第23話 第二次上田合戦

文字数 33,147文字

第二次上田合戦 

 「この源次郎、本日より諱(いみな)を『信繁』から『幸村』に改めます。父上におかれましても、どうぞそのようにお呼びください」
 初めて同じ朝を迎えた屋敷からそのまま奥州へ帰った政宗を見送ってから名胡桃城に戻った源次郎は、すでに床上げしていた父に向かって宣言した。
 「ほう。真田家の伝統である『幸』に、村正の『村』か。まこと徳川に仇なす名であるな」
 武田信玄の弟から頂いた名を変えると宣言した源次郎の真意を、昌幸はあっさりと許可した。我が子の真意をどう図ったのだろう。
 だが、同じ文字にも政宗と昌幸ではまったく異なる意味を見出す。昌幸の発想はどこまでも物騒きわまりないものだった。

 村正。

 伊勢国の刀工が鍛造するこの刀の銘を、徳川家康は忌み嫌っていた。
 家康の祖父、父、正室、そして嫡男。戦死であったり嫌疑ゆえの切腹であったりと死因は様々だが、すべからく村正の刃にかかっているのだ。
 足利将軍家に乞われて渋々指南役を務めたという武勇伝を持つ剣豪・塚原卜伝が興した鹿島新當流の流れをくむ柳生宗厳・宗矩親子に師事し、刀の収集を趣味とした家康をもってしても御せぬ刀。それが村正である。家康は、いずれは自分もその刃にかかるのではないかと恐れながら戦の世を渡り歩いている。
 しかし源次郎が新たな諱に込めた意味は別のところにあった。
 「いえ。真田の郷は幾多もの村、すなわち民によって支えられていることを忘れぬための名でございます。国を支えるもっとも小さな単位である『村』。彼らを守ってこその武士であると、さる方から教えを受けましてございます」
 「ほう。おまえなりに都仕えの中で何かを見つけたか……まあよい。おまえももはや大将の一角を担う者、人生訓を自らの諱とするのも良かろう」
 かの典厩信繁は、長き渡った兄信玄との確執が融けた直後に川中島で戦死した。確執ではないが、現在の真田家もまた兄弟が敵味方に分かれて戦おうとしている。
名をいただく事であやかれるのが武勇だけでないのだとしたら、此度の改名は真田家にとって存外悪い事ではないのかもしれない。
 真田家は、歴史を繰り返すために存続を望む訳ではないのだから。


 石田三成挙兵の報を受けて下野国小山から急ぎ引き返した時点で、徳川家康・秀忠の軍勢は四万を超えている。
 彼らを率いる諸将は、上方から遠く離れたこの地にて決断を迫られていた。

 「わが軍は、これより中山道を西へ向かう」

 宇都宮にて石田挙兵の報せを聞いた家康は、居並ぶ家臣たちを前にそう宣言した。瞬間、細波のように空気がどよめく。
 どの大名も戦をしに来ているのだから、総大将に従うのが当然なのであるが。
 誰もみな上杉討伐という大義に従い京都からつき従ってきた、あるいは通過地から兵を集めて参戦したのだ。しかし朝廷からの勅許を曲げて会津進軍を断念するとなると。
 「我らには『大義』がなくなり申した。以降はどこからの勅許もなき戦いとなる。惣無事令に反する行いだ」
 つまり、これより我らはただの謀叛人だ、と家康は正直に打ち明けた。
 「ゆえに、謀叛人となりとうない者は離脱を許すと大殿は仰せである。今後の戦流れがどうなろうと不問に致すゆえ、兵をまとめて三日のうちに立ち去るがよい」
 家康の右腕にして軍師、本多佐渡守正信が補足する。
 「佐渡守さま」
 挙手したのは細川忠興であった。
 「わが軍は、出立前に秀頼さまから陣中見舞いを頂戴したと伺っております。一方、石田三成はとうに官職を解かれた身。なればこれら振る舞いは豊臣家に対する謀叛とみてよろしいのでは?謀叛を鎮めるのもまた武士の務めなれば、西へ向かうもまた豊臣家の御為であると拙者は解釈いたし申す」
 「……」
 家康と佐渡守が気まずそうに顔を見合わせる。陣中見舞いの件は、家康が吹聴した出まかせなのだ。
 しかし、こればかりは正直に打ち明ける訳にはいかない。
 「……いかにも。しかし石田は大老の宇喜多どのや毛利どのを言いくるめて味方につけてしまった。なれば我らが逆賊との謗りを受ける事にもなりかねぬ」
 「敗けなければよろしいのでしょう。石田は机上の算段は得意ですが戦はきわめて下手。それがしは敗ける気がいたしませぬ」
 「太夫どの(福島)が仰るとおり。現に石田は大陸出兵の折には後方支援に終始しており申した。石田の戦下手は殿下も知るところ、何するものぞ」
 こちらは武闘派の福島正則と山内一豊である。
 「しかし人質が大坂城に……」
 「人質とはかくあるもの。そうではないか?」
 気弱な声は、細川の声にかき消された。
 「我らは人質に縛られることなく己が正しいと信ずるもののため戦うのみ。人質の命を差し出してもなお己の信念を貫き通す事こそが我らの歩む王道ではなかろうか」
 細川の声は語尾が震えていた。既に細川ガラシャの自害は皆の知るところである。
 「細川どののお覚悟、まこと武士の鑑なり。それでこそ武家の心得」
 大きな拍手を送った将の家族は、きっと大坂から逃げおおせたのだろう。しかしこの場ではそれが正論なのだ。他の者も「右に同じ」以外の言葉を口に出来なくなってしまった。
それぞれの思惑を奇妙な一体感で押し切ってしまう、そのやり口に源三郎は内心閉口していた。その一体感すら、家康に逆らうことなど出来ない者が居ることを織り込んだ上での事。すべて計算ずくなのだ。
 (これは父上が毛嫌いする訳だ)
 卑怯と比興は紙一重。まさしくその通りだ。
 太閤は圧倒的な『個』の存在感で将をまとめていたが、徳川は晩年の綻びを教訓とした上で『連帯』にて大名をまとめ上げるつもりなのだろう。皆が皆を監視し、密告により足を引っ張り合う世界。徳川が世を握れば、大層窮屈で生きづらい世が待っているのが容易に想像できる。
 そんな思いが顔に出たのだろうか。
 「しかし真田伊豆守よ。真田安房守・左衛門佐が離反した中、ようこの場に顔を出せたものだ」
 真田家としてたった一人秀忠の許へ参じた源三郎には、福島正則から容赦ない言葉が浴びせられた。
 「家族の事については何の申し開きもできませぬ。だが私個人は徳川さまへの義を貫いた、その結果でございまする」
 「一家で敵味方に分かれて戦うなどと甘い理が通用すると本気で思うておるのか?」
 「いや、もしかしたら内通でも画策しておるのかもしれぬな」
 「無礼な!敵である以上容赦などいたしませぬ。父も同じでござろう」
 「どうだか。あの安房守だからなあ」
 「貴様、拙者を侮るのならば容赦せぬぞ」
 「双方、そのくらいにしておけ」
 掴みあいになりかけたところを家康が制する。
 「伊豆守は父親を振り切って我らに加勢してくれたのじゃ。これぞ忠義と言わずして何とする」
 「……」
 二人は「失礼つかまつった」と礼をして各自の席に戻った。家康はさらに源三郎の前まで歩み寄り、両肩に手を置いて源三郎の顔を覗き込んだ。
 「伊豆守よ。家族と袂を別つのはさぞ辛かったであろう。儂にも覚えがあるゆえ、その心中はよう解るつもりじゃ。それでもなお儂についてくれた事、礼を言う」
 「勿体なきお言葉。この真田伊豆守、身命賭して徳川さまの御為に戦う所存」
 家康は「そうかそうか」と皺が増えた目じりを下げて何度も頷き、上座に戻った。先の細川の発言同様、これで僅かに離反の機を伺っていた者達の道は絶たれたも同然。源三郎がそのことに気づいたのは軍議の後、一部の迷える者からの冷ややかな視線を感じた後であった。
 「では伊豆守。早速だが、たった今から上方まで我らの戦いに従う旨の連判状に署名を」
 「承知」
 本多正信に促されて前に進み出た源三郎は、家康の前に拡げられた連判状に何のためらいもなく署名。そして
 「失礼つかまつる」
 脇差しをわずかに抜くと、花押の隣に血判を示す。家康と秀忠は目を丸くした。
 「ほう、これはまた殊勝な。まこと頼もしきこと」
 「……恐れ入ります」
 かくして伊豆守は徳川軍に受け入れられたのだが、その後くだんの連判状には先を競うように血判を示そうと諸将が列をなしたという。

 「既に戦は始まっておる」
 結局のところ離脱者は皆無に近い状態で、諸将たちがそれぞれの陣へ引き揚げた後。家康と秀忠、軍監の本多佐渡守正信は酔えない酒を酌み交わしていた。
 「佐渡よ、各地への根回しを抜かるな」
 「承知いたしました」
 「秀忠、そなたは儂らとは別行動じゃ。江戸へ戻る兵は二千そこそこで構わぬゆえ、残りを率いて中山道を歩んでみよ」
 家康愛用の、伽羅香も馥郁たる扇がぱちりと机上に音を立てる。
 「中山道とは如何に」
 「甲斐・信濃にひとつ難所があろう。そこを叩いてみるのじゃ」
 「それはまさか」
 家康の扇は地図の上、信濃を指していた。秀忠の顔が引き締まる。
 「儂が為せなかった勝利を拾ってこそ、跡目としての箔が付くというもの。……佐渡よ、そなたは秀忠の軍監として知恵を貸してやってくれ」
 「承知しましたぞ。此度は上田城への『道案内』も居りますゆえ、若殿は華々しく初陣を飾ることとなりましょう」
 「そういう事だ。分かったか、秀忠」
 「……はい」
 ここまで話が流れてきて初めて、秀忠にも真田の者を大げさなまでに歓迎した理由の察しがついた。かの者をどのように使うべきかと。
 「だが油断はするな。我らの目的はあくまで上方だ。戦が長引くようであれば、ただちに撤退して我らに合流するように」
 「遅参などあり得ませぬ。必ずや吉報を持って本隊の気運を高めましょうぞ」
 「頼もしいが、その節は吉報だけでは足りぬ。首級を二つ持って来い」
 「!」
 誰の首級かは訊ねるまでもない。まだ人を殺めたことがない秀忠は思わず自分の手を見てしまった。しかし出来ぬとは言えない。
 「……必ずや」
 自信よりも不安の方が強く表れている声に家康が不安を感じなかったと言えば嘘になるが、徳川を継ぐ者ならば必ず通らなければならぬ試練である。秀忠は両の肩が一気に重たくなるのを感じていた。

