形相だったので、見方によっては本多が春日局に叱られているように受け取られるかもしれない。それはそれで本多にとっては好都合なのだが。
 「大久保某が越前で採れた金を不正に横領し蓄財しているらしいという噂は以前から耳にしておりました故、かの者が死んですぐに屋敷を検めた結果、噂が真実であると判明いたしました。屋敷に隠されていた金はすべて幕府が没収、上様(秀忠)は連座で大久保の子息全員に切腹を命じた次第です」
 その数が七名。何も知らなかった息子達にしてみればあまりに惨い仕打ちであるが、春日局はまるで心を乱すそぶりを見せない。
 「それはまた都合良く亡くなりましたこと」
 「この世は、好都合が転がり込むように出来ているのでございますよ」
 本多が幕府にまつわる事件で含み笑いをする時は、大抵それら事件に彼自身が関わっている。各国に敷いた情報網を駆使して常に弱みを握っておき、上からの要望に応じてそれらを小出しにするのだ。必要であれば侍一人を原因不明の死に追いやる術も持っている。
 徳川家康付きの鷹匠から身を興し、一時は出奔して各地を放浪していてもなお家康に再度の仕官を許された本多ならではの人脈。おそらくは家康すらその全貌を知らぬであろう。
 「して、伊達の関与はいかに?」
 「それが全くございませんでした……いえ、どれだけ調べ上げても伊達陸奥守と大久保長安が懇意で……陸奥守が朝廷での勤め帰りや高田城の普請に関する用向きにて越前に立ち寄った際には辰千代(忠輝)さまや家来衆も同席のもとで酒を酌み交わしていたという以上の証拠が出て来なかったというべきか。大久保某の子息が存命であれば何らかの証言が得られたやもしれませぬが、我々の調査よりも先に上様が事の沈静化を焦るあまり切腹をお申しつけになった次第で。城から出て来た帳簿も大久保によって巧みに偽装されており、奉行の誰もが不正に気づけなかったのですから、帳簿など目にする機会のない国主が預かり知らぬのも無理からぬ話である。まして他家である陸奥守が知る由などなかろう、と結論づけられてしまいました。上様のお怒りがなければもう少し掘り下げた調査も出来ましたものを、いやはや無駄な命を使ってしまいました」
 「伊達が大久保と懇意であったのなら、それで連座を使えましょうに」
 「娘婿の家臣と懇意にしていたくらいで処罰していたら、日ノ本から大名など居なくなってしまいますぞ」
 それに。本多は声を潜める。
 「伊達どのに連座を問うとなれば、大久保の直接の主君であった辰千代さまにも同様の処罰をせねばならなくなります」
 「ならば連座させてしまって何の不都合がありましょう。大御所さまも上様も辰千代さまを遠々しくお思いです。将軍位に就くことはないに等しいとはいえ、参勤を免除されて越前に籠もっている間に陸奥守と組めば二人して竹千代さまを傀儡といたしかねませぬ。いっそこの機会に揃って腹を切ってもらった方が」
 「……そう簡単に行くものではないのです。上様も一時は辰千代さまの連座をお考えのご様子でしたが、さすがに大御所様がお止めした次第」
 「大御所さまが?」
 「今この時期にご自身の子息を確固たる証拠もなしに処断すれば豊臣秀次公の事件と結びつけて考えられてしまいます。さすれば大名も民も幕府の施政は豊臣政権の再来よと怖れ、上様の威光に傷がついてしまいましょう。陸奥守は次期将軍たる竹千代さまのお心を掴んでいるようでございますし、このまま竹千代さまの後見候補として様子を見るのも手ではないかと大御所様はお考えなのです」
 「それでは伊達が竹千代さまの後ろ盾になってしまいます」
 「竹千代さまのご将来を思えば、それもまた一つの方法なのではと存じます。奥州の狐はなかなか尻尾を出さぬもの、ならばこのまま辰千代さまの件には目をつぶり、陸奥守の力を借りて竹千代さまを将軍位に押し上げた後に何らかの嫌疑をかけて失脚させるという方法もございます」
 「そんなに暢気に待っていられますか!」
 金切り声で喚く春日局を前に、本多は最近自身の耳が遠くなりつつある事を初めて有り難いと思っていた。
