第19話 混沌

文字数 28,385文字

慶長三年 大坂

 対外戦略として、国主をはじめ重要人物の死を秘匿すること自体は古今を問わず珍しくない。かの諸葛孔明もそうであったし、日ノ本でも武田信玄は自らの死を三年間公表しないよう遺言して黄泉の門をくぐっている。
 しかし秀吉のそれが彼らと異なるのは、秘匿という判断が自らの遺志ではなかったという点にあった。側近らによる対内戦略である。
 秀吉の死が公表されたのは慶長三年の暮れ。
夏の死去から四か月後、大陸から日の本すべての兵が引き揚げた頃合いを見計らっての公表。亡骸も極秘裏のうちに埋葬された後だった。

 発表後、悔やみの代わりに朝廷から『豊国大明神』の号を取り付けたまでは良いが、秀吉の廟の建造にあたっては大老たちの間でも意見が分かれた。
 亡骸を弔った地にしかるべき廟を建造し、太閤は真の『神』としてかの地から日ノ本を見守っていると民に説くべきだという者。
 弔った地とは別の場所に偽の廟を設け、民や地方大名にはそこに拝礼してもらい太閤には静かに眠ってもらおうという者。
 はっきり神格化して崇拝を集めるべきだという意見と、静かに眠らせるべきだという意見。一見すると大きく分断されているかのような議論であったが、実はその奥にある真意は同じであった。
 晩年の秀吉の蛮行奇行の数々が深い澱となって日ノ本じゅうに鬱積していたことを知っていた大老たちは、秀吉の死後にそれらが火山のように爆発することを恐れていたのだ。火の粉は黄泉まで届かない。被るのは自分達なのだから。
 廟を設ければ、そこに秀吉が眠っていようといまいと民の鬱積の象徴となることは明らかである。落書や副葬品を盗む程度ならまだ可愛いもの、墓を暴かれ太閤の死体を野に晒す不届き者が出ないとは誰も言い切れなかった。
 大老たちがそのような事を案ずるくらい、秀吉がその生涯のほとんどを懸けて築き上げた名声は、死の間際のわずか数年でことごとく汚され地に堕ちてしまっていたのである。
 棺の蓋を閉じる時にその人物の真価が知れるというが、秀吉の場合はその強大な権力に比べて心から泣いてくれた者は存外多くなかった。むしろ目頭を抑える袖に隠れてようやく老人の我儘に怯える日々から解放されると安堵した者の方が多かったかもしれない。

 最終的な折衷案として、伏見の北…死の直前に起こった大きな地揺れによって頓挫してしまった大仏殿の建設予定地の隣に秀吉の廟と『豊国大明神』を祀る神社を建造し、大仏も再建立して一帯まるごと秀吉供養の場とすると決まったが、そこに秀吉の亡骸はない。空っぽの廟を設けて衆目をそちらに集めるという事だ。
 その直後から大坂城は総動員で廟の建造と大陸からの引き揚げ兵の処遇に追われる事になり、ついに葬儀も行われずじまいであった。
 「利がなくなった途端に人心がここまで離れてしまっておられたとは……何とも哀しいお人だ」
せめて『利』を補う『徳』が遺されていれば違っただろうに。
 石田三成は太閤の『本当の』埋葬地を足しげく拝礼していたが、石田以外の者が手入れを行った形跡など滅多にない。たまに供えられている花や抹香の燃え殻は、おそらく北政所が手向けたものだろう。
打ち捨てられた墓標に向かって石田がもらした言葉が、夜陰に紛れて石田の伴をしていた源次郎の耳にいつまでも残った。


 権力を握っていたとはいえ、細かい金勘定や政務はほぼ丸投げであった太閤のこと。主不在となった大坂城は、弔いの件が決着した後はまるで何事もなかったかのように……それもまた哀れなことではあるが、何ら支障なく回っていた。
 検地を取り仕切った責任上から財政を一手に担っていたのが石田三成である。生前の秀吉から秀頼の傳役を任されていた片桐且元を除いた元・秀吉の馬廻衆のほとんどがそちらの手伝いに駆り出され、源次郎も三成の直属下におかれた。
 しかし、その政務は心労の連続であった。
 「おい佐吉、俺の働きはこの程度かよ」
 その日、格子戸を蹴破る勢いで勘定処に乱入したのは加藤清正であった。
 「書面の通りだが?」
 三成は清正が投げつけた通達文を文机の上で突き返す。
 「此度の戦は文禄の役よりも厳しかったというのに、禄がこれでは肥後から駆り出した兵に禄が払えぬ。殿下はこの倍以上は弾んでくれたぞ」
 「その殿下の御為に、現在東山の阿弥陀ヶ峰に殿下のご神体をお祀りする御廟を建造中だ。大陸に渡らなかった大名たちからも集めている。文禄の戦との差額は、御廟の建造資金と相殺したと考えてもらいたい」
 「それはそれ、これはこれだ。そうでなくとも兵らには戦の前から肥後城下の灌漑工事に働いてもらっていたんだ。建造資金は今年の収穫後に納めるから、まず当面の俸禄を渡して兵らを黙らせたい。解るだろ、佐吉」
 でないと暴動に繋がりかねない。清正はどうにか金子を多く取り付けようと石田の顔を覗き込んだが、石田は眉ひとつ動かさずに「駄目だ」と言い放つ。
 「他の大名達にも、それぞれ供出した兵の数や働きに対して応分の俸禄を与えている。その額でも、虎之助は多い方から数えて三指に入っているぞ」
 「しみったれてるなあ。おまえが蔵の鍵を握った途端にこれかよ」
 「これまでが多すぎただけだ」
 「……ここで算盤ばかり弾いている奴に、半島で食った稗粥でも食わせてやりたいぜ」
 清正は「話にならねえ」と言い放って出て行った。武闘派の彼が力まかせに襖を閉める勢いで、奉行所の書棚に詰まれていた帳簿が揺らぐ。
 「まったく、どいつもこいつも金子の文句ばかり。大坂城は『打ち出の小槌』ではないというのに」
 位がまた一つ繰り下がった帳簿と向かい合っていた石田は、算盤を弾きながら小さく息を吐いた。
 「金子があるのならば分配してやりたいのはやまやまなのだがそうもいかぬ」
 実際のところ、大坂城には大老たちが思っていた以上に金子がなかったのだ。
日々数多くの帳簿と格闘していた源次郎にも、過去の帳簿を見れば小田原から大陸出兵、官位のばらまきといった出来事のたびに目に見えて金子の有り高が減っていく様は理解できた。収入の方も、天変地異によってここ数年は必要目標を大きく下回っている。
 「では現状を正直にお話しになられてはいかがですか?」
「そうはいかぬ。大坂城まではまだ良かったが、聚楽第に伏見城、大陸出兵と、普請の費用がかかりすぎたのだ。ゆえに一部の者から財政を危惧する声が上がっていたのも事実だが、財政の話をするたびに殿下はばら蒔くように金子をお使いになって…現実から眼を背けてこられた。ここで実情を明らかにして、これ以上殿下の権威を失墜させる真似はしたくない」
 「……治部さまは、心から殿下をご尊敬申し上げていたのですね」
 「あのお方は、ある時までは確かに日ノ本から戦をなくす『神』であらせられたのだ。殿下に恩義を賜った者はそのことを忘れてはならぬ。それに」
 「?」
 「豊臣の権威が失墜してしまえば、また世が荒れる。それだけはならぬ」
 「ですが治部さまが大名たちの責めを受けずとも」
 「私が悪者になる事で諍いがなくなるのなら、それも殿下への恩返しだ……私はしがない茶坊主から奉行にまで取り立てられ、近江という豊かな地に城まで賜ったからな」
 夢のまた夢をみているのは、殿下と同じだ。三成が寂しげに笑った時、次の大名が怒鳴り込んで来た。
福島左衛門尉正則であった。彼も清正と同じような主張をしたが、にべもなく三成に追い返された。続いて加藤左馬助嘉明、黒田長政も。

 彼らとて太閤への恩義、忠義の情はいまだ大老たちよりも強い。しかし、同じように太閤への忠義を重んじお役目に並々ならぬ責任感を抱いている石田治部少輔が、彼らと自分の価値観が同じであると思い込んでいたのは誤算であった。