 「内府は江戸に引き返したそうですが、徳川秀忠軍はそのまま上田へ向かって来るようですな」
城代を務める岩櫃城から上田城へ参じるまでの間に行商人から情報を仕入れてきた小山田茂誠は青ざめた顔で報告したが、昌幸の顔色は何ひとつ変わらなかった。
「中山道を進む徳川軍は、およそ三万八千」
「上田の兵は、最大限に集めても五千に届くかどうか。厄介ですな」
沼田城代として逗留しているうちに源三郎の家臣と見做され離脱できなくなった矢沢頼康を除いた国衆全員が久方ぶりに揃った軍議の場。最年長の高梨内記も顔をしかめたが、それでも昌幸は落ち着き払っていた。
「数で我らを威圧しようとする徳川のやり方は昔から変わらぬわい……まあ、会津でいくらか消耗してくれればもう少し戦い易かったのだがな」
 「上杉どのはどうなさるのでしょう」
 「徳川を追うことはすまい。そんな真似をすれば、元・領主が黙っておるまいて」


- 会津・陸奥 -

 昌幸の推測は、結果から言えば半分当たっていて半分は伊達政宗の方が上を行っていた。
 「米沢を伊達に返還する約定を」
 上杉と伊達の国境近く。人払いをした寺で、上杉景勝は隻眼の奥州国主と対面していた。
 「いきなり会談を申し入れておいて何を!」
 抜刀しかけた直江兼続と同時に政宗の背後で片倉小十郎が同じく抜刀する。が、国主二人はそれぞれの家臣を手で制した。
 「そなたは既に白石城を奪還し、徳川からは此度の戦で会津を切り取り放題の『百万石のお墨付き』を貰っていると聞いておる。にもかかわらず敢えて直談判とは、文面どおり米沢城を取り戻すのが目的ではないな?」
 景勝は政宗を糾し、政宗は「いかにも」と当たり前のように答えた。
 「生まれ育った米沢にふたたび入りたい気持ちがないといえば嘘になりますが、ここは目先の領地より大局を優先いたしたく。此度の目的は最上を抑えることにございます」
 「そなたの伯父か。いろいろと噂は聞いておるが?」
 「米沢が伊達に戻ると知れれば、上杉と伊達が手を結んだのかと最上の叔父上は危機感を募らせるでしょう。徳川に密告したくとも徳川は上方、上杉どのを抑えるため徳川が残していった兵だけでは上杉と伊達を相手に戦えますまい。あとは最上領内で一揆でも行われれば内輪から騒ぎとなります」
 「なるほど。それに乗じてそなたは合理的に最上を討つ、か」
 「討ちはしませぬ。この陸奥守とて、これ以上身内殺しの汚名を着ることはまっぴらでございますゆえ。私はただ、万が一にも上方の戦に駆り出されるような事態は避けたいだけ。上方の戦に合わせて奥州で戦が起これば、鎮圧の名のもとに留まれますからな」
 「それは討伐されかかった上杉にも利点があるという訳か。あえてどちらにも加勢しない事で、徳川が勝利しても上杉は如何様にも申し開きが出来ると」
 「左様にございます。が、それだけではありませぬ」
 政宗は上杉を信用している証として正直に手中を明かした。
「最上を屈服させておけば、上方での戦の次第によっては常陸の佐竹、さらに信濃の真田と組んで一気に東日本を手中に治めるという図も見えてまいります」
「それには兵の数が必要だ。いざとなれば、否応なしに最上も従軍させるつもりか」
 「勿論」
政宗の即答に、景勝は呆れが混ざった苦笑いを浮かべた。
 「先を見据えて後顧の憂いを絶ちつつ、如何なる流れになっても逃げ道を作っておく……あれだけ問題を起こしておきながら、そなたが太閤に処刑されなかった理由が解る気がするぞ」
 「いえいえ、ただ運が良かっただけでございます」
 「綱渡りの才があるのだろう。我々の世代では及びもつかぬような才だ」
 「褒め言葉として戴いておきましょう」
 景勝は、片倉小十郎と並び控えていた兼続の方を向いた。
 「兼続、庄内はどうなった」
 「殿のご命令があれば、一晩で首尾が整うまでに進んでございます。すべて伊達どののお力添えがあってのこと」
 「……ふむ」
 兼続が用意した図を見やり、景勝は扇を開いて「わかった」と短く答えた。
 「真田は上田で勝てるだろうか?」
 「受けて立つのは、あの安房守ですから……それに次男坊も」
 「そうであったな。良かろう、此度はそなたの誘いに乗っておく」
 景勝と政宗はふっと笑いあった。密約成立である。
 「……内府に挑戦状を送りつける以上の危ない橋が、かような近くにあったとは」
 「渡りきれば、もし徳川が勝利しても上杉家は存続となりましょう」
 「そなたに会うた瞬間から、上杉には渡る道以外なくなっていたのであろう。そなたは、まるで真田安房守のような男よ」
 「真田どのの事は密かに尊敬申し上げ、応援しております。あの次男坊も気に入っておりますし」
 「……伊達どの」
 「はい?」
 「源次郎が上杉の人質に来ていた頃だったか。領内を不審な若者がうろついていたという報告を受けていた」
 「……」
 「兼続は捕縛しようとしたが、私は敢えて止めさせた。間者ではなくただの物見遊山であるならば、それはまだ将となっておらぬ若者にとって貴重な学びの機会だ。実際、その者は春日山周辺を数日間うろついた末に去ったらしい。源次郎にも印象を与えていったようだが、彼の者は短い時間で上杉をどう見たのか、何を学んで行ったか、いまだ興味があるのだ」
 じっと目を見て語る景勝に、政宗はしゃあしゃあと応えてみせた。
 「ほう。……そうですなあ、『上杉どのは、人は石垣という武田の教えに共感しておられる』と評するやもしれませぬぞ?」

 「殿、最上さまより書状が届いております」
 上杉との密談をおくびにも出さず岩出山城に戻った政宗に、家中が盆いっぱいの書状を差し出した。差出人は最上義光、そして政宗の母・義姫。
 (上杉が早速動いたか)
 まずは直江兼続が伊達領と最上領の国境ぎりぎりに築いていた縦貫道を使い、最上領内にあるため知行が行き届かなかった庄内の領地へ上杉の者が堂々と往来を始めた。
いきなり現れた上杉の武士に最上側は腰を抜かしたが、もとよりその地は上杉の領土なのだ。統治に口は挟めない。
が、それだけでは終わらなかった。最上領に潜んでいた伊達家お抱えの黒脛巾(忍衆)が上杉の築いた道の途上で一揆を煽動、最上が鎮圧に乗り出したところを宣戦布告と勘違いした上杉軍が応戦という名のもとに最上の長谷堂城を攻撃するという流れで、最上領内はゆるゆると戦に突入したのだった。
 東には伊達、南には上杉。陸奥 徳川に援軍を望める状況にない中、最上義光がとるべき行動は一つしかない。
 『縁戚として、早く援軍を出してほしい』
 『上杉に取りなしを願いたい』
 ちなみに前者が義姫、後者が義光のものであった。母の気性の激しさは相変わらずのようだが、どうやら背に腹は代えられないと覚悟を決めたらしい。
 「予定どおりだ。ちょっと話し合いに行ってくる」
 政宗は、嫡男の秀宗を伴って伯父と母が暮らす山形城へ赴いた。父の代から犬猿の仲であった伯父と形ばかりの挨拶と会談を行い、政宗は秀宗を連れて母が暮らす二の丸に足を向ける。
 「藤次郎……」
 「母上、お久しぶりですな」
 先触れが来訪を告げていたので上座で待ち構えていた義姫の容貌は、政宗の記憶にあるよりもずっと小さくなっていた。だが表情はまだ固い。
 「今日は倅を連れて参りました。初めての対面です、ぜひ頭のひとつも撫でてやってください」
 ほれ、と秀宗の背を押すと、秀宗は礼儀正しく義姫の前に手をついて頭を下げる。
 「ばば様、初めてお目にかかります。伊達兵五郎秀宗にございます」
 「秀……宗……?」
 「ちゃんと目は二つありますよ」
 皮肉ではなく自然に、政宗は告げていた。
 「秀宗は、もしかしたら小次郎の生まれ変わりなのかと思うこともあり申す。この子が生まれてからこの方、この政宗も毎日観音像に手を合わせて小次郎の供養をしてまいると同時に秀宗には小次郎の分もと愛情を注いでおるつもりです」
 「小次郎の……」
 「目元がよく似ておりませぬか?小次郎は母上似と言われておりましたゆえ、秀宗は祖母似という事になりましょうか」
 顔を上げた利発そうな童は、曇りのない眼でしっかりと祖母を見つめる。
 心を射貫かれた義姫は、孫の顔を見て初めて大きな瞳に涙をにじませた。
 「政宗に非道い仕打ちをした報いと、孫の顔を見ることは諦めておりました。ですが……観音菩薩さまのご慈悲に感謝しかありませぬ」
 いらっしゃい、と秀宗を抱き寄せた義姫は、柔らかな頬を何度も撫でて抱きしめ、そして涙した。
「家族がいかに大切か、私も子を持ってようやく分かり申した。それに母上がこちらでご壮健であること、息子として感謝しなければなりますまい。援軍の件、快く引き受けましょうぞ。伯父上が望まれるとおり、仲裁もいたしまする」
 「政宗……かように非道いことをした母を許してくれるのですか?」
 「もう終わった事です。どのような経緯があろうと母上は私にとって唯一無二、いつでも陸奥国に来てくだされ。子も幾人かおりますし、奥も待っておりまする」
 「ああ、愛姫が……あの子は優しい子でした」
 「今もあの頃の心根のままですよ。おかげで私の気性もこのように丸くなり申した」
 全体の策略からすれば、この再会は小道具でしかない。だが、策略が政宗と母との和解のきっかけになったのもまた事実である。結果としてこれから良好な関係を築いていけるのであれば、それで良い。

 かくして、上杉と伊達は如何様にも振る舞える事実を重ねて上方での戦には傍観を貫いたのである。
政宗は最上に援軍を送り、いたく感謝された。
 上杉は上杉で庄内の領地から最上の者を追い払うことに成功し、同時進行で伊達との内通を疑われないよう会津でも形ばかりの戦を行い、今後どういった流れになろうと上杉が盤石でいられるように体勢を整えた。
 奥州は、すべて政宗の思惑どおり。さらに政宗にとっては母との和解も成し遂げられたという大きな収穫もあった。


