第42話 月山傳心 ー真田の子たちー

文字数 11,926文字

元和二年・高野山

 百八十の町石を数えた先では、まだ躑躅が咲いていた。
 大坂城が落城して一年。政宗は高野山に居た。江戸の伊達屋敷から駿府の家康を見舞い…目通りは叶わなかったので見舞いの品だけを献上し、朝廷へ参勤した帰りに足を伸ばしたのだ。
 幾度も通った九度山から山道を黙々と歩くこと半日あまり。現世(うつしよ)と常世を隔てるようにそびえる大門をくぐり、仏が住まう町を往く。

 「静かなお心の内が伝わってくるようなお名前でございますな」
 目的の地、高野山長国寺の住職は、政宗が所望した位牌をうやうやしく祭壇に掲げ、抹香と読経を供えた。
 『月山傳心』
 官位や仮名ではなく諱で呼ばれる身となった真田幸村自らが考えた戒名がそこに刻まれている。
 天王寺決戦の前日、政宗宛てに届いた文にも同じ文字が記されていた。
 「東の国を照らす陽を憚る月となり、故郷や大切な人々を静かに見守りたいと願っておられたのでしょう」
 お釈迦さまがご覧になるのは、生前の身分ではなく心根が積み重ねた功徳なのですよ。
 九度山に真田家が暮らしていた頃から付き合いがあったという住職は穏やかな口調で物騒なことを呟く。
 憚るべき『陽』の訃報は、いつ没したのかも含めて江戸城内でもごく限られた者にしか知らされていない時分。
 位牌に宿る主の意図について、住職の解釈もあながち間違いではない。しかし、政宗はこの戒名には源次郎…繁が自分に宛てた気持ちも込められていることを知っていた。
 月は政宗の象徴ともいえる前立て。
 山は繁の故郷である上田の山々。
 道明寺で刃を交えた際、既に繁は戒名を定めていたのだ。死してもなお心は政宗の処に在るのだと。
 この戒名をもって、繁は政宗に自らの心を傳えるつもりだったのだ。
 (まったく、おまえは最期まで誰にも相談せずに決めてしまう奴だな)
 少し散策したいと庭に出てみれば、深紅の躑躅が風にさわさわと揺られている。
 揺らめく赤、そして風が吹くたびに一つ、また一つとぽとり落ちていく花弁は、一年前を彷彿とさせた。
 躑躅のような赤揃えをまとい、月への気持ちを託して焔の中に消えた妻。
 (俺は本物の覚悟というものを何処に落としてきたのだろう……それとも、もとより命を賭した覚悟など持った事がなかったのか)
 なまじ渡世術に長け悪運も強かったことが自分を増長させていたのだと、政宗は五十の坂に至ってから知る羽目になった。
 白装束も派手な上洛も、今となっては増上慢の滑稽事でしかない。
 それに気づかず…己の実力だと思い込んだまま理想だけを空高くに追い求めて生きた結果、最愛の妻を喪ったのだ。
 心の震えが止まらなくなり、政宗は花を愛でる振りをしてその場にしゃがみ込んだ。いちど膝が折れれば、心が崩れていくのもあっという間である。
 「結局、何も為せなかった……おまえの願いも、俺の理想も……すべて俺の思い上がりだった」
 童のように背を丸めて背中を震わせる政宗の姿を、躑躅は静かに包み込むのであった。

