第28話 尽きぬ夢、見果てぬ夢

文字数 34,762文字

慶長十五年・九度山

 時間の流れは江戸も九度山も等しく同じである。
 還暦を越えた昌幸も日々迫り来る老いには勝てず、髪は真っ白になり村を散策する際には杖を手放せなくなっていた。遠目に見れば、足取りも覚束ない一人の老人である。
 それでも昌幸は、毎朝の身支度だけは武士であった頃のままきちんと整えていた。いつ何時、中央で戦が起こっても出陣できるくらいの心構えで居続けるこだわりには何とも言えぬ哀愁を感じたが、繁は父の矜持を守るため何も言わずに父の髷を結い続けている。
 朝は相変わらず真田屋敷に出入りしているが、物騒な事は何も起こっていないためにいつしか誰にとってもそれは当たり前の光景となってしまっていた。

 幕府から松平姓を、朝廷からは越前守と兼任する形で陸奥守の地位を授かっていた政宗は、京都へ出仕するたびに繁のもとへ通っていた。長男の大助に続き、十年ほどの間に阿梅、阿久理(あぐり)、かね、桐、菖蒲と、五人の女子が続けて誕生したのだから、どれだけ足繁く通っていたかが伺える。おかげで九度山の真田屋敷はきよも含めて七人の子が暮らす大所帯となっていた。つき従って来た高梨内記の娘・楓はいつの間にか佐助と夫婦になり、繁が四女の桐を産む直前に子を産んだ事で桐の乳母となったので、屋敷は楓の子も交えて子供たちの声で常に賑わっている。
 繁の子らの名付けは、すべて政宗が行っていた。阿梅の次に生まれた娘『阿久理』は、禅僧から神仏が暮らす天上界と人が暮らす地上界は渾然一体となり巡っているのだという意味の説法を受けた頃に誕生を聞いて名付けたのだろう。その他の子らは女子によくあるように生まれた季節の風景から選んでいると想像できた。金色の稲穂が風を受けて波のようにたなびく中、寺の鐘に耳を澄ませていた時に誕生の報せを聞いたから『かね』、桐の花咲く季節、あるいは菖蒲の美しい季節に生まれたから桐や菖蒲という具合に。
 名は政宗が直接持って来ることもあったし、誕生前に忍から届けられることもあった。が、どちらにしても生まれたと知らせれば早いうちに政宗が顔を見に来る。それだけで繁は幸せであった。
 政宗が九度山に通ってくる時には常につき従う片倉小十郎景綱は、嫡男の重長を伴って九度山を訪れるようになっていた。腹心として仕えるのならば秘密も共有するべきだとして政宗が命じたらしい。奥州平定や会津といった歴戦で鬼と喩えられた父親の景綱によく似た力強い風貌を持つ若侍は、実は子供好きで面倒見が良いという意外な一面を持っていた。九度山を訪ねれば繁の子らを弟妹のように可愛がりよく遊んでくれ、侍に憧れる大助には剣の稽古もつけている。
 その中でもことさら重長を慕っていたのは阿梅であった。重長の来訪があると真っ先に駆けつけ、帰る日には次はいつ逢えるのか泣いて訊ねるのだ。
 「阿梅は随分と重長に懐いているじゃないか」
 紅葉も見事な九度山の里、庭に散りばめられた楓の赤い葉を拾って遊ぶ梅と重長を見守っていた政宗が笑った。
 「まるで兄妹のようですね」
 母の乳を恋しがる末娘の菖蒲をあやしながら、繁も同じ景色を眺める。
 「筒井筒って言葉は徳川が他を出し抜く際の常套句だから好きじゃなかったが、実際目の前で見ると、本来の意味の筒井筒ってのは悪くないものだ」
 「まさか。阿梅はまだ八つですよ?重長どのとは十七も違いますのに」
 「……繁。おまえ、初恋っていつだった?」
 「はい?」
 「俺は六つの時だったぞ。小十郎の姉」
 「そうなのですか?」
 「……私の長姉が政宗さまの乳母を仰せつかった縁で、下の姉も義姫さまの侍女として奉公しておりました。ご幼少の政宗さまはその姉に随分と懐いていると思っておりましたが、やはりそうでございましたか」
 小十郎が政宗の告白を裏付ける。そして繁は、その年頃の自分には剣術の鍛錬と学問以外に何もなかったことを思い出していた。
 何より、男子として男子の中で育ったのだから、男子を異性と見ることもなかったのだ。
 「私は……政宗どのと逢うた頃は『男子』でしたから」
 「ほう。じゃあ俺が初恋の相手って訳か」
 「悪うございますか?」
 そこで顔を赤らめてしまい政宗に勝ち誇った顔をされるのも癪な気がして、繁は開き直ってみせた。だがやはり政宗の方が上手で、『それは好都合だ』とやはり勝ち誇ったように笑うのだ。いつまで経っても、繁は政宗に敵わない。
 「それなら尚更、初恋が成就するのは良いものだと思わないか?」
 「ええ、まあ、それは……ですが、まさか政宗どのは本気で?」
 「今は無理だが、子供達が育つ頃にはまた情勢も変わっているかもしれない」
 いや、変わるだろうと政宗は小さく呟いた。先に昌幸と交わした夕餉の会話が繁の脳裏に思い出される。どのように変わっていくのかは、昌幸と政宗とで見解が分かれるのだろうけれど。
 「重長はこれからの仙台藩を支えてもらう男だ。武士としての技量も学問も誰より秀でているし、何より小十郎に似て忠義に篤い。戦となれば大将でも城代でも安心して任せられる」
 「恐れ入ります……」
 景綱は軽く頭を下げる。武の腕も超一流だが、どちらかというと策略を好む政宗の無謀を諌めたり、必要であれば主が思うまま振る舞えるよう入念な地ならしや根回しをする頭脳が子にも受け継がれて奥州の存続に繋がっていることは想像にかたくない。
 「俺の大事な娘をやるんだ、この左眼で見極めた男を選びたいと思うのは父親の本心だろうが」
 「……でも、そのためにはこの子らが赦され九度山から出なければなりませぬ。果たしてそのような世の中が訪れるでしょうか」
 「指を咥えて待っているだけじゃ駄目だろうなあ。が、機は必ず訪れる筈だ」
 「まさかとは思いますが、何かを考えているつもりではないでしょうね?」
 自ら浅間山の火口に投げ込まれる藁となるつもりなのか。政宗なら本当にやりかねないだけに繁の言葉が固くなったが、政宗はすぐに「それはない」と否定する。
 「俺の頭上には常に何かしらの重石がある。それを砕いて頂点を極めることはどうやらできぬ運命らしいが、座りの悪い場所をそれなりに居心地良くして己の裁量を増やすくらいの気概はまだあるさ」
 「どうか無理はなさいませんよう」
 「ふふっ、心配には及ばないさ……」
 軽く笑った政宗の視線が繁の背後に流れた。左眼の眼光が向かった先に、いつ現れたのかあの朝という男が立っている。
 「繁さん、どうも。……おや、来客中でしたか。これは失礼」
 「……」
 朝は繁と政宗に会釈をすると庭を横切り昌幸のいる離れへ消えていった。政宗も火薬の臭いに気付いたようで、筋が通った鼻を軽くひくつかせて彼が消えた先をじっと見据える。
 「あの男は?」
 「もう何年も前から父上のところに通って来る者です。信長公の時代には足軽鉄砲隊として各地の戦に徴用されたと聞いていますが、正体については何も」
 「正体ってことは、やっぱりおまえにも『臭った』か」
 「一応、私も武人の端くれでしたから」
 政宗は興味深そうに「ふうん」と顎をしゃくった。
 「あの親父さん、まだ『考える』ことを止めてないのかな」
 「やはり只者ではないと思いますか?」
 「なかなか面白い奴だ……そうか、ここは紀州だからか」
 「……」
 雑賀衆。佐助の言葉が思い出される。政宗も同じ言葉に思い当たったのだろう。さらなる確証を得たいと考えた繁の心中を見破った政宗は、意外にも釘を差して来た。
 「まあ、おまえが気にする程に大事ではないだろうさ。大丈夫、あの親父さんが招いた客人なら悪いようにはならないだろう」
 政宗はニヤリと笑った。大大名である政宗の方が繁よりも多くの情報を掴んでいて当然なのだが、やはり自分の無知が口惜しい。
 繁の不満がわずかに顔に出たのか、政宗がいつものように繁の頭に手を置く。それを合図に小十郎景綱は黙って場を離れ、二人は繁の自室へ場所を変える。
 ひっそりと平和に暮らせればいい。そう願っていたのに、すでに自分が社会の動きから切り離された過去の人間だと思い知るのはやはり寂しかった。愛する者に守られていると実感できていてもなお、である。
 人というのは、一生ないものねだりに足掻き続ける生き物なのか。
 それとも繁の野心はまだ心の奥で燻っており、過去と決別できずにいるのか。


