第16話 死装束

文字数 17,897文字

天正十九年 -死装束の男-

 小田原征伐の翌年、北条の遺領を埋めるための大規模な国替えが関白によって発令された。
 まず、北条と並ぶ最大勢力の徳川は駿府から江戸へと移り、関東一帯を任せられることになった。奥州を平定した伊達は、小田原への遅参に対する罰として獲ったばかりの会津を召し上げられ、米沢以北の旧領のみを安堵させられている。他の大名への示しをつけるための仕置きであった。
 伊達が統一した会津には織田家臣時代から秀吉の同僚であった蒲生氏郷が入り、徳川と並んで奥州に蓋をする形になる。伊達政宗は北の地に封じ込められたのだ。
 真田家はといえば、小田原討伐の功績が認められて信濃の地と沼田城を安堵された。今度こそ、沼田は真田領として正式に認められたのである。
 源三郎は徳川領に隣接する沼田城の主となり、上田城は昌幸がそのまま知行となる。
 しかし喜ぶべき事ばかりではなかった。
 茶々が産んだ秀吉の子・鶴松が年明け早々に病を発病し、半年にわたる治療や祈祷の甲斐なくその年の葉月に逝去したのだ。
 わずか三年という短い生涯であった。
 身分の貴賤を問わず、子が成人することが存外に難しかった時代ではあるが、それでも多くの側室を抱えながら男子に恵まれなかった秀吉が晩年になってようやく授かった嫡男を喪った落胆は大きかった。
 ひと月も経たぬうちに秀吉の容貌は衰えた。髪が抜け落ち生気も大きく衰え、一気に老人の風貌へと変わってしまったのだ。
あのように気落ちしてしまっては、もはや次の子は望めまい。大坂の家臣の間にはそのような諦めの空気が漂っている。
 子を喪った悲しみは茶々も同じ筈。茶々の胸中を思うと源次郎も胸が締め付けられる思いであった。

 「お役目ご苦労様でございます。真田源次郎信繁が妻・安岐、茶々さまのお召しにより参りました」
 聚楽第の奥の間。本日の宿直番は賤ヶ岳の七本槍の一人、片桐且元であった。秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた頃からの直参兵だが、今では事務方として秀吉の側に仕えている。籍だけはまだ馬廻衆にある源次郎とも顔見知りであった。
 「ああ、話は聞いておりますゆえ、ただいま取り次いでまいります……して、そちらの女性は?」
 「わたくしの伴でございます。お悔やみの品を持たせてまいりましたが、何か?」
 片桐は安岐の後ろで控えめに顔を伏せた侍女を訝しげに眺めた。頭巾で顔を半分隠した侍女は恥ずかしがる振りをしてさらに顔を伏せる。
 「いえ、真田源次郎どのに随分と似ておられるような気がしましたので」
 「あら。お分かりでございますか?」
 「えっ?」
 「この者は旦那さまの従妹にして乳兄妹の繁と申します。真田の一族ですもの、旦那さまに似ていて当然でございますわ」
 さちの機転に、片桐が「おお」と膝を打つ。
 「左様でございましたか。これは失礼いたしました」
 片桐は「しかしよく似ているなあ」と妙な感心をしながら奥の間へ取り次ぎに向かう。安岐と源次郎…繁は顔を見合わせて小さく頷いた。

 「ああ、さち。それに繁……よく来てくれました」
 幾分痩せた茶々は、こけた頬で笑顔を作って迎えてくれた。
 「おなご同士で語れることほど、今のわたくしにとって心休まる事はありませぬ」
 部屋には香が焚かれていたが、子の誕生に狂喜した秀吉が全国から買い集めた玩具の類はすべて姿を消していた。現実から目を背けることもまた、今の茶々には必要なのだ。
 「お茶々さま、このたびの鶴松さまのことは……」
 悔やみの品を前に進めて哀悼する夫婦を前に、茶々は久方ぶりに気心の知れた者だけで会えた安堵からやや放心ぎみに『ありがとう』と頷いた。
 「鶴松の生は、まこと儚いものでございましたわ。ようやく、わたくしの事を『かかさま』と呼ぶようになってくれたばかりだというのに……ですが、悲しんではいられませぬ」
 「と申しますと」
 「わたくしは、必ずや次の子を産んでみせますわ。『わたくし』の血を引く者を育てることがわたくしの生きる意味であり目的である以上、わたくしは泣いていられぬのです。次の子は鶴丸の分まで生きられるよう丈夫に、立派に育て上げてみせますわ」
 ああそうだ、と源次郎は改めて感じた。小田原で家臣に見せた姿といい、彼女はどのような試練でも悲嘆でも乗り越えて次へと進まなければならないのだ。強く、したたかに。
 だが、今は。
 「お茶々さま。どうぞ今ばかりは……」
 さちが茶々の手を取る。茶々はその手を両手で握り返して顔を伏せた。さちはさらに茶々を抱きしめる。
 「……ありがとう……」
 女でありながら女の心の機微をよく分かっていない繁は、ただ黙って茶々が泣く姿を見つめるしかない。
 「……そういえば、源次郎は近々九州肥前へ参るそうですね」
 ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻した後。茶々は気をとり直して訊ねた。
 「はい。名護屋の地に城を普請するよう命じられまして、父とともに下見に参ります」
茶々が心を痛めている時期に自分が傍で支えられない歯痒さと申し訳なさを謝罪すると、茶々は長い髪を左右に揺らした。
 「それは、あなたに謝っていただく事ではありませんわ。……すべて、わたくしが殿下に薦めたことです」
 「茶々さま?」
 「そう遠くない先、殿下は大陸に兵を出すおつもりなのです」
 「!!」
 小田原を攻める前から何となくの噂はあったが、こうして秀吉に近しい者の口から聞かされるとやはり驚きは否めない。何より、昨年小田原を攻めたばかりだというのに早すぎるのではないか。
 「平定から日の浅い日ノ本は、まだ国力を蓄えるべき時期であるとわたくしは考えます。ですが殿下はそうは思っておられない……ご自分に残された時間がもう少ないため、焦っておいでなのですわ」
 「……失礼を承知で申し上げれば、無謀でございますね」
 準備万端に整えた戦であっても、敵の力が勝っていれば敗ける。それを充分すぎるほど知っている筈の秀吉にしては軽率すぎるのではないかと源次郎は考えてしまった。敗ける戦にだって兵力は投入され、大勢の命が犠牲になるというのに。
 「そこへ鶴松の件。殿下は憔悴なされ、世の無常を怒り、そして自棄になってしまわれました。ですが大陸に渡る名分を見出せる兵など今の日ノ本にはそう多くありますまう。国の疲弊も大坂城の求心力の低下も心配ではありますが、だからこそ、わたくしは信のおける者には生き残って欲しいのです。源次郎にも」
 「それで、私には城を普請するようにと?」
 「城は、普請した者が守ることになるのが通例と聞いております。急ぎで普請した城なれば、戦の間にも工事は続くことでしょう。源次郎と安房守どのがその事業に携わっていれば、大陸に渡ることはありますまい」
 武功を挙げる機会を奪ってしまって申し訳ない、と茶々は率直に詫びた。しかし、と強調する。
 「源次郎の。あなたが力を振るう時は必ず訪れます。それまで、どうか健勝であらせられませ」
 「いえ。お心遣い、まこと感謝いたします」
 大陸への出兵は、さすがの源次郎も前線行きを命じられたら躊躇してしまうだろう。主や国に殉ずる心はあくまでその戦が後の世に有益である場合のみ起こるものであって、そうでない戦いで無駄に命を散らすことはしたくない。少なくとも、真田家で兵を動かす際にはそのことを充分に考えて最も犠牲が少ない方法を常に模索していた。それゆえ、茶々の配慮は有難かった。