 「殿、越前さまから書状が届いております」
 崩れた心をどうにか立て直して京都の伊達屋敷に戻った夜。政宗の許に小十郎重綱が文遣いを連れて現れた。
 「そろそろ五郎八を越前へ戻せ、か……この時期にこのような文を寄越すようなうつけ者だから、いつまでも蚊帳の外なのだ」
 政宗はぞんざいな扱いで文を床に放る。
 駿府城で床に伏しているとされる大御所の見舞いにも顔を出さない。疎まれているからこそ、もの言わぬ病人相手に親子の情を演じて周囲の…幕府の内部で権力争いを繰り広げる者達の同情を誘い、中央に喰らいつく好機であっただろうに。
 重綱は尤もだという顔で文をたたみ、その手を止めずに切り出す。
 「して、この書状を持って参った者でございますが」
 ちらりと見やった視線の先には、大助と同じくらいの年頃の若武者が膝をついている。
 「宇佐美修理と申します。祖父は大谷刑部吉継にございます」
 「大谷刑部とな」
 「この者の父親は、幼少時に宇佐美家の養子に出されたそうです。『あの方』の甥御になりますな」
 重綱が政宗だけに聞こえるよう耳打ちする。
 「成程、それでここに連れて参ったか」
 「左様にございます」
 「ほう」
 重綱の思惑はすぐに想像がついた。おそらく既に裏付けも根回しも済んでおり、後は政宗の裁可を待っていることも。
 「宇佐美と申したか。伊達は今、兵の再編に加えて幕府と朝廷の勤めの掛け持ちで多忙を極めており、人手はいくらあっても足りぬところなのだ」
 「……はっ」
 「この先、そなたも徳川の縁戚に仕えていては何かと肩身の狭い思いをする事もあろう。婿どのには私から話を通しておくゆえ、我が所領にて励むがよい」
 「ありがたき幸せ。この宇佐美、殿のために粉骨砕身して励む所存にございます」

 伊達家に勤め替えをした宇佐美修理は、政宗が伊達家の京屋敷に滞在している間は片倉家ゆかりの寺に隠れ棲んでいた竹林院…伯母の身辺を護る役目についた。そして政宗の指示の下、極秘裏のうちに竹林院の落ち着き先に渡りをつけ、伊達一行が仙台へ帰参する行列に紛れてそちらへ送り届けている。
 その後、竹林院ことさちは京都の市井でひっそりと余生を送った。のちには奥州へ逃れた娘の一人・おかねが母の孤独を慮って京都へ移り、共に暮らしている。幕府の代替わりで豊臣残党の追捕の手が緩んだ機を見計らっての再会だった。
 二人を援助したのは石川貞清という商人。太閤の政権下では犬山城一万二千石を預かる一廉の将であったが、秀吉亡き後に武士を廃業して商人に転身した男である。
 石川は大坂城における真田左衛門佐の同僚であり、大谷刑部からも多くの薫陶を受けていた。宇佐美の父親とは大谷刑部を通じて懇意にしていた縁もあり、商売で成功していた彼は二人への援助を惜しまなかった。
 友情にも恩義にも誠実な男は余程足繁く通ったのだろうか。後に石川はおかねを妻に迎えている。父子と変わらぬ齢の差での縁組は武家社会では珍しくもない事、現に二人は仲睦まじい夫婦と評判であったという。
 若かりし日の源次郎が、そして大谷吉継が築いた縁が、その後長きにわたって家族を助けたのだ。

【寛永四年・仙台】

 「真田幸村公は家康公を仕損じたのでしょうか」
 月が中天から西に傾いた仙台城。政宗の話を聞き終えた大八は訊ねていた。
 「徳川が勝ち、豊臣は滅んだ。その事実は覆らない」
 政宗は、そう言って最近は控えていた煙草を久々にくゆらせた。重綱には内緒だぞと念を押して。