 「繁さまご夫妻に、六人目のやや児がご誕生ですって」
 上田。かつての櫓門のすぐ前に源三郎が新築した城主の居館にて。季節の変わり目特有の寒暖差からか山手が体調を崩したと聞いて江戸から一時戻っていた稲は、寝所で縫い物をしている山手の部屋に白湯と文を持って現れた。
 九度山の賑やかさとはうって変わって、子らが既に元服して上田をはじめ沼田や江戸へと父の補佐として働いているため、こちらの屋敷は静かなものであった。
 昌幸が普請した上田城は、家康が幕府を開くと早速取り壊された。石垣以外はすっかり更地となり、昌幸によって二度も煮え湯を飲まされた尼ヶ淵も埋められている。
 源三郎は信濃国の主城を沼田へ移したが、それは名目上だけである。上田の地から真田家の者が去っては先祖に合わせる顔がないと、せめてもの意地として居館を城の側に構えて政務はこちらで執り行っていた。日頃は山手が繁の養女すえと共に静かに暮らしている。
 「そう……ではあちらは賑やかでしょうね」
 行燈の灯りをたよりに、山手は真っ白な晒し布の波の真ん中で針先を動かしていた。稲が嫁いで来た頃より一回り小さくなった義母が無心で縫い物に没頭する姿は神仏に祈りを捧げる時のようでもあり、煩い事を忘れようとしている風にも見える。
 めっきり白髪が目立つようになり、手を休めてこめかみを指で押さえる仕草が増えた義母の仕事を、稲はあえて手伝わずにいた。山手が自らの手だけで縫い上げることに意義があると知っているのだ。
 「殿(昌幸)のお心も、孫たちの笑顔で紛れていると良いのですが」
 「きっとそうですわ。信吉や信政の頃と同じように、良きじじ様として笑ってお過ごしでしょう」
 「ええ……繁を男児として育てると聞かされた時には、まさかあの子が母になるなど思ってもみませんでした。けれど、こういった形で殿のお力になってくれているのならば何と幸せなことでしょう」
 山手は繁の相手が誰であるかを知らない。稲も同様である。九度山の里人なのか、それとも何処かの武士なのか。知らせないのは事情あっての事なのだろうと詮索もせずにいた。
 昌幸が何も言わないまま立て続けに六人もの子に恵まれたのであればきっと幸せなのだろう。ならばそれで良い。
 「武士として育ててしまったゆえ、わたくしはあの子に母親として何もしてやれませんでした。それが武家の宿命とはいえ、やはり茨の道をゆく子の傍にいてやれないのは心もとないものです」
 軽く吐いた息とともに、手元で泳ぐ晒し布が止まった。繁が立て続けに子を産んだことは、結果として山手の生き甲斐にも繋がっていることを稲は知っていた。無心のままに指先を動かす針仕事は、もう一人の子のため夫と離れて暮らすことを選んだ老母の不安をつかの間でも忘れさせてくれるのだ。
 稲は白湯を山手の邪魔にならない場所に置き、ひとつ息をしてから切り出した。
 「……お義母さま?」
 「何でしょう」
 「わたくしの名で九度山に贈った産着や襁褓(むつき)はすべてお義母さまのお手製だということを、繁さまはご存じですよ」
 「!」
 「お言いつけを守らぬ嫁で申し訳ありませぬ」
 「……繁……」
 深々と頭を下げた稲の眼前で、晒し布が止まった。山手の心の乱れが、そのまま行燈の炎を揺らす。
 「わたくしが勝手に信濃へ戻ったことで、殿や繁には憎まれているとばかり思っていました……それゆえ……」
 「母を憎む娘など、どこにおりましょう。お義母さまのお心は、ちゃんと繁さまに伝わっております。今もきっと、お義母さまから産着や襁褓が届くのを心待ちにしていらっしゃいますわ」
 「繁……そして子供たち……」
 逢いたい気持ちを込めて縫っていた布を抱きしめ、山手は両手を合わせていた。
 「お釈迦さま。どうか……どうかあの子をお守りください……このまま平和に生きられますように」
 娘を持つ女親の願いに、時代や身分の違いはない。母としての願いが口をつき、想いが声を詰まらせた。晒し布に雫の染みが広がっていく。
 ただただ息災であり、夫として選んだ男性と平穏に人生を全うしてくれればそれで良い。表舞台にも…戦場にも出ることなく、ひっそりと生きてほしい。
 
 しかし、山手の願いを届けるには、九度山はあまりにも遠すぎた。


 九度山に来て十一年が過ぎた慶長十五年の暮れに流行り風邪に罹った昌幸は、年が明けても床から出られない日が多くなった。
 齢、数えにして六十五歳。秀吉の享年を上回る高齢となった身は、ほんのわずかな変調であっという間に『殿様』を『老人』へと変貌させてしまう。顔が土色になり頬もやつれ、長年愛用していた着物の肩が落ちるほどその身は痩せて小さくなっていた。かろうじて屋敷内だけは自力で歩いてはいるものの、歩調は小刻みでとぼとぼとしたものである。そこに徳川と渡り合った頃の面影は微塵もない。
 口には出さないが、繁をはじめ屋敷の誰もが昌幸の旅立ちを頭の片隅に置くようになり始めたある朝。
 「繁。後で離れに来るように」
 寒さが緩み始め、雪の少ない九度山では早くも畑起こしが始まる季節。日差しに春を感じさせたその日、久方ぶりに寝間着から日常着に着替えた昌幸が朝餉の後の薬湯を片手に告げた。
 何気ない一言が、今この雰囲気の中では重たく響く。
 さちや子供たちに片づけを任せ、固い表情で茶室へ渡った繁が草履を脱ぎ離れの潜戸を開けた瞬間、強い刺激が鼻をついた。離れに出入りしている朝と同じ匂いである。
 「おまえがこの部屋に入ったのは初めてであったな」
 昌幸が朝という胡散臭い男とこの部屋で何かを話していると知ってから、昌幸が不在の時であっても離れは何となく近寄りがたくて避けていた。掃除に入ろうとしたさちですら「ここは茶室でもある。掃除に始まり掃除に終わるのが茶室の亭主たる心得であろう」と追い払われ、昌幸は離れに誰も入れたくないのだと気付いて遠慮しているのだとこぼしていた事がある。
 それほど頑なに守っていた自分だけの空間に、初めて子を招く。
 即ちすべてを引き継ぐつもりなのだと繁は勘づき、同時にこれまで感じたことのない類の不安に襲われた。父が何を考えているのか、ではなく、父はすでに自身の身に近い将来起こることを予期しているのだろうかと。
 子の立場からすれば、親には何も知らないまま眠るように旅立ってほしいと願うものである。けれど実際その願いが叶ったとしても、多くの場合それは子の思い込みなのかもしれない。自らの天命を悟りながらも子に心配をかけまいと『その瞬間』まで何も知らない振りを貫いているのだとしたら、それは親が子に示す最期の思いやりであり愛情なのだろう。
 が、繁がそういった心境に至るのはまだ先のこと。今は漠然とした不安だけを抱えて父の正面に腰を下ろすと、当の昌幸は震える手つきで茶釜に湯を沸かし、それを待つ間に繁の前で巻物を広げた。
 「これを」
 それは細かく図面を刻んだ設計図であった。大坂城に勤めていた頃に石田治部を手伝って何度か治水工事などに携わり現場に立った事もある繁は図面を見て面食らう。
 「これは大坂城ですね。そして東南に……これは砦ですか、それとも城ですか?」
 「控えめに申せば砦だが、構造は城じゃ」
 大坂城の東南、三の丸の外堀のさらに外に線を引いた出城の図面がそこにあった。大坂城でも、秀頼や淀が住まう本丸周囲は堀が二重に巡らされ、さらに海岸方面へ向かって流れる淀川や天満川が天然の堀となって攻略は容易ではない。もしも自分が大坂城を攻めるならば東南の空堀あたりだと大坂仕官時代に考えた事があったが、昌幸はまさしくその地に出城を築く構想を練っていたのだ。
 図面で見る限り、その広さは大坂城の本丸に匹敵する。その中に櫓を築き、大坂城の弱点に蓋をするという壮大かつ大胆な知略は、九度山での隠遁生活においても枯れていなかったのか。
 「敢えて出城という形を取って四方を取り囲ませ、敵の的となる……なんと無謀な」
 「しかし、この城はそう簡単には陥ちぬ。そのための仕掛けをあらゆる箇所に施した」
 「城の隣に城を造る……もしや徳川公への当てつけですか?」
 「ははは、当てつけか。そうやもしれぬな。軒先から母屋を乗っ取らんとしている奴を追い払う鼠返しか、さもなくば中から燻りだす燻煙の火種か」
 ちょうど湯が沸いたので昌幸は柄杓で湯をすくって茶碗を温め、それを『こぼし』に棄てると覚束ない手先ながら薄茶を点て始める。泡も不均一、ところどころ抹茶が固まったまま供された茶が、昌幸の老いを感じさせた。しかし繁にとっては何よりも温かい親心の味である。
 「徳川め、江戸に幕府を開いたにもかかわらず大坂城内の館もいまだ温存し、駿府と大坂と二条城をうろちょろしておるらしい。どこまでも目障りな奴を相手に、淀どのが黙っているかのう」
 繁はその情報を政宗から得たが、時を同じくして昌幸も同じ話を知っていた。出浦配下の者がもたらしたのであろう。
 豊臣家臣の中で徳川家に次ぐ石高を誇る前田家を従属させたことで徳川は一気に増長し、あくまでも清廉を求めて徳川に敵対した石田三成をも関ヶ原で排除した事によって権勢を欲しいままにしたのだった。真田父子も、その流れの果てに今ここに居る。
 同じ時代に、表裏比興の者ふたり。昌幸と家康は映し鏡のようなもの。ゆえに互いを嫌いあう。それは本人同志がよく解っていたであろう。
 だが昌幸は諦めていなかったのだ。おそらく九度山に入った時から、戦では一度も敗れたことのない相手に運命を支配されたまま終わるつもりなどなかったのだろう。徳川のような男のやり口でまんまと専横を許してしまった大坂方に対する憤りも、その場に自分が居られなかった歯痒さもあるかもしれない。

 話は昌幸の茶室に広げられた設計図に戻る。
 九度山に隠遁しながらこのような設計図を描いていたのは、ただの道楽ではなかろう。発想自体は夢物語のようなものであるが、図面に記された構造はどれも現実的かつ実用的である。本気で徳川に『あてつける』つもりでなければ、あるいは執念が続かなければここまで練り上げる事など出来ないであろう。
 「父上は、ふたたび徳川と豊臣との間で戦が起こるとお考えなのですね?」
 「まあな。あやつの考える事など手に取るように解るわい」
 昌幸は苦笑いを含めた息を吐いた。
 「すべてを手中に納めておかねば気が済まない男が、今のような二重の権力構造を良しとする訳がなかろう。将軍になったのだから江戸や駿府に権力を集中させれば良いものを、あえて大坂をうろつくことで淀どのの苛立ちを煽っておるのだ。不興を買い、一触即発にまで険悪させたところで何らかの火種をぶちこむ気であろうな。豊臣を完膚なきまでに叩き潰すほどの火種だ。だが二重権力を望まないのは大坂も同じ」
 繁は秀吉の晩年から関ヶ原の戦いまでの記憶をなぞった。豊臣政権末期でいうところの安定だの力の均衡だのというのは表面だけであったから、均衡が崩れた途端にあのような戦に発展したのだった。織田の頃から天下人の栄枯盛衰を目の当たりにしている家康が、それらから学ばぬ筈がない。
 徳川は既に幕府の基盤を固めにかかっているが、それを豊臣方が……織田と浅井の血筋による天下に人生を賭けてきた淀が指を咥えて見ているとは考えづらい。豊臣秀頼も独り立ち出来る年齢に成長したであろう今、何か些細な事件でも起こればあっという間に均衡は崩れるであろう。
 こと中央の情勢において、父の予見は外れた試しがないのだ。
 繁は口の中にひどい渇きをおぼえた。父がここまで周到に用意を進めていた。その洞察力に対してだけではない。今ある暮らしが崩されることへの漠然とした恐怖が繁の頭に冷水を浴びせ、思考と呼吸以外の身体機能が止まってしまったのだ。
 「ですが父上。すでに江戸で幕府が開かれ、徳川の将軍家としての立場は盤石となりつつあると聞いております。豊臣家と徳川家との結びつきも強くなった今では政情も安定を取り戻していれば豊臣を潰す必要などありますまい……戦は回避できるのではないでしょうか」
 一縷の望みは、昌幸によって「それはない」と断ち切られた。
 「望む結果は異なるが、淀どのも家康も、秀頼公をこのまま一介の大名に留め置くことを良しとすると思うか?」
 「……」
 返す言葉は見つからなかった。淀の宿願は、豊臣ではなく織田・浅井の血をひく秀頼を天下に据える……大叔父が統一した天下を、然るべき者が受け継ぐことなのだ。生涯の大半をそのために費やした淀には自負もあるだろう。石田三成のように、屈服するくらいなら戦う道を選ぶことは想像にかたくない。
 しかし、繁が知る限りでも今の大坂方の力は関ヶ原当時より格段に下がっている。戦の最中に寝返った者、命と引き換えに地方への転封と臣従を迫られた者、国を守るため自ら徳川に臣従した大名は数知れず。上杉景勝ですら徳川と講和した上で越後を召し上げられている以上、戦となれば徳川方での参戦を余儀なくされるだろう。北方の伊達政宗とて事情は同じ。
 戦が避けられないというのなら、目の前の現実を見なければなるまい。繁は改めて図面に目を落とした。
 広大かつ堅牢な豊臣の城に、さらなる手を加えて新たな出城を築く。太閤の全盛期であれば仰天したのち大乗り気になったかもしれない大胆な策である。その隣で、大坂の財布を握っていた石田治部は渋い顔をしただろう。
 しかし繁は図面を自らの記憶の中にある大坂の地形に重ね合わせた上で疑問を抱いた。
 「大坂城の南、四天王寺の隣には茶臼山がございます。東へ抜ければ京都へ続く道。援軍を得るにも退路を確保するにも、おそらく徳川軍はこのあたりに本陣を構えるでしょう。豊臣を潰すつもりならば十万、いや全国の大名を動員すれば二十万の兵力を用意する筈。大坂が数でどのくらい対抗できるかは不明ですが、戦となればまずはこの出城が恰好の的となるのは明らかです。兵を引きつけるには良い場所ですが、徳川の大軍を撃退するには至らないのでは。万が一にもこの出城を制圧されれば、本丸への足掛かりを与えてしまう事になりかねませぬ」
 現在大坂に残っている将で、徳川を相手に奮戦できる……徳川が看過できない者が居るとしたら誰であろう。よもやこの出城に豊臣本陣を構え、秀頼を据えるとでも言うのか。
 繁の疑問も予測済みだと言わんばかりに、昌幸はニヤリと笑った。
 「無論、兵力はここに集中する。危うい戦となるが、守るのが徳川の天敵たる真田の兵ならばどうだ?」
 「!」
 「あやつは六連銭の旗を見ただけで震え上がり、大局を見ることすら忘れるだろうて。最も怖れるものから潰す、それが徳川家康だ」
 「まさか父上、そのお体で大坂に入られるおつもりでは」
 「これまでずっとその機会を待っておったのだ。その時に健勝であれば、この老体を引きずってでも向かうわい。が、その時が訪れるのとわしが旅立つのと、一体どちらが先になるやら……ゆえに、おまえに全てを託しておく。この廓こそ徳川を打ち砕く城塞となろう。名付けて」

