第29話 長閑な雪に佇む

文字数 19,999文字

 『一翁閑雪』
 昌幸が枕の下に忍ばせていた戒名である。

 長閑な雪の中、佇む一人の翁。
 年老いた自分はもはや無の心境にある。何も知らぬ者が見ればその潔さにあっぱれと感心、あるいは敗者の美徳はかくあるものかと同情することだろう。
 しかし、それすら徳川を欺くための策であったのだとしたら。
 爪も羽も失った敗軍の将が、うらぶれた暮らしの末にひっそり死んだ。徳川がそのことを聞けば、様もないと嗤うだろう。長年の疫病神も力を削いでしまえばただの老人、自分達に抑えられぬ者など居ないのだと。
 そう思うのならば、今は思わせておけば良い。
 『雪』の字は真田の諱『幸』と読み名を引っかけ、源次郎には『村正』を託していった昌幸の人生が潔かった事などないのだ。
 周囲にどう思われようとも諦めない心こそが真田家の本懐なのだから。

 昌幸の百か日法要を済ませた日。源次郎は上田からついて来てくれた国衆たちに暇を与え、昌幸の遺髪や数少ない愛用品を上田に持ち帰ってそのまま隠居するよう言い渡した。
 その中には、武藤喜兵衛時代からの仲である出浦盛清も含まれている。
 彼らはみな九度山に残ると言って聞かなかったが、実際のところこの先大坂での戦において刀や槍を振るうだけの戦力となり得る者は数少ない。昌幸より一つ年上の出浦とて、これまでならあり得ない転倒をして腕の骨を折ってしまったくらい身体が衰えている。すでに充分な忠義を果たしてくれた彼らは上田に戻る体力があるうちに故郷へ帰し、後は源三郎の庇護のもとで穏やかな余生を送って欲しかったのだ。
 源次郎は「父は上田へ帰りたいと願いながら亡くなった。それは叶わなかったが、遺髪であっても父を上田に帰したいので守ってほしい」と彼らを説き伏せ、既に娘が九度山にて所帯を持っている高梨内記と、この地で妻を迎えた青柳清庵、三井豊前以外は全員が上田に帰ることとなった。
 一足先に父の死の一報を受けていた源三郎も同じ考えであったようで、九度山から戻った家臣たちには郷里での隠居生活を認め、昌幸については幕府の手前大々的な葬儀こそ行えないものの遺髪だけは昌幸の両親が眠る墓の隣に埋葬できるよう手筈を整えたと返事が届いた。
 菩提寺となる長谷寺は、上田に城を普請するまで真田家が本城を構えていた真田山の隣にある。真田の郷をいったん武田信玄に差し出してから砥石攻めで手柄を立てて戻るまで…武田信玄に認められて食い扶持を得られるようになるまでの間、家族ともども暮らしの面倒をみてくれた僧侶への恩返しとして真田一徳斎が開基し、件の僧を初代の住職として迎え入れて以来真田家とは深いつきあいのある寺である。きっと丁重に弔ってくれることだろう。
 兄からの文面で母の山手の様子に触れられていないところが気になったのだが、敢えて記さなかったと考えるならばその憔悴ぶりやその姿を見守る源三郎の心痛は推して知るべしである。源次郎は、遺髪とともに九度山にて父が愛用していた着物と茶器を形見として母に届けさせる事にした。
 かくして、両親と並んで眠る昌幸は、真田家の始まりの地である真田山城のすぐ傍にて上田の地を永劫見守ることとなったのである。
 源次郎は知らぬままであったが、九度山から届けられた戒名があまりに寂しすぎることを不憫に思った源三郎が寺に寄進して居士の位号を付け加え、住職も院号を授かれない罪人の立場を慮って『長谷寺殿』という寺独自の号を授けてその名を墓碑に刻んだのであった。