- 上田城 -

 さて、上田では表裏比興の男が楽しげに策を練っていた。
 「徳川本隊は東海道か」
 国衆たちが集う軍議の場で昌幸は冷静に情報を整理し、紙に書き連ね、日ノ本の動きを地図に載せていく。
 「会津へ向かっていた福島正則どのと藤堂高虎どのの隊が、先んじて江戸へ戻ったという情報があります」
なるほど。福島太夫たちは江戸で兵や兵糧を整えた後で三河から清洲城や岐阜城を攻めるつもりか。さすれば豊臣が押さえている伊賀路を使わずとも三河や尾張からの補給路が出来上がる」
 「織田秀信どのの城を……落ちれば石田さま方にとっても大きな打撃となりますね」
 岐阜城の主は織田秀信。かつて織田信長の跡目を巡る争いが起こった際に秀吉に担ぎ上げられた三法師である。今は祖父の旧領を安堵されているのだが、太閤によって地位を安堵された立場から徳川につくことはない。さらに岐阜城は山脈に隔てられた東西を結ぶ要所、石田三成の本拠・佐和山は目と鼻の先である。そこを徳川が屈服させる意味は大きかった。
 「伏見城を落とされた意趣返しもあろう。しかし福島太夫や藤堂左近衛がそちらへ向かってくれたのは我らにとっては有難い。あのような猪武者は田でも畑でも平気で踏み荒らすから、上田の地に入ってもらいたくなかった」
 福島正則は、かの石田屋敷襲撃事件にも加担している。そして藤堂高虎は言わずとも知れた猛将。真正面から戦わずに済んで安堵しているのは源次郎も同じであった。
 源次郎が竹筒の水を一口含んだ時、それまで思索を巡らせていた昌幸は『よし』と膝を叩いた。
 「源次郎。おまえは海津城をどうにかして参れ」
 「どのように?」
 「どうにか、じゃ。攻め落としては我らが総無事令に反する者として徳川に大義を与えてしまいかねん。調略が出来れば速かろう……出浦、できるか?」
 「すぐ手配しましょうぞ」
 まるでそうなる事を予期していたかのように出浦は出て行った。
 松代城の現在の主・森忠政は、本能寺の変の直後まで出浦が仕えていた森可成の家系である。出浦からすれば内応しそうな者の見極めくらい容易なのだろうが、それはそれで空恐ろしいものがあった。主と定める者が変われば、国内の事情をよく知る家臣も当たり前のように敵に回るのだ。
 石田治部少輔から離れて徳川についた諸大名達は、日ノ本の各地で今頃どれだけの駆け引きと調略を繰り広げているのだろうか。
 「源次郎は、しかる後は砥石城に入り指示を待て。時を制することが出来れば必ず徳川にも勝てる」
拙速に、という事だ。源次郎も頷いてすぐに出立した。

 今や古戦場と呼ばれる川中島。芦や蒲が風に揺らぐ犀川のほとりに源次郎はたたずんでいた。
 「調略の対象は一筋縄ではいかぬ故、心してかかれ」
 調略の渡りをつけた出浦は源次郎にそう忠告していた。
 上杉の人質時代に逗留していた海津城も、今は敵地である。勝手知ったる懐かしい城なのに、今は遠くから息をひそめて眺めやるしかない歯がゆさ。上田の地でこれを味わいたくないものである。
 「あんたが、出浦からの文にあった遣いか」
約束の場に現れたのは、二十歳半ばくらいの細身の若者であった。元祖・前田慶次から比べると随分と地味…前田が派手過ぎるのだが、一つにまとめた獅子髪に派手な色柄の着物や熊皮を合わせた傾奇者の形がよく似合う迫力を眼の奥に潜ませている。
だらりと垂らした帯を風になびかせて粋を気取った若者は、恐れを知らぬ態度で源次郎を出迎えた。
 「真田左衛門佐幸村だ。そなた、出浦さまとは旧知の仲と聞いているが」
 「出浦は俺の師匠だ」
 「え?」
 「子供の頃、短い間だったが武芸の手ほどきを受けた。随分と『へなちょこ』な兄ちゃん連中と一緒に山を駆け回って脚を鍛えたり、剣術の手ほどきも受けた。面白い術もいろいろ見せてもらったぜ」
 「……」
 潜んでいた佐助が、むっとした顔をする。どうやら同じ時期に出浦の許へ修行に出ていた佐助と彼の仲間たちこそ『へなちょこ』の張本人らしい。
 「まあ、出浦がうちの当主との契約切れで出奔した後は実戦で鍛えられながら生き残ってきた。何しろ落ちぶれた一族だから、格下の豊臣が天下人になってからはそれなりに辛酸をなめたつもりだ」
 「織田の家臣であらば、それもまた苦しい選択だったのであろうな……」
 「それが乱世、下剋上の常だ、なんてうちの主みたいに達観したいところだが、俺などはまだその心境まで至れないのも本心だ。一門とはいえ若輩者、ここでの俺の仕事っちゃ、落ち武者狩りや織田の残党を討って名を挙げようとする輩を追い払う用心棒みたいなものばかりだからな。いわゆる侍っぽい仕事はほとんどしていない」
 小田原の時点ではまだ元服前、大陸出兵時には当主が上手く立ち回って後方支援に収まり、足軽隊長として九州に留まっていた……頭数を揃えるためだけに滞在していたという。
 「という訳で、俺は『ちゃんとした侍』って奴が好きじゃないし、そんな連中におとなしく従うつもりはない。俺より腕が立たない奴なら猶更だ」
 「……つまり、手合せで私の腕を試したいということか」
 「あんたの、というか俺自身が本職の侍相手にどのくらい戦えるかって方が近いかな」
 「わかった。そういう事であればお相手致そう」
 彼を一言で言い表すのなら、劣等感を持て余している武士だ。源次郎はすぐに察した。
立場はかなり異なるが、かつての佐助達にも同じように投げやりな、けれど野心を捨てきれずに悶々としている姿があった。
 能力や野心がいくら備わっていてもなお二十歳そこそこで己の生涯が見渡せてしまうのは、つまらないという概念を通り越して絶望すらある。存外狭い限界が高い塀となって己を取り巻く中、それでも天寿を全うできるかどうかも分からないのだ。 このご時世、ある日突然闇討ちで絶命することも珍しくない。
 自分は一体何のために生まれてきたのか、どこまでやれるのか、試したくても境遇ゆえに試せないもどかしさ。
 そんな劣等感や絶望の矛先となっている自分が出来ることといえば、彼の力がどのくらいかを知らしめてやるくらいだろう。
 源次郎は刀を抜いた。男は「そうこなくちゃ」と刀を構える。その構えは、武田信玄の流れをくむ武士のものであった。

男の刀裁きは、自ら貶める必要などまったくない位力強いものであった。出浦が基本を仕込んだだけあって、型や動きが武田家の流れを汲んでいる。
「やっぱり強いな。あんた、俺より全然小柄なのに俺の剣を受け止めても全く揺るがない」
「力を受けるのは力のみではない。流れを見定め、己にかかる圧を逃がす構えを取るのもまた立派な剣術だ」
「そういえば、出浦にも同じ事を言われた事があったな」
「元が同じ武田の流儀なのだ、考え方は同じで当たり前だ」
「へえ、これって武田信玄の流儀なんだ」
「この構えを知っているだけで、そなたは充分恵まれているぞ」
源次郎は男の打ち込みを受けながら諭した。
「幼少時に仕込まれた動きというのは、その者の生涯を支える礎となるのだ。そなたの剣は武田二十四将の直伝、それも相当熱心に学んだのだろう。礎は大層しっかりしている……中央に出ればすぐに名を挙げられるだろうに」
「簡単にそう出来ないのが、落ちぶれた名門に仕えた家の悲哀ってね。当主が自尊心ばかり高い能無しだからこそ、俺みたいな若輩が出しゃばっちゃいけないんだよ」
「何と勿体ない」
「階層社会ってのはそういうものだ。あんたのところの親父さんみたいに下克上なしで国衆から大名に上りつめたのは、豊臣が天下を獲ったのと同じくらい稀なんだよ」
 まあいい、と男は刀身全体で源次郎の刀を弾いたが、力任せであったために足下に隙が生じた。源次郎はそれを見逃さず、地を這うような体制で着地すると刀の峰で男の足を払う。男は盛大にひっくり返り、地面に背をしたたか打ち付けた。
芦がガサガサと波打ち、潜んでいた鳥たちが鳴きながら飛び立っていく。
 「勝負ありだな。……大丈夫か?」
 「ははは……これが侍と用心棒の違いって事か、なるほど」
 男は寝転がった胸を上下させて笑う。
 「己を過信ばかりして置かれた境遇に腐るか、それともどのような相手であっても侮らずに向き合うか……楽な方を選んだ結果がこのざまか」
 実に爽快に笑った男は、一人で納得すると身軽に起き上がった。佐助のそれと同じ身のこなしだった。
 「真田左衛門佐だったな。俺の勝手につきあってくれて感謝する」
 男はしゃんとした仕草で刀を納める。そして、それまでとは別人のようにまっすぐ源次郎を見た。
 「真田安房守より打診された調略の件、承知申した。うちの主は秀忠隊より一足先に戻るらしいから、帰還に合わせて領内の随所に野盗を潜ませておく」
 「そのようなつてがあるのか?」
 「俺はこの『見てくれ』通りの男だからな。元服前から敗走だの織田の没落だのと修羅場をくぐってきたから、そっちの知り合いが結構多いんだ。野盗ったって、戦の中で滅ぼされた国から流れてきた元侍…もうどこに仕官する気もなくなって好き勝手に暮らしている牢人がほとんどだ。俺は豊臣の成り上がりっぷりも気に入らないが、豊臣が死んだ途端にしゃしゃり出てきた徳川の狡猾さも胸糞悪くてしょうがない。何より両者に挟まれた叔父上の二枚舌っぷりにも嫌気がさしていたんだ。どうやって出奔しようか伺っていたところへ調略の話、まさしく渡りに舟じゃないか」
 「では、そなたは今後いかに」
 「さあな。出奔ついでに石田と徳川の戦に紛れ込んで、好きなだけ暴れてから身の振りを考えるさ。俺の腕を高く買ってくれる大名があれば仕官も考えるが、仲間たちと一緒にしばらく牢人暮らしをしながら武者修行の旅ってのも案外いいかもしれないと思ってる」
 高名な主に仕えてこその侍、源次郎はそう信じていたが、そう出来るのは一握りの者だけだという事なのか。しかし、手合せを終えた男にさっきまでの卑屈さはまったくない。
 ともあれ、調略は成立した。
 「その気概と武田直伝の技、磨いておればいずれ活躍の機会も与えられるであろう……そなた、名は」
 「森勝永。縁があればまたどこかで会うかもな……その時、敵か味方かどうかは分からないが」
 「勝永どのか。覚えておこう」