 真田丸

 昌幸は、廓の中央に筆で書き足した。出城に自らの名を冠する絶対の自信と思い入れ、そして執念を感じる名であった。
 「入れ物だけではない。これだけの廓に見合う武器もあるぞ」
 昌幸にしては珍しく、まるで玩具箱を開けるかのようにわくわくした口調で地図の上に巻物がもう一枚広げられる。
 そこには大筒とおぼしき武器の設計図が尺、寸、分に至るまで緻密に描かれていた。尺をもとに頭で思い描いた完成予想図は、それを三基も並べればこの屋敷の敷地が満杯になってしまいそうな程である。
 「わしの自信作だ。大友宗麟が臼杵に配備していたという『国崩し』が下地になっているが、一挺あれば船をも沈められる石火矢の威力と大筒の機動性を兼ね備え、鉄砲で使う早合の技術を用いた弾で装填から発射までの時間が格段に短くなるよう改良してある。複数装備すれば、これまでにない速さと威力で弾を撃ち込めるようになるだろう。なかなかの傑作になるぞ」
 昌幸が早くから火力を使った戦に興味を持っていたのは、上田で初めて火縄を見せてもらった頃から知っていた。しかし、どれほど博識で研究熱心とはいえ、想像だけで設計した武器が実用化してしまうのは無理がある。
 そこで繁はぴんと来た。いや、九度山に来てからの昌幸の振る舞いの意味が繋がったのだ。
 「これはもしや、あの『朝』という者とともに設計なさっていたのですか?」
 「まあ、あいつとわしの共通の趣味から始まった産物のようなものだが……これからの世、このくらいの火力は必要となるだろうて」
 昌幸は喉の奥に詰まった痰を取るような咳を何回かした後、茶室の外へと目をやった。
 「信玄公の時代には騎馬と槍が主流であった戦場が、わしが生きている間に火縄は当然となりさらに大砲で蹂躙するものに変わってしまった。戦が武器と兵法を育てるとはよく言ったものよ」
 「関ヶ原のような大戦でも、このような大きさの大砲の話は聞いたことがありませぬ。本当にこの大砲を使うような戦になると考えると正直寒気がいたします」
 「だが、使わなければなるまいて」
 では、やはり『その時』が訪れた日に真田家は…繁はその流れに乗ってふたたび戦場に立つ事になるのだろうか。
 昌幸は、自分の言いたい事が繁に伝わったことを確かめるように「うむ」と頷いた。
 「おまえは、この真田丸をもって再び戦に身を投じることになるだろう。戦国の世に生まれた武士はすべからく後の世の礎となる宿命をもっているのだ。どのように足掻いても、命あるかぎり戦から離れることはできぬ」
 「私が……」
 正直、そのような実感はない。すでに六人もの子を産んでいる母親が、ふたたび鎧をまとって槍を取る日が来るというのか。
 「その行李を開けてみよ」
 促されるまま蓋をずらしてみると、そこには大砲の設計図以上の宝が眠っていた。
 まず、これまでの戦では見たこともない程洗練された鉄砲が一挺とその設計図。繁もよく知る一般的な短筒である堺筒より長さ、口径ともに大ぶりだが軽く、火挟や火皿、筋割に柑子(こうじ)、台締金にはわざわざ細工を施した銅があしらわれている。銃の部品を留める地板と台木をつなぐ鋲にいたっては、丁寧なことに六文銭の意匠が浮き上がるよう組まれていた。そして膨大な数の紙束。
 それは昌幸の文字でびっしりと刻まれた日録だった。日時単位で綿密に記された過去の戦に、昌幸の考察や敵将の性格分析、試みた戦術の効果や改善すべき点が加わっていて、それだけで一冊の戦術書となりそうな充実ぶりである。無論、対徳川家康の項目も記されている。束の下方は薄茶けて擦り切れていた。そちらも昌幸の文字に似ていたが、字面を追っていくと『信玄公』『典厩殿』といった名や『川中島』といった地名が記されていた。
 「わが父、一徳斎から授けられた戦記にわしの戦記を重ね綴っていたものだ。すべておまえに託そう。必ずや役に立つであろうぞ」
 「しかし私は一線を退いて久しい身。それに子もおります。もはや繁という名の一人の里人として生きてゆくのが身の丈に合っていると思うておりますれば」
 「それは、おまえの心からの声か?」
 「……!」
 昌幸の眼を、繁は直視できなかった。昌幸はそれを咎めない。
 「まあよい。まだしばしの猶予はある、己自身で先を決めるがよいであろう。事が起こった際にわしが生きておれば、これはわしが使うゆえ」
 昌幸の徳川家康に対する執着は、繁が思っている以上らしい。もし昌幸が戦場に出ることがあるとしたら、本当にこの大筒で家康の本陣を狙い撃ちしかねないだろう。
 鬼籍に入っていたとしても、平将門の如く怨霊となってまで家康を祟るかもしれない。あまり想像したくない未来であったが、十年以上経ってもなおこれだけの執念を抱いていたのだから、昌幸ならば実際に関東まで首を飛ばして行きかねなかった。


