第4話 武田滅亡

文字数 17,370文字

天正九年 甲斐 -武田滅亡-

 生まれついての支配者である織田信長が、ふたたび東を向いた。

 安土城の完成と時を同じくして西方を討伐し、越後は義弟の柴田勝家に任せた織田信長は、甲斐の南に城を構える徳川とふたたび連合を結んで甲斐にとどめを刺しに舞い戻って来たのだった。信勝と信幸の元服から四年後、繁が十五歳になった春先のことである。
 「織田・徳川連合軍が甲斐に攻め入りましてございます。鳥居峠から攻め込んだ織田軍は木曾義昌どのと内通し、武田左馬助(武田信繁の子・武田信豊)公を破ったとのこと。新府城におられる勝頼殿から援軍要請がまいりました」
 「……来たか」
 夕餉の席に、庭へ駆け込んできた家臣からの報告。衝撃に顔をこわばらせた繁は夕餉の膳をひっくり返す勢いで身を乗り出し、昌幸は腕組みをして静かに目を閉じた。
 「なんと!」
 障子を開けて見れば、真田山の南にある武田領の砥石城からも緊急事態を告げる狼煙が上がっている。繁にしてみれば初めての緊迫した事態、まして思い出も恩もある武田家の大事に駆けつけずして忠義があるものかといきり立つのも無理はなかった。
 「わたしはすぐに出陣の支度をいたします。父上もどうぞお早く」
 繁は主の一大事に馳せ参じるべく夕餉を切り上げて従者を呼びつけようとしたが、膳の周りをどかどかと走る繁の足を思いもしない昌幸の一言が止めた。
 「信濃から兵は出さぬ」
 「父上!それはどういう事ですか」
 繁の問い質しをさらりと聞き流し、昌幸は杯に一口分残っていた酒を飲み干した。
 「言葉の通りだ。我らは信濃を守ることに専念する」
 「そんな!」
 「甲斐が織田の手に落ちた場合、勝頼様はどこへ落ち延びればよい?」
 「そうならぬために新府城を普請したのではなかったのですか?」
 「織田の動きが早すぎた。あの城は未完成ゆえ、まともに攻められればひとたまりもない。織田に寝返る者も出ている今の武田に、かつての勢いはない」
 「では……」
 「勝頼様には、新府城を捨てて岩櫃城へおいでになるよう文を送ってある。甲斐の地をいったん放棄して北条にでも明け渡しておけば織田の目は北条へ向く。北条の勢力をもって相対すれば、織田とて消耗は避けられまい。一旦退き、時を稼ぎながら機会を伺っていただくのだ」
 「削り合ったところで北条に織田を叩かせ…あるいは上杉あたりに織田を打倒させ、混乱に乗じて北条に明け渡していた武田領を取り戻す算段ですか」
 まさしく真田一徳斎が信濃国を守るために取った手法そのままである。
「さよう。我ら信濃の国衆は、そのための通路を確保しなければならぬ」
 岩櫃城は、新府城よりさらに険しい天然の要害。なるほどと繁は得心した。
 「岩櫃城の中腹に館を築いておられたのは、そのためだったのですね?」
 「左様。わしは岩櫃城へ向かい、勝頼様を迎える支度を整える。おまえも来るのだ」
 「……はい」


