第9話 秀吉と家康

文字数 15,204文字

天正十四年 大坂 

 「半兵衛にも、この城とわしの晴れ姿を見てもらいたかったのだがなあ」
 羽柴改め豊臣秀吉は、初対面の源次郎を前にいきなりそう言った。

 右も左も分からないまま案内された大坂城。檜の香りも高く、蝋を塗りこんで顔が映るほど磨き抜かれた廊下で滑って転ばないよう袴捌きに気を取られ、一人ではまず退出できないくらい幾多の角を曲がり、階を上り、回廊を抜けてようやくたどり着いた主殿。渡り廊下の先にある五七桐紋がついた扉の奥は固く閉ざされた禁域、関白の私的空間である。
 その手前、長廊下に幾つも連なる面会部屋の一つに通され、そこからじっと待つこと半日。馬廻衆の一人が開けた襖の先から扇子で顔に風を送りつつ入室してきた豊臣秀吉が、平伏する源次郎を前にして出したのが竹中半兵衛の名である。
 秀吉が上座の畳に就いたら近習が源次郎を紹介する。そうしたら挨拶の口上を述べよ。秀吉が良いと言うまで顔は上げるな。朝から何度も頭の中で練習してきた口上も礼儀作法も、秀吉の寛ぎきった態度と半兵衛の名で全て消え去ってしまった。
 源次郎は混乱してつい面を上げてしまったが、秀吉はまるで意に介していないどころか「知っておるか?」と訊くような目で源次郎を見ていた。とりあえず会話を成立させなければならないようである。源次郎はおずおずと顔を上げ「畏れながら…」と返した。
 「半兵衛さまと仰いますと、『今孔明』と称された竹中半兵衛さまでいらっしゃいますか?」
 「おお、そうじゃ。若いのによう知っておるのう」
 越後で直江兼続から学んだ歴史がこんなところで活かされようとは。源次郎は改めて景勝と兼続に感謝したい気持ちであった。
 竹中半兵衛の話を分かち合えると思ったのか、秀吉はさらに続ける。

 「半兵衛はなあ、信長公からの仕官の誘いを断ってわしに仕えると言ってくれたのじゃ。まだ信長公の小間使いであった、このわしに」

 その逸話も兼続から教わっていた。当時仕官していた主の悪政を見かねた半兵衛は、数名の仲間と謀って主の留守中に城を乗っ取ってしまったのだ。しかも城を失った主が己の所業を悔い改めて隠居した途端にあっさりと城を返している。半兵衛の目的は城主の地位ではなく安定した治世と主の猛省であったのだ。
 強引な手法を用いてでも主を諌めるその気概と才覚が織田信長の眼に留まり、信長は「ぜひ我が軍師に」と三顧の礼をもって登用を試みたが、半兵衛はあっさりとそれを拒否した。
 しかし、相手が頑になればなるほど陥としたがる性格の信長も諦めない。三顧の礼が十八顧、三十六顧となり、辟易した半兵衛がついに出した答えは