 「現実問題として、お世継ぎだけはきちんと定めておかなければならないのですけれどね……」
 北政所の屋敷。遣いで訪れるうちに源次郎が気に入ったのか、北政所はよく本心を漏らしてくれる。
 「鶴松の件は残念でしたけれど、太平の世は続いてなんぼのものですわ。あのひとがしっかりしてくれないと……ほら、もうあの齢だし」
 「そのような……殿下にはまだまだ関白として日ノ本を束ねていただきとうございます」
 「うふふ、お世辞はいいわよ。天下人がいつまでも呆けていては各地で戦の火種が起こりかねない、しゃんとしなさい、とお尻をひっぱたいたばかりですから」
 「左様でございますか……」
 たおやかで雅な女性が天下人を叱咤する。そればかりは、さすがに茶々では出来ないであろう。
 複数の妻を持つ男の気持ちは源次郎には理解できなかったが、秀吉にとって寵姫と糟糠の妻はまったく別の立ち位置にあるのだろうか。
 はたして秀吉はどちらを最愛と呼ぶのだろうか。そもそも、どうやったら最愛の存在になれるのか。少なくとも自らを犠牲にして尽くすことが全てではないらしいのは、ぼんやりと見えているのだが。
 考える源次郎の脳裏に伊達政宗の顔がちらついた時。
 「叔母上、干し柿が届いたのでお持ちしました。ご一緒にいかがですか?」
 まだ袴捌きも板についていない若侍が籠を持ってもたもたと駆けてきた。
 「あら金吾。よい柿ねえ」
 「秀次兄さまからいただきました。ぜひ叔母上とご一緒にとお手紙にありました」
 金吾。その名を聞いた途端、源次郎は数歩下がってひれ伏した。
 この屈託のない少年は、今や大坂城で幾多の大名や武士をざわつかせているのだ。
 北政所の甥である金吾少年は、会話に登場した秀次こと羽柴秀次…秀吉の姉の子と同じく豊臣の一族だった。そして、鶴松が逝去した今は秀次とともに秀吉の後継者候補の一人に浮上している。
 年齢や秀吉の血筋に近いといえば秀次、しかし秀吉は自分の言うことをよく聞く金吾を気に入っているといわれる。
 どちらを後継に指名するかは関白の胸一つなのだが、大名たちはいつ「その時」が訪れても良いようそれぞれに取り入り、裏では情報交換をして自らの出世に繋げようと奔走しているのだ。
 もっとも、当人たちはそのような思惑などどく吹く風で兄弟のように仲良く暮らしているのだが。
 「源次郎や。ここはお城でも聚楽第でもないのですから、そのように畏まる必要はありませんよ。一緒にいただきましょう……金吾、千世に新しいお茶を頼んできてちょうだい」
 「は、はい!」
 なぜか背筋をびしっと伸ばした金吾が廊下の角へ消えていく。
 ややあって、桜色の着物をまとった幼女が茶を運んできた。所作を学んだばかりなのだろう。一つ一つを確かめるように茶を出した後、北政所に「よくできました」と褒められて顔を明るくする様は無垢そのもので愛らしい。
 「この子は千世といって、まつ殿から預かったのです。見てのとおり、まつ殿そっくりで器量のよい子……お豪のように、いずれは然るべき武家に嫁がせるべく行儀を仕込んでいるところですよ」
 豪姫と千世姫。前田利家の二人の娘は、子のない秀吉と北政所のもとへ養女に出されていた。姉の豪姫は大坂城で一、二を争う美男子として侍女たちからの人気が高い宇喜多秀家に嫁いだが、千世姫にも秀吉の信が篤い宇喜多に並ぶくらいの良縁をと願っている様子である。織田家臣であった頃から信頼関係を築いてきた北政所とまつ、打算のない関係だから為せる業であるようだが。
 ふと廊下の角を見やれば、先ほどの金吾が柱の陰から顔を出して千世を見染めている。どうやら、金吾が北政所の屋敷に出入りしているのはこの姫が目当てらしい。
 「これ金吾。覗き見などしている暇があったら朝の講義の復習でもしなさいな」
 「……はい」
「金吾は先に亡くなられた義兄上さま(豊臣秀長・秀吉の実兄)の丹波領を引き継いでおりますし、どちらかというと雅なものを好むので公家の相手に向いているようですわ。孫七郎(秀次)は国内の政で忙しくなるでしょうし、金吾の才を伸ばしてあげられれば孫七郎と力を合わせて豊臣の中心として活躍できるでしょうに」
 そうすれば千世の相手としても…でもまだまだですわ、と北政所は笑った。
「男の甲斐性が何であるかは、おなごの数だけ価値観がありましょう。わたくしのように少々頼りない者を支えることに喜びを見出せるか、それとも表には一切出ずに奥の役目に専念することを良しとするか。向かい合って議論をかわす夫婦というのもあって良いと思いますわ……けれど、今は関白とわたくし、あるいは犬千代殿(前田利家)とまつ殿のように互いの価値観が一致して結ばれることなど殆どない時代。難しゅうございますね」
 実際、金吾が秀吉の後継として関白になれていれば、その思いも成就する筈であったのだが。


