第3話 六文銭

文字数 16,314文字

天正六年 上田 

 繁が上田の真田屋敷に戻ってから五年ほどの間、信州は比較的平穏な時間が流れていた。風前の灯に見えた武田は、辛くも生き残っている。
織田信長が京より追放した足利十五代将軍義昭が西の毛利の庇護を受けて再起を図ったことで、織田が関東へ伸ばしかけた手をいったん引っ込めざるを得なくなったのだ。もとより武田との戦を苦手とする徳川は単独では手を出せない上に国境を接する北条との緊張が解けないこともあって武田にとどめを刺せずにいる。
 甲斐や信濃に大きな動きがない事によりいまだ武田家臣に名を連ねていた昌幸は、周辺の動きに目を光らせつつ武田のために奔走する日が続いていた。
 勝頼に北条の姫を娶らせ、一方で北では上杉謙信の急逝によって勃発したお家騒動において謙信の養子で北条の血をくむ上杉景虎…謙信から『景虎』の名を譲り受けていた…と対立した上杉景勝に対し、北条と組んで攻め入る姿勢を見せて脅しをかけた末に領土の一部と武田との縁戚関係を結ぶことで講和を結ばせた。北条と組む気などさらさらない武田の『はったり』を少しずつ大事へと誘導し、ついには『甲越同盟』にまで持って行ってしまったのも昌幸の入れ知恵である。北条は話が違うと抗議して来たが、すべてを景虎の力不足ゆえだとあしらって。
 それだけでなく、上杉の当主が景勝に定まったところで、同盟の一環と称して真田一族が治める地、真田の山城から北東の吾妻渓谷沿いの街道を整備し、険しすぎてほぼ廃城となっていた岩櫃城を普請し、さらに岩櫃城を足掛かりとして、今は北条の下にある沼田城を見渡せる高地に名胡桃城まで築いてしまったのだ。
 「いやあ、上杉を得心させるためにはこのくらいして見せなければなりませぬからなあ……これらの城、今後の武田の動き如何で沼田城と同じくらいの要所になりましょうて」
 上杉のお墨付きで普請していながら、抗議してくる北条にも奪還の機はあると匂わせる。勝頼すら冷や汗をかくような言いぐさを、顔色ひとつ変えずに言ってのけるのだ。この頃から昌幸の表裏比興ぶりは徐々に鍛えられていったのだろう。
 とはいえ、配慮も忘れない。
 北条から向けられる怒りをそらすため、ある日甲斐から上田に戻った昌幸は繁を呼んだ。
 「信勝様と源三郎の元服の儀は見事であったぞ。冠を頂いた後、広間で朱槍を交差させて友情を誓っておったわ」
 平屋建ての本丸からでも郷を見下ろせる真田山城。田畑を行きかう民の姿を眺めながら、たいした感慨もなく、たんなる報告の一つのように昌幸は言った。
 「勝頼様も大層喜ばれ、源三郎に刀まで授けてくださった」
 「まあ、それはめでたい事ですわ。源三郎の前途はさぞ明るいものとなりましょう。三代続いて武田の重臣となるのでしたら、真田の家も郷も安泰ですわね」
 山手は両手を合わせて顔を輝かせた。だが繁は父の言葉と顔が一致していない事を見抜く。
 「父上……あまり嬉しそうではありませんね」
 「そうか?」
 昌幸の思惑とは正反対に源三郎がどんどん武田に心酔していく様は、昌幸にとっては頭の痛い事でもあった。昌幸がもう何年も危惧しているような事が現実となれば……次に織田が信濃に目を向けた日には、武田と心中してしまいかねない。昌幸の兄達がそうであったように。
 父の憂慮の在処を知らない繁は、目を輝かせて甲斐国に想いを馳せた。
 「北の上杉との同盟も叶いましたし、信勝様と兄上が支えるのであれば、武田は信玄公がいらした頃のまま勢力を保っていけるではありませぬか。めでたき事でございます」
 「力を保つ、か……それだけではいかぬのだが。……いや」
 昌幸は頭を振った。
 「我らもまた、武田のためにより一層働かなければならなくなった……そこで繁、いや源次郎よ。おまえの出番だ」
 「?」
 「ただちに元服し、沼田城へ人質に入れ。これは勝頼様のご意向でもある」
 武田の重臣である真田の子を、北条領である沼田へ人質に出す。それは武田が北条との関係を蔑ろにしている訳ではないと見せるためのものだった。勝頼の命とは言ったものの、実際これもまた昌幸の注進である。しかし繁は真相など知る由もなく、まして否応を選択する余地などない。
 真田山の本城にて元服の儀式を執り行った繁は、生まれた時に信玄から貰った『真田源次郎信繁』の名を名乗り、沼田へ赴いたのである。