 「真田は、わしに岩櫃へ来いと促しておる」
木の香が真新しい筈が、危機感が五感と結びついてきな臭さを感じる新府城。広間での軍議に集った将らに、勝頼は昌幸からの書状を見せた。
 「岩櫃城は天然の要塞のようなもの。同じく難攻不落といわれた真田領の砥石城では我らの兵を収容するには手狭ではありますし、兵糧攻めの危惧もありましょう。そういった点では岩櫃城という安房守どのの提案は理にかなっておりますな」
 「なるほど。同じ信濃の砥石城ではいささか手狭でありますが、岩櫃城ならば砥石城に劣らぬ天然の要塞。さらに沼田にも近うございますゆえ、地の利も有利になりますな」
 「うむ。北条と上杉に挟まれた甲斐をいったん放棄すれば、織田は北か南を固めざるを得なくなる。さすれば時を稼げよう」
 「その間に織田が他国との戦で疲弊してくれれば幸いと……安房守どの、考えましたな」
 二十四将、あるいは彼らの子息らは膝を打つ。
 「わしが父上から言い渡されたのはただ一点、武田の存続のみだ。信勝に新たな当主の座を譲り、武田赤揃えを率いる将に育て上げることこそわしにとっての最優先事項。本拠を替える事でそれが叶うのなら、わしは安房守の誘いに乗ろうと思う」
 「たしかに新府城は未完成でございますし、天守を持たぬ躑躅ヶ崎館での戦はさらに不利となりましょう。殿が場所替えをなさる事に異存はございませぬ。しかし……」
 今もって生き残っている二十四将の穴山陸奥守梅雪が異論を唱えた。
 「北条か上杉と組んで織田に対抗するのは妙案でありましょう。ですが、その後はいいように丸め込まれてしまうのではないかという危惧もございます」
 「なるほど。信玄公の時代から彼奴らと凌ぎを削り、織田とも渡り合った武田が霧消してしまうのは何ともはや無念」
 「そのような事にはさせぬ。場所替えは、あくまで武田が息を吹き返すための準備期間のようなもの。この難局を乗り切るためなら、北条や上杉と組む事も時を待つ事も厭わぬ」
 「ですが、お館様の危機というのに真田は馳せ参じる気配もないではありませぬか」
 「岩櫃にて、私を迎えるための館を築いておるそうだ」
 「それを見た者はおるのでしょうか?」
 穴山は疑問を投げかけた。武田との縁戚関係が強く、勝頼とは義兄弟の関係にある彼は、武田に攻め滅ぼされる寸前だった信濃の小国の土豪…本来なら見下してしかるべき身分からほいほいと武田二十四将として自分と肩を並べるまでに出世した真田一族が気に食わないのだ。しかも武田に捧げた領地を、知行という形とはいえまるごと安堵されている。少なからぬ犠牲を払って今の地位がある自分達とは違って。
 「しかし穴山どの、そちらの家中にも良くない噂が広まっておりますぞ?何でも織田の手の者と接触したとか、甥を人質に出す事で合意したとか」
 元より穴山とは反りが合わない小山田も負けてはいない。
 「滅相もない。…いや、織田が調略を仕掛けてきたのは事実でございますが、拙者は武田を裏切るつもりは毛頭ないと追い払いましてございます。甥の小助も使えぬ若造で、躑躅ヶ崎館での修練がつらいと逃げ出したきり戻って来る気配もございませぬ。ゆえに穴山の一族から勘当した有様で」
 穴山は扇をぱちりと打ちながら追及をかわした。
 「小山田どのこそ、北条・徳川・織田の両軍に接する土地で身の処し方にお悩みなのでは?たしか、北条から乗り換えてお館様にお仕えしたとか」
 「それは某がお館様のお力に感服し、武田家こそが真に天下に相応しきお方だと確信したからの事。お館様は志なかばでお倒れになりましたが、その思いに変わりはございませぬ。我が一族は岩殿城の守りを固め、命に代えても甲斐国の南方を守り通す所存」
 「さて、どうやら。どこぞの勢力から文の一つでも届いておられるのでは?」
 「まさか」
 「おや、届いておらぬとは。小山田どのご自慢の武力なれば調略の声ひとつくらいかかってもおかしくないものを」
 「そなた、殿の御前で某を貶めるか」
 頭に血が上り、武田赤揃えのように真っ赤な顔をした小山田が穴山に掴みかかろうとする。そのとき、勝頼はついに「やめぬか」と声を荒らげた。
 「両名とも見苦しいぞ」
 「これは……申し訳ございませぬ」
 主君の目の前で互いの腹を探り合うような空気。それが今の武田の衰退を如実に表している。両者は頭を下げて引き下がったが、足の引き合いが今に始まった事ではないのは明らかであった。絶望とふがいなさ。その場に座っているのも厭になりそうな勝頼を支えているのは自尊心でしかない。
 「某の内通騒ぎは、おそらく木曾の騒動と混同されてしまっておるのではと思われます。恩義を忘れ織田に降った者と同じにされるとは、まこと遺憾」
 気まずい空気をどうにかしなければと話の矛先を変えた穴山に、小山田も同意する。
 「まことですなあ。噂では、木曾は深志城(のちの松本城)を与えられるという条件で織田に与したとか。城ひとつのために主君を売るなど忠臣にあるまじき行い。あれにより我が甲斐国に織田の侵入を許したのですから」
 ふう、と両者が珍しく同時にため息をついた。
 「ですが、過ぎた事を悔やんでいても栓ないこと。正直に申し上げまして、今の武田が単独で織田に立ち向かうのは無謀でございまする。ここは北条か徳川と手を組み、あるいは橋渡しをしてもらう形で同盟に持ち込むが得策かと」
 「左様。考えてみれば、沼田をほぼ無血で開城させたという真田の手腕も疑わしきものがあります。調略攻めと見せかけ、実際は北条と通じている可能性もお考えくだされ」
 「その点においては同意ですな。袋小路のような岩櫃城へ向かってしまえばもう引き返す事は出来ませぬ。ならば甲斐の領土は死守しておくべきでしょう」
 「ならば某の岩殿城へおいで下され。北条にも徳川にも近いわが城なら、甲斐国を守りつつ交渉もすんなり行うことが出来ましょう」
 小山田は自らが守る岩殿城への場所替えを提案した。姿を見せぬ家臣より、今ここに居る者の説得の方がはるかに強いのは必然の理。穴山も「それが良いでしょう」と強く勧める。
 「……わかった」
 結局、新府城の危機に駆けつけない真田安房守は信用できぬという小山田・穴山の両名に押し切られる形で、勝頼はついに岩櫃城行きを断念し、小山田の居城である岩殿山城へ向かうことを決めたのである。
 そして織田との内通騒ぎの首謀者としてつるし上げられた木曾義昌が武田へ人質に出したままだった母・嫡男・娘は見せしめのため処刑された。

 しかし、強く進言する者がみな忠臣ではなかった…心の奥底では、昌幸と同じ事を考えていたのである。泥船と言いながらも本当に岩櫃に迎えるつもりであった昌幸の方がずっと忠実である。
 翌朝。勝頼の出立する時間には、すでに梅雪の一族は全員姿をくらましていた。煙のような消えっぷりは、あらかじめ準備しておいたとしか考えられない。面従腹背を貫いた穴山の態度に小山田ら旧臣は驚き地団駄を踏んだが、穴山の裏切りによって新府城はさらに危険な場所となったのは間違いない。城を放棄した一行は急ぎ南へ…小山田の岩殿城へと向かったのである。
 その中には、勝頼の嫡男・信勝につき従う真田源三郎信幸の姿もあった。