 源次郎が肥前へ渡ってから間もなくして、秀吉は唐突に実姉の子・秀次を養子として迎え入れた上で関白の座を譲り渡すと宣言し、自らは太閤と名乗って院政を敷いた。秀次は源次郎と同年代の若き侍である。
 最終的な決め手は血縁である。自分の子を世継ぎに出来ないのなら、せめて豊臣の血だけは残したい。その思いがどうしても拭えなかったのだ。
 その代償と言っては語弊があるかもしれないが、金吾は中納言の官位を授けられた上で毛利元就の三男で筑前の領主、小早川隆景の許へ養子に出された。これは中央に後継候補の片方が残っていては、二人の間、もしくは太閤と金吾の間に些細な行き違いでもあった日には各国の勢力を巻き込んだ禍根にまで発展しかねないと懸念した黒田官兵衛の機転によるものらしい。
 敗れた側は早々に都を出て慎ましく生きる事、それが金吾本人の身を平穏にするための最善の方法であったのだ。

後継を定めた太閤は自らの住まいであった聚楽第を気前よく与えるなど破格の待遇で秀次を迎えた。だが大名たちが驚いたのは、太閤の側室であふれていた聚楽第が秀次の代になっても賑わいを失わなかったことである。英雄色を好むという言葉がしっくり来るという点において、秀次はまごうことなく秀吉の血筋であった。太閤も賑やかな聚楽第を見て「さすが儂の甥よのう」と笑い飛ばしたという。
 秀吉は側室を連れて聚楽第の東、伏見に完成した城に移り、我が子を失くした淀には慰めの意味をこめて伏見と同時進行で修復を急いでいた淀城をまるごと与えた。もっとも、茶々は伏見城に暮らすので淀城の方は実質秀吉の別宅となる。
 関白の後継がすんなりと決まったことで大坂も京も少しは静穏を取り戻すと思われたのだが。
 太閤が正式に後継を定めたことで、早くも新しい関白に気に入られて威光を取り込もうと躍起になっている勢力が出るかたわら、まだ『もしも』の可能性を考え静観している者もいる。
 五十も半ばを過ぎて老け込んだとはいえ、まだ子を為すことが出来なくなった訳ではない。実際、小田原討伐の直後にも、かの忍城に最後まで籠城した成田氏の若き姫を人質という名の側室に迎えているくらいなのだ。『もしも』茶々を筆頭にした側室の誰かが男児を産めば、歴史に何度も登場する実子と猶子の間で周辺勢力を巻き込んだ大きな権力争いが起こることは必至であった。下手をすれば、若い後継者を担ぎ上げて天下を揺るがそうとする勢力が新たな戦の世を刻んでいく可能性だってあり得るのだ。
そのような後先を考えることも出来ないほど、老いと焦りは太閤の判断力を奪っていたのである。