 「実際に三顧の礼を行ったのは信長公ではなく羽柴秀吉なのだから、私は羽柴の熱意に臣従する」

 という無茶苦茶なものであった。欲しているのに顔ひとつ見せない信長の非礼を遠回しに諌めているのは明白である。
 これは流石に信長の逆鱗に触れるだろうと誰もが思ったが、意外にも信長はその条件を諾とした。信長にしてみれば秀吉は自分の駒のようなものであり、秀吉の下に半兵衛が居るのならば自らの命令に対していかに秀吉の戦果を挙げることに尽力するだろう。結果として勝利が得られるのならば、それで構わない。
 「『信長より、そなたと共に戦う方が面白い戦記が書けそうだと思ったから』……奴はそう言っておった。わしはそれでも良いと思った。いや、今孔明がそう言うのなら、わしが面白う戦わずして何とすると奮い立ったものよ」
 しみじみと語る秀吉は、はあと回顧の溜息をついた。
 「私の記憶に間違いがなければでございますが、竹中さまは国内だけでなく大陸の書物にも精通され、晩年は関白殿下の伝記を記しておられたとか」
 「よう知っておるのう。いかにも、あやつはわしの生きざまを「やはり自分の眼に狂いはなかった」と言って記しておったわ。表題も『豊鑑』と…未完に終わってしまったのは、さぞ無念であったろう」
 「三十五歳というお若さで亡くなられたと学んでおります。まこと惜しいお方でございました」
 当たり障りのない反応も、秀吉は「解ってくれるか」と喜んだ。今更聞かずとも信長から『猿』と呼ばれた所以が分かる秀吉は、見た目の印象とまったく違わず身軽に上座から降りると、飛びつくように源次郎の両手を握りしめる。
 「しかし、半兵衛はわしに多くの策や教えを遺してくれた。手に入れなければならない城ならば、いかなる手段を用いてでも手に入れろ。いちど手に入れたらそう簡単に手放すな。されど手放す時は他者に利用されぬよう更地にしておけ……。わしはその教えを道標とした。備中高松城の水攻め、山崎での明智光秀追討、賤ヶ岳城の戦い、四国攻め……どれもみな、半兵衛が生前に記していた戦術を官兵衛や佐吉、紀之介に練り直させて戦ったものじゃ」
 本能寺の変が起こったのは、半兵衛が没した翌年だった。その後は彼に教えを受けた黒田官兵衛、佐吉こと石田三成、紀之介こと大谷吉継らが秀吉を支えて戦を戦い抜いている。知将三人をもってようやく実行に移せるくらい半兵衛の策は大胆であったが、半兵衛が没してもなおその策を受け継げる者が居たから今日の秀吉の天下もあるのだろう。
 「あと十年、半兵衛が壮健であったならばなあ……この浪速の城の天守で、力を合わせて手に入れた景色を眺めることができたのに……半兵衛が望んでいたわしの天下、それを見せてやる事ができたのに……」
 源次郎の手を握ったままの秀吉は、庭から覗く空を見上げた。源次郎もつられて空を仰いでしまう。
 思う存分感慨にふけった後で、秀吉はつと真顔に戻って源次郎をまじまじと見た。
 「そちも半兵衛に似て賢そうな顔をしておるのう。そちを見ていると、いつも戦で泥だらけだったわしの顔を拭いてくれた半兵衛を思い出すわい。野営で共に杯を傾けながらわしに自分が知る限りの戦術を授け、そして学を付けてくれた。自分に知識が増えていく嬉しさといったらもう……」
 秀吉の眼は潤んでいた。初対面の、しかも人質に来た若造にそのような顔を見せる天下人の威厳はどこにあるのだろう。手を握られたままの源次郎は面食らう。
 「半兵衛さまのご高名は、片田舎の私の里にまで聞こえてくるほど偉大でございます。関白殿下は、何故私のような新参者にそのような大事なお話を……」
 「新参者だから、じゃ」
 「……え?」
 「あまりに近うなりすぎた者には、おちおち本音も語れまいて。その点、よく知らぬ者であれば話しやすくてなあ」
 見ず知らずだからこそ、誰にも話せぬ本音を口にしやすい。そういった心情は理解できた。つまり周囲に敵が多いことを自覚しているのだ。
 天下人といえども、やはり心根は皆と同じ人なのだ。農民から天下人となった不安や心細さをすべて理解するのは難しいが、どうにかして眼前にいるこの初老の関白の力になってさしあげたい。源次郎は肩に力を入れて秀吉にひれ伏した。
 「関白殿下。まだ竹中さまの足下にも及ばぬ若輩者ではございますが、私も殿下のお役に立てるように励みとうございます」
 「おう、そうか。よう言ってくれた。優秀な若者が集うこと程頼もしいことはない。期待しておるぞ、真田源次郎信繁」
 まだ名乗っていないにもかかわらず、さらりとこちらの名を口にした関白の度量には舌を巻く思いであった。
 「殿下が我が名をご存じであらせられますとは、感服いたしましてございまする」
 「これから城で働いてもらう者の名を主が知らずにどうする。半兵衛についてよく学んでいることといい受け答えといい、そちには近年わしの家臣となった者たちの中でも指折りの賢さが備わっておるようじゃ。しかと励んでくれることを期待しておるぞ」
 「恐れ入りましてございます」


 帰り道も廊下で迷い、郭で迷い、幾人もの家来衆や女中たちに順路を訊ねてようやく門の外へと退出できた源次郎は、新たな勤め先となる城を振り仰いだ。
 天下人が住まう城は、信長の安土城よりはるかに大きい。そして華やかである。
 戦に備えた山城ではなく、また上田のように自然の地形を活かした訳でもない。安土城と同じように、ここで戦をすることを前提としていない平地に建つ城であった。
 眼に眩しい白壁、緑青色をした屋根の上には黄金の鯱が陽と並んで鎮座している。さんざん迷って歩くうちに眼にしたのだが、天守の内部は至るところに贅を尽くした造りである。廊下や庭には見たことのない文様…おそらく渡来の壺や皿がさりげなく飾られ、柱や扉の飾り金具、襖の引手まで黄金であった。関白の庭にあった桃の枝には、極楽に棲んでいるかのような極彩色の大きな鳥が止まっていた。
 安土城が『浄土の上に座する城』ならば、大坂城は『浄土をそのまま我が物とした城』だろうか。負かすのではなく手に入れる、そんな貪欲さが感じられた。
 いや、貪欲でないと天下は獲れないという見本なのだろうか。
 自らの権威を世に知らしめる、もっとも分かりやすいもの、それが『天下人の城』なのだ。
 これだけのものを建造できる財力、技術、人を束ね動かす力、すべてが揃わないと叶わない。そして、父昌幸と徳川家康のように以前は敵だった者が同じ主の下に集えば、いずれそこに諍いが起こるだろう。
 ようやく信濃の国主として頭角を現した昌幸は「戦で使えぬ城は造らぬ」と豪語していたが、世は既に信濃における常識の何歩も先を進んでいる。剣や槍を交えるだけが戦ではないのだ。