 「あの、繁さま……」
 茶室から自室に戻り、ぼんやりと物思いにふけっていたところ、きよが外から声をかけた。入れと声をかけると、実に意外な二人がおずおずと現れる。
 思いつめた顔をしたきよと、佐助や才蔵と同じ時期に繁の家来となった忍衆の一人、穴山小助である。もともと武田二十四将の一人・穴山梅雪の甥として武家で育ち、武芸の心得があった事から上田での戦でも戦功を挙げており、昌幸からも一目置かれていた。
 一方、きよは数えで二十歳になり、林檎のようにふっくらとしていた頬もいつしか細面に締まって大人の顔になっている。中央に居れば良い縁談が引きも切らないだろうと思われる美しい娘に育ったきよは、真っ赤な顔をして俯いている。大きな目には涙が溜まっていた。
 「きよ、どうしたの?」
 「わたくし……」
 「申し訳ございませぬ、繁さま」
 きよの後ろで両膝をついていた小助が地面にひれ伏す。きよはすぐさま『小助さまは悪くないのです、わたくしのせいでございます』と小助を庇うように繁の方を見た。
 親子ほど歳の離れた二人が庇い合うただならぬ光景を見て、母としての繁はすぐに事情を察した。
 「なるほど。好き合うた男女が添い遂げられるのは自然でありながら難しいこと。それが為せるのなら何を謝る必要がありましょうか」
 「それだけではございませぬ……実は、子ができました」
 「……」
 『えっ?』と出かかった言葉を、繁はかろうじて飲み込んだ。
 一夫多妻や政略による結婚・再婚が珍しくないように貞操の観念が薄かった時代、庶民の性は比較的奔放で、初花を迎えてすぐに男を通わせる娘も少なくなかった。夏の夜や祭りの後などは熱気に浮かされた若い男女が人目につきにくい場所で逢瀬を重ねているので、そういった場所には立ち入らない、童には立ち入らせないという暗黙の了解すら成立している。結果として子が出来れば男女は夫婦となるし、子も出来ず互いの相性も良くないと気づけば相手を替えつつ伴侶を求めて思春期を謳歌する事も珍しくなかった。
 これが『豊臣秀頼の娘』としての立場であれば許されざる恋となるのだが、九度山の真田家はもはや市井の人間であり、きよは里人と交流しながら育った以上里の慣わしに従ったところで何も後ろ暗い事はない。
 小助は海野六郎と同じく祖先を辿れば真田家との繋がりもあり、有能で信頼のおける大事な家臣だ。腕も立つし十勇士の中でも生真面目さを佐助にからかわれているような人柄は誠実そのもので、きよが彼を選んだことはむしろ喜ばしいのだが、彼女の出自と昌幸の予言を考えると心が曇りそうになる。豊臣家の血を受け継いで生まれる子が待ち受ける運命は、如何なるものだろう。
 繁は無意識のうちに目を閉じながら考えを巡らせていたらしい。
 「繁さま?」
 きよの声に、繁はようやく瞼を開いてきよの顔をまっすぐ見据えた。
 「生まれる子は豊臣の血筋。万が一にもきよの出自が発覚すれば、子をめぐる争いも考えられるでしょう。子を守るために、小助は真田家家臣の役目を解いて里人として暮らすことも出来るけれど?」
 「まこと身勝手とは存じますが、お暇だけはご勘弁くださいまし。家督も継げず上田で不貞腐れながら暴れていただけの傾奇者をお供に加えてくださり、繁さまに付いて日の本各地で働くことにより一人前に育てていただいた御恩がある身なれば、もはや生涯を繁さまに捧げることがこの小助の生きる道なのです。それ以外の生き方は考えられませぬ」
 「きよは、それで良いの?」
 「夫の忠節は誇るべきもの、夫が家族より主君を重んじることに何の異論がありましょう」
 「……そう」
 小助の決意は、正直なところ繁にとって有難かった。いざ戦に馳せ参じる事になった日には九度山を出なければならないし、家族を安全な場所に移すことも考えなければならない。様々な場面を想定する上で、どうしても忍衆の力は必要だった。
 「ならば、すでに決まっている心を止める理由などありませぬ。きよは私の娘、そして小助には今後も私の側に仕えてもらいたいと思っているゆえ、覚悟は有難く受け取っておきましょう……ただし、この先何事か起こった際には子の身の安全を最優先なさい。それが親たる者の責任です」
 「!」
 「ありがとうございます、繁さま」
 二人は額を床にこすりつけるように礼をして、身重のきよを小助が庇うように寄り添いながら退出していった。二人の気配が完全に消えた後、繁はずるずると脇息にもたれかかり大きな溜息をついた。
 (守るべきものが増えたか……さて、どのような結果が望ましいのやら)
 自らの子らと同じように、繁はきよとまだ見ぬ彼女の子に想いを馳せた。
 どうすれば、子らの将来をより良い運命の轍に載せられるだろう。母親の視線から考えれば、子らが平々凡々とした現状を受け容れて生きてくれれば幸せではあるが、昌幸が言うように戦が避けられないのならどうなるのだろうか。
 もし繁が『真田左衛門佐幸村』として再び立った場合。考えるまでもなく仕えるは大坂、戦う相手は徳川である。今度こそ源三郎と直に戦うことも考えられる。
 それは繁の夫である伊達政宗についても同じ。
 では、戦が起こってもわれ関せずで隠遁生活を貫いたらどうなるか。
 真田紐を売り歩く忍衆を通じて集めさせている情報では、徳川家康が豊臣家を差し置いて強引に幕府を開いた末にさっさと代替わりして血族による将軍職の襲名の流れを整えようという目論みは、主に西方の大大名にとっては不評であるらしい。このまま国の中枢が東に持って行かれることに対する警戒感もあったであろうが、もともと豊臣政権下で同僚関係にあった者が成り上がっていく様を妬む感情も根強いようである。
 しかし、彼らが豊臣方に集結するとも考えにくい。
 大坂では、野心のない秀頼が権力争いに無関心でいるうちに関白職を頂くどころか家康の手が回って右大臣職から失脚し、今は今上こと周仁(かたひと)親王(後陽成天皇)の妻が秀吉の猶子・近衛前子であった縁にすがってどうにか将来に希望を繋いでいる状態だった。かつての先達にして秀頼の傳役でもある片桐且元や大野治長の苦労が見えるようである。
 さらに家康は秀頼を二条城に呼びつけての会談申し入れまで行っているという。
 会談の申し入れは数年前からあったようだが、いまだ実務上の中枢は大坂にある状態、大坂城内に居館まで持っている家康がわざわざ京都に新築した自城まで秀頼を呼びつけるという暴挙に対して、淀が『用向きならば大坂城天守の最上段に上がって来るべきだ』と再三にわたり拒絶しているという。
 実際、会見の意図は家康の立場が秀頼よりも上であることを世に宣伝するのが目的なのだろうから、淀が拒絶するのは賢明である。
 だが家康はさらなる手段に打って出た。
 天皇の譲位である。
 まだ噂、根回しの段階だというが、今上が東宮の政仁(ことひと)親王(後水尾天皇)に天皇位を譲ることが民の噂にまで上っているのであれば、遠からず譲位が実施されるのは間違いないのだろう。そうなれば、朝廷とは一筋の絹糸で繋がっている立場となった秀頼も即位の礼に参列するため上洛せざるを得なくなる。家康はその際にもう一度秀頼を呼びつける算段だろう。
 そのやり口は、かつて太閤秀吉が聚楽第に周仁親王を招いた振る舞いに当てつけるかのようである。前例を盾に取って豊臣を皮肉るやり方はあまりにも不遜で、淀が怒髪天を突く様相で怒鳴り散らす様が目に浮かんだ。
 (いずれも決定的な出来事には至っていないが、徳川は豊臣家を服従させたいのだろう……徳川は次にどう動くだろうか)
 もしも戦になり豊臣が敗れでもしたら、今度こそ豊臣の血筋は根絶やしにされるだろう。きよの生存が知られ、九度山に追捕の手がかかりでもすれば里の住人にも災いが降りかかる。
 そして、本来ならば昌幸を関ヶ原の直後に処刑された石田三成と同じ目に遭わせたくて仕方なかったであろう家康のことである。豊臣筋の者を匿っていた咎で真田一家を葬り去ろうとすることは充分に考えられた。
 無論、寛大な振りをして一度は赦した者を今になって残虐に処刑などすれば、助命嘆願をした忠臣・本多忠勝や真田信之の忠誠心に曇りが生じる。他の家臣達への影響も避けられないだろう。しかし、それは正面切って断罪すればの話。ただの『戦の巻き添え』として集落を焼き討ちにでもすれば、不慮の事故という動かしがたい名分が出来る。
 そう考えると、安穏と暮らして行こうなどという自分の考えは座して死を待つようなものであったことになる。昌幸はそれに早くそれに気づいて動いていたというのだろうか。
 「まったく、父上の先見の明には敵わないな。どのように足掻こうと、これでは初めから定められた物語の上を歩くようなものだ……登場人物は結末を知らされていないところまで、まさしく」
 結局は、こちらから打って出るしかないのだ。家康が策を練り始める前に。そして、この先何があっても家康より先に動けるように。
 武士として、いずれ九度山真田屋敷の主になる身として。家族に火の粉が降りかかった時には…あるいはそうなる事が避けられなくなったら、自分が槍を取って戦うしかない。果たして自分にそれが出来るだろうか不安はあるが、自分が家族にしてあげられるのは知力と武力を駆使して戦う事だけなのだ。
 「ここにも『愚直の計』がある……避けられ得ぬ運命とあらば、従容ではなく愚直になってみるべきか」
 繁は思いつく限りの事態をまず紙に書き出していった。中央の人間関係を主軸に、戦が起こることを前提にした場合にそこから派生するもの、さらに枝分かれしていくもの。
 (こうしていると、父上が策略に生きるようになったのも解る気がいたします……可能性など、辿り始めれば蜘蛛の巣のように無限に拡がり絡まっていくものですね)
 日数をかけて仮の想定を立てたら、次はそれらへの対策を案じていく。祖父・一徳斎から昌幸に受け継がれた戦の記録と、昌幸が収集を欠かさなかった情勢確認をもう一度検証し、不足している分は忍衆に命じてひそかに情報を集めて来させる。その中で繁は父の偉大さを改めて思い知っていた。
 突拍子もない方法で飄々と徳川を翻弄しているように見えた昌幸も、きっと戦の前には同じようにあらゆる可能性を想定した上で周到な準備を怠らなかったのだろう。繁も、直接の戦においては一度として徳川に敗れていない真田の者として、父の功績に傷はつけたくないとまで考えるようになっていた。昌幸の経験に基づく知略をそのまま実行するのではなく、いざ戦場に入った際の現状に合わせて変化を加える機転や知識も必要になるだろう。想定外の事態にも対応できるよう、綿密な中にも『遊び』の部分を忘れないように。
 勢いでそこまで書き綴るうちに、ふと高揚している自分に気がついた。長年封じてきた箱の紐が解かれ蓋が開けられるように、戦の事を考えると心が疼く。愛する政宗に止められていてもなお、抑えられない気持ちがわきあがる。
 (やはり私は戦に身を置くよう定められた者なのだろうか。男として育ったのも、こうして再び戦が起ころうとしているのも、武士であれという天命であったというのか)
 心を決めた繁は、さちを呼んだ。
 「さち、兵法書は持っているか?それと、大坂から京都にかけての地図が欲しい」
 着のみ着のまま敗走した者をさらに身ぐるみ剥いで山奥に隠遁させることで徳川がひと安心したと思っていたら大きな間違いである。ここには、女でありながらあらゆる時代の戦記や明国の兵法書を読みあさっていた者がいるのだ。施政だけでなく謀略においても長け、太閤に重用された武将の血をひく明晰な姫が。
 繁の問いかけに、さちはにっこりと微笑んで頷いた。
 「はい、衣装行李から取ってまいりますね。こちらには少ししか持って来られませんでしたが、残りは忍衆の皆さんに丹後まで取りに行っていただければ残っていますわ」
 「泉源寺?京極マリアさまがいらっしゃるという」
 「大坂の大谷屋敷で働いてくれていた侍女たちに暇を出した際、彼女たちに父の蔵書を少しずつ分けて託したのです。みな父の城があった敦賀の出身ですから、帰りしなに泉源寺の此御堂に預けて行くようにと……淀さまのご配慮ですわ」
 此御堂は、丹後泉源寺へ移り住んだ京極マリアが畿内でのキリスト教布教の拠点にしているという寺院であった。既に表舞台から去った女性の細々とした活動であるからこそ幕府の監視も緩むということだ。ましてそこへ訪れる女性の素性まで詮索している暇もないだろう。
 「書は宝、知識は財産、そして知恵は力。父が大切にしていたものを、簡単に手放したりはいたしません」