 沼田城の居心地が何となく落ち着かないのは、信濃や甲斐と違って四方を高い山に囲まれていないからだ。源次郎がそのことに気づくまでひと月かかった。沼田の南に広がるのはほぼ平地だった。
 自然の地形を利用して戦うことに慣れた者にとって、山は天然の要塞である。それがないという事は、まるで裸城に住まうようで不安を覚えるのだ。平原から数万の兵が見渡せたとしたら、どれほどの不安を覚えるだろう。戦況を見渡しやすい平地での戦に慣れた者とは正反対の発想である。
 「源次郎よ」
 沼田城にて源次郎の身柄を預かることになっていた城代の一人、金子美濃守泰清は、青白い顔で庭にひれ伏す源次郎の緊張をほぐそうとしてくれたのだろう。真田郷の者とよく似た訛りで親しく話しかけてくれた。
 「はっ」
 「そなたの郷の鎮守はいかに?」
 「山家神社におわす白山様でございます」
 「ほう」
 美濃守は髭面をニヤリとゆがめた。
 「わしの家は、代々四阿山を鎮守にしておるのだ。同じ白山信仰の仲間だな」
 「白山様の……」
 信ずる神が同じ、すなわち同郷という事で源次郎の警戒心がいささか緩む。
 「美濃守と伺いましたので、美濃のご出身かと思っておりました」
 「北条家の中だけの称号よ。そなたの父親が信玄公から安房守という位を授けられたのと同じだ。北条にも『安房守』を名乗った者がおったぞ」
 あの男の親分だ、と美濃守が視線を向けた先には猪俣の後姿。
当然の事ではあるが、そもそも朝廷による官位はそう簡単に授けられるものではない。のちに源次郎が朝廷から『左衛門佐』を授けられたのは、その時の権力者の振る舞いによって官位の価値が下がってから…比較的手が届きやすくなってからである。
武田や北条の時代において、彼ら大大名に仕える武士が名乗る『○○守』は主から授かったものがほとんどであった。多くの家臣を従えるようになった大名が、朝廷の真似事をして家臣らに栄誉という名の褒美と役割分担的な意味を兼ねて授けたものである。
真田昌幸が名乗る『安房守』も例にもれず。昌幸自身は安房という土地に何の縁もなければ行った事すらない。ひょっとしたら正確な所在地すら曖昧なのではないだろうか。美濃守も然りだった。
 「わしも人質暮らしから北条に仕官した身。もっとも北条の大殿にお目通りなど叶わぬ下っ端ではあるが、それでもこうして暮らしていけるのだ。なるようになるだろうて」
 「そうでございましたか」
 「人質というと生殺与奪をすべて握られたようで心細いだろうが、何も構えることはない。沼田が武田に攻められでもしない限り、そなたの扱いは丁重にする故」
 「ありがたきお言葉、感謝いたします」
 「これ美濃守。人質に甘くしてどうする。こいつの国元と戦になった日には、こやつの身柄を磔にして旗印がわりに持って歩くものぞ」
 顔が映りそうな程に漆を磨き抜いた立派な胴巻をまとった目つきの悪い武士が美濃守をたしなめる。こちらは威厳を全身から振り絞っているかのような佇まいであったが、本物の威厳を知る源次郎には虚勢を張っているようにしか見えない。
 「我こそ北条家が家臣にして沼田城代、猪俣邦憲だ。美濃守は人質に甘くて困る。そなたは客人ではなく人質だ。分をわきまえた振る舞いを忘れるではないぞ。そなたやそなたの国元に不穏な行いあらば、親元に帰れるは首だけだと思え」
 「心得ましてございます」
 猪俣は「わかればよい」と言って胸を反らし、兵舎の方へ見回りに行くと告げて去っていった。足音が聞こえなくなったところで美濃守が「堅苦しい奴じゃ」と源次郎に向かって苦笑いする。
 「随分と見事な胴をお召しですね」
 「あいつは恰好から入る性分なのだ。胴巻は傷で曇ってこそなんぼだと思うのだがなあ」
 「武芸のお力はありそうでございますが……」
 「まあ、戦となれば傷をつけられる事など滅多にない猛者であるのは認めるが」
 強いだけではいかんのだよ、と美濃守はひとりごちた。
 「はあ……」
 「それは良いとして。源次郎よ、沼田から吾妻にかけての渓流沿いには猿がよく出るのだ。後日『狩り』に付き合わぬか?」
 「猿でございますか?」
 「吾妻の猿はまた大層な暴れん坊で、わし一人では手を焼いておったのだ。人助けを兼ねると思うてひとつ」