 このとき調略に応じた若者はのちに姓を「毛利」と改め、大坂にて源次郎と再会するのだが、それはまだ先の話である。



 宇都宮から中山道沿いに西進を続けた徳川秀忠は、長月二日にまず配下の仙石越前守秀久が治める小諸城に入り、翌日には源三郎こと真田伊豆守信幸と本多忠政…稲の弟を使者に立てて真田に降伏を促す書簡を送った。小諸と上田という至近距離で、まさに鼻先を突き合わせての睨み合いである。しかし家康の力を笠に着た秀忠の姿勢は強硬で、勧告という名の書簡の中身も従えば攻めず、従わなければ攻めるという、事実上の脅迫であった。
 「四万もの兵を引き連れておきながら身内を使っての降伏勧告など笑止。攻める気まんまんではないか。上田城は行きがけの駄賃程度の心意気で倒せるものではないと思い知らせてやろうぞ」
 軍議の場で昌幸はそう吐き捨てたが、使者への返答の文にはあえて正反対の内容を記して持たせている。
 「犬伏からの帰路にて心が変わり申した。やはり身内相手の戦いは身を切られる辛さ。お許し願えるのなら上田城を放棄してでも再度徳川方に従軍したいが、こちらも上田に戻ったばかりでまずは国衆の総意を取り付けねばならない。話がまとまったら倅と共にそちらに降り申すゆえ、しばし時間を貰えないか」
 というものであった。
 書状を受け取ったのが徳川家康ならば、このような字面に騙されることなくその日のうちに…昌幸の気が変わらないうちに自ら上田まで赴いて降伏の証書を取り交わすくらいはするだろう。だが年若い秀忠は、戦の行く末を勝つか負けるかでしか判断できない。父が叩けと言うから叩く、けれどそのための手法や駆け引きというものを知らないのだ。昌幸からの文を受け取った翌日、先の戦で大損害を被った神川を渡って染屋台に陣を構えたのも、本多正信の進言があってようやく動いたくらいである。
 昌幸が言うところの国衆云々というのは、もちろん嘘であった。昌幸の時間稼ぎである。この間に昌幸は西へ放った忍の帰還を待ち、あるいは縁戚を通じて石田と徳川の決戦がいつ頃で、どのあたりにが戦場になるのかを探っていた。
総大将の家康こそまだ小田原から島田へ向けて悠々と進軍中だが、福島正則や細川忠興らが率いる先行隊の行動は迅速そのもので十日前には清州城、七日前には岐阜城を落城させたという。清州を死守するべく伊勢から向かっていた毛利秀元や長曾我部盛親ら上方軍は間に合わず、今はまだ伊勢国内に留まっているらしい。
 しかも同行していた小早川秀秋が進軍途中に勝手に離脱、石田三成の居城である佐和山のすぐ南にある高宮城に入ったきり動かなくなってしまった。
 「岐阜城と清州城を押さえられては、治部少輔は大垣より西へは進めぬ。毛利隊が大回りして佐和山から琵琶湖を使って家康の背後に回り込んで石田治部と連携して挟み撃ちを狙ったとしても、その頃には家康も清洲へ到着しているであろう。にらみ合っているうちは良いが、そこへ秀忠が到着してしまえば上方軍の苦戦は必至」
もとより家康に従う気などさらさらない昌幸は、すぐさま考えをまとめた。
 「ならば、我々は秀忠には勝てずとも上方へ参陣させなければ良いのだ……上方での勝敗が決するまでひと月と見積もって、ここで十四、五日ほど」
 時間稼ぎと割り切ってしまえば策を立てるのは容易である。昌幸は書状をしたためている間に国衆らに命じて上田城下から染屋台、稲倉、真田郷までの民を一人残らず上田城に入城させた。収穫の時期、田畑が戦場になることを民は不安がったが、 「何の、稲刈りの手間が省けて助かったと思わせてやるぞ」と豪語して落ち着かせる。彼らには兵糧の手配として城内やその周辺の畑を手入れさせたのだが、実際のところ昌幸は兵糧が不足するほどの長期戦を構えるつもりはなかった。畑の手入れは、身体を動かすことで民の気持ちを紛らわせようという考えからである。
 源三郎に降伏の書状を託してから二日後…昌幸が戦のための支度を整え終えた頃。まるで音沙汰のない昌幸に業を煮やした秀忠が、今度は信濃国の隣、小諸城主の仙石秀久を使者に寄越した。「明日にでも降伏しなければ、力攻めで上田城を攻撃する」との脅しを添えて。
 だが十五年前の第一次上田合戦にて本堂が焼失して更地になっていた…徳川にとっては屈辱の記憶も生々しい信濃国分寺の境内に構えた交渉のための陣所にて、昌幸はきっぱりと 
 「我らは上方軍、石田治部少輔にお味方する」
と言い切ったのだ。
 「安房守どの、今なら翻意できまするぞ。今すぐそのお言葉を撤回していただければ、この仙石、若殿には事を構えず開城に応じたとお伝えいたしまする」
 自国を戦場にしたくない…面倒事に巻き込まれず無事に素通りしてほしいと祈り続けていた仙石は必死に食い下がったが、昌幸は
 「手切れと言ったら手切れだ。上田を攻めるというのなら、この真田安房守が受けて立つ。何万の兵か存ぜぬが、どこからでも参られよ」
と言うや否や秀忠の書状を仙石の目前で破り捨て、焼香炭がくすぶる香炉の中に放り込んだのだ。これには仙石も顔を引きつらせて秀忠の許へ戻るしかなかった。

 上田城に戻った昌幸の表情は、自らが意識する以上に高揚していたのであろう。戦になると分かっていても、昌幸の表情に古参の国衆らは安堵すら覚えた。
 「さあ戦じゃ。徳川の鼻柱をもう一度へし折ってやろうぞ」
 昌幸が自信満々でいる時は敗北など考えるに及ばず。そのことをよく分かっている国衆は、みな意気揚々として「おう」と応えるのみである。


 「やれやれ。真田安房守はどこまでも食わせ者よな」
 秀忠が本陣を置いている寺。秀忠を中心に諸将が集った場で、仙石秀久は交渉決裂を報告した。その中には源三郎の顔もある。
 (父上らしい)
 父の口調までが目に浮かぶような信濃国分寺でのやり取り。みるみるうちに顔を真っ赤にして怒りに肩を震わせる秀忠の姿すら、父の思惑通りであることだろう。
 内心では笑いをこぼしたくて仕方ない源三郎は、心中を悟られまいと奥歯をかみしめた。そんな源三郎に佐渡守が扇の先を向ける。
 「伊豆守よ。そなたは家族を敵に、実家を攻め落とさざるを得なくなった訳じゃ」
 「もとより覚悟の上でございます」
 「若殿も儂も、その覚悟を疑うつもりなどない……が、四万に近い兵の中には、そなたを疑う者が居ない訳ではない」
 「それなりの数が居られることも承知しております」
 「つまり、今のそなたは針のむしろの上に座しているようなもの。針を取り除く手立てはただ一つ」
 「某が戦の先陣を切ることにございますか」
ならば喜んで、と応えた源三郎を、本多は「殊勝なことじゃ」と平らかに褒めた。
 「十五年前、徳川が北条と組んで上田を攻めた際には、北から攻め入ろうとした軍勢が砥石城の伏兵にしてやられたと聞いておる」
 「は……」
 その伏兵は自分だったのだが、本多佐渡守はどこまで知っているのだろう。
 「ゆえに此度は懸念のある箇所をあらかじめ押さえておく。伊豆守、そなたが砥石城を攻め落とせ」
 命じながら、本多は源三郎の顔色を窺っていた。ほんのわずかな表情の変化で内通の有無や心の在り処を見極め、それが真田安房守にとって有利に働くことのないよう注意を払っている。
その視線に気づいた源三郎は、あえて困惑した。
 「砥石城、でございますか……守るに容易いので真田にとっては大事な城のひとつ。しかし攻めるは難しい城でありますな」
 「武田信玄公をもってしても攻めあぐねた城だが、勝手知ったるそなたなら容易いであろう」
 「たしかに、攻めるとしたらここかという心当たりはございます」
 地図に描かれた砥石城の北、ゆるやかに上る斜面のあたりを源三郎は示す。
 「櫓門の裏手、麓の寺を入り口として北端へ続く獣道がございます。人が二人通るのがやっとではございますが、その道が急所となる事はあちらも承知の筈」
 「数にものを言わせて突破するか」
 「いえ、こちらは敢えて囮にいたします。こちらに注意をひきつけ、本隊は一気に山の獣道を上がるがよろしいかと。急な斜面ゆえ互いに馬は使えませぬが、鍛えた武士であれば上るのは困難ではありませぬ……ですが斜面には下からは見えぬ隠し郭がございまして、数々の仕掛けが施されております。正面からまともに上がっては父…いえ安房守の仕掛けに嵌ってしまいましょう」
 「では、如何にする」
 「安房守ならば戦のたびに仕掛けを入れ替えるくらい行うでありましょうから、何処にどのような仕掛けが仕込まれているかは実際に行ってみないと分かりませぬ。砥石城をよく知る某が実際に見れば、些細な変化も見破れましょうが……何しろ安房守はえげつない奇襲を得意としますから、かの城を知らぬ者が無闇に攻め入るのは無駄に犠牲を増やすようなもの。若殿はこれから大きな戦も控えておられますゆえ、人も時間も最小限の犠牲で済ませなければならぬと考えます」
 「良かろう。ならば砥石城攻めはそなたに任せる。若殿のご期待に応えてみせよ」
 「ははーっ」
  この時ほど、源三郎は自分が昌幸の子で良かったと思った事はなかった。食わせ物を側で見て育つと、真似事くらいは出来るようになるものだと。
 父のこと、徳川が砥石城を落としにかかる事くらい承知して、おそらく既に手を打っているであろう。つまり、砥石城ひとつ放棄したところで真田安房守の戦にさしたる影響は及ばないのだ。
そして砥石城攻めの先鋒が源三郎になることもおそらくは折り込み済みで…そうなるよう振る舞えと源三郎に命じる父の意図すら読めてしまったのだから、やはり血は争えないものである。

 「三十郎、よいな?」
 自陣に戻った源三郎は、砥石城攻めを矢沢三十郎頼康に伝えて念を押した。
 「そなたは源次郎について行きたかったのであろう。稲が父上と源次郎を沼田城に入れなかったがために合流する機を逃してしまい申し訳ない」
 「いえ……真田の地を守らんとする皆様のお覚悟は見事でございます。なれば私は源三郎さまに従う沼田の兵として、全力で そのお覚悟にお応えするのが最善と覚悟を決めました。かくなる上は正々堂々と干戈を交えることこそ、大殿と源次郎さまへのご恩返しになると……」
 「まあ、それほど悲壮な覚悟まではせずとも良いが……」
 「は?」
 「何でもない。父上相手に長期戦は不利だ。明日一日で砥石城を落とすぞ」