 「勝頼様は岩櫃には来ないらしい」
 勝頼の居館を整備させていた昌幸は、甲斐から届いた文に肩を落とした。
 「穴山陸奥守に離反され、小山田が治める岩殿へ向かったそうだ……わしに言わせれば小山田も目先の利でほいほい動く比興者。そのくせ戦の先頭には立ちたがらぬ。どうにも胡散臭いのだがなあ」
 これで武田とは手切れになりそうだ。昌幸は軽くため息をついたが、すぐに「さて、どうするか」と思索に入る。
 「まだ手切れと決まった訳ではないでしょう。武田家をお守り申し上げるため馳せ参じましょう」
 「行ってはならぬ」
 昌幸は血気にはやる我が子を止める。
 「殿が岩櫃へ来ないのなら武田は滅びる。断言しても良い」
 「まさか」
 「わしが甲斐国へ行かなかった本当の理由はそれじゃ。信玄公が亡くなられた後の武田は漆喰が剥がれた壁のようなもの、ひとたび離反が出れば次から次へと崩れていく。それに巻き込まれてしまえば真田の家もわしの代で終わってしまうだろう」
 「こうなる事を予期されていたのですか?」
 「人の恐怖とはそういうものだ。不安が不安を呼ぶと、もうどうにもできぬ。勝頼様が自ら岩櫃へ望みを託してこられたのなら、まだ打つ手はあったのだが」
 「では……」
 繁の脳裏を、躑躅ヶ崎館の赤がよぎる。信玄の大きな背中。館の名のとおり赤く咲き乱れる躑躅。燃えるようなその色をそのまま頂く赤揃え。
 やはり見捨てる事はできない。
 「武田には兄上もおられます。それ以前に武田は真田にとって大恩ある家、その義理に報いるお気持ちはないのですか?」
 「義理で命を捧げていたら、命はいくつあっても足りぬわ」
 「では兄上はどうなさるおつもりです。まさか捨て置くつもりではありませぬな?」
 「源三郎のことは案ずるな。必ずや真田郷に戻ってくるであろう」
 「まさか、父上は武田を見捨てるのですか!」
繁の顔が怒りで真っ赤になった。が、昌幸にとってこの決断は信玄の死後から温めていたものであるため動じない。
 「では、沈みゆく船と運命を共にするのが美徳といえるか?武田に最後まで加担したとなれば、織田は必ずや信濃国にも討伐の手を伸ばすのだぞ。武田ですら太刀打ちできない織田の大軍が押し寄せれば、我らのような小さき国衆などひとひねりだ」
 「織田を快く思っていないのはどの国も同じ。近隣国と同盟を結んで対抗すればよろしいでしょう」
 「どこと、だ?」
 繁ははっと息をのんだ。東の北条、北の上杉。武田をもってして対抗できない織田を相手に彼らが渡り合えるのか、まったく先は見えない。下手をすれば織田の進路にあたる信濃を盾に使われかねない。
 「しかし、殿を見捨てるのは家臣としてあるまじき裏切りにございます」
 「……源次郎」
 説得力を失った子の言葉を受けて、昌幸は静かに口を開いた。敢えて男名で呼ぶ。
 「おまえは信玄公から何を習った?」
 「風林火山の教えをはじめ、数えきれないほどの教えをいただきました」
 「そう、風林火山だ。では『迂直の計を先知する者は勝つ』の意味も学んだな?」
 「……」
 「逃げることは恥ではない。しがらみこそ、己が命運を消耗させる最大の敵となることを学ばなんだか」
 「義に報い、命を惜しまぬことは武士にとって何よりの美徳であるとも学びました。父上は命が惜しいのですか」
 「ああ、惜しいとも。我が父が守った真田郷に暮らす民の安定した統治も、真田家の存続も、命がなければできぬであろう」
 「!」
 「何がもっとも優先されるかを選べと言われたら、私は迷わず真田家の存続を選ぶ。父上が守り通したこの郷と民の安泰を貫く。そのためなら、どのような罵倒も嘲笑も甘んじて受けてやろう」
 (逃げることは恥ではない。武士に必要なのは生きることじゃ)
 信玄の教えが繁の胸によみがえる。信玄の言葉をさらに借りるのなら、繁が出陣することは『愚直の計』となるのかもしれない。
 「でも……でも……!」
この時の繁は師の教えをもってしても己の中にある気持ちを抑えることができなかった。物心ついた時から兄や信勝と稽古を積んだ躑躅ケ崎での日々は、そう簡単に切り捨てられるものではない。
やはり行かずにはいられない。繁は決意を固めて膝を父に向けて頭を下げた。
 「父上。たとえ命がけになろうとも、やはり源次郎は殿の許へ行ってお力になりとうございます」
 繁はすぐさま自分の従者を呼んで戦の支度を命じ、お付きの小姓には武具一式と甲冑、馬を準備させた。その間に白袴をまとって館を通り抜け、裏口から出て正面にある神殿へ必勝祈願のために籠る。真田家が出陣前に行う儀式であった。準備が整うまでそこに籠り、祈願を行うのだ。
 「殿、放っておいてよろしいのですか?」
 館の戸を壊す勢いで出て行った繁を見かねた山手が、おそるおそる昌幸に進言した。
 「沼田攻めに加担したとはいえ、繁はまだ本格的な戦を経験した事がございませぬ。よもや命を散らすような事になれば、わたくしは……」
 喧嘩別れした後のふて寝を決め込んだ昌幸は繁の支度を止めなかった。かといって案じている様子もない。
「あいつは源三郎より血気盛んだから、わしが止めても行くと言い張ったであろう……が、構わぬ。どうせ戦わずして引き返すことになるであろうからな」
 繁の指示が届いたのであろうか、山の斜面にある館の敷地内を行きかう兵の数がにわかに増えた。庭の正面を下りきった先にある馬寄せからは馬の嘶きも聞こえてくる。
 だが昌幸はそれらの音をまるで余所者の出陣であるかのように聞き流し、自身はどっしりと座したまま動くことはなかったのである。
 (お館様……あなた様の教えを守ろうとするのなら、わしにはこういった答えしか出せませぬ。が、これでよろしいのですな?)


