第33話 花は薄井の峠かな

文字数 27,685文字

- 江戸 ー

 「あら陸奥守どの。病はよろしいのですか?」
 ここから七十年ほど後に播磨の浅野内匠頭が大事件を起こす、江戸城本丸御殿の大廊下。今はまだ松並木の襖絵も真新しい廊下を堂々と歩いていた伊達政宗を脇の部屋から呼び止めた春日局は、まず厭味から切り出した。
 「おや、春日局さま。……いやはや、性質の悪い風邪をひいたようでございまして、胃の腑の痛みがいつまでも止まらず苦心いたしました。齢には勝てぬものですが、この通り快癒してございます。上様にお目通りをした後、竹千代君の許にもご挨拶に伺いますよ」
 それにしても情報がお早いことで。政宗の軽い皮肉を春日局はふんと受け流す。
 「壮健なのは何よりでございますわ。そうそう、陸奥守どのにおかれましては、越前高田に随分と立派なお城を普請なさったとか。随分と羽振りがよろしいようですのね」
 「ただの親馬鹿、舅馬鹿からでございます。朝廷への参勤帰りに忠輝どのと我が娘の機嫌伺いにと当時の越後福嶋城に立ち寄った際、大雨が降っていた城内に雨漏りを受け止める桶があちこちに置かれていたのを見かねまして……大御所さまのご子息ともあろうお方が古くみすぼらしい城にお住まいと知られましては徳川家の品位に関わりますし、父親として娘が不憫でもありました。ただし幕府の財政を圧迫してはならぬと、上様のご裁可をいただいた上で我が懐にて普請いたした次第」
 「ご自分の仙台城は天守のない平城だと聞いておりますが?」
 「普請のための材木を調達していた折に城下で大火が起こりまして、民の暮らしの復旧を優先すべきとそちらに人手と材木を回したためでございます。そもそも、天守など一つの国に一つあれば充分かと存じまして」
 「奥州ならば木材も石材も思うがままでしょうに」
 「それがそうでもないのです。城下の復旧には金子も入り用となりますし、何より考えなしに山から木を切り出してしまえば大雨が降った途端に山が崩れてしまいます。さすれば民の犠牲は大火の比ではなくなりましょう。田畑も泥にまみれ、ふたたび作物が採れるようになるまで十年はかかります。そうならぬようにと先人が遺した教えを忠実に守ることもまた国主の務めであるのならば、我が城には政務を行える館と屋敷だけあれば充分でございます」
 堅実が一番ですよ、と政宗は春日局の派手な打掛けを見やりながら笑う。分を超えた身なりをたしなめられていると受け取った春日局の眉間にくっきりと皺が刻まれ、眉尻がつり上がる。
 「金は腐ることもありませぬからねえ。仙台の金山は越後まで繋がっていると専らの噂ですから、地道に掘っていけば尽きることもありますまいに」
 「ははは。それだけ豊富な金が採れていれば、亡き太閤殿下の下で行われた奥州仕置きの折にでも仙台藩は没収されて、今頃は大坂城の装飾にでも使われておりましょうに」
 春日局の言いたいことなどとうに察している政宗は、ここで先手を打った。
 「そうそう。世間を騒がせた大久保長安どのの件は既に仙台藩にて調べが済んでおります。上様には先立ってご報告に上がりました次第」
 「わたくしは聞いておりませぬが?」
 「おや。報告の書類もすべてお届け申し上げた上で吟味いただいた結果、上様からは仙台藩および伊達家は此度の件には無関係であるゆえ不問になさる旨の約定をいただきましたが?」
 「……もうよい」
 自分が蚊帳の外にされる事には特に敏感になる春日局の顔色が変わったのを見て、政宗は内心「ざまを見ろ」と舌を出した。大奥から伸ばす腕は城の大広間まで…まして日ノ本までには届かないのだと。
 「江戸も今は大坂との戦を前に大騒ぎでございますから、それ以外の些事は連絡が行き届かなくとも不思議ではございませぬ。竹千代君にもご心配をおかけしたようで、改めてお局さまにご報告いたしましょう」
 政宗は敢えて親切な素振りで述べた。
 「婿どののお家が起こした事件とあれば、婿どの、そして幕府のために我らも真相を調べ上げねばなりませぬ。事件を聞き及んだその日より伊達家においても家臣達の調査を徹底いたしましたところ、私の預かり知らぬ家中どもの酒席の場にて家臣の一人が私に渡してくれ、そして忠輝どのの後見を末永くよろしくと大久保某より袖の下を差し出された事があると申告して参りました。彼の者は受け取りを拒み、家中に徹底して調べさせたところでも罪に問えるような事実は何一つとして出て来ずじまいにございます。ですが、そうさせる脇の甘さが大御所さまをはじめとした幕府の方々に嫌疑を広め、伊達の家名に泥を塗る結果を招いたとあらば捨て置けぬのもまた事実。その者につきましては、既に我が名において知行および全ての役職を取り上げた上で武士としての身分も剥奪、奥州より追放いたしました。無論、縁故の大名家にも彼の者を登用せぬよう根回ししてございます」
 「……」
 「その上で、もし彼の者が忠輝さまの許に奔ればそれが嫌疑の真相となりましょう。ご不審あらば、どうぞ越前に監視なり何なり置いてくださいませ。ただし」
 政宗の左眼が春日局の言葉を抑えた。
 「忠輝さまの後見は大久保某より言われるまでもなく私の役目と存じております。娘婿である以前に大御所さまのお血筋でございますゆえ、私もこれまで同様に越前へご機嫌伺いに参上いたします。このことについては、既に上様よりご裁可をいただいております」
 「抜け目のないこと」
 「上様の寛大なお心に感謝してもしきれませぬよ」
 将軍が認めた時点で、もはや春日局に曲げられるものは自らの口以外に何もない。『へ』の字に曲がった春日局の口を、政宗は見て見ぬふりをする。
 「上様がお決めになったのでしたら宜しいでしょう。そなたの忠義が本物であるのでしたら、大坂で存分にお見せくださいまし。ですが……」
 「何なりと」
 「大坂で戦が行われている間、忠輝さまの奥方は江戸に移っていただきます」
 「どういう事でございましょう?」
 春日局の裁量を越えた発言には、さすがの政宗も呆れかえる。
 「人質という意味でしたら、我が娘は忠輝さまの許に居る時点で既に同様の意味をなしておるかと。それに、私が大坂に出陣した後も次男の忠宗は江戸に残りますが」
 「ええい、そうではない」
 「ではどのような?」
 意地になって政宗の上に立とうとする春日局に、政宗はほんの僅かな憐れみを載せた困り顔を向けた。
 「その……た、竹千代さまの教育係が不足するのじゃ。講釈役の僧たちがほとんど大坂に出向いてしまう故、その間竹千代さまの学問が遅れてはなりませぬ」
 「なるほど。たしかに高僧はみな外交要員として大坂に赴かれるが、それが故に次代の将軍となられる御方の学問が滞るなどあってはなりませぬからな。ただ、五郎八の参勤は上様からのお達しの下でお願いいたします。父として命ずるは容易いですが、松平家の正室である以上は私ごときの一存で江戸へ移すなどもっての他でございますゆえ」
 「わかりました。上様にはわたくしからお願いしておきます」