 真田一族が上田で徳川を退却させたのが前年のこと。徳川が真田攻略に現を抜かしているその年の間に、羽柴秀吉は朝廷から関白職と『豊臣』姓を賜り、日ノ本全土に天下人としての名乗りを上げたのだった。
 紀州の雑賀衆、四国の長曾我部、そして徳川に門前払いを食らって越中に舞い戻った佐々といった各地の勢力を屈服させながらの荒業だったのだから、勢いというのはいちど加速すると手に負えないものである。
 昌幸が警戒していた「何か」が起こる前に、誰にも手出しが出来ない地位に座ってしまったのだ。徳川は言うまでもなく、東の北条、西の毛利、そして跡目争いを漁夫の利にされた形になってしまった織田あたりはさぞ口惜しがっただろうと昌幸は分析していた。
 ともあれ、秀吉が彼の就ける最高位『関白』となった以上、当分は目立った行動は出来なくなる。源次郎は当初の予定どおり大坂へ人質として赴いたのだった。
 大坂城にて登用の許可も下りた。秀吉に目通りも叶った。あとは自分の役目が決まり三の丸あたりの郭に部屋が割り当てられるまで待機である。
 それまでの間、源次郎は大坂城下にて治部少輔こと石田三成の屋敷にて世話になっていた。秀吉がまだ信長の家臣であった頃から仕えている、まさに秀吉の腹心でありお気に入りである。
 三成の妻・宇多は源次郎の母・山手の妹、つまり昌幸と三成は義兄弟である。そのつてを辿っての紹介であった。源次郎一人ではいささか荷が重い『豊臣による真田と徳川の和睦の仲介』についても三成の口添えを依頼している。
 「姉上がご健勝であらせられた事が何よりです。姉上がお勤めしていた京の公家から信濃へ嫁いで久しく、その間あちらでは大きな戦も多かったようで連絡もままならず案じておりました……ああ、姉上がお好きだった丹波栗の甘蔓煮や吉野の葛をお送りいたしましょう。きっと懐かしんでくださいますわ。殿、よろしゅうございますか?」
 「武田信玄公の片目とも言われた信濃国主との繋がりを持てるのは関白殿下の望まれるところでもある。好きにしなさい」
 姉妹といえども、嫁いでしまえば消息が途切れるどころか夫同士が敵として戦うことも珍しくない女の世界。宇多は久方ぶりの姉からの文に感激し、今や大名の妻となった姉の身の上を我が事のように喜んでいた。しかし三成はというと、あくまでそれが主家の利になるか否かを可否の判断材料にしているらしい。
 その夜は正式に城仕えとなった源次郎の歓迎と称して石田家にてささやかな酒席が設けられた。三成が招いたのは、大谷刑部少輔吉継。三成とは、秀吉が長浜城主になったばかりの頃からともに仕えてきた仲なのだという。
 三成は近江の寺の茶坊主から秀吉に引き抜かれて雑務を行う小姓からの仕官であったが、大谷は母が大政所(秀吉の母)の侍女であった縁で出仕早々から秀吉の馬廻衆となっている。始まりこそ違えど、ともに戦場を駆け、治世や兵法を議論していくうちに親交を深めたのだそうだ。
 「殿下にはお目通りできたか?」
 酒を勧めながら三成が訊ねる。信濃の酒とはまた違った味。それはおそらく米の味、米を作る水の味の違いなのだろう。
 「はい。初対面の、しかも私のような端下の者の名を覚えておいででした。この真田源次郎、まこと感服した次第」
 「いちど会った者の名を忘れないのは、殿下がお持ちの才能であられる。竹中半兵衛さまの話も聞いたであろう」
 「よく御存じですね」
 「殿下は、新参者にはいつも半兵衛さまの話を聞かせるのだ。半兵衛さまのご活躍を知っている者は褒めちぎり、たとえ詳しく知らなくても否定はせず昔話として語って聞かせる。そうやって懐を開き、新参者の心を開かせるのだ。口の悪い者は『人たらし』と呼ぶようであるが、家臣の名を全て覚えることと相まって、人心掌握という点において非常に効果的であり合理的だ」
 三成は褒めているのかいないのか分からぬ口調で秀吉を評する。が、『見習うべきところであるな』と付け足すあたり、秀吉に批判的ではないのだろう。
 「半兵衛どのは、殿下に戦をしていただくことによって自ら考えた策に落ち度がない事を検証しておられる節もあったからなあ」
 酒が入った大谷が口を滑らせる。三成が否定しないところを見ると、同じ見解なのだろう。
 「私が半兵衛どのから直接教えを乞うたのは五年足らずであったが、半兵衛どのは時間があれば馬上ででも書物を広げるほど本の虫であられた。好きが昂じて自らも策を考えるようになったのだと聞いている。考えた策を殿下が実行され、そこから得た戦果や教訓をこと細かに記していくことによって自らの兵法書を完成させたがっておられた……机上の戦を学ぶ者としては、半兵衛どののお考えが理解できなくもない」
 道を究めた者は、いずれその成果を自分の中だけで完結させるだけでは満足できなくなる。多くの者に見てもらい、認めてもらいたい。承認欲求といえば俗じみてしまうが、それは誰もが持つ当たり前の感情だという点では『今孔明』もやはり人であったということだ。
 なるほど、と源次郎は思った。
 竹中半兵衛が秀吉に献じた策は、どれも当時の戦の常識とは一線を画している。その場の戦流れに乗って戦場を駆ける前線において、冷静に敵の一手先を読むことに長けていた。
 小谷城における浅井・朝倉連合軍との戦い、そして武田軍として参加していた真田昌幸の兄二人が討死した長篠の戦いでは秀吉に浮足立たぬよう促し、進言を守って前線を死守した秀吉は戦の後で信長から褒美を授けられている。
 どちらも血気に逸る足軽や地侍相手に敵が挑発を仕掛けてきた戦であったが、半兵衛はそれを逆手に取ったのだ。挑発に乗らぬ事で反対に相手を苛立たせ、味方が優位に立てる位置まで誘導したところで一斉に叩く。その際には一切の容赦をしない。
 そうやって信長に取り立てられていった秀吉が次第に大きな戦を任せられるようになっても、半兵衛は確実に役目を遂行させていた。
 なるべく戦を回避せよとは孫子の教えであるが、半兵衛はその教え通り調略攻めが可能と見れば躊躇なく調略する。敵が有利と見れば、敵の領民に一揆を起こさせるよう裏で誘導する。敵を足下から崩し、身動きを取れなくした上で秀吉らに派手な攻撃をさせて落城に持ち込む。その際は、なるべく信長から見える場所で秀吉を戦わせて目を引くことも忘れない。
今となっては推測の域を出ないが、半兵衛は秀吉に自ら考えた策を『試させて』いたのだろう。信長ほどの大物に直接献じた策となれば失敗すなわち切腹であるが、秀吉はさほど決定権がないものの信長に気に入られているゆえ気楽に自分が立てた策を実行させられる。結果として考えた策すべてが秀吉という破天荒な者の働きと相まって吉となり、秀吉の出世に結び付いた、そういったところだ。
 秀吉が半兵衛の本心をすべて理解した上で敢えて半兵衛の思惑に乗ったのか、それとも知らなかったのか、それは秀吉にしか分からない事かもしれないが。
 「とはいえ関白の御前でそのような事を口走るのは、どうぞ切腹をお申し付けくださいと言っているのと同義だぞ。気を引き締めてかかれ」
 大谷刑部が釘を差す。
 「ご注進、心に刻みます」
 母が秀吉腹心の縁者であって良かったと源次郎は有難く思った。おそらく過去に無礼を働いて消し去られた人質が幾人も居るのだろう。
 そしてもう一つ。こちらは大谷が教えてくれた。
秀吉は半兵衛との逸話の中に、新参者に対する牽制を織り交ぜている。

