罪と罰 Ⅲ

文字数 2,117文字

 蒼白い燐光を放ちながら、漆黒の闇に月が浮かぶ。ひと際大きく見える月は、綺麗な満月であった。月光が照らす先には、ゲルニカの見張り台と対するヘイムダル傭兵団の陣営があった。
 ほとんどの兵が眠りについている中、ガウェインは幕舎の裏で胡座をかき、物思いに耽っていた。
 コックスクレイムを出撃する直前、ガウェインはベイオルフに呼び出された。兵舎の一室には、ベイオルフとデュマリオを含む、小隊の仲間がいた。そこでガウェインはデュマリオら三十人と共に、ゲルニカ潜入部隊に入ることを伝えられた。その三十人の中には、ランスロットも入っていた
 シャールヴィ・ギリングを討つ絶好機にして、最後の機会であった。ここを逃せば、もうこんな好機は訪れない。ガウェインはそう確信していた。
 人の気配を感じて、ガウェインは顔をあげた。伸びた影を引きずりながら歩いてきたのはランスロットだった。
「明日の夜だな。ゲルニカ潜入」
 ランスロットがガウェインの隣に腰掛ける。篝火の灯りが届いて、お互いの表情をしっかりと読み取れた。
「どうしてゲルニカの潜入に加わるんだ?」
 ガウェインはランスロットの横顔を見た。しかしランスロットに変化はない。
「動きが速く、力が強い者ということで、団長から直々に声を掛けられただけだ。いや、声を掛けられなくても、自分から志願していたかもな。内側から開けられた砦に突入するだけなら、騎馬隊の働きどころはそれほどない。ならば潜入部隊に加わったほうが、勝利に貢献できるだろう?」
 もっともらしいことを言っているが、ガウェインはどこか腑に落ちなかった。やはりランスロットの仇も、シャールヴィ・ギリングなのではないか? 疑問が徐々に確信に変わりつつある。
「そういえば、マラカナンの惨劇のことを調べたよ。フォルセナ戦争のときに起こった悲劇だって。改めて、デルーニのことを許せないと思う」
 父親をデルーニの傭兵に殺されたのならば、当然ランスロットも同意するはずだ。そう思っていたガウェインだったが、ランスロットの反応は意外なものだった。
 いきなり神妙な顔つきになり、どこか近寄り難い雰囲気すら感じる。突然ランスロットが醸し出してきた空気に、ガウェインは戸惑うほかなかった。
「デルーニの傭兵、か。たしかに正規兵に攻撃させるよりは、傭兵に襲撃させたほうが後々の批判もかわせるよな」
 ようやく言葉を発したランスロットだったが、その表情は変わらないままだった。どうすればいいのかわからず、ガウェインはただ頷いた。
「でもな、違和感があるだろ?」
「違和感…?」
 ランスロットの意図がまるで読めず、ガウェインは思わず首を傾げた。
「イングリッドランド王国とアースガルドの間で休戦協定が結ばれたのは、おそらく王国側がフング族の叛乱を煽動した成果だろう。でも、背後のアストラハン王国軍の脅威は消えていない。しかし都合よくアストラハン王国軍の敵対勢力が動き出し、窮地を脱することができた。ベルゼブール軍の主力はフング族討伐のために動いていたから、ビフレスト州の軍事境界線には、ベルゼブール軍はわずかな兵力しか置いていなかった。つまり奪われた要衝・オラデアは、守りが手薄だった。そして、マラカナンの惨劇が起きた」
 ランスロットがガウェインを見る。なぜだかガウェインは、身構えるような気持ちになった。
「一連の事変で、一番得をしたのは誰か? 考えてみれば、自ずと答は見えてくる」
 マラカナンの惨劇によって多くの人命を喪ったイングリッドランド王国は、弔い合戦と称して休戦協定を棄却し、ベルゼブール軍主力の不在を衝いてオラデアを奪回した。得をした者、ランスロットが言わんとしていることを、ガウェインもようやく理解した。
「でも、マラカナンを襲ったのはデルーニの傭兵だ。襲われたのは人間だ。それは紛れもない事実じゃないか」
 ランスロットが夜空に視線を投げた。どこか諦念を抱いたようなその顔に、ガウェインは釘付けになった。
「…歴史は勝者が作るものだ。フォルセナ戦争は明確に言えば、勝者なき戦いになったが、侵略を仕掛けたアースガルドと、防衛のために戦ったイングリッドランド王国という構図。そしてその後のラクスファリア条約の内容を見れば、どちらが勝者かと言えば、それは王国側だろう。歴史の闇に葬られた真実など、それこそ数えきれないほどあるさ」
「マラカナンの惨劇の真実って…?」
 ガウェインはランスロットに訊いたが、ランスロットが答えることはなかった。会話を紡ぐ言葉が見つからず、ガウェインは少し焦るような気持ちになった。なんでもいい、なにか言おうと思った時、ランスロットが突然立ち上がった。
「俺には

がある。だから

を果たす。そして自分の過去に決着をつける。そうすることで、やっと歩き出すことができる。それから、果たせなかった約束を果たすために、また戦場に向かうことになる」
 億千万の星空が浮かぶ中で、なによりも淡く輝く満月。その満月を見上げながら、ランスロットが言った。
 ガウェインの眼前にあるランスロットの背中。それは、満月よりも、世界を覆う夜空よりも、なによりも大きく見えた。
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