 何という事はない、春日局は伊達陸奥守が自分の座を脅かしていることが気に入らないだけなのだ。
 竹千代を将軍に据えてその口から自分の意を喋らせ、体制を思うままに動かそうとしているのは春日局も同じ。ただ、見ているものの広さが違うだけ。春日局は江戸城内で皆がひれ伏すような権力さえ握ればそれで良いと考えているのだ。時間が経てば経つほど竹千代君の陸奥守に対する信頼は篤くなり、失脚などあり得ない権力を手にしてしまうだろう。
 そして、その頃にはおそらく大御所も佐渡守もこの世にはいない。
 立っている土俵の高さからして異なることに気づいてないあたり、何とも小さな井の中の蛙。うっかり喉まで出かかった言葉を本多は飲み込んで諭す。
 「啼くまで待つのは、昔から大御所さまの信念でございます。その結果がこの江戸城と天下なのですから、大御所さまのご意向をお信じになって待つこともまた悪からぬと存じます」
 「……それはそうですが……」
 「いずれにせよ、某ごときが大大名に切腹を命ずる権限など持っておりませぬ。お決めになられるのは、あくまで大御所さまと上様でございます」
 苛々と扇を手のひらに打ち付ける春日局にそれだけ言うと佐渡守はさっさと退散した。
後は主君が上手くあしらってくれるだろう。

 「伊達陸奥守に切腹をお命じくださいませ。彼の者の入れ知恵なくして大久保が不正を働ける筈がございませぬ」
 本多では話にならぬと苛立ちを募らせた春日局は、家康に直訴していた。
 「それは出来ぬ」
 あっさり却下した家康は、側室の一人、阿茶局が差し出した濃茶を一口すする。
 「何故でございます」
 「あの者に腹を切らせたら、奥州は日ノ本ではなくなる」
 口の端に濃緑色を付けた家康は苦々しい顔をしていた。茶の味か、それとも此度の顛末がそのような顔をさせたのだろうか。それとも両方か。
 「それを抑えるために、奥州には上杉どのや最上どのがおられるのではないですか」
 「上っ面は彼らで抑えられようが、伊達が足跡を残した地には、すべからく奴を慕う者が存在する……かつてあの地で起こった一揆は太閤殿下をもってしてもすぐには制圧できず、かように強力な一揆を煽動したと嫌疑をかけられた陸奥守はといえば太閤からあっさりと無罪放免を勝ち取ったのだ。奴のしたたかさ、そして人心掌握は稀代の才。大坂に眼を向けねばならぬ今、奴を処断したことで奥州の民が蜂起でもすれば……」
 関ヶ原の戦いでは敵対したものの、潰すに潰せず旧領を取り上げたことで力を削いだ上杉と同じである。家の存続と引き換えに臣従は取り付けたものの、上杉とて完全に幕府に服従しているかどうか怪しい。奥州での一揆に上杉が加勢すれば、その波は関東から北陸へと伝搬しかねない。豊臣と戦いながら織田の譜代や信濃の真田にまで目を光らせなければなくなる。
 「それにのう、大坂との戦において伊達の戦力は貴重なのだ」
 「……」
 「我が軍は兵の数では豊臣に勝っておるが、中身は烏合の衆だ。将として立つのは戦を知らぬ若造ばかり。関ヶ原を知る者はほとんどが隠居か鬼籍入りをしている中、歴戦を勝ち抜いてきた伊達の力は外せない。儂を守らせるという意味でも、だ」
 出る杭は打たれる。出過ぎた杭は抜かれる。が、抜き差しならぬ杭は捨て置く以外に方法はない。
 本多とさして変わらぬ回答に、春日局は咄嗟に次善の策を進言した。
 「ですが嫌疑は日ノ本じゅうに広まっておりまする。各国の大名たちを統率するという意味でも、このまま不問といたしますのは如何なものかと」
 「……確かに、のう」
 肯定というより勢いに圧されて仕方なくといった風に家康は唸るが、それすら春日局にとっては言質を同じ。確約を迫るまでは退出しない気迫で居座る春日局に負けて、家康はついに約束した。
 「わかった。陸奥守を呼び出して申し開きをさせる」
 「その上で連座を問う形での移封はいかがでしょう。そう、西国など」
 「……考えておく」

 「殿は、本当に陸奥守さまを処罰なさるのでございますか?」
 成り行きを黙って聞いていた阿茶局は、春日局の足音が大奥へ繋がる廊下の向こうまで消えたところで静かに切り出した。