 岩櫃城へ続く吾妻川。真田領とぎりぎり境を接する渓谷沿いの街道を、編み笠を目深に被った旅姿の源次郎と美濃守、彼の従者数名が徒歩で進んでいた。
 「猿は真田郷にもよく出ておりますが、たいした悪さもしない故に放っておりました」
 「畑の柿でも盗み食いしているうちはまだ可愛いものなんだがなあ」
 せせらぎを見下ろす岩場に腰を下ろして握り飯を頬張る。そのとき、頭上の木から大きな猿が数匹降り立った。そうするまで気配すら察知させなかった身体能力に、源次郎はつい感心してしまう。
 「狩るには惜しい能力ですね。家来にしてはいかがですか?」
 「ばかを言うな。団子の一つでも食わせて簡単に懐くなら、とっくにそうしておるわ」
 数名の猿たちは、ぼろぼろの風体に似つかわしくない立派な脇差を構えて二人を威嚇した。
 「なるほど、野盗の集団ですか。目当ては団子ではなく金目の物」
 「食い物も盗るぞ。民や商人から陳情は出ていたんだが、城から出した討伐隊すら身ぐるみ剥がれて戻ってくる有様でな」
 「猪俣様ほどのご武勇があれば容易いのでは?」
 「あいつはこんな『お端下仕事』はしない主義らしい」
 「仕事を選ぶのは感心できませんね……と申し上げたいところですが、さすがに私も身ぐるみ剥がれては困ります故、本気で参ります」
 源次郎はあたりの枝を拾い上げると、それを槍がわりに彼らに突きつけた。間合いの短い脇差より、こちらの方が戦いやすい。敵は多勢な上に結構な手練れであったが、甲斐国において本物の武士相手に繰り返した鍛錬を思えば、彼らは所詮素人である事が見え見えである。
 「おっと」
 彼らの刀が源次郎の木片を切り裂いた。すっぱり斜めに切れた木片に一瞬目を丸くした隙に腕を取られ、羽交い絞めにされる。
 しかし源次郎は慌てなかった。身長差で地面につかなくなった足を思いきり振り上げ、その反動で前に転がって猿を投げ飛ばす。そのまま地面を這うように脇差で敵の足を払い、彼らが切っ先を尖らせてくれた木片をふたたび拾い上げると、今度は実際に腕や脚を突いていった。間合いに入った者は柄に見立てた持ち手の部分で頭を小突いて怯ませる。
 勝敗は、ほんのわずかの時で決した。猿たちは傷を負った箇所を手で押さえ、呻き声を上げながら源次郎の足元に転がっている。
 「参った、と言えばこれ以上はしない。返事は?」
 「……ま、まいった……」
 源次郎は約束どおり木片をおさめた。完勝であった。美濃守はただ目を丸くして関心するばかりである。
 「おお、素晴らしい腕っぷしだなあ」
 「美濃守。この騒ぎは何事ぞ?」
 そこへ厩橋に使いに出ていた猪俣が通りかかった。源次郎が叩き伏せた連中を見て抜刀している。捕えるどころか状況も何も精査せずに止めを刺す気満々であった。
 「っ!!」
 源次郎は咄嗟にまとめ役とおぼしき一匹の猿を渓流へ蹴り落とした。猿はそのまま川に流されていく。それを見て、残りの猿たちも散り散りに山へ消えていった。
 「若造。貴様何をする」
 「いかな猿とて、手傷を負った上でこの急流に落ちては助からぬでしょう。退治は完了でございます」
 「……」
 「山猿ごときで猪俣様のお手を汚すまでもございませぬ。さあ、城へ戻りましょう」
 「源次郎や。知っていてやりおったな?」
 馬で先に行ってしまった猪俣を追うでもなく、ゆるゆると殿を歩きながら、土地に詳しい美濃守は右眉をひくりと上げた。
 「あれでは、どこかの大岩に引っかかって助かるだろうて」
 「猿とは、賢い上に仲間意識の強い生き物だと心得ております。一匹退治すれば、次はさらに大きな集団で襲いかかってまいりましょう。そうなれば、ただでさえ上杉や武田を警戒しなければならない沼田城の守備にも差し障ると判断しました」
 「ゆえに殺さなかったと……甘いのう。猿は恩返しなどせぬぞ?」
 「あのくらい叩いておけば意趣返しもいたしますまい。あの者らも、自ら望んでかような地を浮浪している訳ではないように見受けられましたので」
 美濃守は「ふふっ」と笑って源次郎の行いを許した。
 「よいよい。我らは沼田の荷さえ守れれば構わぬのだ。それにしても、そなたの技量は大したものだのう。武田流とはなかなか素晴らしき剛の技よ」
 「お褒めに預かり光栄でございます」

 源次郎の中での猿退治は、ここで一旦幕を下ろした。現時点でそれはまだ美濃守と近づくためのきっかけに過ぎず、猿と遭った記憶すらいずれ人質時代の思い出にしかならない筈であった。


 「では伯父上、頼みますぞ」
 「任せておけ」
 昌幸が見送る真田本城から沼田へ向けて矢沢薩摩守頼綱率いる兵が出立したのは、源次郎が猿を退治してから半年ほど経った頃である。