 沼田城の主となった源三郎は家康からの要請により京都における徳川家の執務の補佐を任される事となり、稲とともに京の真田屋敷に移り住んだ。沼田城は矢沢翁と頼康親子が、上田城は村松の夫・小山田茂誠が城代を務めている。
 ひとつ屋根の下、気楽に行き来できるようになった真田の妻達は仲良く市場見物に出かけたり、華やかに楽曲を奏でたり絵巻物の話題に花を咲かせるようになっていた。ともすると醜聞にも発展しかねない嫁姑の世界は、真田家に限っては幸いにも無縁であった。
 働き者の稲は、屋敷の庭の一画に畑を作って自ら野菜を育てていた。収穫した野菜は庶民と同じように干し野菜や塩漬けにし、冬への備えとするのだという。
 一見すると武士の領分ではないように思えるそれらの作業も、実は戦に備えるという点で非常に有益であったのだ。小田原がそうであったように、この先何らかの事情で籠城となった場合でも、城の中で作物を作ることができれば保存食と併せて当面の食糧は確保できる。上田から連れてきた地侍たちにとっては土をいじる時間が息抜きとなっていたし、身体の鍛錬にもなる。
 「義姉上、わたくしも手伝いますわ」
 立春を過ぎてほどなくしたある日、まだ融けない庭の雪をかきわけた井戸端で漬物を洗っていた稲のもとへ、さちが現れた。
 本当のところ、さちは体が弱いため屋内で本を相手に育ったので殆ど台所仕事をした事がなかった。しかし同じ姫育ちでありながら、稲は何でも自分で行ってしまうのだ。掃除も水仕事も、まるで苦にすることなく女中に混じってすべてを楽しんでいる。さちにとってはそれが驚きでもあり新鮮でもあったし、気さくな稲は源次郎…繁に次いで第二の姉とも呼べる存在であった。
 「助かります。それにしても、こちらも上田もよい水が流れておりますね。茶を点てればとてもやわらかい味になりますし、お野菜も美味しゅうござりまする」
 「しかし、水は冷たいでしょう」
 「いえ、冬の厳しさがあるからこそ春の楽しみがあるというもの。昨年上総国に移った父からの文では、あちらではもう菜花が咲いたとか。こちらに春が訪れるのも、もう間もなくでございますわ……そうそう、上総国には春を待つための食べ物があるのですって。父上ったら余程感動したようで、丁寧にも作り方を絵に書いてくださって……存外簡単にできますゆえ、一緒にこしらえてみましょうか。ああそう、今日はお天気も良いですゆえ、みなさん揃って外でいただきましょう」
 稲はてきぱきと侍女たちに指示を出し、屋敷の庭に茶会用の緋毛氈と笠を用意させた。その間に、さちと一緒に台所で調理にかかる。
 呼ばれて席についていた義父母の昌幸、山手に加えて源次郎や源三郎は、眼前に運ばれて来た昼の膳を見て思わず感嘆の声を上げた。
 さちと稲がこしらえたのは、切り口が花の絵になる巻き鮨であった。小豆や青菜の煮汁で飯を赤や緑色に炊き、その飯で花や葉となる細巻を作って組み合わせた後に青菜の塩漬を使って全体を巻くのだ。この発想と美しさは信濃にはなかったものである。
 「上総国では海藻を干したものを使うそうなのですが、こちらでは青菜の塩漬を巻いてみました。庶民の食べ物ではござりますが、みなこうした彩りを暮らしに加えることで春を待ちながら過ごすのですわ」
 「花の咲かぬ季節であっても、楽しむことを忘れなければ幸せな気持ちになれますのね」
 「ええ。心の豊かさが己に幸をもたらす、わたくしは父からそう教わりました」
 稲はそれが当たり前であったように告げると、煮汁を取った残りでさちがこしらえた小豆の煮物に箸をつける。こちらは甘蔓で炊いた京風の味つけであった。異なる文化の交流が、小さな食卓で実現している。義母にあたる山手も、それらの味を喜びながら舌鼓を打っていた。
 「ほんに、真田の家は嫁に恵まれて幸せですわ。ねえ、殿」
 「おう。器量といい働きぶりといい、倅たちには勿体ない嫁じゃ」
 「あら、わたくしでは塔が立ちすぎてご不満?」
 「いやいや、そういう事ではないぞ山手。かように出来た嫁を迎えられたのも、おまえが子供たちをよく躾けてくれたからだと感謝しておる」
 「うふふ。お褒めのお言葉、有難く頂戴しておきまする」
 昌幸の口の端についた飯粒を取って自分の口へ運ぶ山手を、稲とさちはにこにこしながら見ている。
 「わたくし達もお義父さまやお義母さま、そして殿のご理解やお優しさがあるからこそこうして伸び伸びと暮らしていられるのです。殿をそのようにお育てくださいましたお義父さまとお義母さまの慈しみ深いお心には、いつも感謝いたしております」
 「まあまあ。お上手ですこと」
 「心からそう思うておりますわ。ねえ、さちどの」
 「はい。このように温かい家族とご縁をいただき、嫁いで来られて良かったと心から思います」
 「そう言っていただけると嬉しゅうございますわ。本当にわたくしは幸せ者です。どうか、末永く息子たちを頼みますよ」

