第6話 源次郎、越後へ

文字数 38,346文字

天正十二年 浜松城

 儂は赤色が大嫌いじゃ、と家康は言い切った。

 徳川と北条との和睦が成立して間もなくの遠江国浜松城。
 上座に構える家康と、貢物として持参した目録と膨大な山の幸の後ろで縁側の敷居に尻が半分乗った状態の昌幸。家康は薬湯をすすりながらの対面であった。「これがないと落ち着かぬのじゃ」と家康は濃緑色の液体を喉へ流し込む。
 「若造だった儂がかつて三方ヶ原で信玄公と見えた際、全身を赤で揃えた騎馬軍団にこてんこてんに打ちのめされた。儂は命からがら戦場から逃げ出して城へ戻ったが、あの時武田の参謀として儂を手玉に取っていた者の顔は忘れられぬ。浜松城を狙うと見せかけ、籠城の準備を整えていた儂をまんまと欺いて野戦へとおびき出した忌々しい男。名はたしか……」
 武藤喜兵衛。家康は額に波を寄せて昌幸の顔をじっと見つめた。昌幸は眼をそらさずに白い歯をむく。
 「武士にとって、敵大将に脅威を抱かせるというのは褒め言葉でございますぞ。まこと徳川どのは懐の深いお方」
 「いやはや。逃げ帰った直後の無様な姿は己への戒めとして絵に描いて残しておるぞ。あれ以来、気つけ薬は片時も手放せぬようになってしまったわい」
 戒めというより執着だ。昌幸は家康の心根をすぐさま見抜く。無様だ何だというのは建前で、実はまだ屈辱的な敗戦を根に持っているのだとして武藤喜兵衛…真田昌幸を牽制しているのだ。
 だがそれをおくびにも出さずに昌幸は続ける。
 「ですが、かように懐の深いお方が何故に沼田を北条へ明け渡す約定を簡単に行ってしまったのか。我ら信濃の国衆に預けておけば、そのまま徳川領として安堵できたものを」
 「最後まで和睦を渋っていたのは北条なのだから仕方あるまい。沼田の件は既に決まったこと。あの城一つを落としどころとして東日本はしばらくの間の安寧が約束され、信濃の兵も死なずにすむのだ。むしろ良いことではないか。安房守とて、切り取り放題にて領地が拡がったのだから沼田に固執することもあるまいて」
 「徳川どのは、あの城が何故幾度も攻城の舞台になったのかをご存じないようですな。沼田は東西南北すべての物資輸送の中継地であり、すべての地域に対する抑えとなり得る土地なのでござる。武田、上杉、北条はそれを知っていたからこそ、昔から争い続けて来たのです。北条に明け渡すとなれば、小田原より東、そして北への進軍がきわめて困難になりまする。さらに信濃の北には上杉。彼らは徳川どのの天下統一を成し遂げる障害となりましょう」
 「越後、か。今でこそ息をひそめておるが上杉は厄介だからのう。奴が沼田を狙うのであれば好都合。北条と上杉で小競り合いをしてもらっておこうではないか。共倒れでもしてくれればこれ幸い」
 髭をいじっていた家康は、ふと指先を見た。手にくっついて抜けた髭が白かったのだ。
 「まあ実際の明け渡しは当分先になるだろうから、それまでに引き継ぎ役を定めておけ。やるべき事は山積みだというのに、儂も白髪が混じる齢になってしまったのう。儂は三河に向かうが、安房守も先の戦で切り取った領土をしっかり守っておくがよかろう」
 では、と話を打ち切り、家康は座を立つ。昌幸の呼び止めを無視して。
 「最近、耳が遠くなってかなわぬのう」回廊を往く家康が、あからさまな高笑いを残していった。
 (くだらぬ意趣返しだ。何と器の小さな者よ)
 昌幸は心の内で吐き捨てた。胸のあたりがむかむかする。便宜的に降ったとはいえ、やはりいけ好かない男だ。しかし今の信濃の力では徳川に対抗することはかなわない。
 ならば、まずは同列に立つことだ。腐ったら敗けだ、ここは厭でも真田の名を認めさせてやる。
力のなさを嘆くでもなく、家康の不遜を怒るでもなく。昌幸は先を考え始めた。


 「お呼びでございますか、父上」
 昌幸が浜松から戻り、立秋が過ぎた頃。真田郷周辺の山々を馬で廻って来たという繁…源次郎の出で立ちをしていた…は、上衣のたもとを襷で結んだ姿で館前の広い庭に戻って来た。
 体を動かした後だったので額には汗がにじみ、顔は上気している。張りのある顔に色づいた頬、覇気のある瞳。身体を鍛えているので肩や脚に筋肉はついていたが、もとの骨格が細身であるため野武士のようながっしりとした体躯にはなっていない。例えるなら熊ではなく雌虎であった。猫ほど柔らかな雰囲気がないのは、きっと幼い頃から武田流の武芸を身につけた事による隙のなさ故だろう。
 「繁よ、上がれ」
 「はい」
 繁を見る昌幸の眼は複雑であった。
 このとき繁は十七歳。姫であれば美しさを咲き誇る年頃である。が、自分がそう躾けた結果なのではあるが、袴を優雅に捌いて座る所作は、どこへ出しても恥ずかしくないほど立派な若侍であった。長い髪を頭の後ろで一つに束ね、額に鉢巻を巻いた姿やぴんと伸びた背筋も実に凛々しい。繁が女性であることを知っている眼で見れば、この繁という娘に化粧を施して錦の着物でも着せれば、織田信長の妹姫で戦国一の美女と名高いお市の方にもひけを取らない美姫になるのではとも想像してしまうのだ。
 もしも繁がそのとおり育てられていたならば、どこへ嫁がせても恥ずかしくない…むしろ噂を聞きつけた各地の武士がこぞって縁談を申し入れてくるに違いない。しかし機を見て敏に動くことを好む昌幸は婚姻による縁戚関係こそ却って重荷になってしまうものだという考えの持ち主であった。
我が子が健やかに育った上にさらなる天分を与えられたのなら父親としてこの上ない栄誉であり幸せであるのだが、昌幸の場合これがまことの男子であったなら、と悔やまれてならないのは今更の話である。信玄の時代から昌幸の同胞である高梨内記が傳役となって鍛えられた武芸の腕も申し分なく、相変わらず源三郎や矢沢頼康相手に連勝記録を伸ばしていた。
 どちらかといえば学問の才が伸びつつある源三郎と、武芸に秀でた源次郎。二人が手を携えて国長として立てば、かつての武田のような隆盛も夢ではないかもしれない。幾多の国の存亡を見て来た昌幸ですら、そんな希望を抱いてしまうのだ。
 しかし、現実はそう簡単にはいかない。
 昌幸はひとつ咳払いをすると呼びつけた理由を話しだした。
 「沼田城が北条のものとなる話は聞いておるな?」
 「はい。徳川どのが北条との講和の条件として差し出したとか」
 「わしらが危ない橋を幾度も渡って守ってきた城の一つであったというのに、わしらに何の打診もないまま勝手に……しかも徳川はそれを当然の事だと思っておらぬ。あれでは同盟ではなくただの臣従。まことに腹立たしい話だ」
 「父上のお怒り、ごもっともでございます。矢沢の大伯父上も大層気落ちしておられると三十郎から聞いております」
 真田家や矢沢翁が執着してきた、そして苦心して奪い取り守ってきた城。それを徳川があっさりと駒として放ってしまったのだ。
 「わしとの対面の直後、あやつは小牧で羽柴秀吉と一戦交えた。織田の力をそっくり引き継いだ男との戦の最中に北条から背後を突かれぬよう、沼田をあてがって黙らせたのだ」
 昌幸の手が拳となっていた。真田が北条を裏切ってまで徳川と同盟を結んだのも、沼田を含めた所領をすべて安堵するため。それを反故にされて面白い訳がない。
 「だが、わしは転んでもただでは起きぬ。徳川はわしを都合のよい駒にするつもりであろうが、わしは反対にあやつの思惑を利用する」
 「何か策がおありなのですか?」
 戦はしないだろうと承知していたので、繁は落ち着いて耳を傾ける。
 武田家を見捨ててまで信濃を守り、此度も同盟相手を次々と変えてまで…裏切りに次ぐ裏切りを重ねて上杉・北条・徳川からのとばっちりを凌いだやり方にはまだ納得できていないが、事実、父の機転があって上田の地と真田家は守られている。田畑が戦で荒らされることもなく、農民は安心して野良仕事に専念できるのだ。
繁なりに馬の訓練を兼ねて領地を巡って知ったのだが、争いが駆け抜けた後の甲斐に比べたら真田郷のなんと平和で豊かなことか。領民は、真田がこの地を守ってくれると信じているため熱心に働いていたし、だからこそ収穫期になれば充分すぎるほどの食べものが得られるのだ。実りの季節に祭を行う農民の笑顔を見ていると、父は自ら憎まれ役を買って出てまで彼らを守っているのだと好意的な見方もできなくはない。物事を違った角度から見ることを、繁は領民から教わっていた。
 とはいえまだそこですべてを一括りにして達観することにも抵抗がある。葛藤のただ中にあった十七歳の繁は、荒ぶる気持ちをいったん鎮めて、父を含めた様々な者の選択を見極めながら何が正しいのかを模索しようと決めたのである。見識を広めるためなら、人質という形であっても他国へ出てみるのも悪くないと考え始めていた。
 源次郎の心中を知ってか知らずか、昌幸は本題へと進んだ。
 「内密にではあるが、おまえには『源次郎』として上杉景勝のもとへ人質に出てもらいたい」
 「上杉、ですか……?」
 「徳川と北条の同盟も確固たるものではなく、羽柴と一戦交えた徳川は敗けこそしなかったがかなり強引な条件での和睦を強いられている。西も東も不安定な中で、さらに北にはまだ上杉という敵がおるという事を徳川に知らしめるのだ。あやつの危機感を煽った上で……」
 「その上で?」
 「沼田の代わり、また上杉への牽制という名目で、この信濃の地に城を普請させる。無論、設計はわしが行う」
 「城、でございますか」
 「完成させられなかった新府城よりも強固で完璧な城だ。上田の海士ヶ淵あたりがよかろうて」
海士ヶ淵は千曲川の水運を利用して北の越前からの物資を信濃や北関東へ流通させるための中継地点である。武田信玄がこの地を重要視したのには、南北の戦の拠点となるだけでなく交易によって生じる利益が多大な軍資金をもたらしていたからという一面もあった。武田家滅亡の後、交易を取り仕切る役目や利益はこの地を受け継いだ真田家にそっくり引き継がれ、真田家も真田郷も随分と豊かになっていた。
その地に城を築けば、信濃の拠点となるだけでなく甲斐と越後の間に楔を打ち込むことにもなるだろう。しかし。
「ですが、それでは上田が徳川の出城になるだけなのではないですか?さすれば、いずれ徳川の配下に知行が渡ってしまう事もあり得るのではないかと」
 「最初はそう思わせておけばよい。だが」
昌幸は久方ぶりにニヤリと笑った。
 「上田も沼田も我が城とする」
 「何と!」
 「自ら築いた城であれば、地の利に明るくない徳川を追い返すなど造作もない。未完成に終わった新府城以上に頑強な城を造らせ、それを仇とさせるのだ。信濃に手出ししようと思わせない程に叩きのめす」
 源三郎たちには内緒だぞ、言えば止められるからな、と昌幸は人差し指を口の前に立てた。子供のような計画に子供のような笑顔。ゆえに本気だ。
 「……つまり徳川と手切れになった際の後ろ盾として、秘密裡に上杉と同盟を結んでおきたいのですね?」
 「そういう事だ。上杉は徳川と対立している羽柴秀吉を支持しておる。まだ情勢が動いていない今のうちに、姫ではなく倅を差し出す事で上杉の信を得ておきたい」
 そのような計画、というよりも思惑、たしかに兄や伯父たちに知れれば首根っこを掴んででも止められるだろう。そもそも、一旦は敵対しておいて臆面もなく『信』だなどと厚顔なことを。
 だが、繁には父の厚顔さが理解できるような気がした。武田勝頼は父から預かった国を守るため愚直となり死んでいった。すべてにおいて愚直なままでは生き残れないのだ。「何に」「誰に」愚直であるかを常に見誤らずに定め、そのためには厚顔だろうと何だろうと手段を選んでいられない。
 父は、今回は信濃の国衆に対して愚直になろうとしているのだ。
 一つ歯車がかけ違っただけで信濃国が徳川領か上杉領になってしまう位危うく、さりとて思い通りに行ったら行ったでえげつない策だが、先の戦で信濃の国衆を束ねた手前、徳川になめられた末に沼田を取られたまま黙っている訳にはいかないだろう。それに、計画というのは往々にして当初の構想どおりには出来ぬもの。少しずつ妥協という形で削られていくのだから、最初はそのくらい壮大な計画であっても良いのかもしれない。切羽詰っていない表情からして、昌幸も最終的な落としどころくらいは想定しているだろう。
 だが、それでも繁が上杉への出立をためらうのには理由があった。
 「父上のお考えに反論する事などいたしませぬが……その、上杉については良くない噂も耳に届いておりまする」
 北信濃から越後一帯を治める上杉家は、川中島での合戦を武田家と長年にわたって繰り広げたことで知られる国だった。謙信亡き後は彼の甥で養子でもあった上杉景勝が当主となり、跡目争いの禍根を力で払拭すべく手腕を振るっている。徳川や北条、西の豊臣なども簡単には手出しできない大国であった。
 敵であっても長年見えていると互いを認め合えるようになるのか、信玄と謙信は互いを好敵手として敬意を払っていたといわれる。甲斐の国が今川家から塩の供給を止められ窮地に陥った際に上杉が救いの塩を武田に贈ったという『敵に塩を贈る』逸話からも知られるように、戦という大局と個人的感情はまったく切り離すことができた潔さは痛快であったと源次郎も父からよく聞かされていた。
 国としてそれだけ清廉であれば人質に出すにも安心であるし、真田家にとっても先の戦での軋轢をどうにか収めることができ、まさに好機に好手を打つことになる。
 だが、それでも繁が二つ返事で了承できなかったのには理由があった。父親相手に話すのは気が引けたが、ことは自分の身にかかわるものなので繁はおそるおそる口にする。
上杉家については、家祖の謙信が実は衆道であり女に興味を持たなかったという噂は武士社会に身を置く者であれば誰でも一度は耳にした事があるくらい有名なものであった。謙信に実子がなかったことや、戦場での優雅な立ち居振る舞い、武将らしくない細見でたおやかな外見の持ち主であったことなどが根拠とされるが、火のないところに煙は立たぬ。謙信は五年ほど前に亡くなっていたが、その謙信が暮らしていた家、謙信の思想を受け継いだ景勝が暮らす城に入るとなると、多感な年頃の繁も背筋がざわざわしてしまう。