 九度山に残る佐助、才蔵、海野、望月、小助は師匠の出浦と、源次郎は帰参していく国衆一人一人と別れの挨拶をかわし、東へ……大坂や京、三河を通過できないため伊勢から美濃を回って上田へ向かう一行を見送った源次郎の胸中は、さながら歩きたての童のようであった。
 これまでは大局の判断は昌幸が下し、自分はその中で勝利を得るため全力を尽くすのみであったが、これからはすべて自分で判断し、来るべき動乱を渡って行かなければならない。九度山に残った昌幸の家臣達や、若かりし頃から変わらぬ忠義で尽くしてくれる自身の忍衆らを率いていかなければならない。源次郎の躓きや迷いは彼らの命運に直結するのだ。
 「ようやく落ち着きましたわね。お疲れ様でした」
 館の敷地奥、上田城に最も近い太郎山に見立てた森の中にひっそりと建立した昌幸の小さな墓標に花を手向け、さちは夫を労った。
 「ああ。けれど、私の役目はまだ始まったばかりだ」
 腰の村正がずしりと重い。六人も子を産んだ四十路の女が今になって再び武士として立つなど前代未聞、本人ですらまだ夢の中にいるようである。
 「さち、私を可笑しいと思うか?」
 「何故そのようにお思いになるのです?」
 「父上はこの先戦が起こるだろうと予期しておられた。そして私は父上の考えに従い、来る日のために準備を整えている……空振りであればそれに越したことはないというのに、私は心のどこかで戦が起こることを期待しているのだ」
 「……」
 「戦が起これば、真田安房守と左衛門佐親子は往生際の悪い無様な者であったと世に語り継がれてしまうだろう。けれど、真田安房守最期の知略を世に披露したい……そして私自身がその指揮を執りたい」
 「源次郎さまは、武士としてもう一花咲かせたいとお思いなのですね」
 「そうだな。安寧と誇りを量りにかけるなど栓なきこととは思いつつ、父上が遺してくれた戦術を使ってみたいと思う自分がいる。この気持ちは、まるで初めて得物を手にした童のようだ。何かに向けて振るってみたい衝動を抑えられる自信がない」
 「たとえ命が失われようとも、でございますか?」
 「それは……まだ実感がなき故、覚悟は決まっていないが……」
 「義父上が無敗であったが故、討ち死にというものに確固たる概念がないのでございましょう?」
 関ヶ原で大義を砕かれて自害した父を持つさちは、敢えて容赦なく訊いてきた。源次郎も否定はしない。
 「そう、かもしれない。上杉どのといい、父上といい……戦においてほとんど敗北を知らぬ将の下で戦い続けた故、私は実際に戦場にて敗れるという経験をしていない。その時には、九度山へ流された時以上の恐怖と絶望に囚われるのかもしれないが」
 「そうですね……だから武士はみな討たれる前に…恐怖に支配された顔を敵の手柄として曝される前に自害してしまうのかもしれませぬね。そうやって、自らの誇りを守り通す……」
 さちの目線が昌幸の墓石をなぞっていた。彼女の父・大谷吉継も関ヶ原にて討たれる前に自害し、首はついに見つからずじまいであった。そうやって、誰にも死に顔を見せなかったのだ。
 「武士であれ公家であれ、そして里人であれ、個としての人の誇りというものは時勢の流れから見れば実は些細なものである場合が多いのではと私は思います。ですが本人にしてみれば何にも勝る大切なものでありますれば……後に無念が残るくらいでしたら、思いのままなさるのがよろしいのではないでしょうか」
 「思いのまま……愚直の計、か」
 源次郎の行動の根本となっている、武田信玄の言葉。何度か話を聞いているさちも、「ええ」と頷いた。
 「後の世の者がどのように語り継ごうと、今この時にご自身が思われている道を貫くことが何よりなのではないかと思います。そうできる武士は、あまりにも少のうございますから……源次郎さまの願いの中にわたくしの我儘を申し上げられるとすれば、源次郎さまのご武運が尽きることなく大義が為されることを願わずにはおれませぬが」
 「いいこと言うねえ、真田の奥方」
 ふいに背後から火薬の匂いが風に乗って流れてきた。振り返ると同時に、久しく嗅いでいなかった匂いの主が飄々と声を発する。
 相変わらず隙のない男だった。
 「ひとつつけ加えるとしたら、誇りを賭けて得ようとするものが大きければ大きいほど、払う代償も高くなるぞ。知略で足りない分を何で補うか……兵の命か、自らの命か。最小限の代償ですべてを得ようと思うのなら、残りの代償に値するだけの手腕も必要だ」
 「朝どの?」
 そこには、しばらく姿を見せていなかった朝がいた。いつも一人で来る彼だったが、今日は編み笠を目深に被った見知らぬ男…佇まいからして明らかに武士である…を連れている。
 「少し前にこの村に来た時、昌幸さんが死んだって話は聞いていた……俺のような余所者が手を合わせに来ていいものかと思ったんだが、昌幸さんには世話になったから、やっぱり拝ませてもらいたくてな」
 朝は昌幸の墓前に膝をついて合掌し南無阿弥陀仏と唱えた。どうやら朝は一向宗の信者であるらしい。信長は大坂の本願寺派に苦戦を強いられたが、それは彼らが一向宗の信者だった雑賀衆を味方につけたからだという話を源次郎は何となく思い出した。真田家は菩提寺こそ曹洞宗であるが、それは長谷寺の初代住職が曹洞宗の僧であったから自然とそうなっただけで実際のところ仏教の宗派についてはさほど頓着していない……そもそも真田家自体が仏すなわち釈迦、どの宗派も拝む対象はみな同じという考えのもとで宗派にこだわらず寺を建立していた家なので、どのような念仏であろうと朝の祈りはきっと彼岸に渡った昌幸にも通じたであろう。
 「で、しげ…じゃなかった源次郎どの」
 ひとしきり祈ると、朝は源次郎を初めてその名で呼んだ。すべてを察しているであろうこの男に今更過去を偽っても何の意味もないから、源次郎も目をそらすことはしない。
 「?」
 「あんたは知略も気力も充分みたいだが、肝心の腕が鈍って……いや失礼、疼いているんじゃないか?」
 この男、どうやら昌幸から真田家の事情だけでなく時勢の流れを含めたすべてを聞いているらしい。これから中央で何が起こるか知った上で『真田左衛門佐幸村』がふたたび人前に現れる事も予想していたのだろう。その上でかような問いをするのは、何か道を示すつもりなのだろうか。
 「何故そんなことを訊く?」
 自らの思い過ごしを警戒して訊ね返す源次郎を、朝は『なあに、勘だよ』と軽くあしらった。
 「知略も人望も戦には大事だが、やはり大将は強くないと兵がついて来ないぞ。信玄公だって、戦じゃ本陣に座していたけれど実際は誰よりも強かっただろ?」
 「……いかにも」
 「鍛錬したかったら、紀ノ川を下った先にある蓮乗寺(れんじょうじ)という寺に行ってみるといい」
 「蓮乗寺……」
 「豊臣時代に焼かれて廃寺になったが、誰も寄り付かないのをいい事に流れ者が集って小さな道場のようになってるんだ。各国から流れて来た牢人やこれから仕官を目指す若い奴も結構いるから、行ってみて損はないと思うぜ?」
 「だが私達は配流の身。村を出て勝手に動くことは」
 「それなら心配無用だ。なあ、幸長どの」
 朝が話を振ると、編み笠の男は笠を外した。
 「紀州藩主・浅野紀伊守幸長でござる」
 「藩主どの……もしや浅野弾正さまの?」
 「長政は我が父であり申す」
 浅野長政と聞いて、源次郎は困惑した。浅野弾正長政は加藤清正らと並ぶ石田三成の盟友で、源次郎も太閤や石田の使いで何度か会った事がある。しかし太閤の死後に三成との関係が悪化し、徳川方について会津征伐から岐阜城攻めへと奮戦を重ねたと聞いていたのだが。
 「父は先日突然亡くなった。その二月後には加藤肥後守さまも急逝されている次第」
 「何と!」
 名を知る者達の相次ぐ死を聞いた源次郎は言葉をなくしたが、いくら同年代の武士であってもまだ若く、武闘派で知られた大名がそう相次いで急死することなど考えにくいのだが。
 「父はそれまで病に罹っていた訳ではなく死因は不明……大坂の市井では怪死と呼ばれており申す」
 「!」
 その顔には無念と憤りがにじみ出ていた。父親の身に何が起こったのか、それを指示したのは誰なのか、察しはついているが口には出せないのだと源次郎は読み取った。
 「拙者は大御所さま(家康)が恐ろしゅうござる。豊臣秀頼公の支持を示唆した大名は謎の死を遂げ、豊臣恩顧の大名たちも次々と減封やら改易といった目に遭っている。このままでは拙者もいずれ潰されるだろう。だが真田どのは目を付けられていない様子。目立つ真似さえしなければ紀州国内での自由な往来は黙認する故、どうか存分に力をお付けくだされ。そして……しかるべき日には我が父たちの無念を晴らしてくだされ」
 「……という事だ」
 朝が、幾度も見た笑みを向ける。かつての昌幸によく似た、自信に満ちた笑みだ。
 「蓮乗寺、ですか……」
 罠かもしれないという迷いより、今の自分に必要なものを取り戻すことを源次郎は選んだ。朝は昌幸と懇意にしていた位だから、そう浅はかな者ではないだろう。
 それに。子を育てている間も父の家臣たちや忍衆相手に武芸の稽古を続けて来たとはいえ、実戦から遠のいた身でどこまで戦えるのか、まったく自信がなかった。腕を上げるのならより多くの強者と戦って鍛錬することが必須なのだが、相手になる者がいないのだ。政宗や片倉小十郎が来訪するたびに手ほどきを受け、今ではもっと本格的に剣術を学びたがっている長男・大助の願いも叶えてやりたかった。
 「ご配慮、感謝いたします」
 源次郎は武士の所作で礼を向けた。強引にすぎた徳川家康の天下獲りの代償がじわじわと綻び始めているのかもしれない。
 まだ、すべてが決した訳ではないらしい。