 昌幸が山手に話した通りであることを、源次郎は甲斐で知ることになった。
 少ない手勢で慌ただしく上田を経ってから四日。上田から東の佐久を南下し、佐久と甲斐を隔てる天狗岳と横尾山との間を伝う急な上り道を進軍してようやく韮崎に到着した源次郎が見たのは、踏み荒らされた田畑と無数の死骸、折れて無残に破り取られた旗指物だけであった。新府城はすでに焼け落ちている。煙と新檜の香りが混ざり合った煙が城下に漂っている様は何とも哀れであった。
 遺体からは鎧兜や刀が抜き取られ、身につけていた服は下帯まではぎ取られて生まれたままの姿で転がっている。金目の物だけを奪う野盗の仕業のみにあらずという事は、勝頼の足跡を追うため韮崎の農村を馬で駆けていた時に分かった。
 新府城の城下。少ない平地に刻まれた畑を黙々と修復している農民の中に、藍色の旗指物を継ぎはぎして野良着に仕立て直したものを身につけている者がいたのだ。そこには風林火山の文字。
 信玄がその生涯の教えとした文字が刻まれた大事な旗指物をぞんざいに扱われている様に源次郎はついカッとなって馬から降り、その農民の肩を乱暴に掴んだ。
 「貴様、武田の旗指物をそのような着物に仕立てるとは何という冒涜!」
 「はあ?」
 しかし農民は武士にそうされてもまるで悪びれず、むしろ何がおかしいのかという顔で訊き返してきた。その態度が源次郎の怒りの火に油を注ぐ。
 「お館様が大事になされた風林火山、それを掲げた旗指物は武田が誇り。それをそのように粗末に切り刻むことが冒涜だと申しているのだ」
 胸倉を掴まれてもなお、農民は自分の非を認めなかった。
 「そんなこと言っても、布も鉄もみんな貴重品で、おら達が簡単に手に入れられるものじゃねえずら。お侍は、おら達の畑を荒らしていったじゃんけ。家さ壊された者だっておる。おら達はそんな事望んでいなかったのに、勝手におら達の生活をぶち壊していったんだ。それに比べれば、死んだお侍がもう使わないものを貰うくらい何てことないけ」
 それは他の者達も一緒であり、むしろ源次郎の言い分を理解できないという顔をして睨んで来た。
 「刀や兜の鉄はやんぎょう(鍬や鋤)に鍛え直して畑を耕す。服は野良着になるし、ふんどし一枚だっておら達には大事な布さ。昔っから、そうやっておら達農民は暮らしていただ」
 「な、なんという……」
 戦で死ぬことの恐ろしさを信玄から教えられていた源次郎にとって、それはまた違った意味で後ろ寒いものだった。主のために戦い、誇り高く命を取られたと思っているのは当人のみ。実際は首実験された挙句に骸となってもなお衆目の前でこのような辱めを受ける武士とは何なのか。源次郎の根底にあるものを恐怖が揺るがす。
 立ちくらみしそうになるのを抑えて、源次郎は農民から手を離した。今はこのような事で揺らいでいる場合ではない。
 源次郎は岩殿山へ急いだ。韮崎から岩殿へは険しい山を一つ越えなければならないが、主と兄のために休まず進む。
しかし、山の頂から岩殿城を見やった途端に足が止まった。
 岩殿山城の塀を取り囲んでいたのは織田と徳川の幟であったのだ。
 「まさか落とされたのか!?」
 「いえ、炎上している形跡はありませぬ。もしや小山田どのが降伏したのでは」
 物見に長けた兵が冷静に分析した。
 「ではお館様はどうなるのだ」
 降伏した……源次郎が信玄から教わった風に言えば『まいった』をした武士がどういう扱いを受けるかは知っていた。家臣である小山田は新たに織田へ服従という道が残されているかもしれないが、国主はそうはいかない。まさに首を掻いてくれと願い出ることになるのだ。
 急いで山を下り、岩殿山の全容が見える平地に至ったところで、ようやく小山田の幟が見つかった。攻め落とされていたなら、こんなところに幟を立てる前に蹂躙されていた筈。ではやはり降伏したのだろうか。
さらに源次郎が驚いたのは、城へ通じる道を小山田の兵が塞いでいたことであった。
 「我は信州上田の真田安房守昌幸が次男、真田源次郎信繁なり。同じ武田が家臣として、小山田どのにお目通り願いたい」
 馬や荷車で厳重に固められた垣根を守る足軽に高々と名乗ると、奥で見張りをしていた甲冑姿の武士がすぐ駆け寄ってきた。よく見ればそれは佐助である。
 「源次郎さま、お久しゅうございます」
 他の兵に気取られぬよう、形ばかり槍を構えて挨拶をかわす。角間渓谷で会った頃より動きが機敏になっている。主の教育が行き届いているのだろう。
 「佐助か?なぜここに」
 「小山田さまの動向を探るようにと、わが師出浦さまの命で潜んでおりました」
 「城に織田の旗が立っているようだが、小山田どのはいかがなされたのだ?」
 「小山田さまは織田に投降なさいました」
 「ではお館様は?」
 「岩殿山にはいらしておりません。我ら門番には、武田の手の者は一切ここから先へ通すなという命令が出ておりまする」
 「まさか、小山田どのが寝返ったのか?」
 「織田に」
 「では勝頼さまは」
 「西へ向かったと聞いております。源三郎さまもご一緒です」
 「……!」
 源次郎はすぐに馬首を返した。が、その目前に一人の男が立ちはだかる。
 「真田源次郎信繁。みすみす死ににいくのか?」
 見覚えのない男であった。
 「そなたは?」
 「出浦盛清」
 「では」
 「佐助達を預かっておる」
 小柄だが、衣の上からでも肩や腕の筋肉の盛り上がりが分かるほど鍛えられた体。そして隙のない身のこなし。昌幸が佐助らを修行に出した先に相応しい出で立ちだが、外見はどう見ても武士というより野盗の頭領であった。
 「安房守とは旧知の仲だ。躑躅ヶ崎館にて、幼少時のおぬしや源三郎の姿も見ておった」
 「あなたが出浦どの……」
 出浦は「いかにも」と頷き、そして源次郎を諌めた。
 「そなた程度の武士がその少数の手勢で加勢したところで焼石に水だ。やめておけ」
 「しかし」
 「時代は織田に傾いている。小山田はこの土地を守るために投降したまで……そこに義はないが、民を預かる国主であれば想定するべき身の振り方だ。国を蹂躙され、城を焼かれ、忠臣の首を狩らせるのは国主の行いにあらず」
 その言いぐさは父と同じであった。武田に忠誠を誓っていたのは信玄の時代まで。世代が代わった途端に手のひらを返されていく勝頼が哀れでならなかった。
 誰も彼も、恩も義も忘れて己の保身にのみ動く者ばかり。信玄が高い志をもって刻んだ武田の誇りも農民の日常に消費されていく。源次郎の両目から涙が溢れ出た。
 「誰も彼も……情けなし」
 「今の日の本では各地で同じことが繰り広げられている。これは何も珍しきことではない、必然なのだ」
こんな必然などあってたまるか。言い返したい気持ちをぐっと堪えるのも、源次郎にとっては大きな苦労であった。
 その時、斥候に出していた矢沢三十郎頼康の兵が信繁のもとへ報告に現れた。
 「源次郎さま。西の天目山の方角で武田の幟を見た者がいるとの報告が」
 「天目山……躑躅ケ崎の手前か」
 諌めなどどうでも良い。遮る者は蹴散らす事も厭わない勢いで源次郎は馬を走らせた。西へ向かう山道には、たしかに真新しい蹄の跡がある。どうか間に合ってくれ。
 「出浦さま……」
 源次郎が去った後、佐助はこれで良いのかといった顔で師を見つめた。場合によっては自分も加勢に向かうという気概が見てとれる。
 「放っておけ。どうせ到着する頃には戦は終わっておる。おまえは持ち場へ戻れ」
 「……はい」
 「佐助よ、役目に忠実である事が我らの信頼なのだ。あからさまに損得で動く奴は、どの国でも必要とされぬ。おまえはおまえが見るべきものをしかと見ておけ」
 「承知しました」