 「何やら騒がしいな」
 人質とはいえ本丸の館の一室があてがわれ、勝手に城内をあちこちうろつけない以外の待遇は悪くなかった。躑躅ヶ崎館の人質たちの暮らし向きも似たようなものであるあたり、大名の間で何か取り決めでもあるのだろうかと源次郎は考えていた。
 だが、それはあくまで国元と逗留先との間に『何もなければ』の話である。ある日突然館から姿を消した者の行方を母に訊ねたところ、真っ青な顔をした母は何も答えてくれなかったのを子供心に憶えていた。
 陽のあたる縁側で源次郎が美濃守から囲碁の指南を受けていたある日、館の廊下がいくつもの足音によってバタバタと揺らいだ。騒ぎはすぐに伝令となって美濃守に届けられる。
 「岩櫃城から出陣した兵がこちらに向かって来ています」
 「何と」
 さらに到着した斥候からの報告によれば、たしかに五百ほどの兵がこちらへ向けて進軍してくるという。風林火山の旗印を掲げた赤揃えの姿も見られるが、先頭に立っていたのは真田の一族が用いる州浜紋。信玄亡き後の武田から離反が出ている事で小県も気を許すことは出来ないと話していた昌幸が、自ら城を空けてまで戦に出向くことは考えられない。一族のうち、昌幸以外で城ひとつ攻め落とせる剛の者。
源次郎はその大将が自分の大伯父…矢沢薩摩守頼綱だと思い当たる。
 真田昌幸と同じように武田二十四将に数えられた祖父・真田一徳斎幸隆の弟。しかし現在の真田家当主は昌幸であるから、勝頼の命を受けて矢沢の大伯父に沼田城攻略を命じたのは昌幸に他ならない。
 源次郎の背中をひやりとしたものが走る。国同士の思惑の前には、家族の情など容易く折られるものではある。人質とはそういうものだと理解はしていたのだが。
 いや、しかしここで自分が処断されれば、自分の秘密も明らかになってしまう。武田家に対する昌幸の信用すら失いかねない決断を、昌幸がするだろうか。源次郎は考えに考えた。
 「あれは武田と真田の手の者か」
 猪俣は源次郎の胸倉を掴み、口角の泡飛沫を顔に浴びせる勢いで詰め寄った。
 「貴様、よもや手引きなどしておらぬだろうな?」
 「私も驚いております。まさか父が私を見捨てるとは」
 勝頼の命令があったのだろうか。そして父は我が子よりも主君を取る。それが家臣として当然の行いであると分かっているつもりではあったのだが。
 「ええい、来い!」
 猪俣は源次郎の腕を締め上げた。
 「い、痛うございます」
 「こういう時の人質であろう。覚悟を決めよ」
 「猪俣どの、この者は北条氏政様が武田より預かった人質。かように無碍な扱いをしては北条の名に傷がつきますぞ」
 せめて小田原からの判断を待ってはどうかという美濃守の声は、猪俣には届いていない。
 「沼田の人質がどうなろうと小田原に届く訳がなかろう。どのみち裏切り者の人質はこうなる運命なのだ」
 猪俣は源次郎の両手を縛りつけて馬に乗せた。勝手に逃走しないよう馬に引き手をつかせると、そのまま慌ただしく出陣する。
 「人質をあのように扱うとは、やはり武士の器ではないな」
 あーあ、といった顔で猪俣を見送った美濃守は肩をすくめた。
 「美濃守様、いかがなさいますか?」
 「……これは好機」
 「は?」
 「戦支度より先にする事がある。猪俣が出陣したらただちに閉門せよ。弓兵を配置につけておけ」
 「防衛に回って猪俣様を援護なさるのですか?」
 「いや、締め出す」
 「えっ?」
 「あれは北条で持て余されて沼田に来た者よ。そして、わしにはあいつを庇護する義理も理由もない」
 「人質はいかがなさるのですか?」
 「案ずるな。源次郎なら自力で何とかするだろうて。こちらはすぐに降伏の使者を送れ」
 「はあ……」

 「猪俣様、沼田城から馬印と傘が上がっています!」
 城から離れた平地で武田軍を迎え撃つべく布陣を急ぐ猪俣は、城の櫓に高々と掲げられた北条の馬印と陣傘をみて驚愕した。
 それは降伏の証である。
 「そのような命令は出しておらぬ。誰ぞ確かめてまいれ」
 だが戻った兵は、やはり沼田城は降伏、開場するつもりだと告げた。
 「美濃守様は、既に降伏の使者を送ったとのこと。理由を訊こうと入城を願い出たのですが、拒否されてしまいました」
 「何だとっ?まさか美濃守は武田と手を組んでおったのか」
 蔑ろにされたと思った猪俣の顔がみるみる真っ赤になり、全身がわなわなと震えだした。
 「ええい、武田が攻めて来るまでまだ日がある。すぐに沼田城を取り戻すぞ」
 「ですが城と武田との間で板挟みになる危険が……」
 「美濃守だけしかおらぬ城など、一日あれば充分だ」

 しかし、猪俣には自分で自分を過大評価している自覚がなかった。
 猪俣の相手は美濃守ではなく、沼田城なのである。
幾度も北条・武田・上杉の間で争奪戦の舞台となった沼田城は、自城である間は頼もしいのだが攻めるとなると一介の武士に簡単に落とせるものではない。
 武田と対峙する布陣を撤収して廓の側まで後退した猪俣の兵には、容赦ない矢の雨が降り注いだ。城門突破を試みようとしても、主が入れ替わるたびに守備が強化され続けてきた堅固な城門はびくともしない。
 猪俣が沼田城を攻めあぐねている間に一昼夜が過ぎ、その間に州浜紋の幟旗がどんどん迫ってきた。ついに猪俣の思考は混乱を極め、焦りで怒号しか発せられなくなる。
 「武田が迫っております。交戦開始となるのも時間の問題かと」
 沼田城を忌々しそうに睨む猪俣に次々と伝令が届く。
 「ええい、そちらは人質を使え!生きたまま磔にして足止めさせるのだ」
 「なるほど。同じ城代でも、人質の扱いには随分と違いがあるのですね。学ばせていただきました」
 「!?」
 猪俣の兵をなぎ倒して現れたのは源次郎であった。足軽の槍を奪っている。
 「貴様?」
 「私の手を縛った兵が美濃守様の兵でよかった」
 「あの男、わざと解けるように……」
 裏切り者、と舌打ちした猪俣を、源次郎は『いえ』と否定した。
 「美濃守様のご温情、機を見るに敏であると讃えるべきでございましょう。既に沼田は武田の手に落ちました」
 源次郎は、手にしていた槍を猪俣が乗った馬の尻に突き立てた。驚いた馬は前足で空を掻き、勢いで猪俣は落馬する。
 その嘶きを合図にするかのように、矢沢の兵が猪俣に向かって総攻撃を仕掛けた。武田特有の、すべてを赤で揃えた騎馬軍団が突撃を敢行する。源次郎にはその姿が武田からの借り物、『はったり』である事はすぐ分かったが、北条軍にとって赤い騎馬は脅威の象徴でしかない。
 「ひいっ!?」
 城からは矢の雨、そして後方からは音に聞こえし赤揃え集団。
 蜘蛛の子を散らすという言葉がまさに相応しい体で猪俣の軍は壊滅した。そして源次郎はその混乱に便乗して大叔父の陣へと向かったのであった。