 真田家に理解を示した紀州藩主、浅野幸長であるが。
 源次郎が九度山村から大坂へ旅立った直後、父の三回忌を終えて間もなく三十九歳という若さで急死した。父と同じく、死因は不明のままであった。


 数日後、農民の衣に身を包んだ源次郎は、布で幾重にも包んだ槍を担いで朝が教えてくれた蓮乗寺の門前に立っていた。
 九度山から紀ノ川沿いに歩くこと五里あまり。息が上がったが、山地特有の険しい上り下りを繰り返すのもまた鍛錬の一環である。
 あと一里半も歩けば瀬戸内の海に出るという地に、その寺はあった。かろうじて焼け残ったと思われる門扉を開こうと手を伸ばした途端、奥から鋼のぶつかる音が聞こえてきた。
 源次郎の胸が疼く。自分もかつて戦場でその音を何度発したことだろう。
 時間を遡るような感覚の中で門をくぐると、なるほどそこには群雄割拠の時代があった。
 炭となった柱に支えられてはいるが、いつ崩れてもおかしくない本堂の屋根と壁の跡が奥にある。その手前、荒れ放題になっている広い庭で、何人もの若者が足場の悪さを利用して稽古を行っていたのだ。
 めいめいに相手を決め、手合せというよりも実戦を想定して斬り結ぶ。
 刀、槍、薙刀など武器は多様であったが、異なる得物を持つ相手と稽古することは、戦況が目まぐるしく変化する戦の場で何が起こっても狼狽えない柔軟な反応に結びつくだろう。荒っぽさは否めないが、非常に合理的な鍛錬であった。中には棍棒を振り回す入道頭の大男や、分銅のついた鎖鎌を振り回す農民姿の者もいる。
 だが、みな単に荒稽古をしているだけではない。得物に合せた『基礎』がきちんと出来ているのだ。たとえば今ここで戦が起こったとしたら、一人ひとつは首級を挙げて来られそうなくらいの。
 誰か優れた指南役がいるのだろうか。もしかしたら、あの朝という男なのか。
 初めて肌で感じる本気のぶつかり合いに震える大助の肩を支えながら源次郎が目で猛者を探していた時、境内の隅で槍の手入れをしていた男と目が合った。朝ではなかった。
 (この男か)
 ぼろぼろの着物に袴、無精ひげを伸ばしていかにも牢人然とした自堕落な態度を演じているが隙がない。槍の穂先を見る眼差しや伸びた背筋は武士の、しかも大名家かそれに近い立場で教育を受けた者のそれである。
 「何だ、おまえ達?」
 男は、やおら槍を担いで立ち上がると源次郎の前に立った。年の頃は源次郎とほぼ同じくらい、だが身の丈六尺を超える大男である。胸板も厚く肩幅も広い。見た目や身なりはだいぶ違うが、かつて越後で出会った前田慶次を彷彿とさせる豪快そうな男であった。鎧をまとって戦の先陣に立てば、さぞ映えるだろう。
 「ここは見世物じゃねえぞ。怪我する前に出て行く方が賢明だ」
 「いや」
 源次郎は頬被りを外して一旦大男を見上げた後で軽く頭を下げた。大助もそれに倣う。
 「私は高野口に暮らす源次郎という者。こちらは倅の大助と申す。とあるお方から、ここで剣術の鍛錬を行っていると聞いて訪ねて来た。どうか我ら親子も仲間に加えていただきたい」
 「鍛錬なんて、そんな大げさなもんじゃないさ。力が有り余った荒くれどもが勝手に暴れているだけだ」
 「いや。ちらと見せてもらっただけだが、貴殿たちはみな相当の手練れとお見受けする。我らも鍛錬を必要とする身、何卒お願い申す」
 「源次郎に大助、ねえ。仕官したいんだったら、京か江戸でひと月も暴れていれば自然と声がかかるだろうに」
 「……訳あって、今は中央に出られぬ」
 大男は「ふうん」と呟いて首筋をボリボリと掻いた。が、源次郎がそうであったように、男も源次郎が武士であることをすぐに見抜いたのだろう。
 「ま、ここじゃ訳ありなんざ珍しくねえし、来る者も去る者も拒まないのが唯一の決まりっちゃ決まりだから、いいんじゃねえか?」
 「かたじけない。……貴殿の名をお聞かせ願いたい」
 「おいらは弥八郎っていう歯牙ない牢人さね。この齢になってもどこにも仕官できずふらふらしてる」
 「貴殿の得物は槍とお見受けするが、某と手合せ願えませぬか?」
 「おいらと?」
 「某は槍を使う。が、己の技量が今の世でどのくらい通用するのか計りかねておりますれば」
 「うーん。新顔相手にやり合うのはちょっと、なあ」
 加減も分からないし、と弥八郎は脇腹をかきながら答える。
 「いいんじゃないか、弥八郎?やってみろよ」
 ふいに寺の奥から声が上がった。思い思いに休んでいた荒くれ者の集団から立ち上がって弥八郎のもとへ現れた傾奇者を見て、源次郎はあっと声を上げる。
 「そなたは……」
 「川中島で会って以来だな、源次郎どの」
 上田城をめぐって徳川秀忠の軍勢と戦った際、海津城を調略した事があった。その際に接触した若者。
 「貴殿は、たしか森勝永どのであったか」
 「今は姓を変えて隠れ棲んでいるが、憶えていてくれて嬉しいぜ。このあたりで暮らしていると風の噂に聞いていたけど、元気そうで何よりだ」
 勝永は白い歯をむいて握手を求める。牢人だが腐ってもいない…今の暮らしも悪くないという表情をしていた。
 「勝永、おまえの知り合いかよ」
 「ああ、俺と同じ『訳あり』だ。そいつは強いぞ」
 「ほう」
 弥八郎が興味を示す。
 「勝永の折り紙つきなら、ちょっと興味があるな」
 弥八郎は槍を肩に担ぎ、「来な」と奥へ案内する。その場にいた者達は自然とその手を止めて遠巻きに見物…弥八郎の技を見逃すまいと注視するように集まって来た。
 彼らが描いた人垣の中心、消し炭や割れた瓦が転がる足場の悪い場で、弥八郎は『抜きな』と促し槍の柄を自らの脇に突き立てた。
 「じゃ、いっちょお手並み拝見と行こうかねえ。久しぶりってんなら型合わせでいいかい?」
 「よろしく頼む」