 「伊達の移封はうっすらと描いておったが、処罰という形は取らぬ。結果は同じでも、そこまでの道筋は大切だ。伊達の移封は名誉という名のもとに行われなければ、たとえ豊臣を攻め滅ぼしたところで新たな火種を落とすようなものになろう。最悪の場合、伊達が豊臣に加勢することも考えられる」
 「僭越ながら、わたくしもかように心得ます」
 はいと茶菓子を差し出す様、家康がそれを美味そうに味わう様は長く連れ添った夫婦そのものであった。正式な側室として扱われない…家康の『お手つき』の域を出なかった春日局にはない余裕である。
 「しかし福は気の強いおなごであるなあ。あの迫力、男子であれば大将にも軍師にも立てたであろうに、まこと惜しいものだ」
 「寝首を掻かれますわよ」
 家康の軽口を、阿茶局は冷ややかに返した。


【慶長十九年 神無月・九度山】

 「大坂城へ入る」
 十五年近く暮らした九度山の屋敷。
 灯明が上げられた祭壇、昌幸の位牌と並ぶように座った源次郎は、集った家族、国衆、忍たち全員に向けてついに宣言した。
 「よくぞご決断なさいました。亡き殿(昌幸)もお喜びになりましょう」
 その言葉を待ちわびていた高梨内記ら国衆は感涙し、昌幸の位牌に手を合わせる。内記の娘・楓は夫である佐助と手を取り合って頷く。小助と夫婦になっていたきよも同様であった。
 「我々もお伴いたしますぞ。殿のご無念を晴らし、徳川に目にもの見せてやりましょう」
 「ありがとう。そして子供達……私が大坂城へ入るとは、家族はみな豊臣家への人質となるという事だ。苦労をかけるが、ついて来てほしい。私が必ずや皆を守る」
 「勿論です、父上」
 源次郎と名乗る時は父、繁と名乗る時は母。それが当たり前になっていた子供達も元気よく返事をした。長男の大助、長女の梅以外の幼い子らは遊びに出かけるような感覚であったようだが、それで良い。
 これから行く土地について思いを巡らせる子らを眺めながら、源次郎は胸に手を当てた。懐には鼈甲の簪が入っている。政宗から貰った妻の証であった。
 そう、必ずこの子らを守る。
 大坂には子らの父、政宗も必ず来るだろう。
 もし豊臣の敗色が濃厚となったら、源次郎はどのような手段を使ってでも政宗に子を託すつもりだった。おそらく彼も子の救出に動いてくれる。未来を託すことができる。
 その時が来たら、おそらく自分は後に何の憂いもなく戦えるだろう。
 たった一つの目標…家康を討つために。

 その前に、である。
 「小助、少し良いか?」
 「はっ」
 皆がそれぞれの家へ引き揚げる最中、源次郎は小助を呼び止め、小声で事かを言い渡した。小助の顔に緊張が走ったが、小助はすべてを聞き終えた後短く「はっ」と答えるのみであった。

 源次郎が寝所に戻ると、そこには真新しい着物一式が架けられていた。
 上田紬を見事に再現した丈夫な黒い羽織の下に着る着物は緋に染められ、真田の赤揃えを彷彿とさせる。
 「機織りは阿梅と阿久理が、お仕立ては楓さんが手伝ってくれました。布を染めてくださったのは九度山の皆さんですわ」
 「村の者が……」
 「わたくし達がいつもより多く糸を紡いでいた事に気づいた村の娘さん達が進んで手伝ってくださったのです。赤色を出すために山から茜や蘇芳をたくさん採って来てくれて」
 九度山の娘たちは、ほとんどがさちの許に手習いに来ていた幼子である。長じた後も、さちを慕って屋敷に出入りしては子供達と遊んだり畑で採れた野菜を届けてくれていた。その流れで築かれた絆である。
 「そしてこちらも」
 さちの目線の先には、不揃いな編み方の草鞋や編傘。
 「傘と簑は大助が、草鞋は桐や菖蒲が、それぞれ内記さま方から教わりながら編んでおりました。そして義父上からいただいた刀に結ぶ紐は……」
 無論、真田紐であった。これは源次郎が自分の手で編んだものである。赤と黒の千鳥柄のそれを村正に結わえてある。
 「本当に皆で赴くのだな」
 真田一家と九度山村の民が力を合わせて整えた支度。襟元に縫い取られた六文銭が胸を熱くする。