 「おお、源次郎。大事ないか」
 齢六十を過ぎてもなお矍鑠とした老骨は、その威厳とは正反対に両手を広げて甥っ子を出迎えた。陣には美濃守の側近の顔も見える。やはり美濃守は降伏していたのだ。
 「大事ない訳ありませぬ。お迎えにしては随分と仰々しいではございませぬか」
 「国衆の子としての度胸試しにはなったであろう」
 「命がけの肝試しでした……が、これで良かったのですよね?」
 「うむ。殿は、そなたならば気づくであろうと仰せであった」
 それになあ、と大叔父は顎鬚をしゃくった。
 「……おまえはこれからも人質と出されるであろうし、あるいは人質を取る立場になるやもしれぬ。信玄公がそうしたように、裏切り者の一族は処刑される事もある。だが人質のすべてが恒久に自分より下であるとは限らぬのだ。力関係の流れの見極めを誤り人質の扱いを間違えれば、あの猪俣のように敵ばかりを作ることになりかねぬだろう。人質になる者の心持を知り、人の命を預かる者としての道とは如何なるものかを気付かせるには、自ら人質になるのが一番だ」
 「では、父上は最初から沼田攻略ありきで私を人質に出したと」
 「腹が立つか?」
 「いえ。中身は真田の兵なれど、この装備を見てすぐに沼田攻略が勝頼様のご命令である事は解りましたし、人質の扱い方によって人の徳が図れるという考えも学びました……それで、お願いがあるのですが」
 「何なりと申してみよ」
 「降伏した美濃守どのは、どうか害さずにいてくださいますよう父上に頼んでください。あの方は、私を一人の武士として扱ってくださった」
 「相分かった」

 ほぼ無血にて沼田城を矢沢薩摩守に引き渡した美濃守こと金子泰清は、これを機に北条を離れて真田昌幸に降り、家臣として仕えることになった。一方の猪俣邦憲は北条領に逃げ帰り、真田家や美濃守が通じていた、これは武田と真田による調略であり自分は嵌められただけだと大仰に言いふらす事で放逐されずに済んだものの、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう性格ゆえに後年その温情を仇として北条家に返すことになる。
 そして沼田攻略の功を武田勝頼に認められた真田昌幸は、そのまま小県から沼田一帯の統治を任せられることとなった。城代には攻城を率いた矢沢薩摩守を置くことで、真田一族の勢力は信濃の小さな郷から上州沼田一帯にまで拡がったのである。
 故郷を守るどころか日ノ本の勢力図に『真田』の文字がうっすらと浮かびあがる出来事であった。


 「源次郎…いや、真田郷に戻ったのだから繁でよいか」
 なつかしい真田山、本城にて帰参の挨拶をした源次郎こと繁に、昌幸はふらりと遊びに出た子を出迎えるように接した。
 「たいへん貴重な体験をさせていただきました」
 「それは何よりだ。嫡男でない者は人質に出される宿命であらば、如何にして難局を乗り切って己を守るかを学ばねばならぬ……わしがかつてそうして来たように」
 「はい……」
 家督を継ぐ者以外は、男女問わず『駒』なのだ。それが武家の宿命である。
 「まあ、使える家来の一人もおらずに人質生活を送るのも心もとないであろう」
 昌幸はニヤリと笑って「次の試練だ」と言い渡した。
 「先日、久しぶりに角間の渓谷に狩りに出たところで面白い連中と遇ったのだ。沼田城から来たとんでもない槍さばきの若造にこてんぱんにやられたと話していたのだが」
 「それはもしや」
 「やはりおまえであったか。ならば話が早い」
 昌幸は手にしていた扇で床を軽く打った。
 「その者らを家来にしてみろ。登用が成功した暁には、おまえに付けてやる。無論、俸禄はうちで出そうではないか」
 「家来、ですか……」
 「主の器が優れておれば生涯尽くしてくれるし、そうでなければ去る。そして敵となって現れるやもしれぬ。だが、おまえが武士として立つには必ず必要となってくるものだ」
 立ち回りの次は器を試されるか。