 後になって聞かされた話だが、初対面の相手に対して弥八郎が手合せに応じたのは、少なくとも蓮乗寺に彼が現れてからは初めての事であったという。

 おおっ、という若者たちのどよめきの中。源次郎と弥八郎が槍の穂先を下げて一礼すると、感嘆の声は拍手に変わった。
 「へえ。あんた結構強いなあ。古流だが、亜流や我流ばっかりの世で、今時珍しい正統派だ。よっぽど良い師匠がついてたんだな」
 弥八郎は源次郎を讃えた。
 「そなたの技量も大したものだ。久々に本気で手合わせして息が切れ申した」
 応える源次郎は目の中に汗が入り込み、肩が大きく上下するのを止められなかった。体力が落ちていた分を技術で補ったつもりだが、思っていた以上に体がついて来ない。
 それでもどうにか最後までやり遂げた。信玄にたたき込まれた基礎はまだ充分に息づいている。
 「弥八郎どのは相当の手練れとお見受けするが、なぜ仕官なさらぬのだ?」
 「へへっ。ちょっとばかり腕が立つだけで図に乗った若武者が、生意気すぎると主に嫌われて追ん出されちまったってところかな」
 「なるほど。その主は余程の狭量であったのだな」
 「おいらの力は結局その程度だったんだよ」
 弥八郎は袴の腰に巻いていた布…いつ洗ったのかも定かでないそれでごしごしと額を拭った。
 「あんた、それだけ動けりゃ昔の勘はじきに戻るだろ。あとは体力だな」
 「某も己の衰えを痛感いたしましたぞ。やはりここに来てよかったと思いまする」
 「ははは。強い奴がいるってのは、それだけで若い連中の刺激にもなるもんさね。これからも親子で通ってくればいいさ。子供の方は、齢の近い連中が鍛えてくれるだろうさ」
 「弥八郎どのは、ここにいる者を纏めておられるので?」
 「そんな大層な事、おいらには無理さ。無駄に怪我しないよう得物の振り方だけ教えたら、後は自分達で手合せを重ねて強くなる。仕官の当てもないまま延々とやってるから目標がない奴や仕官を果たした奴は自然と来なくなるし、続けたい奴は続ける……ま、幕府に嗅ぎ付けられるまでの間だから、いつまで続くか分からないけどな」
 「幕府の取り締まりは、大坂のお膝元にまで及んでいるのか」
 大坂の淀が脳裏をよぎる。
 「うーん、美濃や京都はもう将軍家と『ずぶずぶ』だなあ。が、紀州でもこのあたりはまだましな方だ。雑賀の残党がどこに潜んでいるか分からないから、幕府も幕府お抱えの伊賀者もそう簡単に手は出せないんだろ」
 「雑賀……」
 ふと思い出し、源次郎は弥八郎に訊ねてみた。
 「弥八郎どの」
 「ん?」
 「ここに『朝』という男は現れなかったか?弥八郎どのくらいの年恰好で、火薬の匂いがする男だ」
 「朝、ねえ……うーん、聞いた事のない名前だなあ。火薬っても、ここに来る連中みんな血なまぐさくて汗臭いから匂いも何もあったもんじゃねえ」
 「そうか……すまぬ、忘れてくれ」
 それから源次郎と大助は蓮乗寺に足しげく通いながら訊ねてみたが、誰一人として朝の存在を知らなかった。そして、九度山に朝が訪れる事もなくなった。

 朝はそれきり九度山に現れなくなったが、代わりに源次郎・大助親子は蓮乗寺にて多くの者と知り合った。
 人は石垣とは武田信玄の言葉である。その石垣を築くのは自らの徳。そしてその徳を与えたのは親をはじめとした自分に関わる多くの人々。源次郎は信玄の教えが今の世にも生きていることを嬉しく思い、信玄の言葉に恥じぬ武士であるようさらに身を引き締めた。
 この出会いが、後の源次郎にとって大きな力となるのである。