 源次郎の双眸から熱いものがこぼれ落ち、擦り切れた畳を濡らす。形式だけの夫婦ではあったが、その絆はまさしく家族のそれであったと源次郎は思い知らされた。互いの思慕で結ばれた政宗との間にあるものとはまた異なる安らぎ。武士でなければ、かくも穏やかな日々が当たり前のように享受できるのだと。
 思いもかけず涙を見せた夫を、さちはそっと抱き寄せた。この時ばかりは源次郎もさちの肩に頭を預けてしばらくむせび泣く。
 「さち……今まで、このような暮らしにつき合うてくれてありがとう。苦労ばかりの生活をさせてしまった」
 「いえ。とても楽しゅうございましたわ。わたくしが一度は諦めたもの……子らに囲まれての賑やかな暮らしと家族の笑顔を全てお与えくださった源次郎さまには、言葉で言い表せないくらい感謝しておりますわ」
 「……かたじけない」
 「どうぞ、思うがままに戦ってくださいまし。わたくしの父が石田さまと共に太閤殿下のご遺志を継いだように、ご自分が正しいと思われる道を進んでくださいまし。それこそが、わたくしの望みでもありますれば」
 「ありがとう」
 父を看取り、真田左衛門佐幸村に戻った時からいつか来ると覚悟していた瞬間は、いざ訪れてみるとさながら水の入った革袋を両の肩に乗せられたような感覚を源次郎にもたらしていた。どう動いてもその重さが変わることはなく、さりとて今更下ろすこともできない。
 しかし、来るべき日に向けて時間は動き出したのだ。道は前にしか開かれていない。
 「九度山の者にも、世話になった礼をしなければならぬな。何が良いだろう」
 「うふふ。それについては、村長さんから所望をいただいております」

 「奥州の父上に私を見ていただきたいのです」
 出立の支度を急いでいたある日の夜、居室で書物をまとめていた源次郎に向かって大助が突然に切り出した。
 「元服を?」
 「真田家の武士として大坂城へ入りたいのです。既に諱も『幸昌』と決めております」
 幸昌。
 大助にとっては祖父にあたる真田昌幸の名をひっくり返してそのまま用いる。昌幸が存命であれば歓喜感涙、あるいは狂喜していたであろう。しかし母としての繁の心は、すぐに諾とは言いかねた。
 「戦場は絵巻のようなものではない。大助が思っているよりもずっと凄惨なものだ。それぞれに人生を生きてきた者たちの命を躊躇せず奪い、あるいは見知った顔が首となって敵兵の腰に無造作に下げられた挙げ句に並べられる。そして自分もいつその中に連なるか知れない」
 「弥八郎さまに相談した際にも、そのように教わりました。恐ろしくないと言えば嘘になります。ですがこの大助、徳川が最も恐れたという祖父上さまの名と遺志をこの両肩に背負って戦いたいのです」
 大助の眼は本気だった。源次郎は、しばし大助とにらみ合う。
 蓮乗寺での稽古や学問を見ている限りでは、中央の若武者と馬首を並べても恥ずかしくないくらいには成長していると思う。弥八郎もそれは保証してくれていた。
 あとは覚悟のみだろうか。
 「大坂の戦では、奥州の父は敵となる。戦の流れによっては直接干戈を交える事になるが、討ち取らねば自分が首を掻かれるような状況になった際、そなたは父の首を掻けるか」
 「それでお役目を果たせるのなら」
 「そうか、では次だ。……武士には、生涯たった一度だけ使う『作法』がある。それが武士を志す者にとって最後の試練となるのだが、学ぶ勇気はあるか」
 「無論でございます」
 「……わかった。ではここで授ける」
 「お願いいたします」
 脇差を前に置き、源次郎はかつて上杉景勝から教えられた作法を大助に伝えた。
 本来ならば親から教えられるものを、源次郎は昌幸からは教わっていなかった。おそらく源三郎も武田の人質時代に勝頼から教わったことだろう。
 昌幸が子らにそれら作法を教えなかった理由は至極簡単。
 「そんな作法に則った死に方など、真田の者にはあり得ないのだから覚える必要はない」からである。
 昌幸が信念としていたとおり、実際にこれまでの真田家史上でその作法を用いた者はいない。
 願わくば大助もそうあるようにと、源次郎は強く願わずにはいられなかった。

 翌日。大助の元服式が屋敷内、昌幸の位牌を前に行われた。