 「秀頼と淀、大野修理と思われる死体は大坂城で見つかった。そして秀頼公の子息国松と長曾我部盛親は大坂落城から五日後に京都で徳川兵に捕らえられ、本人と確認された後すぐに六条河原で斬首された。だが……」
 大八がコクリと唾をのむ。
 「大方の首実検を終えてもなお徳川方は混乱していた。真田左衛門佐のものとされる首がいくつも並んでいたからだ」
 「首がいくつも、でございますか?」
 大八は首をひねる。
 「結局は真田隠岐守(信尹)が呼ばれて検分を行い、うち一つが『本物』とされた事で「真田左衛門佐討ち取ったり」と幕府は天下に宣言した。真田安房守と名乗っていた者の首は信濃国衆の一人であった事もその時に確認された」
 「『本物』と申されますと」
 「俺が隠岐守の意見を後押ししたからだ」
 「では」
 汗が噴き出る寸前のような紅潮が大八の全身を駆ける。
 「その場に並んだ首に左衛門佐のものはなかった。首になったあいつと対面しとうなかったから、隠岐守から相談された時にはむしろほっとしたのを憶えている……だからこそ死んだ事にしたのさ」
 ふと空を…月の向こうを見やった政宗の表情を見て、大八は主の心情を慮った。
 政宗は、戦火に消えた真田幸村がまだ生きていると心のどこかで信じている…信じていたいのだ。
 「後になってまとめられた天王寺決戦の全容にて、遠く離れた陣がほぼ同時に真田左衛門佐の襲撃を受けていた事が判明した。首台に並んだ連中だ」
 「影武者にございますか」
 「全員、猩々緋に六文銭の陣羽織をまとっていた。名を残せる武士としてではなく、一族の安泰などといった見返りも何もないのに影として討ち取られる道を選んだ者が、並べられた首の数だけ居たのだ。勿論あいつは相討ちも辞さず早々に徳川を討ち取って全員生き延びさせるつもりだったのだろうが、彼らは最初から名もなき影武者として真田幸村のために死ぬつもりだったのさ」
 「自分のために死んでくれる者が居る……」
 「赤揃えをまとった者全員が同じ気持ちだったのだろう。あの劣勢であんな無茶な突撃に付き合う者達を生んだのはあいつの甘さだ。が、彼らは己の運命を胸に秘めたまま、あいつの考えを諾として受け入れた。武士としては皮肉な事だが、甘さゆえにあいつは人望を超えた友情を結べたのだろう。いかな名将と呼ばれようと、あれだけの数の臣下と友情を結べる者はそうそう居ない……ゆえに」