 食事の後、妻三人が源次郎相手に女物の打掛や帯を持ち出してはあれやこれやと着飾らせて楽しんでいる様を、先に食事を終えた昌幸と源三郎が西櫓の下で眺めていた。
 「頼もしい嫁たちであるな。あれならば留守を任せても大丈夫であろう」
 顎鬚をしゃくった昌幸に、信幸が目を見開く。
 「父上、ではまた戦が」
 「太閤が大陸に出兵するという噂、いよいよ現実のものとなりそうだ」
 「それは…かねてより太閤が大陸に要請していた入貢の要請が決裂したということですか」
 「予想していた結果ではあった。歴史の長さという点において、大陸は日ノ本よりも長く積み重ねたものを誇っておる。古来から日ノ本が大陸に学んで今の繁栄を築き上げたことは事実であるし、大陸は大陸で日ノ本を『倭』と呼んでおるのだから、その日ノ本に対して大陸から入貢などとんでもない話だと撥ね付けるのは至極当然だ」
 農民から武士社会の頂点に上りつめた秀吉の野心はとどまるところを知らなかった。
はるかな太古の昔、大陸に『日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや…』という書状を送りつけて当時の隋王を激怒させた厩戸皇子ことのちの聖徳太子は、複数の者が同時に主張する声を聴き分けてそれぞれに適切な返答をしたことから『豊聡耳(とよさとみみ)』と呼ばれていたが、もしかしたら太閤の『豊臣』姓の謂れのどこかにもその逸話が関連しているのかもしれない、と考えるのは勘ぐり過ぎであろうか。
 ともあれ、日ノ本の中でも最下層で辛酸を舐めてきた身から天下人に成り上がった太閤は、今度は日ノ本を格下に見ている大陸を支配せんという野望をついに果たす決断を下したのだ。彼に従う全国の武将に、反論や拒絶の余地はない。
「源三郎の許へも、遠からず出兵の要請が来るであろう……もっとも」
 昌幸は顔を上げて南の方角を見た。
 「昨年からわしと源次郎は九州に渡って下調べをしておったが、先日、豊前名護屋城を普請するよう正式に命じられた。城の普請に関わっておれば前線に放り込まれることはない。そして徳川は自分の与力をできるだけ温存しておきたいようだから、源三郎についてもおそらく徳川が太閤に働きかけて京都か九州で後詰として待機になると私は踏んでいる。待機中に戦が終わってくれればしめたものだ」
 「それは良かった。大陸の先鋒となれば危険も多うござります。それに奥も心配しますゆえ」
 「そりゃあ危険さ。あの加藤肥後守の後について戦えるか?」
 「加藤肥後守清正さま……あの、豊臣きっての武闘派で知られる猛者でございますか?」
 「その加藤だ。虎之助の名が体を現すがごとく根っからの『いくさびと』だから、小田原では戦い足りなくてうずうずしておろう。出兵の際には自分の隊を一番に上陸させて斬り込ませてくれと太閤に直談判したそうじゃ」
 「それ程の気合いを……さすがに、私には荷が重うございます」
 「わしも御免じゃ。だから、此度は九州で適当におろおろしておくつもりじゃ」
 しかし問題はその後だ。昌幸はすでにその先を読み解きにかかっていた。
 大陸出兵においては、既に西の石田三成や大谷吉継が先頭に立って準備を進めている。特に石田は、先の小田原征伐の際に忍城を攻め落とせなかったという負い目から今度こそは武功を挙げると意気込んでいた。しかし徳川家康は大陸出兵に慎重な姿勢を崩さない。結果として太閤自身が大乗り気であるため号令は公布されたが、戦がどのような結果になるにせよ、両者の温度差が戦後に軋轢を残すことにならなければ良いのだが。
 石田は昌幸の義妹の夫であり、大谷は源次郎の義父。そして源三郎は徳川家に属する。もしも徳川と石田が対立すれば、真田も微妙な立場となるのだ。
 「まったく、戦をなくすためと銘打って小田原を落としたと思えば次は大陸とは。本心では永遠に戦が続けば良いと考えているのだろうな」
 「いかな太閤殿下でも、さすがにそれはないでしょう」
 「いや。人というのは変化を求めるようでいて実は保守的な生き物なのだ。太閤は戦の中で人心を掌握して今の地位を築いたゆえ、戦がなくなった後の体制をどうするべきか決めあぐねているのやもしれぬ。共通の敵を次々と作ることで、強引に日ノ本をまとめているのだ」
 その大陸出兵だが、いかな太閤といえどもこればかりは無謀であると昌幸は読んでいた。遠い鎌倉幕府の時代、二度にわたって元国の大軍を追い払ったという神風が、神仏を蹴散らすような者に吹くことはあるまい。
 それに、太閤もはや六十に届く年齢。大陸出兵による国力の低下と太閤の身罷りという日の本にとっての新たな局面は、どちらもそう遠くないうちに訪れるだろう。
 そうなった時、徳川が黙って指をくわえているような大人しい態度を取るだろうか。
 もしも事を構える場合、真田はどう動くべきだろうか。
 すでに老兵の域にさしかかった昌幸の…真田家の前には、まだまだ渡らなければならない危険な橋がいくつも架けられているようであった。


 立夏を迎えた頃。
 「伊達越前守政宗に謀反の怖れあり」
 城内の事務方が集まる広間にて、石田三成はそう読み上げた。
 集められた家臣たちは一様にざわめく。
 「蒲生が治める会津にて、領民の一揆を煽動した疑いがあるそうだ。会津は伊達が攻め落として間もなく召し上げられた土地ゆえ、話に矛盾はない」
 日ノ本の裁き事を取り仕切っている大谷刑部が三成の言葉を引き継ぐ。
 「そのお話、訴え出たのはどなたでございますか?」
 つい質問した源次郎に、大谷は「蒲生だ」と答えた。
 「私から送った問い質しの文に対して越前守は申し開きの機会を求めてきたが、太閤殿下はそれをお許しになった。伊達は既に米沢を発っているそうなので、あと数日のうちには京に入るであろう」
 一揆の煽動は謀反と同罪、咎ありと認められれば死罪である。
 先の惣無事令違反と併せて激昂していてもおかしくない太閤が申し開きの機会を与えたということは、おそらく大谷刑部が上手く太閤を説得したのだろう。
 つまり、大谷も石田も此度の件には裏がある可能性を読み取っているのだ。
 「源次郎、伊達一行を伏見城まで案内せよ」
 大谷がもっとも信頼を置いている源次郎を指名したということが、城内にも伊達越前守を陥れようとする者が居る可能性を裏付けている。
 謀殺には気をつけろ。
 政宗はつくづく敵が多い男らしい。若干二十三歳にして奥州平定を成し遂げた力量、誰もが斬り捨てられると疑わなかった小田原で太閤に気に入られた才覚は、見る者が見れば面白くないどころか脅威に映るのだろうか。

