第14話 小田原征伐

文字数 20,888文字

天正十八年

 板部岡江雪斎は、聚楽第での裁定で北条家の沼田城領有を勝ち取った。
 しかし、北条家の外交を任されて日の浅いこの僧侶が、沼田城「だけ」を安堵されれば良いと思い込んでいたことは北条にとって想定外であった。
 さらに致命的であったのは、江雪斎が持ち帰った結論を北条氏政が『豊臣に一矢報いた』として天晴見事なりと評価してしまった事であろうか。

 「城の坊主は現場をまったく解っていない」
 裁定が下ってからひと月ほど経った神無月の終わり。厩橋城から沼田城に移った猪俣邦憲は憤慨していた。江雪斎が裁定で言っていたところの「沼田をだまし取られた」張本人である。
 武田方から取っていた人質…源次郎と金子美濃守泰清が結託したことによって沼田城から締め出された後、猪俣は初めから沼田城を獲るのが目的で息子を人質に出した真田安房守の卑劣さこそが諸悪の根源であるとしてその蛮行を大げさに吹聴し続け、自己弁護を繰り広げた。ちょうど武田が滅び、遺領を上杉や徳川と争っている間に真田が沼田に居座ってしまった時期。小田原にも真田忌々しやの気運が強まっていたため切腹や放逐こそ免れたが、それで不始末が拭えるものではない。
猪俣は相変わらず小田原から遠い地で働いていた。つまり出世街道から外れたのだ。
 このたび沼田城が北条領に復帰したことでようやく沼田に戻って来たが、立場は以前の「城代」ではなく『仮』城代である。いずれ小田原から派遣された誰かが着任するまで、沼田をよく知る者としてとりあえずの留守を預かるのが役目だった。
 それもこれも、みな真田のせいだ。
 自分に非はまったくないと信じている猪俣にしてみれば、真田が上田にて徳川の大軍を破ったことも、その際に北条軍が沼田城の奪還を試みたものの失敗に終わったことも、みな忌々しいものでしかなかった。
 そんな猪俣は、沼田城に入った翌日さらに激昂した。
 沼田城のすぐ隣、聚楽第での裁定の結果真田領として安堵された名胡桃城の郭沿いに大量の六文銭の幟が立ったのだ。
 「見よ。名胡桃城から真田に見下ろされておるではないか」
居並ぶ猩々緋は、紅葉に萌える山々の彩にも負けない存在感でひときわ目をひく。沼田城の北条兵に対して、「真田はすぐ隣に居るのだぞ」と主張するのに充分な色である。
しかも、名胡桃城は沼田城よりも高台に位置する。
 猪俣はすぐに江雪斎を呼んで抗議したが、江雪斎は猪俣が怒る理由がまるで理解できていない。関白から届いた沙汰には沼田の城「だけ」を北条領とする旨、それ以西、利根川から先については引き続き真田に知行させる旨がはっきりと記されていたが、小田原はそれで上々の首尾だと考えているのだ。
 「殿のお言いつけ通り沼田城は安堵されたのだ。一体何が不満なのだ」
 「その、利根川の先が問題なのだ」
 そら、と猪俣が差した先には緋色の塊。
 「あの猩々緋……真田の旗でありますか」
 なんとまあ見苦しいことよと江雪斎は呆れた。
これ見よがしの幟も、裁定にて沼田を勝ち取った自負がある江雪斎には真田家のささやかな抵抗にしか見えなかったのだ。
しかし猪俣は違う。
 「あれは名胡桃城、真田の領として残された城だ。これだけ近くに敵の城があり、しかもあちらから沼田城の動きは丸見えなのだ。これでは沼田が北条領になった意味がないではないか」
 「しかし関白殿下の発せられた惣無事令にて既に勝手な戦は行えぬ決まりゆえ、そう神経質になる事もあるまい。真田も関白殿下のご命令に逆らってまで沼田を奪還しに来るとは考えがたい。領地を侵さぬことと戦を起こさぬことは、関白殿下のご命令なのだ。粛々と従い、互いの領地を治めてゆけば良いだけの話ではないですかな?」
 「否!これは武士の誇りの問題なのだ!沼田城と名胡桃城は二つで一つの城を為すと言っても良い要衝。沼田城一つ取り戻しても、真田に見下されたままでは兵の士気に関わる」
 叩き割る勢いで床几に拳を打ち付け、地団駄を踏んで怒りをあらわにする猪俣を、僧としての江雪斎は憐みの眼で見つめた。
 「……猪俣どのは、かつてご自分の失態で沼田城を奪われたことを根に持っておいでなのか」
 「!!」
 「十年近く前の話はもう終わったこと。猪俣どのも責を受けてこの地に居るのであるし、沼田城は関白殿下の裁定をもって北条の領地に復帰したのですから、個人の失態など今更蒸し返すものではございますまい」
 「責だの失態だのと……!あれは真田の姑息な手立てにすぎぬ。わしは悪くないのだ!」
長年北条家に勤めておきながら小田原に呼び戻される事もない自分を揶揄された気がして、猪俣は顔を真っ赤にした。沼田を奪われた失態だけでなく、その気性が格式を重んじる北条の者から煙たがられるのだという事実に気づいていない。
 「……では大殿にそう進言しておきましょう。必要あらば、今一度関白殿下に裁定の場をいただけるよう掛け合いますゆえ……」
 「早う頼むぞ。沼田と名胡桃は二つで一つなのだ」
 江雪斎の言葉は、猪俣を黙らせるための方便にすぎない。
 氏政の上洛という最大の切り札を使ってしまった以上、もはや裁定の機会など無きに等しかった。そもそも、もう戦は起きない世において兵の士気が何だというのだ。
すべては名胡桃城にたなびく猩々緋に易々と挑発された猪俣の癇癪だと断定した江雪斎は、猪俣を適当にいなして小田原へ引き上げた。