【慶長十六年・大坂】

 九度山で真田親子が来るべき日に備えて考えを巡らせ始めた頃。
 江戸に立ち上げた幕府を秀忠に任せはや幾年。季節と我が身、ともに爛漫と咲き誇る春を謳歌している筈の家康は、木の香も新しい伏見城の縁側で苦虫を噛み潰した顔で脇息にもたれかかりながら扇子を弄んでいた。
 「豊臣の子倅め、このわしの命をすっぽかしおったわ」
 新天皇即位に関する打ち合わせにかこつけて秀頼を呼びつけようと算段していた家康は待ちぼうけを喰らったのだ。
 大坂へ送った文は、きっと淀に破り捨てられているだろう。それゆえ、即位の礼にともなう様々な儀式のほとんどを秀頼に取り仕切らせ、連絡と称して腹心を秀頼に接近させながら会見を持ちかけた。だが返答はいつも書面のみ。なので豊臣家が持つ関白位を引き継いだ九条兼孝に秀頼を招かせた上で、今ならまだ間に合うゆえ帰りしなに二条城へと足を運ぶよう圧力をかけさせたのだ。しかし秀頼はついに姿を現さなかった。
 橋渡し役を命じた加藤清正も『秀頼さまがお出ましになられない以上、某だけがのうのうと大御所にお目通りなど出来ませぬ』といった旨の文を寄越したきりである。秀頼に圧力をかけるよう命じてみても、清正は秀頼の意向が最優先だと言い張って譲らない。
 「まったく、石田があのような目に遭ったというのに豊臣方は頑固者揃いだ。五万の兵を京都へ逗留させていることは知っておろうに、まるで意に介しておらぬ。虚仮脅しなぞ通用せぬということか」
 「将軍直々のお招きを無視するとは言語道断。非礼な振る舞いとして処罰いたしますか?」
 側に控えていた本多正純が進言する。秀忠の軍師であり家康との主従や離反を経てもなお重用される名君・本多正信の子である。
 しかし家康は「まあよい」とそれを諌めた。
 「父親が自分の屋敷に天皇を招いた振る舞い、その意図をきちんと理解しているのであろう。その上でわしと己の立ち位置をはっきり主張しておる……淀君の操り人形かと思うておったが、思うた程の『ぼんくら』ではないようじゃ」
 「ですが……」
 「一時の情で処断しては『それきり』になってしまう。儂の胸の内は、後々にまで使える切り札として収めて置くのも一つの策じゃ。そなたの父ならそう申すであろうな」
 「はあ」
 家康は、ぽんと扇子を叩いて髷を上向かせた。
 「仕方あるまい、大坂に上がれというのならこちらから参ってみようぞ。あちらには千もおる故、口実は充分じゃ」
 「承知いたしました」
 あまり事を荒立てては、すっぽかされたこちらの面目が丸つぶれである。そしてその事で怒れば自らの狭量さが不必要に強調されてしまう。
 まして大坂の民には『太閤びいき』なる言葉まで広まる程に豊臣の人気は健在なのだ。此度の出来事が広まれば、大坂の民はおそらく喝采をもって秀頼のことを讃え、自分を嘲笑うだろう。
 それならば、むしろ極秘裏のうちに目的を達してしまえば良いだけのこと。呼びつけたか呼びつけられたかなど、後からいくらでも書き換えられる。
 徳川家康は早速孫娘の機嫌伺いという名目で大坂城にて秀頼に目通りする手筈を整えた。京都へ呼びつけての面会はことごとく拒否されたものの、家康が秀頼の御前へ上がる事自体は拒む理由などない。


 「弥兵衛が死んだのは聞いているだろう?」
 全盛期を知る者から見ればすっかり寂しくなった大坂城下の福島屋敷。酒豪の清正のために奥方が用意した酒すら断りながら、加藤清正はこの家の主、福島正則と対面していた。
 弥兵衛とは、かつての大坂五奉行が筆頭、浅野長政である。
 「おう、市松(福島)。急なことで驚いたが、弥兵衛は秀頼さまのご上洛に同伴していたのではなかったか?」
 「その時、秀頼さまを二条城にお連れして徳川内府に引き合わせるよう根回しされていたそうなのだが……知ってのとおり、秀頼さまは二条城にて待っていた内府をすっぽかした。弥兵衛は秀頼さまのご意向を尊重された……内府より秀頼さまを重んじたのだ」
 「では内府の…家康の不興を買ってのことか」
 福島は黙って頷いた。
 「弥兵衛は倅に紀州を任せ、自らは常陸にて隠居しつつ家康の道楽につきあっていたようだが……あいつは太閤殿下の時代から力を付けすぎていたのだ」
 「太閤殿下の御代から各国を任せられていたからなあ」
 「播磨、甲斐、若狭、それに倅の紀州と、知行した土地にて善政を敷いたゆえ、各地で人望が篤かった。奴が蜂起すれば、かつての領民や牢人たちがこぞって馳せ参じるのではと言われるくらい……かつての佐吉のように」
 ならばますます腹が立つ、と清正は顔をしかめた。武士としての働きや忠義に対する評価ではなく、厄介だから手なずけておくなど侮辱きわまりない。清正はそういう思考の持ち主なのだ。
 「そうだ。俺が聞いた噂ではあるが、囲碁の席で形勢不利になった家康が無理手を打ったそうなのだ。弥兵衛は見事な手でそれを咎めた(打ち手で封じ込めた)上で対局後に「定石を敢えて破る手法も時として有効ではございますが、地を無視しての無理手ばかりではいずれ石たちの均衡も崩れましょう。もっとも、私は如何なる無理手にも屈しませぬけれど」と家康をたしなめたそうだ」
 それが家康の行いを揶揄していることは、清正にもすぐに分かった。浅野もまた家康の強引な天下獲りに良心の呵責を感じていたのだろう。
 「同席していた中にも、弥兵衛の発言の真意に気づいた者は少なくなかったのだろう。大勢の前で恥をかかされた家康は大層憤慨していたという……それから半年経たずしての秀頼さまの上洛劇、その直後に弥兵衛は死んだ」
 「……常陸での隠居も、弥兵衛が敵に回らぬよう大坂から遠ざけるための事だと聞いている。そこまでして側に置いていた弥兵衛が叛意を見せたと思ったか」
 「思った、ではなく察したのだろう。奴が我らと手を組んだ日には、佐吉以上に厄介な敵になるからな」
 「……そうか……徳川が秀頼さまに何らかの言いがかりをつけて戦に持ち込んだ際にはこちらに付いてもらおうと思っていたのだが、それは手痛いな」
 清正は悔しがった。そんな友人に、福島は続ける。
 「その秀頼さまだが、とうとう内府が大坂城に来るという形で対面するそうだ。名目は孫姫にあたる千姫さまのご機嫌伺い」
 「秀頼さまに屈した…という訳ではないな」
 「おそらく、本来ならば秀頼さまを呼びつけて天下が徳川に在りと宣伝したかったのだろうが……そこまでして秀頼さまと会見しておきたいという事は、内府は秀頼さまを恐れているか」
 「老い先短い内府から見れば、秀頼さまは脅威でしかない。齢も若く、西日本では豊臣家の権勢もいまだ健在。反面、秀忠公は将軍としては今ひとつ求心力に欠けるからな」
 「実際に会って秀頼さまの器量を見極め、その上で潰すための手を講じるか……内府がやりそうな事だ」
 ふむ、と清正は顎に手を当てた。胡座を組んだ右足が細かく揺れる。考え事をする時の、清正の癖であった。
 「わかった。会見では俺が側につく。だが……」
 「秀頼さまが聡明であられるがゆえに、会見したらしたで内府は警戒を強めるであろうな」
 「そう、家康だ。俺は肚を決めたぞ」
 清正は膝を打つ。
 「虎之助、まさかおまえ」
 「その『まさか』だ。おまえは佐吉(石田三成)の最期を見たのだろう?」
 「……ああ。弥久郎(小西行長)とともに六条河原で処刑された場に立ち会った」
 「切腹ではなく斬首など、あまりにも酷すぎないか。あれは正面きって戦った武士への扱いではない。佐吉を見せしめにして徳川は幕府だ何だと天下を獲ったつもりでいるようだが、それらは太閤殿下が固めておられた天下をそっくり奪い取った上に築かれたものにすぎぬ」
 結局、徳川の専横に違和感を覚えた小西の良心こそが正義だったのだ。しかし、それも徳川の狡猾さの前にはまったくの無力で。
 「俺たちの戦いも、佐吉との仲違いも、結局は徳川の天下獲りに利用されただけだったのだ……」
 反吐が出る、と清正は床を拳で叩いた。三成の死も、そこに至るまでの経緯を見抜けなかった自分の愚かさにも。
 「本当の天下人は秀頼さまだ。だがこのままでは秀頼さまは家康に潰されてしまう。今度こそ、俺は何としてでも秀頼さまをお守りするぞ。おまえも肚をくくれ」
 「しかし……」
 「豊臣家の危機を招いたのは俺達なんだ、始末は自分達でつけねばなるまい。弥兵衛はいち早くそれに気づいて行動に移した、俺も負けていられるか」
 清正は、虎之助の通称どおりの迫力で福島に迫った。
 「しかし、佐吉のように大義をかざしても勝てなかったのだぞ。我らの力でどうなるものか」
 「戦になったら、肥後国五十万石と加藤家は全力を挙げて豊臣を支援する。島津にも声をかけるぞ。おまえの軍、四国の孫六(加藤嘉明)、そして紀州に領地を持つ弥兵衛の倅の軍も加われば負けはしまい」
 「虎之助……」
 徳川のやり口を目の当たりにしてきただけに戸惑う福島に、清正は続ける。
 「市松、おまえは悔やんでいないか?」
 「いや……」
 「殿下が亡くなられた後、我々は目先の利しか見ていなかった。だが佐吉は殿下のご威光を守るために全ての泥を被り、我らの謗りを甘んじて受けた……大坂で佐吉や大谷刑部が残していた帳簿を見た瞬間、俺は己の浅はかさに居たたまれなくなったぞ」
 「……」
 「殿下の大望と大名たちの間で板挟みになっていた佐吉の苦労も知らず、俺は酷い仕打ちをしてしまった。徳川にいいように絡め取られた結果、気づいた時には後に引けなくなり…関ヶ原への出陣も見送った愚か者だ。だから佐吉が守った豊臣家の威光だけは守り抜きたい。秀頼さまをふたたび関白にして差し上げ、江戸の幕府と張り合える。秀頼さまには誰からも横やりが入らない程の天下人になっていただく。それが、俺に出来る佐吉への償いというもの」
 「しかしなあ」
 福島は首をひねる。
 関ヶ原における徳川は、小早川の裏切りがあったからどうにか勝ちを拾ったようなものだった。しかし此度の豊臣方は一枚岩、調略に応じるような者はいない。
 かといって豊臣方とて有利な条件ばかりではなかった。真田家による徳川秀忠の足止めという援護射撃が期待できない。
 清正は膝の上で手を握りしめながら歯を食いしばっていたが、福島の表情はいつまで経っても渋いままだった。
 「徳川の力は、もはや我らが単独で張り合えるようなものではない。解ってくれるか、虎之助」
 「いや、逆だ」
 清正はすぐに返した。
 「時は待つ。だが、これ以上徳川に絡め取られることは食い止めたい」
 「時?」
 「内府はあの齢だ。遠からず……その時まで待つ」
 だから力を貸してくれ、と清正は頭を下げる。
 「そこまで考えていたか、虎之助」
 旧友の頼み、そして自らも清正と同じ後悔を抱いてきた福島はついに決断した。
 「……内府の事だから、あらかじめ息のかかった者を大坂城に入り込ませている可能性がある。ゆえにこちらからも会見の日には警護の者を出そう」
 「おう、何と心強い」
 「それと、会見の場所も考えた方が良いな。家康が単独で会見できるよう……本多佐渡守のような老獪者や、すっかり徳川に手なずけられた権平(平野長泰)のような者を近づけぬような場所だ」
 「それならば良い場所がある。助作(秀頼の傳役・片桐且元)に手筈を整えてもらおう」
 意気揚々となった清正に、福島は釘を差すことも忘れない。
 「今の時点で必要以上に徳川を挑発するのは得策ではないぞ。我らが秀頼さまの後ろ盾となっている事は、まだ秀頼さまご自身にも内密にするべきだ。さもなくば、警戒した徳川が戦を急ぐ可能性もある」
 しかし、福島の言葉がどれだけ清正に届いているのか、怪しいものであった。