 「無駄な時間を使ってしまった」
 江戸城を辞去して伊達家の江戸屋敷に戻った政宗は、まず自室で大きく伸びをした。肩がばきばきと鳴る。
 「幕府もわずか三代目で腐り始めるとは。あの出しゃばりな乳母はよほど権力に執着…いや劣等感があるんだな。出自を聞いて納得もしたが、自分が産んだ子を天下人にしたがっている淀君の方がまだ堂々としたものだ。誰もあの女の自尊心のために死んだ訳じゃないのにな」
 「立派な建物も、わずかな隙間から入り込んだ雨水によって中から傷んでいく事があります。急ごしらえで不安定なものであれば、雨水が入り込むのも無理からぬかと」
 政宗が脱いだ裃を片付けながら淡々と応えるのは片倉重綱である。病により隠居している父から『小十郎』の名と政宗の側近役を引き継いだ彼は、父と同じように政宗から『小十郎』と呼ばれていた。
 父親に似て文武優秀、真面目一徹の小十郎を政宗がからかう。
 「……おまえ、だんだん理屈っぽくなってきたなあ。父親から何か言われているのか?」
 「殿がご無理をなさらぬようしかと眼を光らせておけと」
 「ふうん。では、どうやっても俺の手綱など引けぬ事も教わっておるな」
 「無論でございます」
 精神修養させたのは俺か。政宗は頭をかく。
 「どちらにせよ、あの乳母が幅を利かせられるのは江戸城内だけだ。思い通りにならない事など何も無い世界の中でだけ威張り散らして満足するなら、その方がよほど平和に違いない。大久保長安の件もあの乳母が俺の連座を狙って大騒ぎしたようだったが、この俺がそう簡単に腹を切るものか」
 「危ない橋を渡っておいて……いえ、それも日常よと父は笑っておりましたが、江戸屋敷に影武者を置いていきなり越前に赴かれた日にはこの小十郎は胃の腑が痛む思いでございましたぞ。『病でおられた』間、家人でさえも一切近づけることが出来ませんでしたゆえ」
 「高田城の普請の際、家臣や五郎八の側仕えに黒脛巾(伊達家お抱えの忍衆)を潜り込ませておいて正解であった。おかげで俺が越前に行った事もばれておらぬし、証拠となり得るものは公儀の使者が到着する前に全て滅したからな。それに加えて、仙台に天守閣を造っていなかったのがここで良い方へ転んだ」
 実際、仙台城には天守閣がない。資材を大火の復興に回してしまったとはいえ、春日局の言うとおり再調達は不可能ではなかったのだが、幕府を警戒した政宗が不要だとしたのだ。
 時を同じくして越前高田城と仙台城に天守閣を築いてしまえば、その資金の出所まで調べ上げられてしまいかねない。幕府に対しては後ろ暗い事だらけの政宗の勘が的中したことになる。
 「しかし、和久のご老体にはお気の毒なことを……」
 父と懇意であった老臣を案じる小十郎に、政宗は「心配ない」と請け負った。
 「あの者は元々太閤の死後に大坂から伊達に引き抜いた者だ。仙台から追放されても路頭に迷うことはあるまい」
 和久宗是。
 小田原征伐の際、政宗が世話になっていた…源次郎の秘密を知った屋敷の主だった男である。
 大久保長安事件が仙台藩にもたらした火の粉を全て被ってもらった忠臣であるが、政宗が言うように牢人となろうと彼が食い扶持に困ることはない。
 和久は幕府の疑念が自らの身を危険に晒す前に、かつての古巣である大坂へ向かっていた。齢八十の老兵、最期の奉公先がそこにあったからである。


- 大坂城 -

 「頼もう」
 入道頭の老人を先頭に、山伏やら傾奇者、托鉢僧に女・子供といった十数名の奇妙な集団が大坂城の一番櫓の前に立った。
 二名の奏者番は形式どおりに槍を交差させて行く手を阻む。
 「ここはおまえ達のような者がくぐって良い場所ではない。物乞いならば余所でやってくれ」
 「物乞いとは失敬な」
 「何?」
 彼らが得物を刷いていることで、城の奏者番は刀に手をかけた。子供たちは「きゃっ」と悲鳴を上げて身を寄せ合い、傾奇者は身構える。緊迫した雰囲気に、周囲にいた大坂城の家臣達も応援に駆けつけた。
 「お待ちあれ」
 入道は彼らをなだめるように両手を広げ、刀に囲まれた状態でも敢えて堂々と胸を張った。
 「拙者は九度山から参った真田家の一行にござる。殿と淀君さまにお目通り願いたい」
 「真田だと?」
 集まってきた者たちの中で年配の家臣達がざわめく。どうやら真田の名は大坂においてまだ健在であったようだ。
 「証明する物はあるか」
 ここに、と入道が差し出したのは五七桐の紋が入った脇差。かつて豊臣秀吉が馬廻衆に与えていた品である。年若い奏者番の顔色が変わった。
 「真田どの、大変失礼申した。上に話を通します故、別室にてお待ちくだされ。……誰か、控えの間に案内せよ」

 「真田だと?まことに真田と名乗ったのか」
 「はい。九度山から参ったと」
 「九度山……たしかに真田安房守と左衛門佐が配流されていた場所だ」
 私が確かめる。話を聞いた大野治長が千畳敷の廊下を早足で駆け抜け、格子戸を開く。
 「何と?」
 彼らの姿を見た瞬間、驚きの声を上げたのは治長ではなく奏者番であった。案内した時とはまるで違う姿の者達がそこに居たからである。
 その部屋には柄の悪い傾奇者や怪しげな山伏は既に居なかった。代わりに赤い衣をまとった小柄で細身の武士が最奥にて悠然と胡座をかき、周りにはしゃんとした身なりの武士達が控えている。
 呆気にとられた奏者番をものともせず、大野は部屋の奥に駆け寄って赤い衣の武士の手を取った。
 「おお、左衛門佐どの。懐かしゅうござる」
 「徳川との戦の話を聞き及び、九度山より馳せ参じました。修理さまもご健勝で何よりです」
 赤衣の武士もがっちりと手を握り返して応える。
 「よく来てくれた。真田どのの入城はこの上なく心強い。まことに感謝いたす。すぐに殿とお上さまに奏上いたし、目通りが叶うよう手配するゆえ暫し待たれよ。ああ、城内の大名屋敷の一角に真田家が使っていた屋敷も残っている筈であるから、ご息女達はそちらに入ると良かろう」
 「かたじけない」
 真田左衛門佐と名乗ったのは入道だったのだが。首をひねる奏者番の視線がかの入道とぶつかった際、入道はにっと歯をむいて笑うだけであった。


 「お上(かみ)さま。真田左衛門佐さまの奥方さまがお渡りでございます」
 「ありがとう。こちらにお通ししなさい。茶の支度もお願いね」
 「かしこまりました」
 真田一家が入城した日の夕刻。大野修理から報せを受けた淀は一行が落ち着き次第すぐに左衛門佐の妻を居館に寄越すよう申し渡し、その時を今か今かと待ちわびていた。
 異例の事ではあるが、左衛門佐の妻が淀の旧友であり、関ヶ原以降はその消息を案じていた事は誰もが知っていたから、修理も大蔵卿局もすぐに淀の願いを叶えるべく動く。
 かくして、その日のうちに淀への目通りの席が設けられたのだった。
 「お茶々さま…いえ、淀さまにはご機嫌うるわしゅう」
 さちが侍女を伴って淀の部屋に現れると、淀は懐かしさに畳から下りて駆け寄っていた。
 「ああ、安岐どの。よく戻られました」
 年齢を重ねた互いの目尻に涙がにじみ、頬を伝う。久々の再会を喜ぶ気持ちと、緊張が続く日々の合間に訪れた安堵のひとときに心の糸が緩んでいるように見えた。さちも淀の手を握り返して同じ顔をし、二人は抱き合って再会を喜んだ。
 「淀さまにこうして再びお目にかかれる事、まことに有り難く存じます。九度山に移り住んで以降、淀さまにはお詫びの言葉もない程のご心配をおかけいたしました」
 「何を仰います。友を案じない者など居るものですか。でもお元気そうで良かった……ああ、あなたもご無事で何よりでした。安岐どのをよく支えてくれましたね」
 「恐れ入ります。淀さまにお気に留めていただきました事、恐縮の一言にございます」
 淀に声をかけられ、さちの隣に控えていた侍女が顔を上げる。それが繁…源次郎であった。
 いかに太閤の信頼が篤かったとはいえ、入城したばかりの牢人がいきなり淀の私室に招かれては誤解を受けるし城内の風紀や士気にもかかわる。淀もそれをよく分かっていたからこそ旧友であるさちを呼んだのだ。さちが呼ばれた時点で源次郎もその意図に気づき、希望どおりの再会となった。
 「お上さま、お茶をお持ちいたしました」
 侍女が手際よく茶と菓子盆を並べると、淀は人払いを命じた。
 「おかみさま?」
 源次郎が訊ねる。
 「淀と呼ぶのも憚られるけれど、わたくしは太閤殿下の北の方ではないので、大野達が知恵を絞ってそう呼ぶよう決めたのですわ。『上様』(信長)の姪ではあれども、城の主である秀頼が『殿』と呼ばれているのにその上位と間違われるような呼称では色々よろしくないので読み方だけ『おかみさま』にしたそうです。『王』と『玉』のようなものですわ」
 「ですがお上さまはご自分から進んでそうなられる事で豊臣家を守ってこられた……大坂城が昔のままなので安心いたしました」
 「私的な場では淀で良いわ。あなたにまでお上さま呼ばわりされてしまうと肩がこります。あなたと居る間だけでも息抜きさせてくださいな」
 失礼、と淀は脚を伸ばして軽く伸びをした。奔放な姿が昔のままで、三人の間から笑いがこぼれる。
 「九度山ではお子も産まれたそうで、大変な暮らしの中で救いになったでしょうか」
 「七人の子を授かりました。九度山では人の親として、そして市井の者として、たくさんのものを学んで参りました。それは充実したものであったと感じております。息子の大助は元服し、来るべき戦の折には父とともに戦うと申しております」
 「それは頼もしいこと。秀頼を支えてくれる働きを期待しています」
 「恐れ入ります」
 話すのはさちの役目であった。人払いをしているとはいえ、やはり源次郎の正体に関するところは慎重にならざるを得ない。淀は源次郎…繁の相手が誰なのかは知らないが、敢えて詮索するつもりはないらしい。
 「もう戦に出る年齢に……こうして再会してしまうと一気に時間が短く感じられますが、やはり長い時間でしたね」
 茶菓子を勧めながら、淀が微笑んだ。
 「出会った事はまだ娘であったわたくし達も親となり、生まれた子は育ち、親の手を離れ、そして世代が交代していく……ただ時の流れの中で泳いでいるだけなのに、不思議なものです」
 「淀さまのそのお顔。秀頼さまもお健やかにご成長あそばされたご様子ですね」
 「あら、そのように見えます?」
 「ええ。お寂しそうで、それでいて嬉しそうな……そういったお顔を拝見するのは、娘の時分以来ですわ」
 「まあ」
 淀は声をたてて笑う。
 「あなたには敵いませんわ。たしかにあの子は、母の知らぬ間に、それは誇らしいくらいに成長しました。幾度となく衝突もしましたし、治長や大蔵卿にも随分と心配をかけて……けれど、徳川からの無茶な要望を蹴って戦を決意した時にあの子の本気を見た思いでした。豊臣家のこと、大坂のこと、民のこと、あの子自身のこと。わたくしが口うるさく言う以上に、あの子は自らの心で考えていた……」
 「それは秀頼さまのお心がお健やかである証拠ですよ。最も身近な存在である親との距離を測りながら育っていくのは、わたくしにも覚えがございます」
 「ええ、本当に……それらの変化を親が受け入れられた時、子は独り立ちしていくのですね」
 そして源次郎の方を見ながら。
 「ご夫君には、近々秀頼に会ってもらいたいわ……本当に、見違えるくらい大きゅうなりましたよ」


