凶刃 Ⅴ

文字数 3,694文字

 ヘイムダル傭兵団は部隊を再編し、次の戦いに備えていた。来るべきマーナガルム傭兵団との戦いに向けて、教練も欠かしていない。新たに隊長に任命されたベイオルフと、ベイオルフが率いる部隊は次戦に向けて士気を高めていた。
 シャールヴィ・ギリングに軽くあしらわれたガウェインも、再戦に燃えていた。今はゲッツやランスロットとの鍛錬もなくなっているので、ベイオルフやデュマリオと手合わせすることで、腕を磨いていた。
 ガウェイン自身、まだまだ自分は力不足だと思っていたが、シャールヴィ・ギリングと対して、改めて自分の非力さを実感した。強さへの渇望は、日に日に増していくばかりだ。
「今日はここまでにするか」
 陽が落ちようとしている頃、ベイオルフが相対しているガウェインに声をかけた。
「まだ、まだやれます」
 すでに肩で息をしている。ガウェインが限界だということは、誰の眼から見ても明らかだった。当然、ベイオルフにもそれはわかっている。苦笑しながら、手にしている槍の先を天に向けた。
「もう陽も落ちる。充分に休むことも大事だぞ」
 それはわかっている。とでも言いたげな顔をしているガウェインは、まだその場を離れようとしない。すでに他の傭兵たちは、夕食を終えてくつろいでいる最中であった。
「…シャールヴィ・ギリングか。奴が仇だと言っていたな」
 ガウェインが唇を噛み、右手に持っている槍をぎゅっと握り締めた。
「恐ろしいほどの強さだ。あれほどの男は初めて見た。武器の振るい方ひとつとっても、力が溢れんばかりだ」
 まだ若いながらも戦いを重ねてきたベイオルフが、しみじみと語っていた。ベイオルフは戦場で直接刃を交えている。想像を超える実力に驚いたのは間違いない。
「まともに渡り合うことは、死を覚悟することになる。そんな奴が相手なのだ。気負ってばかりでもいけないぞ。俺との修練で疲れているようではまだまだだからな」
 ベイオルフのひと言が効いたのか、ガウェインはうなだれるように槍を降ろした。ガウェインの肩を軽く叩いたベイオルフは、砦に戻るように促した。
 圧倒的なまでの存在を目の当たりにして、ガウェインは焦燥感を募らせていた。恐怖すら抱いた相手に、自分は追い付けるのか。そして打ち勝つことはできるのか。できないという微かな疑念を振り払うように、修練を重ねていたのだ。
「戦いの才は天性のものだ。あの男は武勇だけでなく、兵術の才も備えている。豪勇を誇るだけの戦士なら、ずっと楽だった」
 ガウェインからすればベイオルフも凄腕の傭兵だった。そのベイオルフが認めざるを得ない。やはり自分がシャールヴィに追いつくのは遥か先だと思う他なかった。
「そういえば、ベイオルフさん。マラカナンの惨劇って知ってますか?」
 砦に戻りながら、ガウェインはふと思い出した。ランスロットが口にした、マラカナンの惨劇。それがずっと心に引っかかっていたのだ。
「知っているぞ。むしろ知らない者のほうが少ないかもしれないな。フォルセナ戦争を語る上では、欠かせない出来事だ」
 イングリッドランド王国とアースガルドが争った世紀の大戦。その全貌を知らなかったガウェインも、少しずつ人間族とデルーニ族の戦いについて調べはじめていた。
「フォルセナ戦争はアースガルドの優勢で進んでいた。開戦でイングリッドランド王国は圧倒的な勝利を収めたが、それ以後は要衝を次々と失陥して窮地に追い込まれていった。当時の宰相、ローエンドルフ公は起死回生の策を模索していたが、そこでさらなる悲報が舞い込んだ」
「さらなる悲報?」
「イングリッドランド王国の西方にある大国、アストラハン王国侵攻の報だ。アストラハン王国の獅子王マルシュは、イングリッドランド王国西部のザールランド州を狙っている。アースガルドとの全面戦争に眼をつけて、大軍を動員して進撃を開始した」
 砦に帰還したガウェインとベイオルフは、兵舎に入って武装を解いた。兵舎の長椅子に腰を下ろし、そのまま話を続ける。
「王国軍はアースガルドとの戦いのために、ほとんどの兵力をビフレスト州に集めていた。ザールランド州のアストラハン王国との国境には、充分な兵力が揃っているとはいえなかった。当然、アストラハン王国軍の侵攻を防げる訳がない。ザールランド州の三郡は、瞬く間にアストラハン王国軍の手に落ちた」
「それでどうなったんですか?」