 日ノ本一の兵

 「真田幸村は、そう語り継がれる者となった。羨ましい話だが……」
 結局、あいつは大坂のどこかへ消えたきり。政宗のため息が、煙草の煙とともに天井を霞ませる。
 「俺の兜に太刀を浴びせた覚悟を、俺は守れなかった。あのひと太刀をもって自らの望みを俺に託し、身を投げ打って大御所を仕留めたのだろうに」
 仕留めた、と政宗は認めた。
 「……俺が高野山から京へ戻り、朝廷での役目も終えて仙台へ帰参しようとした矢先に大御所が駿府で身罷ったとの触れが回ったが、京都じゃ誰も信じちゃいなかった。二代目将軍よりも出しゃばっていた大御所が、あの戦を境に『体調を崩して駿府にて療養中』という名目で一切公の場に出なくなったのだから」
 「では……」
 「微妙な一年だった。江戸城の殿中でも朝廷でも大御所の話題は禁忌というのが暗黙の了解となっていて、参勤する大名も皆ぴりぴりしていた。だから死んだと聞かされた時は内心ほっとしたし、『やはり』と思った者も少なくない」
 真相は幕府によって闇の中へと消し去られてしまったが、真田幸村が最期の突撃にて家康を討っていたのならば。
 真田家は、日ノ本で唯一、徳川家康に一度も敗北を喫する事がなかったのだ。
 「殿。私は……殿のご推察のとおりであって欲しいと願います」
 「俺もだと言いたいところだが、俺にはそう言える資格などないのやもしれぬ。俺はあいつが命を賭してまで貫いたものを活かす事が出来なかった」
 「?」
 「戦の後、俺には内通の嫌疑がかけられた。道明寺で真田幸村を追撃しなかった事、天王寺の決戦で大坂城総攻撃の命が出たにもかかわらず陣頭指揮を執らなかった事……身から出た錆とはいえ、この仙台藩を守るため俺は保身に終始するしかなかった。言い訳を事実とすべく動いているうちに戦のすべてが徳川にとって都合の良い事実として描かれ……その結果が今だ」
 江戸幕府は既に三代将軍家光……江戸城で江と春日局が溺愛していた竹千代の治世となり、秀忠は父家康に倣って大御所となり二重政治体制を敷いている。
 二度と大坂のような大戦は起させまいと大幅な知行替えも行われた。
 その代表が真田伊豆守信之の松代転封である。祖父一徳斎の代より民と国主が一体となって守り抜いた郷から真田の一族が引き離されたのだ。
 幕府に都合が良いように、将来危険が生じかねない土地をなくすように大鉈が振われていく中、徳川家にとって最も厄介であった仙台藩を政宗が守り抜けたのは、いざとなれば傀儡にしようと手懐けておいた将軍家光の影響力のおかげであった。
 幼少時から政宗を強く信頼していた家光…竹千代は、その鋭い感性をして大人達が政宗をあわよくば失脚させたがっている気配をいち早く察していたのだ。そして純粋な心で江や春日局に強く働きかけ、政宗を自らの後見役に指名した。
 つまり、次期将軍自ら指名した者に不祥事あらば任命した家光の栄光にも疵がつく。結果として幕府は政宗にかけられた嫌疑の数々をもみ消さざるを得なくなった。
 大坂の陣、家康の葬儀、遺言による日光への御霊遷しと間断なく訪れる大仕事に疲れ果てた秀忠が譲位の意向を漏らした事も幸いして、次期将軍の後見役としての立場を盾にした政宗はどうにか自らの首と仙台藩を守り抜くことが出来たのだ。
 「俺が望んだ世が成立した暁には合議の名の下で表舞台から下ろそうと思っていた童に守られたのだから皮肉なものだ……俺は天下を治める器にあらず、という天命だったのだろうな。外国と手を取り合うなどもってのほか」
 「もしや支倉さまの……」
 その顛末は大八も知っている。支倉六右衛門常長が率いた遣欧使節団だ。
 大坂の陣から五年後に帰還した支倉だったが、政宗が望んでいた結果は持ち帰れずじまいであった。期待に応えられなかった事を気に病み、異国について多くを語らなかった支倉は、長旅の疲れから帰還の二年後に没している。
 政宗が若い頃から描いていた未来図は、これにて全てが潰えたのだった。
 「これだけの者達が血を流し覇権を争った日ノ本も、外国から見れば取るに足らぬ小さきものと見做されていたとういう事だ。その国の天下すら獲れぬ俺の器量など推して知るべし。それを学ぶために一生を費やし、数多くの者の生を奪ったのだから、何と愚かな人生よ」
 取るに足らぬ国は、外国と対等に渡り合うどころか異国の教えによって民が幕府に不都合な知恵をつけないよう門戸を閉ざしかけている。政宗が願った国の将来像は、何もかもが逆のものとなって日ノ本じゅうを押さえつける方向へと向かってしまっていた。
 「これから先、当分の間日ノ本は戦のない国となるであろう。鎌倉や室町の顛末を知る徳川は、同じ轍を踏まぬようより強固で隙のない体制を築き……それが破られるのが何時になるのかは誰にも分からぬ。そのとき俺は生きていないだろうし、仙台藩が存続しているのかも分からぬ」
 政宗は惰性で煙草をもう一口含み、軽く咳き込む。
 「もう俺が俺自身の人生に対して出来る事は何もない。後は忠宗や伊達の子孫達が仙台藩を守っていけるよう道筋を整えるのみ」
 仙台城からほど近い地に普請している若林城がじきに完成する。仙台城を権限ごと嫡男忠宗へ譲る政宗のための住まいであった。
 正式な隠居は幕府の許可が下りそうにないため、名目上はまだ藩主の座にありながら内政を忠宗に少しずつ移譲していく算段である。政宗自身が父・輝宗からされたように。
 「忠宗も、宇和島に移った秀宗も、俺に似ず堅実な男に育った。大風呂敷一枚畳めぬ愚か者を間近で見てきたせいか、野心など抱かぬに越した事はないと達観している。奥州を統一した時点で無難に振る舞うのが身の丈であったのかと思う事は儘あるが、自分の人生を否定するのは何とも認めがたきものだ……おまえに『守信』の諱を与え、真田の名を守れと願っている時点で、俺はまだ諦めきれていない。もう実現する力などないというのに、為し得なかったものにいまだしがみついている。往生際が悪いとは、まさにこの事だ」
 「……殿が野心を抱いておられなければ、私はこの世に生まれておりませんでした」
 秀吉、家康といった天下人と渡り合ってきた主の姿が小さく寂しそうに見えて、大八はたまらず口を開いていた。
 「仙台藩は、この大八が生涯をかけてお支えいたします。私が亡き後は次の片倉……いえ真田が」
 いささか不敬であったかと頭を下げる大八であったが、政宗は「それは頼もしい」と微笑んだ。
 「そうであるな。おまえには伊達と真田の血が流れておる」
 そう言った政宗の顔は、大八が知らぬ面持ちをしていた。血の繋がった父親が子にこういう顔を見せるのだろうかと大八の心が熱くなる。
 「おまえとおまえの姉達は、私に遺された最後の希望だ……そう、そうであった……何とも頼もしき」
 近う、と扇で招かれ、大八は政宗の側へ膝を進めた。もっと、と望まれ恐る恐る近寄ると、政宗は大八を軽く抱きしめる。親として万感の思いを込めて。
 「……もう俺の背丈を追い越したか。大きゅうなったな、大八」
 「恐れ入ります、殿……」
 「これ、父と呼ばぬか」
 「それは不敬にございます」
 「頼む」
 政宗に懇願され、大八はこれも主命と覚悟を決めて息を吸う。
 「は……あの、ち、父上さま……」
 「『さま』は要らぬ」
 「……ちちうえ……」
 「……!」
 小声でそう呼んだ大八を政宗はさらに強く抱きしめた。
 歴史の隙間で抱き合う父子を、赤い月は静かに見守っている。