 岩殿山城への入城を拒まれて行き場をなくした勝頼一行が天目山の麓に入った頃。
 「敵襲!」
 岩殿城からつき従ってきた兵もわずか。その殿から声が上がった。伝令がなくとも勝頼に聞こえるくらいの至近距離であった。
 「織田の手の者か?」
 すぐに信勝が様子を見に出ていく。
 勝頼は麓の廃寺に粗末な本陣を敷き、静かに座禅を組んでいる。
 源三郎が信勝に従おうとした時、勝頼がおもむろに口を開いた。
 「……この山、昔は木賊山と言ったのだ」
 「?」
 「私から数えて七代前の武田家当主、武田信満公もこの山で自害している」
 目を閉じたまま語る勝頼にただならぬ雰囲気を感じ、源三郎は勝頼と向き合うように居住まいを正した。
 「信満公を追い詰めた足利家がいまだ将軍の座に居る間に、わが武田家が同じ地で二度も滅ぶとは……因果とは何とも奇なものだ。いや、武田はかくある運命なのだという先祖の導きか」
 「そのような事を仰らないでください。まだ望みはございます!」
 「ふふっ、嬉しい事を言ってくれる」
 ことごとく家臣に裏切られた後の勝頼には、若者の忠心は乾いた砂に沁みる水のようなものなのだろうか。淡く微笑んだ勝頼は、目を開いて源三郎を見やった。
 「源三郎。我が望みを聞いてくれるか」
 「何なりと」
 「信勝を岩櫃城へ落ち延びさせてほしい。そなたの父を信じきれずに此度の事態を招いた責任は私にある。が、武田を滅ぼす訳にはいかぬ」
 「殿!そんな事を仰らずに一緒に岩櫃へ参りましょう。わが父なら、きっと殿を守ってくださいます」
 「私は最後の最後でそなたの父を信じきれなかった。その末としてこれだけ多くの兵を死なせた私に、もはや守られる資格などなし」
 勝頼の言葉を裏付けるかのように、本陣へと駆けこんできた伝令が庭へ倒れ込んだ。背には幾本もの矢が刺さっている。
 「我が生き様は、将来、信勝やそなたが国主となった際の戒めとするが良い。判断をひとつ誤っただけで簡単に国が亡びゆく様、それを伝えるのもまた若い者の役目だ」
 その言葉で、源三郎は勝頼がここで自害するつもりなのだと知った。もはやその覚悟に水を差すことすらできず、源三郎はただひれ伏すしかなかった。
 「……承知いたしました」
 源三郎は信勝を連れて織田が攻めて来る方向とは逆、かといって岩殿山の小山田勢に見つからないよう北東へ向かって山を下った。どうにかして躑躅ヶ崎館の東から北上し、北条領と国境を接する信ヶ岳を超えることができれば信濃国佐久平に出る。そうすれば、上田までは目と鼻の先だ。
 しかし、敵は武田の者を一兵たりとも逃がさないつもりのようであった。見通しの良い畑道に出たところで二人は見つかり、すぐに追手がかかる。
 「殿、後ろは引き受けます」
 「頼む」
 畔と街道を隔てる木々に隠れるようにして、勝頼から預かった…勝頼もまた信玄から預かっていた次の武田家当主を守る。源三郎にとって初めての大役。
 しかし、尖兵とはいえ織田の追手は腕が立つようであった。みるみるうちに距離を縮められ、矢の飛ぶ音がすぐ背中に迫る。
 「!!」
 全力で駆ける源三郎の頭上を通り越した矢が信勝の馬に当たり、落馬した信勝の姿が源三郎の後方へ流れていった。
 「信勝さま!!」
 「源三郎!!」
 信勝はすぐに敵に囲まれる。槍の柄が天を向く。それでも望みを捨てない源三郎はすぐさま馬首を返そうとしたが、道のくぼみに脚を取られて転がった馬から振り落とされてしまう。
 「信勝さま、すぐ参ります」
 落馬して体をしたたか打ち付けた痛みなどものともせずに源三郎は信勝に駆け寄ろうとした。しかし、突如として木の陰から現れた何者かが源三郎の背後を強く突いた。
 「!?」
 伏兵に討たれたのか。無念がこみあげる間もなく霞む目で相手の顔を見れば、それは勝頼に同行していた筈の叔父だった。
 (叔父上……なぜ)
 次に源三郎が目覚めたのは、岩櫃城の昌幸の元であった。