 周囲への建前上、二日ほど日を空けて。
 「そちが真田左衛門佐信繁であるか」
 懐かしい謁見の間。
 淀の言葉を字面のとおりに具現したような佇まいの秀頼は、よっこらしょと声をかけながら窮屈そうに畳の上に座り脇息にもたれた。
 「現在は幸村と名乗っております。殿がお拾様と呼ばれていた頃、お姿をお見かけしたきりでござましたが……」
 源次郎は口ごもる。
 「ご立派に成長あそばされた事、亡き太閤殿下も草葉の陰でさぞお喜びでございましょう」
 案の定、秀頼の眉がひくりと動いた。
 「……この姿を申しておるか?」
 「い、いえ。そのような意味では……」
 淀に似たはっきりとした目鼻立ち、強い眼力で睨みつける秀頼の顔を見たら、大抵の家臣は怖れおののいてまともに姿を見ることすら出来なくなってしまうだろう。だが淀の子という眼鏡越しに見ている源次郎からすればそれも微笑ましい姿である。
 無礼にならぬよう顔を引き締めた源次郎に、大人に反抗してみたい若者然としたふてぶてしい笑みをくれてやった秀頼は暑そうに扇で顔を煽いだ。
 「家康が家臣や女中たちに『御身大事に』と言うて過保護にしおってな。滋養のある食べ物に、武芸の稽古どころか趣味の鷹狩りすら禁じられた日々。おかげで身体を動かすのも一苦労だ」
 「左様でございましたか」
 いかにも家康らしい、と源次郎は思った。いざ戦となっても出陣できるかどうかも怪しく、怠惰な年月を物語る容貌では人心は掴めそうにもない。そうやって、勝てそうにない主君から人心を引き剥がしていくつもりだろう。
 だが、源次郎はすぐに見抜いていた。ゆえに、人払いを願い出た後で敢えて申し出てみる。
 「秀頼さま……綿を詰めた衣は重く、お口の中の綿も苦しゅうございましょう。お首に巻かれた毛織の襟巻きも、夏場はさぞお暑かったのではとお察しいたします」
 「……何の事だ?」
 「私の拝察でございますが、殿が本当にそのお姿どおりの身の重さであれば千畳敷の廊下を歩くだけで息が上がっておりましょう。ですが、お姿に反してお渡りになる足音は軽やかでございました」
 「!!」
 どうやら図星であったらしく、秀頼が気まずそうにそっぽを向く。激昂か、それとも。
 奇妙な沈黙の後、秀頼が扇で口元を隠しながらそっと声を絞った。
 「もしや母上や大野にもばれておったか?」
 「いえ、それはないと思います。私も化けるのは得意でございますゆえ気づいたまで。お苦しかったでしょう」
 言いながら、おそらく淀だけは秀頼の変装に気づいているだろうとも考えた。けれど秀頼が自分の意思でそうしている以上、親として敢えて気づかないふりをしているだけなのだ。
 「参ったなあ……真田は切れ者だと聞いておったが、会って早々に一本取られるとは想定外だ」
 観念した秀頼は、他言はするなと念を押した後で上衣を脱ぎ捨て、口から綿を取り出した。するとそこには淀の聡明さと秀吉の愛嬌を受け継いだ一人の精悍な若武者が現れる。
 「徳川さまの裏をかくため、城の者を欺いていらしたのですね。賢明なご判断であると感服いたします」
 「敵を欺くにはまず味方から、だ。この城内にも、徳川の息がかかった者はそこらじゅうに居る」
 「間違いないでしょう。殿におかれましては、当分の間そのままでいらした方がよろしいかと存じます」
 源次郎は改めて秀頼に礼を向けた。
 「この真田左衛門佐幸村、徳川との戦と聞き及んで九度山から参上つかまつりました。秀頼さまの御為、そしてお上さまや亡き太閤殿下のご恩に報いるため、この身を賭して戦ってご覧に入れます」
 忠義を尽くした礼は、秀頼の心も掴んだようであった。
 「よろしく頼む。左衛門佐は母上の旧友であると聞いておるが、そのとおり信頼に値する者であると見た。早速相談に乗ってもらいたいのだが」
 「私はそのために参りました。どうぞ何なりと」

 「風の噂に聞いてはおりましたが、西の大名はほとんどお味方してくださらないようですね」
 大坂に入城している将兵の名簿は、思っていた以上に薄っぺらなものであった。
 戦うための資金は充分に残っていたが、肝心の将兵が集まらないのだ。関ヶ原で徳川に楯突いた大名の末路をつぶさに見ていた者達が豊臣への肩入れを拒んでいるのは明らかである。代替わりした毛利や島津も此度は様子見に徹するらしく、良い返事は貰えずにいるという。
 「かつての土佐国主・長曾我部盛親、八丈島に流された宇喜多秀家の腹心であった明石掃部全登、黒田官兵衛から将来を嘱望されていた後藤又兵衛など将に立てる武士が郎党を伴って参陣してくれたのだが、誰もみな牢人の身分だ。今現在大名となっている者からの名乗りはない」
 「後藤どのに明石どの、それに長曾我部どの……」
 「みな関ヶ原の後は各地に隠れ棲んでいたのだ。それぞれは手練れなのだが」
 しかし、と秀頼は大きく息をつく。
 「兵の上に立てる将も、前線で戦える兵もまだ足りぬ。この兵力差では力攻めで大坂は落とされてしまうが、今更引き下がれるものでもない。どうしたものか考えあぐねておる」
 現在入城している牢人たちが集ったのは片桐の最後の奉公のおかげだったが、当の片桐を出奔に追いやってしまったのは明らかな痛手である。
 それも徳川の狙いであったのだから今更何を議論しても詮無き事なのだが、源次郎は片桐の思いを踏襲すれば兵は集まると踏んでいた。
 「八万ほどでしたら、戦が始まる前には集められましょう」
 「何と?」
 「身分の貴賤なく力のある者を登用してきた太閤殿下のやり方を踏襲するのです。京や大坂だけでなく近江や美濃、若狭、それから四国に人を遣って牢人や義勇兵を募りましょう」
 「なぜその地域なのだ?」
 「関ヶ原で敗れた将に仕えていた者は牢人や農民となってかつての主が治めた土地、すなわち自分の故郷に隠れ棲んでいる事が多いものです。中央では無名とはいえ腕の立つ者達ばかり。彼らに支度金と働きに応じた報賞あるいは旗本としての登用を約束して大坂城へ迎えると噂を広めれば、すぐに数が揃います」
 「そのように上手くいくものだろうか」
 首をひねる秀頼に、源次郎は打ち明けた。
 「私もその一人なのです。私が大坂に参上したのは徳川と戦うためですが、そのきっかけは片桐さまたっての願いがありました」
 「片桐が?」
 「片桐さまの事情は存じております。片桐さまは豊臣家を出奔なさった後、密かにご子息を私の許へ遣わしてくださいました。後藤どのや長曾我部どのが入城なさったのも、おそらく片桐どののご子息に声をかけられたからでしょう」
 「そうであったか……片桐には申し訳ない事をした……」
 「殿。片桐どのには残念なことをいたしましたが、だからこそこれから集う者たちの心を離してはなりませぬ。我が父は人心を完全に掌握していたからこそ寡兵で徳川の大軍を打ち破りました」
 「真田安房守……片桐から聞いたことがある。上田の地にて二度も徳川に勝利したと」
 「左様にございます。私は父が死の直前まで練り上げていた戦術を持って大坂に参りました。この戦、必ず勝利いたしましょう」
 「わかった。すぐに手配する」
 源次郎の説得に頷いた秀頼は、手を叩いて人を呼んだ。
 「文をしたためる。支度をせよ」
 「かしこまりました」
 現れた小姓は、秀頼と同年代のたいそう美しい男子であった。乳兄弟だと紹介された秀頼からの信頼も篤いらしく、綿を詰めていない顔も知っているようである。「真田左衛門佐だ」と秀頼から聞かされた小姓は、絵巻の登場人物のような切れ長の目を輝かせて頭を下げた。
 「あ、あの……それがし、木村長門守重成と申します。真田家の武勇伝に憧れて育ちました。左衛門佐さまにお目にかかれて光栄です」
 「真田左衛門佐幸村でござる。これからともに秀頼さまをお支えして戦う者同士、よろしくお頼み申す」
 「はい!」
 頬を紅潮させた木村が退がった後、檄文をしたためるため文机に向かった秀頼はぽつりと呟く。
 「しかし不思議だな。そなたの言葉は、まるで母上が私に諭しているように聞こえるのだ。今日初めて会ったというのに、何故だかほっとする」
 「恐れ入ります。私は殿下から、妻はお上さまから多大なる薫陶をいただき、お二方のお考えに多大な影響を受けておりますからでしょうか」
 息子に接する母のような気持ちで応えた源次郎の言葉は、秀頼の心に安堵と落ち着きを与えているようであった。