- 真田の子たち -

 大八が元服する前年に話は遡る。
 江戸に参勤した政宗は、徳川家が関ヶ原の戦いや大坂の陣の折に戦勝祈願を行った鎌倉の鶴岡八幡宮に、江戸幕府の安泰に感謝するための参拝を行うという名目で訪れた。
 大坂から一年。落ち延びた千姫は、秀頼の死で受けた心の傷も癒えぬうちに桑名の本多忠刻に輿入れさせられた。家康が亡くなる…そう公表された…直前の事である。
 しかし千姫の養女としてともに大坂から来た娘は輿入れに同行していないらしい。かといって大奥や他の大名家に預けられた様子もない。
 その娘こそ桐であると確信した政宗は江戸城にて家老や女中達から噂話を集め、そしてついに桐らしき娘が鎌倉にて出家したと聞きつけたのだった。
 高野山で躑躅が咲いている頃、鎌倉ではもう紫陽花の紫が寺の庭園を彩っている。
 かつては家康の側室であり、政宗の子・忠宗に嫁いできた振姫の養母でもあった尼僧が住職を務める寺を機嫌伺いと称して訪ねた政宗は、苔むした庭にて野点でもてなされた。茶筅を繰るのは歳若い尼僧だった。
 「こちらの者は、幼い時分に許嫁を亡くしましてね。その者の菩提を弔うため、千姫が寄進して整えられた尼寺に入ったのですよ。千姫が側に置いていただけあってとても賢く点前も見事ですので、客人をおもてなしする際にはこうして来てもらっています」
 かの阿茶局に並ぶ愛妾だったと評判の住職の耳にも、政宗が千姫の養女の消息を知りたがっているという噂が届いているのだろうか。相手の用向きを察したもてなしをするが、けっして深入りしない気配りが家康に愛されたのかもしれない。
 「……どうぞ」
 尼が茶碗を差し出す。伏した目が、一瞬だけ政宗を見た。
 「まことに結構な点前ですな」
 「勿体なきお言葉にございまする」
 「こちらの緋毛氈は、高野山で見た躑躅を思い起こす。かの寺に咲き乱れる躑躅は、それはそれは見事でな……特に、月に照らされて輝く様は生涯忘れられない。いつまでもここに居たいと願ったものだ。以来、京都に参勤の折には立ち寄って焼香しておる」
 「……」
 尼は軽い微笑みと会釈を返して寄越した。政宗も、皺が増えた目元をかすかに細め、茶をもう一口含んだ。