 「今孔明が信長ではなく自分を選んだ」とは、自分には信長以上の素養があるのだ。
 「手に入れたい城は手段を選ばず手に入れる」とは、つまり自分に眼をつけられたらそなたの祖国は滅びるぞ。
 名を覚えられているのは、つまり端下だからといって迂闊な言動や良からぬ噂があればすぐさま処罰するぞ。

 それら牽制に気づかない者は都合よく手駒にされるか、ほんの少しの失策を理由に国ごと滅ぼされるか、秀吉の気分次第であろう。
 人たらしではあるが、けっして用心できぬ者。大谷はそう警告してくれた。
さて、どのような距離を取るのが最も賢いのだろうか。

 七日ほど待った後。真田源次郎信繁を豊臣秀吉の馬廻衆に任ずるとの書簡を携えた石田三成が城から帰宅した。馬廻衆とは要人の身辺警護を行う者であり、人質に入ったばかりの身としては異例の大抜擢である。
 秀吉の牽制を知った以上はできるだけ距離を置いて目立たずにおきたかったのだが、決定を辞退など出来るものではない。
 「どうやら殿下に気に入られたようだな。励むがよい」
 石田三成は、大坂城の馬廻衆専用の宿直舎に入ることになった源次郎の肩を叩いて送り出した。