 「久しいな、繁……と言おうと思っていたのたが」
 いつものようにいきなり九度山に現れた伊達政宗は、館の庭で大助に槍の稽古をつけていた源次郎……自分の妻を見て開口一番そう言った。
 「随分と懐かしい恰好をしているじゃないか」
 「いかにも。父の跡を継ぎ、九度山における真田家の当主となり申した」
 稽古を中断した源次郎は、政宗を屋敷に招き入れる。政宗が居間に安置された昌幸の位牌に焼香している間に源次郎は身なりを直し、それから二人並んで館の縁側に腰をおろした。
 「野に下れども心は侍。やっぱりそういう道を選ぶか」
 「お心に沿えず、申し訳ありませぬ」
 「いや、おまえの人生なんだから俺にはどうしようもない……そういう所も含めて惚れたんだから構わないさ」
 不惑を過ぎてもなお惚れたなどという若者じみた台詞を臆面もなく口にする政宗に、源次郎の顔が花色に染まる。大助は気を利かせたのか両親の会話を気恥ずかしく思ったのか、逃げるように井戸へ駆けていくとそれ以上の会話が聞こえて来ないようざばざばと水を頭からかぶった。
 そんな様も息子の成長と感じ取った政宗は「ふふ」と軽く笑っただけである。
 そして、廊下の隅では茶を用意した梅がもじもじと庭を見ていた。その視線の先には、庭先に片膝をついて政宗に従っていた片倉重長の姿。何年か前であれば重長の顔を見るなり歓声を上げて真っ先に飛びついていったのだが、いつからか頬を赤らめて微妙な距離から見つめるようになっていた。重長も主の手前親しく語りかけることもできず困惑していたため、政宗が二人を促した。
 「重長。梅に案内してもらって村の収穫風景を見て来い。民の知恵には学ぶところも多いから、奥州に持ち帰れるものがあれば学んでおけ」
 「あ、はい」
 梅がちらりと源次郎を見る。源次郎が黙って頷くと、梅は嬉しそうに勝手口に回り、草鞋をつっかけると簡単に髪を直しつつ重長を案内して館を出ていった。政宗はそんな二人を複雑な顔で見送る。
 「梅も重長も、一丁前に異性を意識する年頃になりおったか」
 重長には国元で縁談が持ち上がっているのだと政宗は打ち明けた。早く身を固めて子をもうけ、伊達家の主柱を支える片倉家の存続を図るよう家中が進めている話なのだが、重長本人が難色を示しているという。
 「あいつは梅を貰い受けたいと思っている。俺も梅を家中の養女にしてでも叶えてやりたいんだが、実のところ伊達家も今はあまり徳川の心証が良くない。心苦しいし不憫なのだが……」
 「仕方ありませぬ。わが真田家の名は徳川家の忌憚とするところ。九度山から娘を引き取ったとなれば、伊達家に内通の疑いがかけられるのは必然です。陸奥国と民を守るためにも、どうかご自重を」
 「自重か……考えなしに振る舞ってもどうにかなっていた頃から二十年と経っていないのだが……時代は確実に動いているんだと思い知らされるな」
 わずか十数年前、関ヶ原という大戦を前にしてもなお周囲の目をかいくぐって心を通わせることができた自分達の身を思うと、時代も環境も、それぞれの立場も大きく変わったものだと思う。
 それだけに重長と梅の淡い恋が不憫で申し訳なくなってしまうのだが、同時に自分が徳川を破ることができれば二人の想いも叶うのだろうかという考えも頭をよぎる。
 「そういえば、小十郎どのはいかがされました?」
 「夏風邪をこじらせて、今は白石で療養中だ。……兄弟同然、主従なんて関係なく一緒に手習いして、数えきれないくらい喧嘩をして来たあいつもじき六十だもんな。俺より体格も良くて丈夫だった小十郎が風邪くらいで寝込むようになるなんて、老いというのはまったくもって最強たる敵だと思うぞ」
 「それほどまでにお悪いのですか」
 「もう戦場に立つのは無理だろうな」
 時代とともに時間も確実に流れている。今、この瞬間も確実に。
 隔世しすぎて時間が止まったような九度山での生活ではあったが、たしかに長男の大助は十歳を超え、じきに元服をしなければならない。子が育つというのは即ち自分も年齢を重ねたということ。本格的に再開した槍の稽古でも、以前のような力まかせの戦いではなく経験や勘に頼った駆け引きによる勝負が今の自分にとって必要だと痛感したばかりである。
 梅と入れ替わるように、きよが村で採れた野菜を持って屋敷に現れた。小助と夫婦になったきよは屋敷を出て、上田に戻った昌幸の家臣が使っていた家のひとつを借りて夫婦で暮らしている。
 「ほう。秀次公の息女は身重か」
 「月日が経つのは早いものです。もう、そのような歳になりました」
 「豊臣の血筋が脈々と、か……まあ、ここで忘れ去られている分には問題ないだろうが」
 「……やはり、中央では動きがありますか」
 「まあな……おまえがその姿に戻ったということは、おまえも薄々勘づいているんだろう?」
 徳川は幕府立ち上げの総仕上げとして豊臣を潰すつもりだ。政宗の口からその話が出たことで、昌幸の予想は杞憂でなかったのだと確信できた。
 「当初は秀頼公を一大名とするよう目論んでいたらしいが、秀頼公は家康のじいさんが思っていた以上に冴え冴えとした若者らしい。相当危機感を持ったんだろうな」
 対する秀忠は、凡庸以外の形容が思いつかないほどの平凡な者であるという。政宗は昌幸と同じように将軍秀忠を「ぼんくら」と揶揄した。
 「少なくとも徳川は本気だ。今じゃ幕府に臣従するという誓約書を全国の大名から取り付けて牽制してる。紙切れ一枚で安心したがるってのは、それだけ徳川のじいさんの危機感が並々ならぬって証拠だ。でもまだ『引き金』が引かれていないから、戦が起こるとしてもまだ何年か先の事になるだろう」
 「引き金……」
 「家康のじいさんからすれば、自分が死んだ後に秀忠が天下を奪われることのないよう何とでも言いがかりをつけて秀頼公を潰したいと考えるのは必然という訳だ」
 「やはり戦になりますか」
 「そのくらい、あの親父さんならお見通しだっただろう?」
 「父は最期まで大坂で戦が起こることを予期して、その時が来たら自分も参じるのだと気力を抱いたまま逝きました。父の死後、年老いた国衆たちを上田に帰したのも彼らを戦に巻き込みたくなかったから……九度山で何も知らぬ一介の民として暮らして行ければ良いと思いながらも、私は…いえ、某はどうしても槍を置くことが出来ませんでした」
 「それだけじゃないだろ?」
 「?」
 「群雄割拠の世を知る侍は、戦の足音を聞けば心根が黙っていられない。違うか」
 「……政宗どのは、そのように思われますか」
 「無論だ。泰平の世が一番、なんてのは建前なんだろうな。肚の底では、刀片手に馬を駆る時の昂り、身体より先に心が駆けていく感覚がどうしても忘れられずにいる。大義名分など何もなしに、ただ戦そのものがしたいんだろうと思う」
 「……」
 「もっとも、今じゃそんな物騒な人間もだいぶ減ったぞ。本多忠勝や前田慶次のように、徳川が天下を獲ったことで戦場の露とならずに天寿を全うしたかつての猛者も多い。戦を恋しがるなんてのは、おそらく俺達が最後の世代だ。平和が厭という訳ではないが……もっとも、江戸や京都じゃ大名同士で話をする時は誰に聞かれてもいいような上っ面の話しか出来ない薄っぺらな生活で世を渡り歩かなきゃならないんだから、戦に育てられた連中にとってそれが幸せかどうかは別だけれどな」
 兵や武器による戦いから、調略の戦いへ。形を変えても、結局は相手を蹴落とし自分の安泰を図る…あわよくばのし上がることに人は執心する。実質としての乱世は永遠に終わることがないのだろう。
 その前に。
 「政宗どのの考えで言うのなら、私は『物騒な人間』かもしれない」
 「?」
 「父から戦の予言を聞かされた時、私は家臣たちのために武士として立つ決意をした一方で、どうやったら今度こそ徳川家康を討ち取れるのか……徳川を潰せるかと考えました」
 「ほう」
 政宗は特段驚くこともなく耳を傾ける。
 「その上で男姿に戻ったという事は、それだけの目算がついたのか」
 「策は父とともに練り上げました。けれどまだ私は昔ほどの力量を取り戻していない。思慮もまだ父上には遠く及ばぬ身なれば、先を決める前に、まず自らを鍛え直さなければ……今はそればかりを考えておりまする」
 「徳川家康を潰す、か……たしかに、あのじいさん相手に戦やって一度も敗けていないのは真田家だけだ。六連銭の旗印を見て肝をつぶすじいさんの顔が目に見えるようだなあ」
 止めるでもなく、むしろ愉快そうに政宗は笑った。源次郎の決意の重さ、父から受け継いだ重圧を察しているからこそ、止めないのだ。
 「このような齢になってもなお武功に執着し、男姿に戻り戦場に立とうとする……それを未練がましいとは思いませぬか?」
 「ふふっ、俺も大概物騒な人間だから丁度いいじゃないか。それに、最初に逢った時もおまえはその姿だった……むしろ昔に戻ったようで懐かしい」
 政宗は、何度もそうしてきたように源次郎の頭に手をやって撫で、その手で源次郎の節くれた手をとると自分の膝上に置いた。齢を重ねてもなお、互いの心は若かりし頃のまま。そう語っているようであった。
 「鍛錬の様子をちらりと見たが、おまえの腕は自分で思う程落ちてはいないぞ。最近は城で文机に貼りつきっぱなしの俺といい勝負かもしれん」
 「大助とともに山麓の道場に赴き、牢人相手に稽古をしておりますれば」
 「ほう。戦の世が終わろうとしているこの時世に、まだ戦を忘れていない者がたくさん居るという事か。おまえの稽古相手になる程の腕前ならば、うちに引き抜きたいくらいだな」
 なかば本気で呟いた後、政宗は源次郎の手を愛おしそうに撫でた。母親の手から武士の手に戻っても、自分の心は変わらないと告げるように。
 「まあ、まだ時間はある。肚を括っているなら、一歩を踏み出す前にもう暫く今の暮らしを楽しんでおけ」
 長く気負っていると、いざという時に疲れて動けなくなる。政宗はそう戒めた。
 「ですが鍛錬をしておかねば不安なのです。永らく武士の世界から退いていた私が戦場に出て父上の無念を晴らすためには、智と勇のどちらにおいても他を抜きん出ていなければなりませぬ」
 「それが気負いだと言ってるんだ。大丈夫、大坂はまだ平和だ。昔の勘を取り戻し、体力を養うだけの時間は充分にある」
 「そう仰られましても……」
 「莫迦。こっちは久しく通っていなかった非礼に愛想を尽かされていないか気が気じゃなかったんだぞ。身を縮める思いで逢いに来てみれば、妻は俺のことなど眼中にないように男袴で元気に槍を振り回している……俺の心中も察してくれ」
 「政宗どのは、やはり私がおなごで居た方が良かったのですか?」
 「どっちだろうと、おまえが決めた事に文句は言わないさ。だがなあ、俺にも心の準備というか……久しぶりの夫婦再会なんだから、情緒に訴えるような言葉のひとつくらいあってもいいんじゃないか?」
 「あ……」
 「今宵は泊まっていく。子はちゃんと寝かしつけておけ。いいな?」
 「……はい」