 かつて『賤ヶ岳の七本槍』として秀吉とともに名を挙げた猛将、豊臣恩顧の大名達ですらこの有様である。冷遇されながら大陸に渡った者はさらに存亡の機に瀕していた。
 その代表が、金吾中納言こと小早川秀秋である。
 秀次の最期、そしてその背景を知る小早川には、もはや中央で要職に就くつもりはさらさらない。養父から受け継いだ筑前の地を守りながら、地方の一大名として…たった一つだけ欲をいえば初恋の姫を妻に迎えて生きていければそれで充分であった。
 だが、生きて還るためがむしゃらに戦い、結果として昇格に値するような武功を挙げた小早川を待っていたのは「京屋敷で待機せよ」という太閤からの命令であった。
 謀叛の疑いをかけられないよう、処罰の口実を与えないようおとなしくしていた小早川のこと。蟄居だの切腹だのという事態はないだろうと北政所から宥められてはいたが、どのような些事でも大事にしてしまうのが秀吉である。
 はたして何を申しつけられるやら。秀次のそれには及ばないであろうが、少なからぬ恐怖を抱いて沙汰を待っていた矢先に秀吉が死んだとの報せが舞い込んできた。
 その報せをもたらしたのは北政所であった。北政所は、日ノ本の統率に関わる事柄ゆえ大陸からの撤収が終わるまではまだ公にせぬようにとの大老から厳命されていたのだが、身内という気安さや金吾が秀吉の影に怯えて暮らしていたことを知っていた北政所は金吾にだけは事実を知らせていたのだ。
 「先の戦では大きな武功を挙げられたのですもの。金吾さま…小早川さまにも、きっと良いお沙汰がございますわ」
 北政所の屋敷にて。茶と菓子を運んできた千世が、まだ背を丸めている小早川を励ました。北政所は気を利かせて前田屋敷のまつの許へ遊びに行ってしまっている。
 どうぞ、と渡された干し柿を千世とひとつずつ頬張りながら。
 「そうなるといいな。殿下は亡くなられたのだから、あとは大老職にある輝元どの(小早川隆景の甥)のお力添えをいただければ」
 「亡くなられた?」
 その時、千世の顔色が変わった。
 「ああ。太閤のことだが?」
 「……いえ、わたくしは存じませぬ」
 しまった、と金吾が感じ取った時には遅かった。千世は、秀吉の死を知らなかったのだ。
 「すまぬ、ただの噂である。忘れてくれ」
 慌てて取り繕っても無駄である。庭や廊下で働いていた侍女や雑色たちも、ただならぬ情報に顔を上げてしまっていたのだ。
 (まずい)
 城仕えではない者の口に戸は立てられない。小早川はすぐさま辞去したが、噂は細波のように京の町中へ広まっていったのだった。

 太閤逝去が公表された際、民はどよめくどころか「やはり」という空気をもってその報せを受け入れていた。
大陸から戻って間もなくその報せに接した大名達との逆転現象が起こったのである。
 既に民は知っていた情報を、太閤のために命がけで戦った自分達には何も知らされていなかった。それで腹を立てない国主など居るだろうか。

 「減封の上、越前・北ノ庄へ国替えをしていただきます」
 大老たちが居並ぶ大坂城の広間。中央で縮こまっている小早川秀秋に対して、大谷刑部吉継が詔書を読み上げた。
 「先の太閤殿下逝去の噂を民に流布した件、毛利どのの懇願と大老がたのお力によってどうにか揉み消していただけたが……極秘情報を民に流した咎が事実ならば、本来ならば切腹に値いたしますぞ」
 「面目次第もございませぬ」
 「さらに」
 石田三成が畳みかける。
 「先の大陸での戦いにおかれまして、中納言どのは命令を無視して単独行動をお取りになり、豊臣旗下の兵を多数失いましたな。殿下から賜った兵をご自身の武功と引き換えに死なせた行い、けっして看過できるものではありませぬ」
 「……」
 「そちらの罰と併せて、筑前における小早川家の所領・財産もすべて没収いたします」
 「そんな……」
 「恩顧の家臣は北ノ庄に連れて行って良いだけましだとお思いくだされ」
 「……承知いたしました」

 すべて失った。養父から受けた恩も、千世姫とのことも。小早川は絶望に肩を落としながら…さりとて家臣らの事を考えると自害する勇気もなく、ただ茫然と屋敷に戻った後は国替えの日まで屋敷に籠りきりであったという。


 毛利元就の代から蓄えられた筑前の財を手にした大坂城だったが、少なからぬ金子も秀吉の廟建造と大陸へ渡った大名たちの恩賞としてあっという間に消えた。
 それら膨大な戦後処理を一手に担い処理した石田の手腕を評価した大老の一人、上杉景勝が
 「石田治部少輔にも恩賞として筑前の地を与えてはどうか」
 と提案したのだが、三成は自らそれを辞退した。
 「私は太閤殿下と豊臣家のために働いただけにございます。大陸ではさしたる恩賞も挙げられなかった身にそのような褒賞は勿体のうございますゆえ、通常の俸禄だけで充分であります」
 「ほう」
 上杉、前田、宇喜多は殊勝な申し出に感心し、毛利は無反応、徳川は(余計なことを)と顔をしかめた。
 「治部少輔よ。そなたが恩賞を受けねば他の者に示しがつかぬのだ。そなたが辞退したとなれば、他の者も追随せねばならなくなる。さすれば財政に苦しむ者が多数生じるのだ。善かれも見方を変えれば悪となる。解るであろう」
 「大坂の財政を預かる者としては、その財をひっ迫させてまで頂けるものではございませぬ」
 家康の説得も、石田は頑として撥ね退ける。
 「どうしてもと仰るのならば目録だけ頂戴いたしますが、翌日付で知行は他の方にお譲りいたしましょう。亡き殿下の御為に働いた者はたくさん居ります。彼らに報いるが筋でございましょう」
 「……」
 大陸出兵での禄に不満を持つ者に泣きつかれたのであろう家康は渋い顔をしたが、石田はその眼をじっと見据える。
結局、前田の取り成しによって石田はどうしても断りきれなかった筑前の地の一部のみを知行し、残りは大陸で後方支援と和睦交渉にあたった黒田長政に知行された。
 黒田長政は、太閤の腹心として『豊臣二兵衛』とまで称された黒田官兵衛の子である。なまじ父が優秀すぎたためにどうしても影が薄く、本人も「官兵衛の子」と呼ばれることを厭うあまり地位や立場に執着するきらいがあった。劣等感が募るあまり、官兵衛のもとで兄弟同然に育てられた後藤又兵衛を追放したくらい自尊心が高い。
 その長政にとって、『筑前守』の称号とともに毛利が治めた地を引き継ぐことは本来ならば大変な栄誉であった。
 しかし、それら栄誉が石田三成の辞退を受けて回って来たというところに長政は引っかかりを感じずにはいられなかった。
 お下がりの土地、つまり自分は二番手なのだと。
 しかも石田は小早川が去った後の筑前に牢人衆を大勢迎え入れていた。豊臣秀次事件の連座を免れた者や、減封となった蒲生家の旧家臣。それらを佐和山の石高で雇い入れ、筑前で働かせることで彼らの心を掴むことに成功していたのだ。
 父からは見事なりと褒められはしたが、長政にとって石田は『面白くない』存在となり、いつか追い落としてやろうという思いを日々募らせるのであった。
 それが長政の原動力となるのだから、負の感情というのは正より余程強いものなのかもしれない。


 数々の軋轢を生んだ大陸出兵の戦後処理と並行して。
 秀吉の遺言により、豊臣秀頼が政務を行えるようになるまでは、豊臣時代の大老職にあった者五名が共同で後見にあたることとなった。前田利家、宇喜田秀家、上杉景勝、叔父の小早川隆景が死んだことにより大老職を引き継いだばかりの毛利輝元、そして徳川家康である。
 父親の隠居先である伏見城にて暮らしていた豊臣秀頼は、年が明けてすぐ前田利家らに護衛されて本来在るべき大坂城へと居を移した。数えで七歳になったばかり。無論、茶々も一緒である。
 秀吉が聚楽第や伏見で執務を行っていたため京に屋敷を構えていた大名たちも、おいおい大坂へ転居するよう命じられた。
 役目を終えた伏見城の住人…かつての側室たちの身の振りは、伏見城の御殿に残って暮らす者、実家へ帰った者、出家した者など様々である。京極マリアは次男・京極高知が治める丹後の泉源寺村に屋敷を構えて移り住んだが、竜子は大坂城内、豊臣秀吉の広大な居館に残されていた自らの居室に移り住んだ。
 茶々、竜子とも、聚楽第に移って以来の大坂帰還である。