 翌、長月五日。
 「真田伊豆守どの、見事砥石城を落城させてございます!」
 斥候からの報告に、上田のすぐ隣地・染屋台に布陣していた徳川秀忠は「よし」と采配の房を鳴らし胸の前で拳を握りしめた。
 夜明け前に小諸を発った伊豆守隊からの、まだ陽が高いうちの報告である。
 父親や北条が苦しめられた伏兵の城に、こんなにも早く三つ葉葵が満開となったのだ。秀忠は『真田伊豆守は肉親の情よりも忠義を選びし候』と源三郎の手柄を手放しで褒め讃え、砥石城に徳川の旗印が立ち並ぶ様を絵にまで描かせていた。
 「伊豆守さまの策どおりに攻め入ったところ、仕掛けをことごとく破られた真田左衛門佐は白旗を掲げて上田城の方向に敗走したそうでございます。もぬけの殻となっていた本丸には左衛門佐の書状が残されていたとのこと」
 「その文はあるか」
 「伊豆守さまから預かって参りました。ここに」
 ひったくるように書面を受け取った秀忠の眼が字面を何度もなぞり、視線が文末に移るごとに頬が緩んでいく。
 「『やはり私は兄と争うことのできぬ臆病者でござるゆえ、どうかこの城ひとつ差し出すことにてご勘弁いただきたい』……真田の次男坊め、九州討伐では島津義弘に称えられたと聞いていたが、どうやら噂だけが先走っておったようであるな。しかも命乞いの文まで残すとは相当な腑抜けか臆病者とみえる。何とも女々しき者よ」
 父が長年にわたって天敵と怖れて来た者の息子二人は、かくも違うのか。優秀な兄の方が徳川に付いたのは、つまり今の徳川に敵はないと天下に見なされたようなものである。秀忠は小躍りしそうな心を上ずった声に載せて大笑いをした。
 「これは美濃で待つ父上によい土産ができた。父上が石田を破った暁には、伊豆守に上田の地をそっくりくれてやろう」
 この時、数えで二十二歳。若輩者の総大将・秀忠は早速その旨を奉書紙にしたためると伊豆守の遣いに渡し、その興奮そのままに鼻息を荒くして命じた。
 「よし、このまま上田城も落とすぞ。老兵と臆病者が率いる軍なぞ恐るるに足りず」
 興奮さめやらぬ秀忠を横目に、本多正信は伝令の兵に訊ねた。
 「真田は敗走したと申しておったが、砥石城からの反撃はあったか?」
 「はい。伊豆守さまが仰っていたとおり、進軍のたびに斜面の至る所から切り倒された木や岩、獣道からの矢や投石が無数に降って参りました。ですが伊豆守さまは隠し郭の動きを察すると、すぐさま兵を退避させながら一気に攻め上がった次第」
 「そうか……ならばよい。行け」
 「はっ」
 それらが全て彼らの父・真田昌幸の術中であったことを、秀忠はおろか老獪で知られた本多佐渡守もついに見抜くことができなかった。それだけ真田安房守の筋書きが巧みであり、息子二人が役者であったのだ。
 伝令の役を終えて砥石城に戻って行った兵が矢沢三十郎であったことも含めて。

 時間は、源次郎が海津城の調略を済ませて砥石城に入った時点に遡る。
 「砥石城には、間違いなく源三郎が来るであろう。ゆえに源次郎は源三郎の旗を見たらさっさと下山して上田城に逃げ帰る振りをしつつ、ひそかに矢沢砦に入れと伝えよ……ああ、源次郎は肉親と戦うのが怖くて仕方ない腑抜けだと宣伝するような文も置いておくとなお良いな」
 上田城の本丸にて、昌幸は伝令役の佐助に指示を出した。
 「一徳斎さまが信玄公に認められるきっかけとなった城を……よろしいのですか?」
 高梨内記が確かめる。
 「城一つで源三郎が徳川の信用を取り付けるのなら安いものよ。他の者なら癪だが、あいつが占拠するなら悪くなかろう」
 昌幸は、初めから源三郎が砥石城を攻めることになるだろうと読んでいた。難攻不落で知られた城は勝手知ったる者に攻めさせるのが当然。難攻不落の城であれば尚更。
 「秀忠は血気盛んであるが、まだ年若く、その技量を父親に認められていない。それゆえ手柄を焦っておるのだ。源三郎は信用されている訳ではない、徳川の念頭に上田攻めがあったからこそ取り込まれたようなもの」
 「では、源三郎さまは情報を提供するだけで上田攻めの先鋒から外されるやもしれませぬぞ」
 「蚊帳の外になぞ置かぬわ。一族で争わせ、こちらの精神的な消耗と源三郎の忠義を同時に試すのが徳川のやり方だ……そしてその様を陰惨に脚色して自軍や敵軍への宣伝とするのだ。誰であれ徳川の命は身内の情よりも絶対、民なら猶更だ、とな」
 情報が目に見えるものとして第三者に伝わることのない時代、自らの手柄や戦果はもちろん武将の人となりを脚色、あるいは捏造して日の本に広めるのは情報戦としての常套手段であった。
 大抵の場合、まずは将の力や武功とともに嗜虐性を強調して広めておき、まだ見ぬ相手に恐怖を抱かせる。そうした上で利害が一致する相手には過剰なほど温厚に振る舞うのだ。
 そうすれば相手は噂と実像の落差に戸惑い、その上で自分が実際に見ている姿のまま武将をまず『情に篤く勇猛な男』と評価し敬う。しかしその評価の裏には常に『この者に背いたら何をされるか分からない』という恐怖が貼り合わされる事になるのだ。
 豊臣秀吉はその手法を得意とし、相手の身分や立場を手玉に取りつつ賞賛と恐怖で人を操る天才であったからこそ関白に上り詰めたと言っても過言ではない。そして、そのやり方を間近で見て来た徳川家の人間も、豊臣流人心掌握術を自らの世渡りに取り込んでいる。
 異なるのは、信長に倣って身分より能力を重視した秀吉よりも、生粋の武家である徳川はやはり身分にこだわった事であろうか。徳川が真田を見下すのも、『土地を仕切るだけの国衆あがり』という意識が少なからず働いている故である。
 今回、昌幸は息子を徳川に送り込むにあたってそのやり口を逆手に取ることにしたのだった。
 「源三郎には、我らに遠慮せずあちらの命令に従え、そして容赦なく攻めて来いと言い含めてある。地の利がある上田にて出来る限りの手柄を立て、味方には派手派手しく勝利を宣伝し、みごと徳川の信用を勝ち取るのだと」
 「なるほど。真田の武勇を見せつけるのですな」
  「将棋と同じ。不慣れな若造はいちど奪った駒は利用価値にかかわらず死守したがるもの、そして手持ちの駒が強いと判れば今度は温存させたがるものだ。これで源三郎の立場は盤石となる」
「ですがまともにぶつかり合っては互いに無傷ではいられませぬ故、源次郎さまに砥石城を放棄せよと仰るのですね」
 「戦慣れしていない者が前哨戦に大勝すると、必ずといっていいほど次戦では相手に対する侮りが生まれ隙となる。我らが総力を挙げて戦うは上田城のみ、ただでさえ寡兵なのだから、戦力を無駄に消耗してはならぬ」
 「ですが、そうなると私達は上田城にて源三郎さまと戦わねばなりませぬ」
 「そうなるものか。源三郎は砥石城を占拠しても上田での戦には参戦できぬよう手は打っておる」

 源次郎が放棄した後の砥石城。
 「源次郎め、みごと我らを足止めしていったか……これは下山まで十日はかかるぞ」
 本丸に立った源三郎は、苦笑いしながら眼下に積み重なった木々を見下ろした。
 「たしかに、また随分と派手にやったものですね……さすが上田の民、いざ戦となると仕事が速い」
 「民の心は父上と同じなのだ。それが上田の不落たる所以の一つ」
 頂上からの下山道は、ことごとく木や岩で埋め尽くされている。表門ではなく陽泰寺裏から攻め入った源三郎の進軍に合わせて郭から落とした木や岩は結果として源三郎の退路を封じ、源次郎が退却していった櫓門へ通じる道も、退却がてらに木々を倒して追撃を封じたのである。おそらく、砥石城への攻撃が始まる前から櫓門への通路脇の木々すべてに、ほんの一押しで倒れる加減で斧を入れておいたのだろう。殿が何カ所かで縄でも引けば将棋倒しに木々が崩れるように。
 慣れている三十郎は沢からの道を器用に上ってきたが、徳川から借りた兵らは山の尾根を縦走して物見台まで移動するのも苦心する状態。障害物を排除し、武器装備を身につけた兵すべてが下りられるようになるまで早くても数日はかかるだろう。 徳川本陣への伝令から戻った三十郎も、同じ笑いで倒木の山を眺めやる。
 「これでは我らは上田の戦に間に合わぬな。まあ仕方あるまい」
 これで一家が上田城で直接刃を交える事はなくなったのだ。いかにも昌幸らしい配慮であった。

 砥石城での勝利を聞いた翌日、秀忠は自らの陣がある染屋台から上田城・砥石城一帯に存在する田をすべて刈り取らせる作戦に出た。収穫目前の大事な米を目の前で奪っていくことで相手を挑発しながら自軍の兵糧を確保する。戦では珍しい手法ではない。
 刈田と同時に砥石城の北、真田本城と呼ばれる真田家の砦にほど近い真田家の菩提寺を焼き討ちした。寺の墓地には昌幸の両親が眠っている。
 しかし、今更そのような挑発に乗る昌幸ではない。武田家臣時代に、自分も同じような手を何度も使っているのだ。
 「寺を焼いたとて、すでに土中に眠っている者と墓石はどうともなるまい……この程度で比叡山を焼いたような心持ちでいるのだとしたら、何ともまあ目出度い大将だ」
 櫓門から北方の煙を眺めていた昌幸は、ふんと鼻を鳴らした。このような事態も予期していたので、一徳斎と親交のあった住職をはじめ寺の住人達も周辺の民と一緒に既に上田城内へ避難させている。
 無人の寺を焼いたところで真田家にとってさしたる損失とはならないが、そこからどのように戦を進めるべきかを秀忠は知らないだろう。信仰の対象を踏みにじられた民や兵の怒りは徳川へと向けられる。敵を煽るつもりが却って結束を強めてことに気付かないのは秀忠の未熟さであり増長でもあった。
 「織田の恐ろしさをろくに知らない者が粋がりおって。この分では、おそらく川中島どころか親父の戦歴も学んでおるまい。まったくもって勉強不足の奴め」
 あれが徳川の二代目なのだからどうしようもないな、と昌幸は辛辣である。
 「源次郎の首尾はいかに」
 「殿のご指示どおり、砥石城を放棄した後は夜陰に紛れて矢沢砦に入られました。国衆の皆様方の布陣もほぼ完了しており、いつでも出陣できるとのこと」
 「では……そうだのう、昨日から今朝がたまで雨で、今日は晴れて残暑が戻っておるから、明日あたりが良かろうか」
 「わかりました」
 伝令役の佐助は風のように駆けていった。