余談ではあるが、この頃は子孫繁栄の概念から武将は幾人もの側室を持つのが慣例であったが、女だけでは飽き足らず『お小姓』まで囲ってしまう武将も少なからず存在していた。
この場合の『お小姓』というのは、いわゆる『主を補佐する者』のことではなくもっと世俗的な意味を持っていた。ずばり衆道の相手である。
一夫多妻が通常であった時勢、夫がある日突然側室を持つことも珍しくなかったとはいえ、武士が遊女で気持ちを紛らわせる事だけはご法度であった。貴賤を問わず数多くの男を相手にしている遊女は特有の病気を患っていることも儘あるのだ。彼女たちに罪はないにしても、結果として病を伝染され命を落とした不運な男も少なからず存在している。ただでさえ生き延びてこその戦国において、一時の欲求を満たすために病を得て命を危険に晒すのは国主の振る舞いとしては失格であった。
かといって、たとえば遠征中であっても男の生理的な欲求はどうすることもできない。そこで臣下の中から歳も若く異性の経験がない『お小姓』が主の求めに応じるようになったのだ。主からすれば自分以外との経験がない男児相手ならば病の危険がほぼ無いし、何より子ができないので家同士の利害関係に縛られず交わることができる。お小姓からすれば、能く主に応えることで目をかけられ出世の好機につながる。文字通り体を張っての出世であるが。
勿論すべての武将がそうではなかったが、真実はどうであれ、見目のよい武士や身分の低い家から大抜擢されて異例の立身出世を果たした武将などはことごとくそのような噂の洗礼を受けるものであった。それらの真偽を堂々と公言する者こそないが、それゆえ人々の妬みと詮索好き、噂好きを止められるものではない。
そういった背景から、繁もまたどうしても上杉家には猜疑心を抱いてしまうのだ。
もしも、現当主の景勝が謙信の影響を受けて衆道を好む者だったとしたら。
女しか愛さない性分であったとしても、万が一自分の正体がばれた日には。
どちらも由々しいを通り越して洒落では済まされない事態である。うら若き乙女にとっては身の危険以外の何も感じない…まさに『虎穴』に単独で飛び込む心境であった。
 父親として、昌幸もそこは心配していることを正直に繁に打ち明けた。だが、それでもと念を押す。
 「徳川に信尹を出したように、此度も男子を差し出すことで上杉に誠意を示さなければならぬのだ。先の争いでは上杉も織田との戦の後ということもあって早急に手を引いてくれたが、今度はそうもいかぬだろう。どうか上手く切り抜けてもらいたい」
 もともと身の程を過ぎた野心などなく郷の周辺だけを守れればそれで良いと考えていた昌幸であったが、上田の地が周辺勢力にとって非常に魅力的な位置に存在しているがために、そして戦を重ねるごとに増えていく配下の国衆のために結果として武力の強化を余儀なくされた。そして今は南の巨大戦力である徳川と渡り合おうとしている。なりふり構わず今はとにかく足元を固めておかなければならないのだ。
 とはいえ、嫡男である源三郎は昌幸にもしもの事があった際に備えて信濃から出す訳にはいかない。昌幸の代と違って人質に出せる者が少ない中で我儘を言えないのは明らかであった。
 「おまえの身を守れるよう春日山城(上杉の居城)の城下に屋敷を手配するし、信頼できる伴は何人でも連れて行って構わぬ。おまえはそこで暮らし、上杉どのに目をつけられない範囲で務めを果たせ。いずれ天下が定まり、信濃と越後の関係が安定すれば適当な理由をつけて上田へ呼び戻すこともできよう。さすれば……どうにかならぬか」
 「はあ……」
 無茶苦茶な願いではあるが、城住まいにならないのなら何とかなるかもしれない。それに、と繁は考えた。人質の身分とはいえ、屋敷を与えられるのであれば事実上の独立となる。
 計算高い考え方をするならば、武田の宿敵であった上杉の考えや戦法を学ぶのは、この先の自分にとってもまたとない好機である。自身の秘密は自分でどうにかするとして、ここは父の命を受けておいた方が自分のためになると繁は考えて頭を下げた。
 「……そこまで仰るのでしたら、私も家のために働いて参ります」
 「おお、そうか」
 「はい……ところで父上、ひとつお訊ねしてよろしいですか?」
 「何だ?」
 「父上が設計なさる城は、よもや奇をてらって異国の造形を採り入れたりはしないでしょうね?」
 繁の問いにある本心を見抜いた昌幸は「ははん」と笑ってあしらう。
 「見た目だけきらびやかでも戦で使えぬ城は造らぬ。質実剛健こそが全てだ」
 だが躑躅は植えようか。武田の赤備えを思い起こさせる赤は大好きだ、昌幸はそうも言った。


 繁…源次郎の出立は雪が降る前、長月の半ばに決まった。いささか慌ただしい出立だが、それ以上遅くなると雪や霜で山越えが過酷になる上に先方での新生活の支度にも支障が生じる。
 源次郎たっての願いで、矢沢三十郎頼康および高梨内記の娘・楓が従者として越後へ同行する事になった。どちらも真田の縁戚であり幼馴染、繁の秘密を守ってくれる信頼できる者である。
 「本当に、わたくしなどがお供してもよろしいのでしょうか」
 まだ十三歳、信濃の外を知らない楓は困惑していたが、繁の正体を知られぬためには同性の侍女が欠かせないのだと説得されてようやく首を縦に振った。無論、佐助達も『つなぎ』として陰から見守ってくれている。何ら不安のない人質生活は、却って繁に期待を高めさせるものとなっていた。
 「本当は、あの子も村松のように育ちたかったのでしょうか」
 出立の日。わずかな伴を連れて真田山を下っていく繁の姿を、崖に面した城の庭から山手が寂しそうに見送っていた。
 「武家に縁を持って生まれたからには女であろうと人質暮らしや政略結婚で家のための戦い方を求められる時勢、違うのは姿のみとはいえ……おなごの身を偽りながら他国で武士として生きてゆく危うさを思うと不憫でございます」
 「いちど嫁いでしまえば、ときに実家と敵対してでも婚家と運命を共にしなければならぬからな……信濃国と真田の家を守るためにも、繁にそのような生き方をさせられなんだ」
 「自由に動ける身であらねばならぬと……村松のような幸せは得られぬのでしょうか。打掛に身を包み、紅を差したいとは思わないのでしょうか」
 武家の妻といってもあくまで家臣という分をわきまえ質素に暮らし、子を守り育て、源次郎の生い立ちも含めこれまで昌幸がどれだけ無茶を言っても従ってくれた山手が夫に初めて放った恨み言である。昌幸は「うむ…」とため息で応えるしかなかった。
 「山手にはすまぬ事をしたと思っておる。そなたの母親としての望みを、私の勝手で一つ奪ってしまった。だが、源次郎なくては今後の真田は成り立たぬのだ。……源三郎が『守る者』なれば、源次郎は『動く者』。攻守が揃って初めて真田は安泰となるのだ」
 「いえ……すべてわたくしの願望でございました。あの子が殿のお言葉に納得し、自らの意志で出たというのであれば止めることなど出来ませぬものを」
昌幸には理解できなかったが、母親にとって娘というのは特別な存在であるらしい。かけがえのない子であると同時に自らの分身であり、共感者であり、友でもあるように見えた。ゆえに巣立つ時にはもっとも幸せで輝く姿であってほしいと願うのは自然であるかもしれない。
そういった当たり前の願望を、調子者だった自分が奪ってしまった。真田家のためだと正当化できるのは、きっと外の者に向けてのみ。妻の前ではどれだけの言葉を並べても言い訳にしかならない。
 山手は堪えきれなくなって懐紙で涙を拭った。昌幸は山手の肩を抱き寄せようとしたが、肘下を上に向けたところで止める。
 自分には妻を慰める資格もないし、慰めることで自らの選択を悔やんではならないのだ。
 悔やんだところで取り返しはつかない。もう、後戻りはできないのだから。

 信濃の山は、年に二度、焔を上げる。
 春の躑躅に秋の紅葉。
 今年二度目の焔に彩られた上田の山々に見送られ、源次郎は砥石城から海津城へ続く峠道を進む。砥石城の裾野を横切る中山道から地蔵峠を下ってすぐ、旧武田領であった海津城から先は上杉の領内である。武田信玄と上杉謙信が十数年にわたって争い続けた川中島や妻女山も見やることができる。信玄も同じ景色を見ていたのだろうか。
 想いを馳せながら海津城から北へ進路を取り、小布施や飯綱を経て斑尾山、黒姫山といった信濃と越後を隔てる山々を縫うように進む。
 総行程で数日という短い道のり以上に速く流れていく季節を追いかけるように信繁が直江津の春日山地区に入った時には、すでに木々はこれから訪れる長い冬を耐え抜くためにすべての葉を落としていた。しかし、それゆえ山から北の方角にぼんやりと鯨海(日本海の旧称)が見渡せた時には感動を覚えた。
 ほんの数日北上しただけで季節を追い越してしまうのだ。改めて、日ノ本は広いと感じさせられた。東西南北すべてを山に囲まれた信濃や甲斐の国は、日の本という広大な手のひらにちょこんと載せられた盆のようなものであったと思わずにはいられない。これまで盆の中の世界しか見て来なかった源次郎にとって、越後の地は眼下の海のように新たな世界を知る機会を自分にもたらしてくれるのだろうか。
いや、待っていては何も得られまい。自分はこの地で何を得るべきなのだろう。