 張りつめた空気の中でのお役目とはいえ。
 小田原での手合せの件もあるし、その後の宴席で演じた失態がどのようなものであったか源次郎自身まったく思い出せないのだ。記憶がなくなるまで泥酔した上で別れた相手に、どんな顔で接すれば良いというのだろう。
 源次郎が悩みながら長浜城に到着した翌日には、奥州から『竹に雀』紋の一行が到着した。
 太閤のもとへ赴くにしては、ずいぶんと質素な行列である。人数も少なければ、馬具も調度品も地味である。太閤より絢爛豪華に振る舞うのも良くないが、あまり質素すぎる行列は例えるなら裃を着けず普段着で太閤に会うようなもの。それではまた太閤の怒りを買うのではと源次郎は心配になったが、列の中心で馬にまたがり到着した政宗を見た途端そのような心配はまったく小さなものだと思わざるを得なかった。
 政宗は、小田原の時と同様に白無地の小袖を身に着けていた。小袖の後ろ襟は内側に縫いこまれ、胸元はきっちりと左前に。
 武士なら誰もが一着だけつづらの奥に仕舞い込んでいるが、絶対に纏いたくない着物を政宗は大胆にも纏っていた。そして、政宗のすぐ後ろに付いていた馬が曳く板車には白布で包まれた塊。中身を検めるまでもない。それは十字形をしていたのだ。
「……そなたは死に装束が好きなのか?」
 出迎えの挨拶も頭から吹き飛び、源次郎は開口一番そう訊ねずにはいられなかった。
 小田原の時といい、此度といい。
 政宗の出で立ちは、まさしく切腹の装束だった。切腹と違ったのは、本来一緒に纏うはずの浅葱色の裃がないこと……つまり政宗は、切腹か手討ちか磔か、太閤が望む死に様を受け入れる覚悟だと解釈して良いのだろうか。ご丁寧に、磔用の十字架まで持参して。
 「まさか、その恰好で奥州から旅をしてきたのか」
 「ああ。越後の上杉も目を丸くしていたなあ。今頃、そこらの間者が各国に文を持って走っているだろうさ」
 「そのような……わざわざ不名誉を吹聴して歩くような真似ではござらぬか」
 伊達政宗という男は、本当に源次郎から言葉を奪う男だった。意表を突くという点では日の本の誰にも劣らないだろう。小田原での行幸以上に強烈な練り歩きを見せるとは。
 しかし、と源次郎は気を取り直した。政宗がただの戯れでそのような真似をする男でない事は分かっているつもりだ。
 「そなたに懸けられた嫌疑は真なのか?」
 「あれはとんだ赤っ恥にして濡れ衣なんだけどなあ……どうしてこう、俺は敵ばかり作っちまうんだろう」
 「聞かせていただいても良いでござるか?」