- 江戸 -

 「真田が九度山を抜け出して大坂入りしただと?」
 薬湯を口に運ぼうとしていた徳川家康は、思いもかけぬ報せに薬湯を口の端からこぼした。濃茶色の液体が着物にぽたぽたとこぼれ落ち、唇を火傷した家康は阿茶局が衣を拭くために取り出した懐紙をひったくると唇にあてがう。
 「実際に居合わせた者の報告によれば、足元も覚束ない入道姿の老人が門前にて「自分は九度山の真田だ」と名乗って一族郎党もろとも大坂城に入ったとか」
 「白髪の老人と一族……まさか安房守と、あとあれだ、何と申したか」
 長らく忘れていた記憶を手繰る家康が、薄くなった髻をかきむしる。
 「左衛門佐、でございましょうか」
 「ああ、そんな名であったな。息子はともかく安房守は死んだと聞いておるが、よもや謀りであったのか」
 すぐに城下に逗留中の伊豆守を呼ぶよう使いを送ったが、使いはすぐに戻って来た。
 「伊豆守さまは流行風邪に罹っておいでとのことで、登城して他の方に伝染してはいかぬと家人ともども今はお屋敷に籠もっておられるそうでございます」
 「では本多平八郎と真田隠岐守を呼べ」
 ほどなくして本多平八郎…昌幸が死ぬ前年に亡くなった本多忠勝の名を継いだ長男・本多忠政と真田信尹が家康の御前に現れた。
 「真田安房守は死んだと聞いておるが、それは真であろうな?」
 「安房守どのの墓所は、たしかに上田に存在していると姉から聞いております。姉が墓所の魂入れ供養を取り仕切ったという事でしたから間違いございませぬ」
 「戒名は分かるか」
 「たしか姉からの文に記されていたと思われますが……」
 本多は伴に命じて屋敷から文箱を取って来させる。
 「わが兄の戒名でしたら、この隠岐守が常に持ち歩いておりますれば」
 その間に、信尹は守り袋の中から『一翁閑雪』と記した半紙を取り出した。
 「九度山への弔問も墓参も遠慮しておりますが、兄弟の情として兄の戒名だけは持ち歩いております。これは兄の遺品を九度山から上田へ持ち帰った元国衆から聞いた戒名にございますれば」
 「ああ、ございました」
 やがて本多平八郎が文箱から一通の文を取り出して本多正純へ手渡す。受け取り一読した家康は顔を緩めた。
 「何だ、両者同じ戒名を知っておったではないか。では安房守は死んだという事で間違いないな」
 とんだ取り越し苦労だ、と笑った家康が戻した文を折りたたもうとした本多正純であったが、何ともなしに見えた文面にふと目をとめる。
 「少々お待ちくだされ……法名にあたる箇所の文字が異なってございます」
 「何と」
 ご覧くだされ、と正純が広げた文には
 『一翁干雪』
 一方、信尹が記した半紙にあったのは
 『一翁閑雪』
 「字が異なっております。こちらは『閑』、だがこちらは『干』と。いえ、もしかしたら『千』やもしれませぬ」
 「……」
 「読みは同じでございますが、法名は仏に仕えるための名。一文字異なれば別人という事もあり得ますな」
 正純は冷静に分析する。
 「どちらかが間違えて記したという事はないのか」
 「いえ、そのような事は」
 平八郎と信尹が顔を見合わせた。
 「拙者は兄に長年仕えた国衆から直接記してもらい申した。忠義者が主の戒名を間違えるなどあり得ませぬ」
 「伊豆守どのの妻であるわが姉が、舅の戒名を間違えることも考えられませぬ」
 「隠岐守、それに平八郎よ。上田の墓所に弔ったのは安房守の遺骨であったのか?」
 「いえ。遺髪であったと聞いております」
 両者は声をそろえた。本多が持参した姉・稲からの文にもそのように綴られている。
 「では……」
 家康の顔色が死人のように白くなる。
 「そもそもこの戒名を持つ者自体が存在しない可能性もあるのか。安房守は死んだと見せかけて、此度の機を待っておったと」
 「お待ちくだされ。わが甥、伊豆守は毎朝祭壇に灯明をともし、自分の両親の菩提に念仏を唱えておるのです。その態度に嘘はないかと」
 「伊豆守はこちら方だ、父親に謀られても不思議はない」
 安房守なら、そのくらいは平気でやる。
 その慎重さで天下を掴んだ性格が災いして、今は足元を揺るがされる思いだった。すぐに間者に確認させるよう命じた家康がもたれかかった襖は、カタカタと小刻みに音を立てている。もはや誰が何を言っても無駄であった。
 「ええい、真田め……今になってまた儂の前に立ち塞がるか。忌々しい」

 家康を震え上がらせたのは、実は源次郎の策であった。
 「一翁閑雪、改め一翁干雪。我らを幽閉していた雪は、いずれ融けて乾いていくものだ。今がその時であろう」
 昌幸の死後、あえて『閑』の字を『干』に換えて兄に…幕府に報せておき、いざ大坂に入城という際には高梨内記を真田家の当主であるかのように列の先頭に立てた。大坂に入った真田は老人であったという噂が戒名の違いを裏付け、昌幸本人が生きていたのではないかと家康はさぞ肝を冷やすだろう。徳川相手に敗けを喫したことのない真田が健在やもしれぬとなれば、徳川方の士気も低下する。
 最期まで徳川への『嫌がらせ』を画策していた昌幸ならばこのくらいの悪戯はするだろう。源次郎は父親のしたたかさを借りて大坂への入城を宣伝したのである。


 「源次郎が大坂に入ったか」
 江戸の真田屋敷。夜具に包まれた源三郎は、白湯をすすりながら矢沢三十郎からの報告を受けていた。
 「既に殿は徳川さまへの参陣を誓う連判状に署名してございます。源次郎さまとは敵同士となりますが……」
 「覚悟など、犬伏で別れた際すでに決めておる。真田家の存続、それが父上の望みであったのだから、我々はただ正々堂々と戦うしかない」
 きっぱりと言い切る源三郎を前に、源次郎と幼馴染である三十郎は複雑な心持ちを顔に出してしまった。心中を察した小山田茂誠は(仕方ないさ)という顔で三十郎に向かって小さく頷く。
 「ここで我らが迷えば真田が滅びる。我ら一家が敵味方に分かれてまで戦った過去、そして父上と源次郎が味わった辛酸の日々を無駄にしてはならぬのだ」
 「……はっ」
 しかし、そこはやはり源三郎であった。
 「私は明朝一番で上田へ向かい、信濃国衆からどのくらいの兵を出せるかまとめにかかる。義兄上と三十郎は沼田へ参り、信吉と信政の戦支度を手伝ってもらいたい。二人の初陣ゆえ、よろしく頼む」
 「大御所さまからのお召しはよろしいのですか?」
 「そちらは叔父上が上手くやってくれるだろう。今は戦支度の方が優先だ。……稲、輿を用意させよ」
 「承知いたしました」