 城の天守が置かれる春日山の麓に用意された屋敷…後継がなく途絶えて空き家となっていた上杉家臣の旧宅を借りたものである…に到着したのが午前。父から言われていたとおり源次郎は館に入ると真っ先に使いを送り、新たな主となる上杉景勝に目通りしたい旨を伝えた。臣従の意が確かなものであることを証明し、自らの勤勉さを強調して主の心証を少しでも良くするためである。おべっか、と言うと聞こえが悪くなるが、真田家や信濃国全体の心証を良くする事を最優先に越後へ来ているのだ。そのあたりは処世術と割り切らなければならない。
 だがそのような立ち回りも、初めて自分だけで暮らす屋敷に入った途端に面倒と思えなくなるくらい源次郎の心は躍っていた。三十郎や楓が「主の仕事ではない」と止めるのも聞かず、自ら床拭きに精を出すくらいに。
 城からの返事はその日のうちに届けられ、翌日…つまり今日、景勝への目通りが叶うこととなった。
 屋敷を訪れた案内役について落ち葉の中を進む。
 上杉の旗印『毘』の幟が立ち並ぶ山道は、山麓の中屋敷から通う信繁にとってこれから毎日の通勤路となる道である。上田の真田本城も険しい山の頂にあったが、規模も勾配も、そして距離も地方の一領主の城と国主の城とでは大違いであった。広大な敷地を持つ平城だった躑躅ケ崎城と山頂にあった真田本城を併せたような強固な城。父が築いていた新府城も、完成すればこのような城になったのだろうか。
 「真田どの、そう緊張なさるな。殿は温和なお方ゆえ」
 案内役の直江兼続は、初めて春日山城に入る源次郎の緊張をほぐそうとしきりに気を遣ってくれた。
 直江という男は景勝の近侍として内政や外交までこなす敏腕だと聞いていた。源次郎より七つくらいしか年長でないにもかかわらず、若くして大国の重要人物となるくらいだからどれほどの切れ者かと緊張していたのだが、実際会ってみれば兼続は実に気さくで飾らなく、真昼の日差しのように明るい顔をしている好人物であった。ただし少々せっかちな性分のようで、赤茶けた落ち葉が積もる春日山の険しい上り道を草履でせかせかと歩いては何度も足を滑らせ、そのたびに「おっと」と声を上げてたたらを踏んでいる。人質の緊張をほぐそうとしてわざと大げさな所作を見せるあたり、根っから陽気で面倒見のよい気質なのだろう。
 「直江さまは、いつから春日山におられるのですか?」
 「拙者は四歳の頃から人質として殿のもとにお仕えし、殿が上杉の当主に立たれた際に小姓から近侍にお引き立ていただいた。親元を離れたばかりの頃は帰りたくて仕方なかったが、畏れ多くも殿とご一緒に育ち、謙信さまから学問や武芸を学べたことは拙者にとって何よりの自慢だ」
 「殿とご一緒に……」
 「謙信さまは亡くなられ、殿(景勝)も内外に苦労を抱えての船出であられた。ご幼少のみぎりより殿を知る身として、拙者はこの先も一生殿にお仕えしとうござる。殿をお支えし、上杉の家を盛り立てることが拙者の天命だと信じているのだよ」
 胸を張って語る直江の顔は誇りに満ちていた。この裏表のなさそうな侍が目を輝かせている姿がことさら眩しく見える。兼続は心から主を慕っているのだ。上杉景勝と直江兼続は、源次郎・源三郎と武田信勝のような関係であったのだろう。もし武田が滅びず安泰であったなら、きっと今頃は自分も同じ目をして武田家に仕えていただろうと思う。
 自分と良く似た生い立ちを聞かされ、源次郎はこれから目通りする上杉景勝や直江兼続に好意的になった。
 山の中腹、城下と城内を隔てる千貫門を守っていた武士が、兼続の姿を見てさっと道を開ける。兼続も親しげに「ご苦労さん」と片手を上げて挨拶した。
「兼続さま、お役目ご苦労様です」
 「うむ。城下に変わりはないか?」
 「はい。今年は良い米が出来ましたゆえ、農民もみな活気づいております。近いうちに殿にご賞味いただく新米の献上に来るとのことですので、後程詳細をご覧ください」
 「わかった。殿もきっとお喜びになるだろう」
 「して、そちらのお方は?」
 「今日からこの城に仕える真田源次郎どのだ。明日から毎日城に通われるゆえ、よろしく頼む」
 「どうぞ、よろしくお願いいたしまする」
 源次郎は丁寧に頭を下げた。
 「こちらこそ、よろしく頼みます。越後は良いところでございますゆえ、分からぬ事があれば何でも訊いてくだされ」
 直江の人柄に感化されたような門番は、人なつこく笑ってみせた。よく見れば手や衣は土で汚れている。どうやら畑仕事と門番を兼業しているらしい。

 門を過ぎて狭い石段を上ると、平らに開けた土地が現れた。二の丸のようである。重臣の家屋や宿直の詰所、手習処や道場とおぼしき建物が斜面に貼りつくように並んでいた。斜面を囲むように土塁と廓が構えられ、空いた土地には畑だけでなく花畑も存在していた。
 「見事であろう。これから向かう本丸の毘沙門堂や護摩堂の敷地にも四季折々の花が植えられている。登城の楽しみの一つになるだろうな」
 「空いた土地をこのように使うなど……私の里では考えられませぬ」
実用本位に徹した真田本城では山の中腹、本丸のすぐ足元まで切り開いて畑にしていたことを考えると、源次郎の感覚では作物を作れる土地に敢えて花を植えるなど贅沢な土地の使い方としか思えてならない。屋敷は流石に躑躅が植えられていたが、それも外との境界を示すため、実用本位のものだった。躑躅ケ崎館はどうであったかと記憶を手繰ったが、まだ幼かった源次郎の目線では鬱蒼とした山の至るところに水堀や土塁、石垣が積み重なっていた景色しか思い出せなかった。
 「ははは、そうであろう。前のお館様(謙信)が極楽浄土を思い描いて整備させたそうだ。野菜や米は麓の平地でもふんだんに採れるし、海の幸の恵みもあって糧食に困らないからこそ為せる業であろうな」
 手習い処から出て来た子供侍たちが兼続を見つけ、一斉に駆け寄って来た。
 「かねつぐさま。次はいつ算術を見てくださるのですか?」
 「明後日の午前に参るぞ。そなた達がどのくらい上達したか見てしんぜよう。しかし学問だけでなく武芸も怠るな。本丸での御前試合が近いゆえ、しかと鍛錬しておくように」
 「はい」
 それは源次郎の幼い頃の記憶と同じ、懐かしい光景だった。国同士では争いを繰り返しているが、こういった子供の修練や仲間との交流はどの国でも同じように繰り返されているのだ。あの子らも長ずれば出陣し、戦の不条理を見た挙句に無残な姿を野に晒す者も出るかもしれない。自分だって、何年か後にはそうなっているかもしれない。命とは何と無常なのかと胸が痛んだ。
 それにしても直江兼続の人望は広い層にわたって篤いようである。真田にこのような者はいなかった。周辺国の争いをせわしなく渡り歩いた父は、肝心なところを他人任せにしなかったからである。
 「直江さまは、皆から慕われていらっしゃるのですね」
 「そう申されると照れてしまうなあ。ここには人質からそのまま仕官した者が多いのだ。お館様が領土を得た際に『人は財なり』と仰って人質は処刑せずそのまま召し抱えたからな。先ほどの武士も、あの子らも皆そうだ。だから誰も彼も拙者の幼少期を見ているようで放っておけないのだよ。源次郎どのも、拙者に出来ることであれば力になるゆえ困った事があれば何なりと相談してくだされ」
 人は財なり。
人は石垣。
 やはり信玄と謙信は心の根が似たものであったのだろう。あるいは、それが天下に名を馳せる者の器という事なのか。

 二の丸を突っ切り、そこからさらに山道を上る。その頃から源次郎は足元がふらつき始めた。
実は、源次郎は昨夜から月のものを患っていたのだ。昼間張り切りすぎたのかもしれないし、無意識の緊張もあったのかもしれない。
男子として武芸を仕込まれ一端の武士となったところで、独立して最初に立ちはだかった壁が女特有のものとは不甲斐ないと嘆いたところで来るものは来るのだ。
 源次郎…繁は初潮を迎えてから今までは上田の屋敷にいたので、毎月こういった時は母や屋敷の女中に甘えて部屋に籠って薬湯を頼むことができた。しかしこれからは体調が悪くても隠し通して出仕しなければならないし、戦となれば如何なる時も参戦せねばならない。勿論他の者に知られてはならない。そういった緊張感と長旅の疲れからか、今月はいつもより症状が重たく感じられる。粗相があってはならないと厳重に巻いた帯も苦しくてならない。
 貧血で頭の芯がぼんやりと薄れる感覚を気力で堪え、源次郎は城を目指して歩いていた。だが、ついに二の丸から本丸へ続く大手道の手前で、ついに源次郎は目が回って座り込んでしまった。
 「おい、真田どの。大丈夫か」
 四、五歩先を歩いていた直江兼続が気づいて抱き起すが、手足が自分のものではないかのように力が入らない。
 「大丈夫でござる……」
 「大丈夫なものか。顔に血の気がないでござる。長旅と昨夜の冷え込みで疲れが出たのでござろう。拙者の館が近くにあるゆえ、そちらへ参ろう。妻に言えばよしなに計らってくれるでござる」
 「いえ、この場にてしばしの休息をいただければ平気でございます。殿をお待たせしては申し訳ございませぬ」
 「遠慮なさるな。さあ」
 世話焼きな兼続は、へたり込んでいる源次郎の肩を抱えるとそのまま大手道から外れて二の丸の縁を歩き、自分の屋敷へと案内してくれた。
 「人の体躯をどうこう申すのは失礼やもしれぬが、源次郎どのは武士にしては随分と軽うござるな。」
 袴や鎧のおかげで普段はそう見えないが、やはり直接触れられれば男女の体格差が如実に現れる。兼続の腕にすっぽりと収まってしまった源次郎を見て、兼続は『甲斐が武田の修練はかなり荒っぽいと聞いておるが、よくぞまあこの細身でこなされたものだ』と妙な感心をしていた。
 「そ、そうでござるか?……もともと小柄な家系ゆえかもしれぬ」
 「鍛えておられるとは思うが、しっかり食って体力をつけねば越後の冬は越せぬでござるぞ」
 「面目ない」
木立を抜けた先にある静かな屋敷に着いた兼続は声を張り上げた。
 「お船。お船はいるか?」
どうやらそこが直江家の屋敷らしい。門をくぐる際、兼続の肩ごしに本丸とおぼしき建物と『毘』の幟がちらりと見える。建物の裏手にある石垣の上はもう本丸なのだろうか。
 そして竹林に囲まれた屋敷の奥からつかつかと足音が聞こえてきたと思うと、女性の声が兼続を出迎えた。
 「まあ、旦那様。いかがなされました?」
 「お船、こちらの客人を介抱してさしあげてくれ。殿の許へ向かう道中で具合を悪くされたのだ」
 「それは大変。心得ましてござりまする……さあさあ、どうぞこちらへ。いま薬湯を用意させます。どうぞお召し物を緩めて楽になさいませ」
 兼続は源次郎を抱きかかえたまま客間に通すと横にさせた。奥方は廊下を駆けまわり、女中を呼んであれこれと指示を出している。その順番を追いかけるように、源次郎のもとへ枕や夜着、水桶が続々と運ばれて来た。
 それらを見届けた兼続は『後は任せた』と告げて客間を出る。
 「殿には、源次郎どのは長旅で体調を崩されたと拙者から伝えておく。大丈夫、そのくらいで腹を立てるようなお方ではござらぬゆえ。では、ゆるりと過ごされよ」
 「行ってらっしゃいませ」
 兼続は、入ってきた門ではなく庭を突っ切った先にある裏門から出て行った。竹藪の向こうに小さな石段が見える。やはりその先が本丸らしい。
 直江の屋敷は山の頂の手前、本丸の真下にあり、本丸を挟んで左右を上杉景勝の屋敷と直江家屋敷とで守るように位置していた。城内のどこで何があろうと真っ先に駆けつけられるよう、本丸だけでなく城内のどの廓にも、そして山麓へもまっすぐ下りられる立地である。それだけ上杉家が直江家を重用し信頼していたという証でもあった。
 「さあ、お客様はどうぞごゆっくりとお休みくださいませ」
 屋敷の客間からも付近の山々の向こうに海が見渡せる。物見も兼ねた合理的な住居、と言えば聞こえは良いが職と住が接近しすぎて公私の境目がほとんどない。しかしそれもまた武士の名誉。鱗が剥がれるように家臣が離れていった武田を思い、源次郎は武田にもこのような家臣がいれば今頃はまだ栄達のさなかにあったのではと思いを馳せ、眠りへと落ちていった。