 猪俣の怒りをついに理解できなかった江雪斎が退出した沼田城の夜。
 「あの坊主、まったくもって使えぬわい」
 酒徳利を傾けながら猪俣がこぼしていた。
 「何よりも、態度の端々でわしを小馬鹿にしておる。そりゃあ、わしは大殿に目通りした事すらないが、沼田を卑怯な手で奪われた後も上杉や武田との争いの最重要地である沼田や厩橋を守り抜き、奪還の機を狙い続けたのは今やわし一人なのだ。そのような者を蔑にするなど、ぬくぬくとした地で大殿におべっかを使ってばかりの坊主ならではの傲慢に他ならぬではないか」
 それは猪俣の自己評価が高すぎるからだ。その場にいた誰もが同じ考えだったが、さすがに火に油を注ぐような真似はしない。
 「そういえば、北では伊達政宗という若造が暴れているようですなあ」
 気まずい雰囲気を変えようとしたのか、夕餉の相伴に呼んだ家臣の一人が何気なく口にした。
 「暴れておる?」
 「もとより奥州は小大名がせめぎあう地。彼らは団結と離反を繰り返して凌ぎを削っておりましたが、その一環で親を亡くして家督を継いだ伊達は関白殿下の惣無事令が発せられた後も何知るものぞと会津の蘆名と摺上原で戦い、勝利して常陸より北をほぼ手中にしたそうでございますぞ」
 「そのような真似をしたら、関白殿下に討伐されるのではないか?」
 「いや、それが今のところまだ何の咎めもないそうなのでございます。さすがの関白殿下も、まだ畿内から西を固めることに手いっぱいで奥州どころか関東までは手が回らぬと噂されているとか」
 『旅の薬売り』から買った情報だと家臣はにやりと笑ってみせた。
 「北条家とは比べものにならない程の小国、その小倅すら討伐できないのです。小田原の大殿に上洛を命じたのも、案外小田原を征伐するだけの余裕がないから戦わずして従えたいという脅しであったのかもしれませんなあ。はっはっはっ」
 豪快に杯をあおって笑う家臣らにつられて他の者も顔を緩めた。
総無事令に反しても関白は討伐できないと聞いた猪俣はふいと口にする。
 「……ならば、例えばこのわしが名胡桃城を落としても、今なら咎を受けぬやもしれぬのだな」
 「名胡桃城を?」
 「関白が殿と取引して上洛を促すほど殿に腰が引けておるのなら、何もできまい。まして相手は裁定に負けた真田だ、日ノ本の地図から消し去ったところで何するものぞ」
 猪俣はすぐ「冗談だ」と予防線を張って酒を口にしたが、居並ぶ家臣達の反応は予想以上に大きかった。
 「おお、猪俣さま。真田に大きな顔をされた意趣返し、やりますか?」
 「江雪斎に美味しいところを持って行かれたままである事には我らも不満を持っておりましたぞ」
 「ここは我々で名胡桃城を奪い取り、小田原に我らの武勇を轟かせてやろうではありませぬか」
 「みなの者……」
 次々と上がる同調の声に、猪俣の心が高揚した。決断を迫る彼らの視線を一手に受け、さながら一世一代の大舞台に上がる気分で立ち上がる。

 「やらいでか」


 猪俣邦憲は武闘派であるが、同時に執念深い。こと真田相手には受けた屈辱と同じ方法で名胡桃城を奪う算段を周到に整えた。
霜月に入って間もなく。まず名胡桃城主を務めている鈴木主水に宛てて真田安房守昌幸の名で岩櫃城への呼び出し状を送り届けた。
 沼田城は真田源三郎の段取りによって既に北条方に明け渡されていたが、その確認と国衆への事情説明のため昌幸が信濃に戻って来たのは聞いていた主水は、何事かとすぐに名胡桃城を発ち岩櫃城へと入る。
 名胡桃城を守る強者が不在となった隙を狙い、猪俣は名胡桃城に総攻撃をかけたのであった。
 
 主水が岩櫃城にて「昌幸からの呼び出しなどない」と源三郎から聞かされ、もしやと思い急いで名胡桃城に戻った時、既に名胡桃城の郭には北条の『三つ鱗』と『钁湯無冷所(かくとうむれいしょ)』の幟が無数にはためき、六文銭の幟は麓で焼き捨てられていた。
 『钁湯無冷所』とは「この場は煮えたぎる湯を満たした釜の中であり、どこにも逃げ場などない」として不退転の覚悟で戦に臨むよう訓示したものである。
 だがその時逃げ場がなかったのは鈴木主水の方だった。
 偽の花押を見破ることもできず、すぐ隣にいる北条に警戒することもなく城を空けてしまった。そして主から任せられた城を失った。城に残してきた兵達も、家族も、行方知れずである。
 愕然となり、そして自責の念にかられた主水は、縁のある寺をふらりと訪ねると住職が目を離した隙に墓地にて自害してしまったのである。
 立ったまま自らの腹を切っていた主水の亡骸は、沼田城の方角を鬼の形相で睨みつけていたという。


 「北条め、ここまで拙速であったとは」
 京から上田に戻ってすぐ名胡桃城落城を聞かされ急ぎ岩櫃城に入った昌幸は、名胡桃城落城と鈴木主水の自害を知らされ愕然とした。
 「父上からの伝令が名胡桃城に到着した時、既に鈴木主水は岩櫃に向かっていたとか。不幸なすれ違いとしか言いようがありませぬ」
 出迎えた源三郎が唇をかみしめている。
 「北条に動きあらばすぐ城を明け渡せと命じるために遣わしたのだが、まさかあちら側から先に調略を仕掛けて来るとは……主水の家族はどうしている?」
 「北条方の兵に連れ去られる姿を見たと、城下の民が証言しています」
 「そうか……出浦、北条に囚われた鈴木主水の息女を救出してくれ」
 「了解」
 昌幸の護衛についていた出浦は、すぐに山中に消えていった。

 出浦の仕事は迅速かつ抜け目がない。
 「よう戻った。もう大丈夫じゃ、安心せよ」
 沼田から厩橋に護送中のところを山賊に扮した出浦に拉致…救出されて岩櫃城に保護された鈴木主水の妻子、とくに妻の方は顔面蒼白で髪も乱れ、怯えきっていた。昌幸が労う後ろですぐに稲が綿入れを用意して羽織らせ、女中に命じて気つけ薬の手配をする。
 「大殿さま、旦那様が……」
 「わかっておる。主水はよく名胡桃を治めてくれた故まこと無念じゃ。その忠義に報いるためにも仇は必ず討つ。その方たちの面倒はこちらで全て引き受けよう」
 「ああ……」
 もはや頼る者もなくなった鈴木主水の妻は、元服したばかりの息子に抱きかかえられて泣き崩れるのみであった。
 「主水の子よ…忠重と言ったな」
 「左様にございます」
 母を支えていた若武者は気丈に顔を上げる。
 「おまえには、これからわしと一緒に上洛してもらう。父の仇を討つためには大義名分が必要なのだ。関白殿下の御前で、北条がした事を証言してくれまいか」
 「父の無念を晴らせるのでしたら、どこにでも参ります。大殿の御心のままに」
 鈴木主水の息子・鈴木忠重は、この時の確かな証言と昌幸への忠義が認められ、後に源三郎の重臣として松代までつき従うことになる。