 昌幸の思惑どおり、源次郎が大坂に赴いたことで豊臣秀吉は真田と徳川が講和を結ぶための仲介を引き受けた。わずか一年前に小牧と長久手で大合戦を繰り広げたばかりの秀吉が証人に名乗りを上げたとあれば、さしもの徳川も拒絶する訳にはいかない。
 かくして、上田合戦は双方和睦という形で正式な幕引きとなったのである。
 しかし、秀吉は昌幸のさらに上を行く食わせ物であった。
 「双方、わしの面子を潰すことだけはしてくれるなよ」
 大坂城に真田・徳川両者を呼びつけての調印式。それぞれが花押を記した書簡を交わしたのを見届けたところで、秀吉は両者に念を押した。
 「このたびは関白殿下にお骨折りいただきましたこと、まこと有難き幸せに存じまする。この真田安房守、忠義の一言のもと身命賭して殿下をお支えする所存。のう、徳川どの」
 「……拙者も同じでございまする」
 家康は(余計なことを)という風にしかめた顔を昌幸だけに向けたが、昌幸が涼しい顔をしているので渋々秀吉に頭を下げる。
 「うむ、よう言った。では両者に申し渡しておこう」
 「何なりと」
 「まず、徳川は江戸へ加増移封。東の開拓と統治を一任する。そして安房守は徳川の与力に入れ」
 「!!」
 「わし一人で大名すべてを管理できる訳ではないからのう。地方ごとに中枢となるべき大名を定め、指揮系統を整理しておる最中なのだ。東は今まで手つかずであったが、せっかく徳川と安房守という力ある大名が臣従してくれたのだ。いまだなびかぬ北条への圧力という意味も込めて、この際東もしっかり固めておくべきである」
 突然の話に徳川は唖然となり、昌幸はぽかんとした顔で下命を聞いている。
 「家格というものを見れば、それが最も妥当であろう」
 秀吉は何の不満があるという顔で扇を打った。
 大名といえども、石高や家格に応じて上下関係が存在する。乱世を勝ち抜いてより多くの石高を得た者は大大名と呼ばれ、秀吉も彼らを臣従させる代わりに自国の統治をある程度任せたり加増を認めることで不満をため込ませないよう配慮していた。
そして有事や何らかの事業の際には大大名の指示の下で地方の大名や国衆が働くことになる。真田が徳川の与力になるということは、事実上徳川の傘下に入れという事である。立場上は対等ではなく臣従に近い。
 「三河あたりはもう儂の土地だ。その先を阻む北条が北の伊達や佐竹と組むことを阻むためにも、力のある者に江戸の知行を任せるは理に適っておるだろう。これにて喧嘩両成敗、よいな?」
 「ははーっ」
 喧嘩両成敗という形を取りながら、主導権はちゃっかり持っていく。結局、両者は秀吉の命令にひれ伏すしかなかった。家康のしたり顔、昌幸のしかめっ面をそれぞれ畳だけが見つめている。
 「これからは同胞として協力していくように。そして安房守よ」
「はっ」
 「そちは築城の経験が多いと聞いておる。今は伏見と京に新たな城を築いておるゆえ、そちには早々に上洛して普請事業に加わってもらいたい」
 「あの……たった今、徳川どのの与力と伺ったばかりでございますが」
 「優先順位は序列で判断せい。徳川も京に住まいを建てておるが、そちも徳川に倣え。各国の大名のほとんどは京に住まい、分担して日ノ本統一の事業を進めてもらうからそのつもりでおれ」
 「……御意にございます」
 与力の立場はあくまで建前と考えて良いのか。あえて複雑な立ち位置を与えることで建前と実態を乖離させ、両者の不満を削ぐつもりなのだろうか。
 拒否できない事以外、秀吉の意図がまるで理解できぬ。そんな顔をした昌幸がひれ伏しながら徳川を見ると、徳川も鏡写しのような顔をして昌幸の方を見ていた。