大坂に転居するにあたり、茶々は生前の秀吉から与えられた淀城にちなんで自らの名乗りを『淀』と変え、周囲にもそう呼ぶよう命じていた。
 「『淀君』さま、か」
 帰宅した源次郎は夜着に着替えながら呟いた。
 「おなごは出身地や住まいを名に冠する例が多うござりますが……淀さまとなりますと、また格が違いますわね」
 源次郎が脱いだ袴を丁寧に畳んでいたさちが、言いたい事を代弁してくれる。
 「淀城に因んではおられるが、大坂にも『淀川』という川が流れているから『淀』というお名前は大坂の者にも馴染み易い。お立場を考えれば、まさに日の本の頂点に君臨すると宣言したと同じ意味となる」
 そういった効果も期待しての改名であるから、淀の並々ならぬ覚悟がその名に現れていることは想像にかたくない。二人は茶々の心情に想いを馳せた。
 「元服なさったとはいえ、まだ幼い秀頼公をお支え申し上げるのは生半可なことではないだろうな。もっとお側に仕えられればお支えして差し上げられるのだけれど」
 「そうですね。ですが……」
 「?」
「何しろ、あの茶々さまですからね。ようやく政に携われるとなれば、却ってやりがいを感じておられるかもしれませぬ」
「たしかに」
二人は顔を見合わせて笑った。
 「それが淀さまの悲願でもあったからな」
 「ええ。わたくしが案じるとしましたら、淀さまの手腕が他の大名の方々に脅威とならないか、という事でございます。おなごは常に殿の三歩後ろを歩き、才はお歌や楽曲で発揮するもの。政で出すぎた真似をいたしますれば、面白く思わぬ殿方も多いでしょう。淀さまならば、そのあたりの押し退きも上手にこなされるとは思いますが」
 「そうであるな。淀さまと五大老制度の保護の下で中央がまとまっている間に、秀頼さまが健やかに成長されることを願うしかないか……折よくと言うべきか、中央での実務方が足りていないため私にも住まいを大坂城内に移すようにとお達しがあった。治部さまの下で勘定処に詰めるだろうから以前より簡単にはお目通りできないかもしれないけれど、お噂なりとも聞いてくる」
 「それが良うござりますわ。大坂のお屋敷が完成するまで、京屋敷の留守はわたくしがしっかりお護りいたしますゆえ、どうぞ大坂でのお役目にお励みくださいませ」
 「?」
 「義兄さまは、大坂では義父上さまとは別にお屋敷を構えられるそうですわ。徳川さまの側仕えのお役目に就くそうです。勿論、義父上と義母上はわたくし達のお屋敷に」
 「……」
 にっこりと微笑むさちの顔に何かを感じた源次郎は、つい彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。
 「どうかなさいましたか?」
 「いや。屋敷が出来るまでは父上も上田と京を行ったり来たりで忙しくなるし、京は平和なようでいて夜になると治安が悪くなる。小助と海野を護衛につけようかと考えていたのだが」
 「大丈夫ですわ。小助どの達は源次郎さまの大事な従者です。どうぞお連れになってくださいな。主の留守中を護るのは武家の妻たる者の務め。それにわたくし、最近は義母上付きの楓と一緒に義姉上から薙刀の手ほどきを受けているのですよ。なかなか筋が良いと褒められました」
 「薙刀って、病弱なのにそんなことを」
 ひとつ屋根の下に暮らす真田の女三人は、家事の合間に茶のみ話でも楽しんでいるとばかり思っていた。それが、まさか武芸の稽古をしていたとは。
 「お義母さまやお義姉さまとの交流は、わたくしの心と体を少しずつ丈夫にしてくれているようですわ。心の強さが体の強さにもつながるという話は本当であったのだと自分でも驚いています」
 ですから安心してください、と胸を張るさちに、源次郎は「ほんとに頭が上がらないなあ」と苦笑いするしかなかった。
 結局のところ従者たちを交代で警護につける事で折り合ったが、女とは、まこと男より性根が据わっている。さちの明晰さに健康と度胸が備われば、真田家にひとりの軍師が誕生するようなものかもしれない。武芸に長ける稲と組んだら、それこそ戦国大名に名を連ねてしまいそうなくらいに。

