戦端 Ⅰ

文字数 4,484文字

 ぱちぱちと音を立て、暗闇の中で焚火が燃える。
 デルーニ兵による急襲を撃退したヘイムダル傭兵団は、教練を終えた後にアピナス郡へ進発。陽が沈んだ頃合いで幕舎を設営した。
 陣営は静かであった。朝の急襲があった影響で、いつもより歩哨の数も多く立てられているようだった。
 揺らめく火をじっと見つめるガウェインがいた。物思いに耽っているその表情は、年齢に見合わないものだった。
「はい、ガウェイン君」
 ガウェインの眼前にコップが差し出された。思わず顔を上げると、そこにいたのはスタンリックであった。
「あ、ありがとうございます」
 コップを手に持ったガウェインは、ゆっくりと茶を飲んだ。口の中に香ばしい風味が広がる。ガウェインの横に腰を下ろしたスタンリックも、茶を口に運んだ。
「すごいね、ガウェイン君。敵の首をひとつ獲ったみたいじゃないか」
 明るく振舞うスタンリックに対して、ガウェインは乾いた笑いを浮かべるだけであった。
「…本当は、ベイオルフさんやデュマリオさんみたいに、もっと多くのデルーニを討ち取りたいんですけど。今の俺じゃ、無理なのかな」
 ガウェインが討ち取ったデルーニ兵は、まだ若い傭兵であった。若い、ということが悪いことではないが、それは必然的に戦歴の浅さを表している。まだ技術も体力も未熟なデルーニ兵をひとり討っても、ガウェインの心は晴れなかった。
 意外なガウェインの返答に、スタンリックは対応に困っているようだった。修練を積んだところで、いきなり強くなるものではないということは、さすがのスタンリックもわかっている。
「よう、戦勝の後だってのに、随分としんみりしてるじゃねえか」
 不意にガウェインとスタンリックに掛けられた、聞き慣れた声。それはベイオルフであった。その隣にはデュマリオもいる。いがみ合うこともあるが、なんだかんだで仲は良いようである。
「あ、お二人とも、凄いご活躍でしたね!」
 ベイオルフとデュマリオは、ガウェインとスタンリックの向かいに腰を下ろした。ベイオルフは戦勝の後で上機嫌であった。
「あれくらいの働き、朝飯前よ。デルーニなど恐れることはないな」
 まるで雄叫びをあげるかのように、ベイオルフが肩を揺らして笑った。
「俺は雇われの身だからね。ちゃんと働きぶりを見てもらわないと、金にならない。金がなきゃいいものも食えないし、女も抱けない。ああいうところでしっかりと点数稼いでおかないとな」
 口元に笑みを浮かべたデュマリオが言う。それを見て、ベイオルフが横眼で睨み付けた。
「俗な奴め。戦士としての誇りを胸に戦え」
 ベイオルフの横やりに、デュマリオが肩をすくめた。
「それで飯が食えりゃいいけどね。生憎俺はベイオルフ殿のように、軍人の家系の生まれじゃない。誇りや名誉、忠誠なんかは二の次、三の次さ」
 さらに言い合いを続けようとするベイオルフとデュマリオを、スタンリックは可笑しそうに見つめていた。いつものことで、諍いに発展する訳ではない。
「あの…」
 そうした二人のやり取りを遮ったのは、ガウェインのひと言だった。顔を上げたガウェインの眼は、ぎらついた炎を宿していた。
「ベイオルフさんとデュマリオさんみたいに強くなるには、一体どうすればいいんですか。俺も毎日修練を積んでいるけど、一向に腕が上がっていないと思うんです」
 ガウェインのただならぬ様子を察したベイオルフとデュマリオは、居ずまいを正してガウェインと向き合った。
「どうしたかと思えば、強くなる方法か。お主はたしか、ゲッツ団長にいつも修練をつけてもらっていたな。だがそれでは不満という訳か?」
 少し視線を落としたガウェインが、ゆっくりと頷いた。ゲッツの修練だけではない。もっと強くなりたい。強くなって、仇敵を討つ確かな力を身に付けたい。それがガウェインの思いであった。
「人はいきなり強くはなれないぜ。経験がものを言うこともあるからな。それでもっていうなら、まずは魔法アーテルについて学ばないとな」
 デュマリオが言うと、ガウェインとスタンリックが首を傾げた。二人とも魔法についてはある程度知っているが、アーテルという言葉を聞いたのは初めてであった。
「いい機会だ。魔法の仕組み、そして戦闘で大切になってくるアーテルについて講義しておこうか。ベイオルフ殿、ご協力お願いしますよ」
「構わんが、実践はまた別だぞ」
「それはまた後でいいでしょ。ガウェインが強くなりたいって言っているんなら、まずはその方法というか、基本的な仕組みを理解しておかないとね」
 デュマリオが腕を組むと、逐一聞き逃すまいと、ガウェインがわずかに身を乗り出した。
「この世界では魔法の発展と人間の発展は密接に結びついている。太古の世界はエルダーフ(エルフの最上位種。古代エルフ)族。アース(巨人の最上位種)族。ファーフナー(ドラゴンの最上位種)族といった高度な生物が支配していた。やがて彼らは未曾有の天変地異によって種族の個体数を減らして、北の大陸へ移った。その後に世界中で勢力を拡大したのは、オークやゴブリン、トロールといった凶暴な種族だった。そいつらは人間を虐げたために、俺らのご先祖様は山間部や湿地帯など、劣悪な環境での生活を強いられたらしいよ。さらに人間は動物が進化した存在である、魔物の脅威にも晒された。オークらや魔物になんかに対して、人間は生存競争に勝つには非力だった」