 かくして会見の日。
 約束の日に家康が登城すると、秀頼は茶室で待っていると申し渡された。居館の周辺を守っている馬廻衆は加藤清正と福島正則の手の者だと、人の顔を覚えるのが得意な家康は気づく。
 「馬廻衆の顔ぶれが随分と変わっているようだが?」
 「そのようでございますが……私は人員の配置についての決定権はございませぬので、一体どういう事なのか見当もつきませぬ」
 案内役の片桐且元も首をかしげ、「こちらへ」と話を逸らして茶室へと急がせる。
 茶室へ続く庭園の渡り石を過ぎると、片桐は案内役を加藤清正に引き継いでそそくさと立ち去った。
 「茶室に得物は御法度でございます。こちらでお預かりいたしましょう」
 茶室のにじり口の前で、清正が両手を掲げて家康に促す。
 「肥後守よ、儂の顔を忘れたか?なぜそなたに刀を預けねばならぬ」
 「茶席の場においては、いかなる身分の方であろうとみな同列。太閤殿下の時代からの決まり事は守っていただきます。それに、帯刀したままではにじり口をくぐれますまい」
 江戸の威光も届かぬ九州で島津と並ぶ大国の主となった清正はまだ豊臣に臣従し、家康の睨みもどこ吹く風で涼しい顔をしていた。
 家康が渋々と刀を外して清正に渡すと、清正は「脇差しも」と畳みかける。
 福島正則から挑発は控えるよう言われてはいたが、家康を前にするとどうにも刺々しい態度になってしまう。その意図は家康にも伝わったようだが、清正は落ち着くよう自らに言い聞かせて茶室の入り口に控えた。

 「いやいや、婿殿はご多忙とみえますなあ。京都においてのすれ違い、まこと残念でございましたぞ」
 扇を弄び、調子よい口調で茶室に現れた家康の厭味を聞かなかった振りでやり過ごした秀頼は、見事な手前で茶を点てた。父のような黄金の茶室や茶器はどこにもなく、むしろ千利休の時代に還ったような『侘び寂び』の趣きが見えるあたり、自分は父とは違う人格なのだと暗に主張しているのかもしれない。
 「しかし公務に邁進しておられるお姿はまこと重畳、武芸に秀で、茶道や書道の高名も江戸まで届いておりますれば、千は佳き若者に嫁いだと鼻が高うございますなあ」
 「……武家社会の様々を、いつまでも母上に任せてはおれませぬ。私もすでに元服した身なれば、尽くしてくれる民や家臣へ報いるためにも己が頭で考えた最善を尽くすのみでございます」
 「ほう。淀殿にはそろそろ隠居してもらおうと考えておられるのか」
 「父・秀吉の死後から私が元服するまでを支えてくれたのは母でござりますが、その苦労は並大抵のものではなかったと察しておりますれば、早く肩の荷を下ろして差し上げるのも子の役割であるかと」
 「秀頼どのは、お母上のご苦労をつぶさに見てお育ちのようだ。ならば、お母上はそう簡単に隠居などなさる気性でない事もご存じでありましょう」
 「それは無論のこと。海千山千の家臣らをまとめ上げていたのですから、男以上の心の強さでなければ務まらぬでしょう。中には自らの立場もわきまえず、まるで自らが君主であるかの如き専横を働く不心得者もおるようで」
 秀頼は最後の一言を家康への視線とともに放った。家康はさりげなく視線を逸らせる。
 「武士とはそもそも荒ぶる者。粗忽な豪族出身の者たちの中で勝ち残った者のみが、近代になって富や領土だけでは飽き足らずに地位だの官位だのを欲しただけにございます。ぎらついておったのですよ」
 「まことに。わが父も、天下を掌中におさめた際には浮かれるあまり随分と不遜な振る舞いをしたと聞いております。帝をお招きするような悪しき前例も作ってしまいました。母も、そして私もそういった事が二度とないよう襟を正して綱紀を粛正せねばと努めておるところです」
 「ほう」
 これは明らかに嫌われていると家康は感じ取ったが、だからといって感情が揺らぐ事もない。若造相手につまらない喧嘩をして自身の評判を落とすより、後々に秀頼の痛手となるような策を弄する方が得策だからだ。
 ゆえに家康は涼しい顔をして調子を合わせる。
 「太閤亡き後、欲の塊のような者達の上に立って働いておられた淀殿の度胸にはこの家康も感服しておりまするぞ。……が、それゆえいささか気が強うござった。無理に隠居などさせては、心の力があらぬ方へ向くのではないかとも危惧するところでござるが」
 「それは杞憂でありましょう。豊臣が争う相手など、もはやこの世にはおりませぬ」
 穏やかな口調ながら、秀頼もなかなか強気であった。家康の狙いをきちんと見抜いている。
 詰め将棋のように封じ手を放ってくる若者の強気は、老人をも怯ませる。家康は次の手…繋ぐ言葉を考えるだけで精一杯であった。
 「いや、戦は戦でもおなご同士の戦じゃ。若い秀頼公にはまだ分からぬと思うが、おなごの争いは男の戦のように単純ではござらぬ」
 「?」
 何が言いたいのだ。あからさまに顔をしかめた秀頼に、家康はついと膝を進めて扇で口許を覆った。
 「嫁いで長らく子が授からぬ女子は心労が絶えぬと聞く。まして、他の女が自分を差し置いて世継ぎ候補を産んだとなれば、その心中たるや穏やかなものではないであろう。わしは可愛い孫娘が姑のもとで針のむしろに座らされているのではないかと不憫でならぬのじゃ。そのあたりは如何に?」
 穏やかな口調とは裏腹に、皺の奥の眼はギロリと秀頼を睨んでいる。だが秀頼はまったく臆することなく逆に切り返した。
 「……大御所どのにおかれましては、奥方は何人いらっしゃいますか?」
 「年長者の問いを問いで返すか。その気骨はお母上似でありまするなあ」
 「これでも天下の半分を治めておりますれば、立場は同じ。元服前の童であればまだしも、今となっては齢など関係ありますまい」
 「天下の半分か……ははは、面白い事を申される」
 「幼少の頃より、世継ぎは切実な問題であると周囲に言われておりました。家のために一人でも多くの世継ぎを設けておくのも武家の当主たる者の務めであると。……ですが、私は世継ぎを巡るごたごたで無用な争いを招くことは好みませぬ。なに、遠からず千に子が授かれば、家柄といい血筋といい、その子が世継ぎとなるのは天下においても明白でございますゆえ、大御所どのが案ずるまでもありますまい。この秀頼も、一日も早く大御所どのに曾孫を抱かせて差し上げられるよう、日々如来さまに祈祷いたしておりまする」
 「それは重畳。この老いぼれも、一日も早くその日が来ることを願っておりまするぞ」
 家康は一歩近寄ったまま、辺りに人の気配がない事を確かめてから切りだした。
 「ときに、婿どのは畿内一帯を治めてみるつもりはございませぬかな?」
 「?」
 「なに、可愛い孫娘の婿殿が、淀殿の働きもむなしく今では官職もほぼ無きに等しい有様が不憫でしてなあ。治めておられる天下の半分も、いまや事実上は各国の大名がやりたいように治世を行う、いわば惣国のようなものでござろう。畿内守としてふたたび関白職を授かれば、諸大名も婿殿に一目置くことでしょう。千に子が授かり秀頼どのの跡目を継ぎ、秀忠の子・竹千代が次の将軍となった暁には、従兄弟同士で力を合わせて国の東西を治める理想の体制が出来上がる。素晴らしき事ではござりませぬか。何ならこの老いぼれが口添えを」
 「お断りいたします」
 秀頼は家康の声を遮って即答した。
 「何と、千載一遇の好機ではございませぬか」
 「内府どのは、東西ではなく公家と武家を分けて治めよう…すなわち豊臣は公家を預かり、幕府が日ノ本すべての大名を従えるというお考えでありましょう。西方の大名が自由に自国を治めているのは、各国の大名の考えを尊重した結果。もはや力による押さえつけは時代遅れと考えております」
 「……婿どのは聡明かと思うておりましたが、随分と甘い理想論者であったようですなあ」
 「そうでしょうか?石田治部が指揮を執っていた検地令に基づく台帳はほぼまとまり、父が発した惣無事令はいまだ生きております。各国もかつてのような領土争いは行わぬでしょう。なれば地方の政はその国を良く知る者に任せて自由にさせれば良い事。大名の上に立つのであらば、彼らの声をよく拾い、尊重するべきであると私は考えておりまする。人は己を侮る相手には固く心を閉ざしますが、尊重されていると知ればおのずと胸襟を開いてくれるもの。そして自らが侮られているという事は、相手がいくら隠しても鋭く感じ取るものなのでございますよ」
 「!」
 あからさまな当てつけに、さすがの家康も目を丸くした。そこで口許が不快さに歪まなかったのは、家康が征夷大将軍にまで上り詰められた所以である。
 秀頼は、さらに畳みかけた。
 「こちらには千も居りますゆえ、私の立場に対する大御所どののご心配はごもっともです。しかし、私は自らの身の振りは己の意思で決めとうございます。もとより私は権威など日ノ本全体を安寧に導くための道具の一つであると考えますゆえ、神仏が私にかくあれと望むのであれば精進いたしまする。将軍家がまこと日の本を導くに相応しき存在であると信じるに至れば、大坂城も治め得るどなたかに託して私は千とともに一介の農民に戻りましょう。その点におかれましては、どうぞご心配めされるな」
 「なんと!貴様は千に畑仕事をさせるつもりであるか……そして将軍家を見届けるなど、聞き捨てならぬ言葉」
 「武家に嫁いだ者は武家として、農民に嫁いだ者は農民として、牢人とならば牢人の妻として。夫の選んだ生き様に寄り添うのがこの世の慣わしでございましょう。苦楽をともにするからこその夫婦であると私は信じておりますが、違いますかな?」
 それに、と秀頼は攻勢を強める。
 「我ら『殿』と呼ばれる立場の者が、命の源となる米や野菜を作っている者を下賤と呼ぶのはまさしく傲慢。泥にまみれる民百姓の苦労にまで思いを至らせればこそ治世が成り立つと、私は母より教わってまいりました。実際、民の苦労を忘れぬようにと毎年田植えもいたしておりまする。いつでも百姓仕事は出来ますぞ」
 「……!」
 扇を弄んでいた家康の手が小刻みに震えた。秀頼を丸め込んで淀の権力を削ごうという自らの計画は見事に頓挫したのだ。
 それよりも。
 秀頼の父に膝を屈していたのも今や昔、大御所となりすべてを思いのまま動かせる立場にあった家康の自尊心は、実際に傲慢へと形を変えていた。が、家康なりに苦労を重ね危ない橋を渡りきって現在の地位に居るという自負もまた強い。そんな中で与しやすいと思っていた若造に図星を突かれ、正論を並べ立てられて攻撃されるのは屈辱であり、そして脅威でもあった。
 (口惜しいが、秀忠よりも抜きん出ておる……思った以上の脅威であるな)
 すでに人生の最晩年が見えつつある自分と、これから時代を担っていく若者。無欲ながらも曲がったことを嫌い、太閤秀吉のしたたかさをも受け継ぐ者の存在が限りなく恐ろしかった。
 「婿どのの稲作は新嘗祭の真似事かと思うておりましたが……いやはや、婿殿はまこと頭の切れる御仁であった。未来の日の本を支えるに値する者ゆえ、万が一など無きよう御身を大事になさるように」
 「肝に銘じておきます」
 「いやはや、聡明なことじゃ」
 扇子でぽんと頭を打ちながら退出しようとした家康の前に加藤清正が膝を進めた。
 「五大老制度が崩れた今、若君のご後見はこの加藤肥後守清正が仰せつかっております。大御所さまにおかれましては、どうぞ何のご懸念もなく政務に集中なされますよう」
 「ほう。そなたが」
 「某は豊臣家の一員にございますゆえ」
 「ふん」
 徳川のやり方をよく知っている者のあからさまな態度に家康は顔をしかめるしかなかった。思惑とは正反対の結果に終わった会見は、家康に不快感と脅威を同時に与えるものとなったのである。