 「主水の件は想定外であった」
 よう仕えてくれたのに。昌幸は盃を名胡桃城の方へ向けて献杯する。
 「矢沢の叔父上も大層気落ちしておられる。今はそっとしておいてやろう」
 「大叔父上は、これまで最前線に立って沼田城を守って来られましたから……城を明け渡すだけでも屈辱であられたのに、その上さらに鈴木主水の自害となれば、さもありませぬ」
 鈴木主水に目をかけ、城代を任せられるまでに育て上げたのは矢沢翁である。源三郎も父に倣って献杯した。
 「まさか北条が名胡桃城を落とすとは」
 「……それは、まあそうなるだろうと思っておった」
 「は?」
 「沼田と名胡桃は二つで一つの城よ。まして沼田より高い場所から真田の旗に見下ろされれば、気位だけは公家なみに高い北条が黙っている筈がないだろう」
 こちらだって同じ心持だ。昌幸は盃に口をつけた。
 「では父上は、初めから名胡桃城を北条に取られることを覚悟しておられたのですか」
 「覚悟ではない、名胡桃の落城が『前提』だったのだ」
 だからわざと名胡桃城に六文銭の幟をありったけ立てさせたのだ。ついでに『旅の薬売り』に情報まで掴ませておいた。昌幸は当然のように言い切る。
 「ですが奪われた城は容易に取り返せませぬぞ。沼田に続いて名胡桃まで奪われたとなれば、矢沢の大叔父上をはじめとした国衆に申し開きができませぬ。一体どうなさるのですか」
 「そう慌てるな。わしらには誰がついていると思っておる?」
 ほれ、と昌幸が親指を立てた先は西方。
 「……まさか」
 「急ぎ京に戻って北条の蹂躙ぶりを殿下に報告すれば、殿下は北条討伐の大義名分を得ることになる。北条が相手なのだから、見せしめのためにも殿下は日ノ本じゅうの大名を招集する筈だ。敗けることはまずない」
 「しかし、北条は沼田城と引き換えに上洛すると聞いております」
 「だから急ぐのだ。北条が殿下に臣従の意を示す前に、何の申し開きもできぬ状況を作る」
 「……」
 臣従どころか惣無事令に背いたとして北条を滅ぼさせる算段なのか。
沼田城の明け渡しに応じたのも、それらの布石であったのか。
源三郎の肌が粟立った。父親ながら、何と恐ろしい男なのだろう。
 「和睦だ何だと生ぬるいことを言っていては守るものも守れまい。自ら戦えぬなら、その権限を持った者に滅ぼしてもらうまでよ。それと」
 昌幸は掌を口許に当ててみせた。
 「真田はあくまで『被害者』だ。北条が滅んだら、沼田も名胡桃もふたたび真田の土地よ。もう誰にも文句はつけられまい」


 「北条は、いまだ上洛の気配をみせないとか」
 大坂城の執務部屋。長机に並んで書物の整理をしていた源次郎は、隣席の大野治長と話していた。
 「霜月の間に上洛せよと殿下から命じられていると聞きますが……このままでは」
 「うむ。北条どのは一体何を考えておられるのか」
 「入るぞ」
 その時部屋の格子戸が開き、石田三成が部屋に半歩足を踏み入れた状態で源次郎を呼んだ。
 「治部さま」
 「この書状を皆で書き写し、宛先ごとに帳簿に記した兵数を記載せよ。明日のうちに殿下のご朱印をいただき、各地の大名宛に送る」
 源次郎が駆けつけて受け取れば、各国の国主に宛てた参集の文である。三成が用意した帳簿には、各国ごとに徴用すべき兵の数や持参金までこと細かに指定されていた。太閤検地による石高をもとに三成がはじき出したのだろう。
 はからずも源次郎の顔が強張る。
 「これは……」
 「昨日、そなたの父が上洛して殿下に目通りした……が、またすぐに上田へ戻ってもらう事になるだろう」
 「父が?」
 「名胡桃という城が、北条に攻め落とされたそうだ」
 「!!」
 「北条の行いは惣無事令に反しておる。つまりは殿下の命に背いたということ」
 「……殿下は小田原討伐をお決めになられたのですか?」
 三成は小さく頷いた。
 「釈明の機会を設けるゆえ早々に上洛せよと最後通牒を送ったのだが、なしのつぶてだ。既に殿下の堪忍袋の緒は切れておる。先ほど、霜月が終わった瞬間に攻め入れと下知された」
 「ではこの文は」
 「安房守は無論のこと、諸大名にも参戦を呼びかける。正当な理由なく参陣せぬ者は北条方と見做せとの仰せだ」
 「……小田原討伐……」
 茫然としていた源次郎に、三成は「呆けている暇はないぞ」と檄を飛ばして退出した。平素から速い三成の足音が、今日はさらに速まっている。陣立てやら兵糧の手配やら、仕事が山積みなのだろう。
 「戦か……見せしめだな」
 大野も緊張していた。
 「殿下のご裁定どころか、発せられていた惣無事令まで破ったのだ。殿下の顔に泥を塗る行い、上洛しても切腹を申しつけられるのは明らかだからな」
 これは大戦になるぞ。どちらにせよ北条に勝ち目はあるまい。大野の見解は源次郎と同じであった。
 だが、源次郎の内では目の前に迫った事実と記憶がこの瞬間一致したのだ。
 (父上はこうなる事を見越して名胡桃城を手中に残したのか)
 信濃を訪れた事のない関白が知る由もないが、名胡桃城は沼田の支城のようなもの。同時に治めなければ意味がない。父は北条が名胡桃を欲することを想定して、おそらく挑発の一つも仕掛けたのだろう。
 だから、あんなにもあっさりと沼田を明け渡した。
 (もはや武田の遺領を争っている時代は終わったのに……父上は、まだ信玄公の遺恨を引きずっておられるのか)
 武田の遺恨を引きずる父、そして祖先の栄光をよすがとする北条。どちらも『日ノ本を俯瞰して見ていない』という点では似たり寄ったりだ。
 だが、それだけに行く末が恐ろしくもあった。
 一歩踏み出すごとに緩むような綱の上でも渡りきれるのなら…父の思惑が当たっているうちはまだ良い。読みを違え始めたら、今度は父が…真田が北条と同じ運命をたどることになりかねないのだ。