 そして女は男の行動の先を読むことに長けている。
 「左衛門佐、淀さまがお会いになりたいとご所望だ。参られよ」
 秀頼の馬廻衆に任ぜられた大野修理治長がそう言って源次郎のもとを訪れたのは、源次郎が大坂城に割り当てられた部屋に入った日のうちであった。
 「しかし、治部さまが秀頼さまと淀さまへのお目通りを段取りしてくださる事になっております。ここは治部さまを通じてお目にかかるが筋かと」
 「治部どのは昨日から筑前の視察に赴いており、お戻りは十日ほど後になる。けれど淀さまはすぐに目通りしたいとご所望だ」
 「そういった事情であれば伺いましょう」
 大野に案内されて懐かしい大坂城の天守に入ると、かつて太閤と目通りした連なり廊下に面する部屋の一つから声が聞こえてきた。裁可を求めた役人が面会中であるらしい。廊下の角を曲がる手前に大野が部屋の正面からは見えない位置に正座したので、信繁もそれに倣う。
 「吉野の寺社修繕の件で、秀頼さまにご裁可をいただきたいのですが」
 「その寺社は、今すぐ修繕しなければ倒れるようなものですか?」
 「いえ。ただ寺社の品位を保つための塗り直しや剥がれた金の貼り直しをしたいと」
 「それにしては、少々予算が多い気がいたしますが?」
 「それは……金山を持つ国が最近になって金の値段を吊り上げておりまして」
 役人の声はしどろもどろだった。金山を持つ国は、相手が大坂城ということで高い値段を吹っかけ、買い取る側の役人は高値での取引の裁可を得た見返りとして儲けからいくらかの上前を懐におさめるのが通例だったが、石田三成の眼をすり抜けて…徳川家康にいくらかの賂を渡して口利きをしてもらい、直接太閤に裁可を取り付けるような者までは流石に石田三成も手が回らずにいた。末端の役人や地侍による誤魔化しは、一つ一つはわずかな金額でも、件数が積もれば巨額になるのだ。
 しかし茶々は違った。
 「却下ですわね。金など取り寄せる余裕があるのなら、まずは大坂城に寄進なさい。西の大名に恩賞として回します」
 茶々は言い放つと書類に『不裁可』と大きく書いて突き返した。すでに裏の約束は出来上がっているのか、彼は必死に食い下がる。
 「ですが神仏をみすぼらしい社殿に御座らせますのはいかがかと」
 「……では、あなたはここにいる秀頼が飢えを訴えたらいかがなさいます?」
 「それは……あってはならぬ事でござりまする」
 「そう。子が飢えるなどあってはならぬ事なのです。座る場所が違えど、秀頼と同じ年頃の童が飢えに苦しむなどもってのほか。童は将来の日の本を支える大切な存在であり、そうでなくとも今は民の疲弊が顕になっている時期。大名に恩賞を回し、その金と米でまずは農民の腹を満たして国力を回復させるよう命じなさい。拝む者あっての神仏なのですから、きっとご本尊もそう望まれるでしょう」
 「……御意にございます」
 まったくの正論を正面切ってまくし立てられ、ぐうの音も出なくなった役人は唸るような声を絞り出すと、肩を落としてすごすごと源次郎の前を過ぎて行った。何となく見覚えのある顔は、三河から来ていた事務方であっただろうか。
 「淀さま、真田左衛門佐どのをお連れいたしました」
 大野が声をかけると、襖の向こうの空気が一瞬にして和んだように思えた。
 「まあ源次郎どの、お入りなさいな」
 なつかしい淀の声に、源次郎は「失礼いたしまする」と一礼して襖を開けた。その先には、幅の広い文机に硯箱のみを置き、脇に書類盆を山積みにして座る淀…茶々がいた。先の役人のように、事務方における協議の時点で決裁された案件でも最終的に可否を判断するのは秀頼…今は代行を務めている淀である。細かい案件は五大老や五奉行の決裁に任せていた秀吉と異なり、淀はすべてを自分で把握しようと奮戦しているらしい。
 「まあまあ、本当に懐かしいですわ。小田原でお会いした時以来かしら。ささ、遠慮は無用です。……これ、真田どのに茶を」
 「はい」
 淀は大野と茶を運んで来た侍女をその場に控えさせたまま、源次郎に『めしあがれ』と促しつつ自らも茶に口をつけた。二人きりで会わないのは、噂好きな侍女らを通じて城内の情報を多く得ようとする武士らに無用な憶測をさせる隙を与えないようにとの配慮であるのは言うまでもない。本当は小田原の後も『真田源次郎の妻と、その伴』として何度か伏見城へ機嫌伺いに出向いているのだが、そのあたりも伏せているので源次郎も話を合わせることにした。
 「あなたがお城に詰めることになったと石田どのから伺って、待ちわびていましたのよ。それから、奥方からはあなたの到着より先にお土産をいただきました。栗煮を使った手の込んだお茶菓子に、安岐どのが自ら造られたというお野菜の塩漬け。秀頼と一緒に美味しくいただきましたわ。安岐どのは幼少の頃はとても病弱で幼馴染のわたくしも心配しておりましたが、真田家に良くしていただいているようで、かように美味しい食べ物を造れるまで健康になれたのは嬉しい限りです。縁組の仲介をなさった太閤も、生きておられたらさぞお喜びになるでしょう」
 「お褒めにあずかり光栄でございます。奥もさぞ喜びましょう」
 ああ、と源次郎は思い当たった。これが内助の功というものなのだ。参勤して早々に時の権力者から声をかけられたことで、源次郎は城内で一目置かれることになるのだ。それを夫に知られないよう迅速に手配するのだから、まったくもって良妻には頭が上がらない。
 「昔なじみのお顔を見たら、気が緩んで少し肩がこりましたわ。お行儀が悪くてごめんなさいね」
 淀は昔ながらの悪戯っぽい笑いで脇息にもたれ、軽く首を回してみせた。
 「それは、お疲れのところを失礼いたしました。すぐに退がらせていただきます」
 「うふふ。幼馴染の夫君だからこそ油断したのですわ。安岐どのの消息知りたさに呼んだのはわたくしの方ですもの、ちょっと休憩しても罰は当たらないでしょう。まこと、安岐どのにもお会いして久しぶりに女同士で碁や双六など楽しみたいものです……ああ、そこのあなた。ちょっと肩を温めたいので温石を持ってきてちょうだい。大野は決裁の済んだ書類を回してきて」
 「かしこまりました」
 控えていた侍女はすぐに温石を取りに下がり、大野は書類盆を持っていったんその場を去った。庭を護る家臣には聞こえない範囲の声で本音の会話をする時間が生まれる。
 「淀さま……本当にお疲れのご様子ですね。顔色も優れないようにお見受けしますし、お着物の上から判るくらいお痩せになったのでは」
 「ええ、少しね。でも今は天下の一大事。ここでわたくしが踏ん張れるかどうかに天下の…豊臣の命運がかかっているのならば、やらねばなりませぬ」
 苦労は多いけれど楽しいですわ、と淀は持ち前の気丈さで笑った。聚楽第に入ってからの辛酸を乗り越え、ようやく表舞台に上がれたのだからと。
 それでも疲労は溜まっているようで、おそらく誰の前でもつかないであろう吐息を淀は源次郎の前でついてみせた。やりがいと苦労、どちらも本心なのだとその姿が語っている。
 「実際、お城がここまでの伏魔殿だとは思わなかったですわ。秀頼や国のことを心から案ずる者は多くなく、みなが自らの利益を守ることばかり考えていてかまびすしい事この上ありませぬ。気を許せば秀頼を言いくるめようとする者も多い中、あなたが来てくれてほっとしたところです」
 「お役に立てるのでしたら幸いです」
 そこで淀は扇で口許を隠して声をひそめた。
 「あなたも気づいているかもしれませんが、豊臣の権威はもはや失墜しています。殿は小事にこだわらぬお人でしたが、それが災いしました。亡くなる前はあのようなお振る舞いでしたし」
 言うことを聞く者は多くても、止める者はいなかった。それも良くない事だと淀は書類盆の山を眺めた。
 「気がつけば国の財力も民も疲弊し、有能な者を幾人も死なせ、大坂城もただの箱同然となってしまったのですもの、殿の行いに家臣が反発するのは致し方ありませぬ。ですが秀頼に罪はないのも事実です。私が働くのは豊臣家のためではなく秀頼のため。父親の所業のせいで秀頼が侮られ、傀儡にされていくことだけは我慢がなりません。十歩も二十歩も後ろからの巻き返しになってしまいますが、必ずや誰にも文句を言われないほどの器量を身に着けさせ、名君として天下に君臨させてみせますわ。そのためにも、今ある地位だけは絶対に守りたいのです」
 「秀頼さまのため……」
 「母はいくらでも強くなれるものですわ。あなたも……機会があれば、ね。親となるのは素敵なことですわよ?」
 茶化すような声にぎくりとして顔を上げれば、淀は美しく整った目を片方瞑って少女のように笑っている。相手は知らないまでも源次郎が恋をしている事についてさちから何か聞いているのか、それとも小田原あたりで何かを察したのか。
 そこへ侍女が戻って来た。淀は服の上から温石を肩井に置いて目を細める。
 「そうそう、この絵を見てくださいな」
 淀が一本の掛け軸を拡げた。そこには、柔和な顔をした色白でふくよかな男の姿が描かれている。
 「京の絵師に描かせていたものが、ようやく届いたのです」
 「こちらのお方は?」
 「いえ。わたくしの父、浅井長政ですわ」
 「浅井さま……」
「もう父の顔を覚えている者は誰もいなくなってしまいました。わたくしの記憶の中にある父の姿を頼りに描かせたので、実際のお顔がこのとおりであったかどうかは正直よく分かりません。けれど、この表情だけはよく覚えています」
 絵の中の長政を見る限りでは、織田に刃向った事などまるで想像もつかない…戦とは対極にあるような人物であった。源次郎が公家と間違えたように、歌や雅楽、宴といった雅がよく似合いそうである。
 「初めてお顔を拝見いたしますが、優しいお顔をいつも家族に向けていらっしゃったのですね」
 「ええ。わたくし達にこのような笑顔を注いでくださったのですから、わたくし達はとても愛されていたのですわ。とても伯父と干戈を交えたとは思えないような……」
 「失礼ながら、見た瞬間お公家さまかと思いました」
 「でしょう?見ての通り食べることが大好きで、収穫の時期になると民から届けられた果物や芋を一家で美味しくいただいたものです」
 淀の心が、もう戻らない時間の中へ戻っているように見えた。
 「わたくし、幼少の頃より両親から『人は国の礎だ』と教わって育ちました。家臣ではなく、広く日の本に暮らす民こそが国を支えているのだから、そのことをゆめゆめ忘れず人を大切になさい。そして人を育むことに心を砕きなさいと。太閤の存命中は何も出来ませんでしたが、秀頼には母の教えを忠実に守り民に愛される者になってほしいのです。浅井の父上が民と築いていたような信頼関係を、秀頼も持ってくれればと……そんな理想を蔑にして、秀頼を欺き甘い汁を吸おうとする不心得者など言語道断ですわ」
 「……」
 いつ現れたのか、廊下の角で面会を待つべく控えていた武士の顔が一瞬ひくりと引きつったように源次郎には見えた。おそらくは、淀が指摘したことを今まさに目論んでいる主に仕えているのだろう。したたかで挑戦的な淀の気質は、聚楽第にいた頃から変わっていないようだった。
 「今は豊臣を支える有能な者が一人でも多く欲しいこの時、左衛門佐も、どうぞ力をお貸しくださいましね」
 「無論でござりまする。この左衛門佐、身命賭して秀頼さまにお仕えする覚悟。それは我が真田家の者の総意でございます」
 「智にも武にも優れた真田家の者からそう言っていただくのは、十の家臣に同じことを言われるよりも頼もしいですわ。ともに励んでくださる安房守や伊豆守にも、よろしくお伝えくださいな」

 実際、淀の仕事量は本来なら経験豊富な奉行が束になってかかるくらい膨大であった。すべてを自らの目と考えで見直し、信頼のおける者と意見を交換し、大老たちへの根回しを経て最も良い方向へと正す変革をごく少人数で行うのだ。しかも案件ごとに利害からもっとも遠い大老や奉行を選んで任せていく。幼い秀頼が右も左も分からぬうちに裁可を取って既得権益を作り上げてしまおうと目論んでいた大名の企みは、ことごとく淀によって阻まれた。
 当初こそ小さな反発や会議の場が荒れることはよく見られたが、淀は頑として引き下がらない。
 そうなると、やがて大名たちはみな口を揃えて秀頼を持ち上げ淀の機嫌を取り始めたのである。
 「秀頼に献上とは、有難いお話ですわ」
 献上品が納められる蔵のある区画に面した広間にて。上座に座った秀頼を背にした淀は地方からの献上品を持って訪れた大名と対面していた。
 「とんでもございませぬ。秀頼さまにおかれましては、ぜひともお健やかにご成長いただきたく」
 「……」
 淀はひたすらもみ手をする大名を一瞥した後、眉を軽くしかめるように荷車を眺めた。
 「ただの食糧にしては、ずいぶんと重たそうですわね。荷車の軸が折れそうですよ?不穏なものが入っていてはいけませぬ故、検めさせてもらいます……治長」
 「はい」
 慣れた手つきで…そのような事は日常なのだろう、大野治長が荷を検める。包みの山を少々かき分けたところで手を止め、役者よろしく大仰ぎみに顔を上げた。
 「おや、これは金でございますな」
 「金?」
 「まあ、あなたは秀頼に金を食せと仰るのかしら?」
 「いえ、こちらは秀頼さまにお収めいただきたく……」
 つまり袖の下であることを隠そうともせず、大名はさらに腰を低くする。
 「あらあら、お心遣いありがとうござりまする。ですが、秀頼があなたから金子をいただく筋合いはございませぬ。これだけの金子があれば、洪水が多いと聞くあなたのお国の治水がどうにかなるのでは?」
 「……」
 禁じ手とされている袖の下を拒まれるというのは、すなわち処罰も辞さないということ。だが一気に青ざめた大名の顔をしばし引きつらせておいた後、淀はきちんと助け舟を出すことを忘れていなかった。
 「ご心配なく、お気持ちだけはいただいておきますわ。忠義に篤い家臣を持って、秀頼も幸せです」
 「恐れ入りましてござりまする」
 「治長。奉行の増田右衛門少尉に申し付けて治水工事に詳しい者を手配し、この者の国に派遣させなさい。秋の嵐が来る前に工事を行い、収穫を確保するのです。費用はこの荷物をそのまま使いなさい。収穫が安定した後で治部少輔を検地に向かわせます」
 「そ、それでは我が殿が……」
 主が求めているのは治水工事への便宜だけではない。それによって増える石高に課される年貢に『目をつぶって』もらうことなのだろう。内部で財を蓄えたいと考えるのは、どこの大名も同じである。
 「こちらへ回す金があるのなら、自分の国にお使いなさい。殿下が諸大名に分け与えた土地から得られる益は、すべからく日ノ本の財であります。誰か一人だけが恩恵にあずかって良い訳がありますまい。……さあ治長」
「はっ」
 国の土木を司る奉行への命令書をさらさらと綴った淀は、母の隣でわくわくしながら待ちわびていた秀頼に朱印を押させると彼の大名に持たせた。荷物もそのまま引き取るよう大野が促す。