 沼田城を守護している矢沢薩摩守の嫡男・矢沢三十郎頼安…真田昌幸の従弟でもある…が、一人の姫を警護しながら角間渓谷を歩いていた。
真田の本城からは山二つ。真田家が鎮守として信仰する白山様(山家神社)や長谷寺の隣山になり、渓流伝いに吾妻や沼田へ抜けることができる山道や出湯もあるのだが、深い山に切り立った岩が険しい難所でもある。頂にある真四角の岩の上には時折天狗が腰を下ろしている言い伝えを聞いた事があったが、もしかしたらそれは昌幸が出逢ったという『連中』のような者だったのかもしれない。
 「繁さま、殿(昌幸)が件の者と遭ったのはこのあたりでございます」
 もとは一つであったものが何かの力で真っ二つに割れたかのように並んだ巨岩の狭間に立った三十郎が囁くと、市女傘の姫君は垂れ衣の隙間から顔を覗かせた。繁である。
 「これは見事な岩だな。頂上が見えない。真上から渓谷を眺めたら絶景なのだろうが、惜しいなあ」
 「そのような呑気な事を仰っている場合ではありませぬぞ。そもそも、そのお姿で奴等と見えるなど不用心すぎます。その……荒くれ者は女子を好みますゆえ」
 不意打ちに備える三十郎を、繁は「大丈夫」と落ち着かせる。
 「彼等は空から降ってくるつもりだ。この高さからどう飛び降りるのか、見てみたいではないか」
 さわさわと木々が風にそよぎ、渓流は白波をたてて麓へと流れていく。生き物の気配など感じられないような気配がふいに揺らぐと、繁の頭上に影が差した。
 「!!」
 岩の上から鳥が舞い降りてきたかのように降り立った影は、着地と同時に繁の前に膝をついた。
 「女。たいした伴も連れずこの裏道を往くとはたいした度胸だな」
 「この先は野盗の巣になっていてな。衣と有り金をこちらへ渡せば、道案内してやらない事もないぞ?」
 「貴様ら!無礼であるぞ」
 抜刀した三十郎が繁の前に立ったが、繁はさらにその前へ進み出た。
 「やはり、そなた達であったか。じつに見事な身のこなしだ」
 繁は動じることなく市女笠を外した。下ろした髪を軽くまとめて見せると、彼は驚きで一様に後ずさる。
 「あ、あなた様は……!」
 「久しいな。吾妻から無事に助かったようで何よりだ」
 「はい。あなた様が渓流に突き落としてくださらなければ、私は沼田城代に斬られていた事でしょう」
 猿の腕にはまだ痣が残っていたが、あれだけの身のこなしを出来るほどに回復したのだと繁は安堵した。
 彼は再会よりも繁の身なりに驚いているようであったが、繁は構わずに続ける。
 「まだ追い剥ぎの真似事をしているのか?」
 「こうでもしないと食べていけぬのです。……ですが、よもやあなた様だったとは」
 「真田源次郎信繁だ。見てくれと名が異なるとおり、少々訳があってな」
 「真田さま……」
 彼はやおら膝をついて頭を下げた。
 「真田安房守さまにお会いした際にお話を伺って「もしや』と思ってはおりましたが……まさかあなたが真田様のご子息、いやご息女?……ううむ」
 混乱するのもやむを得ない。
 「ひょっとして、あなた様は『ののう』(歩き巫女に扮して情報を集める女忍び)なのでございますか?」
 「私が『ののう』か。ははは、世間を欺いているという点ではそうなのかもな」
 「いやはや恐れ入りました。自在にお姿を変えられ、そして武芸にも長けておられる。まこと感服いたしました」
 「しかし、まさかそなたが真田郷からこんなに近い場所に暮らしていたとは……」
 「この地は便利なのです。日ノ本じゅうどこへでも行けますし、どこからでも集ってこられますから」
 「そなたの仲間か。先に申したとおり、今日はそなた達と話をしに参ったのだ……そなた達の事を教えてもらいたい」
 「我々と?……ですが、野盗に身をやつした我々の事など、お耳汚しにしかなりませぬ」
 「人ひとりの生き方に、耳が汚れる話などない。さあ、そなたの仲間に会わせてくれ」
 繁は刀懐に忍ばせていた短刀を三十郎に預け、敵意がない事を示した。先に命を助けられた事で既に繁を信用しているらしい猿は話ができる場所へと…渓流から獣道を少し上がった土地へと案内した。平たい土地の中央には薪を燃やした跡がある。どうやらここが彼らの根城らしい。
 上座とおぼしき岩を勧められて腰を下ろしたところで繁は訊ねる。
 「そなた、名は?」
 「佐助と申します。仲間も今」
 佐助と名乗った猿は、山に向かって指笛を鳴らした。すぐに辺りはざわめき、吾妻で見覚えのある者、初めて見る者合わせて五、六名の集団が集って来た。風そのものであった。
 「そなたらは忍びなのか?」
 躑躅ヶ崎館に居た頃、噂だけは聞いた事がある。情報収集のため全国を渡り歩いているという信玄直属の集団。しかしその顔や実態を知る者は少ないという。信玄の片腕であった繁の祖父・一徳斎や昌幸が彼らと交流があったのかは、これまで訊く機会がなかった。
 しかし彼らは繁の問いを否定した。
 「そんな大層なものではありません。脱落した『抜け忍』です」