 夜更けの寝所で。
 「……仙台城で、異国からの客人を匿っている」
 繁を腕枕しながら、政宗がふと呟いた。
 「異国の?」
 「随分昔に九州に来ていたザビエルとやらと同じく、日ノ本にキリシタンを増やすためにやって来た男だ」
 「それは禁教令に触れるのでは……」
 「ああ。奴は江戸で積み荷の宝物やらを幕府に没収された末に国外追放となったんだが、江戸から外海に出たところで嵐に遭って仙台の浜辺に打ち上げられたって訳だ。俺はその者を保護し、城に住まわせている」
 「それは禁教令どころの騒ぎではありませぬぞ。幕府に知られたら」
 「知られるものか」
 繁の危惧を政宗は笑ってやり過ごした。
 「寒がりの大御所や坊々の将軍が、山を越えてまで仙台に来る筈もないさ。あいつらの取り巻き連中だって、江戸を空けている間に自分の席が無くなりはしないか戦々恐々としている。他人の城に遊びに来るような奴なんて居やしないさ。俺はデウスの教えとやらは信じる気なぞないが、その者とは随分と気が合うので色々と国外の話を聞かせてもらっている」
 その者の話に、と政宗は肘を曲げて繁を抱き寄せた。肩に引っかけていただけの夜着がずれて、繁の肌が露になる。政宗は寒くないよう自らの夜着をかけてやった。
 「今から百五十年ほど前、異国で百年にわたって続いていた戦を終わらせるきっかけを作った女性がいたという」
 「女性……」
 「男装して軍の先頭に立ち、自軍を何度も勝利に導いたそうだ」
 「異国でも、戦国時代のような戦があったのですか?」
 「世界はとんでもなく広いが、やってる事はどの国も同じさ。ザビエルやソテロ…ああ、うちにいる男の名だが…も、国家だの宗教だのといった勢力争いの一環で日ノ本へ渡って来たようなものなんだから。……話を戻そう。結局、その女性は敵国に捕らえられ処刑されたのだが……母国は大勢のために彼女を見捨てた事をひどく後悔したそうだ。今じゃ聖なる者として神と同列に崇められているという」
 「……」
 「その話を聞いた時、俺はおまえを思った。おまえは、どうして男の形で戦場を歩く運命に生まれてしまったのかと」
 「彼の国の女性と同じ、なのかもしれません。……成り行き、ですよ」
 左の眉をひくりと動かした政宗に、繁は微笑んだ。
 「生まれた時から、そのような生き方を運命づけられていた。道を定めたのは父とはいえ、自分もかくありたいと思ってしまった以上は変えられませぬ」
 「かくありたい、か」
 政宗は笑っているような、曇っているような複雑な表情を見せた。
 「……徳川が挙兵すれば、俺は徳川方に加勢せざるを得ない」
 「たとえ豊臣に見捨てられる事になろうと、私は豊臣方に加勢します。あなたの敵になりますね」
 さらりと応えた繁の心中が、その口調のように穏やかだった訳ではない。
 「女は子を持つと別人のように強くなるが、その上で肚をくくったおまえに敵はないように思えてならないな。俺が守るとか守らないとかいう話はとうに超えている……大坂は死地になるやもしれぬぞ」
 「ええ。どちらが勝利しても」
 「怖れていないのだな」
 「武士とはそういうものだと、信玄公に教えられましたから。それに」
 「それに?」
 「大坂と江戸の戦をもって、百年続いた戦の世そのものを終わらせなければならない。そう感じているのです。父上は徳川を破る事しか念頭にありませんでしたが、実際そうなるかはまったく分かりません。けれども私の力をもってこの戦いを終わらせる事ができるのなら……徳川家康か、あるいはこの身が百年続いた戦国の世における最後の屍となるのであれば、怖れてはならぬと覚悟を決めております」
 「……そうか。本当に、かの国の女性のようだな」
 政宗は繁をさらに抱きしめた。
 「出逢った頃から、俺はおまえが羨ましかったのだと思う。何の縛りもなく、おまえのように自らの心のままに生きられたらと何度も思った……だから、おまえの生き方を俺が止めることはできない」
 ただ、と政宗は念を押す。
 「おまえが自らの生き様を貫くというのなら、俺も勝手に動かせて貰うぞ。国を守りながら、俺は俺なりに自分の望みを叶えられるよう精一杯動く」
 どうすれば妻の生き方を尊重しつつ生き延びさせられるか、という意図は繁にも理解できた。だが、それはおそらく兵を駆る戦よりもずっと困難で大きな戦いになるだろう。
 それでも政宗は諦めていない。既にそのための思索に入っているように見えた。
 「私もそう易々と命を落とすつもりはありませぬ。政宗どのも、どうか無茶はなさらずに」
 「死地に赴くなんて物騒なことを平然と口にする妻に言われたくないな」
 「申し訳ありません」
 背に手を回して案じる妻に、政宗は
 「なに、これも甲斐性のうちだ」
 と応えた。