 戦支度を急ぐために真田伊豆守信之が病をおして上田に戻ったことは、すぐに江戸城に伝わった。
 その行いは大御所に面会できぬほど悪い身体でありながら何という忠義者よと誰もが感心したのだが、結局、源三郎はそれきり大坂の戦が終わるまで上田から出ることはなかった。


 「とりあえず、宇和島十万石でどうだ?」
 安房守について確認が取れるまで落ち着かない家康は、とりあえず他の事から手をつけて行こうと伊達政宗を夕餉の相伴に召した。無論、真田の事はおくびにも出さない。
 「?」
 「戦の報賞だ」
 家康から唐突に切り出され、政宗は困惑する。
 名目はどうあれ唐突に領土の話を切り出される場合、ほぼ間違いなく移封の内示であるからだ。
 「宇和島と申せば福島太夫さまの所領、関ヶ原で多大な功績を残した御方を差し置いて領土をいただくなど……」
 徳川家に対しては後ろ暗いものしかない政宗は慎重に返す。
 「福島には、兵糧をこっそりと大坂に横流ししている疑惑が持ち上がっておるのじゃ」
 扇で口を隠しながら、家康は政宗に耳打ちする。
 「それはまた由々しきことを」
 「西国、特に四国や九州は江戸から遠い事もあってか、心の奥底ではいまだ豊臣に忠義を持っておる者も多い。先年に禁教令を出した筈のキリシタンも、まだそれなりの数が隠れていると聞いておる。太夫はもともと豊臣の子飼い、それらの者達が兵糧片手に大坂に入ることに目を瞑っている様子なのだ。既に入ってしまったものは仕方ないが、これらをいつまでも見逃しておれば西国の増長に繋がってしまいかねぬ。しかし奴らに睨みを利かせられる力を持った大名はそう多くない。ゆえに」
 なるほど。
 豊臣を滅ぼしたら福島太夫を切るつもりだ。政宗はすぐに見抜いた。
 関ヶ原で打倒石田治部のもと徳川に臣従した豊臣子飼いの大名たちの末路は明るくない。戦の前から上手く立ち回って現在も中枢に近い場所に居られるのは脇坂安治と福島正則のみ。彼らと行動を共にした平野長泰は御伽衆という名誉だけの職を与えられて早々に蚊帳の外に置かれ、加藤肥後守、浅野紀伊守は謎の死を遂げている。いずれも石田治部個人と敵対しただけで豊臣とは切っても切れぬ縁と忠義を持つ者達、家康は一見すると彼らを厚遇しているようでいてその実は将来の禍根に繋がる芽を全て絶つつもりなのだろう。
 その上で、関東の脅威となり得る伊達を西に追いやるつもりだ。事実上の減封となるあたりは、大久保長安事件についての罰を与えた形にして幕府の体面を保つためであろう。
 (なびかぬ者でも言いくるめて取り込んだ太閤、ばさりと切り捨ててしまう大御所。どちらもどちらだが、さすがに大御所は己の器量を読み違えてはおらぬか)
 奥州を離れる気などさらさらないが、西に駒を置けることは政宗にとって悪い話ではない。
 「そのお話、謹んでお受けいたします」
 わずかな思案顔を家康に見せた後、政宗はその話を承知した。これには家康の方が面食らう。
 「よいのか?」
 「大御所さまの仰る事に何の異存がございましょう。伊達家を分家させた上で宇和島は我が長男、秀宗に治めさせます」
 「……は?」
 「私もそろそろ五十の坂を越える齢。いつ何があっても滞りがないよう次なる伊達家当主への道筋をきちんと定めておかねばと案じていたことを、さすが大御所さまはお見通しでございましたか。仙台伊達家を宗家として当主の座は正室の子である忠宗に、宇和島は秀宗にとお考えであらせられたとは、大御所さまのご深慮に感服いたしましてござる」
 「い、いや。そういう訳では……」
 「十万石の大名という破格の報賞をお約束いただけるのであれば秀宗も大層な意欲を持って大坂での戦、そしてその後の治世に臨むことでしょう。私が直々に文武を教え込んだ伊達の兄弟が東西から力を合わせれば、大御所さまのご懸念など雲霞の如く払われるのは必定。これにて東も西も安泰、いやはや目出度しでございますな」
 はっはっはっ。政宗は能でいうところの脇方よろしく大きな仕草で扇を仰ぎ、家康の二の句を封じてしまう。
 やられた、と家康は己の発言を悔いたがもう遅い。
 「……う、うむ……期待しておるぞ」
 ただし、と家康は念を押す。
 「そなたの軍が大坂にて存分に働いたら、の話じゃ。よいな?」
 「心得てございます。この伊達陸奥守政宗、秀宗とともに大御所さまと上様をお守りし、戦場を縦横無尽に駆けてご覧に入れましょうぞ」
 宇和島は手に入れたも同然。政宗はまた高笑いし、家康は顔の皺をさらに深めるしかなかった。

 「脇方というより次郎冠者でございましたな」
 廊下に控えて顛末を傍観していた小十郎は、相変わらずの呆れ顔だった。屋敷に戻るなり思うことを口にする。
 「ならば徳川内府が太郎冠者か。上手いことを言う」
 出し抜かれる主と出し抜く従者の役回り。言い得て妙だと政宗は笑う。
 「瓢箪から駒のような話だ。愛が産んだ忠宗が仙台藩の主となれば愛も家中も黙るし、これまで苦労をかけた秀宗も城持ち大名となれば腐らぬであろう。上等ではないか」
 「まったく、あなた様というお方は……幕府への嫌疑に続いて家中の事情まで丸く収めてしまわれましたな」
 「宇和島をくれると申したのは大御所だ。くれるというなら気が変わらぬうちに貰っておこうではないか」
 「しかし戦となると……」
 「わかっている」
 小十郎の言いたいことも承知していた。
 大坂方と戦うとは、すなわち真田源次郎…妻と干戈を交えることになる。
 「戦で親子兄弟が敵味方に別れて戦う例など、歴史にいくつも残っているではないか。互いに覚悟は出来ているさ」
 「……」
 「どちらも選ぶなんて事は、この時代じゃありえない。俺は徳川方だ」
 「殿……」
 どれだけ悲痛な顔をしているのだろうと心を痛めつつ主の顔を見上げた小十郎は、それが自分の思い込みだったと知らされた。
 口では悟った事を言うが、政宗の左眼はまだ諦めの境地に至っていない。
 「わかったか?ならば行くぞ、小十郎」
 もとよりこうなる事を予期していた運命。けれど足掻くことを止めた訳ではない。それを知っている小十郎重綱は、颯爽と羽織りを翻す主につき従うまでであった。
 「はっ。準備は整っております。いつでも出陣のご命令を」