 「まったく。だから女というのは世間知らずなんだ。阿吽の呼吸というものを解っていない」
 太閤殿下の時は御しやすかったのに。淀が聞こえないところで遣い役がぼやく。
 それを物陰で聞いていたのは徳川家康だった。

 「淀さま、失礼いたします」
 荷車と入れ替わるように、石田三成が奉行所の報告書を持って現れた。また賂かと石田は口を『へ』の字に曲げたが、淀がその手の申し出をすべて拒んでいることを知っているため口出しはしない。
 「石田どの、大坂の財政は大事ないでしょうね?」
 「お任せください。あのように些少な賂(まいない)ごときで豊臣家のご威光を曇らせることはござりませぬ。増田右衛門少尉にもしかと申しつけておりますゆえ」
 「ならばよろしい。殿下の時分には賂がまかり通っていたようですが今は違います。金で政を好きに動かせるという勘違いを大名にさせてはなりませぬ。秀頼は金では動かぬことを全国に知らしめ、各地の大名を切磋琢磨させることで頭角を現した有能な者のみを登用していきます」
 「淀の方さまのお心、この三成もまこと感服いたしましてござりまする。戦の世が終わった今、国を支えるのは忠義と能力に尽きると考えます」
 淀と石田は、清廉さをもって日の本を糺していくという点では同じ意識を持っていた。既得権益を抱えている他の奉行や代官は淀の提案に苦い顔をするのだが、石田だけは喜んで提案を実行に移す。淀が石田に信頼を置くのは必然であった。
 「まこと心強い言葉、わたくしも秀頼に代わって礼を申しましょう。治部どのには、さらに財政を引き締めるよう期待しますよ」
 「はっ。心してまいります」
 「それから、城内ももう少し質素になさい。襖も障子も毎年貼り替える必要はありませぬ。年ごとに各所を分けて貼り替え、その分を蓄えに回すように。」
 「ですが、あまり質素が過ぎては豊臣の品位を保つことが……日の本に君臨するお立場なれば、各国の大名に侮られぬ程度の絢爛さは備えておくべきかと」
 「日の本に君臨するからこそ、手本となるのです。頂点に立つ豊臣家が質素であれば、その下にいる大名が見栄を張り合う必要もなくなりますゆえ」
 秀吉の贅沢ぶりは、秀吉が自らの手でその地位を手に入れたゆえ許されたこと。淀や秀頼の手柄ではない。だから秀吉が死んだ今はいつまでも過去の栄光に縋って同じ贅沢をしていてはならぬのだ。淀はそうして自らと秀頼を戒めるべきだと持論を展開した。石田は感嘆に唸った後すぐに頭を下げる。
 「御意にございます。早速指示を出しましょう」
 廊下の隅で、庭を眺めるふりをして息をひそめて会話を聞いていた徳川は、気取られぬようそっとその場を後にした。


 (さすが織田の家系よ。一筋縄ではいかぬかもしれぬ)
 徳川家康はそんな淀の力に危惧を持っていた。国のためではなく、天下の一歩手前に立つ大名として。
 なみいる大名たちは淀の手腕に手も足も出ぬまま鬱憤を募らせ、陰では淀のことをただの出しゃばりで過保護な母親だ、いずれ秀頼さまが成長すれば疎まれるさと侮ったが、淀はそれらの陰口に滅入ることなく天下へつながる梯子にしがみつく道を選んだのである。まだ幼い秀頼が君主として独り立ちするその日まで。
 だが関東を拠点とする徳川は、かつて鎌倉幕府で同じように実権を握った『尼将軍』こと北条政子の伝承に淀の姿を重ねて見ていた。
 女に何ができる、という思いは今も昔もこぞって男が口にする言葉であるが、それがただの「やっかみ」に過ぎないことを客観的に認めざるを得ないのが政子の例である。鎌倉幕府の全権を事実上掌握していた北条政子は、幕府と朝廷が対立した際も毅然とした態度を崩すことなく、結果として御家人たちを離反させることなく朝廷の乱を収めたのだ。
 そして三代で名の絶えた源氏から北条氏へと見事に権力を移譲させ、以後百五十年にわたり事実上の将軍として施政を司り栄華を極める基盤を築いた。
 鎌倉の北条と同じように歴史が進めば、いずれ豊臣に代わって織田や浅井の家系が息を吹き返すかもしれない。今の淀が置かれた立場は政子の頃と非常によく似ているし、秀吉とは違い家系にも恵まれている。何より、淀には政治の才能があった。秀吉の室にいた頃は黙って息をひそめ、大坂に入った時点で本来の才を発揮し始めたのだろう。このまま体勢が固まってしまえば、家康は事を起こす機を逸してしまう。最悪、豊臣に逆らう逆賊として滅んでしまうだろう。
 徳川が五大老で終わりたくないと思う場合、もっとも大きな敵となるのは朝廷でも他の五大老でもなく、もしかしたら淀なのかもしれない。家康はひそかに危惧し、今のうちに何らかの手を打つべきだと案じていた。
 今なら、まだ打つ手はある。それは淀や石田三成が若く清廉すぎることだ。
 正論をもって理想とする姿で国を牽引しようとする淀や石田三成の考えは、理論上では間違っていない。しかし、駆け引きや裏取引によって政を推し進めて来た家康はそのやり方を甘いと見下していた。そのような連中に天下を掌握されたままでいるのも面白くない。
 「水清くして魚棲まず、の喩えを、どうやら大坂の連中は知らないとみえる」
ここまで上りつめるのに、どれだけ老獪となり犠牲を払ったと思っているのだ。
 長らく辛抱を重ねて来た甲斐があって、ようやく天下に手が届く場所まで来たのだ。さらに、今は人生でもっとも天下が近くにある。
 戦の攻め時と同じで、獲るなら今だ。家康は直感的にそう思った。
 しかし力攻めではない。まず『合法的に』外堀を固め、薄皮を剥ぐように少しずつ豊臣体勢の外側から切り崩していくのが最も効果的かつこちらの危険が少ないだろう。城攻めに例えるなら調略攻めと兵糧攻めの併用である。
 「急がば回れ、だのう」
 長期戦もやむなし。ただし己の年齢を考えると、残された少ない機を逃してはならない。家康はぼそりと漏らした呟きを空中にかき消すように扇で口許をばさばさと仰いだのだった。