 「天下人とは、かくも無茶を通せるものであるか」
 上田に戻った昌幸は、源三郎を相手に酒を飲みながらこぼしていた。
 「まあ、与力として江戸の開墾を命じられなかっただけましと考えればよろしいのでは」
 「そうではあるが……胸がすいたのか新たな禍根の種を抱え込んだのか、先が見えずに気持ちが悪いわい」
 昌幸は徳利を逆さに振った。濁った酒が数滴、昌幸の杯に落ちる。代わりを所望する前に、山手がすぐに厨へ走った。
 「結局のところ、わしらは徳川への牽制に使われたと考えて良いのだろうな。面倒な連中を目の届くところに置き、余計な争いや結託はさせぬ算段であろう。各国に領主不在となれば地方で勝手な戦も起こらぬし、反対に裏で大名同士が手を組もうにも、それらの動きは関白に筒抜けだと考えてよい」
 「良いではございませぬか」
 「何故じゃ」
 「それは関白殿下が父上を『面倒な者』だと認めたという事。関白殿下も徳川との戦の顛末は既にご存じでしょうし、一目置かれたのは間違いないでしょうから」
 「わしは、そんなに面倒かのう?」
 「よく仰います」
 二人は顔を見合わせて大笑いした。酒を運んで来ながら夫と息子の会話を聞いていた山手も着物の袂で口許を隠して笑っている。
 「まあよい。殿下には真田家を大名と認めていただけたのだし、徳川にこき使われることに比べれば、京に住まいを移すくらい厭うものか。わしが不在の間、源三郎が上田の城代として励む良い機会でもある」
 「私が城代……いつかそうなる事は覚悟しておりましたが、いざとなると不安でございます」
 源三郎は盃を置き、その中に映る蝋燭の炎が揺らめく様に視線を落とした。
 「勝頼さまを思い出すか?」
 「立派すぎる父を持つと、どうしても兵や民は父と子を比べてしまうものでございますから」
 「栄枯盛衰を体感してしまえば無理もないか」
 勝頼が家督を継いでから、みるみるうちに萎れていった武田の力。その顛末を知る身となればどうしても不安は拭えない。
 「わしだって、長篠の戦いで兄二人が死んだために家督が転がり込んで来た身だ。我らの前にはどうしても信玄公という大きな存在がある故、あのようにならねば一人前ではないと思ってしまうのも無理からぬ話ではあるが……まあ、いきなり信玄公のようになろうと思うな。そもそも、なれると思うか?」
 「いえ」
 即答した源三郎に『わしだって無理だ』と昌幸が同調する。しかし、と昌幸は続けた。
 「おまえには、わしにも源次郎にもないものがある」
 「それは一体」
 「徳、だ。人は見た目の派手さに目を奪われがちだが、それは一時のこと。地道に暮らしを支える者が居てこそ治世が成り立つと知れば、少しずつであっても人心はおまえに付いて来よう」
 「たしかに私は源次郎相手に槍の稽古では勝ったこともありませんし、顔だって源次郎と比べたらだいぶ地味ですが……」
 「卑下するな。自分でそう思えるところが『徳』に繋がると申しておる。思い上がらず、己の分をわきまえている者のみに出来ることよ。それになあ、おまえは自分で思っている程ぼんくらではないぞ」
 「そうでしょうか?」
 「わしの倅なのだから、ぼんくらな訳があるまい」
 「……父上がおっしゃる『徳』の意味、今のお言葉で何となく解った気がします」
 「ははは。いっぱしの口を利くようになったのう」
 昌幸が源三郎の肩を何度も叩いて笑った。幼い頃は頭の上に置かれていた手が今は肩にある……それだけ成長し、父親とも対等に議論できなければならない立場になったのだ。
 源三郎は肚をくくった。
 「信濃国衆の中ではまだ末席の若造ではありますが、私に出来る限りの力でやってみます」
 「よう言った、源三郎。国衆にも助力を頼んでおくから安心して励め。いずれはおまえに沼田一帯を任せようと思うておるから、心しておけ」
 「沼田……北条はどう動くでしょうか」
 たとえば北の伊達や佐竹といった有力大名と組まれたら、日ノ本を東西に分断される形となる。そうなれば沼田は東西の争いにおける最前線となるのは目に見えていた。
 「西は関白自らが抑え、東は徳川、北は上杉に参勤免除…上杉を越後に常駐させることで抑え込んでいくつもりのようだが……沼田が真田の土地である以上、まだ気は抜けないな」
 「先の戦では戦略によって勝ちましたが、北条相手に同じ手は通用しますまい」
 「うむ。現当主の北条氏政は自分の飯にかける汁の量すら分からず親を泣かせたうつけ者と言われておるが、国そのものの治世は安定しており民の信頼も篤いようだから噂を丸呑みにするのは危険であろう……仕方あるまい。沼田を守るためと割り切って、源三郎には徳川の機嫌を取っておいてもらおう」
 「私が?……いささか荷が重うございますが」
 先に派手な戦をしたばかりの相手の機嫌をどのように。源三郎の困惑を昌幸は笑顔でいなした。
 「近所付き合いも戦略のうちぞ。源次郎が関白殿下にそうしているように、おまえはとりあえず徳川に気に入られておけ。信尹にも力を借りられるよう渡りをつけておく」
 「父上には何かお考えがおありなのですね?」
 「まあな。せっかく関白にも徳川にも頭を下げてきたのだ、どうせなら存分に威光を借りようではないか」