 秀忠も本多佐渡守も、砥石城を攻める前に神川を渡った事で進路を阻まれることはないと踏んでいたようだが、実際はそうでもない。
 源次郎は、砥石城の郭から源三郎に攻撃を仕掛けると同時に神川に堰を設けていた。かつて出浦が築いたものの再利用である。それを砥石城の戦いの際に落とした木によって巧妙に隠してしまったのだ。短い時間でそこまでした上で砥石城の隣にある矢沢砦に入り、潜みながら秀忠軍の布陣を上田の父に送っていた。つまり徳川の布陣は昌幸に筒抜けだったのである。
 そして、ついに父からの指示が届いた。『前回と同じ目に遭わせてやれ』と。
 「ははは、父上も同じ気持ちでいらっしゃるらしい……よし、夜明け前に出陣するぞ」
 上流でせき止められている神川は、敵の目を忍んで渡るに容易かった。
 鞭声粛々、夜河を渡る。
その戦法を、源次郎は十五年ぶりに上田の地で再現した。
無論、二度も同じ手に引っかかる愚か者として徳川の名に泥を塗り、世に宣伝するためである。


 翌、長月七日の早朝。急激な冷え込みと濃い霧の中、本陣の秀忠は外のざわめきに叩き起こされた。
 「何事?」
目をこらした見張り兵でも、その影すら判別できない銀鼠色の世界。その静寂の中でよく通る声が間近で轟いた瞬間、秀忠は飛び上がった。

 「我こそは真田左衛門佐信繁改め幸村なり。徳川秀忠公、お覚悟あれ!!」

 「真田幸村だと?」
 幸村が名乗りを上げたと同時に朝日が差し、霧が薄れていく。すると、秀忠の本陣のすぐ目と鼻の先に六文銭の旗指物が現れた。
  「おい、あれが真田の次男か?」
秀忠は鎧を着つける小姓を引きずりながら歩き回り、警護の兵をつかまえて訊ねる。だが兵も曖昧に首を傾げるばかりであった。
 「ええい、佐渡よ」
 寝ぼけ眼の本多佐渡守を寝所から引っ張り出して確かめさせたところでようやく真田左衛門佐本人であると知った秀忠はまず激高した。
 「なぜこのような近くに迫るまで気づかなかった」
 「今日は朝方の霧が深うございましたゆえ……面目次第もございませぬ」
 「使えぬ兵どもが!後で必ず父上に奏上するぞ」
 「若殿、落ち着きなされませ。大将が取り乱しては士気に関わりますぞ……して、敵の数はどのくらいか」
 「ここから確認できる騎馬は二百ほどであろうかと」
 「二百とはまた…ほぼ一騎駆けで本陣に挑むか。父親に尻でもはたかれたか」
 秀忠は真田の次男が自棄でも起こして飛び出して来たかとたかを括った。砥石城の一件で、『真田の次男は腰抜けだ』と秀忠が信じきっていた油断もある。
 「砥石城を放棄して上田にも戻れなくなったか。ちょうどよい、ここでそっ首を刎ね、首級を晒しながら上田城まで進軍してやろうぞ。本隊、迎撃準備を急げ。法螺を鳴らせ」
 まだうっすらと残っていた霧を振り払うかのように法螺を響かせる。すると、それに呼応するように徳川本陣の四方から真田軍の鬨が響き渡った。地響きのような迫力に徳川軍の馬は興奮して暴れ、兵もみなどこを向いて戦えば良いのか方向を見失う。
 「ここは盆地、どうせ木霊であろう。臆するな」
 上ずった秀忠の声をかき消すように、本陣のすぐ後方で大きな爆発が起こる。
 「何と!」
 外へ飛び出してみれば、霧が晴れた進路一帯、信濃国分寺に向かってなだらかに下っている丘には六文銭の幟。これもまた先の上田合戦で用いた『はったり』なのだが、当然のことながら秀忠や本多が知る由もない。
 「伏兵が居るぞ!用心してかかれ」
 本多の声は、別の方向から起こった爆発にかき消される。本陣はたちまち大混乱に陥った。
 爆発音と鬨の声、そして真田軍の急襲は、徳川方の主な陣周辺でも同時に起こっていた。それぞれの音が山々にこだまして、彼らもまた混乱している。
 「敵襲か!」
 「ど、どこから攻め込んで来るのだ」
 「正面から真田の旗が迫り来るぞ。そちらを迎撃するのが先であろう」
 「いや、伏兵に背後を突かれてはたまらぬ。いっそ兵力を分散した方が」
 「他の陣に伝令を送れ!すぐに援軍を求めるのだ」
 「大将は正面に居るのだ、我らの力を侮ったが失策と思い知らせてやれ。わが隊が一番槍をつけようぞ」
 本来ならば先頭に立って的確な指示を下すべき総大将が状況を受け止めきれていないため、混乱が広がるばかりである。
 それぞれが国元では総大将に立てる者ばかりの精鋭が、こういった連携戦では仇となる。皆が自らの判断で動いてしまうゆえ、まったく統率が取れなくなってしまうのだ。
 「数ではこちらが圧倒的に勝っておるのだ。策を立ててからでも力でねじ伏せられるであろう。勝手に動くな、今は殿をお守りしろ。陣を放棄してこちらに参れ」
 各地で味方が混乱している様を予測した本多正信がすぐさま叫んで統率を試みるが、山が崩れるように動き始めた兵は最早手がつけられない。
 そうしている間に、正面から幸村隊が蹄の音も高らかに突撃を敢行して来た。
 「戦わずして砥石城を放棄した臆病者の真田など怖れるに足りず。討ち取って名を挙げよ」
 突進する幸村隊に立ちはだかったのは、牧野康成の隊であった。続いて牧野の子忠成隊、本多正信隊と続く。手近な陣からも出陣の狼煙が上がっている。
 徳川の大軍が出揃いどうにか形を取ったところで源次郎は本陣への突撃を中止し、進路を北に変えた。他陣から出てきた兵に行く手を阻まれれば干戈を交えるが、殲滅させるまでの激しい戦いはせずのらりくらりと場所替えを行うのみである。
 「あの男、勇ましく現れた割には逃げてばかりですな。砥石城を放棄した事で安房守に喝を入れられ仕方なく出て来たのが見え見えでござる」
 染屋台の本陣から様子を伺っていた将達が幸村を評する。秀忠も同意であった。
 「まこと、九州の役にて島津に認められた者とは思えぬ弱腰ぶり。秀吉公があの者を傍に置いたのは、真田安房守を手中に置くための人質であったに違いない」
 「二十歳過ぎればただの人、九州での暴れっぷりは島津が手心を加えたからに違いない。地位を得て欲も出れば、誰だって 臆病になるものだ」
「ははは、保身第一の真田の血が濃く出たか。伊豆守どのとは大違いでござるな」
 敵将の嘲笑が兵に伝わっているのか、徳川軍の攻撃もゆるゆるとしたものになっていた。しかし幸村にとってそれは逸る気持ちとの戦いであった。
 勝ちも負けもせず、なおかつ劣勢を装うのは骨が折れる。
 (適当に敗けるというのも難しいな。何より敵に覇気がない……砥石城の件でなめられたか)
 侮る相手をひと思いに殲滅してやりたい気持ちを堪えながら、本陣周囲の敵のほとんどが出陣した頃合いで幸村は采配を上田城の方角へ向けた。敵の思い上がりを一喝する機会は、後で必ず訪れる。
 「全軍、上田城に退却!」
 「おう」
 源次郎の指示は寡兵にあっという間に伝わり、六連銭の幟が西へ翻る。徳川から見れば、実に見事な逃げ足であった。
 「奴らめ、こちらの勢力に圧されて退却しておる。よし、そのまま追撃せよ。上田城に逃げ帰るところを討ち、そのまま門を突破する。内側から城を攻め落としてやれ」
 「ははーっ!」
 「殿、罠かもしれませぬぞ。ご命令はどうか慎重に」
 「佐渡守よ、何を申す。気勢だけは立派な兵らとて、我らが大軍ならば力押しで開城まで持って行ける」
 「ですが上田城には真田安房守が」
 「安房守一人でどう戦えるというのだ。開門したら一気になだれ込み、内側から城を崩してみせようぞ」
 もはや手柄しか手中にない秀忠が全軍突撃の命令出し、一気に攻勢に打って出る。三万を超える軍勢が、なだからかな丘を下って上田城へと突撃を敢行した。
 (かかった)
 徳川兵の動きを確かめた幸村は、兜の下で口の端をわずかに吊り上げた。
 源次郎は急く気持ちを抑えて慎重に馬を駆る。敗走兵に群がるように徳川軍が襲い掛かるが、その頃にはすでに隊の先頭…出撃時に後方に配置していた兵は上田城下に至っていた。
 あとは源次郎率いる数十名の殿隊である。当然彼らにも追っ手がかかるが、地形を知り尽くした上田の民、馬術に長けた者のみを厳選した殿隊は、彼らに追いつかれず側面にも回り込まれないぎりぎりの速さで馬を走らせる。千曲川に向かってなだらかな斜面となっている北国街道、徳川軍はいつしか直線に近い隊列となって真田を追いかけていた。屋敷が建ち並ぶ狭い通り、屋根の庇が矢から源次郎達を守ってくれる。
 それを見届けた源次郎は、城下を大きく北へ回り込んで兵の一部を引きつけた。出撃の時間差ゆえ縦に長い手勢となっていた徳川軍は、ここでさらに北と東に分断される。源次郎はそこでようやく馬に全力で駆けることを許し、閉まりかけた城門へ滑りこんだ。
 「もしや陽動であったか」
 上田城の間近で源次郎が馬の速度を上げたことを本多正信が不審に思った時にはもう遅い。
 「まずい、真田安房守の術中に嵌るな」
 声もむなしく、すでに先陣を切っていた牧野隊が上田城下に突入していた。待ち構えていたように城壁から硝煙が上がる。
 銃の轟音と兵の断末魔が入り混じった音は、とても再現など出来ようもない。
 勇猛をもって美徳となす侍すらたじろぐ音、人よりも鋭い感性を持つ馬は怯え、騎乗の者もつい手綱を強く引いてしまう。
 その一瞬にも、銃声と硝煙は容赦なく降り注ぐ。
 「た、退却だ」
 しかし城下の狭い道。門前の兵が倒れた事で、後続の兵はさらに後方から詰めかける兵と前方から降り注ぐ銃弾や矢の間で行き場を失う。動きが止まった兵らの頭上には投石も行われた。
 狭く曲がりくねった道が続く城下町に誘い込まれた兵らはなすすべもなく消耗していく。
 それは、十五年前と同じ光景であった。