 秀吉が小田原討伐を決定してから七日のうちに家康が京に引き揚げてきた。
 「出立の刻限ぎりぎりまで説得してまいりましたが、北条どのの意思を曲げることは不可能であり申した…あとは翻意を期待するしかありませぬな」
 「徳川さまもご苦労でありました。が、既に殿下のご意思は固まり申しております。既に諸大名に戦支度を命じておりますゆえ、徳川さまも軍議に参加していただきたい」
 「それはまた早急な。霜月ならばまだ充分に時はあるはず」
 「期限が終わってから支度をしていては間に合わぬ、師走に入ると同時に処罰すると仰せです」
 「……左様でござるか」
 隣国として長い間凌ぎを削ってきた敵が消えようとしている。しかし、家康はそれを手放しで喜んではいなかった…いや、正直面白くなかった。
 秀吉の天下が、さらに揺るぎないものとなっていく。日ノ本が完成していく。
 北条に勝算があったのなら。もっと早く真田や上杉、伊達と手を組めたのなら。
 (儂の辛抱も、いましばらく続くという事か……)
 「徳川よ、そちには小田原の東を固めてもらう。京を不在にする間、倅を留守居として置いておけ。公家衆の相手やら西への抑えやら、ここも人手が薄くなるからな」
 軍議が始まる前、秀吉は家康にそう命じた。
 人質として嫡男を京都に残せというのは、家康が完全には信用されていないという事である。こちらの考えまで見通されているのか。家康は黙ってその命令に従うしかなかった。


 討伐が決まってからの京や大坂は、目まぐるしく変貌していった。
 各国から上洛した大名が集結し、兵や馬、兵糧、金子がどんどんと大坂城に吸い込まれていく。この城は日ノ本じゅうの兵を平らげても平然としていられるのではないかと源次郎はついつい感心してしまった。
 それらの手配のほとんどを石田三成と大谷刑部、黒田官兵衛の豊臣旧臣三名で行ったのだという。他の大坂城勤めは、ほとんどが彼らの指示の下で己の役目だけを果たせばそれで良い。正直、秀吉が不在でも大坂は三人で充分回っている…むしろ口出しされない方が天下がうまく回るのではとまで囁かれてしまっている。
 「どうじゃ、源次郎」
 そんな揶揄が出ていることを知ってか知らずか、書状の遣いで聚楽第を訪れた源次郎に、秀吉は真新しい甲冑や陣羽織を見せびらかしていた。
 公家では天皇家の男子以外用いることができない曙色をふんだんに用いた甲冑、胴や籠手には南蛮模様がきらめく鎧。陣羽織は金糸を贅沢に織り込んでいる。
 中でも金色の針が四方に張り巡らされた意匠の兜が最もお気に入りのようで、秀吉は子供のように被ったり外したりとご満悦だった。
 「この後立は日輪を模しておるのじゃ。わしの後ろから金色の後光が差す……そういった演出も戦には必要じゃて」
 此度の戦、総大将は秀吉の甥・豊臣秀次と徳川家康が務め、彼らが率いる本隊は東海道、前田利家が率いる北方隊は中山道から北条の支城を攻略しつつ進み、長曾我部元親率いる水軍は物資の輸送と海上からの牽制、最終的にすべての勢力を合流させて小田原を包囲することが決まっている。秀吉はただ本陣に座しているだけで良いのだ。北条方が本陣に斬りこむ事はまずないため甲冑も最低限の強度があれば良く、いかに効果的に『関白ここに在り』を大名たちに宣伝できるかに重きを置いていたのだ。
 「源次郎、おまえは北方軍に加わるのであったな」
 後光の一本一本を絹布で磨きながら秀吉が訊ねる。
 「はっ。石田さまから伺っております。馬廻衆のお役目を差し置いて殿下のお側を離れることをお許しください」
 「佐吉がそう決めたのなら構わぬ。あちらは前田、上杉、それに安房守と戦上手が勢揃いじゃ。存分に励んでくるように」
 「有難きお言葉、勿体のうございます。ご期待を裏切らぬよう働き、小田原にてふたたび殿下の前に参上いたします」
 「まこと頼もしいのう。小田原に着いたら、皆この後光を目指して集え」
 秀吉は後光に息を吹きかけた。塵を払ったのだろうが、傍目には黄金の像に魂を吹き込むように見えた。


 さちが大坂城の南、志気の長吉神社に参って貰ってきた戦勝祈願の守り札を首から下げて、源次郎は上田城に戻って来た。
 彼女は山手とともに京の真田屋敷から大坂城に入った。聚楽第や大坂城の近くで暮らしていた大名の妻子も皆同じである。言うまでもなく、戦で寝返る者を出さないための人質として。
 徳川や上杉、前田といった大大名の家の者だけはそれぞれ京屋敷での滞在を許されたが、留守居役として京に残る毛利輝元の監視下に置かれた。

 「おお、源次郎。待っていたぞ」
 「兄上、お懐かしゅうございます」
 懐かしい上田城の東櫓門で源次郎を出迎えたのは源三郎であった。隣には、会うのは二度目になる源三郎の妻が控えている。
 「義姉上もご健勝で何よりです」
 「源次郎さまとは祝言の時以来ですわね。あの時は忙しくてほとんどお話できませんでしたが、改めてよろしくお願いいたします。……さあ、長旅でお疲れでしょう。上田の食べ物を沢山召し上がって、しっかり体を休めてくださいまし」
 朗らかで社交的な印象を与える稲姫は、大きな瞳の下にある涙袋を盛り上げて微笑んでみせた。
徳川随一の豪傑を父に持つ姫らしいおおらかさは、その場にあたたかな日差しをもたらすようである。父・忠勝から直々に武芸の稽古をつけてもらっていたという噂を事前に耳にしていたことも手伝って、稲は方向性こそ異なるが全体的な雰囲気、気概のようなものは前田利家の奥方、そして源次郎の妻さちとどこか似ている。
母の山手が伝統的な武家の『奥』として万事控えめに夫の三歩後ろを下がって歩く女性なら、さちや稲は三歩後ろで夫の背を支え、さらに自分に出来る役割を求めて日々精進を重ねるような女性である。茶々といい、『奥』という言葉がだんだん当てはまらなくなっている世の女性像に世代の変化というものを実感せざるを得なかった。
 かといって、けっして出しゃばることはない。下がるところではきちんと下がる気配りも身についているのだ。徳川家康の養女という肩書にも負けていない、将来の国主の奥方に相応しい女性である。
 「では、わたくしは一献用意して参ります。どうぞお寛ぎください」
 去り際、稲は源次郎に小声で打ち明けた。
 「実は、殿から源次郎さま……繁さまのことを伺ってから、お会いできる日を心待ちにしていたのです」
 「あ、義姉上?」
 「勘違いなさらないで。わたくしはもう真田の女でございます。三河には何も申しません。ただ、薙刀を存分に振るう機会がなくてうずうずしておりますの。後でお手合わせをお願いいたしますね」
 「兄上……」
 困惑しながら源三郎を見れば、兄は苦笑いを浮かべている。
 「まこと、稲は真田の女になるべくしてなったような女子だ。最近、侍女や国衆の娘を城に集めて女武者隊なるものを組織したのだが、薙刀を手に取るのも初めての者ばかりでまだ稲の相手になる者は育っておらぬのだ。少々息抜きにつきあってやってくれ」
 「武芸が達者とは、たしかに我が身を見るような思いです」
 「まったくだ。あのように軽々と武器を使いこなすおなご程怖いものは……おっと、これは内緒だぞ」
 どうやら、義姉は女の身であり続けながら男子顔負けの武芸を身に着けることで世を渡り歩く性分らしい。腕は立つが、どちらかというとのんびりした性格の源三郎は尻に敷かれてしまいがちなのだろう。