 一方、浜松城では。
 「武田の最期は哀れであったのう」
 家臣は江戸へ、主は京へと引っ越し支度でごった返す中、天守の最上階に置かれた城主の間にて、家康はぱちりと碁石を盤上に置いた。
 「最期まで武田の誇りと己の矜持を貫いた生き様は天晴であり、また愚かでもある」
 「愚かだなどと……勝頼さまも信勝さまも懸命に生きようとなさっておられました」
 与力だからと自ら人手を連れて手伝いに来た源三郎が手を返す。家康に挨拶をしたところで、 「自分は何もする事がなくて暇だから」と碁の相手を所望されたのだ。
 「そうだった。そなたは勝頼どののお気に入りであり子息の信勝どのとは兄弟のような間柄であったそうじゃな。……が、だからこそ織田に頭を垂れておればと思いはしなかったか?」
 「……」
 ふと顔を上げた家康は窓の外に眼を向け、扇の先で北に広がる平地を示した。
 「あの平地は、かつて戦場だったのだ」
 「この城から、かような近くで……」
 「三方が原、じゃよ」
 瞬間、源三郎が「あっ」と呟いて気まずそうに眼を伏せる。かの平地にて家康の経歴に恥の記録を刻んだのは、真田安房守その人であった。
 「三方が原にて我が軍を打ち負かした信玄公の威光はその死とともに色あせていたというのに、武田という名だけを支えに多くの兵や民を巻き添えに滅びた……勝頼どのの決断がそうさせたのじゃ。もし諌める者がおれば、あるいは武田は滅びずにすんだかもしれぬが……駿河の今川といい、過去の栄光を背負ったが故の『滅び』を見て来たからこそ、わしは彼らを愚かだと思わざるをえない」
 「結果として滅びの道となろうとも、信念を曲げずに戦う……それを矜持と讃えるのが武士だと見つけております」
 「ははは、若いのう」
 「……」
 「わしは、織田に妻子を殺されておるのだ」
 ぱちり、と碁石が鳴った。
 「築山(家康の正室)と信康(長男)が武田勝頼への内通を疑われたことがきっかけで、徳川一族全員が織田信長に叛意ありと見なされたのじゃ。勿論どこぞの勢力のでっち上げで事実無根だったのだが、信長は「真に叛意がないのであれば、噂の根源となった妻子を切腹させよ」と申し渡してきた」
 「それは……」
 何とも横暴な。喉まで出た言葉を源三郎は飲み込んだ。たしか家康の嫡男・松平信康の名は織田「信」長と松平元「康」(家康の旧名)からそれぞれ一字ずつ与えられた…それだけ薫陶を受けていた筈なのだが。
 「家中は反対の声が殆どであった。実際に武田と組んで織田と戦うべきという意見もあった。だが、儂は織田の申しつけを実行させた……」
 「……」
 「儂も、武田勝頼も、そして両者が共闘しても勝てぬと認めざるを得ないくらい織田は強すぎたのじゃ。徳川が生き延びるためには時を待つしかない。対立で壊れそうになった三河国をもう一度まとめるため、築山も信康も黙って儂の意を汲んでくれた……無念であったろう」
 深く、長い溜息が家康の口から洩れた。二人はしばしの間、黙々と碁盤に石を置いていく作業を続けた。
 「そのわしが敢えて織田と同盟を結んだ理由を知りたいか?」
 「……私は、そのような事を徳川さまにお訊ねして良い立場ではございませぬ」
 「かように構える程の理由でもない。ただ民を死なせたくない…いや、己が死にたくない、それだけじゃ」
 源三郎がちらりと顔を上げたが、家康の眼は盤面だけを見ていた。
 「我ら武士は、いわば民の代理人のようなもの。戦となれば彼らの力を借りもするが、何事かあらば全ての責を負い、自らの首一つで死人を減らせるのならば潔く腹を切るなり首を落とされるなりするべき存在じゃ。大名と呼ばれる者はみな同じ思いであろう。平々凡々と生きられるのは、幾多の兵が命を投げ打ったからだという事を忘れてはならぬ。そして、それら命を無駄にせぬために、儂は生にしがみついてでもこの暮らしを守らねばならぬ」
 生にしがみつき、自らが生きるために他を蹴落とす戦の矛盾は源三郎も長らく感じていた。己の正義と敵の正義が持つ意味は同じなのに何故。
しかし戦の場数も死なせた兵の数も自分とは桁違いの家康が自分と同じ思いを抱えていたとはまこと意外で、源三郎は混乱を顔に出さないよう苦心した。
 「だから織田が討たれたとの報を受けた際、大坂に逗留しておった儂は得体の知れぬ相手に倒される訳にはいかぬと伊賀路を逃げ帰る道を選んだ。もとより織田に心から臣従していた訳ではない。その逃避行が羽柴に出し抜かれるきっかけになるなどと考える余裕もなく、それはもうなりふり構わぬ逃避行じゃった……かような思いをしたのは三方ヶ原以来じゃ」
 「……」
 「そこまでして生きることにしがみついた結果、今では織田でも武田でもなく、まして四氏のいずれでもない関白に頭を下げておる」