 いつの間にか自分の背を追い越していた大助の髻を源次郎が自ら結い、つづらに仕舞い込んであった烏帽子の顎紐を結う役目は高梨内記であった。それから、ほつれていた箇所を昨夜急遽繕い直した陣羽織…背に縫い取られた六文銭に袖を通し、刀を刷く。それら装束は、刀まで全て昌幸が着用していた品をそのまま譲り受けていた。
 「おお、若い頃のお館さまを見るようでございますなあ」
 高梨内記ら古参の家臣達は往時を思い出して涙ぐむ。
 たしかに若武者姿となった我が子の面影は昌幸譲り、思い込んだら誰の言う事もきかない性分は自分譲り、そして度胸は政宗譲り。みなの血をそれぞれ受け継いで、そこに大助は立っている。
 「おめでとう。立派だ」
 感慨に喉の奥を詰まらせた源次郎の言葉に、緊張の面持ちを隠せない大助は「ありがとうございます」とぎこちない武士の礼を返したのだった。

 真田家の出立に先立って、小助ときよが子供達を連れて一足先に京都へ旅立った。
 本来ならば従妹として秀頼に目通りするべきなのだろうが、秀頼の傳役だった片桐且元が追放されるなど城内の権力構図があまり好ましいとは思えない状況で豊臣の血を引くきよが男児を連れて大坂城に入るのは危険である。かといって九度山に留め置くこともできない。
 源次郎とさち、きよの夫である小助が相談した結果、淀や秀頼ら豊臣家の者にはきよの存在を伏せたまま京都嵯峨にある瑞龍寺の庵主を務めている彼女の祖母を頼ることになった。秀次の母であり秀吉の姉でもある日秀尼の寺は後陽明天皇から一千石の寺領を与えられた御所でもある。朝廷が直轄する尼寺であれば幕府とてそう簡単に手は出せないだろう。
 事前にさちの名で京極竜子を介して打診したところ、日秀尼からは「こちらは尼寺ゆえ、男の子は女童の格好でいらっしゃい」と何とも機転の利いた返事が帰って来た。それだけ頭の切れる人物ならば任せて大丈夫であろう。ともに行きたいと言って聞かない妻を説得した小助は、きよを送り届けるため商人に扮して一足先に出立した。


 全ての支度が調い、いよいよ明日には九度山を出立するという日。
 「源次郎さん、久しぶり」
 夜に村人たちと酒宴を催す支度に追われていた真田屋敷に、久方ぶりの客人があった。
 朝……昌幸の友人である。今日は見慣れぬ青年を伴に連れていた。
 「三年ぶりくらいになるかな。健勝で良かった」
 相変わらず火薬の匂いがする朝はまず敷地の裏にある昌幸の墓に酒を手向け、それから源次郎と二人で話がしたいと所望した。場所は昌幸が使っていた離れを指定する。
 「変わっていないな。今にも昌幸さんが筆と紙を持って現れそうだ」
 朝は昌幸がいつも座っていた場所、亭主の席を眺めながら思いを馳せた。
 「あなたは、ここで父とともに大筒の設計をしていたのですよね?」
 「まあな。昌幸さんが立てた戦術に役立つような大筒をどうやったら造れるか、技術的に可能なのか、意見を交わしながら……悪戯を企む子供のようなものだったが、楽しかったなあ」
 しかし。と朝はため息をつく。
 「あの頃は絵空事のように思っていたものが現実になろうとしている……行くんだろう?」
 「……はい」
 だよな、と朝は顎髭を撫でた。戦と聞いてもまったく動じることなく、むしろ源次郎の決意を後押しするようにも見える顔だった。
 「昌幸さんから、自分にもしもの事あらば代わりに俺があんたを助けてやってくれと頼まれていた」
 「父が?」
 「短筒は預かっているだろう?」
 「……ええ」
 過去の戦録とともに父から譲り受けた短筒は、大坂行きの行李の中に忍ばせてある。朝は源次郎の返事を受けて、抱えていた荷物袋から桐の箱を差し出した。
 胴掛けに結ばれた真田紐をほどけば、中から昌幸に貰ったものと同じ短筒が現れる。
 「一挺では心許ないと思ったんだろうな、昌幸さんが死ぬ前に追加で頼んでいった。……ああ、お代は他の注文と一緒にもう貰っているから心配しなさんな」
 朝はひとつ息を吸った後、「うすうす気づいていると思うけれど」と前置きして打ち明けた。