 出逢いは、それだけではなかった。
 鶴岡八幡宮参拝の帰り、政宗が化粧坂の切り通しを散策していた時。
 狭い径にて、二人の托鉢僧とすれ違った。熊野の修験者だろうか。
 戦国の世においては、僧侶の中には本来の布教だけでなく大名間の密約や他国の情報収集といった間者の役割を担った者も少なくなかった。ゆえに江戸幕府は山伏や僧侶が藩をまたいで移動することを制限したのだが、それでも彼らは幕府の眼が届かぬ熊野や伊勢から海を渡って東の地へ上陸し、仏の教えを説いて回っている。俗世に生きぬ者なれば、俗世の掟にも縛られぬといった心持ちだろうか。
 彼らが政宗一行に道を譲った時、揺れた編笠の隙間から流れた歳若い視線が政宗と重なる。
 従者が施しをしようとするのを手で制した政宗は自らの懐を探り、手に取ったものを僧の鉢に授けた。僧は読経にて礼に代える。
 ほんのひとときのすれ違い。
 が、それで充分だった。
 托鉢鉢に入っていたのは、真田紐で括られた六文の銭である。

 豊臣秀次の娘きよは九度山から京都に入り、祖母に匿われながら夫・穴山小助を待ち続けた。しかしその願いが叶うことはなかった。
 豊臣が敗れたことで徳川の追捕の手が子に…男子である権左は殊更に…及ぶことを危惧したきよは、祖母の勧めで長男の権左を讃岐三好家へ養子に出した。きよの父・秀次の養父となった事もある名家は名ばかりとなって久しく、代替わりした当主は身寄りのない子らと畑を耕しながら寺子屋で読み書きを教えて暮らしているという。
 権左の安全を図った上で、きよ自らはなほを連れて真田伊豆守信之の許へ降り、自ら願い出て江戸幕府の人質となった。
 信之にとっては弟の妻子を匿わず江戸へ差し出すことで幕府への忠誠心を示し、きよはそうする事で自分を太閤の暴挙による処刑から救ってくれた真田家への恩返しができる。
 母が城下で人質生活を送る中、なほは他の大名家の息女がそうであるように『御田』と名を改めて江戸城の大奥へ出仕したが、三年後には政宗の口ききにより仙台藩江戸屋敷の女中として母とともに引き取られた。
 その江戸屋敷にて出羽亀田藩主・岩城宣隆に茶を出したのがきっかけで見初められ、のちに岩城家の嫡男を産んでいる。
 なほの縁組を機に、元服して三好幸信と名乗っていた権左は養家から暇をもらい、母と姉に合流する形で出羽に仕官替えした。
 子らの自立を見届けたきよは出家して隆清院と名乗り、出羽の地にて夫や養父・幸村の菩提を弔いながら子に囲まれ静かな余生を送ったという。

 大八とともに片倉家が治める白石で育てられた娘たちは。
 阿梅は幼き頃からの思慕が実って片倉小十郎重綱の継室となった。
 重綱が伊達家中の強い勧めを断りきれずに迎えた最初の妻は、重綱の気持ちを知っていたのだろうか。病で亡くなる際、重綱に対して阿梅を継室に迎えるよう遺言したという。
 前妻の思いやりを受け止めた阿梅は遺された一人娘に惜しみない愛情を注ぎ、やがて娘が嫁ぎ先にて産んだ男子を重綱が養子に迎えてからは実母のように厳しくも愛情をもって立派な片倉家の後継に育て上げた。
 あぐり、菖蒲も伊達家ゆかりの家にそれぞれ嫁ぎ、伊達家を支える武士を産み育てた。