 「小早川どのを筑前へと戻されてはいかがかな」
 五大老と奉行が集った場で。それまでの話題とは何の脈絡もなく家康が小早川秀秋の去就について切り出した途端、その場の空気が止まった。
 「いきなり何を申されるかと思えば。徳川どの、いかがなされたのだ?」
 年長の前田利家が、わざとおどけた口調で問い質す。同僚としてのつきあいも長い前田は、徳川が突拍子もない提案をする際は必ず裏に徳川の利益となる何かがある事を知っていた。そのため、口調には『今度は何だ』という含みを持たせている。
 「その話であれば、すでに移封にて決着がなされたと解釈しておるが?」
 「いやいや、やはり若い人材を埋もれさせるには勿体ないと思うたのでござる。金吾どのにも悪気はなく若気の至りでした事、けじめとしての罰を与えておけばもう反省して二度と独断で何かをしようとは思わないでござろう。このあたりで赦しを与えて恩を売っておけば、豊臣家に対する忠義や礼節も覚え今後の働きも期待できるというもの。移封はそのための『しつけ』であったと思えばよいのでは?」
 「しかし中納言の事情はそれだけではないゆえ、賛成いたしかねますな」
 「確かに。何より減封は我々大老達の満場一致のもとでの決定ではないか」
 上杉景勝と宇喜多秀家も前田に同調した。やはり徳川に警戒している側である。しかし徳川はそういった反論も予想の内であったかのように怯まない。
 「豊臣の当主が秀頼さまである事はもはや天下の知るところ。今更揺らぐような事もありますまい。それより今は政の安定を何より優先させるべきだと思いましてなあ……たとえば」
 家康は、大老の下座に控える奉行の一員…石田三成をちらりと横目で見た。
 「筑前代官の石田治部少輔は筑前と大坂を行ったり来たりで忙しい様子。今は大坂の政務に重きを置いてもらい、筑前は年若い小早川に治めさせれば良いではござらぬか」
 「そのようなご心配ならば無用です」
 真っ先に反発したのは石田三成だった。
 「中納言さまは太閤殿下のご意向を無視して勝手な振る舞いを行った上、豊臣の軍に多大な損失を与えたのです。移封も減封も妥当な措置であったと解釈いたしますが?」
 石田の反論にもっともだと頷いたのは前田と上杉、宇喜多は石田の立場をわきまえぬ発言に困惑し、毛利輝元は眉ひとつ動かさず無表情を貫いている。今の五大老の立場が浮き彫りになった瞬間であった。
 「立場をわきまえろ、治部少輔。小早川家の筑前における治世は長い。前領主の子息が帰還するのを喜ばぬ民などいないであろう」
 「ですが、この石田の目にも筑前の政務は今が肝心だと映ったのです。こうもたびたび領主が入れ替わっていては民も困惑いたしまする」
 「治部少輔の意見、理にかなっておるな。石田が私利私欲のために筑前に留まりたいと思っている訳でないことは、領主の座を辞退した経緯からもよく分かる。筑前の領主不在が気にかかるのなら、旧領ともども黒田長政に知行させれば良かろう」
 前田利家が徳川の意見を却下しようとしたが、徳川はまだ諦めない。
 「そう申して年長者ばかりで施政を行えば若い芽は育ちませぬぞ。秀頼さまのご成長に寄り添って育っていける大名がおれば、秀頼さまがどれだけ心強いか」
 秀頼の名を免罪符に使うな。前田と上杉はそんな顔をしたが口には出さないし、徳川も見て見ぬふりを通す。
 しかし石田だけは納得しなかった。筑前の施政も無論だが、秀吉が固めた体勢を脅かす者を徳川の一存で優遇するなど将来の増長を招くだけだと考えているのだ。
 「中納言さまの学びのためであれば、京にも近く政情の安定している北ノ庄の方が却ってよろしいのでは?筑前をお返しするのは一向に構いませぬが、せめて施政が軌道に乗るまでは拙者にお任せいただきたい」
 「治部少輔、あまり出すぎた発言は慎むべきだぞ」
 腰を浮かせて立膝になってまで主張した石田の裃を引いたのは、同席していた加藤清正であった。石田が顔を引きつらせる。
「これはそなたの為、ひいては天下のためを思って徳川さまが仰っておられること。中納言さまを筑前に戻すべきではないか」
 「加藤、貴様は……!」
 「事実、大坂の政は人材不足で円滑とは言い難い状況でござりまする。寝ずに奉行所に詰めている者も多数いる中、国の実務を行う者がそのような有様では疲弊のあまり大きな間違いが起こらないとも限りませぬ。ここは五奉行としても互いに連絡を密にできる距離で事に当たるべきだとこの肥後守は考えまする。五大老の皆様方も、なにとぞ徳川さまのご深慮にご賛同いただきたく存じます」
 そう言うと加藤は深々とひれ伏してまで見せた。
 (虎之助……懐柔させられたか)
 加藤清正は、早くも家康に取り入っているらしい。もともと大陸出兵では強硬派として最前線に立った加藤は、慎重を期して早くから調略や講和の策を練っていた石田を臆病者と見くびっていたのだ。それでも秀吉が石田を重用したため苦々しく思っていたところに先の恩賞の件である。見限られても仕方ないと覚悟はしていたが、まさか徳川に取り込まれていたとは。
 大陸では先陣をきって勇敢に戦ったと自負しているのにどこまで厚顔な男だと三成は清正を蔑み、清正は清正で時勢を読めぬ不調法よと三成を侮る。渡世において必要なものを知らぬ男だと。
 「……ご無礼いたしました」
 三成にとっては甚だ理不尽なことであるが、ここは頭を下げるしかなかった。
清廉なだけでは百鬼夜行の如き政治の世界を渡れないのもまた事実である。自ら毒に染まるか、あくまで異端として排斥されてしまうか。
 結局、徳川家康の理屈に押し切られる形で小早川秀秋は越前への転封を取り消され、筑前への復帰を許された。ただし石田が治めていた土地のみの知行である。それに伴い、石田三成は筑前の代官職を解かれた。
 冷遇から解かれた小早川は徳川の計らいに感激しながら浮き浮きと帰国準備を整え、逆に三成はこの一件で徳川の狙いは自分であることを確信した。

 「徳川は、大陸出兵で困窮した大名たちに金子を用立てていた」
 大谷刑部が、宇喜多秀家から入手した書状を手に石田屋敷を訪ねて来た。書状に連なる名を見た石田の顔つきが険しくなる。
 加藤肥後守清正、福島左衛門尉正則、加藤左馬助嘉明、黒田筑前守長政など。みな大陸に渡った者である。
 「道理で、虎之助や左衛門尉がしつこく食い下がって来ない訳だ」
 「あやつらは徳川に頭が上がらぬのだ。もはや徳や忠義で国を守れる時代ではない。恩賞として分け与える土地や金子があてにならない以上、豊臣のためには働けぬという事だ」
 「何故だ?殿下に受けたご恩は金子に代えられるものではない。大名が得る財は国の財であるのだから、不足分は各々が私財を投じれば……」
 「それが出来るはおまえだけだぞ、佐吉。凶作の年には佐和山の民の年貢を免除し、自らの蓄えで翌年に備えた治水工事を行っている。だが大名すべてがそれに倣える訳ではないのだ」
 「大きな石高を持つ国が、何故そのような簡単な事すら出来ぬのか」
 「大国だからだ。土地が広くなれば民も増え、戦に駆り出される兵も…つまり食い扶持も増える。それらを養うために必要な金子も、佐和山とは桁違いなのだ」
 「……」
 「おまえの気持ちは解る。が、彼らも民に甲斐性を見せなければ国をまとめていけぬ。みな精一杯なのだ。とはいえ」
 大谷は頭巾の下から覗く眉間に皺を寄せた。
 「このままでは徳川に大坂城を牛耳られるな。如何にしたものか」
 「まずは豊臣恩顧の大名がこれ以上徳川につくことを阻止せねばならぬ」
 真っ先に離反しそうなのは誰か。石田と大谷は同時に「細川左少将か」と細川忠興の名を挙げる。
 「あの者は保身主義で日和見だ。徳川の発言力が強まれば、そちらに与する可能性が高い」
 「離反を阻むのであれば、徳川以外の大老との縁戚が手っ取り早いだろうか。例えば……北政所さまの許におられる千世姫と細川の嫡男はどうだ」
 大谷の言葉に石田も頷く。
 「豊臣家の養女、しかも前田利家公の息女か。相手として充分だ」
 石田はすぐに手順を書きとめた。
 「明日じゅうに秀頼さまのご裁可を取り付け、まず前田利家公、それから上杉どのや宇喜多どのに根回しをした上で細川どのに下知する。徳川の耳に入れるのは最後だ。奴に悟られる前にすべてを整える」
 「しかし利家公は病を得て伏せておられる。今は起き上がるのもままならぬとか」
 「筆さえ握っていただければ構わぬ」
 そうして、千世姫の縁談は本人の預かり知らぬところで急遽まとまったのである。

 千世姫は北政所の許を離れて細川家に嫁いだ。
 京都の小路を過ぎる花嫁行列を、人だかりから離れた籠の中から見つめていたのは小早川秀秋…金吾中納言である。
 その手には、かつて大陸に渡る時に千世から貰った守り袋を握りしめて。

 「おや、立派な御籠が見えると思いましたら…やはり中納言さまではありませぬか」
 籠の中で涙をこらえていた小早川の頭上から、聞き覚えのある声がかけられた。涙を拭って小窓を開ければ、やはり徳川家康だった。
 「これは徳川どの」
 「このような場所で隠れるように見守るなど、中納言さまらしからぬ行いでございますな」
 「い、いや……千世姫には北政所さまのお屋敷にてお見かけしていた縁がありました故、妹が嫁ぐかのように感慨に浸っていただけのことにございます」
 「その割には瞼が随分と腫れておりますぞ。一晩泣き明かしでもしなければ、そのようにはなりますまい」
 「……」
 「ご無理をめされるな。互いの気持ちだけでは儘ならぬこの世の辛さ、某の若き頃にも思い当たるものがございますぞ」
 「いや、そのような心持では……」
 「いやいや、儂も京都暮らしが長いためか、若い者の色恋沙汰を噂話で耳にする機会も多うございましてな。どうにかお力になれればと思っておりましたが、此度の縁組の裁可が儂のところに回ってきたのは最後であった故、どうにもならず申し訳ない事をした」
 懐から懐紙を取り出した徳川は、小早川の目頭に残っていた涙の痕を拭う仕草で籠の中に顔を突っ込んだ。
 「どうです中納言どの、我が城でお休みになって行かれませぬか。筑前のご様子や、大陸での武勇伝など拝聴いたしたく」
 徳川が各国の大名に声をかけている事は小早川も知っている。ゆえに『つけ入られた』と直感したのだが、今の小早川には政治の機微などどうでも良かった。断る理由もない。
 「……では、少しだけ」