 半刻ほど眠っただろうか。源次郎が目を覚ました時、傍で女中とともに見守っていたお船と目が合うとにっこり微笑まれた。
 「ご気分はいかがですか?」
 「だいぶ良くなりました。見苦しい姿をお目にかけてしまい、面目次第もございませぬ」
 「いえ。困った時はお互い様、ですわ」
 お船の勧めで、あらかじめ用意してあった座布団と脇息に移る。動きやすさに目をやれば、衣は脱がされ小袿姿であった。帯も新しいものに替えてくれている。
 「!!」
 咄嗟に胸元を隠すように腕を縮めた源次郎を見て、お船は「ご心配なく」と微笑んだ。
 「わたくしが衣を緩めさせていただきましたが、大丈夫ですよ。そのお姿でいらっしゃるのには理由があるのでしょう?誰にも知られたくない事なれば、旦那様にも内緒にしておきますゆえご安心なさいませ」
 「ですが直江さまに黙っておられるとなると、奥方さまのお立場が……」
 「どこの夫婦だって秘密の一つや二つくらいございますわ。今更一つくらい内緒事が増えたって、どうという事はありませぬ」
 「……かたじけのうございます」
 「さ、薬湯を召し上がれ……ああ、もし侍女をお連れでしたら、明日にでもわたくしの許へ寄越してくださいな。この薬湯の作り方を教えて差し上げます。とても効きますのよ」
熱すぎず温すぎずの薬湯は飲みやすいよう甘葛の味がついていた。その気配りも源次郎の心を温める。
 源次郎が薬湯を飲み終えて一息つくのを見計らってから、お船が切り出した。
 「信州より客人がいらっしゃると旦那様より伺っておりましたが、あなた様のことですの?」
 「はい。昨日、中屋敷に父が手配した館に到着いたしました」
 「それは大義でござりますわね。昨日のご到着で今日の出仕となれば、さぞお疲れでしょう。苦い薬湯だけでなく、どうぞ甘いものでも召し上がってお行きなさいな」
 「恐れ入ります。ですが、休ませていただくだけでも有難いのにそこまでお気を遣わせてしまうのも却って申し訳のうござりますので、どうぞお構いなく」
 「ご遠慮なさらずに。ちょうど加賀から珍しい茶菓子が届いたので、ご一緒にいただきましょう」
 「加賀とは、もしや前田家の」
 前田家といえば上杉家と並ぶ大国の主であり、かの織田信長に重用された日の本の重鎮の一人である。武田の一家臣にすぎなかった真田家からみれば雲の上の人物であり、そんな前田家の名をまるで隣人のようにさらりと言ってのけられた源次郎は改めて上杉家と直江家の格を思い知らされる。しかし当のお船の方は、そのようなことなどまるで洟にかけていなかった。
 「ええ。前田の大殿さまの甥御さまが御中城様(景勝)のもとにいらしているので、奥方のまつさまが御中城様と直江家とにお土産をくださったのです。今、お持ちいたしますわね」
 お船の明るく世話好きな性分は兼続と同じである。似たもの夫婦、という俗語を思い出して源次郎の心が和んだ。
 「さあ、どうぞ」
 加賀の茶菓子は源次郎にとって初めて見るものであった。工夫をこらして細工した餅菓子に赤や黄の色がついている。加賀の当主・前田利家は茶の湯を大いに奨励し自らも学んだというが、このような菓子を造る職人を育てる風土はさぞ心が豊かなものなのだろうと思われた。越後へ来て二日目にして、源次郎は自分が上田を出てきて正解だったと思う。菓子ひとつからでも自分の知らない世界を伺い知り、上田の中で起こっている出来事だけが全てではないと知ることができたのだ。
 戦乱の時代とはいえ、世はけっして殺伐としているだけではない。
 「道中ご案内いただく折に拝見いたしましたが、直江さまはこの城になくてはならないお方でございますね。どこへ行っても直江さまの周りには自然と人々が集まっておりました」
 これもまた珍しい桜湯をいただきながら…縁あって客人として迎えた者に対して『茶を濁す』という言葉を連想させる茶を出さないのはお船の心遣いなのであろう…源次郎は感心していた。客人の接待には細やかな気配りがなされているが、よく見れば屋敷の中は質素そのものである。お船が身につけている着物も名のある武家の奥方にしては地味なものであり、ところどころ繕った跡も見られた。かといって貧しいという訳ではない。庭の手入れは行き届いていたし、屋敷の中も小奇麗でさっぱりしている。客間に架けられた漢詩の掛け軸には兼続の花押。その達筆ぶりは、兼続の教養の高さと趣味の高尚さをうかがわせる。
 「いえいえ。当たり前の事をしているだけですのに勿体ない」
兼続が日頃から質素倹約を掲げていたおかげで、後に上杉が会津へ移封となった後も財政管理に成功したのだということを源次郎は後になって知ったのだが、その時には兼続の屋敷の質素さを思い出して納得したのである。しかしその倹約は誤解されがちな『けち』ではなく、日々の暮らしの中で分相応を忘れず心がけと工夫を凝らしていれば心を豊かに保てるということを自ら実践しているのだ。庭や屋敷の手入れは農閑期の領民や農作業のできなくなった老人に出来る範囲での仕事を頼み、彼らに相応の手当を支払うことで生活の糧を与えているという。作物が獲れない年は城内の修繕・城や毘沙門堂の整備から幟の繕い仕事、花畑の手入れまで、とにかく領民に仕事を与えるために奔走しているのだった。
 そういった生活をまるで苦にする様子もなく、お船は夫が褒められたことをまるで自分の事のように嬉しそうに笑って『ありがとうござりまする』と感謝した。
 「兼続さまは、ああして御中城様や越後の民のために働くことを天命と信じていらっしゃるのです。わたくしはそんな旦那さまをお支えするだけですわ」
 源次郎には絶対に真似できないような、女性らしい穏やかで幸せそうな笑みが、本当の幸せとは金では計れないものだと語っていた。さもありなん、と源次郎は考える。兼続のような男と添い遂げ、穏やかに日々を過ごせているのだから。
 上田にいる母が不幸せだとは勿論思わないし、実際そのような愚痴をこぼした姿を見たこともなかったのだが、常に腹の奥で何かを目論み計算している男を心から信頼しているのだろうかと訊いてみれば良かったと思った。もしも自分が母の立場だったら、父の策略や裏切りの数々に不信感を抱いてしまうかもしれない。
 それにしても。自分がまことの姫であったのなら、兼続のような良人と生涯をともにできたのだろうか。
 穏やかで幸せな時間に憧れると同時に、いや、とすぐに自分の幻想を否定した。思いもよらぬ形で恋におちた姉の結婚が認められたのさえ、相手が北条との『つなぎ』になり得たからである。あの父が、何の計算もなしに源次郎を嫁がせることはない。あの父にとって重要なのは人柄や本人の意思ではなく、その縁組がいかに真田の家に効果的であるかという事のみなのだ。
 この時代、政略結婚は何も珍しくなかったが、それでも子孫繁栄などを考えて互いの年齢などは考慮するものである。だが中にはそういった縛りを無視した縁戚関係も山ほど存在する。相手が好人物か正室ならばまだしも、側室として花園に咲く花の中の一本にされるかもしれないのだ。主の気が向くまま手折られ、飽きれば枯れるまで放置される。子だけは政争の道具として取り上げられて。
 (そんなのはごめんだな。……私は自分で選んだ相手を良人にしたいし、相手にも私を愛してほしい。兼続どのとお船さまのように睦まじく暮らしたい)
 それが栓ない考えであることは承知である。このまま武士として生涯を過ごせば生涯独身で終わるのだ。
 そうする覚悟は元服時にできていたが、やはり本当に自分はこのまま男として一生偽りの人生を送ることになるのだろうか。それとも、いつか本来の姿に戻る日が来るのだろうか。
 開け放たれた窓の向こうで、人の目を楽しませる役割を終えて枯れた紅葉がはらりと風に舞った。自分はどういう枯れ方をするのだろう。源次郎は小さくため息をついたのだった。