 羽柴秀吉が関白の位に就くために『豊臣』という新たな姓を賜るという離れ業に出たのは、平安時代から存在する家格『四氏』の考えが朝廷にも武士の世界にも根強いためである。
 源氏・平氏・藤原氏・橘氏。
 日ノ本に武士というものが誕生して以来、武士としての最高位『征夷大将軍』の職にはこの四氏の血統を受け継ぐ者が就いて来た。現在各地で生き残っている大大名も、ほとんどが先祖の代から四氏の血筋と幾度も縁戚関係を結んでこの四氏のいずれかの系譜に名を連ねている。いわば庶民と武家・公家との間にある身分の差を明らかにするために引いた一線であった。徳川家も、真田家の祖先である滋野家も実は源氏の系統である。
 だが秀吉はそのいずれの流れも汲んでいない。一線の外の者なのである。
 ゆえに本来彼が望んだ征夷大将軍への就任は見送られ、かわりに公家の中では天皇に次ぐ権威を持つ『関白』職を貰うことで秀吉は天下人であることを宣下できたのだった。もとは武士の間で始まった戦や政争に巻き込まれることにうんざりした朝廷の心理を、秀吉は巧みに利用したのだ。
 だからこそ、家康をはじめとした『四氏』の流れを汲む大大名たちは、自分より下に見ていた者に出し抜かれた現状に矜持を大きく傷つけられていた。
 それでも、朝廷が秀吉に関白を与えた以上はひれ伏すしかない。従属しない者はみな滅ぼされている。
 「領土や刀を持ちながら長いものに巻かれるしかない生き方は不甲斐ないが、領民の命を乗せた秤は時勢と立場によってどちらにも大きく傾くものなのじゃ。だから、わしはこれからも服従の道を往く。民のため、耐えるもまた国主の役割じゃ」
 矜持を抑え込んで安寧を選ぶ。そこまでの葛藤を思うと、さすがの源三郎も徳川家康に哀れを感じずにはいられなかった。
 「殿、待っておればいつか天下を伺う機も出てまいりましょう。ですから、どうか誇りだけはいつまでもお持ちくださいませ」
 碁石が残る碁笥を端によけ、源三郎は両手をつく。家康は小さく笑って扇を開き、顔を扇いだ。
 「ふふっ、わしに誇りだなどと青臭い事を言う者はそうそうおらぬぞ?噂に聞く真田安房守の倅は、なかなか見どころのある男じゃ」
 「畏れ入ります。真田源三郎信幸、端下ではございますが徳川さまの与力として励む所存」
 「心強い言葉じゃ。その真面目さをもって儂に仕えてくれると信じたいのだが、これまで裏切り裏切られを繰り返しすぎた儂は、目に見える『証』がないとどうも落ち着かない性分になってしもうた」
 「証……」
 ただでは友好関係を築けないことくらいは源三郎も覚悟していた。徳川が要求するのは金子だろうか、それとも人質だろうか。無論、持ち帰って父に相談しなければならないが。
 が、家康の望みはどちらでもなかった。
 「そうだのう。そなた、徳川家から嫁でも娶ってくれぬか」
 「嫁、でございますか」
 「本来なら儂の娘を出したいところなのだが、あいにく年頃の娘はみな嫁いでしまった。縁戚の娘も各国との繋がりを持つために出しておる。……おお、そうだ。たしか本多平八郎の家に年頃の娘がおったなあ」
 「本多さま……あの名高き徳川四天王のお一人でございますか?」
 本多平八郎忠勝。徳川きっての武闘派だと源三郎は記憶している。名槍『蜻蛉切』をもって幾度もの激戦を乗り越えているが、いまだにかすり傷ひとつ負ったことのない日ノ本屈指の猛将であると。
 「その娘を儂の養女とした上でそなたに嫁がせよう。これでそなたは儂の娘婿じゃ」
 「あ、あの……本人はもとより本多どのの了承も得ずにそのような大事なことを……」
 政略結婚など珍しくもないし、家康の信が篤い者の娘を娶ることは「家康に気に入られておけ」という昌幸の命にも適っている。しかし、まだ顔を見ないうちから勝手に縁談を進めてしまうのも如何なものだろうか。
 「関白殿下の命で真田が徳川の与力になったとはいえ、縁戚関係にあれば立場は対等と考えてよい。儂とて、もう真田と争いとうないからな」
 「……その節は……」
 「済んだ事じゃ、もう良い。本多の娘については儂もあやつの屋敷に呼ばれた際に何度か見かけたが、なかなか器量も良いし心根もしっかりした娘じゃ。きっと似合いの夫婦となるぞ」
 「はあ……」
 その話は一旦持ち帰って父に相談を。そう切り出そうとした源三郎に、家康はたたみかける。
 「そうそう、あの娘は薙刀を使わせたらそこらの女武者には負けた事がないというし、平八郎が持つ蜻蛉切のような長槍も自在に扱えるそうじゃ。武に長けた真田家の嫁として相応しかろうて」
 「……」
 果たして自分の手に負える姫なのだろうか。不安にかられた源三郎をよそに、家康はすっかり上機嫌であった。

 翌年。本多忠勝の娘・稲が徳川家康の養女となった上で源三郎の許へ輿入れした。
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