 小早川と千世姫の間にあった事など知らぬ石田治部少輔と大谷刑部はこの縁組によって徳川を出し抜いたつもりであったが、これが実はまったくの無駄である事に気づいたのはその後間もなくしての事である。
 千世姫の舅となった丹後国の主・細川左少将忠興は、家康から大友宗麟の旧領である豊後国の一部を与えるという誘いに乗って家康に与した後であったのだ。
 妻が敬虔なキリシタンであった細川は、愛する妻のためにキリシタンの多い九州の領土に釣られたのである。


 「おまえが真田の次男坊か」
 大坂城にて。勘定処へ出仕するべく廊下を急いでいた源次郎は、すれ違った加藤清正に呼び止められた。
 「左様にございまする」
 膝をついて通路を譲った源次郎は、面を下ろしたまま応える。
 「徳川公も一目置く真田の者か……兄の方は徳川どのに忠節を誓っていると聞くが、そなたはどうなのだ?」
 返答次第では敵と見做す、有無を言わせぬ睨みであった。しかし、そのような脅しを受けると屈する気がなくなるのは真田安房守に似たらしい。源次郎は即座に返答した。
 「畏れながら、私は徳川さまにお味方する心はございませぬ。
 「何だと?」
 「私は『豊臣家』に忠義を尽くす所存でございます。徳川さまや五大老の皆様に学び、従いながら、将来にわたって秀頼さまをお支えするのが武士としての忠義かと」
 「はっ、若いな。その言いよう、佐吉そっくりだ。が、そろそろ武士としての多様な生き方を覚えねばせっかくの芽も摘まれてしまうぞ。時勢くらい読めるのであれば、なあ?」
 「……」
 遠回しに徳川になびくよう促している。そのくらいは源次郎にもすぐ理解できた。昌幸ならどうとでも取れる適当な発言で誤魔化すのだろうが、源次郎の胸の奥底が父と同じ立ち回りを拒んだ。肥後という広大な地の開拓に加えて大陸出兵というやりくりに苦労し、禄をめぐって石田に不満を持つ加藤の心中は分からないでもないが、各地から殺到する同様の訴えに石田が苦悩していることを知っているのだ。
 「太閤秀吉さまが何より望んでおられたのは、佳き家臣たちに支えられた秀頼さまが名君として日の本を統べて行かれることであったと聞いております。太閤さまのご恩義を受けた者であれば、皆がそのご遺志を実現するべく心を一つに邁進することが何よりのご恩返しになると考えまする」
 「ふふっ、真田の人間にしては随分と一本気な……若くして蟄居する事にならぬよう気をつけることだな」
 清正は余裕を見せるように口の端を吊り上げたが、その眼は笑っていなかった。しかし源次郎はあえて無視を貫く。道の先から馬の嘶きが聞こえたのだ。ややあって石田三成が勘定処に現れる。
 「治部さま、お戻りをお待ちしておりました……あの、お荷物は」
 検地から戻った治部少輔の荷物の少なさに源次郎は驚いた。従者の島左近と二人の小姓がつづらを一つずつ担いでいるだけなのである。
 「この帳簿だけだ」
 「では石田どのご自身のお身の回りの品などを馬寄せから取ってまいります……」
 それはこちらに、と左近が目で伝える。着物一式が一枚ずつ入るかどうかの小さなつづらである。
 「私は無駄な物は持たない主義だ。どこへ行くにも刀と筆、算盤だけあれば事足りる。要らぬ媚びを売って満たした私欲で形を整えるなど武士の風上にもおけぬわ」
 源次郎が横目で清正を見れば、彼はさりげなく目をそらして扇で顔を扇ぐ。自分への当てつけだと自覚しているのだ。
 三成はそんな清正の態度をかすかに、だがはっきりと伝わるように軽蔑した後で、粗末な袴の裾を捌いた。
 「左衛門佐、すぐ検算に入るぞ。ついて参れ」
 「はっ」

 石田が細川家と千世姫の縁組を行って以降、徳川も対抗するかのように次々と自分の縁戚を増やしていた。
 伊達政宗の娘・五郎八姫を自分の六男・辰千代(のちの松平忠輝)と婚約させた時、本人たちはまだ五歳と七歳。早いうちに取り込んでおいた福島正則・加藤清正・黒田長政らについても、それぞれに養女を輿入れさせて繋がりを強めておくことを忘れない。
 「徳川内府の行いは、太閤殿下が制定された『無許可縁組禁止』の触書に反するのでは?」
 そこに目をつけた石田は、療養中の前田利家に進言した。
 「伊達陸奥守どののご息女を辰千代君と婚約させた事を始め、徳川家の縁組は異例ともいえる多さで進められております」
 三成に従って書類箱を運んで来た源次郎は、政宗の娘と聞いて心がざわついた。だが素知らぬ顔で上司の会話を見守り続ける。
 「ふむ。伊達どのとの話は伝え聞いておるが、大大名同士であるのに届出はされていなかったのか?」
 「いいえ。他の縁組につきましても私が洗いざらい記録を調べ上げましたが、どれ一つとして大坂への届け出はされておりませぬ。すべて『事後報告』にございます」
 本来なら、大名の婚姻は事前に大坂城に伺いを立てなければならないのだ。秀吉が存命であればそのような些細な理由でも征伐の対象となりかねなかったのだから、躍起になって徳川の弱みを探していた身からしても、役人としての観点からも、三成にとってこれらの行いは由々しき事態である。
 三成の進言を受けて、前田は早速徳川を自らの屋敷に呼んで事情を問い質した。が、当の家康はのらりくらりと追及をかわすのみである。
 「本来ならばそうするべきであったのでございましょうが、本人同士が好いてしまったものはどうにもなりませぬ。平安の時代より筒井筒の仲とは美しきもの、儂も人の親ゆえ、我が子が望む相手と添い遂げたいと泣いて懇願されればそれを無碍にすることは忍びのうございましてのう……」
 「では加藤肥後守、福島左衛門尉らの縁組はいかに」
 「そちらは太閤殿下のお触れが出る前から決まっていた事にございます。養女たちはみな我が家臣の娘、父親達は娘の幸せを願って良き大名家への縁組を望んでおりましたゆえ、生まれた頃から「この姫はこの家に」と内々に取り決めしており申した。強引に裁可を取り付けて急遽決められた縁組より、よほど子らの幸せを考えていると存じますが?」
 「……」
 遠回しに細川家と千世姫のことを揶揄されてしまった上、幼い辰千代と五郎八姫に至っては筒井筒の喩えを持ち出してまで政治的な意図はないと主張するのだから、もはや前田といえども何も言えない。実際、辰千代は鷹狩りの手ほどきと称して奥州を訪ね、その際に政宗の伯父にあたる最上義光の館で政宗一家のもてなしを受けた記録が残っている。その場で二人は出会い、互いを見初めたのだと家康は言い張るのだ。
 結局、この件は前田利家と徳川家康との間で『二度と無許可縁組禁止に触れる縁組は行わない』と誓紙をかわしてお終いになったのだった。現代で言うなら始末書一枚で片がついた、というところである。家康の方が石田より何枚も上手であった。
 「徳川め、どこまでも食えない男よ」
 大坂の奉行所に戻る途中、三成は忌々しげに吐き捨てた。源次郎の前だからこそ本音を漏らせるのだ。
 「治部さま……」
 「これは豊臣家に対する重大な謀反なのだ。だが証拠がない。どうにかして家康を抑え込まなければ、豊臣家の存続にも関わる…太閤が望まれた泰平の世が崩されてしまうというのに」
 私にもっと権限があれば。権力を望まなかった石田三成が初めて己の潔癖さを嫌悪して肩を震わせていた。