 源次郎はあらかじめ用意されていた伊達家の者たちの宿所……地下牢へ彼らを案内した。
 かけられた嫌疑の内容を丸ごと信じてはいないが、まだ疑いが晴れた訳でもない。京に近づいたところで謀反を起こす可能性も無くはない、ゆえに地下牢だ。三成が源次郎にそう命じたのだ。
 冷たい土間に莚を敷き、せめてものもてなしと茶を点てる。
 これから死にに行く割には一服して『はあ、生き返ったぜ』とうそぶいた政宗は、土壁にもたれかかると切り出した。
 「俺の国で引き受けた北条の残党が、この俺が津軽九戸における農民一揆を煽動した疑いありと蒲生の奴に適当な報告をしやがった。蒲生は俺の見張り番として会津に飛ばされたようなもの、辺鄙な田舎暮らしが厭で京に戻してほしくてたまらない時にその報告だから、それはもう鬼の首でも獲ったかのように勇んで太閤に報告しちまって…ったく、始末に負えないぜ」
 「一揆は太閤に対する謀反と同じでござるぞ」
 「だから出頭命令が出されたんだ。大谷刑部が間に立って、弁解できるもんなら太閤の前でしてみろ、ってな」
 「しかし、そのような重大事であれば通常は充分な詮議がなされて裏付けを取られるであろう。無実であればその時点で誤報として片付くはず」
 ならばきちんと説明をすれば分かってもらえる……と言いかけた言葉を源次郎は飲み込んだ。それが出来ていれば、政宗がこのような出で立ちで京まで旅をする必要はないのだから。
 有能な石田三成や大谷刑部は太閤に絶対の忠誠を誓ってはいるが、かといって個人的な感情を仕事に挟んだり、地方大名が敵を陥れんとして流した噂や出まかせをそのまま鵜呑みにして太閤に報告するような杜撰な仕事はしない。彼らが事前にきちんと調べた上で信憑性があると判断した場合のみ太閤に報告、本人からの弁明を聞く筈であった。政宗が出頭にまで至ってしまったのは、彼らをもってしても有実も無実も証明できないと判断されてしまったからに他ならない。
 だから、後は本人の口から弁明させようとしているのだ。
 「そなたのような男が、出頭になるまで事を知らずにいたとは思えぬが?」
 「だから赤っ恥なんだよ。俺が裏で手を引いている『証拠の文』とやらが太閤の手に渡っちまったらしい。密告した奴は蒲生のところへ駆け込んだっきり戻らないし、蒲生は蒲生でぎゃんぎゃん騒いでる。きっと奥州征伐のきっかけを与えた手柄とか何とか言って大坂に戻してほしいんだろうな」
 「証拠、って……ではまさか本当に一揆煽動を」
 「そんな馬鹿な真似するか。農民の手は畑を耕すためにあるものだ。本気で太閤と喧嘩したかったら、一揆なんて回りくどい真似などしないで正面から乗り込んでやるさ」
 「……そう、だったでござるな。そなたはそういう男だ」
 「が、それも生きてなんぼの話だ。太閤に弁解しに行くのに派手な南蛮柄の羽織なんか着て行ったら、無実も真実になってしまうだろ。俺には『前科』があるから、せめて恰好だけはしおらしくしておかねえと」
 「では、その証拠を覆すつもりで申し開きに赴かれるのか」
 「まあな。俺が書いた文を証拠にしているらしいが、俺はそんなもの書いた覚えはない。だが花押まで使われているとなると……俺が自ら行って弁解するしかないだろ」
 「花押まで……しかし、花押を偽造されたなればそれを立証するのは難しいのでは」
 花押とは重要な文書を取り交わす際に本人と証明するために記すサインのようなものであった。形は自らの名の略字に陰陽道や信仰する宗派、一族伝統のひな形を用いたものなど個人によって異なるが、印章ではなく自署のため手本さえあれば模倣が可能なのである。ゆえに、それを模倣されてしまえば偽物であることを証明することは至難の業であった。事実、模倣した花押を用いた密書を偽造され冤罪を証明できないまま切腹に追いやられた武士も存在する。
 「まあ、偽造を証明して太閤に無実を納得させられなきゃ死罪だろうな」
 だから死に装束に十字架なんだ、ため息まじりの政宗の言葉は投げやりだった。源次郎はつい膝を進める。
 「伊達どの。私が力になれはしないだろうか。大谷刑部どのは私の義父でもあるし、石田さまとも縁戚にある。どうにかして太閤への取り成しを頼むことも……」
 「おまえなあ、まだ修行が足りねえぞ」
 源次郎の申し出は、政宗の扇でぱちりと額を弾かれる形で却下された。
 「いいか。今回のような場合、取り成しを頼んだ時点で自分の罪を認めたのと同じになるんだ。それじゃ申し開きの意味がなくなる。そうして俺のやったことが事実だと判断されれば、謀反人の肩を持って取り成しをした者もみな同罪。徳川くらいの大狸になれば裏で手を回してどうにかできるかもしれないが、真田くらいの小国で同じ事をすれば何かの言いがかりをつけられ共犯とみなされても文句は言えないぞ。くだらん同情と考えなしの行動は国を滅ぼす、覚えとけ」
 「……では、手を回せなかったからそなたは斬られるのか……」
 「ふふん」
 政宗は、そこで不敵に笑った。話を聞いた源次郎のほうが絶望してしまいそうな状況なのに、政宗は勝算どころか駆け引きを愉しむだけの切り札まで持っているらしい。落ちたり上がったり忙しい男だ、と皮肉を言いたくなる気持ちを源次郎はこらえた。
 「あんたのところの親父もそうだが、国主ってのは一歩足を進めるごとに落とし穴があると思うくらいの覚悟で進まなきゃならねえんだ。無事に渡りたいなら、あらかじめ落とし穴を渡る板くらい敷いておくべきだろ」
 「?」
 「北条の残党を引き受け、蒲生が米沢に来た時点で一度くらいはこういう事があるだろうと踏んでいたさ。用意は周到にしておくに越したことはないってな」
 そこで政宗は声をひそめ、『この恰好は、そのための演出だ』と源次郎に打ち明けた。死を覚悟しての申し開きとなれば、太閤をはじめとした腹心連中の心証は随分と変わってくる。
「期待に沿えなくてすまないが、今回は結構危ない橋だからな。……それとも、今話したことを密書にでもして太閤に送るか?」
 「いや……もはや何も申すことはないでござる」
 政宗が言うまでもなく、以前の信繁だったら源次郎の腹積もりを知った時点で太閤への文をしたためていただろう。だが今はそんな気も起らなかった。そんなことをすれば、自らの秘密も暴かれてしまいかねない。
 いや、自分の秘密がどうというのもまた違う。
 政宗が自らの保身のために他者を陥れようとする男でない事はよく分かった。もしそのつもりがあったとしても、政宗にはそのような小手先のごまかしは必要ないだろう。これほどまでに大がかりな支度で大坂へ入ろうとするくらい、彼の視線はもっと高いところから世情を俯瞰しているのだ。源次郎は、ただただ感服するしかない。
 狼藉を働かれた上に恥まで晒した相手にそう思うのは癪であったが、源次郎は政宗という人物を認めざるを得なかった。何もかもが、自分の知っている…あるいは自分が出来る次元とは違うのだ。
 そして。源次郎は政宗が羨ましくなった。自分には到底真似のできないことをさらりとやってのけるその力量。これまで知り合った誰とも違う人物像が、これまで理性で抑え込んで来た源次郎の好奇心や野心といったものを刺激したのかもしれない。その感情は、急流を船で下る時に感じる恐怖と紙一重の快感に似ていた。
命を懸けてまで予想外の行動を次から次へと思いつき実行に移す政宗が、京都でどういった舵取りを見せるのだろう。
「……そなたは、つくづく底の見えぬ男だ。そなたの振る舞いを見ていると、ただ命令に従って仕えるしかない自分が何と単純で浅はかな存在かと思えてしまう」
源次郎は素直に兜を脱ぐしかなかった。茶をもう一服所望され、言われるまま点てる。
 「あんたはそれでいいんだよ。裏表がなく有能な奴には自然と同じような気質の人間がついて来るし、誠意のある奴を多く味方につければ強みになる」
 「愚直の計、か……」
 信玄から教わった言葉がよみがえり、つい口に出していた。政宗は「へえ」と目許をわずかに細める。
 「愚直の計とは面白い事を言うな。が、あながち間違いでもないぜ。こういう世の中だからこそ、信頼に足りる奴は重宝される……俺にはそういう『徳』がないから、却って羨ましくなるな」
 「そうでござるか?」
 「ああ。絶対に裏切らないと言い切れる奴は、今の俺にとって黄金よりも希少価値だ」
 「……そこまで申されると、何やらばかにされているようにも聞こえるが」
 「褒めているんだから卑屈になるなっての。俺はおまえの生き方、嫌いじゃないぜ。いや、むしろ好きだな」
 「!!」
 好き。
 勘ぐりは禁物、それは思い上がりだと分かっていても、政宗の唇から『好き』という言葉を聞いた源次郎の胸がどくんと鳴った。たんなる社交辞令に、自分は何を舞い上がっているのだろう。
政宗を見れば、済ました顔で扇を広げて自らの額を仰いでいる。源次郎と目が合うと、左目の眼尻が人なつこく下がった。
 「ま、その調子で味方をたくさん作っておけ。これからも『武士』としてやっていくんならな」
 ……武士としての好意であったか。
 感づくのと確信するのとでは、心が受ける損害が異なる。
落ちたり上がったり忙しいのは自分も同じだ。またしても政宗にしてやられた源次郎は、ひっそりと肩を落とす。