 源三郎とすれ違う形で天目山を目指していた源次郎の許にも、武田勝頼自害、そして武田信勝討ち死にの報せがもたらされた。それを裏付けるように、天目山の頂から織田のものと思われる鬨が上がる。途中で追い付いてきた出浦にも説得され、結局源次郎はそのまま上田に引き返さざるを得なくなった。
 上田へ戻る道すがら、源次郎は人目も憚らず馬上で号泣したまま目を晴らして帰還した。真田郷に戻ると、先に帰還していた兄との再会もそぞろに兄弟で神殿に籠って主君のために祈り続けたのであった。いや、実際は神仏に対して気のすむまで恨み言を吐いていたのかもしれない。心配した母が何度も声をかけてきたような気がしたが、応える気力はない。数日後、疲弊しきった姿で神殿内に倒れていたところを発見される…憤死したのではないかと山手が肝を冷やすまで近づくことができないくらいの憔悴と怒りを背負っての帰還であった。
 そしてこの時の無念、理不尽さ、やり場のない怒りは、長じた後になっても源次郎の胸に消えない痛みとなって残ったのだった。


 武田が滅亡した事によって旧武田領のほとんどは織田の所領となった。離散した武田の旧臣たちはそれぞれの事情に合わせた身の振りで生き残りを図ったが、その結末までもが一緒だったという訳ではない。穴山陸奥守は織田信長に召し抱えられ、そして武田を売った小山田信茂は北条への足掛かりとして織田に呆気なく攻め滅ぼされた。策略に長け参謀としての才もある穴山と異なり、主君を容易く見捨てた小山田はその器からして召し抱える値なしと見做されたのだ。
有能な者は出自に関係なく重用するが、目に適わぬ者は容赦なく切り捨てる。天下布武の号令を発するほどの大物の物差しを見極められる者は少ない。
 さて、真田家はどう出るのだろうか。