 昌幸の一周忌が過ぎて間もなく、繁は長男の大助以来の男子を出産した。政宗が末広がりの慶祝にあやかれるよう大八と名付けたその子が、繁にとって最後の子になった。
 子が出来たと知った時、繁…源次郎はそれだけ鍛錬が遅れることに戸惑った。しかし子は神仏から『授かる』ものだという教えに基づくのなら、この時期に大八を授かったのは歴史が源次郎のために用意した必然であるのかもしれない。大八も、真田の血筋を絶やさぬ役目を背負って生まれて来たのだから。そう考え、真田の未来を託し得る子を大切に育んだ。
 子を産める年齢を過ぎた後はもはや余生と一括りに出来てしまえるほど人の一生が短かった時代。その年齢に達した女性の中にはまるで人生そのものを終えたかのように髪を下ろす者も少なくなかったのだが、男女それぞれの生き方を経験した源次郎は自らがそうなっても特段の感慨も絶望も感じなかった。
 女である時間の終わりは、長らく世に忘れ去られていた武士・真田左衛門佐幸村の心にさらなる拍車をかけた一つの区切り、通過点にしかならなかった。
 子を産んだだけで源次郎…繁の人生は終わりではないのだ。まだその先がある。

 大八が生まれる直前には、きよも無事に双子を出産していた。昌幸の死後ひっそりとしていた真田屋敷に三人の新たな命が加わり、ふたたび以前のような賑やかさを取り戻したのである。
 源次郎は、権佐、なおと名付けられたきよの子をあくまで形の上でだけ自らの系譜に連ねることにした。
 豊臣の血をひいて生まれた事がきよや子らに有利に働けば良いが、今後の成り行き次第では一族根絶やしの対象にも成りえる。徳川の追捕は、真田よりも豊臣により強く向けられるだろう。豊臣の名を隠し、左衛門佐の子とされていれば他の子らとともに兄か政宗の力添えが得られるかもしれない。まだ自ら運命を選べぬ子が生き延びるためには、選択肢は多い方が良いと考えた。きよについては、いざとなれば出家させる事も視野に入れなければならないが。
 無論、確実に子らを守るためには自分の奮戦も必須である。源次郎は産後の体調が戻るのを待ってふたたび蓮乗寺へ通い鍛錬を重ねた。
 源次郎が子を育んでいた一年の間に、大助の腕前もめきめきと上達していた。聞けば、弥八郎が直々に槍と刀の稽古をつけてくれているのだという。
 源次郎と大助、そして弥八郎の姿に触発されてか、蓮乗寺の若者の中にも槍の稽古を志願する者が増えていた。源次郎は彼らと何度でも手合せを行い、大助を含めた若者たちは槍だけでなく刀や弓など様々な得物での組手を終えるとその日の得物さばきや構え、応戦時の判断について熱心に分析と対話を重ねる。それは時に深夜にわたる言い争いにまで発展する事もあったが。志を高く持つ者たちの会話は往々にしてそういうもの。どちらの言い分が正しいか実際に槍を振るって検証を行い、正しい意見を述べた者は自らの判断に自信を持ち、そうでなかった者はまたひとつ学ぶ。その繰り返しがまた彼らの血肉となり絆となる。
 雨の日には、源次郎と弥八郎、勝永らが交代で彼らに学問や兵法を授けていた。牢人であったという割には弥八郎の知識も相当なもので、一軍の将を任されてもおかしくない位である。
 人里離れた粗末な寺はいつしか小国の手習処に負けないくらいの学びの場となり、その中で武にも智にも長けている両親の血を受け継いだ大助は確実に成長していった。