 佐助の言葉を皮切りに、繁は彼らの歩んできた道をすべて聞き取った。
 近江国にある甲賀の里…各地から身体能力の高い者が集まり修練を積む里にて様々な術を学んだが、他の者との力量の差を負い目に感じてついに脱落してしまった佐助。同じような理由で伊賀国の服部家を辞してきた者。仕官を夢みて故郷を出たは良いが、仕えていた主が戦に敗れてしまい、落ち武者狩りから逃れているうちにこの地へ流れ着いた者。母親が優秀な『ののう』を束ねる頭領として武田に仕えていたが、その名の大きさから来る重圧に耐えかねて逃げて来た者。
 その中に、繁も見覚えのある顔があった。ともに躑躅ヶ崎館の道場で鍛錬をしていた者であった。たしか武田二十四将の一人、穴山家の者であったと記憶しているが。
 繁が彼に声をかけると、たしかに穴山梅雪の甥であった。小助と名乗った彼は梅雪から期待をかけられて育った末に織田信長の許へ人質に出されそうになったのだが、信長の残虐性ばかりを聞いているうちに恐怖にかられ、出立の直前に出奔してしまったという。
 「それでも食わねば生きていけませんから」
 「それで野盗になったという訳か。あれだけの能力があるのなら仕官は容易いだろうに」
 「いえ、武田家にも上杉家にも、まして北条家にも『つて』はありませんし」
 「ちょっと待った。いきなりそのような大大名に仕官など……そなた達、いささか理想が高すぎやしないか?」
 「だって俺たちを嗤った連中を見返してやりたいじゃないですか」
 「……」
 彼らが何故脱落したのか、そして半端者としての生活しか出来ぬのか。何となく理由が解った気がした。能力が理想に追い付いていないのだ。
 「今すでに天下に名を轟かせておられる方々への仕官など、どのような『つて』があっても容易ではないのだぞ。私の親や祖父は武田二十四将だが、それも武田がまだ甲斐の一国であった頃に仕官していた故。武田が戦の波に呑まれていれば私も生まれていなかったやもしれぬし、そうでなくとも私自身は生涯人質生活が約束されているようなものだ……それが厭であるのなら、自ら足掻くしかない」
 「足掻く、ですか」
 「人質であっても、頭角を現す機は必ず訪れる。その時いかに活躍し名を挙げることが出来るか、そして仕えた家の隆盛に貢献し、いかに自らの価値を高めてゆく事が出来るか……だが功名を焦ってはならない。焦った者から死んでいくと父上は語っておられた。人生をかけて成し得るものとなるかもしれないが、いつ『その時』が訪れても良いように今は情勢を掴み、自らの腕を磨き、機会を待つ」
 「でも、その機会が訪れなかったら?」
 「死にさえしなければ、機はいくらでも訪れると私は読んでいる」
 「なるほど……」
 そこで、と繁は本題を切り出した。
 「この世において、情報は命綱となる。信玄公も忍衆を使っておられたと聞いておるし、我が真田家も情報をもって己の身の振りを決断する場面も多くなるだろう……が、私はまだ半人前ではあるゆえ、そなた達の力を借りたいのだ」
 「あなたの?」
 彼らはみな顔を見合わせている。
 「そなた達は鍛えればきっと強くなれる。腕を磨き、時間をかけて名を挙げるというのも、ひとつの生き方だと私は思う…『愚直の計』お館様の教えのとおりに」
 「愚直の計、ですか……」
 愚直とは何だ、どういう意味だと訊ねる者は一人もなかった。それだけ彼らには素養があるのだ。
 「俺は源次郎様に賭けてみようかな。源次郎様が仰るとおり、武田も上杉も時間をかけて小さな国から勢力を拡げていったのだ。今すぐ結果は出なくとも、真田家なら…源次郎様ならば成し遂げてくださるかもしれない」
 佐助がぽつりと呟くと、それを待っていたかのように他の若者も次々と手を挙げた。
 「このまま埋もれていても何にもならないしなあ」
 「何より食いっぱぐれる心配がなくなる」
 「その通りだ。そなた達が私の許で働いてくれれば飯は食わせてやれる。私や…真田家にもし万が一があったとしても、まとまった期間だけ仕官の経験があれば余所へ再仕官しやすくなる。私を足掛かりとして上を目指せばよい」
 目の前にある暮らしの保証と、将来への希望。繁の考えに、彼らの心は次第に開かれていったようである。
真摯さを上手に伝える手腕に、付いてきた矢沢三十郎もただ感心するばかりであった。もしかしたら、源次郎にとって最大の強みはその素直さや実直さであるのかもしれないと。
 「ああ、腹が減ったな。今朝がた家で餅をついて来たのだ。みなで食そうではないか」
 さあ、と繁が焼けた餅を勧める。ともに囲炉裏を囲み、同じものを食べることで主従以前に仲間だという気持ちを彼らに伝えたかったのだが、その意図はどうやら彼らに知ってもらえたらしい。屈服させるのではなく、友として同じ火を囲み、同じものを食する。それは齢近い彼らが心を通わせるために最も効果のある時間であった。
 こうして、繁は初めて自分の家来を持ったのである。彼らは、この先源次郎と繁の名の間を行き来する主を待ち受ける波乱の生涯に最後まで付き合うことになる。