 家康の輿が三の丸から出たという報告を待って秀頼は白湯を所望した。脇息にもたれ、襖と屋根に切り取られた青空を眺めながらしばし放心する。
 (実際に畑仕事をして暮らせればとも思っていたが……どうやら夢に終わりそうだな)
 権力にしがみつく気はさらさらない。が、あの家康の思い通りに天下を動かされるのは気に入らない。今更ながら、母が大坂城にしがみついている理由も解る気がした。
 (老獪と聞いてはいたが、渡り合うのは存外骨が折れるものだ)
 あの老体を黙らせるには千に子を産んでもらうしかないのだが、それがいつになるのやら。そして千に子ができるまで、虚勢を張ってでも家康と渡り合わなければならない。
 子をなす、という言葉が脳裏にひらめいた途端、秀頼の喉の奥から深いため息が漏れた。
 (これでは、母上と同じではないか……子といえども一つの命。なのに私は、自らの保身のためだけに子を望んでいる)
 かつて反発した母親と同じような事を考える自分がたまらなく厭であった。だが、いちど失われた信頼を取り戻す糸口も見つけられない現状ではすべてが停滞したままである。
 夫婦のあり方までを大上段から理想論的に語ってしまったが、千姫と秀頼の関係が冷え切っていることは、既に家康の耳にも入っているだろう。実際、いまだ千姫と秀頼はまだ仲直りをしていない。淀や家臣らの手前、朝夕の膳だけをともに摂ってくれてはいたが、秀頼の問いかけにも当たり障りのない言葉のみを返してくるのみの気まずい関係はいまだ続いていた。
 徳川と渡り合いながら、乗り越えなければならぬ事は山ほどある。それが自分に出来るのだろうかと不安になったが、顔に出しては家臣達をも不安に巻き込んでしまう。
 今更になって母の心労が解る気がして、秀頼は深いため息をついたのであった。

 「殿。私はいったん肥後に戻りますが、どうぞご油断めされますな。所用が済み次第こちらに戻りますゆえ、その間に徳川が何事か申してきたらば全て保留なさいませ。市松や助作と共に我らが吟味いたしますゆえ」
 加藤清正は強く念を押して退出していったが、その後彼が秀頼の前に姿を見せる事はなかった。
 大坂から肥後へ戻る船上で急死したのだ。
 病の兆候もなく、大坂と肥後を精力的に行き来しながら豊臣家のため、ときに盟友と対立してまで働いた男にしては、実に呆気ない最期であった。
 それは清正が豊臣に肩入れしている事実を恐れた徳川の差し金だと噂されたが、経緯はどうあれ豊臣家は強力な支援者を一人喪ったことに変わりない。
 清正の怪死を受け、福島正則は恐れおののいた。これが徳川のやり方なのだと。
 わずか二月前に死んだもう一人の盟友・浅野長政の急死の理由も定かになっていない中での清正の急死。二人とも家康によって葬られたのだとしたら。
 標的はどんどん絞られている。そして、その中に自分もいる。
(手段を選ばないか……やはり佐吉にこそ大義があったのだと認めざるを得ないな)
 とはいえ、強力な盟友が死んでいく中でもはや逆らう仲間も手立てなどない。せめて家督だけは守るべく、福島は徳川に隠居を願い出たが拒否された。もはや彼に出来る事といえば、病という名のもとに徳川と距離を置いておとなしくしているくらいしかない。
 しかし、そうして守り抜いた芸備の地と福島の家ですら、この時から十年後にはわずかな御法度を理由に改易の憂き目に遭っているのである。

 数日後。
 清正の訃報に触れた秀頼が、急遽大坂に入った高台院こと北政所とともに清正の思い出話をしながら品を選んでいた最中。茶菓子を運んできた侍女が「奥方さま(千)からでございます」と盆に載せた文を差し出した。
 「千が?」
 相変わらず気まずい関係は続いているが、そのような中で文をしたためるとはただ事ではない。高台院が城を辞去してすぐに文を開いた秀頼は目を見開いた。
 「何と」
 文を包んでいた紙には千の名が記されていたが、中身は本多佐渡守正信…家康の腹心が城の台所に勤める女中に託したものであった。
 『日の本の将来を担われる秀頼さまにもしもの事があってはならぬと大御所さまは懸念しておられるゆえ、万事において秀頼さまの御身をいたわるように。危険な行いは断固としてお止めするように』
 どうやら女中の不審な動きに気づいた千が文の存在に気づいて取り上げ、秀頼に知らせてくれたらしい。千の気持ちが少しずつ和らぎつつあると考えるのは早計に過ぎるだろうけれど。
 (台所にまで徳川の息がかかっているとは)
 毒味役が居るため、秀頼や淀が口にする食事に毒を盛ることはできない。ゆえに時間はかかるが別の方法を選んだのであろう。
 万事においていたわる。すなわち過保護に溺れさせる。
 そういえば、と秀頼は思い当たった。家康が来訪した翌日から、朝夕の膳ががらりと変わったのだ。
 朝廷の貴族が人工なみに食する、とでも例えられるだろうか。鯨肉や穀物に甘葛をふんだんに用いた、豪勢な、しかも大量の食事。食べきれぬゆえ減らすよう命じても、翌日にはまた大量の食事が運ばれて来る有様だった。
 「内府め。私に体を動かさせず、たらふく喰わせて早死にさせるつもりか」
 何とも遠大な、しかしじわじわと外堀を埋めつつ機を待つ家康らしい手回しである。天下から秀頼一人まで、これが家康のやり方なのだ。

 (あの狸親父め、そうやって私の手足をもぎ取るつもりか)
 
 立場ゆえ今ですら過保護な扱いをさらに『御身のため』という名目で塗り固め、自由を奪って身動きを取れなくする。もっとも、家臣達はそのような裏事情があるとは夢にも思わないだろう。ただ純粋に大御所の命令を遂行しているにすぎないのだ。
 「千には「受け取った」と伝えよ。私は午後から写経に励むゆえ、離れに籠る。食事もそちらに持つように」
 「かしこまりました」
 女中はほっとした顔で下がり、離れへと渡る廊下には小姓が見張りについた。自宅ともいえる城内、自らの館内においてこれである。
 その日の夕餉も豪勢なものであった。
 その手に乗ってなるものか。
 秀頼はいつもの量だけ食べると、残った膳の大半を離れの障子から池に投げ込んだ。そうすれば、女中が膳を下げに来る頃には池を泳ぐ鯉がすべて片づけてくれる。
 「秀規を呼べ」
 思い立って、秀頼は北政所の一族にして今も豊臣家の腹心として働いてくれる木下一門のうち最も忠実な馬廻衆の一人・木下秀規を呼んだ。
 ただ手をこまぬいて様子見に甘んじていては、いつか足元を攫われる。会見に応じた時から、化かし合いは始まっていたのだ。負けてはいられない。

 それから半年もしないうちに、秀頼に『貫禄』がついたという噂が大坂から京都へと駆けのぼった。
 曰く『好きだった鷹狩もしなくなり、離れに引きこもりがちになった』『着物をすべて大寸のものへと誂え直した』という類のものである。何か大病でも患っているのかと心配した淀が様子を見に訪れた際、見る影もなく肥え太った秀頼を見て絶句したとも伝えられる。
 だが、母親として秀頼の変貌ぶりを案ずる淀が医師の手配をしようとしても秀頼はそれを頑として拒んだため、結果として噂を伝え聞いた家康のみが陰でほくそ笑む事になっただけであった。