- 大坂城 -

 「各地から集った牢人たちが城の周りに列をなしております。これで三日連続でございます」
 大野修理が「まさかこれほどとは」と驚きを隠せない顔をしながら秀頼のもとへ報告に現れる。
 「どれくらいの数が集まった?」
 「現時点で八万。最終的には十万に届くのではないかと」
 秀頼は源次郎と顔を見合わせ、その顔を綻ばせた。
 「上々であるな。さすが左衛門佐」
 「恐れ入ります」
 秀頼の名のもとに各地で暮らす牢人へ呼びかけを行った裏で、源次郎も忍衆を各地に遣って「大坂城で義勇兵を募集している。武功を挙げれば城への仕官、ひいては旗本や大名も夢ではない」と市井に噂をばらまいていた。
 関ヶ原の戦いで石田方に参じた兵のほとんどは主を失い、あるいは主の改易や減封によって職を失ったと聞いていた。農民が主である足軽たちも目まぐるしい国替えのたびに年貢を取られ、けれども主の眼は自分達ではなく幕府の顔色の方にばかり向いている事に不満を感じている者も少なくない。関ヶ原で一旗上げようと参戦した野武士たちも、その後活躍の場を得られず息を潜めていただろう。
 関ヶ原での兵力を基に、源次郎はそれら牢人や野武士の数をざっと八万と読んでいたのだが、実際に集まった兵はそれよりもはるかに多いものだった。それだけ幕府への不満が根強いという事実の裏返しである。
 ならば、勝ち目はある。
 大野修理らと相談の上、各地から集った牢人たちは使われていない大名屋敷や三の丸の空き部屋、外塀の中にある空間に寝泊まりさせた。将に立つ者や陣立てが定まるまで暇を持て余している彼らには、これから集まってくる者達が寝泊まりするための仮設小屋を庭園に建てる仕事を与えている。秀吉が築いた広大な城が思わぬ形で役立ったのだ。
 そして源次郎には嬉しいこともあった。
 上田から堀田作兵衛と彼の郎党、そして九度山で苦労をともにした昌幸恩顧の国衆の子らが大挙して大坂に駆けつけたのだ。
 「源次郎さま、お懐かしゅうございます。我らも源次郎さまとともに戦うべく参上つかまつりました」
 「作兵衛!兄上がよく許してくれたな」
 「殿(信之)は、戦支度のため上田にお戻りです。ですが此度は出陣なさらない見通しで……」
 「?」
 「ご体調が優れないのです。殿がお戻りになられると聞いた我々は塩田平で戦支度を勧めていましたが、戻られた殿の病で上田のお屋敷が大騒ぎになっていると聞き及び、その騒ぎに紛れて出奔した次第」
 「それほどまでにお悪いのか」
 「江戸にて性質の悪いお風邪を召されまして……それをおしての帰参の疲れ、持病の癪の痛みや原因不明の足腰の痺れにも見舞われて、今はお部屋内を歩くだけで精一杯だと聞いております」
 「では、徳川方として大坂に来るのは」
 「ご嫡男の信吉さまが真田軍の大将を務められ、弟君の信政さまが副将、お二方の傳役を務めて来られた家老の小山田茂誠さまと矢沢頼康さまがお二人を補佐する形で沼田から参陣なさるとのこと」
 「……なるほど」
 源次郎は口の端だけで笑った。
 「すえはどうした?」
 「すえは信濃の名主の家に嫁ぎました。かような良縁に恵まれたのも源次郎さまや奥方さま、上田の御方さま(山手)が良い暮らしと教育を授けてくださったおかげでございます。嫁ぐにあたっては、村松さまが大変立派な支度をしてくださって……皆様から受けたご恩は戦働きによってお返しする所存。源次郎さまに加勢することは御方さまのご遺言でもありました」
 「母上が……」
 「すえに語っていたところでは、国衆を多く上田に帰した源次郎さまはさぞ心許ないであろうと案じておられたそうです。ゆえに、何事か起こった際には我らに源次郎さまの許へ参じてほしいとすえや村松さまに託していかれました」
 「我らの力を信じて、大事な役目を託してくださった。それこそ武士の本懐にございます」
 山手の言葉とすえの輿入れ姿を交互に思い浮かべているのか、作兵衛達は口々に報告しては涙ぐむ。
 国衆の子らも口々に「自分も同じです」と源次郎に訴えた。
 「我らが父達は上田に戻ってもなお源次郎さまを案じておりました。大殿や源次郎さまと九度山にて暮らした日々を知るからこそ、戦に参じられない自分の代わりに我らが源次郎さまのお力になってくれと……」
 作兵衛達の言葉と兄の病。このとき源次郎はすべてが兄の意向だと確信した。
 (やはり兄上も父上の性分を受け継いでおられる)
 源三郎が大将に立てば、真田家をことさらに警戒している徳川のこと、源三郎の忠義を試すために上田の真田軍は最前線に配置されてしまうかもしれない。だが大将が初陣の若者となれば、大戦の足手まといにならないよう後方に回されるだろう。
 作兵衛達のことも、信之が床についている間に「勝手に」出奔したのであれば言い訳が立つ。
 母の遺言を叶え、なおかつ誰からも咎められることなく自らの出陣を避けるため…真田に危険を及ぼさないために、ここで信之は病を得なければならなかったのだ。
 「皆の気持ち、有り難くいただこう。厳しい戦になるが、どうか力を貸してくれ」
 「はい!」
 集った信濃の者だけで源次郎の手勢は百人に上る。まだ寡兵ではあったが、寡兵で大軍を追い払う戦こそ真田の戦い方だと知る者達の士気は大坂のどの軍より高いものであった。


 日に日に士気が高揚していく大坂城。それら喧噪は聞こえてこない本丸御殿の最奥にある秀頼の居室。
 「国松どのを城へ呼んではいかがでしょうか?」
 思いもかけぬ提案を秀頼に投げかけたのは、他ならぬ千姫であった。
 同じ御殿の屋根の下、人前では仲睦まじい振りをしながら夜は別々の寝所に入るようになって久しい夫婦の、久方ぶりの会話。
 自ら訪ねてきた千の口から切り出された話題は実に意外で、秀頼は真意を図りかねる。
 「それはどういう……」
 「殿のお子となれば、徳川家が捨て置く理由などないでしょう。人質に取られてしまう前に救って差し上げるのが筋ではないかと考えます」
 「しかし、そなたは私の子を厭うていたではないか」
 「たしかに、そう思った時期もありました。ですが、お子には何の罪もございませぬ。まして……殿のお子であるなら尚更、わたくしの里にて酷い仕打ちを受けるなどもってのほか」
 「それは……いや千、どうしたのだ……」
 どういった心境の変化だろう、何かあったのかと戸惑う秀頼の前に、千はついと膝を進めて腰を下ろした。
 「義母上さまが、わたくしに里帰りしてはどうかと仰いました。戦が避けられぬ今、大坂城に居てはわたくしも辛い立場であろうと……」
 「母上が?」
 「義母上さまのお心遣いは有難く存じますが、わたくしの旦那様は殿でございます。殿は、いかがお考えでしょう」
 「私は……」
 千が自ら本音を確かめてきた今、たとえ相手を思っての事であっても偽りがあってはならない。
 仲違いしてから思慮を重ねて成長した秀頼は、ここは率直に気持ちを伝えるが最善だと判断した。
 「母上は人生で二度の落ち延びを経験している。一度目は私の祖父上である浅井長政公を喪い、二度目は我が父が攻め滅ぼした北ノ庄城にて柴田勝家公と祖母上が運命を共にされた。その時の経験から母上が申したのであれば、千は今のうちに大坂を出た方が安全だ。本当にそなたを思うのであれば、私はここで里帰りを申し渡すべきなのやもしれぬ……しかし」
 「……」
 「我儘を言わせてもらえるとしたら、千には私の側に居てほしい。千を守るためとあらば、私は殊更に戦う力が湧いてくるように思うのだ」
 「殿……」
 「もっとも、今の私がこのような事を申しても、千にとっては迷惑なのかもしれぬが」
 「そんなことはございませぬ。わたくしは……」
 膝に乗せられていた千の手が秀頼に向けて伸びようとしては止まる仕草を何度か繰り返した。そうして良いのか、振り払われはしないかと怯えたが、秀頼は思いきって手を伸ばして千の手を取る。
 その瞬間、千の長い睫毛が上向いて秀頼の眼を捉えた。
 「実は、里帰りのお話はお断りしました」
 「断った?」
 「千は殿のお側に居たいからでございます。こういった事になって初めて、殿と離れたくないと心より思いました」
 形ばかりの夫婦になってしまったと思っていたが、実はそうではなかったのだ。二人は同じ気持ちを抱えていた。
 「お家のために夫が側室を迎えるのは当たり前だと教わり、その覚悟をもって嫁いで参ったつもりでしたのに……わたくしは国松どののご生母に妬くなどという身の程知らずな真似をして秀頼さまを苦しめてしまいました」
 「私も、殿と呼ばれて増長した己のつまらぬ矜持や母上に対する意地のためにそなたを苦しめていた。年月を経て人の心の機微といったものに気づいてもなお、思いやりのない言葉で表を取り繕うことに終始していた愚かな男だ」
 泣き出しそうな千の顔が、初めて輿入れして来た時の不安げだった様と重なる。秀頼はつないだ手を引き、千を抱き寄せた。
 「殿……」
 触れて初めて、千は秀頼の巨体が作り物であることに気づいて戸惑った。秀頼は綿で膨らんだ上衣を脱ぎ捨て、より体温に近いところで千を抱きしめ直す。
 「殿と会話もなく過ごした長い時間は、とてつもなく苦しゅうございました。殿のお優しさに甘えていた幼いわたくしの我儘が殿のお心を煩わせ、さりとてどう仲直りして良いのかも分からぬ子供であった自分の身を恥じて……殿がわたくしをお厭いになるのも致し方ないと承知しつつも現実から眼を背けて年月ばかりを重ねてしまいました……」
 「もう何も申すな。だが信じてくれ。私が愛しく思っておるのは千ただ一人だ」
 「……そのお言葉……」
 抱き寄せられた千の声が震えた。
 「何よりも嬉しゅうございます。わたくしも同じ気持ちでおりますれば」

 その夜、秀頼と千はようやく真の夫婦となった。
 世継ぎはあくまで結果であって、今の自分達がそのような先まで考えることはできないし考える必要もない。
 互いの胸に秘めていた想いだけを寄せ合い、一緒にいられればそれで良かったのだ。

 「……嫁いで来たばかりの頃、わたくしに桃の花をくださったことを覚えておいでですか?」
 「懐かしい話だな。いつも心細そうな顔をしていたそなたに笑ってほしくて、里の民から貰ってきた……戦が終わる頃には、また桃の花が咲くだろう。そうしたら、ともに里へ出てみようではないか」
 「はい」