 源次郎の体調が戻り、連れて来た者達も屋敷の中にそれぞれの居場所を定めて落ち着いた頃。改めて、源次郎は春日山城の本丸にて上杉景勝に目通りしていた。
 「よう参った。私が上杉景勝だ」
 先に兼続から聞いていたとおり、屏風が据えられた上段に座っている景勝は穏やかで柔和な、立腹とは無縁そうな印象の者であった。景勝は親族の中でもっとも謙信に面差しが似ているため謙信から大層気に入られていたというが、だとしたら謙信がこの風貌で武田信玄のような猛将と渡り合う姿が想像できない。
武田が明王なら上杉は菩薩に喩えられるだろうか。
 「真田源次郎信繁にございます。先日の非礼はお詫びのしようもございませぬ。今後はあのような振る舞いを二度とせぬよう身体を鍛え精進してまいります」
 「構わぬ。新たな土地での緊張は誰にでも起こることだ」
 「恐れ入ります……では早速でございますが」
 こちらを、と父からの書状を捧げると、兼続を経て受け取った景勝はざっと目を通して「相分かった」と兼続に戻す。良きに計らえという事なのだろう。
 「ところで、そなたの剣や槍の腕前は流石に武田仕込みであるな。基本に忠実でありながら、越後武士自慢の機動力に対しても臨機応変に反応することができる。決して怯まず勝機を見極めておる冷静さも天晴。このような逸材を越後に遣わしてくれた真田どのに感謝しなければ」
 景勝は上機嫌であった。源次郎は深々とひれ伏す。
 目通りの前、待ち時間があった源次郎は春日山城の道場にて腕試しと称して上杉家の家臣と手合せを行っていたのだ。体調が完全に戻っていた源次郎はここで得意の槍さばきと剣技を披露し、挑んで来た者すべてに一本勝ちするという離れ業をやってのけた。それを景勝が見ていたらしい。
 「殿からお言葉を賜るなど、身に余る光栄にございまする」
 「それだけ熟練しておれば、すぐにでも一部隊を与えたいくらいだ。のう、慶次どの」
 「おう。俺の若い頃にそっくりだ」
 「そうであるか?そなたのような誰もが道を開けるほどの傾奇者はそうは居ないと思うが」
 「ははは。俺の傾奇に勝てる者なんてこの先も出てこないだろうよ。だが槍だって今も負けない自信があるぞ?」
 「槍の又佐仕込み、か。だが止めておけ。もう若くないのだ、昔の心持のまま若者相手に手合せすると腰を痛めるぞ」
 「人生五十年、俺は寿命まであと十年切った年寄りだというか?まったく、誰もが通る道だってのに……というか、どこの仏さんだって俺の迎えなんて来たくないだろうさ」
 居並ぶ家臣のもっとも上手、景勝のすぐ傍で胡坐をかいていた中年の武士が膝を叩きながら笑う。上杉景勝より年長のようではあるが、陽気で鷹揚、自由気儘といった単語をそのまま具現化したような形(なり)の趣味は景勝より若い。忌憚なく言ってしまえば派手で、長く見ていると目がちかちかする。
 その男が、先日お船が話していた『前田家の甥御』なのだろう。
慶次と呼ばれた男は獅子のような長い総髪を赤い組紐で無造作にまとめ、衣服も裃ではなく、鮮やかな織地の入った山吹色の着物に女物仕立ての黒い錦帯、その上に童が使う兵児帯を大人用に長く仕立てて茜色に染めたものを脇腹で結んで端を長くだらりと垂らしている。さらにその上から、金糸銀糸で花鳥風月を織り込んだ若竹色の打掛を肩掛けでまとっているのだ。服装の趣味を粋と取るか無粋とするべきかは源次郎には分からないが、厳粛な雰囲気の中で明らかに浮いた風貌に誰も異を唱えないのは彼らにとってそれが日常となって久しいためだろう。
 後で源次郎がひそかに情報を集めたところによれば、この慶次という人物こそ前田利家の義理の甥である前田慶次(前田利益)であり、上杉謙信の時代から半浪人の風来坊として前田家と上杉家、京都や大阪を行ったり来たりしつつ、各地の戦で主を失い野に下った浪人達を拾って来ては『組外衆』として束ねつつ各地の戦に参戦していたという。家督を継がなかった身の気楽さからか、それとも家の格や生まれた順番で生涯が決まってしまう時流に対する反抗心から、若い頃は悪童を指す『傾奇者』と呼ばれその奔放さがもたらした数々の逸話やそれらから派生する武勇伝までが民にまで面白おかしく伝えられていた。何事にも斜に構える性分は年齢を経ても変わらず、今でも袴ではなくあのような奇抜な衣服を好んでまとっているらしい。
だが何よりも源次郎が驚いたのは、慶次の年齢は景勝より十歳ほど年長、源次郎の父昌幸と同年代だった事である。
 とはいえ前田慶次はただの傾奇者にあらず。長い放浪生活に終止符を打って上杉家に身を落ち着け、会津まで景勝に付き合う事になるのだが、それは源次郎が越後を去った後の話である。
 優雅な景勝と剛毅な慶次はまるで対照的であったが、互いに自分にはないものを持っている者同士で気が合うのだろう。景勝は少し意地悪そうにニヤリと笑ってみせた。
 「そなたを迎えに来る者、か……たしかに人選が難航しそうだな。みな返り討ちを怖れておりそうだ」
 「おうよ。幾つになっても人生楽しく派手に生きなきゃ損、迎えなんてくそくらえだ。……そこの源次郎とやらも、年頃なんだから武芸だけじゃなく男を磨いてみたらどうだ?きっと婿の話が引きもきらない男前になるぞ?」
 「婿、ですか……」
 まったく考えていなかった話に、源次郎はきょとんとする。婚姻したくても、源次郎は妻を娶れないのだ。
 どう答えたら良いか分からない困惑を察したのか、景勝が笑って扇を振った。
 「源次郎はまだ武士として育ちざかり。祝言などまるで想像もつかないでござろう。……しかし源次郎よ。既に武術をひととおり修めているのなら、それを伸ばしつつ越後では歌や楽、それに茶道を学ぶのも為になるかと思うのだが」
 「わ、わたしのような田舎侍がですか?」
 「力のある者は自ずと頭角を現すものだ。そして人の世とは奇遇と見せかけた必然で出来ていると私は考えている。その上で…朝廷をさしおいて天下を争う武士の行いとしては矛盾しているが、大物と呼ばれる武士ほど実は熱心に歌舞や茶道を学んでいるもの。どこへ出ても恥ずかしくない振る舞いは、この先の人生において如何なる相手にも侮られぬよう身につけておくべきであろう」
 「は、はい……」
 わが身を顧みれば、たしかに真田家はこれまで武田の家臣であったため武功さえ上げればよしとする家風があり、家にある書物は兵法一辺倒、書も武士として必要最低限の文と句を詠む程度、それも辞世の句に困らないよう学んでおくだけという有様であった。後は処世術と天性の勘だけで動いていたのである。源次郎は武田家で直々に学んでいたので手習いの基礎はできていたが、それ以外の『武家のたしなみ』についてはまったくと言っていいほど心得がない。母の山手が時折茶を点てていたが、差し出された碗を右に回すかそれとも左だったかも記憶が定かではない。書も覚束なく、まさに田舎侍そのものであった。
そんな田舎侍一家が、徳川や上杉のようにはるか格上の者相手によくぞここまで生き抜いて来られたものだと源次郎は思ったが、さらに大大名達と渡り合うことも避けられなくなりつつある今、自分もこの先随所へ人質に出される事となるだろう。貴重な勉強ができる機会を与えられるのなら、ぜひとも学んでおきたい。
 「この越後には、わが養父謙信が庇護した者がたくさん暮らしているゆえ講師には困らぬ。ちょうど新参の家臣達にも雅を学ばせたいと思っていたところ、源次郎も通ってみるが良い」
 「願ってもない機会をお与えくださいまして感謝の言葉もございませぬ。よろしくお頼み申します」
 「よい返事、そして意欲であるな。さすが信玄公に見出されただけのことはある。いや、童であった頃に私のもとに居れば、私も自分の手でそなたを鍛えてみたかった。そなたの力に磨きをかければ、将となる事も夢ではなかろう。その器は既に持ち合わせているようだが、慢心することなく、これからも精進せよ」
 「ありがたきお言葉。この源次郎、お館様のご期待に応えるよう心血を注いでまいります」
 目通りするまでは宿敵が見出した兵を快く思わないのではと懸念していた源次郎は、景勝の懐の深さに恐れ入った。まさに大大名の器である。人質の話を受けた時に感じていた不安は杞憂であったと安堵もした。
 そしてそのような人物から将の資質があると言われた事も、また源次郎の心を舞いあがらせていた。
 (わたしが『将』か……考えたこともなかったな)
 山を下り、中屋敷にある自宅に戻ってからも、源次郎はずっと自分はどんな『将』になりたいのかを考えていた。そのことについては初めての思索である。
 これまでは、叔父の信尹のように人質生活を続けるか、源三郎の許で参謀となって一生を地味に終えるのが、出生を偽っている自分にとって最も相応しい生き方だと思っていた。しかし、他人から認められることによって伸びる若者は『将』という栄誉に心の奥の火を灯されたような気持ちになるものである。
この世に生を享けたのだから、自らの手で歴史に挑んで真田源次郎信繁の名を刻んでみたいとも思う。
 そしていつかは、最大の師である武田信玄のように、自分はなれるだろうか。
 無理だと否定する心と、挑んでみたいという心が葛藤する。信玄から教えられたことを最大に活かすのであれば、武士として名を上げ各地の武将と渡り合ってみたい。父のように策略で相手を崩壊させるだけではなく、自分の力で戦ってみたい。
 けれど、それでは自分の出自を隠し通すことが難しくなる。やはり目立たず粛々と、いつか上田へ戻る日を待ち続けるのが賢明なのだろうか。
 葛藤を抱えたまま、源次郎はただひたすら上杉での武芸や学問、たしなみの稽古に打ち込んだ。自らの人生がどう転んでも、そこで躓いたままにならないように。