 正式に真田家に仕官した佐助たち角間渓谷の元野盗は、昌幸の計らいで武田家臣の出浦家へ修行に出された。
武田家中で出浦の知名度はあまり高くないが、これは出浦が武田忍衆の頭領格であったからである。あくまで表には立たぬ『暗躍する者』なのだ。
当主である出浦盛清の元々の主は砥石城を築城した村上家。だが難攻不落の城をいとも簡単に陥落させた真田一徳斎の技量に惚れ込み、一徳斎につき従う形で武田へ仕官したのだった。そこで並外れた身体能力と密教の法術を採り入れた独自の武芸を編みだし、ついに武田に見出されるまでに至ったのである。
「我流の鍛え方ではいずれ限界が来る。が、一流の忍について修行を積めばさらなる飛躍が期待できるし、そうなってもらいたい」。昌幸と源次郎の言葉に彼らは感激して今度こそはと修行に力を入れている様子である。
 彼らが修行のし直しに励んでいる間、繁には海野、望月、祢津といった親戚筋の男子が小姓として付けられた。実際は繁が彼らに武田から学んだ武芸や学問を教えている。寺子屋の延長のようなものであったが、将来自分を支えてくれる者に自分の教えや戦い方を知ってもらう事で繁も自ら学んだものを振り返り、同時に武士としての自覚が芽生えたのである。
 「家臣や兵を死なせない事こそ、上に立つ者の本領なのですね」
 ある日、繁は夕餉の席で昌幸にそう語った。しかし昌幸はそれを正解と不正解の両方だと応えた。
 「死なせぬ事は大事だ。だが『死なせるべき時には死なせる』決断が出来なければ、国の存続はならぬ」
 若い繁にその言葉は同意しかねたが、兄二人を戦で亡くしている父ならではの言葉だとは感じた。信玄がそういった苦渋の決断を何万と繰り返してきたからこそ…伝え聞くのみの川中島で実の弟や忠義に篤い高名な軍師らを死地に送り込んだからこそ、武田の家はああも隆盛を誇ったのだと。


 沼田城、岩櫃城、砥石城といった要所を任される一廉の武将となった事で、真田家は新たな旗印として『六文銭』を掲げるようになっていた。一文銭が三枚ずつ二段に連なった、真田の象徴である。六文とは三途の川の渡し賃であり、この時代には死者が無事に浄土へと渡れるよう埋葬の際に握らせる習慣があった。あえてそれを掲げて戦うことで命を惜しまず勇猛に戦う軍であることを周囲に強調したのだ。
 とはいえ昌幸も信繁も実際に六文銭を使うつもりはまったくない。勇猛さをもって戦を乗り切り、何としてでも生き延びようという意思の表れ、というのが本来の意図である。昌幸については勇猛さの前に『謀略』が加わるのだが。
 武田勝頼がもっとも警戒している織田は、この時期いったん甲斐から手を引いていた。すでに天下布武の大号令を発している織田は、敗走した武田については同盟関係にあった徳川に睨ませておくことで外への動きを封じ、その間に着々と天下への足固めに取り掛かっていた。征夷大将軍に匹敵する右近衛大将の称号を朝廷から授かると、琵琶湖のほとりに絢爛を誇る安土城建造に着手したのだ。

 織田が城を建築している時間は他の大名にとってもつかの間の安息の時であったに違いない。物資も人も築城に駆り出されるため、自ら戦を起こすことはしないからである。しかしその時間が、諸大名に力を蓄えさせるための猶予を与えてしまうことにもなるのであった。
 『尾張の大うつけ』と呼ばれた信長でもそんなことが読めないほどの愚か者ではない。それらの動きをすべて計算した上でさらに勝算があるからこそ築城に踏み切ったのである。四十を超えた身には少々忙しくはなるが。
 案の定、安土城が完成した後も、信長はその天守閣を温める間もなく各地の平定や討伐に走り回る羽目となっていた。名実ともに天下人となるために与えられた最後の試練であろうか。西では紀州の傭兵軍団である雑賀衆の討伐、安芸の毛利水軍との小競り合い、そして越後の上杉謙信や大和の松永弾正久秀の挙兵。次々に飛び込んでくる戦の報に、甲斐や信州は後回しにされた形になる。
 無論、武田も立て直しを図っていた。武田勝頼は、織田の攻撃再開を想定して名胡桃城の他にも躑躅ケ崎館よりやや西寄りの韮崎山に新たな城…新府城の普請を始め、甲斐の守りを固めにかかっていた。築城の指揮を執ったのは真田昌幸。
 「日ノ本一、難攻不落の城を築いてご覧に入れましょう」
本格的な築城は初めてであった昌幸は、武田信玄が攻め滅ぼした城での戦をすべて洗い直し、地形と併せ考えた上で守りに特化した城を考え抜いた。しかし攻めづらい城というのは築城も並大抵の労力ではない。
(間に合うかどうか)
心の底で危ない橋を渡りながら、けれどもそれをおくびにも出さず初めての城造りに心血を注ぐのみ。この経験は、いずれ自分が城を持つ時に活かされるかもしれないと昌幸は頭の隅で考えていた。いわば試作品のようなものであったが、やるからには完全に仕上げておきたい。
新府城の工事と並行して、兄らが元服した翌年、繁も上田の真田屋敷にて元服の儀を執り行った。言うまでもなく初陣に備えてのものである。
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