【慶長十八年・上田】

 生まれ来る命もあれば、昌幸のように去っていく命もある。
 夫の死後、打ちひしがれた山手は病がちになり屋敷に籠もっていた。ともに暮らす源次郎の養女・すえが身の回りの世話をし、実娘の村松も心配して屋敷に泊まり込んでくれてはいたのだが、老いた上に夫との再会という希望が失われた身の衰えは速かった。
 昌幸の死から二年目、世にいう三回忌にあたる命日が明日という日の夜。
 静まりかえった上田の城下を、山手は小袿姿でふらふらとさまよっていた。
 「無事でのお帰り、お待ち申し上げておりました」
 闇の中、山手は隣に誰かが居るかのように談笑しながら街を歩く。
 誰かが見ていれば気がふれたのかと思うだろう。しかし、この時山手は一人ではなかったのだ。
 (うむ。ようやく戻って来た)
 山手の眼だけに映る昌幸が、皺だらけになった顔をくしゃくしゃにして微笑む。
 「……随分とご苦労をなさったご様子ですね」
 「老けたという事か?それはお互い様であろう」
 「そうでございました」
 山手と昌幸は、ともに上田の街中を歩いていた。昌幸が築いた上田の城、徳川との戦を前提に構えた仕掛けが張り巡らされた街並み、そして千曲川。
 二人は若者のように手を繋いで上田の街を見て周った後、城近くの寺にある小高い丘から上田の全貌を眺めやった。
 「昔はこのあたりも沼地であったのだが、随分と豊かになった……源三郎がよく治めておるようだな」
 「はい。二人の孫も立派に育って、父をよく助けております」
 「本丸は失われ、尼が淵も埋められてしまったが……徳川は、この地すべてが城であることに気づいておらなんだ。民、街、自然……すべてが上田の城なのだ。ゆえに上田の地はこれからも滅びぬ」
 「左様にございますね」
 「そういえば、そなたが上田へ来た時のことを思い出したぞ」
 昌幸は山手の肩を抱き寄せた。
 「京で公家の侍女を務めた姫が嫁いで来ると聞いて、甲斐から戻っていた儂や内記をはじめ、国衆も民もみな婚礼行列を一目見ようと畦道を埋め尽くしていたものだ」
 「ですが、お支度の車が真田山のお屋敷に入れなかったのですよね。あまりに急な山道、細い道でお支度の車輪が抜けなくなってしまって……」
 「そこで初めて輿を下りて上田の地を目の当たりにしたそなたは

 『何もない……』

 と一言。あれは堪えたぞ」
 「夢見がちな娘時代でしたから仕方ありませぬ。京のようなお屋敷や大きなお寺、珍しいお品が並ぶ市は日ノ本のどこへ行っても在るのだと思っておりましたもの」
 「覚えておったか。その後すぐ甲斐に移ったが、信玄公が築いた躑躅ヶ崎館や立派な甲府の街を見てようやく心を開いたように見えた。だから上田へ連れ帰る際には気がひけたものだが」
 苦笑いしながら頭をかく昌幸に、山手は「見抜かれておりましたか」と肩をすくめる。
 「たしかに最初のうちは何もない事が退屈でたまりませんでした。ですが四季を過ごす頃にはここを離れがたく思ったのですよ。桜に躑躅、新緑と星空、蕎麦の花、澄んだ川の音、涼やかな夜の風、金色の稲穂、紅葉、そしてやわらかい雪……公家が好む雅というのは己の知識をひけらかすための道具にすぎませぬが、上田には民が心より愛するありのままの自然がございました。それに気づいて以来、わたくしもこの地を故郷と呼べることを幸せに思うようになりました」
 「上田の地には何もないが、土着といったものを超えてすべての者を惹きつける不思議な力がある。ゆえに我が父は真田こそがこの地の守護者であると奔走し、儂もこの地を他国に踏みにじらせはしなかった。が、それすら驕りであったのかもしれぬ。上田の地に守られていたのは、実は儂らの方だったのではないかと」
 「そうですわね。わたくしはこの地に安らぎをいただきましたが、殿は荒ぶる心と戦に敗れぬ強さを育んでこられました……これらは土地神さまのご加護であったのやもしれませぬ」
 殿は本当に敗けませんでしたものね、と山手は笑う。
 「これまで、よく耐えてくれたな」
 「殿の苦労に比べたら、このくらい何でもございません。それに、殿はこうして山手のもとへ帰って来てくださいました」
 「うむ。……すべてを子らに託し終えて、ようやく重圧から解放された気分だ。ここから先は子供達に任せて大丈夫であろう」
 「はい」
 昌幸は久々に山手の膝枕をねだった。山手はそれに応え、片手を握りあいながら互いの頬や鬢を撫で続ける。
 十数年にわたって離ればなれに過ごした時間を埋めるように。

 山手が上田城の北東、自ら城の鬼門除けにと開基した禅寺の裏山で息を引き取っているのを発見されたのは翌朝のことであった。
 朝の勤めとして寺周辺を掃き清めていた寺男から報せを受けて駆けつけた村松とすえが見た山手の顔は微笑んでいた。
 「母上は、誰かを膝枕するように腰を下ろしたまま眠っていたのですって。きっと父上が迎えに来てくださったのですわ……本当に幸せそうな死に顔で……」
 葬儀のために急遽江戸から帰参した源三郎と稲に、村松とすえはそう伝えて笑いながら涙を流した。母の死が幸せなもので良かった、と。

 山手の亡骸は彼女が生前に言い遺していた通りに息を引き取った寺の墓所に埋葬されたが、ひとふさの遺髪だけは昌幸の墓所に一緒に納められた。
 また一人、真田家の者が上田の地を見守る事となったのだ。それら御霊の数々が、昌幸が言うところの『人に力を与える』力として上田の地に息づいているのかもしれない。

 九度山にて母の死を知らされた源次郎はといえば、屋敷の敷地にある昌幸の墓の隣に小さな供養塔を建てて母の菩提を弔った。
 育ちが特殊だったため互いに心情を慮ることに終始し、世間が抱くような母と娘の親子関係は築けなかったのだが、上田から贈られてきた子らの産着や襁褓に込められた母の思いはきちんと受けとめられたと思いたい。自らが母となってようやく山手の心情を察するまでに至った源次郎は、祥月命日ごとに一人で供養塔に参っては墓石の前で対話を繰り返すようになった。こういった場面になって初めて、源次郎は『娘』として母に己の胸の内を打ち明けられるようになったのかもしれない。
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