 「この短筒は、昌幸さんから揺れる馬上でも使いやすい短筒をと頼まれて造り上げた『四代目・八咫烏』特製だ。昌幸さんの兵法と併せて使えば効果は計り知れないぞ」
 『八咫烏』の名に胸を張る朝を見て、源次郎は確信した。
 「では、やはりあなたは」
 「雑賀衆の四代目頭領、雑賀孫一。それが俺の名だ。……まあ雑賀も太閤の時代に瓦解しちまっているから今は雑賀の残党のなれの果て、俺もおとなしく鈴木重朝と名乗るべきなんだが、やっぱり『雑賀』の名は心地良くてつい、な」
 「織田の軍勢を手玉に取った唯一の兵力ともいわれる雑賀衆、あなたがその頭領だったとは……」
 「ははは。源次郎さんは最初から隠すことなく怪しんでいたものなあ。まあ、秘密を守るのも契約のうちだったから仕方ないが」
 朝はくっきりと二重に膨らんだ目を器用に片方だけ瞑ってみせた。権力と徹底的に戦った傭兵集団とは思えない、陽気な笑みで。
「あんた達が九度山に落ち着いてすぐ、昌幸さんから接触があったんだ。さすが徳川に一敗も許さなかった真田の国主、もう次の時代を見ているのかと感心したよ。実際に会ってみたら戦に対する考え方から処世訓まですべてが面白い御仁で、思っていた以上に意気投合したもんだから俺も力を貸すことにした。……あ、大坂に入城できたら、あんたの手の者を何人か雑賀の郷に寄越してくれ。火縄が百挺、大筒…いや大砲と呼べる特大のものが二台、その他に従来からの大筒もじきに完成する。開戦までに間に合うよう、船で堺の港まで送らせる」
 すべて昌幸さんから頼まれていたものだと聞いて、源次郎は改めて舌を巻く思いだった。真田丸の構想だけではなく、配備する武器まで手配していたとは。
 「お父上どのに感謝するのだな。あの方は、あんたの行く末を見据えた上でその道が少しでも楽になるよう準備をしておられた」
 「私も驚いています。まさか父がここまで緻密に策を講じていたとは」
 「さすが徳川に幾度も煮え湯を飲ませた昌幸さんだよな。俺も驚いた…けれど、もう歴史から消えた筈の俺達に白羽の矢を立ててくれたのは正直嬉しかった」
 「父の見立てが狂った事などありませんよ」
 「ははは。あんたも世辞が上手いな」
 豪快に笑う朝につられて源次郎も笑った。昌幸が懇意にするだけの人物だ。まともに会話をするのは初めてなのに源次郎はそう感じる。
 「雑賀衆は織田信長公の時代に頭領が討たれ、その後豊臣の紀州征伐にて瓦解したと聞いていましたが」
 「信長が孫一を討ったってのは、意地でも敗けを認めたくない信長が吹聴した『ほら』だ。形勢が不利になるや大金を積んで和睦に持ち込んだところを羽柴秀吉はちゃんと見ていたんだな」
 「では、雑賀衆は」
 「ああ。ただの一度も信長に敗けなかったぞ。やり方でいえば、太閤の方がよっぽどえげつなかった」
 「?」
 「奴らは織田と和睦した初代孫一の身柄を預かり、世が変わった後も幽閉して囲い込んでいた。そしていざ紀州征伐となった際、奴に大軍を手引きさせて太田荘…雑賀を構成している荘(集落)の一つを襲撃したんだから」
 まるで関ヶ原の戦いを前に徳川が豊臣勢力の離反を促した時のようだ。源次郎の感想を朝も読み取ったようである。
 「信長、秀吉、それぞれのやり方を学んでいる今の家康は、おそらく最も手強いぞ。力に知略、それに裏仕事。勝つための仕込みに怠りはないだろう」
 「石田治部さまがそうであったように、義だけでは勝てぬ相手と心得ております」
 「俺達はあくまで正面きって戦い、勝つことを誇りとしてきた。だから裏から人心を操って動かす秀吉や家康のやり方は気に入らない。その点、昌幸さんの表裏比興の戦は痛快だったからなあ。ああいう戦は我々と似ていて好きだ」
 「ご存じだったのですか?」
 「雑賀の者は、戦国の世が始まった頃から日ノ本じゅうの主立った戦に参戦していると言っても過言じゃない。戦の記録を持ち帰り、目立った戦法や頭角を現しそうな武士を早くから見定めるのも生き延びるためには必要だ。子供の頃先代から聞いていた『三方ヶ原の武藤喜兵衛』が昌幸さん本人だったと知った時には、何とも数奇な縁に感動したさ」
 憧れの偉人に会ったようなものだったと朝は打ち明ける。