 それから間もなく。
 生まれてすぐ若狭の商家に預けられていた秀頼の子・国松は、ここに来て大坂に呼び戻され国主の子としての教育を受ける事となった。
 秀頼の後継を明らかにすることで参戦する武将らを誇示する目的もある。
 教育係には、秀頼と千たっての希望で真田左衛門佐の妻である安岐ことさち、そして千姫の側仕えとして城に勤めていた甲斐…旧北条領忍城の姫が任命された。


 「あのような薄汚い者達で大坂城が埋め尽くされるなんて」
 二の丸櫓から三の丸の模様を見下ろしていた大蔵卿局は眉間の皺を深めた。
 「太閤殿下のお城は、いまや城下町と変わらぬではありませぬか」
 優雅な庭園だった土地は仮設の小屋や畑に変わり、野良着姿の農民やぼろぼろの袴の武士達が闊歩している。仕事が終わった夜には博打に興ずる声があちこちから上がり、血の気の多い者による喧嘩騒ぎも日常であった。
 「よろしいではありませぬか。若かりし頃の殿下もああいった仕事に汗を流しておられたのです。私は大坂城に人が集う様には興味がありますし、景色が変わっていくのを見るのも嫌いではないですよ」
 相手をしていた織田有楽斎は暢気なものである。
 「主立った大名の参陣がほとんど望めない今、牢人に…敗れた者達に再起の機会を与えるとは、何とも真田左衛門佐らしい」
 「おとなしく鐘を再建していれば、こうはならなかった筈ですけれど……おお、埃がここまで舞い込んで来るようですわ」
 大蔵卿局は袖で口許を押さえた。
 「まあ、彼らをまとめ上げるか烏合の衆で終わらせるかはすぐに知れること。まずはお手並み拝見と行こうではないですか」
 本当に十万を集めたか、と有楽斎が呟いた意味を、大蔵卿局は知る由もなかった。

 「あなたが真田左衛門佐さまでございますか?」
 兵の数が揃い、それらの中から将となる者が定まった初めての軍議の場。秀頼のお出ましを待つ数十名の中、源次郎の隣に座っていた男が話しかけてきた。
 「あなたは?」
 「元・宇喜多家家臣、明石掃部全登にございます。昔、主の伴をしている中でお姿をお見かけしておりました」
 首から十字の久留守を提げた明石掃部は、源次郎との出会いに興奮を隠せない声で名乗った。
 「宇喜多さまの……」
 「石田治部さまも宇喜多さまも、真田家の上田での奮迅ぶりを無にせぬよう勇敢に戦っておいででした」
 明石は源次郎が知らない関ヶ原の戦いを思い出すような眼をして語った。
 「宇喜多さまが八丈島に配流となって以降、私は九州にて牢人暮らしをしておりました。しかし『人は力で抑えつけようとすればするほど、信ずるものを頑なに守ろうとするものだ』という、かつて関ヶ原でお会いした大名からお聞きした言葉に動かされて大坂に参った次第」
 「信ずるもの……」
 「私にとっての信ずるものは宇喜多さまのご無念であり、迷える者の拠り所であるデウス様でもあります。幕府は太閤殿下の時分より更にキリシタンを弾圧し、九州でも大名が切腹いたしました。神の御心に殉じた方々の無念を晴らし、キリシタンの郎党とともに此度の戦いで武功を挙げ、秀頼さまの治世においては日ノ本に我々が生きる場所を与えてもらいたい。そう願い、今まで隠れ棲んでいたキリシタンの仲間とともに参上しました」
 「おお、左衛門佐とはあなたでござったか」
 明石の隣で話を聞いていた男は長曾我部盛親と名乗った。豊臣政権下では日ノ本屈指の水軍を率いて小田原攻めに加わっていた大名家だったと源次郎の記憶が掘り起こされる。
 南国の者特有の彫りが深い顔に陽気そうな笑顔。一代で四国を統一した父・元親はその人心掌握力で数多の郎党を引き連れた剛の者で知られたが、盛親にもその血は流れているらしい。
 「九度山はいい所だったでござろう?情に篤く、しかし権力には屈さない……まこと羨ましい生き方をしている者が大勢おる。たとえば三本足の烏のような」
 盛親が言っているのは雑賀衆の事だと源次郎にはすぐに判った。長曾我部家と雑賀衆は四国と紀伊でそれぞれ水軍を持つ同士、異国との交易では互いに協調関係を結び懇意にしていたのだという。
 「彼らのように戦況を見極める事に長けていれば、郎党を野に迷わせることはなかったのだが……拙者に力さえあれば……」
 盛親が土佐国主となったのは関ヶ原の前年。父・元親が亡くなってからである。嫡男であった兄の戦死によって早いうちから家督相続は決まっていたのだが、元親は亡くなる直前まですべての権限を自分で握ったままだったため、何も引き継がれないまま国主となった盛親はその後すぐの関ヶ原では土佐国の兵の心をまとめ上げる事も守ることも出来なかったのだ。
 立ち回り方も知らず全てが後手に回った結果、徳川に騙し取られる形で四国の地を奪われ、大名としての長曾我部家は滅亡してしまった。盛親は己の力不足を今でも嘆き、その思いの一筋が徳川への憎しみに変わっているのだと打ち明けた。
 「領地を召し上げられたのは拙者の不徳で、幕府を恨む筋ではない。故に、ここで拙者が長曾我部家の名を再び天下に轟かせる事ができれば散り散りになった郎党たちも集ってくれると信じているのだ。拙者は長曾我部家を再興し、己の中にある無力感を克服するために大坂へ参上仕った」
 盛親が背負っている重圧は、かつての武田勝頼を思い起こさせた。勝頼もまた偉大な父の名を背負って戦い滅んだのだ。
 動機も『その後』に思い描いているものも異なる者達が十万。秀頼にまとめられるのだろうかと不安がよぎったが、源次郎はそれを心の中で打ち消す。
 出来ない事などない。目的は同じなのだ。


 「みな、よく来てくれた。私が豊臣秀頼である」

 大坂城の天守にて。広間に集められた数十名の者たちのどよめきを前に、大柄な秀頼はまず礼を言った。
 「ははーっ」
 馬にも乗れなさそうな秀頼の姿を見には困惑する者も居たが、御前ではただひれ伏すしかない。
 「集ってくれた者達の中、仕官の経験や過去の武勲をもとに吟味した結果、そなた達を将に任命し兵力を分け与える。時間は少ないが、我ら大坂評定組とともに議論を尽くしてもらいたい」
 まずは挨拶を、と促され、一人一人が名乗りを上げる。
 秀吉恩顧にして秀頼の側近中の側近、大野修理治長。その弟の主馬頭治房。
 秀頼の近習、木村重成。
 元豊臣五大老であった宇喜多秀家の旧臣、明石全登。
 旧土佐国長曾我部家の当主、長曾我部盛親。
 太閤の死後すぐに徳川についた加藤左馬助嘉明を見限って出奔した塙団右衛門直之。
 小早川隆景の下で剣術を指南していた高名な剣豪を父に持つ薄田隼人兼相。
 次々と名乗っていく者達全員が、これから運命をともにする仲間たちであった。
 その中には、実に意外な者の顔があった。
 「黒田官兵衛の元家臣、後藤又兵衛基次」
 飄々とした口調で名乗った長身の男を見た瞬間、源次郎はあっと声を上げてしまいそうになる。
 その男こそ、源次郎が紀州の蓮乗寺で出逢った弥八郎その人だったのだ。
 続いて第二次上田合戦の頃から見知っていた勝永が『毛利勝永』と名乗る。
 弥八郎が着席する瞬間、源次郎と視線がぶつかった。弥八郎は片方の眉を器用に上げ、源次郎だけに分かるように目配せをした。

 「知らぬ事とはいえ失礼いたした」
 顔合わせの場が散会となった後。控えの間の一つで源次郎は弥八郎こと後藤又兵衛、そして毛利勝永と旧交を温めた。
 「あなたがあの後藤又兵衛どのだったとは驚きました。けれど、蓮乗寺での槍さばきや知識も納得いたし申した。名軍師・黒田官兵衛どのの秘蔵っ子と呼ばれた後藤どのとともに戦えること、光栄にございます」
 「よせやい。黒田の家はとうの昔に追い出されちまったさね。名もなき武士じゃ仲間を食わせていけないから、戦で『これ』を弾んでもらおうと黒田の名を使わせてもらっただけだ」
 又兵衛が指で銭の形を作ってにやりと笑う。
 「今はもう後藤姓のない『又兵衛』って呼ばれる方がぴんと来るんだよなあ。だから『又兵衛』か、蓮乗寺で名乗っていた『弥八郎』、どっちか好きな方で呼んでくれればいいさ」
 「まあ、俺も紀州からここに来る道中に聞かされてびっくりした口だからなあ。でも弥八郎さんがめっぽう強いのは、やっぱり名のある将から直々に教えられたからだって納得した」
 こちらは森こと毛利勝永である。
 「勝永どのは改名されたのか」
 「小田原の北条氏の真似事だけどな。大坂で毛利と名乗れば少しは待遇が良くなるかと思って……俺は関ヶ原じゃ大した武功も挙げられないまま牢人になったから、勘違いでも何でもいいから名を覚えてもらうための『はったり』だ」
 「こいつを将に推挙したのは俺だ。あの寺じゃ一番優秀だったし、寺から一緒に大坂まで来た連中からの信頼も篤い。はったりに見合うだけの働きをしてくれるだろうよ……まあ、俺だって黒田の名を使った『はったり』の塊みたいなもんだから、人のことをどうのと言えないけどな」
 すっかり庶民じみた口調でけらけらと笑った又兵衛は、『ま、よろしく頼むわ』と気さくに握手を求めた。応えた源次郎に『こんな小さな手で武田菱の朱槍をぶん回すんだから大したもんだよ』と目尻に皺を寄せて。