 「十のうち六は勝ち、残り四の中でもさらに九は引き分けている」
 具体的な数で聞かされると、いかに上杉が戦上手であったかを知ることができる。
上杉視点からの講義は、武田こそ最強と信じて疑わなかった源次郎にしてみれば価値観が根底からひっくり返るほどの衝撃でもあった。物事は、多角から見るだけでなくそれによって得た事実を受け入れることが肝要だと知った。
 「上杉の戦の中には、他国からの援軍要請によるいわば『代理』の戦と呼べるものも数多くあった。はるか東の上総国まで赴いたこともある。それらはすべて上杉の利になるための戦ではなく、『義』にもとづくものであった。謙信公以来、上杉は『義』を何よりも重んじておる」
 毘沙門天が鎮座する堂。元服したばかりの若侍に混じって、源次郎は兼続の講義に耳を傾けていた。
 人質生活といえば、かつて沼田で経験したような部外者であり腫物扱いされるのかと思いきや、越後では薫陶と言っても過言ではないような扱いである。打てば響くような受け答え、槍術については上杉の武士に武田流の槍さばきを惜しげもなく指南する源次郎を気に入った景勝が様々な機会を与えてくれているのだ。源次郎も、信濃に居ては到底知り得なかった国外の事情を知る良い機会とばかりに熱心に通っている。
 「本日は、上杉がなぜ織田と敵対していたか、そこからの話である。知ってのとおり、先のお館様は毘沙門天の生まれ変わりを自負しておられた。実際、戦神の如く戦い、毘沙門天が多聞天とも呼ばれている如く戦況をよく集め、分析し、常に冷静な判断をしておられたお姿はそう名乗られるに相応しいものであったと皆が認めておった」
 だが、と兼続は教本をめくる。
 「織田信長は神仏を否定し、自らの上洛の障壁となっていた高野山の僧兵を虐殺、本願寺においても目を覆うほどの殺戮を行っている。越前の本願寺門徒も虐殺された。御仏を篤く信仰する謙信公は、そういった行いに激怒しておられた」
 講義がどうしても上杉寄りになってしまっている、と源次郎が感じた頃合を見計らうように兼続は息を吸った。
 「……もっとも、これは我が越後とお館様の側に立ったものの見方である。結果として織田が天下布武を発することができたのは織田が戦上手だったからであり、恐怖だけでない天性の威圧感や徹底した実力主義をもって従う者の心を捉えていたからであろう。敵とはいえそこは評価せねばならぬが、それゆえ越後周囲はいまだ不安定に揺らいでおるのが現状だ」
 「謙信公があくまで織田と敵対する道を選んだからでございますか?」
 遠慮なく質問した源次郎の周りの空気が引き潮のようにざわついたが、兼続は 「その通りだ」と冷静に返す。
 「越中から京にかけてを治める佐々成政・前田利家・柴田勝家といった者はすべからく織田方であり、特に柴田勝家は信長に命じられて越後を脅かしていた。南には武田も居る。上洛がきわめて難しいものとなってもなお謙信公は信長公と手を組むことはせず、越後西方の守りを固めながら武田や北条と争う事で東方への活路を見出そうとしておられたのだ。沼田を押さえたかったのも、東への道を拓く一環である」
 領土争いはけっして支配欲だけで行われるものではないのだと源次郎は学んだ。大局で見てしまえば、信濃がいかに小さいかを思い知らされる。しかし攻め込まれる方とておいそれと領土を明け渡す事などできない。その地に暮らす民、そして従ってくれる家臣達の働きを忘れてはならないのだ。思惑が複雑に絡まり合い、そこへ真田家のような者が加わることで元がどうであったか分からなくなる程の混乱がもたらされる。蟻のごとく小さな勢力に過ぎない真田昌幸が大勢力の間を渡り歩きながら信濃を守り抜いたのも然り。善悪などなく、いずれも正義なのだ。
 「勅命から間もなく亡くなられたため叶わなかったものの、信玄公は足利将軍家から織田討伐を命じられたと学んでおります。歴史に『もしも』はございませぬが、信玄公と謙信公がともにご健在であられたのなら、手を携えて織田に立ち向かう事もあり得たかもしれませんね」
 「そうであるな。謙信公は義に篤いお方だったゆえ、そこに自らの信ずる道さえあれば敵であった者と同盟を結ぶことを苦とされなかった……が、時間を戻すことは誰にも出来ぬ。織田も本能寺で討たれた。我々が出来るのは過去を踏まえた上で現状を見据え、この先周辺の国がどう動くかを先読みしつつあらゆる事態に備えることである」
 ここから先は現在の越後を取り巻く環境である、と兼続は顔を上げた。まだ教本に記されていない出来事であると。
 「清州での話し合いの後、羽柴どのは賤ヶ岳にて柴田勝家公を滅ぼした。当初は前田どのや加賀の一向一揆を鎮めた『鬼玄蕃』佐久間盛政どのといった織田屈指の武闘派大名が味方についていた柴田公が有利とみられていたのだが、両者の間を和睦へと取り持っていた前田利家公が柴田どのの説得を諦めて羽柴方についたのが大きな転換点となったのは間違いない……それだけ柴田どのは頑なであったのだが、時勢を見誤り引くに引けなくなったという感が否めないと私個人は考える」
 織田時代には盟友であった柴田と織田が袂を別つ。個人的な喧嘩といった次元ではなく、前田にとっては国を守るためには柴田に折れてもらうか自らが羽柴につくしか方法がなかったのだ。それを責めることはできない。
 北の庄城での悲劇は、源次郎も越後へ来てから噂で聞いていた。柴田勝家と、その妻お市。市は信長の妹であり、前夫の浅井長政が信長によって滅ぼされた際に秀吉によって助け出された後は三人の娘を連れて柴田に嫁いでいた。
 だが北の庄城が焼け落ちる際、お市は娘たちだけを秀吉側に引き渡した上で夫と運命を共にしたという。
 柴田に嫁いだのも、そして自害してまで秀吉の保護を厭ったのも、すべては市に恋慕していた秀吉から逃れるため…『死んでもあの人の妻になるのは嫌』とまで秀吉を毛嫌いしていた末だったという下世話な噂まで流れていたが、真相は市が三途の川の向こうまで持って行ってしまったきりである。
 秀吉に保護された娘たちは、両親と伯父の争いをどう見ていたのだろう。源次郎は姫君たちに想いを馳せたが、自分などが到底目通りできる身分ではない。視線を教本に戻し、ふたたび挙手して兼続に質問した。
 「柴田さまの敗因には、滝川一益さまなどと連携できなかった事も大きいのでしょうか」
 「そうとも言えるな。羽柴どのは信長公の下で足軽から取り立てられた者ゆえ、数々の戦を見て来た。その中で、効率よく勝つためにはどうしたら良いのかも心得ておられたのだろう。それと、一兵卒の頃から志を共にする仲間が多かったことも忘れてはならぬ」
 厩橋から清州へ向かう途中、木曾で時間を取られてしまった結果清州での会議に間に合わず伊勢に逗留する事となった滝川一益は、柴田勝家の側について織田信孝を推挙していた。羽柴も滝川が自分を見下していることを知っていたから木曾義昌を使って滝川を清州へ出席させず、柴田勝家を攻めた際には別働隊…秀吉の仲間たちを使って滝川が柴田の援軍に回る進路を阻んでいたのである。その間に柴田勝家を滅ぼしてしまい、孤立無援となった滝川一益も兵を退かざるを得なくなったのだった。
 「柴田どのが織田の後継にと推していた信長公の三男・信孝どのも、柴田どのが亡くなられた後に切腹なされた。羽柴どのの完全勝利である」
 羽柴秀吉は自分が擁した三法師が信長の後継となったことで、その後見人という地位に座ることができた。明智光秀に続いて柴田勝家まで破った秀吉の武功、そして知略に各地の大名が臣従し、それによって秀吉を認めていなかった勢力も名目上は織田に、実質は秀吉に臣従せざるを得なくなっていった。とにかく敗けない強運の持ち主、それが秀吉であった。
 今は、その波が日ノ本に広がっている最中だという。
 (真田と同盟関係にある徳川が羽柴に降ったとなれば……父上が直接羽柴どのに認められれば、徳川と肩を並べることが出来るのではないか)
 今頃、父も信濃で同じ事を考えているだろうと源次郎は思いを巡らせる。
 「だが、それで天下が泰平となった訳ではない。まだ羽柴どのを快く思わない勢力は各地に存在する。例えば、越後と越前を挟まれた佐々成政。彼の者もまた、柴田どのが敗れた事で危機感を募らせているであろう」
 佐々成政。越中を治める領主である。南を険しい山脈に囲まれた越後国において、上杉が上洛するには越中を通過するしかない。だがそれを阻んでいるのがこの佐々であると聞かされていた。
 「佐々は、自らも援軍を出した賤ヶ岳での大敗を受けて現在は羽柴どのに臣従の意志をみせている。が、それも形だけのことと我らは踏んでいる」
 「佐々どのは信長公の忠臣であられたからですか?」
 若侍の誰かが質問した。
 「左様だ。彼奴は信長公の下では自分よりはるかに格下であった羽柴どのの出世を快く思っておらぬ。長年にわたって領地の小競り合いを続けてきた越後が羽柴支持に回った事も面白くないのであろう」
 消去法とはいえ、上杉が羽柴についたのは最早周知の事実。そして東西を羽柴方の大国に挟まれている現状。追い詰められた者は、ときに暴挙に出ることもあるから油断は出来ない。
 「上杉は、昨年の羽柴どのによる賤ヶ岳攻めの際には援軍要請を受けていながら佐々の妨害によって義を果たすことができなかった。我らの義を妨害し続けるのならば、次に上杉が戦うのは佐々であろう。明日か、それとも何年か後になるかは分からぬが、戦は避けて通れぬものゆえ、しかと準備をしておくように」
 兼続は先の見通しを明らかにしなかったが、事は存外すぐ傍まで迫っていた。


 「佐々がまた良からぬ動きを見せているようだな」
 上杉直轄の草の者からの報せを聞いた景勝の顔つきが険しくなった。
 「殿に羽柴どのからの援軍要請が届いている事を知ったのでしょう。殿のご出立を阻むつもりのようでございます。殿が羽柴どのと接触されて困るのは何より佐々自身ですからな」
 「うむ、彼奴は信長公の許で頭角を現しかけたところで梯子を外されたようなもの。とはいえ事実上信長公の後継となった羽柴に付くのも面白くないと来ておる」
 さすれば、せめて羽柴につく勢力の邪魔をして時を稼ぎ、あわよくば羽柴の怒りを買わせて潰してもらおうと思うのが佐々である。景勝はそう評した。
 「ですが、すべてを佐々の独断で行ったにしては周到に過ぎるますな。やはり……」
 「本能寺の変の後、我らは佐々に二度も邪魔をされておる。我らが羽柴どのの呼びかけに応えて賤ヶ岳の戦いに参じようとした道を阻み、北条との戦に出陣した際には留守中に新発田(上杉の家臣)を唆して反乱を起こさせて三国の争いから手を引かせたことといい、天下が羽柴に傾きかけた今、いち早く羽柴方を支持した私に出し抜かれたくない者…おそらく徳川あたりと通じておるのであろうな……どう思う、兼続」
 「この兼続が思うところは殿と同じでございます。滅ぼして懸念を取り払うがよろしいかと」

 屋敷の屋根を軽く超える越後の豪雪、連日延々と続いた屋根の雪下ろしからようやく解放されそうな兆しが見られた立春の頃、羽柴秀吉から遣わされた早馬が春日山城に駆けこんで来たかと思うと、その日のうちに城内が騒がしくなった。二の丸に武器がまとめられ、馬も各地から続々と集められている。これまで見たことのない数の『毘』の旗指物も大量に用意された。兼続は毎日夜遅くまで城内各所の指示に奔走している。
 「お館様が佐々成政を攻めることになった」
 多忙な兼続に代わって道場で小姓達を指導していた源次郎のもとへひょっこり現れた兼続は、道場の庭に源次郎を呼んでそう打ち明けた。
 「越中の佐々氏…かつて講義でお聞きした御方ですね」
 「いかにも。羽柴どのが昨年より小牧にて徳川と戦っておられるのだが、佐々は一度は羽柴に臣従する振りをして越中の安堵を得ておきながら、徳川が羽柴相手に互角の戦いをしていると知るや否や寝返ったのだ。内通していたのは間違いない。徳川と示し合せ、殿を越後から出さないつもりのようだ……もっとも、羽柴どのにしてみれば我々の役回りというのは援軍というよりも佐々を抑え込んでおけというものに近いのだが」
 手も足も出せなかった屈辱から二年。今回の命令は、上杉にとっても秀吉にとってもその時の意趣返しと言えるものだった。羽柴は賤ヶ岳に参戦できなかった上杉に対して佐々成政を押さえこんで汚名を返上し、羽柴への忠義を見せよというのだ。徳川での戦に集中できるよう、いまだ完全に従っていない佐々が背後から攻め入って来ることのないようにと。
 清州会議での主導権争い。柴田勝家の滅亡。そして小牧での戦い。城に出来た顔見知りの武士達から少しずつ事の概要を聞いて事実を繋ぎ合わせた源次郎は内心「なんと大人気ない」と呆れていた。
 亡き主の悲願を成し遂げて忠義を果たすのだと言えば聞こえはいいが、要は織田の後継争いの名を借りた秀吉の野心に女絡みの艶聞まで織り交ざった愛憎劇である。こんなことに主の名を利用し、のみならず天下を巻き込んで幾多の命を散らせようというのだから始末に負えない。
 たが、そういった小競り合いが長じた結果が今の時代であり早く終わらせることが肝心なのだと思い直すことにして自らも参陣する意思を兼続に伝えた。上杉家に恩を受けたままでは心苦しいし、実戦の経験も積んでおきたかった。
 「越後に来て早々に申し訳ないな、源次郎どの。しかし、そなたの参戦は上杉軍にとって心強いものでござる」
 兼続は源次郎も将の数に入れると告げて天守に戻っていった。


 佐助達に情報を集めさせた結果、数日後には今回の大まかな背景が見えてきた。事実を知るだけではなく、それらを繋ぎ合わせて現状を読み解くことは殊の外楽しいものである。策略家であった祖父や父ゆずりの性分なのであろう。

 昨年…天正壬午の乱の翌年、年明け早々から羽柴秀吉と徳川家康は戦の支度に入っていたという。
徳川方には先に柴田勝家と組んだために切腹させられた織田信孝の兄、織田信雄がついていた。そこでも織田後継争いの名分が使われている。徳川も羽柴も、朝廷から最上位を授けられた織田信長を蔑ろにして朝廷からの心証を悪くすることを怖れたのだ。
佐々成政は、賤ヶ岳の後で秀吉に人質を出して越中を安堵されたことから此度の戦にも羽柴方への参戦を求められていたのだが、返信の文はのらりくらりと言葉を濁したままにしておくに止まっているようである。先の賤ヶ岳では柴田勝家側について羽柴方の上杉景勝を牽制していた経緯といい、秀吉は佐々の振る舞いを『叛意あり』と受け取っていた。それゆえ佐々に不穏な動きがあれば上杉が牽制するよう命じていたのだった。
 やがて弥生の月にかかると、美濃と尾張に近い小牧山周辺で羽柴と徳川が衝突したという報せが舞い込んできた。佐々にも同じ報せがもたらされたであろう頃、上杉は越中との国境近くに兵を展開させた。圧力を受ける形で佐々はようやく戦支度に取り掛かる。
 ようやく佐々軍の出陣の支度が整ってから、上杉は陣をやや佐々よりの山麓に移した。しかし佐々は越中を出ようとしない。小牧の戦は一進一退を続け、長期戦の様相だという報告が寄せられている。上杉のわずかな牽制が利いているというよりは迷っているのがありありだった。その証拠に上杉には佐々から『此度は羽柴どのへの参戦を決めた友軍の出陣であり、出陣の妨げはせぬように』との親書が寄せられていた反面、羽柴秀吉の催促には『飛騨山脈には雪深い箇所がまだ残っており進軍には時間がかかり申す』との返信を送っているという。上田に暮らし、甲斐の学問所で諏訪や甲斐といった土地の気候を知っていた源次郎から見れば見え透いた言い訳であった。
 (まったく、佐々というのは下策にしか動けぬのか)
 日和見にもほどがある、胎も括れぬのか、と源次郎もさすがに苛立った。
 する事は結局裏切りなのであまり尊敬できたものではないが、父の昌幸ならばまず形だけでも羽柴方への参戦を実行に移して上杉を油断させ、消耗を覚悟で実際に戦いながら戦況を肌で見極める。羽柴が勝てる将であれば全力で力を貸し、そうでなければさっさと見切りをつけて徳川に寝返るだろう。そしてまた次の戦を待つ。留守中に上杉から背後を突かれても、勝者が味方につけば後から奪われた土地の奪還は可能である。
 比興も卑怯も、他者から見れば大差ない。だが自ら虎穴に飛び込んで臣従するべき主を見極めるのと他者に戦わせておいて優勢になびくのとではまったく異なる。それが源次郎の持論であった。裏切りの正当化と言われてしまえばそれまでなのだが、祖父は武田信玄に領地を奪われておきながら無血でそれを取戻し、信玄亡き後の今まで父が守り抜いた真田家の強さはその眼力にあるのではと考えていたのだ。