[newpage]
【慶長十六年・九度山】

 九度山の険しい地を長雨が滝となって流れ、地を潤し作物を育てた残りが山肌に染み込む季節となって。
 「……それで、よい」
 話声は雨の音にかき消され外に聞き取られないのをいい事に、真田屋敷の茶室にて真田丸の設計図と大坂の地図を並べた前で繁の戦術をすべて聞き終えた昌幸は、しわがれた声で呟いた。
 屋敷の奥。掛け軸ひとつ無い質素な部屋に、心ばかりに飾られた苧環(おだまき)の花の青紫が憩いを与えている。
 伊勢物語で詠まれた「をだまき」は繰糸転じて「繰り返す事象」を指すが、成程この花も糸繰り器にどこか似ている故そのように名付けられたのだろう。
 歴史は繰り返され、いずれ再び戦が起こる。奇しくもそこに在った花までが昌幸の言葉を象徴しているように思えてならなかった。
 「各地に散った牢人たちに集結を呼びかける、か……危うい橋だな」
 「関ヶ原にて豊臣方の主力大名は処罰されてしまいました。ですが主を喪った家臣たちはまだ各地に居て、ふたたび刀を取る日を待ちわびている筈です。無念を抱える彼らに再起の機会を与えれば、応えてくれる者は少なくないでしょう」
 それが武士なのだから。繁の言葉に、昌幸は小さく何度も頷いた。
 「隠遁生活で武士の心得が鈍ったかと思っておったが、よく学んでおったな。よき臣、よき妻に恵まれたことに感謝せよ」
 「肝に銘じておきます」
 父から褒め言葉を貰うのは初めてのような気がした。上田における戦でも、父ははなから徳川に勝つことを想定していたのだ。士気を上げるため家臣を労うことはあっても、国主の一族が奮戦するのは当然の務めであり褒めるにも値しないと思っていた節があったし、繁も実際その通りだと信じていた。だが、実際褒められて悪い気がする者はいない。
 「しかし、わしが考案した真田丸におまえの手が入るとは思わなんだぞ」
 昌幸が描いた真田丸の図面を模写した紙に、繁は朱の筆で自ら改良を加えていた。忍に探らせた各国の動向をもとに、有事の際確実に大坂につくであろう武将とその兵力のみを仮の布陣とし、豊臣・徳川どちらに付くか不透明な者や豊臣家中でも忠義に疑問がある者はすべて徳川方とみなした。その上で各武将の石高から戦力を洗い直した布陣を想定し、真田丸がより確実に大坂城を守るために手入れを行ったのだ。
 結果、昌幸が構想していた真田丸とは似て非なるものが出来上がっていた。昌幸は繁の案に驚きを隠せない様子である。
 「この布陣であると、豊臣方は烏合の衆となる危険も高い。万が一真田丸が突破された際おまえには突撃する道しかないが……それで良いのか?」
 「そうならぬための手入れでございます。構造に策を加え、本来ならば容易く攻略できる要塞を難攻不落へと転じる、それこそ真田家の真骨頂と見つけております。ですが父上のご懸念どおり、戦には『想定外』が付きもの。いざという際には突撃も致し方ないと肚を決めております。野駆けは私の出発点。上杉どのの許に居た際の初陣に始まり、上田でもそうありました」
 「そうであったな……おまえは朱槍を手に野を駆ける武士、『猛』の将だった。我が兄、信綱のように」
 昌幸の眼が繁を羨んでいた。昌幸の兄たちが存命であった頃は、昌幸もまた野を駆ける将として働くことを期待されていた。しかし兄たちの相次ぐ戦死で、昌幸の目的は自らの武勇ではなく家の存続へと変わっていった。
 しかし繁は真田家の戦法を踏襲するだけではいけないのだと切り出した。
 「曼荼羅が如く、いくつもの事象がひとつの途に繋がるとするのなら。私が様々な将から教えを乞うたのはこの日のためなのだと思います。突撃となった場合には、山本勘助どのが用いた啄木鳥戦法を用いようかと」
 「何と。真田の名の上に、さらに信玄公の戦を見せつけるか。徳川にとってはこの上ない嫌がらせじゃのう」
 その瞬間の家康の顔をこの眼で見てみたいものだ、そう昌幸は笑った。かすれた声でひとしきり笑うと、ふと障子ごしに外の景色に思いを馳せる目をする。
 「わしも、おまえのように己の策を持ちつつ先陣を切って馬を駆る武士になりたかったと思うことが、何度もあったなあ」
 「父上が?」
 繁の想像が及ばないのも仕方ない。実際に刀や槍を取って戦う武士としての昌幸が出陣していた主な戦は、第四次川中島決戦や徳川家康にとって最大の汚点となった無様な退却劇で知られる三方ケ原の戦いといった、源三郎や繁が生まれる前後の戦くらいである。
 真田家の当主になってからは父の一徳斎や川中島で戦死した山本勘助に代わる武田の参謀として後方での軍略に回ることが多かった、そして献上した策が見事に嵌まっていったため、いつしか周囲からの昌幸の評価では常に『知』ばかりが先行して武勇についての評価は雲散霧消してしまったのだろう。
 『知将』として名を馳せる頃には、昌幸は常に参謀としての立場を求められ、前線に出る機会を得られなくなった。天正壬午の乱から豊臣政権下まで。そうするうちに戦場に出る役目は二人の息子が担う事になってしまった。自国が二度にわたって攻められた徳川との上田合戦においても出陣したのは最後の最後、ほぼ勝敗が決してからである。
 駒となって戦う者、そして戦を俯瞰しながら駒を動かす者。繁は前者となり、昌幸は後者となった。結果として真田家と上田の地は守られたのだから、それが二人の天命であったのだろうと思う以外にない。
 一度きりの人生、流れゆくだけの時間に『もしも』はなく、やり直しなど利かないのだから。
 そう判っていても、昌幸はいつも自らの胸に『もしも』を温めていたらしい。
 「だが、わが父一徳斎が望んだのは天下などといった大きなものではなく、小さな真田郷とそこに暮らす領民の安泰のみなのだ。それが何の因果か一国を構えるまでに……父の望みを踏襲し、真田家当主として上田の地を守り通した我が生き様に悔いはないが、人生の折々で『違う道を歩むもう一人の自分』を想い描くこともあったなあ。もしもわしが生きている間に今一度戦が起こったのなら、今度こそ『もう一人の自分』となり馬を駆け、徳川へ向けて突撃を敢行してみたかった」
 かの川中島にて、信玄の本陣に向かい一直線に馬を駆って来た謙信のように。昌幸の眼が遠く川中島の方を見ているように思えた。
 「己が得られなかった欲を埋めるため、意思なき赤子に自らの願望を押し付け、姫としての生き方を奪い、世を欺き続けながら幾度も命の危機に晒した挙句このような境遇に置かせてしまった。おまえの幸せというものはどこにあるのかなど考えなかった。結果として真田家は存続しておるが、わしと共に来たおまえには如何ほどの重責と苦労を負わせてしまったのか……」
 「……」
 「だが……わしは後悔しておらぬ。おまえには、日の本一の兵(つわもの)になる器がある。武田勝頼どのや源三郎を凌いだ文武の素養、わしにはない心の強さ、信玄公、上杉公という二大巨頭から教えを乞うた稀有な巡り合わせ、よき家臣やよき妻、よき伴侶といった周囲の者に恵まれる徳……わしや源三郎にはないものをおまえは全て兼ね備え、あるいは得ていったのだ。やはりおまえは武将として立つべきなのだと確信しておる」
 昌幸は迷いなく言い切った。繁にとっては心強くもあり、しかし『実際にそうなれるかどうかはおまえ次第だ』と鉢を回されたようで重たくもあった。
 「繁、いや源次郎幸村。これを持て」
 茶室の床の間、繁の目の前では初めて開ける地袋の襖の奥から、昌幸は桐の刀箱を取り出した。繁は困惑する。
 「刀?」
 「奴に対する最後の嫌がらせ、かのう。家康が最も嫌う『村正』だ。槍を使うおまえにはお守りにしかならぬかもしれないが、持って行け」
 繁は武田の教えを忠実に受け継ぐ騎兵であり槍の使い手である。上杉や豊臣の旗下で指南を受けた剣術にもそれなりの心得はあったが、実戦ではほとんど使った事がない。
 「おまえが自ら定めた諱の由来、そしてそう名付けたのが誰であるかも薄々承知しておる。だが、おまえが『村』の字を選んだのは…その字に引き寄せられたのもまた運命というものなのだろう。おまえこそが、奴にとっての村正となり得ると儂は感じておる」
 つまり、家康に対する験担ぎのためだけに村正を調達したというのか。繁は、そこまで思い詰めた昌幸の無念を改めて思い知った。
 受け取った繁の手に、村正はずしりとした感触で食い込むようであった。昌幸の無念と怨みの念がまとわりついているかのようである。繁は村正を自らの正面に置き、両手をついて頭を下げた。
 「父上のお気持ち、この繁…いえ幸村が確かに受け取りました。どうか後の事はお任せください。いざ戦いとなった日には、この村正とともに父上の分まで戦場を駆けましょうぞ」
 「ありがとう……」
 昌幸の顔面に深い溝が刻まれ、その間に光るものが溜まっていく。ひとつの時代を駆けた人ひとりの人生がすべて詰まっている光であった。

 それから間もなくして水以外の食物を受け付けなくなった昌幸は、長雨の季節が明けるのを待たずしてひっそりと人生の幕を引いた。名だたる猛将、そして天下人の間を渡り歩いた波乱の人生とは裏腹に、子や孫らに見守られながらの穏やかな最期であった。

 昌幸の死が近いと聞かされた時から館の広間で静かに控えていた旧臣らは、沈痛な面持ちで現れた繁の姿を見た瞬間に一様に泣き伏しながら主の無念を偲び、従兄弟でもある高梨内記などはその場で追い腹を試みる有様であった。それらを出浦に取り押さえさせながら、繁はすぐさま追い腹を禁じる旨を昌幸の遺言として彼らに言い渡さざるを得なかった。
 実際は、床に伏せつつ最期まで打倒徳川に意欲を見せていた昌幸が家臣の殉死にまで気を回す余裕があった訳ではない。遺言は繁の機転…出任せである。
 灯明に守られた昌幸の霊前に焼香した国衆達に、繁は葬儀や法要の手配一切、弔問に訪れる九度山の村人たちに対する振る舞い飯の支度までを命じ、悲しみに暮れる暇を与えなかった。忠義のみで厳しい生活に耐えてきた者に空虚を与えてしまうと、その心は乾いた枝のようにポキリと折れてしまう。そうなった時に遺言を破る者が現れないよう配慮すべきだというさちの提案でもあった。四十九日にわたって昼夜交代で読経を行い祭壇の抹香や灯明を守り続けていれば、弔いが済む頃には彼らも主の死を受け入れて落ち着きを取り戻す。そうなるまでの時間をあえて忙しく過ごさせるのだ。
 繁の長男・大助と高梨内記、そして出浦盛清の手によって清められ、幸いにして本来の目的で着用せずに済んだ切腹用の白装束に白襟を縫い付けて作り替えた死に装束の胸元には守り刀と一緒に六枚の永楽通宝。六連銭は三途の川の渡し賃。激動と波乱の人生をともにしてきた真田家の代名詞である。
 そうして茶室へと続く庭が見える自室に安置された昌幸の亡骸は、簡素な葬儀を執り行った後でひっそりと埋葬される運びとなった。
 忠実な家臣たちは昌幸の遺言をよく守り、誰一人として殉死することなく皆で昌幸の祭壇や墓所を整え御霊を弔うために働いてくれた。在家得度を願い出る者も居たが、繁はそれについては拒まなかった。

 父の葬儀の日、繁は久方ぶりに男物の小袖と袴に袖を通した。さちの手を借りて髪を結い上げる。
 腰には父から譲られた村正を履き、首には半袈裟と念珠。関ヶ原の時代から数えて十三年ぶりに武者姿で人前に立ったのだ。
 繁…いや源次郎は、弔いに集った里人や家臣のどよめきを左右に聞きながら広間を進み、父の祭壇前にて焼香した後で振り返ると、彼らに向けて一礼した後口を開いた。
 「長らく空けていたが、本日よりこの左衛門佐こと真田源次郎幸村がこの家の当主となる旨、ここに宣ずる。いまだ出家遁世の身ではあるが、よろしく頼む」
 かつて戦場で名乗りを挙げた頃と変わらぬ張りのある声に、上田から来た家臣達は無論のこと左衛門佐が何者であるかを既に察していた里人もみな言葉を失った。
 この主が背負う数奇な運命に感服と憧憬、そしてわずかな同情が入り混じっていたのかもしれない。

 昌幸が死んでも、真田の灯は消えていない。

 高らかに宣言した源次郎に向かい、その場にいた者すべてがひれ伏したのであった。
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