 武田が滅亡してからひと月も経たぬ岩櫃城。
昌幸の弟、真田信尹によって天目山から救出された源三郎は、崖下に広がる山並みを見やりながら膝を抱え座っていた。
 「源次郎……結局、我らは武田の役に立てなかった」
 「お二方とも天目山で亡くなられるとは、まこと無念にございます」
 同じ景色を見ている源次郎…繁もぽつりと応える。二人とも涙は枯れ果て、眼の腫れもまだ引いていない。
 「俺は信勝さまの盾となれれば命を落としても本懐だと思っていたのだ。だから岩櫃城にて目覚めた時は叔父上を恨みもした。が、違うのだ。俺が命を投げ打つことで信勝さまを逃げ延びさせる事が出来る訳もない。ほんの一時だけ信勝さまの命が永らえただけで、結局は武蔵坊弁慶のように敵を足止めする事すら叶わなかっただろう。本当の意味で守り通すというのは、自己満足で死ぬ事ではないのだと思った」
 「私も大見得を切って信濃を出ましたが、今は己の無力さが憎くてなりませぬ」
 「忠義に生きようにも力は及ばず、力ある者は己の保身に走る……武士の世界の、何と脆いことか」
 「まこと人の情などなきに等しきものでございます。勝頼様が小山田どのの甘言に乗らずに父上を頼ってくだされば、今頃は……そう考えると無念でなりませぬ」
 「私もだ、源次郎。私は力が欲しい。自らの意志で動き、どのような勢力とも対等に渡り合える、信玄公のような力が」
 「……私もです、兄上」
 子らの嘆きを聞いて、さすがの昌幸も胸が痛んだ。
子らには悟られないよう注意を払っていたが、実は武田親子の討ち死にも含めたすべてが昌幸の想定内であったのだ。
 穴山や小山田がとうに武田を見限っていたのも知っていた。勝頼が岩櫃城に来ない可能性も想定していた。
 が、結局こうなった事を昌幸は心のどこかで安堵していた。歴史の上で、自分が勝頼を裏切ることなく武田が滅んでくれた。『同僚の裏切りによって主君を亡くした哀れな家臣』という名分も手に入れた。
 何かしらの策を弄する者は、同じことを考えている者の動向に対しては特に鼻が利く。岩殿と信濃。もしも治める土地が逆であったのなら、織田に寝返るのは真田となっていたかもしれないのだ。
計算を確実に実行するにあたり、源次郎が蹄の音も高らかに西から東へと奔走してくれたのも好都合であった。小山田や穴山が自分の予測どおりに動いていることが確認できたからである。そういった意味では昌幸も武田滅亡の片棒を担いだことになり、小山田を責められる立場にはない。
 子らに恨まれるのも厭わず真田を守るための企てを、昌幸はわずかな良心の呵責と引き換えに成功させたのであった。
 しかし、これはまだ始まりに過ぎない。
 一徳斎が武田の懐に飛び込むことで守った真田郷の平穏は、武田の滅亡によって振り出しに戻ったのだから。
 すでに武田の旧領のほとんどは織田の知行となっていたが、いかな織田とて広大な領土を一度に治め切れるものではない。領主不在の地を、混乱に乗じて上杉や北条が領土をかすめ取るべく動き始めている。北条は沼田奪還に躍起となり、上杉は信濃の北部を、そして徳川は甲斐南部を。
 当然ながら真田家が守る信濃の地も彼らの標的であった。沼田から木曾へ続く一帯は、日ノ本を縦断する街道や千曲川の水運を有する豊かな土地。
 東西南北のいずれにも通ずる土地はどの勢力にとっても喉から手が出るくらい欲しいものであったから、まずは温和に従属を求める密書がすべての勢力から昌幸のもとへ届けられた。しかし昌幸は未だいずれの文にも返事をしていない。
 「父上、そろそろ何処の勢力へつくのかを定めなければ、我らは大渦の中で孤立してしまいます。祖父上が守り、信玄公から安堵していただいた信濃の地と真田の家、我らの代で瓦解させてしまうのはお二方のお気持ちに反するのでは」
 父宛に文が届けられている事、そして織田の脅威をよく知る源三郎が繁を伴ってついに進言した。が、家長の座に腰を下ろしていた昌幸は囲炉裏端で半紙を前に腕組みをしたままである。隣席の信尹も昌幸の思索を邪魔するまいと瞑想をしている。おそらく意見を求められたらすぐに応えられるよう昌幸と同じ思案を巡らせているのだろう。
が、年若い子らには大人の思索がじれったく感じられるものだ。
 「父上?」
 「大渦の中で孤立、か……ふむ、源三郎も面白いことを言うようになったのう」
 「我らも、いつまでも失意の中に居る訳にはございませぬ。信玄公、勝頼さま、信勝さまの無念を晴らすには、まず今を生き残ること。そして機会を伺うべきではないかと考えました」
 「うむ、よく出来た子らだ。わしの子にしておくには勿体ない」
 「父上、今はお戯れを申しておる場合ではございませぬ」
 「わしは何時でも真面目だ。おまえの言葉で、儂が子供の頃よう見た景色を思い出したわ」
 「今は昔を振り返っている時ではないと存じますが?」
 「矢沢の本拠がある殿城は神川が千曲川に合流するせいか何度か大水が出たのだが、幾多の流木が流れていくのに中洲に立つ木々はびくともせずそこに留まっておったものだ……そこに根を下ろすと決めた信念は、いかに周囲が目まぐるしく動こうとも動じない。とはいえ、真田は中洲の木ほどしっかりと根を下ろした訳でもないからのう」
 「では、流されぬための策は既におありなのですか?」
 源次郎が訊ねる。
 「信濃と国境を接する大名に付かねば真田は生き残れぬ。そこでおまえ達に問う。北条と上杉、今の真田が付くとしたらどちらだと考えるか?」
 「北条と上杉……」
 源三郎と繁は顔を見合わせる。まずは兄の源三郎が定石通りの回答をした。
 「上杉でしょう。信玄公の時代には謙信公とたびたび衝突しましたが、それは上杉が武田に匹敵する力を持っていたからこそ。しかも謙信公は甲斐国が駿河から塩の買い付けを拒まれた窮地においては敵対関係を無視して甲斐に塩を贈り武田の領民を助けた義に篤いお方。きっと我らの願い出を聞き入れてくださるでしょう」
 「ふむ。繁はどうだ」
 「……私は、上杉に付くべきではないと思います」
 「繁?」
 源三郎の驚き顔を視界の隅に見ながら、繁は自らの考えを述べた。
 「織田が武田を滅ぼした、それは事実でございます。なれば、武田と同等の力しか持たぬ上杉もいずれは織田に滅ぼされる運命なのではないかと……越後の西は加賀の前田、その背後に柴田や金森といった織田の忠臣が固めております故、織田を滅ぼす程の力を持たない限り上杉公が上洛できる可能性はありません。さらに南の木曾も織田のものとなった今、味方にできてなおかつ織田と敵対できる程の勢力を上杉公が得ることは不可能に近いでしょう。それに北条との小競り合いも続いております」
 「では北条か?」
 「そちらもいささか不安があるかと存じますが……今川が滅んだ後、織田方の東方征伐の誘導役となっている徳川の台頭をどう思っておられるか。そちらを突けば我らと手を携える事は不可能ではないと考えます。北条氏は領土欲が強いですが、それも日ノ本の東に限ってのことで上洛にさほど興味がないご様子。条件が合えば織田と協調する道もあるのではないかと……帝の御子すら手にかけた後北条が織田に従うかは怪しいですが、その時にはまた全国の情勢も変わっているでしょうし、織田と北条が戦うにしてもそれは甲斐の旧領よりさらに南での話。こちらが次の手を考える時間はあると思います」
 「なるほど。沼田のように領土を少しずつ掠め取って行くという訳だな」
 「ちょっと待て繁。そうなると信濃はどうなる。我らの地盤はあくまで信濃の地、それを忘れてはならぬ」
 「祖父上がなさったように、いったんは時の権力者に明け渡す事も考えねばならぬでしょう。ですが、権力者の下で我らの知行としてしまう事は可能な筈です」
 「信濃の土地を切り札にして権力者と渡り合うつもりか」
 源三郎は信じられないといった顔で目を丸くした。
 「信濃は日ノ本のほぼ中央、東西にも南北にも通ずる要所に位置している上に陸運、水運のいずれの手段も手にしています。上洛を天下統一と捉えず、日ノ本を自在に統治する事を目的とする者が相手であれば、それだけの価値はあるかと」
 「力ずくで奪われる事は考えておらぬのか」
 「ですから、そうならぬよう最後まで主導権を握るのです。沼田から要所を押さえて手札を増やしつつ、相手から有利な条件を引き出すよう交渉していくのが父上の役目でございます」
 「……結局は、わしか」
 囲碁や将棋のように簡単に獲れるものではないのだが。胡坐の上に頬杖をついた昌幸は唸る。
 「おまえ達の考えを聞いて、わしも心が固まったぞ」
 源三郎と繁の背筋が同時に伸びた。真田の行方もさることながら、果たしてどちらの思慮を父は正しいと言うのかを待っているのだ。
 いささか緊張した顔つきの子二人を前に、昌幸は低く宣言した。
 「寄らば大樹の陰、だ。真田は織田につく」
 「え?」
 上杉でも北条でもなく、強大な相手の懐にいきなり飛び込むというのか。
 「上杉・北条・織田の中で、最も勢いがあるのが誰かは明白であろう。下手に大物を回避した挙句に何度も敗軍の将となっていては、いずれ真田家は黄泉津大神だと潰されてしまうわ。ならば最初から強者に従う方が早い」
 「しかし織田信長は登用するに値しないと判断すればすぐさま斬り捨てる人物にございます。かようなお方の許へ臣従を申し出て万が一の事があったら……」
 源三郎の心配に昌幸は「うむ」と唸った。だがそれは形ばかりであったかのようで、すぐ
 「その時は儂の力不足であったという事であろうが……少なくとも、儂は小山田のようなぼんくらではない」
 見くびるな、任せておけと子供らの肩を叩いて退出させた後、昌幸は弟の方を向いた。昌幸とは母も同じ、そして齢も近いゆえ双子のように意志が通じ合うたった一人の弟は、面白いものを見たと言って笑いに肩を震わせる。
 「いやはや、賢いのは流石。躑躅ヶ崎で信玄公から教育を受ける事ができた影響は大きいようですな。一国が滅びてもなお先を読むなど、とてもあの年頃の小童に出来るような芸当ではありませぬ」
 「うむ。子供ながらによく考えておるものだ。が、源三郎は現在の力関係こそが絶対だと考えるゆえ慎重に過ぎ、繁は先の先を読みすぎて危ない橋を渡りかねない。武田の滅亡が与える影響というものは、同じ境遇で育ったきょうだいでも異なるものであるな」
 「まことに。しかし、二人とも切り替えの速さと思想の物騒さ加減は兄上に似ておられますぞ」
 「おまえもそう思ったか」
 「わからいでか、でございますよ。まこと末恐ろしい」
 信尹は低く笑った。そして昌幸に訊ねる。
 「……して、私は如何すればよろしいですかな?」
 「先に織田へ仕官した出浦と『渡り』をつけられるか」
 「いつでも」
 「ではすぐに頼む。伝える事は口伝しよう」