 話は戻り、小牧での戦いと同じように越後の睨み合いも膠着したまま立夏を過ぎて間もない頃。上杉と睨み合いを続ける佐々にとっては尻をつつかれるような出来事が起こった。秀吉方の前田利家が佐々を攻撃したのである。言うまでもなく秀吉による佐々への『せっつき』であった。
 ここで降伏して当初の約束どおり秀吉につくか、それとも胎の中での計算を信じて徳川に向かうか。戦場から遠いのを理由にあわよくば戦が終わるまで静観を決め込み、後で勝者に上杉の牽制があったとでも何とでも言い繕うつもりでいた佐々は多いに動揺した。
 正面から押し寄せる前田軍、そして側面を牽制する上杉軍。
 切羽詰まった状況の中、佐々はついに羽柴を裏切り徳川への参戦を決意した。その時点で、羽柴軍は秀吉の甥で養子でもある羽柴秀次の大敗に加えて木下祐久や池田恒興といった古参の重臣が討死するなど劣勢に傾いていたのだ。一方の徳川軍は戦国最強と呼ばれた猛将・本多忠勝らの奮戦によって勢いづいている。
 それが現在までの経緯であった。
戦況が見えてきた中、戦が終わる前に徳川について功績を上げよう…美味しいところを持って行こうとした佐々の小狡(ずる)さは、だが裏目に出ることになる。


 「此度の戦、俺がひと肌脱ぐことになったぞ」
 春日山城における軍議の場。前田慶次はそう言って軽く腕まくりをして見せた。景勝から「頼むぞ」と託された書状を受け取って。
 「利家の奴、水風呂に落としてやった事をまだ根に持っているかなあ。今更どの面さげて会えばいいやらとも思うが、加賀と越後のためだ、まあ頑張ってみるさ」
 「水風呂?」
 「利家も俺も、若い頃は相当やんちゃだったからさ。血の気が多くて喧嘩っ早い。信長の旗下で基本つるんでいたけど喧嘩もそれなりにしたぜ。けれど国主になった利家はさっさと傾奇者から足を洗い、俺にも改心しろと口煩くなった。だから、ある日俺も改心した、加賀に構えた屋敷でもてなしてやるから来いよと呼びつけて、真冬の水風呂にぶち込んでやったのさ。俺は屋敷内が大騒ぎしている間に加賀を出奔して、そのまま放浪暮らし」
 「……」
 「ま、今となっては互いに相手が羨ましく思えていたんだろうな。俺は立派な殿様になった利家が遠くへ行ってしまったようで寂しかったし、自分もそうなりたいと心のどこかで思っていた。利家は利家で、一度は放逐された織田信長に頭を下げてまで前田の家を守ろうと苦労していた。あいつからすれば、何も変わらず気楽なままの俺がとんでもなく自由に見えただろうな」
 上手く言葉に出来なかったから喧嘩別れした。慶次の遠い目が昔を見ていた。
 本当に喧嘩別れしていたのなら、利家の奥方が上杉に付け届けをする程気を配る筈はない。後になって聞いた話だが、慶次と利家の間にも加賀の国主の座をめぐった周囲の大人たちの争いのとばっちりがあったようである。国主となった利家の地位を安泰とするため、慶次はわざと悪者になって加賀を飛び出したのではないだろうか。
 「家族だろうと何だろうと、いろんな事情で別れなきゃならない時はあるんだよ。源次郎は俺みたいにならなきゃ良いな」


 越後の豪雪も山の中腹あたりにまで後退し、農民たちが苗作りと田おこしに取り掛かる頃。
 前田利家が加賀から小牧へ向けて出陣したとの情報が春日山にも届けられた。まずは居城である若狭湾沿いの七尾城を出て南下、能登半島から近江寄りの末森城にて兵や馬を整えるという。
 「さて、我らも参るぞ」
 冬のうちに上杉景勝が越中との国境、魚津の天神山城と宮崎城に陣を張ったとの報せは佐々にも届いている筈である。南は羽柴方についた木曾氏の領土。囲まれた形になった佐々が突破するとしたら加賀しかない。
 そのような状況を作り上げた上で、直江兼続が指揮を執る上杉隊が春日山から出陣した。その中には源次郎の姿もある。
 直江兼続は『愛』の字を象った前立ての兜を被っていた。上杉家が宿敵武田や北条と一戦交える際に必勝を祈願していた愛宕神社にちなんで決めたらしい。男が『愛』という歯の浮くような文字を堂々と額に掲げる様は初めて見る者にとっては異様であるが、主が祈願する神の名の一部を借りて上杉を守る意気込みを表すものである。
 しかも、平静は主と同じく柔和で穏やかな直江が『愛』の前立てを掲げた途端に愛宕神社の祭神である火の神・迦具土神を彷彿とさせるような猛々しい将の顔となったのである。神仏が荒ぶるというのはこういう事なのだろうか。源次郎はただ驚嘆するしかなかった。
 直江率いる上杉隊は、木曾氏に対して領地通過に目をつぶってもらうよう根回しをした上で越中を回り込み、越前から加賀に入り北上した。

 上杉の動きをまだ知らない佐々は末森城の南を取り囲むように布陣していた。この地にて前田の進軍を阻み、あわよくば前田利家を潰せると踏んでいるのだろう。本能寺にて信長を討った明智光秀のように。
 そうすれば己の武勇は轟き、上杉はともかく木曾との同盟に持ち込めるかもしれない。近江に残っている反羽柴勢力の呼応も期待できる。
 佐々の思惑どおり、『角立て七ツ割四ツ目結び』の幟を行く手に見た前田の軍は混乱をみせた。先陣を守っている隊が狼狽えている間に攻撃を命じると、蜘蛛の子を散らすように末森城へと撤退していく。
 「前田とて兵が整わないうちは脅威ですらない。一気にたたみかけろ」
 佐々自らも采配を振るい馬を駆る。
 しかし。梅鉢紋の幟を蹴散らしながら一気に末森城へ攻め込んだ佐々は本丸へ攻め込んだ瞬間唖然とした。
 「ようこそ」
 利家の代名詞ともいえる金色烏帽子の兜を被り総大将の床机に腰かけていた武士は、長槍の穂先を空へ向けて佐々を出迎える。
 烏帽子の下は一つに結った獅子髪、甲冑の上には陣羽織がわりの派手な打掛。目じりに長く紅をひいた化粧。
 「おのれは……前田慶次か?」
 「俺の顔と名を知っていてくれるとは光栄だねえ。俺も出世したって事か?」
 金色烏帽子形の兜…実際には急ごしらえで同じ意匠の品を造らせていた慶次は、目じりに長く引いた紅を吊り上げながらニヤリと笑って佐々を出迎えた。
 「おまえは前田から離反した筈。どうして」
 「利家の器はおまえ達が思うよりずっと大きいって事だよ」
 「では、まさか本物の前田利家は……」
 「利家が出るまでもない戦だから俺がここにいる。槍、刀、素手、すべてにおいて槍の又佐に引けをとらない自信があるけど、俺じゃ不満かい?」
 余裕たっぷりな慶次の顔とは正反対に、佐々がみるみる青ざめていった。傾奇者の戦に兵法は通用しない。なぜなら彼らにとっての『戦』は何でも有りの『喧嘩』と同義なのだから。
 「さて、得物は何でいくかい?」
 「……っ!」
 佐々は踵を返して山を下りた。前田利家が背後に迫っている可能性を考えたのだ。
 だが自陣をさらに取り囲むように展開していたのは、『毘』の幟。
 「ばかな。上杉は魚津の筈では」
 「鞭声粛々夜河を渡る、か。さすが上杉の当主」
 慶次たちが佐々に追いつき、佐々の焦りを煽る。
思惑どおり、佐々はいとも簡単に正常な判断を手放した。
 「ええい。前後に向けて鉄砲をありったけ撃てい。ここで前田と上杉の両方とも葬ってくれる」
 ここまで戦力を出し惜しみしてきたが、佐々の兵力は賤ヶ岳に上杉が兵を出せなかったくらいには屈強である。それに『窮鼠猫を噛む』の開き直りが加わったのだから、有利である上杉軍も油断はできない。
 「佐々め、末森城を獲ることでどうにか恰好をつけたいと必死だな。まさかあれだけの銃を持っていたとは」
 「援助する者が居ると殿から伺いましたが、どうやらその通りのようですね」 「うむ」
 鉄砲よけの盾に囲まれた陣で采配を執っていた直江兼続も、籠手の上から親指の爪を噛む仕草で打つ手を考えていた。一発だけで山の鳥すべてが逃げ出しそうな震動を伴う破裂音が絶えず続き、あたりに火薬の煙と臭いが飛び散っていく。
 「火縄は連射が難しいと聞いております。ですが、数が揃えばその問題も解決するという訳ですね」
 「織田が最初に考えついた戦法だ。今日日の戦は鉄砲の数が戦の行方を左右すると言っても過言ではない。武田どのは……」
 そう言いかけて兼続は口をつぐんだ。真田家の変遷の歴史を思い出したのだ。
 その間にも、鉄砲隊は次々と弾を放ってゆく。複数の列に組んだ鉄砲兵が交代で攻撃を加え、発射の間隔をなくす戦法で。
 (そうか、父上が懸念していたのはこの戦法だったのか)
 源次郎は、武田が織田に敗れた最大の理由をようやく理解した。そして、遠い昔に父が屋敷の庭で火縄の研究をしていた理由も。
 自分が育つ十数年の間に、織田のような大物だけでなく日の本全土に名を馳せるような武将は競うように鉄砲を導入している。それが時代の流れなのだ。名乗りを上げて騎馬で斬り結ぶ昔ながらの戦いに最後までこだわった武田は時代に飲み込まれてしまった。もしかしたら昌幸は勝頼に鉄砲の導入を進言したのかもしれないが、おそらくは周囲の…勝頼の岩櫃城行きを阻んだ者達によって拒まれた場面があったのだろう。
 だが、すべては過ぎたこと。二の轍を踏まないためにも、ここで怯んではいられない。
 「前進したくとも鉄砲が邪魔になるな。弾切れまで待つべきか」
 兼続は唸った。同行していた上杉と前田の軍師も同じ意見である。
 「そんなことをしたら兵が全滅してしまいます」
 「うむ。『多少の』犠牲ではなくなる。が、ここで我らもまた鉄砲や投石を用いれば慶次どのの兵にも当たってしまうだろう。挟み撃ちが仇となった今、どちらにしても戦力の消耗は避けられない。ならばこちらの兵力や武器はできるだけ温存しておくべきだ」
 戦に勝つために犠牲は仕方ないことは解っていたが、人を物のように数える兼続の言葉に源次郎は拳を握りしめた。武田滅亡の時に見た、身ぐるみ剥がされた武士の躯が頭から離れないのだ。
 どうにかして彼らを助けたい。ここで時間稼ぎのためだけに命を落とさせる訳にはいかない。
 あることを思いついた源次郎は馬に飛び乗った。
 「兼続さま。私は山を下ります」
 「どうした、源次郎」
 「わたしに考えがあります。あの鉄砲隊を打ち崩せば良いのですよね?」
 「そうでござるが……どのような策を」
 「お任せくだされ」
 詳細を説明している時間が惜しかったので、源次郎は何も答えず馬で山を下りた。中腹にさしかかったところで、頭上の木々に向かって大声を張り上げる。
 「佐助、佐助はいるか?」
 「ここに」
 木の上から飛び降りてきた猿飛佐助が、その名のとおり猿のごとく身軽な着地で膝をついた。能登への遠征に先立って、彼らには別行動でついて来るよう命じていたのだ。
 「佐々軍の鉄砲隊の動きを封じる」
 「如何にいたしましょう」
 出会った頃から比べて、佐助や彼の仲間たちは格段に腕を上げたのがよく判る返答だった。主が出す指示がいかなるものであっても応えられるだけの準備と力がなければ出ない言葉である。
 「そなたらの仲間で分散して煙幕を焚いてほしい。それから……」
 源次郎は自ら考えた方法を佐助に示した。
 「以上、半時でできるか?」
 作戦の内容に、佐助はニヤリと笑って応えた。
 「無論。出浦さまの許でみっちり教えこまれた草の者の働きをご覧に入れて差し上げますよ」
 佐助はすぐにまた木の向こうへ消えていった。その間に源次郎は兜を取り、追ってきた自分の小隊に騎馬隊が被る黒笠と蓑を用意させた。自分の体だけでなく馬からも上杉や真田の紋が入ったものはすべて外させ、大きな蓑を羽織る。
 きっちり半時で、佐々軍全体に靄のようなものがかかり始めた。煙幕である。
 「よし、行ってくる」
 源次郎は鐙を蹴った。
 その間に、煙の中の佐助達は火薬を丸めた玉を次々と鉄砲隊の足元にばらまいていった。多少の煙幕に怯むことなく佐々軍は鉄砲を放っていたが、鉄砲が発射される瞬間に散った火花が火薬に引火して小爆発を起こし、たちまち一隊は混乱に陥る。
 「何だ?足元で爆発したぞ」
 「鉄砲の暴発か?いや、それとも罠」
 そこで彼らは自分達の足元に撒かれた火薬に気付いて飛び跳ねる。
 「火薬玉じゃないか。鉄砲の火花に引火したか」
 「しかし先刻まではこんなものはなかったぞ。この中に内通者がいるのか?」
 「ええい、とりあえず発射を止めよ。撃つたびにこちらに損害が出る」
 そうしている間に、他に配置された鉄砲隊でも同じ混乱が起こっていることに気付いた彼らはさらに訳が分からなくなって右往左往するしかなくなった。佐助達は敵陣内を駆け回り、撒いた火薬玉に火種を置いていく。
 その機を狙ったかのように。
 「伝令!!謀反、謀反なり!わが主の危機でござる」
 煙と混乱の中を、黒笠と蓑に身を包んだ源次郎が叫びながら馬で走り抜けた。その叫び声と合わせるように、佐助の仲間が今度は佐々本陣のすぐ側で火の手を上げる。
 敵方の陣中を大胆にも走り抜けるという作戦は、まだ世に顔を知られていない源次郎だからこそ出来た離れ業であった。寄せ集めの足軽鉄砲衆には味方の武将の顔すら知らない者も少なくないと踏んでいたが、さすがに混乱を来してくると甲冑姿の武将と鉢合わせする場面もある。そのたびに内心では肝を冷やしたが、動揺はおくびにも出さず源次郎は味方騎馬兵の振りをして謀反の言葉を繰り返した。相手から詳細を問われたり詮議の目を向けられる前に混乱の中へと走り去ることも忘れない。
 一方、末森山の頂上から佐々軍の動きを見守っていた直江兼続はすぐに佐々軍の異変に気付いた。
 「あの騒ぎは源次郎か」
 目をこらしてみれば、あちこちで爆発や煙が上がる中を一騎の兵が戦場をめちゃくちゃに駆け回っている。兼続はぽかんと口を開いたが、すぐに気を取り直す。
「単騎で敵陣の中を駆け回っているとは無謀な。しかしこれは好機なり……よし。全軍、前進せよ!」
 兼続が陣頭指揮を執って突撃を敢行する。鉄砲はもはや使えなくなる佐々の軍勢に上杉軍が駆けつけるのを見届けた源次郎は、蓑を脱ぎ捨てると自軍に帰参した。
 「真田隊、進め」
あとは精強を誇る上杉隊と暴れ放題の前田慶次隊がひたすら敵を挟撃するのみである。
形成がひっくり返るのは一瞬だった。
 混乱で収集がつかなくなった佐々軍は、つい何時か前の勢いなど見る影もなくもろもろと崩壊した。討たれる恐怖にかられて指揮を放棄した佐々成政はほうぼうの体で脱出し、冠雪した立山連邦を決死の思いで踏破した挙句どうにか徳川の同盟国である信濃へと逃げ延びた。
真田昌幸に徳川家康へのつなぎを頼んだ佐々であったが、陰で上杉と繋がっている昌幸がこれを是とする訳がない。家康には佐々が直談判すべきだと付き離し、案内と称して佐々を美濃へ送り届けてしまったのだ。
「面倒事はさっさと投げてしまうに限るわい」
 加賀における佐々の敗北とその経緯を、昌幸は既に知っていたのだ。無論、上杉の勝利に源次郎が一役買っていたことも。