 「徳川本陣が急襲され、上田城下にて徳川軍と真田軍が交戦中」
 平時ですら登頂するまで難儀する砥石城。櫓門から瓦礫の合間を息も切れ切れに上ってきた伝令は、源三郎にそう伝えた。
 「大殿は伊豆守さまにもご出陣をと仰せですが……無理だとお伝えした方がよろしゅうございますか?」
小さな落石の音を立てること幾度。体じゅうに枯れた杉の葉をくっつけて現れた兵を源三郎は労い、『最善は尽くすと伝えよ』と応える。源三郎が文をしたためる間に一息ついた後、兵はよろめきながら帰っていった。
 「さすが父上、十五年前と同じ手法を用いるとは何とも大胆な」
 昌幸の周到ぶりに苦笑いを兜で隠しながら、源三郎は道の整備と出陣の支度を急ぐよう命じた。自ら升形城に上って物見を行うと、上田城へ向けて出陣したと思われる空の陣を真田の兵たちが潰しているのだろう、徳川方の陣幕や幟旗がばたばたと倒れ、かわりに六文銭の幟が立てられいく様が随所で見て取れた。
源三郎は「だろうな」とひとりごちる。
 「雪辱どころかこの有様。武藤喜兵衛時代から数えると、父上の全勝か。家康公が父上を畏れるのもよく解る……よほど相性が悪いのだろうな」

[newpage]

 「ここまで来て……ここまで来てどうにもならぬのか!」
 上田城下に入った兵が壊滅的な打撃を被り、なおかつ真田伊豆守も下山できずにいるという屈辱的な報告を受けた徳川秀忠の鎧が小刻みに震える。怒りと、恐怖と。
 馬にまたがった秀忠の眼に、上田城の櫓がちらりと見えた。鉄砲も弓も届かない櫓の上に、真田安房守らしき影が見えるような気がした。
 それは恐怖が見せた幻覚なのかもしれないが、秀忠の心にはその姿が挑発として映り思考の焦点が一気に狭まる。西で待つ父の事などもはや頭から消え失せ、目の前の憎き敵にどうやって屈辱を与えようか。馬上の秀忠は、今にもずれて落ちそうな兜の緒をぎりぎりと噛みしめながら机上で学んだ兵法書を必死に思い起こしていた。
 「こうなったら城を取り囲め。兵糧攻めにしてくれる。千曲川の上流を制圧し、水攻めの支度もだ」
 だが思いつくままの戦術はすぐに本多佐渡守によって制される。
 「若殿、この地形では兵糧攻めも水攻めも不可能でございます。陸路は封鎖出来ても水路が敵の手中にある以上は手出しできませぬ。千曲川の対岸もまた真田の領土、物資が尽きることはありますまい」
 「それなら対岸も制圧しろ」
 「いえ、地の利がない敵地で無闇に戦線を広げるのは得策ではございませぬ」
 「ええい、ならばどうしろと」
 「いったん小諸まで退却いたしましょう。我らはこの先、上方での戦も控えておるのですぞ。これ以上兵を失わぬためにも、まず兵力を立て直すことが先決です」
 「真田の前で馬印を下げてしまっては、上方で父上に合わせる顔がない。場所替えは出来ぬか」
 「それが、上田城へ向かって出陣したため空となっていた陣がことごとく伏兵の襲撃に遭いまして……既にほとんどの陣が潰されております」
 「何という……!」
 苛立ちのあまり顔を真っ赤にして采配を投げつけた秀忠に代わり、本多佐渡守が声を張り上げた。
 「退却だ!揚げ法螺を吹け」
 「佐渡!?」
 「合わせる顔も、命あっての事でございますぞ。挽回の機会は必ず訪れましょう」
 渋っている秀忠のすぐ側に投石が着弾する。秀忠はついに一時撤退を了承した。だが。
 「報告いたします。後方を流れる神川の水位が高く、一斉退却は不可能かと」
 「何と!」
 「申し上げます!真田左衛門佐がふたたびこちらへ向かっております」
 「城へ退却したのではなかったのか」
 「西門から出てきた模様」
 いいように翻弄される秀忠の心が落ち着く暇もない。これが敵地での戦なのだと、秀忠は背筋が凍る思いであった。
 「殿、森忠政が砥石城の北を回り込んで海津城まで案内すると申しておりまする」
報告と同時に駆けつけてきた海津城主の進言を、本多佐渡守は一も二もなく採用した。
 「殿、急ぎ馬へ。忠政、頼むぞ」
 「お任せあれ」
 父親に似て乗馬があまり得意ではない秀忠は、奥歯がすり減る思いで地蔵峠を駆け上がった。
 「この峠を越えれば城が見えてまいります。しばしの御辛抱を」
しかし海津城を見下ろした途端、忠政の顔から血の気が引いた。
主立った家臣をすべて徳川に従軍させていた海津城の門は固く閉ざされ、外塀周りにはぐるりと白旗が掲げられていた。狼煙台からは降伏の狼煙が上がっている。
 水堀の内外には武装した者がどの方向からの攻撃にも備えてうろついている上、数も領内の農民や地侍を集めただけにしては多すぎる。
 「何だあれは」
 「謀叛?いえ、某の国に限ってそのような……」
 「だがあの状況を何とする」
 「それは……まさか真田安房守に奪われたのでは」
 「ええい、このような大事に城を奪われるなど国主としてあるまじき行い。後で必ず詮議するぞ」
 「面目ございませぬ」
 森忠政は大きな肩を目一杯縮めて平伏する。
 しかし秀忠の叱責はさらなる不運への号令となってしまったのだ。
声によって居場所を特定されてしまった隊列に向かって、山中の随所から矢が射かけられた。
 「伏兵か!それとも野盗か」
 秀忠の誰何などどうでも良かった。声を上げている間に兵がばたばたと倒れていく。とにかく今はこの窮地を脱することを考えなければ。
 「盾を持て。殿をお守りしろ」
 しかし、盾を持つ歩兵も秀忠に近づく前に倒されていく。転げ落ちるように馬を降りた秀忠は、馬を盾にするようにしゃがんで頭を抱えるばかりである。
 「事は一刻を争います。ここは一旦小諸までお退きくだされ。この仙石が案内いたしましょう」
 徳川の覚えめでたくなる好機とばかりに、仙石が先陣をきって来た道を引き返した。兵に囲まれながら矢が飛んで来ない位置まで移動した秀忠は、そこでようやく馬に乗ると全速で仙石を追いかける。
 「真田が築いた堰の上流を回り込めば小諸へと抜けられる道がございます。そちらを目指しましょう」
 「……そなたに任せる」
 かくして秀忠は上田の地をおろおろと往ったり来たりしつつどうにか小諸城まで逃げ帰った。徳川軍のうち、上田の各城攻めに赴いていた兵を除く三万あまりの軍勢も、文字通り蜘蛛の子を散らすように小諸を目指す。


 「ははは、威張り散らす奴が尻尾巻いて逃げる様は痛快だなあ。家康の伊賀越えもあんな感じだったのかね」
 地蔵峠の崖地。勝永をひときわ派手にした装束に身を包んだ初老の男が、けらけらと高笑いして徳川軍を見やっていた。
 「まさか越後の地侍が援軍に来てくれるとは……おかげで海津城の占拠だけでなく地蔵峠での奇襲もすんなりと実行に移すことが出来申した。感謝いたします」
 農民に扮して海津城での叛乱を率いていた勝永は、驚きを隠せない顔で傾奇者に頭を下げる。
 「なに、この前田慶次は昔っから喧嘩好き、札付きの傾奇者でね。会津で暴れられなくなって物足りないから来てみただけさ。それに越後にはまだ景勝どのを慕う民が多い。いきなり殿様を奪われた彼らにとっても、よい意趣返しになったというものだ」
 慶次は勝永の鎧を軽く叩いた。
 「あんたも真田の調略に乗って城を奪ってしまうとは、なかなか気骨があるじゃないか。このまま城主になっちまうのかい?」
 「一旗挙げたい気持ちがない訳ではないのですが、俺はまだその器にありませぬ。此度は主に灸を据えただけで良しとしますよ」
 「主の留守中に城を乗っ取って戒める、ねえ。どこかで聞いた話だと思ったら竹中半兵衛の若い頃の逸話だ」
 「竹中さまと仰いますと、豊臣二兵衛の?」
 「あんたみたいな若い者にとっては伝説みたいな人だけど、肝の据わり具合はあんたと似ていたかもな。ここぞという時に調略に乗れる度胸、人を集められる力、己の力を過信しない心根、あんたは見どころがあるぞ。腕を磨きながら機を待っていれば、いずれ一軍を率いる将にもなれるだろうさ」
 「俺が……」
 「ああ。まだ人生は長い、腐らずに励みな」
 「……」
 幸村に続いて有名な猛者に認められた勝永は嬉しさと戸惑いをないまぜにした顔をしていた。
 「ところで、真田からの調略に来たのは真田家の者だと聞いたが、それは安房守の次男坊だったかい?」
 「まさしく。左衛門佐どのでありました」
 「ほう」
 慶次は懐かしそうに口元を緩めた。
 「源次郎の活躍は会津にも届いちゃいるが……随分と立派になったろう。俺も久しぶりに会ってみたかったなあ」