 「父上が安土城へ呼び出されたらしい」
 父の書庫から借りた兵法書を理解しようと苦心していた繁のもとへ、源三郎が報せを持って現れた。
 「信長公から直々に会うてみたいとお声がかかったそうだ」
 「では臣従が叶ったのですか。まさか父上が仰ったとおりになるとは」
 「私も驚いている。取るに値しない小国である筈の真田が信長公の目に留まるとは。父上は一体どのような手を使ったのやら」

 きょうだいが抱いた疑問のからくりは、こうである。
 昌幸は
 『運』
 を信長に売り込んだのだ。
 まず
 『真田安房守は武田が関わった数々の戦に勝ち残った運を持っている。安房守が出陣した戦はすべて武田が勝利を得、出陣しなかった戦では敗れているのが何よりの証だ』
 と、既に「草」として織田に登用されていた出浦を通じて織田の兵卒に噂を流させた。
 力や智慧なら織田は既に余るほどの人材を持っている。だから彼らが主張しなかったもの、彼らに無いものを材料にせねば信長は見向きもするまい。
 思惑どおり、噂は瞬く間に尾ひれをつけて織田軍の中を泳ぎ回り、織田一門の耳に入る頃には 
 『真田安房守昌幸は、味方にすれば必ず勝利を呼び込む強運の男』
 となっていた。
 そうなれば、信長が興味を抱くのは時間の問題である。

 信長は『面白き者』を好む。昌幸が武田の麾下で得ていた情報が役立った。
 情報を制すれば、大抵の首尾は事良く運ぶ。そちらは上杉の軍略から学んだものである。
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