 思わぬ再会を果たしたのは源次郎だけではない。
 屋敷に戻ると、客間では一人の中年武者がさちと茶を囲んで話をしていた。
 「お帰りなさいませ、旦那さま。すぐに夕餉を用意いたしますわ……こちらは、旦那さまにお引き合わせしたくて待っていてもらったのです」
 「そなたは、たしか軍議の場にいた……」
 「大谷刑部が長男、大谷吉治にございます」
 「刑部さまの……ということは」
 「わたくしの弟でございます」
 さちが嬉しそうに報告した。言われてみれば、確かに柔らかな物腰や目元がさちに似ている。全身から漂う雰囲気は大谷刑部にも似ていた。
 「関ヶ原での戦の後は行方知れずになっており心配していたのですが、戦場で石田さまの敗戦と父の自害を聞いてすぐに家臣を連れて若狭まで落ち延び、これまで永平寺の近くで農民として潜んでいたそうです。旦那さまが大坂に入ったと聞いて駆けつけてくれたのですわ」
 「あの時は生き残った家臣を助けることに精一杯で、実家を気にかける余裕もなかったのですが……まずは姉が息災で安心いたしました。それも左衛門佐さまのおかげだと話していたのです。ここ大坂で再び徳川と戦うことになったのも巡り合わせなれば、左衛門佐さまのお力になることで姉のご恩をお返しするとともに、何としても徳川を倒して父の無念を晴らしとうございます」
 「それは心強い。義兄弟として、よろしく頼む」
 「はっ。ありがたき幸せ」
 「そう堅苦しくならずに。さちには私も随分と助けられた。厳しい配流生活にも泣き言ひとつ言わずに耐えてくれたのだ、礼を言わねばならぬのは私の方だ……よかったら、酒を汲み交わしながら刑部さまの思い出話などしようではないか」
 「恐れ入ります。ではお言葉に甘えて」
 のちに大谷は源次郎の旗下に入り、冬の陣では真田丸でともに戦うことになる。

 そしてもう一人。
 「真田左衛門佐さまのお屋敷はこちらでございますか?」
 翌日には、一人の老兵が源次郎の屋敷を訪ねてきた。
 「あなたは……」
 「和久宗是でございます。仙台藩から参りました」
 小田原でちらとお目にかかって以来ですな、と和久は小声で言って笑った。
 「仙台?では伊達どのの処から」
 「太閤殿下亡き後から伊達の大殿に仕えておりましたが、素行不良で暇を出されてしまいましてな。どこにも行き場がないゆえ、古巣である大坂城に入った次第」
 「暇でございますか」
 「いろいろありましてな」
 源次郎が知る由はないが、和久は政宗が大久保長安事件で幕府から連座を問われそうになった際に主を助けた本人である。
 その場で断ったとはいえ大久保から賄を差し出されたことが誤解を招き、主君の名を汚したとして和久が仙台藩から追放された事で政宗は連座を免れ、仙台藩は事件とは無関係という結論を幕府に出させたのだ。
 政宗に危ない橋を渡り切らせた和久はその後牢人としてかつて仕えていた大坂城に入り、源次郎を訪ねて来たのである。
 「これは、暇を出される際に伊達の殿からお預かりした品にございます。左衛門佐さまに渡すようにと」
 和久は荷物をほどいた中から文箱を差し出した。
 「……少し待ってくだされ。和久どのは伊達どのから暇を出されたのでは?」
 「ですから、『いろいろ』あるのですよ」
 和久に促されるまま、子雀の絵が描かれた文箱を開ける。途端に源次郎は眼を見開いた。
 「これは……」
 中には一首の歌とたくさんの扇。

 夏木立 花は薄井の峠かな

 「薄井、か」
 文字を書き換えて誤魔化しているが、源次郎にはすぐに分かった。信濃の隣国であり、豊臣の北条攻めにあたって真田・上杉・前田の三国が中山道の峠に揃って松井田へと侵攻した地が碓氷である。この時、源次郎は碓氷の峠にて熊野の八咫烏を祀る神社に戦勝祈願の祠を寄進していた。
 源次郎が見た景色と同じものを政宗も見たこと、そして信濃界隈はいまだ安寧であると伝える意図であろう。
 そして扇は家族の人数分。
 「左衛門佐さまのご家族の皆様にと仰せでした」
 男性用の細骨の扇二柄には、柄の部分に助、八と子供の名の一部が金字で刻まれている。
 さちには法名である竹林院にちなんだ竹の絵の扇、娘達にはそれぞれの名にちなんだ絵柄が描かれた金銀の黒骨扇。黒骨は婚礼の際に親が持たせる品であったから、これは政宗の親心である。
 源次郎こと繁には二柄。白鷺の扇は上杉の人質時代、政宗と初めて逢った時に源次郎が練習していた舞の演目に因んだのであろう事はすぐに想像がついた。そして、要の部分から持ち手にかけてたなびく革の短冊が施された、ずしりと重たい鉄扇。
 采配にも防御にも使える扇…戦場で大将が用いる品を妻に贈る。つまり政宗も覚悟を決めたという事なのだろう。
 「伊達どのからの品、たしかに受け取り申しました。しかし……」
 和久はどこまで事情を知っているのだろう。戸惑う源次郎を、和久は「何も申されますな」と止めた。
 「殿(政宗)とあなた様との間にどういった縁があるのかは拙者が詮索する筋ではないと存じます。が、拙者は殿とあなた様との『つなぎ』という密命を頂いてここに参りました」
 「政宗どのの……」
 戦う覚悟は決めたが、政宗はまだ他の道…互いに生き残る道を探り続けている。和久のことは、その一環なのだ。
 「殿は左衛門佐さまをくれぐれもよろしく頼むと仰せでした」
 「では私の麾下に入っていただきたい。そうすれば密命も守りやすいであろう」
 「ありがたき幸せ。この宗是、殿からの信も篤い左衛門佐さまを生涯最期の主と出来ることはまこと光栄至極にございます。必ずやお役に立ってご覧に入れましょうぞ」
 「生涯最期などと……死んでもらっては困るぞ。我らは生きるために大坂に集っている」
 「これは失礼いたしました」
 坊主頭をぴしゃりと売って笑う和久にうってつけの相手がいることを思い出した源次郎は、その場に高梨内記を呼んで和久を紹介した。
 「内記。和久どのと同室を頼めるか?江戸の情勢も聞いておいてもらいたい」
 「承知しましたぞ。和久どのと申されましたな、お近づきの印に碁など一局いかがでしょう」
 「おお。それは良うございますなあ」
 意気投合した老兵二人は、楓に酒を所望すると内記の部屋に引き揚げていった。老兵といえども政宗の密命を受けるほどの者ならば、軍師として内記らとともに大いに役に立ってくれるだろう。
 源次郎は、政宗から貰った鉄扇に触れてみる。
 漆と螺鈿で美しく飾られていても、ひやりとした鉄の感触は指に伝わってきた。戦場では、これが焼けた火箸のように熱くなるのだろう。
 白い革を細く裂いてまとめられた短冊は戦を重ねるたびに血に染まり、鉄によく似た匂いが染みこんでいく。
 間もなく立つ戦場で、自分がこの房を振るたびに数多の命が失われるのだ。策が的中しようとしまいとお構いなしに。
 それを分かっていて鉄扇を贈った…信ずるまま戦えと自分の背を押してくれた政宗の心中を思うと複雑な思いであった。もしかしたら、政宗の軍勢に向けて采配を振ることもあるかもしれない。
 (そうならぬよう政宗どのも動いてくれているのだ。信じなくてどうする)
 夏の雷雲のように心に次々とわきあがる不安と向かい合いながら、源次郎は鉄扇を手に何度も大きく息をついて心を落ち着かせるしかなかった。
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