 「単刀直入に伺います」
 上田城の主殿で。久方ぶりに親きょうだいが揃った夕餉の席で、源次郎は昌幸に膝を向けた。話の流れを察した源三郎も同じ所作をする。
 「父上は、殿下に北条を攻める口実を与えるために名胡桃を落とさせたのですか?」
 「……ここで北条をどうにかしておかねば天下泰平はならぬ。それに、此度の件は殿下の下知であることに変わりはないぞ」
 「左様でございますが、そうなるように仕向けたのは父上なのでは?」
 慌てる源三郎を振り切ってずばりと詰め寄った源次郎に、昌幸は「そうだ」とあっさり認めた。
 「北条は豊臣を嫌っておる。沼田城をめぐっての裁定は、自らの主張を通すことで国を挙げて豊臣何するものぞと意気込みたかったのであろう。そして沼田の知行が認められた矢先に奥州の伊達が先頭きって惣無事令を破ったことで慢心に至ったのだ。あとは現地の家臣どもの功名心を突けば容易いものよ」
 「では、伊達が先に惣無事令を破っていたことを父上はご存じだったのですね?」
 「京と信濃では、情報の伝わり方にも違いがあるだろうが」
 「その上で、伊達の所業が殿下のお耳に入り奥州討伐をご決断なさる前に小田原攻めを決定させた……」
 「いかにも。源次郎は聡いのう」
 昌幸はまったく悪びれていない。
 「禁を犯した者を順番に仕置しておくのならばまず関東から着手した方が効率が良いであろう」
 「では小田原の後は奥州に戦火が飛ぶのですか?」
 長い戦になるのか。源三郎の顔に緊張が走る。
 「それは伊達次第だ。伊達の当主は、齢の若さと京から遠い…上洛が困難な奥州という地に生まれたことに感謝するべきだろうな。殿下の命令どおり小田原に参陣すれば、罪状がいくらか軽くなるやもしれぬ」
 「そんなばかな話がありますか」
 源次郎は今度こそ身体を乗り出した。止めようとした父の扇を振り払う。
 「それでは、此度の騒動は北条だけを討伐するのではありませぬか」
 北条は滅ぼし、伊達には機会を与える。惣無事令違反という大義はあくまで名分であって、その実はたんなる禍根でしかないのか。
 「北条は滅ぼされなければならぬのだ。ここに来てもなお上洛せぬ者を見逃しておけば、せっかく整いかけた天下もまた乱れる……それとも、おまえは北条に与したと見なされて一族もろとも滅ぼされたいか?」
 源次郎の顔に怒りがこみあげてきたのを見て、父が素早く釘をさす。
 「北条は、あくまでも豊臣に刃向っておるのだ。沼田の件は『きっかけ』にすぎぬ」
 それは詭弁だ。源次郎の反論は昌幸に「そうだとも」とあしらわれる。
 「時代にそぐわぬ者は淘汰されるのだ。武田がそうであったように」
 「……」
 北条は信玄亡き後の武田に真っ先に攻め込んで来たこともあり、源次郎も幼心にあまり良い感情は持っていなかった。しかし謀略の末に潰されることを知って…のみならず、自分までその戦いに身を投じるとなれば話は別である。戦の始まりなどこんなものだ、そう分かっていても、やはり気分の良いものではない。
 かといって、すでに秀吉からの命令で上田に来ている以上は従うしかなかった。自分一人だけでも戦に反対すれば、すなわち自分だけでなく真田家一同が大坂を敵に回すことになる。
 自分一人の感情だけで上田を戦場にする訳にはいかなかったし、大坂も敵にしたくなかった。豊臣軍には、茶々もいればさちの父もいる。彼らを敵にすれば、どちらが勝利してもさちが悲しむ事になるのだ。
 身の回りの者を守るためには、清廉なままではいられないのだ。ときに信念を曲げて謀略も是としなければならない。
源次郎は、今後自らの心の中にどれだけの澱が沈み、どれだけ心が濁っていく事になるのだろうかという不安と戸惑いを抱えながら戦うしかないのだ。

 小田原討伐について。源次郎はそれ以上のことを理解する術がなかったが、豊臣が北条を潰しておきたい理由は他にもあった。
 五十を過ぎてからようやく嫡男に恵まれた秀吉であったが、子が元服するまで生きられる保証はない。秀吉亡き後、子の後見として最有力なのは徳川家康である。前田利家は秀吉も年長であり、上杉景勝も養父謙信があまりに偉大すぎたためどうしても弱く見られているふしがある。
 徳川は今でこそ豊臣に臣従しているが、いざという時に北条と手を組んだら厄介である。北条を潰すのは、徳川の切り札を少しでも削っておくための策でもあった。
 何としてでも自らの血筋に跡を託したい秀吉は、自分の眼が黒いうちに豊臣体制の障壁となるものはすべて潰しておきたいのだ。子の進む道を出来るだけ平坦なものに整えておきたいと強く願うあたりは、やはり秀吉も人の子であったと思われる。
 老いによる焦りとともに、その手段が狡猾かつ強引なものに変貌しつつあることに本人が気付いていないだけで。