 運命という名の巨岩は、いちど谷へと転がってしまうともう自らの意思では止められないものらしい。
徳川家の縁組騒動から二月も経たない弥生に入ってすぐ、前田利家が死去した。享年六十歳。秀頼を大坂へ入城させる頃から体調が悪いと周囲にこぼしていた前田は、婚姻騒動の後に床に伏したかと思ったらあっという間にこの世を去ってしまった。
 豊臣家五大老の中でのまとめ役を務めていた前田利家が死んだことで、残された四人の大老の力関係も微妙に崩れ始めていた。
 もともと、五大老の制度は秀吉が存命中に秀頼の後見とさせるべく定めた制度であり、国力の拮抗した大大名五名を揃って秀頼の後見としてすべての政を合議の上で執り行うよう定めて世に知らしめていたのだ。
 言うまでもなく、何度も干戈を交えた挙句ついに屈服させることができなかった徳川家康を警戒した上で秀吉が彼を押さえ込むための方法という側面も持っている。
 力を完全に拮抗させてしまえば、徳川家康が動こうにも、穏健派にして人格者である前田利家や上杉景勝が黙っていないだろう。それに一人だけ異なる動きを見せることは国の均衡そのものを崩すことに繋がり、反乱分子として残る四者すべてを敵に回してしまう可能性が高い。
 とはいえ、秀頼が成人した後にまで延々と家臣達に政治を牛耳られることも生前の秀吉には面白くなかった。年かさの者を名誉職に起用するのは、そういった面でも大きな利点であった。
 人の生は、みな順送りなのである。秀頼が無事に成人し、単独で政を行えるまでに育つ間だけ、五大老はその役割を果たしてくれれば良いのだ。
順送りの先頭に立っていた秀吉は、眠りにつく前まで周到な計算と準備を欠かさなかったのである。
 ただし、いかな秀吉といえども次に送られる者の順番までは思うようにならなかっただけで。


 「前田が亡くなった事で、徳川がいよいよ尻尾を出し始めそうだな」
 京屋敷の真田昌幸は二条城の方向を眺めやった。その日は源次郎も京都への遣いがあったため、久方ぶりに真田家に家族が揃っている。
 前田家には既に真田家からも悔やみの品を贈っていたが、昌幸の関心は早くもその先に移っていた。
 「小早川の筑前復帰といい徳川の縁組騒動といい、地ならしの腕は見事なものよ。この先、豊臣に絶対の忠誠を誓う石田三成を排除して秀頼公を自らの傀儡にすれば事実上徳川が政権を手にするようなもの」
 「傀儡とは……」
 「徳川には、昨年生まれた孫姫がおるのだ。その姫を秀頼どのと縁組させようと目論むくらいは誰の目にも明らかだ。のう、源三郎」
 「縁組でございますか」
 源次郎には初耳であったが、徳川に仕えている源三郎は「いかにも」と応える。
 「秀頼さまのお相手となられる予定の千姫さまは家康さまのご嫡男・秀忠さまのご息女であり、母君は淀さまの妹君であられる江の方さま。身分といいお立場といい、秀頼さまにとってこの上ないお相手でございます……が、先の縁組事件によってその話も先延ばしになっているとか」
 「不問になったいざこざなど、時が解決してくれるわ。相手が秀頼公なのだから、それこそ正式な手続きを踏んで縁組させれば文句も出まい」
「しかし、さすがに大老すべての賛同を得るのは難しいでしょう。そのための五大老制度でもあります」
「皆が力を競っていた頃ならそれでも良かったが、秀吉公が天下を手中にした際、徳川は豊臣家によって五大老の一角として抑え込まれておる。五芒星の謂れもあるように、五角形とは非常に力の均衡が取れた形なのだ。どの角も隣り合う者、真向いにいる者、すべてに牽制されて成り立っておる」
 昌幸の喩えは、兄弟にもよく分かった。
「これまでは、五大老のうち太閤の遺言を頑なに守り抜こうとしている者が四名、そうでない者が一名という力関係であった。しかし」
 「前田利家公の後継として大老になられた利長どのは徳川に従うことになろうかと……」
 源三郎が察した。
 「それは本当ですか、兄上」
 「前田どのが亡くなった際、利家公の奥方は葬儀を待たずに出家して自ら徳川の人質となり江戸へ入ることを申し出たという。先手を打って徳川の動きを抑え、子息が大坂から排除されることなく五大老の後任に据えることに成功したようだ。さすが賢妻の誉れ高い奥方であるな。五角形の角が崩れて均衡を欠く前につっかい棒をあてがってみせた。徳川は機に乗じることができなかった訳だが、とりあえず前田を引き入れることには成功したと言って良いだろう」
 これで三対二だ。昌幸は「あと一人抱き込めば勢力が逆転するが、それは誰だと思う」と兄弟に問う。
 「前田家が徳川を抑えることができたのであれば、その次となればもっとも国力の小さな宇喜多家を懐柔するか、弱みを握るか」
 「宇喜多はないでしょう、兄上」
 「そうかなあ。力の均衡が崩れそうな際、最も弱き者は自らを守るために最も強い者に降るのが定石だぞ」
「ですが宇喜多どのは前田さまの娘婿であり、豊臣家に対する忠義もたいへん篤いお方です。しかも治部少輔さまと同じく清廉なお方。付け入る隙はありますまい」
 「では、残るは毛利か上杉だ。源次郎はどちらだと思う?」
 「毛利は大きすぎます。ならば上杉どの、でござろうか」
 「しかし上杉どのは徳川とは因縁ともいえる相手。手を組んだとしてもどこかで亀裂が入る事は目に見えている」
 「とはいえ、家康公がこのまま何もしないとは考えにくい。一体どうしたものか……」
 考えこんでしまった兄弟に、昌幸が糸口を与えた。
 「二人の読みは正しい。残りの大老はみな徳川になびかない者、徳川に太閤し得る国力を持った者で構成されている。横並びの立場から圧力をかけても動かすことは難しいであろう。ならばどうする?」
 「……」
 源三郎と源次郎は顔を見合わせ考えた。
 「信長公は『力』にて、そして秀吉さまは力に加えて『駆け引き』にて天下を平定されましたが」
 源三郎の言葉に、源次郎はもしやと思い当たった。
 「大老の力関係を下から崩す……」
 「その通りだ、源次郎」
 「まさか、五大老の誰かを共通の敵として残りの者で潰し合うのですか?」
 「敵となり得る者ならば別に大老でなくとも構わぬ」
罪状のでっち上げなど、いくらでも出来るのだから。昌幸の言葉に源次郎は「なるほど」と頷き、源三郎は「そんな理不尽な…いやしかしあり得なくはない」と首を何度もかしげる。
 「では、誰が『敵役』となるか」
 「大老に次ぐ身分となると大老職のどなたか……まさか」
 「気づいたか、源次郎」
 大坂城内にはいくつもの奉行職が存在したが、その中でも中心的な役割を担っているのが『五奉行』と呼ばれる者達である。
 石田三成、浅野長吉、増田長盛、長束正家、前田玄以。
 その中で最も忠義に篤く、国力も政治力もあり、なおかつ徳川に嫌われている者といえば。源次郎が思い当たった名前は一人だけであった。
 「石田治部どの……」
 「そうだ」
 五奉行の中で、浅野長吉はどちらかというと徳川寄りで石田とは日頃から中央の実務処理を巡って衝突している。前田玄似と増田は日和見主義、長束は石田と同調し豊臣に忠節を尽くしているが国力が劣り、敵となるには役者不足の感が否めない。
徳川と対立し得るのなら、筑前での一件や無許可縁組禁止の件で徳川に反発している…少なくても良い感情は抱いていないであろう石田しかない。
 「徳川は、まず何らかの失策をでっち上げてでも石田を槍玉に挙げるだろう。その時に大老達がどのように動くかを見極めた上で行動を決めるつもりだろうな」
 「ですが、上杉さまや宇喜多さまはそう簡単に徳川の手に乗るようなお方ではありませぬ」
 「そこよ、源次郎」
 「前田と徳川の縁戚騒動の前から徳川は動いておった。徳川はすでに伊達だけではなく日の本の有力な大名や石田に反感を持つ者と縁戚関係を結んでおる。しかし、徳川はあえて石田に上杉という逃げ道を残すつもりだ。追い込まれた二匹の兎を同じ場所へ導き、同時に得るために」
 「……」
 昌幸が言うとおりだった。徳川は、上杉や宇喜多とは縁戚関係を結んでいない。武田・北条らと凌ぎを削っていた時代からの因縁と、それゆえの矜持が互いに邪魔をしているからだと源次郎は思っていたが、そうではないという事か。
 「二兎を追う者は一兎をも得ず、とは言うが、戦略と数さえあれば二兎を捕らえるくらい造作もない。少なくとも徳川はそう思っているだろうな」
 「では、いずれ上杉さまも」
 「潰すことは出来ずとも、上杉が折れれば日和見の毛利や国力で劣る宇喜多を抱き込むなど容易いこと。大老をただの飾りにさえすれば、秀頼さまを言いくるめるなど造作もあるまい。秀頼さまは傀儡となり、体制は事実上徳川の独裁となるな」
 「……」
昌幸の読みが源次郎には恐ろしくて、全身が粟だった。源三郎の表情も凍りついている。
もし父の読みどおりに事が動いたとしたら、真田家は一体どちらに付く事になるのだろう。大事な事ではあったが、それを聞き出す勇気は源次郎にも源三郎にもなかった。
きっと、情勢がはっきりするまでは昌幸も態度を保留するつもりなのだろう。
 「父上は、なぜそのように徳川の考えを読めるのですか?」
 そう訊ねるのがやっとの兄弟に、昌幸はふっと笑って顎髭をしごいた。
 「……同じ穴の貉(むじな)だから、かな」
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