 真田幸村や豊臣家、その他大坂の陣で敗れた数多の武士が徳川の歴史から抹消されようとも、血筋は地下を伝う水のように脈々と流れていく。
 地下を往く水はいつか川へ注がれ、大きな流れとなる。
 往く川の流れが絶えることはないのだ。

【石巻にて】

 大八が元服し、藩内で『真田大八守信』を名乗るようになってから一年後。
 江戸へ参勤するかたわら藩内の政務に力を入れていた政宗の命により、大八は仙台の北を流れる北上川の河口に整備された伊寺水門(いしみなと・現在の石巻)の代官職に就いていた。
 仙台藩の各地で獲れた米を北上川の水運にてこの地に集め、海路を経て江戸へ運ぶための積み荷検めを行う職である。
 米を運んだ帰りの船には、上方から宮大工や僧侶、木工品や漆器などの技術を持つ技師が船から続々と港に降り立っていた。
 「仙台を北の京都にしたい」
 仙台城を忠宗に譲って若林城に移り住んだ政宗は、口癖のようにそう言って領内の整備に力を入れていた。政治の中枢たり得るという意図ではなく、美しい寺社建築や伝統芸能といった文化が民の心を豊かにすることを知っていたからである。
 心が豊かになれば、自分達が住む土地を愛する気持ちもおのずと育ち、連帯感が生まれる。民が故郷を愛せば、国は豊かになる。
 日ノ本すべてをそうする夢は叶わなかったが、せめて自らが治める国内でだけは理想を実現させていきたい。
 そうやって、政宗は仙台が日ノ本屈指の藩へ育つ礎を築くことに残された人生を捧げたのだ。

 ある日。
 薩摩藩から紬の技を民に教えるために海を渡って来た者達が港に降り立った。
 九度山村に蟄居していた真田家が真田紐によって村を潤した記憶からであろうか。機織りは農民達にとって農閑期や凶作の年の食い扶持に結びつくという薩摩藩からの『売り込み』に政宗が賛同する形で招聘が叶ったのだ。
 薩摩藩の威信をかけて送り込まれた熟練者達の中に、杖をついた女性がいた。白いものが混じった髪を上品に結った、薄紅の紬がよく似合う女性。年の頃は政宗と同じくらいだろうか。
 その女性が下船する際、渡し板の段差に不自由な脚をとられて転びそうになる。
 「大事ありませんか?」
 大八はすぐさま駆け寄って女性を助けた。間一髪、大八の腕にもたれかかる形でどうにか難を逃れた女性は杖を取り直すと丁寧に礼をする。
 「ありがとうございます。助かりました」
 「いえ……」
 瞬間、大八は何とも言えぬ既視感にとらわれた。女性の肩ごしに見たもの、それは眼前の景色だけではないような。
 赤い月。ふと大八の脳裏に閃いた光景は、靄がかかったように薄らいだまま心の奥に灯る。
 「繁さん、身元検めが済んだら家老さまに拝謁するそうだ」
 「はい、今参ります」
 仲間に呼ばれた女性は杖を使ってゆっくりとそちらへ向かう。
 (まさか)
 繁という名に思い当たった大八は、腕を貸しながら語りかけた。
 「あの……私はこの港の代官を務める真田大八守信と申します」
 「真田……大八……」
 女性の動きが一瞬止まった。大八と同じ濃茶色の瞳。二人の視線が交わる。
 だが女性はすぐに目尻の皺を深くして俯いた。
 「私のような者に手をお貸しくださるだけでも勿体ないのに、お声をかけてくださるとは畏れ多い。立派なお代官さまでいらっしゃるのですね」
 「困っている人を放ってなどおけませぬ。若輩といえども代官はもっと威厳を持つべきと先達から叱られる事もありますが、この性分は私が物心つく前に亡くなった母に似ていると言われます。母はかつて大勢の人の力となり慕われていたと父から聞きました」
 「父君様から?」
 「私は理由あって養家に育てられたのですが、最近になって実の父と親子の名乗りを遂げることができました。それ以来、実父から母の話を聞く機会が幾度となくありまして」
 「……そうですか」
 「私には抱かれながら月を見ていたような記憶しかないのですが、母の生き様は私の誇りなのです。父も、母ならばこう望むだろうと考えながら……その、今も暮らしておられます」
 やや早口でまくしたてた語りはそこでお終いとなった。彼女を待つ仲間達の許へ着いたのだ。
 別れ際、女性は「助かりました」と丁寧に礼をした後で。