【天正十八年・小田原】

 小田原討伐の号令は、各地の雪が融ける弥生月の終わりに秀吉が徳川領の沼津に到着するのを待って発せられた。秀吉率いる本隊は畿内から西の大名すべてを従えて京を出立した後、三河から東海道を進む本隊と沼津から富士山の裾野を回って北上した後に東海道と甲斐から武蔵国に属する北条方の城を攻略していく分隊に分かれる予定である。そちらとは別行動となる北方隊は信濃との国境にある松井田から攻め入り、北から北条領を制圧していくことになる。今回、真田家は北方隊に名を連ねていた。
 上田から出立した真田家の男子三名は三千の兵を率いて東進し、信濃国と上野国の境に位置する碓氷峠にて北方隊の大将を務める前田利家、そして上杉景勝の隊を迎え入れた。この地で兵をまとめてから一気に峠を下り、松井田城を取っ掛かりにして南へ、小田原を目指して戦い進む約定である。
 「源次郎、久しいな」
 昌幸が中山道の入り口に人馬を整える砦を急ぎ築いている間。碓氷峠の頂上、熊野皇太神社の裏山に祠を献上して戦勝祈願をしていた源次郎の前に懐かしい顔が現れた。上杉景勝である。そのすぐ脇には直江兼続の姿。なつかしい対面であった。
 「上杉さま、それに直江さま。ご無沙汰しております」
 「九州での活躍、越後にも届いておるぞ。いよいよ武士として頭角を現してきたな」
 「恐れ入ります。人質であった私に薫陶を与えてくださった上杉さまへの御恩返しになっていれば良いのですが」
 「返すも何も、すでに私を超えている。胸を張って良いぞ」
 「ありがとうございます」
 「そういえば、そなたは結婚したと聞いているが?」
 直江兼続の問いかけに源次郎が頷くと、兼続は景勝と一瞬だけ視線を交えた。だがその意味を悟らせまいと兼続はすぐさま笑顔を見せた。
 「そうか……それはめでたい。では武功を立てて凱旋せねばならぬな」
 「はい」
 「前田隊もすでに地蔵峠を越えておられるとのこと。この戦い、北方軍はまっこと強き隊となるぞ」
二日のうちに前田隊も到着し、かの大和武尊も国見を行ったという碓氷峠にて出陣の杯を交わした北方隊はいよいよ進軍を開始した。
 峠を下りきってすぐ、妙義山の麓に位置する松井田城には松井田城には北条家の宿老(公卿にあたる位置づけ)を務める大道寺政繁が二千の兵とともに籠城していたが、上杉・前田の説得が功を奏してひと月足らずで開城、大道寺を味方につけることで小田原への道案内を確保した。その二週間後、五月半ばには上野国と武蔵国の境界にある鉢形城を攻略した。
 鉢形城攻略のさなか、東海道を進む京からの本隊から分かれて甲斐から武蔵へ進軍していた石田三成隊から武州の攻略に関して真田昌幸に援軍要請がなされたため、真田一家は忍城へと向かった。
 「忍城は周囲を川に囲まれた湿地帯。殿下は、かつてご自身が備中高松城を攻めた際に使った水攻めの策を用いよと仰せだ」
 大一大万大吉。秀吉から直々に賜った家紋を誇らしげに掲げた石田三成は、何としても主命を遂げたいと息巻いていた。
 「しかし、ここの土はだいぶ脆いですなあ。城を包囲するだけならともかく、川をせき止めるだけの強固な堤を築くのは難しいやもしれませぬ」
 昌幸はもろもろと崩れていく土を手に取り、力攻めを勧めた。
 小田原に参戦している城主に代わって忍城の留守を預かる成田長親は民の人望をもとに現在は籠城戦で凌いでいるというが、兵力の差を考えれば豊臣軍の力押しで開城まで持って行ける。小田原攻めを想定してこちらの損害を抑える策ならば、昌幸はいくらでも献上できるのだが。
 だが気が昂っている今の三成は水攻め以外の攻城方法を頑として受け入れなかった。
 「殿下は水攻めをご所望なのだ。それゆえ上田にて徳川を水攻めにしたそなたを呼んだというのに、出来ぬとは何事か」
 「我らがせき止めた神川流域は浅間山の灰が積もって出来た粘り気のある土地、しかしこちらは川の中流という事もあって砂が多く混じってござる。岩を切り出せるような山もなく、時間がかかれば城からの反撃をかわすだけで損害が大きくなり申す」
 「難所を切り抜けてこそ豊臣軍ぞ。そこを何とかしてこそ豊臣が家臣ではないか」
 「……ふむ」
 昌幸は地図と現状を交互に見やりながら思索を巡らせた。心が決まると、地図に筆で線をひく。
 「では山から木を切り出し、杭として土台としなされ」
 「小さな郭を造るようなものか」
 「左様。杭を支えにして土を固めれば強度が増すでしょう。麻袋に砂を詰めて、何度も何度も叩き固めるのです」
 「ほう」
 「我らが居る本陣は忍城よりも高台にあります。広い範囲で地形を見れば忍城は浅いすり鉢の底に位置しておりますゆえ、土地のわずかな高低差を利用すればさほど土を積み上げる必要のない場所も多くなりましょう」
 昌幸が、自らひいた線のあたりの平地を指す。
 「南を流れる荒川から北へ向かって七里(現代に換算しておよそ二十八キロメートル)、利根川の支流まで。そして堤の西端から水を引き込みます。さすれば城全体を包囲する必要もなく最低限の工事で水没するかと。最低限といっても、必要に足りるだけのものを築くとなれば大がかりになりますぞ」
 工期は急いでも十五日以上。昌幸はそう計算したのだが。
 「そのような時間はかけられぬ。五日で完成させる」
 「さすがに五日は無理がございますぞ。戦をしながらでは、ここに居る兵だけでは足りますまい」
 「隣接する徳川や上杉の領からも人を集める。資金は私の国元から何とかしよう」
私財をはたいてまで主命を優先するのか。お世辞にも裕福とはいえない新米大名親子は目を丸くしたが、三成は何がおかしいのだという顔をしている。
 「私の蓄えは、殿下から賜った領地があるからこそ有るものなのだ。つまり私の財ではなく殿下の財であられる」
 「治部少輔さま。島左近、ここに」
昌幸と同年代の男が三成の前に膝をついた。
 「左近、この地に堤を築くぞ。必要な人手を書き出すから、すぐに集めてまいれ」
 「御意」
 さらさらと巻物に記された数を見た左近は「これはまた剛毅果断な」と驚いたが、すぐに「何とかいたしましょう」と駆けていく。
 「島左近どのですか……流石ですな」
 昌幸はその名を知っているようだった。源次郎は後になって聞いたのだが、島という男はかつて筒井順慶が戦国三大梟雄の一人といわれた松永弾正久秀と戦った際に斬り込み隊長を務めた剛の者で、弾正にひと槍喰らわせたといわれている。筒井氏と袂を別った後は長らく隠遁生活を送っていたが、最近になって石田三成のもとに仕官したらしい。
 「信玄公も声をかけたのだが……話も聞いてもらえずに追い返されてしまったわ」
その時の使者が自分だったと昌幸は懐かしむように笑った。
 「治部少輔は、三顧の礼に加えて自らの知行の半分を島に与えたそうだ」
 「半分…それはまた思い切ったことを」
 「豊臣にとって有益となる人材を、自前の金で従える……過ぎたる者などではなく、ああいう治部少輔だから島左近は臣従したのだとわしは思うぞ」
 石田自身の財産は豊臣の財産でもあると言い切った石田の信念は本物なのだと思わざるを得ない逸話であった。
ともあれ、三成がそこまで清廉であるのならばもう止める理由などない。反対に「おまえの財産も差し出せ」と言われては適わないので、昌幸は急ぎ堤の全体図面を書き起こすと八王子へ引き上げることにした。せめてもの形ばかりに数百の兵を石田隊に預けたが、源次郎は昌幸と行動を共にする。
 「では我々は八王子へ戻ります。ご武運を」
 「感謝いたす、安房守どの。小田原にて殿下に良い報告が出来るよう、互いに励みましょうぞ」
 三成は意気揚々として真田親子を見送った。