「ビフレスト州も要衝オラデアを奪取され、王国軍は窮地に陥った。ビフレストから兵を割いて、ザールランドを防衛するか。それともザールランドを切り捨てるか。ローエンドルフ宰相は難しい判断を迫られた。そこで考案されたのが、アースガルド側との休戦協定だった。だが優勢であったベルゼブール軍の総帥ウォーゼン・デュール・ベルゼブールは、休戦協定の話し合いに応じなかった。まあ、考えてみれば当たり前だな。しかし、ここでアースガルドでも異変が起こった。デルーニ族の対立民族フング族の残党が、ニヴルヘイムで叛乱を起こした。ベルゼブール軍でもニヴルヘイムを優先するか、それとも一気に王国軍を叩くか意見が分かれた」
 ガウェインは身を乗り出して話を聞いていた。今まで自分とは無縁だったデルーニ族の存在と、その戦いの歴史をしっかり知ろうと思っているのだ。
「お互い背後に脅威を抱えた状況で、水面下の駆け引きが行われた。実際フング族の叛乱も、ローエンドルフ宰相による謀略だという噂もあった。そしてついにイングリッドランド王国とアースガルドの間で休戦協定が結ばれた。この間に、両者共に背後の敵を撃退しようと準備に入った。ベルゼブール軍はウォーゼン自身が主力を引き連れてニヴルヘイムへ転進。王国軍もザールランドに兵を集めてアストラハン王国軍との戦いに備えた。が、またもここで事態が急変する。今度はアストラハン王国の敵対勢力ワイゼンブルクが国境線に侵攻し、ロウム県が占拠された。アストラハン王国の王、マルシュはすぐさまザールランドから兵を払い、ワイゼンブルク軍との戦いに向かった。思わぬ形で戦闘を回避した王国軍は、兵の損耗を防ぐことができた。これはローエンドルフ宰相にとっては有り難い出来事だったろう。アースガルドとの再戦に向けて軍備を整え、オラデア奪回の戦略を練る機会ができたのだから。そんな中で、マラカナンの惨劇は起こった」
「一体、何があったんですか?」
「イングリッドランド王国ミネイロン州。ここはイングリッドランド王国とアースガルドの間に位置する国境地帯でありながら、峻嶮な山々が連なるユーダリア山脈がアースガルドとの往来を遮り、ビフレスト州との間をユーダリア山脈最大のグニパヘリル山と、闇の森ミュルクウェイズが遮断する土地だ。このような特異な地理にあったミネイロン州は、ビフレスト州からの疎開者で溢れていた。マラカナンは熱水泉があり、人間族だけではなく、ハイブリッドなども混在する保養地であった。アストラハン王国軍がザールランドから撤退して一ヶ月後、デルーニの傭兵がミネイロン州に侵入し、マラカナンを襲撃した。当時マラカナンには兵や武装した者がおらず、老若男女構わず皆殺しにされたそうだ」
「酷い…。でも、どうしてそんなことが?」
「デルーニ族ってのは部族統治社会なんだ。有力な十三氏族の代表が協議をして治めてきた。ウォーゼンがアースガルドを統一したといっても、有力十三氏族がすべて滅んだわけではない。中にはイングリッドランド王国との休戦協定に反対している者もいた。そうした者がウォーゼンの失脚を目論んで、マラカナン襲撃を指嗾したと言われている。この事変によって、ローエンドルフ宰相はアースガルドとの休戦協定破棄を決定した。ウォーゼン不在を狙って、一挙にビフレスト州のベルゼブール軍を攻撃。オラデアを奪回し、アースガルドまで攻め入ったのだ」
 ベイオルフの話を聞きながら、ガウェインの頭にはある考えが浮かんでいた。
 ランスロットは、父親がマラカナンの惨劇に巻き込まれて命を落としたと言ってた。ランスロットの父親の命を奪った傭兵が、マーナガルム傭兵団にいるのではないのか。それは、自分と同じシャールヴィ・ギリングではないのか。
「どうだ、マラカナンの惨劇のことはわかったか?」
 小さく息をついたベイオルフが言った。すでに夜もかなり更けてきている。兵舎の灯りは多くが消えていた。
「はい。もっと人間族とデルーニ族について知らなきゃいけないと思いました。でも、どんなに知っても、デルーニ族を許さないという気持ちに変わりはありません」
 ガウェインはぎゅっと両手を握り締める。それを見て、ベイオルフが深く頷いた。
「眼の前に迫る敵に容赦する必要などない。奴らは俺たちを躊躇いなく殺そうとする。だから俺たちも、やるしかないのさ」
 もう休もうと言わんばかりに、ベイオルフが立ち上がった。
「お前も早く休めよ、ガウェイン」
 軽く手を振ったベイオルフが、その場から立ち去った。
「はい。ありがとうございました」
 ベイオルフを見送った後も、ガウェインは長椅子に座ったままじっとしていた。

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