 「『信』を『守』る。素晴らしい名をいただきましたね。大切になさい」
 大八だけに聞こえる声で、女性は確かにそう囁いた。

 「あの……」
 大八が呼び止めたが、繁と呼ばれたその女性は振り返らずに仲間達の輪の中心へと去ったのであった。


 蛇足であるが。

 伊達政宗が生涯最後に妻を娶ったのは、亡くなる八年ほど前。
 二人がどこで出逢い、どういった経緯で室に迎えられたのかは、誰も知らない。
 正式な手続きを踏んだ訳でもなく、いつの間にか若林城の奥に部屋をあてがわれ、白石近辺から出仕したらしい菖蒲、あぐりという名の侍女達の世話になりながら静かに暮らしていたのだ。
 けっして出しゃばることなく公の場にはほとんど顔を出さないので実は異国の者なのではないかという憶測まで流れたが、その容貌から世に伊達者という言葉が生まれた程の夫が執務以外は彼女の部屋に入り浸り、しばしば侍女達も交えた笑い声まで聞こえていたという。
 そして、彼女が政宗に寄り添う姿はさながら糟糠の妻のようであったとも。
 一朝一夕に築かれたとは思えぬ絆の強さを、短い時間でどうやって築き上げたのだろうか。それは誰にも推し量れないものであるが、政宗にとって彼女こそが人生の最期に巡り逢えた至上の存在だったことは疑う余地などない。

 後年、参勤した江戸にて死の床についた政宗は、死にゆく姿を見せたくないと言って誰の立ち会いも拒んだといわれる。
 仙台の全土が訃報の悲しみに打ちひしがれる中、ただ一人この妻だけが乞われて寄り添い、政宗の最期を看取ったらしいという噂が仙台に流れた。
 偉大なる国主は最期に何か言い遺したのか、苦しまずに逝けたのか。家中をはじめとした誰もが彼女の口から何か聞けるのではと期待を抱いて仙台城で待ち構えていたのだが。

 仙台に帰還した政宗の亡骸の傍らに、彼女の姿はなかった。
 江戸を発った時には、いつもの赤い紬姿で棺に寄り添っていた筈であるのに。
 彼女がいつ、何処へ去ったのかは誰の知るところでもなく、これによって伊達政宗の臨終の様子が後世に伝えられることは永遠になくなったのであった。

 大切なものが詰め込まれた桐の箱を、平織りの紐で結び封印するかの如く。

(了)


このお話を書くにあたって、アイディアのヒントを含めて様々な資料や貴重なお話を伺いました。

上田市立博物館(長野県上田市)
真田氏歴史館・真田氏居館跡(同)
真田山長谷寺(同)
山家神社・豊染英神社(同)
信濃国分寺(同)
大輪寺(同)
信綱寺(同)
上田城跡(同)
砥石城跡(同)
真田本城跡(同)
真田宝物館(長野県長野市松代町)
海津城(松代城)跡(同)
海野宿・白鳥神社(長野県東御市)
碓氷峠熊野皇大神社(長野県・群馬県境)
諏訪神社(長野県軽井沢町)
犬伏新町薬師堂(栃木県佐野市)
駿府城跡(静岡県静岡市)
静岡浅間神社(同)
久能山東照宮(同)
忍城(埼玉県行田市)
丸墓山古墳・石田堤跡(同)
江戸城跡(東京都千代田区)

上田市真田町のみなさま

おかげさまで、ここにお話を完結させることができました。この場を借りまして、心よりお礼を申し上げます。
2019年6月 有堂 臨
  
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