 「父上、お見事にございます」
 八王子への道を急ぐ馬上で、源次郎はひたすら感心していた。だが昌幸は苦々しい顔である。
 「あんなもの、ただの時間稼ぎにしかならぬ。千曲川で同じ事をやれと言われても、わしなら絶対にやらぬ。あの環境で最善の策は与えたが、今は長雨の季節ゆえ、雨でも降れば三日も保たぬであろうな」
 関白が敬愛してやまない『今孔明』とて同じことを言っただろうと昌幸は言い切った。
 「どこかで成功した策が他所でも成功する訳ではない。むしろ失敗するであろう。治部少輔は関白からかけられた期待を分かっているが故に気が逸っておるが、焦りで視野が狭まってしまう者は一度くらい痛い目をみた方が良かろうて」
 「それでは敗け戦になります。下手をすれば石田さまのお立場どころか豊臣隊も危うくなるかと」
 「戦は六割七割くらい勝てば良い。躑躅ヶ崎で習わなんだか」
 「……信玄公の座右の銘として」
 「実際、戦など大勝利だろうが僅差だろうが相手を降参させれば勝ちだ。それを分からぬ奴らに従うならば、つまり敗けなければ良いだけのこと。我らは八王子攻略を急ぎ、忍城は石田どのに任せて小田原へ進むぞ」
 「先に小田原を落とすおつもりなのですか?」
 「小田原を落とすのは豊臣と徳川の仕事だ。大将が降参すれば忍城とて観念せざるを得まい」
忍城攻略が成功するか否かは石田次第、しかし此度の戦の目的はあくまで小田原城なのだ。昌幸はそう源次郎に諭した。

 真田隊は再度西進して北方軍と合流すると、秩父から南へ下って水無月の終わりには八王子城の攻略に取り掛かり、わずか一日で攻め落とした。
 城主や主だった兵のほとんどが小田原の守備に駆り出されていた八王子城の戦は悲惨であった。お守り程度に残されていたわずかな兵をあっという間に殲滅して勝利を確たるものにした後、残された者は投降するよう呼びかけたにもかかわらず動ける者は女子供までみな槍や刀を取って立ち向かってきたのだ。
 これには前田も上杉も躊躇したが、命は保証するという説得もまるで聞き届けられず、結局は固まって門を守る彼らを撫で斬りにして入城せざるを得なかった。
 残った幼子や老人たちは、囚われる前に城の近くを流れる川で集団自害していた。
 「武士の息女がこちらの人質になる事で、小田原にいる家族の足かせになるまいと考えたのであろう」
 清流が血で溢れ、周囲の土をも赤く染めている。草鞋の底を染める赤はそれを流した者が命尽きてもなお侵略者の足首を掴んで行く手を阻むようにさえ思え、いたたまれない思いを抱かせる。
 三日経ってもなお赤の混じった水が淀む河原で手を合わせていた源次郎と源三郎兄弟、そこへ上杉景勝と直江兼続が加わって般若心経を唱え、せめてもの供養とした。
 「わが義父上・本多忠勝どのは、戦に出られる際には常に数珠を肩からかけておられるそうだ」
 源三郎が呟いた。
 「桶狭間の戦いにて初陣し、姉川、長篠といった激戦のすべてに参戦しているにもかかわらず傷ひとつ負ったことのない義父上は、自らが討ち取った相手に対して供養のかわりにそうなさっていると稲から聞いた」
 それは忠勝なりの敵に…無名の兵に対する敬意なのだろう。源三郎は「今、初めて義父上の気持ちが分かったような気がする」と血染めの川を見ながら再度合掌した。
 「出立の支度が整った。すぐ小田原へ向かうぞ」
 昌幸が声をかけに来たが、合掌している彼らに倣おうとはしない。
 「父上は手を合わせないのですか?」
 「わしの手は、とうに手を合わせる資格など失っておる。それに」
 「?」
 「敗者が勝者から情けをかけられることは何よりの屈辱だ。おまえ達はどう考える?」
 「それは流石に如何なものかと」
 「わしの考えは、かつて源頼朝が平氏を滅ぼした心境と似ておる。……兄二人が織田方に討たれた時、討ち取った者の首を振り回しながら旗を振って喜んでいた猿が敵方におった。若かったわしはその猿を不謹慎だと憤ったが、そやつを憎むことが今日まで真田の家を守る力となっておるのだ。むしろ感謝せねばならぬな」
 「え……猿とはまさか」
 「今になって、そいつに頭を下げるとは思ってもおらなかったが」
 豊臣秀吉。父の話の全容を理解した時、源次郎は父がここまで強かに生きる理由を知った気がした。
 戦う理由がはっきりしているからこそ、そして一族の頂上に立っているからこそ非情に振る舞わなければならないのだ。かつ強かでなければ、今の世では到底生き残れない。
 武田勝頼が父の信玄から受けた仕打ち…母親の出自ゆえ信玄から正式に後継者と認められずじまいだったことに反抗心を持ったがため非情になりきれず、自らの力で父を超えようと足掻いているうちに滅んでいった様を見ているのだから、猶更その思いは強いのだろう。
 「敵味方が目まぐるしく入れ替わるのが乱世の常。一途なままでは生き抜けないと知り、したたかさを身に着けるためには必要という事だ」
 その言葉は今も忍城に固執している石田三成に対するものでもあるように聞こえた。昌幸が強引にでも石田の行いを止めなかったのは、敢えて苦い思いをさせることで諌めるつもりもあったのだろうか。

