白日 Ⅲ

文字数 2,597文字

 マラカナンの街の各所で火の手があがりはじめ、血と煙の臭いが満ちていく。
 突然の襲撃に、市民は算を乱す。逃げ出す者。命乞いをする者。所有している剣で戦おうとする者。様々な者がいるが、共通している点がひとつ。そのうちの誰もが、最後には物言わぬ屍体となっていることだった。
 家屋には容赦なく火がつけられた。じっと家の中で身を潜めていた家族がいたが、慌てふためいて家から飛び出してくる。
「行くぞ! この町から逃げるんだ」
 同じように施錠して身を隠していた一家がいた。男と妻、男の子が二人。女の子の子供がひとりいる。護身用のショートソードを持った男が扉に手をかける。すると、妻が男に縋りついた。
「でも、外に出たら何があるかわからないじゃない!」
「馬鹿、このままじゃ、皆死ぬぞ。見ろ、隣の家も煙があがってる。この家に火がつけられなくても、そのうち燃え移る」
 妻はまだ躊躇っている。すると、子供たちが泣きはじめた。
「お父さん、お母さん、怖いよぉ」
「どうなるの。ねえ、僕たちどうなるの?」
 すると男が子供たちを集めて、力強く抱きしめた。
「大丈夫だ。父さんが必ず守ってやる。だから父さんから離れず付いてくるんだよ」
 一番上の子が頷くと、残りの二人も涙を拭いた。立ち上がった男は、妻と眼を合わせる。お互いに覚悟を決めた。
 男が扉を開け放つと、黒煙の臭いが鼻をついた。
「これは、酷いな…」
 いつもは長閑な街が一変していた。まるで地獄絵図。妻が肩に手をかけると、男は我に返り、周囲を見渡した。
「誰もいない。今のうちだ」
 一家が駆け始めたその時だった。後方から声が響いた。
「出てきたぞ!」
 ひとりの兵が叫ぶ。
「くそ、見つかったか! お前ら、逃げろ‼」
「でも、あなたは⁉」
「いいから! ここは俺に任せて、先に行け!」
 男が剣を構える。躊躇いを見せながらも、妻は子供たちを連れて駆け出す。
「お父さーん!」
 一番下の子が呼びかけるも、男はそれに応じる余裕はない。眼前には、十字槍を持ったデュウェインがいた。
「こ、ここは通さないぞ!」
 男の手が震えている。その後ろには、守るべき家族の姿があった。妻と、男の子二人、そして女の子がひとり。自分の母を除けば、それはデュウェインの家族構成とまったく同じであった。
(俺は家族に会うために、この一家を殺さなくてはいけない。だがそれは、自分の家族を殺すことと同じだ)
 男が剣を振り上げる。デュウェインは反射的に剣を払った。気が付いた時には、男の腹めがけて、突きを繰り出していた。
 呻き声を漏らして、男が腹部を押さえる。浅黄色の服には、じわりと血が滲んでいる。肩で息をしながらも、男はデュウェインを睨みつけた。
「汚いデルーニめ! 俺の家族を、お前などのような奴に殺されてたまるか‼」
 男が片手で剣を振りかざす。正規兵として訓練を積み、実戦も経験しているデュウェインと、民間人である男の力の差は歴然である。それでも男は諦めることはない。大切な家族を守るために。デュウェインは、獣の咆哮の如き雄叫びをあげた。
 払われた剣が宙を舞う。鈍い音と高い音が鳴る。脳天を断ち割られた男は、体を痙攣させて、地面に崩れ落ちた。
「お父さん!」
「こっちにもいたぞ!」
 デュウェインの眼は、味方の兵が男の家族を殺す光景を捉えていた。我が子だけは守ろうとする母が倒れ、子供たちも泣き叫びながら、父と母を呼び続ける。やがて一切の声が聴こえなくなった。
「あちらの熱水泉の施設にも、まだ集団がいるとのことだ!」
 もういいだろう。そう思いながら、デュウェインは駆け出した。あれほどはっきりと思い出せた自分の家族の顔が、今はぼんやりとしか浮かばない。許してくれ。誰に請う訳でもなく、デュウェインはそう思っていた。
「どうして、どうしてこんなことを…⁉ 戦いは終わったはずでしょう?」
 デュウェインの前に現れたのは、信じられないほどに澄んだ瞳を持つ女性だった。熱水泉のある施設にいた民衆を逃がそうと、女性は両手を広げて立ち塞がっている。
「どんな人にも、家族がいる。待っている人がいる。それを、それをこんな形で奪うなんて、非道にもほどがあるわ!」
 女性の堂々たる佇まいに、デュウェイン含むすべての兵が惹きつけられている。この殺伐とした修羅場で、異様なほどの光を放つ存在感は、まるで触れてはならないもののように見えた。
「平穏な日々は些細なことで綻びてしまう。だからこそ、平和は与えられるものではなく、自分の手で作っていくの。ようやく平和を掴もうとしているこの世界を、壊させてなるものですか!」
 誰もが身動きを止めて躊躇っていると、後ろから低い声がした。
「何をしている。市民は女子供といえど、皆殺しにせよとのことだ」
 騎乗で現れたのは、アーチルフ麾下のディルバ・リベリーである。三叉の槍を持ち、親衛隊二十騎を引き連れる姿は、見る者を圧倒する。
「アーチルフ様とベルンバッハ隊長も間もなく本隊を率いてマラカナンに入られる。その前に大勢を決さなければ顔向けができまい」
 ディルバの視線が前方に向く。そこには、毅然とした態度で立つ女性がいた。小さく息をついたディルバは、左手をあげた。ディルバの周囲を固める三十騎が、クロスボウを構える。
「これも、イングリッドランド王国の未来のため」
 ディルバの左手が降ろされると、一斉に矢が放たれた。矢は吸い込まれるように女性の体に命中し、女性が仰向けに倒れた。
「障害は除いたぞ。逃げた市民を追え」
 ディルバが命じると、兵たちがゆっくりと足を動かす。すでに戦意などないに等しい。彼らを突き動かすのは、家族と故郷への思いだけだった。
 駆け出したデュウェインだが、女性のもとで足を止めた。わずかに息がある。何かを喋ろうとして、その口が小さく開かれた。
「あなたは…、生きるのよ。エ、エレイン。私の、可愛い…」
 何かに触れようとして宙をさまよった手が、乾いた音を立てて地に落ちた。しゃがみ込んだデュウェインは、女性の眼を閉じてやった。
「許せ」
 デュウェインははっとした。今まさに口にしようと言葉を代弁したのは、デュウェインの横を通り過ぎたディルバだった。デュウェインははっきりと見た。強く噛まれたディルバの唇から、血が出ているのを。
 立ち上がったデュウェインは、天を仰ぐ。鮮やかな朱色が、漆黒の空を染めようとしていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み