 「朝どの。私は父、そして武田信玄公の戦がそうであったように馬を駆り、堂々と戦いたいと思っております。戦の手法こそ時代とともに流れていきますが、武士の魂まで失われてはならぬ。そう考えていますゆえ……甘いでしょうか」
 「うーん。甘いかそうでないかといえば、南蛮菓子くらい甘いと思う。が、あんたは類い稀な武士だ。は昌幸さんの知略と武田信玄から直に仕込まれた力を備え、そこに上杉の教養、太閤の施政とその顛末、石田治部の『義の心』が加えられた。それだけの面々と強く関わった武士など他に居ない」
 「私の身に……たしかに」
 「そこに今では旦那さんの機略も加わった。珍しいを通り越して羨ましいくらい人に恵まれている」
 「!」
 昌幸から聞いていない筈はなかったのだが、改まって言われると流石に恥ずかしくなり俯いてしまう。七人の子を産んでいても、母でいるより武士でいる時間の方が長かった源次郎はそういった話に慣れていないのだ。
 「我らは持国天を冠しているが、源次郎さんは例えるなら持国天を従える『帝釈天』だな。世にはびこる阿修羅どもと対等に戦い、一方で菩薩のような慈悲で子らを守っている。激情と慈愛、どちらも本当のあんたなんだ……それに」
 朝は彫りの深い瞼を片方だけ瞑って笑った。
 「帝釈天がそうであったように、あんたは『梵天』とともにこの世を戦っている……そう考えるとなかなか粋な運命じゃないか」
 『梵天』……「梵天丸」こと伊達政宗。
 仏教の教えでは、帝釈天と梵天は一対として祀られる。自らが帝釈天ほど強いかどうかはまだ分からないが、毘沙門天を称することで己を鼓舞していた上杉家の考えは齢を重ねるごとに理解しつつあった。ゆえに他人から言われれば有難い例えである。
 「俺には、名だたる英傑をはじめ戦国の世に散っていった数多の武士が源次郎さんの背を支えているように思える。あんたの背を支える者たちの心が大坂でも多くの者を…戦国を生きた武士を呼び寄せるだろうさ。それはきっと、あんたもこの歴史に何かを残すべき者だからなのだと俺は思う。ならば下手な細工などせず、己が思うように、思ったままに戦うしかない」
 「私にそのような器があるでしょうか」
 「うーん。勝てるか勝てないかは時の運によるところも大きいが、端から敗ける気で臨めば敗ける。逆もまた然り。知恵を尽くし、気を強く持った者が圧倒的な不利をひっくり返すことは昌幸さんが実証済みだろう?」
 「……そうでした」
 「あんたは真田安房守の子だ。昌幸さんの教えもしっかりと受け継いでいる。それらを全て投じて戦って来い」
 「はい。ありがとうございます」
 源次郎の背中を押したその言葉は、昌幸が朝の口を借りて言ってくれたかのようにも思えた。心の曇りが晴れた源次郎は改めて礼を言う。
 朝は軽く微笑んだ後、連れに顔を向けた。
 「十蔵」
 「はっ」
 孫一に従っていた青年が膝を進めて礼をする。
 「おまえは左衛門佐どの達を大坂まで案内した後、左衛門佐どのの下に付く兵達に雑賀の鉄砲術を指南してやれ。大坂は火の戦となるであろう。既に雑賀の郷では一族が火薬と弾丸、早合の調達にかかっている。出来上がり次第、左衛門佐どのの許に届けさせる」
 「承知しております、師匠」
 「師匠?」
 「こいつは俺の一番弟子で、齢は若いが子供の頃から雑賀の戦に出ていた手練れだ。一緒に大坂へ連れて行ってくれ」
 「十蔵と申します。どうかお見知りおきを」
 「雑賀の者が味方になるのは心強い。よろしく頼む」
 「こちらこそ、誠心誠意お仕えいたします。わが命に代えましても」
 「ばか」
 朝は十蔵を軽く小突く真似をした。
 「命に代えたら左衛門佐どのの役に立てないだろうが。雑賀衆の仕事は生きてこそ果たせるものと心得よ」
 「失礼いたしました」
 堅苦しいほどに礼儀正しい中にも、朝との絆の強さを感じさせる若者だった。
 「朝どの。何から何までかたじけない」
 「礼なら親父さんに言っておけ。そして恩返ししたいのなら勝て」
 帰り際、朝は改めて昌幸の位牌に手を合わせていった。そして