 「かかれ!塩田平から徳川を追い出してやれ」
 「おう!」
 「手柄を挙げれば、俺も武士になれる」
 「俺もだ。上田から徳川を追い払った真田の殿様の家来なんて最高じゃないか」
 新たに信濃国衆に名を連ねた堀田作兵衛一党の士気の高さは、もしかしたら此度の戦において真田家のどの国衆よりも高かったかもしれない。
 作兵衛にとっては、真田の旗下で働く初の戦。しかも相手は徳川軍。武功を挙げ、国衆として、真田家縁戚としての地位を盤石にしたいと張り切るのも当然である。
 それに
 「お嬢(すえ)を大坂に住まわせ、真田の姫として良い暮らしをさせてくれている源次郎さまのご恩に報いるのは今だ」
 郎党の言葉どおり、作兵衛とて牢人とすら名乗れない貧しい一族の中でろくな生活をさせてやれなかった姪を姫として大切に育ててくれている真田家の恩にはどうあっても応えたい。
 南からの進路を探るべく丸子から別所へと向かった徳川の分隊は、彼らによって散々に蹴散らされていた。
 塩田平には稲作のために千曲川から水を引き込んだため池が多い。灌漑に苦労していた地を昌幸がそのように整備させたのだが、作兵衛は土地の微かな起伏を利用して、あるいは池のほとりに低い土塁を築いておき、池の向こうから敵を挑発した。敵は彼らめがけて一目散に突っ込んで来るのだが、池に気づいた時にはもう遅い。数百の兵が作兵衛たちの手前で池に落ちていった。乗り越えて来る者は山で野戦を繰り広げつつ山奥へと誘導していき、山中に迷わせる。平地と山の両方を庭のようによく知る彼らだからこそ出来る戦いであった。
 この手柄によって堀田作兵衛の名は信濃国において大きく上がり、一族は全員真田家への仕官を認められ、塩田平一帯に加えて別所の出湯あたりまでの豊かな土地一帯を任されることとなった。侍としての身分や安住の土地を得た彼らの忠義は大坂の陣まで続くこととなる。


 「十五年前の上田攻めを知っておる鳥居を死なせたのは、家康の過ちであったな……おまけに慢心したのか、戦運びはあの頃からまったく進歩がない。数にまかせた采配の下手さ加減、奇襲に弱いところ、秀忠は若い頃の家康とそっくりだ。家康は三方ヶ原での無様な姿を絵にまで描かせたというが、その絵を跡継ぎには見せておらなんだか」
若さゆえの経験不足は致し方ないとして、さらに秀忠については家康の後継としての教育を充分に受けていない証だと昌幸は憐れむように笑った。全国で縁戚を結びまくって勢力を広げることに集中するあまり、最も大事な後継者を定めるのが遅すぎたのだと。
 一日にして染屋台の徳川本陣が撤退し、各地の陣も潰されて兵が引き揚げたところで追撃の手を止めるよう、昌幸は源次郎に指示していた。上田から徳川兵を追い払うことだけが目的ではないからである。
 「さて。奴らが引いたところで、戦で壊れた家の修繕を急げ。保存してある兵糧を分け与えろ。ああ、家に戻る者にはとりあえず戸締りを怠らぬよう注意させておけ」
 徳川秀忠の撤退を確認してから帰還し、井戸で顔を洗ってから戻って来た源次郎は、昌幸が本日の勝利に酔いしれることなくすでに次の手を睨んでいることを悟った。
 曰く、風が吹くと。
 「……風ですか」
 「うむ。明日から明後日あたり吹きそうだ。小諸はそのまま様子を見ておれ。もはや深追いする価値もないが、もし抗って来るような大馬鹿者ならば適当にあしらっておけ。民の暮らしの方が重要だ」
 「承知しました」
 上田城の家臣がすぐさま城下へ走る。厨番も小姓も、みな自らの役割のために散っていった。
 「此度の風は丁度よい。砥石城の源三郎にとっても良い休息になるだろうて」
 倒れた木々の復旧作業をしているであろう源三郎の努力も一旦は無駄になる。が、それは却って好都合というものであった。

 「殿、西ではすでに戦の体制が整っておりまするぞ。上様(家康)から早急な参戦を求める文が届いてございます」
 小諸城へ戻り部隊の再編を急いでいた秀忠のもとへ家康からの書状が届けられたのは、敗走の三日後であった。
 「しかし上田城はまだ健在なのだぞ。奴らに敗れたまま通り過ぎて行けというのか」
 「先を急がねば石田との合戦の行方まで左右いたしかねませぬ。今は上田を諦め西へ向かいましょう、西で勝利しますれば、今度は徳川本隊をもって再度上田へ攻め込むこともできまする」
 「ええい、忌々しい真田の老いぼれめ。その首を刎ね、上田城を焼け野原にしてやろうぞ」
 「その機は必ずや訪れましょう。今は上様の戦に間に合うことが最優先と判断します」
 「……」
 駄々っ子のように真田に執着する秀忠を説得するのは、さすがの本多佐渡守も骨が折れた。秀忠はもともと人よりも執着心が強く、自分がこうと決めたら人の話を聞かなくなる傾向がある。これで将来の徳川家当主が務まるのかと本多は気を揉んだが、根気もまた家臣の心得と粘り強く説得を続けた。しかしそれら逡巡に半日迷ったことが裏目に出てしまう。
 留まったままの秀忠軍をさらに足止めするように、突然の大雨と大風が信濃を襲ったのだ。急激に増水した千曲川を渡ることが出来ず、秀忠軍は小諸にて真田軍からの襲撃に怯えながら、川の水が引くまでさらに三日を苛々と小諸に留まらざるを得なくなってしまう。
 気がつけば、暦は長月十三日。徳川秀忠は上田攻めに七日もの日数を費やしている。ようやく西方へ進めるようになった途端、届けられずにいた家康からの催促文が山となって秀忠に届けられた。
 綴られた文言の語気がどんどん強くなっていくのを見て、秀忠は歯噛みしながらもようやく上田攻略を断念した。
 徳川の、真田に対する二度目の敗戦である。
 ようやく水が引くのを待って小諸から上田を大きく迂回して中山道に抜けた秀忠は、家康からの催促文に恐れおののきながら木曽の妻篭へ脱出した。
 しかし、父家康が石田軍と関ヶ原にて衝突したのは長月十五日だった。


 天候の回復を待ちわびた秀忠が大急ぎで撤退し、千曲川の対岸から西に進路を取ったのを確かめた昌幸は、東櫓門にて勝鬨を挙げた。
 「刈り取られた米も、稲さまが残して行かれた女武者隊の手で無事に取り戻してございます」
 かつて稲が組織した女武者隊は、女として敵兵の油断を誘った隙に兵糧陣を守っていた兵を制圧してしまったのだ。聞けば、大坂から沼田まで稲に従って戻る最中に稲から「上田城に残り、義父上に何かあらばお守りするように」と命じられて待機していたのだという。
 その頃には、すでに美濃国の関ヶ原にて徳川と石田の両軍が布陣を完了したとの報せも届いていた。石田は秀忠の到着前に、そして徳川は秀頼出陣となる前に。どちらも短期決戦を狙っているのは確実であったが、どう考えても秀忠が合戦に間に合わないのは確実であった。もしかしたら、こうしている間にも戦の始まりを告げる陣太鼓が鳴り響いているかもしれない。
 「あとは石田どのに託すのみだが……さて、どうなるか」
 「忍が持ち帰った布陣図を見る限りでは、西軍が優勢に見えますが」
 忍が記して来た略図の布陣によれば、平地に陣を構えた徳川家康の軍を周囲の山沿いに石田三成の軍が包囲するように配置されている。南宮山の麓に陣取った徳川の真正面、笹尾山の麓に石田三成、そして総大将の盾となるように、西軍には島津義弘や宇喜多秀家、南には大谷吉継が配置されていた。さらに家康背後の南宮山には徳川家康の兵とほぼ同数の毛利輝元軍。豊臣家において石田より目上の毛利が、名目上の総大将となっている。家康の退路を抑えるように、山間の伊勢街道を見下ろしているのは長宗我部盛親。有利不利となる地形もすべて押さえた、完璧に近い形の鶴翼の陣であった。
 一方の徳川軍はというと、家康を守る最前線には後になって豊臣を離れ徳川についた福島正則や黒田長政、藤堂高虎といった将を置き、彼らの背後を家康の四男・松平忠吉や猛将・井伊直政、本多忠勝といった古参に見張らせているという状態であった。信用されていない事をあからさまに見せつけられた福島らは当然良い気分ではないであろうが致し方ない。そして本来なら前線に立っても良いような山内一豊や池田輝政は毛利の抑えと退路の確保のため南宮山の北に配置されている。
 「秀忠公が間に合っていれば伊勢街道に配置されていたのでしょうけれど……周囲の山を押さえられ、なおかつ平地での逃げ場も一つしかないのでは徳川軍は圧倒的に不利ですね。しかも先に山を背にした石田軍の方が戦いやすいですし、鶴翼の先端、南に配置された小早川どのが先陣を切って敵陣に突入すれば上方軍は陣形を車掛かりに変えて徳川本陣を貫きましょう。さすれば徳川公は渦に飲み込まれてしまうのでは」
 「布陣の通りであれば、な……だが」
 昌幸は西軍の南端、松尾山を指で示した。小早川秀秋、一万五千と記されている。
 「小早川はあてにならぬ。西軍に従軍してはいるが、奴は毛利や長曾我部とともに岐阜城防衛に向かっていた最中に離脱したという。つまり完全に石田に忠義を誓っている訳ではないのだ。毛利輝元も然り。総大将でありながらいまだ大坂城から動かず、かわりに息子の秀元に全権を預けて戦に出している。大谷刑部どのもそれを見越して兵を分散し、三千五百の軍を小早川の前に布陣したようであるが……綱渡りであるな」
 座して動かないならまだましなのだが、と昌幸は危惧していた。
 「金吾中納言は、豊臣家を出された経緯や大陸出兵のことを恨んでおられるのでしょうか」
 「まだ十八かそこらの若造があれだけ虐げられれば、恨むなという方が難しいであろう。しかも百年の魂が決まるという三つ子の頃に太閤の後継候補としてちやほや育てられているだけに堪え性がない。反抗期の若造に徳川が甘言でも囁けばどうなるやら」
 「徳川は中納言さまを利用しているだけだと、中納言さま自身が気づけば良いのですが……」
 源次郎の感想に、昌幸はおやと目を見開いた。
 「……わしと同じ意見を言えるとは、おまえもとうとう知略に目覚めたか」
 「何年、父上の側で戦を見てきたとお思いですか」
 昌幸のやり方を完全に理解した訳ではないが、源次郎も三十路にさしかかってようやく強かに生き抜くことの必要さを分かりつつあった。理想だけで生きていては自らが生き延びることも出来ず、領民も守れなくなるのだ。生きるためには手段を選ばず、ときに人を疑い騙し合いにも応じなければならない、悟りと諦めの境地に差し掛かったというところだろうか。
 「しかし……我らが石田どのに出来る援護はここまでだ。綱渡りは我らも同じ」
 さてどうなるか。昌幸は珍しく深いため息をついた後、石田三成勝利の報と同時に差し出すつもりの上杉と伊達への書状の支度や彼らと同盟を結んだ後の戦運びについての思索で心を落ち着かせるのだった。
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