 ちなみに、突き放された佐々といえば。
 ようやく徳川方の美濃国・姉小路を頼って家康や織田信勝へのつなぎを取り付けたまでは良かったが、そんな矢先に小牧で戦っていた徳川と羽柴秀吉が和睦してしまった。正確には家康が担ぎ上げていた織田信勝が秀吉の攻撃に屈して勝手に講和を結んでしまったのである。
 織田の正嫡を守るという大義名分を失った家康も、戦を続ける理由がなくなったことで兵を引き揚げざるを得なくなっていた。秀吉を見下していた家康が地団駄を踏む姿は、真田昌幸にとっては思い描くだけでさぞ痛快であっただろう。
 家康が浜松に引き上げてきたところでようやく謁見が叶った佐々は家康に再戦を進言したが、それが聞き入れられることはなかった。不本意な敗戦の屈辱と忸怩たる思いのやり場に困っていた家康の前にのうのうと現れた敗者…佐々はそれら負の感情のはけ口にされてしまったのだ。
 上杉を抑えられなかった佐々を「使えぬ者」と怒鳴りつけて見限った。これを受けて、佐々はふたたび立山を越えて越中へ戻るしかなかった。
もはや国元で息をひそめながらいつか天下を握った者に降る準備を整えておくしか佐々に道は残されていない。それもこれも上杉と前田のせいだと怒りを沸々とさせながら、佐々はあてもない意趣返しの機を伺うのであった。


 「源次郎。此度はよう働いてくれた」
 春日山城へ帰参した源次郎を、先に魚津から戻っていた上杉景勝は最大の賛辞をもって出迎えた。
 「そなたの機転のおかげで、前田も上杉も最小限の損害で勝利できた。天晴なり」
 「恐れ入ります。私はただ夢中で……気がつけば戦が終わっていたというような心持でございます」
 「謙遜するでない。そなたには褒美として越後領内に千貫分の所領を授けよう」
 居並ぶ家臣団から「おおっ」と声が上がった。しかしそれは異議ではなく感嘆の声である。
 一般的に、一貫は領主の収入を示す。その中には兵役や工事の人工といった労役分も含まれるが、一貫の年貢をすべて米に換算すれば概ね二~三石の収量に相当するので、一千貫となればおよそ五千石に相当する所領を持つことになる。人質の身であり新参者としては異例ともいえる褒賞だった。
 そうやって所領と配下を増やしていった通過点に『大名』の座、頂点に『天下』がある。しかし源次郎は景勝の褒賞をすぐさま辞退した。
 「身に余る光栄でございますが、私は本来人質である身。数多くいらっしゃる上杉さまのご家来衆を差し置いて、過分な褒賞を賜る訳にはまいりません」
 「殿のお決めになられた事に異論があるのか?」
 「そうではございませぬが……かわりにお聞き届けいただきたい事がございます」
 「ほう」
 「こちらはわが父から届いた文でございます。どうかご覧くださいませ」
 それは信濃にて源次郎の活躍を聞いた昌幸から届いた激励の文や懐かしい信濃の山の幸、新しい衣といった荷の中に紛れ込ませてあったものだった。
 文面に目を通した景勝は「なんと」と目を丸くしたが、その中身が上杉にとって得にも損にもならないあたりを却って気に入ったらしい。
 「面白い。ではこの文に書いてある願いを叶えることによって源次郎への褒美としよう」


 信濃国上田。
 「上杉の軍勢が国境の墟空蔵山に布陣してございます」
 とある夜。真田昌幸の案内で信濃を視察中であった徳川家康が逗留している信濃国分寺に伝令が駆け込んできた。
 「何?それは真か」
 昌幸はすぐ表に出て山を見やる。
 「これは三千はおりますなあ。徳川どのがおいでになっている事を承知での攻撃でござるか」
 額に手を当てて遠見する昌幸が呑気な口調で分析する。
 「わ、儂の動きが上杉に漏れているというのか」
「信濃から美濃にかけては、織田亡き後そのまま他国に召し抱えられた草の者も多いと聞いております。そのくらいは朝飯前でしょう」
「それにしても、こんなに近いところに国境があるのか」
家康もまた寺の庭から煌々として灯る松明の灯りの多さと上杉領との国境の近さを見やって畏れおののいた。一気に山を下って来ようものなら、上田はたちまち蹂躙されるだろう。
 「信玄公と謙信公の小競り合いが長うございましたから、国境が複雑に入り組んでおるのですよ」
 「真田、早う何とかせぬか」
 「お任せくだされ」
 昌幸はすぐさま源三郎を大将として最前線の矢沢砦に出陣させた。上杉と真田が争う鬨の声や火縄の音が墟空蔵山から信濃の山々にこだまして、山肌を焼く臭いが国分寺のあたりにまで漂ってくる。
家康はただちに浜松へ戻ると主張したが、上田からどこへ逃げるにも険しい山を越えなければならない上に三河方面は北条や羽柴勢の国境も入り組んでいる。どこに伏兵が潜んでいるか分からない、すぐ信濃の国衆に探らせるから今は動かずこの地に留まるべきだと進言した昌幸の言葉に従い、家康は国分寺にてただ丸くなって身を潜めるしかなかった。
一昼夜を経て源三郎が「上杉兵を撃退いたしました」と帰参し、実際に上杉が兵を退くところが徳川方の兵によって確認されるまで。

 「信濃はこれほどまでに緊迫しておるのか」
 出された茶碗がガタガタと音を立て、茶が袴や畳を濡らしていることにも気づかない家康が震え声で問い質すと、昌幸は「いかにも」と両の拳を畳についた。
 「あのような小競り合いなど、ここ信濃では日常でございますぞ。敵は小田原や美濃から参るだけにあらず、上杉は隙あらばと武田の遺領を狙っております。上杉が甲斐や駿府にまで南下することを我ら真田が食い止めるためにも、ここはこの上田に新たな城を築いておくべきであると考えます」
 直に脅威を体験した家康は、それまで渋っていた上田への築城を一も二もなく了承した。普請の費用はすべて徳川が出すから、徳川が上杉の脅威に晒されぬような強固な城を早急に築け、と。

 上田に城を築く。昌幸が源次郎に語った目論見は、こうして実現の運びとなった。
 先年、大坂にいた家康はかの地で本能寺の変を知り、畿内の混乱に巻き込まれることを逃れて伊賀の山中を命からがら伊勢まで命からがら逃げ帰ったばかりである。昌幸は家康にとってまだ記憶に新しい恐怖を追体験させ、煽ったのだ。


 「直江さま。無茶なお願いにお骨折りいただき、かたじけのうございます」
 信濃から帰参した兼続に、源次郎は深々と頭を下げた。
 「このくらい容易い用だ。松明を大量に灯した山中で空砲と鬨をかけあい、当たり障りのない場所をいくつか焼いただけで戻ってきたが、本当にそれで良かったのか?」
 「それが父の頼みでございましたから……後はあちらで上手くやってくれるでしょう」
 「このような茶番を一千貫分と引き換えにするのはいささか勿体ない気もするが……いや、それはこちら側から見た損得勘定での話であるか」
 策略家として上杉も兼続も一目置いている真田昌幸がこの茶番をどう活かして徳川相手に立ち回るつもりなのか、お手並み拝見といこうか。『愛』の兜を脱いだ兼続は、興味があると言って笑ってみせた。
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