「でも、今は、オークもゴブリンも蔓延っていないですよね。もちろん生息域にはいますけど」
 スタンリックの質問に答えたのは、ベイオルフだった。
「その人間の環境を変えたのは魔法の伝来だ。エルダーフ族から伝えられたとされる魔法で、人間の生活は徐々に改善されていった。火を熾す、水を呼び込むなど、初めは小さなことに使ってたみたいだが、やがて一部の集団が魔法の研究を開始した。人間は魔法の仕組みを解明し、さらにエルフが使っていたアーテルも発見して、自らの肉体を強化することも可能にした。そしてエルフの残した古文書を解読して攻撃魔法を研究。オークらとの戦いに勝利し、逆に奴らを大陸の隅や山間部、迷宮、洞窟などに追いやったのだ」
 感心したようにガウェインとスタンリックが頷いた。さらにデュマリオが話を続ける。
「魔法といって一般的なのは、自然魔法だ。他にも種類はあるけどね。自然魔法を行使するにおいて大切なのは、大気中のマナの組成率。マナとは、この世界の神羅万象を構成するにおいて大切な元素だ。この世界の自然が平穏に保たれているのは、マナの影響で、マナの構成が狂うと災害が発生すると言われている。自然魔法を行使する場合、まずは周辺のマナの組成がどうなっているのかを把握する。大気中、周辺のマナの含有量、マナの構成が安定しているかを測る。次に地、水、火、風の四大元素のうち、どの元素が強いのか測る。簡単に例えれば、荒野では地の元素が多い。河川や水辺では水の元素が多い。乾燥していたりすれば火の元素が多い。天候が曇りの場合や強風の場合は風の元素が多い。四大元素とマナ。どちらも魔法の行使には欠かせない。次に使用者は呪文の詠唱を始める。自分の魔力を体内の魔力回路から解放し、大気中の組成を変化させて自然魔法を行使する。消費された大気中のマナは、時間の経過と共に元に戻る。だが同じ場所で長時間、連続的に魔法を行使した場合、マナの組成が安定しなくなる。この時に呪文を唱えると、その自然魔法は暴発となる。そして消費され過ぎたマナは、魔素という闇の元素に変質してしまい、黒魔法しか行使できなくなる。それだけではない。魔素が強いと周囲にも悪影響を及ぼす。環境が破壊されて水が枯渇したり、緑が失われたり、気温の異常な上昇や低下を招く。体調の異変もそのひとつだし、顕著なのは魔物に及ぼす影響かな。魔物が狂暴化したり、変異したりする可能性がある。魔素の濃度が強ければ、その効果も大きくなるという訳だ」
「なるほど、だから戦闘中の魔法使用に制限があるんですね」
「特に、軍勢の衝突となるとね。魔法兵が合体魔法で唱えると、夥しいほどのマナと元素を消費する。連発できるものじゃないけど、当たればデカい。だから乱戦になる前に魔法の撃ち合いが行われるのさ」
「…あの、アーテルっていうのは?」
 ガウェインが口を挟んだ。自らの肉体を強化する、というところに、ガウェインは関心を持った。肉体を強化できれば、今以上の力を手に入れることもできる。ガウェインの問いかけに答えたのは、ベイオルフだった。
「マナの研究が進むと同時に発見された、四大元素と並ぶ元素だ。マナと共に世界を構成する重要な元素と言われる。大気と大地の気流に存在する超エナジー、それがアーテルと呼ばれる。自然界(ナトゥーア・プレーン)にあるアーテルを人の体内に大きく取り込み、人の血脈に流動させる。体内に流れるアーテルは、練気と呼ばれる技法で闘気と混ざり合う。人の闘気と共に練られたアーテルを、アーテル・フォルスという。アーテル・フォルスを身にまとうだけで、俺のように馬上で炎塵(スヴァローグ)のような大物を軽々振るうこともできる。ただ、生来の膂力を強化するものだからな。もとが非力だと大した恩恵を受けられん。万人が力を手にできるわけじゃない。後はアーテル・フォルスを放出することで、常人技ではない闘技を発動できる。ただし呪文の詠唱と同じで、使用の前後に隙を生じるという危険がつきまとう」
 ベイオルフが大きく息をついた。それで緊張が解けたようで、ガウェインもデュマリオもスタンリックも、姿勢を楽にした。
「アーテル・フォルスか。俺にも使えるかなぁ」
 スタンリックが茶を飲みながら言った。しかし、即座にベイオルフが切り返す。
「お前は無理だ。資質が感じられん」
「えぇー、いきなり駄目宣言ですか!」
「残念だがな。アーテル・フォルスを身に付けて習熟すると、その辺りもわかるようになる」
「とほほ~。じゃ、じゃあ、ガウェイン君はどうですか?」
 ベイオルフとデュマリオがガウェインに視線を注ぐ。思わずガウェインは体を強張らせた。
「…焦るな。ガウェイン。しっかりとした基礎を身に付け、土台を築くのだ。それは今、ゲッツ団長がやってくれている。中途半端な状態でアーテルを取り込もうとしても、それによって肉体に負荷が掛かることになって、肉体と精神の両方が崩壊しかねん。その時がきたら、俺がアーテル・フォルスを教えてやる」
 ガウェインが強く頷いた。
 今はまだ見えぬ仇敵。いつか相対した時に討ち果たすために、そのために地道に牙を研ぐのだ。
 近道はない。そう思い定めたガウェインは、また決意を新たにした。
 燃える焚火は、薪をくべられて勢いを増す。それは、ガウェインの復讐の炎のようであった。
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