 「今回、豊臣方に参戦する大名はほとんどいない。が、日ノ本には蓮乗寺に集うような者が山ほどいる。幕府から忘れられた武士が……豊臣の殿様が彼らを上手く扱える者だといいな」
 頑張れよ。朝は大きな背中と火薬の匂いを残して去っていった。


 その夜。真田家の屋敷では盛大な酒宴が催された。
 それは村長の所望であった。貧しい村ゆえ娯楽も少ない。真田紐の売り上げで村が潤ったことに加えて今年は豊作だったので、村人を労うために酒宴の席を設けてほしいと。
 世話になった村への感謝を胸の内に秘めて、この日のために源次郎は蓄えをつぎ込んで大坂から酒や肴を調達させていた。国衆たちが耕した畑で採れた野菜はさちと楓の手によって見た目も美しい京風のご馳走に姿を変え、忍衆と大助がついた餅は昼間のうちに子供達に振る舞われた。
 宴の席では、いつも以上に酒が進む。空になった酒の瓶が庭にどんどん積み重なっていくのと比例するように屋敷内は村人たちの歌や踊り、笑い声で熱気を帯びていた。
 源次郎や国衆も宴席に加わり、笑顔で村人たちと酒を酌み交わし、はしゃぎ、時に歌い踊る。給仕をしていたさちと楓も時折その手を止めて村の女性達と話に花を咲かせていた。
 やがて、月のない夜が更けて。
 終わりのないように思える宴も、酒の酔いとともに一人、二人と眠りに落ちていく。そうなると早いもので、余韻を愉しむように徳利を枕に横たわりながら話していた者達もすぐに眠りに誘われる。
 村人全員がその場で寝息を立て始めてから半時ほど待って、源次郎はそっと身を起こした。起きている者がいない事を確かめ、厠にでも立つかのように自然に居間を抜け出す。
 (こちらです)
 縁側や庭にも人目がないことを確認した才蔵が源次郎に草鞋を差し出した。早足で裏山の木々に紛れると、さちと楓が待っていた。
 「子供達は全員川向こうの廃寺に移らせました。今は佐助さんと海野さん、それに大助が守っています」
 「わかった」
 行く手の安全を確認しながら一足先を歩く十蔵が忍衆に小さな指笛で合図を送り、才蔵と望月が源次郎一行の前後を守るように藪を抜ける。
 松明も使えない闇夜を忍衆の眼だけを頼りに歩き、九度山の外れにある船着き場…昼間は高野山へ出入りする者や荷物を運ぶのだが、船頭は屋敷の酒宴に加わっていた…に停めてあった小舟に乗り込み、一行は十四年の歳月を過ごした九度山を後にしたのであった。
 「船があってようございましたね」
 岸に降り立つ時、楓が声を殺してさちに話しかける。
 「昼間のうちに船を用意しておいてくれた村長に感謝しなければならぬな」
 源次郎の言葉がその答えとなった。

 その頃、九度山の真田屋敷では。
 (……出立なさったか)
 (はい)
 眠っていた筈の村人達の間からひそひそと声が漏れる。
 (まだ起きるなよ。『気づく』のは朝になってからだ)
 (わかっていますよ、村長)
 誰一人として起き上がることのない座敷。雑魚寝したまま村人たちが語り始める。
 (初めて来た時は厄介者を押しつけられたと思っていましたが……今となっては寂しいですね)
 (罪人の殿様というから鼻持ちならない者かと思っていたら、殿様も若君もみな我々と変わらぬ人で驚きました。畑仕事もまったく厭わずに……)
 (俺はさちさんに読み書きと俳句を教えてもらったおかげで高野山に出入りする坊さんと仲良くなれた。その縁で、高野山の僧坊に野菜を勝ってもらえるようになったんだ)
 (腰の曲がったうちの婆さんは、源次郎さまから真田紐の編み方を教えてもらったおかげで「これで自分も食い扶持を稼げる」と生き生きしだしたんだよな。紐が売れたおかげで、不作の年もどうにか乗り越えられた)
 (うちの子はお子さん達と仲が良かったから……明日から寂しがるだろうな)
 蝋燭の明かりが全て切れた頃、あちこちから鼻をすする音が聞こえ出した。むせび泣きを咳払いで誤魔化す音も。
 (どうかご武運を)
 彼らの心は間違いなく源次郎たちに伝わっているだろう。村長は胸の前でこっそり手を合わせ、彼らの道中無事を祈ったのだった。
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