 小田原での戦いから十年後、石田三成の身に起こることを昌幸が予見していたとは思えない。人の行いの数奇さは、いかなる策士も学者も解明できないであろう。


 与えられた役割のすべてを成功裏に収めた上で、北方軍がいよいよ小田原城包囲に合流したのは松井田城の攻略開始からわずか三か月後であった。攻略に携わった城は五つ。真田流に言うならば、まさに『火のごとく』侵略したことになる。
 小田原城のすぐ南、ぎりぎり徳川領の石垣山の上。ちょうど敵方の物見台から正面に見えるで山頂に設けられた、旗印も幟もすべて金色の本陣。
 北方隊が到着した際には既にちょっとした城の形状をなしていた。関白専用の館も、軍議を行う建物も完備されている。小田原城下の民は「朝になったら城が出来ていた」と魂消たそうだが、実際は秀吉の出陣前から深い木立を盾にして工事が始まっていた。そして外観が整ったところで夜のうちに小田原方の木を伐採しただけなのだ。秀吉が名を挙げるきっかけとなった一夜城が伝説ではない…こちらにはそれだけの力があるのだと見せつけることで北条への大きな圧力になる。これもかつて竹中半兵衛が秀吉に献じた策の一つであった。
 「殿下。北方隊、ここに到着いたしました」
 「おお、前田か。北方の首尾は上々であったと聞いておる。まこと大義であったな」
 采配を弄んでいた秀吉は前田利家の顔を見て顔を皺くちゃにした。誰の脳裏にも、秀吉が織田信長に『猿』と呼ばれ使われていたという逸話がよぎる瞬間である。つまり関白はご満悦であった。
 「はっ。殿下のご意思のままに……こちらの首尾もよろしいようですな」
 「今は黒田と徳川を使いに遣らせながら北条の決断を待っておる。これだけの軍に包囲されてもまだ降参を躊躇うとは愚かな話よ」
 いまだ忍城を攻めあぐねている石田三成の軍を除けば、此度の小田原征伐に参加した武将や兵のほとんどがこの時点で小田原に集結したことになる。総勢十六万ともいわれる大軍であった。主力部隊として秀吉とともに沼津から山中、韮山を戦って来た大谷吉継の姿もある。相変わらず頭巾姿の大谷は伝令からの報告と布陣図を何度も照らし合わせ、兵の増強が必要な箇所や具体的な配備をこと細かに指示して伝令に持たせていた。

 このとき、籠城中の小田原城の天守では、北条の家臣らが降伏か徹底抗戦かを巡って毎日のように会議を繰り返していたのだ。しかし意見は平行線のまま、当主の氏政もなかなか決断を下せずにいたため時間ばかりが経過していく有様である。『小田原評定』という故事成語で後世に残される無駄な時間であった。
 小田原城は比較的平坦な土地に広大な敷地を有し、気候も安定していたので籠城中でも城内で田畑による耕作が可能であった。それゆえ兵糧攻めも短期間で大きな効果が出るまでには至らず、北条としては時間稼ぎができたことも包囲を長引かせる一因であった。
 しかし外部との接触が絶たれた世界での籠城は必ず限界が訪れる。秀吉もそのあたりはよく承知していたようで、長期戦を予期して大坂から海路を使ってせっせと物資や人を集め始めていた。武器や食料だけでなく金屏風や毛氈といったものからお気に入りの茶道具まで持ち込まれている。
 ついには兵だけでなく茶人や料理人、聚楽第の住人まで呼び寄せ、武将達にも国元の妻を呼び寄せるよう通達が下された。
 「『許可』ではなく『命令』だ。みな従うように」
 ただでさえ危険な戦場に妻を呼び寄せることに抵抗を感じる者は少なからずいたが、秀吉の命令は絶対である。源次郎と昌幸は大坂城から小田原に向かう行列の中に妻を入れてもらうよう手配し、源三郎は上田まで出浦と佐助を借りて稲を迎えに行かせた。
 資金、食物、調度品、そして女。
 小田原に権力の中枢が引っ越して来たかのように全ての手配が整ったところで、秀吉は大胆にも彼らの眼下で盛大な宴を始めた。籠城を続ける敵に余裕を見せつけ、根競べなど無駄であると思わせて心を折る心理作戦である。昼は楽曲も賑やかに、そして夜は一晩じゅう煌々と灯を焚いて。
 大坂城から大名の妻…人質やたちが、ほぼ時を同じくして聚楽第から秀吉の側室たちが到着すると、宴は盛大さを増した。遠目には日に日に頭数が増えているように見え、小田原城内はさぞ脅威に感じているだろう。『はったり』が得意な秀吉ならではの手法である。
 「旦那さま。ご無事で何よりです」
 さちも、山手とともに大坂から到着した。先に上田から到着していた稲と早速合流し、自己紹介や近況報告など女同士で談笑している。普段は顔を合わせるきっかけなど皆無に等しい武家の奥たちの交流。戦場に花が咲くとはこういう事かと思ってしまうくらい、随所でそういった女達の華やかな交流風景が見られた。
 男の覇権争いも、このように穏やかに進めば血が流されることもないのに。八王子城で見た血染めの清流が頭をよぎる。
 しかし源次郎の理想は、緋毛氈の上座にいた茶々の姿を見た瞬間幻想に変わり果てた。
 本来ならばもっとも上座に座すべき秀吉の正室・北政所は主の留守を預かる立場だという理由で大坂城に残っていた。正室の目がないことによって、両手に余る程いる年若い側室たちが絢爛豪華さを競うように上座についている。
 その中でもひときわ目立つ美しい顔立ちに極上の羽二重、きらびやかな金銀の装飾も派手な衣装をまとった茶々はすでに金屏風の前に陣取っていた。最上段の秀吉を挟んで反対側に陣取っていた姫…京極竜子と二人して、酒の入った片口を手にしながら秀吉にしなだれかかるように侍っていた。
 妍を競っているのだから当然と言えば当然ではあるが、茶々と竜子はどうやら犬猿の仲らしく、秀吉が酒の入った杯をあおる度に次の酌をと先を競って片口を差し出し、そのたびに敵意をむき出しにした目で互いに睨み合っている。ご満悦なのは秀吉と彼に取り入ろうとしきりに秀吉の甲斐性を称える太鼓持ちだけで、よくよく見れば遠巻きにしている武士達はみな寵姫ふたりに冷やかな視線を向けている。
 特に織田の姫の血を引く茶々には憐みを超えて蔑みの目も向けられていた。
臣下の、農民出身の男に媚びてまで派手な暮らしに執着するのか。最期まで秀吉を拒み続けた母君が草場の陰でどう思っているか、考えたことはないのか。
 気位の高い茶々がそうまでして侍る姿に源次郎も心を痛めたが、冷静に観察してみれば憐れむ必要はなさそうである。茶々は周囲の視線やひそひそ声にちらちらと目を遣り「ちゃんと聞こえている」ことを態度で主張しつつ、それらを完全に聞き流していた。のみならず、少しでも不遜な態度が表に出た者があれば秀吉の目前で不敬だの何だのと正論で叱り飛ばしている。寵愛を盾に自身の強さを印象づけることも忘れていないのだ。
狙うもののため静かに身を伏せる虎の如く、それが将来を見据えた茶々の覚悟である。そう思い知らされるようであった。
 先を見ている女は、血ではなく涙を心に流してしたたかに世を生き抜くのか。何かといえば力に訴え白黒をつけながら生きる男より、もしかしたらそちらの方がずっと苦しい生き方なのかもしれない。そんな事を源次郎は考えた。
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