 自ら演出だと言い切ったとおり、政宗は京で十字架を使わずに済んだし、白装束を汚すこともなかった。
 「源次郎も大儀であったな」
 大坂城の大谷家。三成も一緒に居室で酒を酌み交わしていたところで、大谷はククッと笑った。このところ疲れが溜まりやすくなったという刑部少輔は、座椅子と脇息に体を預けている。
 「かように派手な上洛は初めて見たぞ。奴は見事に殿下のお心を掴みおった」
 三成は苦虫をかみつぶした顔である。
 「たしかに、顔から火が出そうでございましたが……」
 案内役の源次郎に先導されての伊達政宗上洛は、さながら祭りの行列のようであった。
 白装束の政宗は、京の入り口で下馬すると十字架を自ら抱えて堂々と大通を歩いた。市を開いていた民らが奇異な出で立ちの者達に呆気にとられて静まり返る…自分に注目が集まると、即興の狂歌を高らかに詠み歌い、見物人に笑顔さえ振りまく余裕ぶりである。
 その軽妙さにまず童が喰いつき、列の後を追って歩く。童の次は暇を持て余していた傾奇者たちが面白がって狂歌を復唱しながら踊り歩く。どこからか太鼓や笛吹きも加わって、伏見城に到着する頃には歌え踊れの大行列となっていた。
 民らに取り囲まれる中、政宗は惜しまれながら伏見城に入ったのである。
 「殿下は伏見城の天守からその様子をご覧になって、どこまでも肝の据わった悪餓鬼だと仰った」
 「民の心を味方につけた時点で、切腹はなかろうと治部も私も予感していたのだが……」
 大谷が三成と顔を見合わせた。
 「入城して太閤殿下、ならびに関白秀次さまに目通りする際、あの者は白装束を脱いできちんと整えた裃姿で殿下の御前に現れたのだ」
 「何と」
 「傾奇者よりも読めぬ男よ。我らが記録する中、あの者は持参した書状の束を取り出して滔々と弁明を始めた」

 花押から始まった嫌疑を花押にて晴らす。弁明の席でのやり取りは、源次郎も既に聞いていた。
 政宗は、まず太閤の手許にある一揆煽動の書状に記された花押を検めてほしいと願い出た。
 「その花押に、針の孔は開いておりますでしょうか」
 三成が確かめると、どの書状にも孔などない。
 「ではその書状は偽物にございます。私は、常日頃から書状の偽造を防ぐため、花押にはこっそりと針で孔を開けておるのでございます。この事は家中ですら知りませぬ。証拠はこれらの文にて」
 政宗が家中や領内の国衆に宛てた書状の束を、今度は大谷と三成の二人で検める。たしかに、それらの文すべてには花押の部分にわずかな孔があった。
 「花押を真似た者も、流石に孔までは見抜けなかったようでございますな。此度の件、これにて濡れ衣であることをお分かりいただけたかと存じます」
 「うむ……」
 太閤の視線をまったくそらさない政宗の左眼は、傍で見ていた三成がうすら寒さを覚える程の強さであったという。
 三成は念のためすべての書状をもう一度検めて裏付けを取り、沙汰を言い渡すまで数日間の猶予を取るよう太閤に進言した。
結果として、その数日間も政宗に味方したのだ。
 沙汰を待つ政宗が京の寺に逗留されている間に、会津から早馬が到着したのだ。蒲生氏郷である。
 蒲生は此度の一揆煽動騒動が誤報であったという書状を太閤に提出した。花押のからくりに気づいたのか、それとも政宗の行動は無罪を勝ち取るためのものだと察して、自らが政宗に濡れ衣を着せたと咎められることを怖れたのか。
 ともあれ、花押の件も政宗の主張どおりであると裏付けられたことで、此度の件は蒲生氏郷の早合点、一揆はあくまで民が自らの意思で起こしたものであると大谷刑部は判断し、太閤も「それでよし」とした。
 政宗は、またもや太閤から赦しを勝ち取ったのである。
 「とは言っても、あの者を奥州で野放しにしておくのは厄介だと殿下もお気づきになられたのだろう。伊達は帰参せずそのまま京にて執務に当たるよう殿下から命じられた。奥方や母御も人質として呼び寄せよと」
 「『母御は伊達が小田原へ遅参した頃に実家の羽州へ帰っているゆえ、羽州の主である最上義光に対して上洛させるよう申し渡してくれ』だそうだな……我々の仕事が増えた」
 (母といろいろあってな)
 小田原で政宗が話していたことが頭をよぎる。
 「ご母堂が実家へ戻られるとは穏やかではありませんね。病か何かでございましょうか?」
 心配した源次郎の心中を知らない大谷は、あっさり答えた。
 「いや、『親子喧嘩』だそうだ」

 蛇足ながら、蒲生氏郷は翌年の大陸出兵のため名護屋城には赴いたものの病を理由にそのまま帰京、二年後に病で死去している。口さがない者はよほど米沢城の居心地が悪かったのかなどと不謹慎に囁いていたが、蒲生の死を経てもなお米沢が伊達領に復帰することはなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み