凶刃 Ⅲ

文字数 3,586文字

 太鼓の音が激しく鳴り響いている。まるで自分の体が打ち鳴らされているように感じていた。だが、それは錯覚ではない。ガウェインの心臓の鼓動は、今にも爆発しそうなほどであった。

『シ、シャールヴィ・ギリングだーっ‼』

 ガウェインは味方が発したその叫び声をはっきりと聞いた。同時に家族と故郷を滅ぼされた憎悪が湧き上がり、体中を黒い怒りが駆け巡った。
 第二段に配置されたガウェインは、鮮やかに翻るシャールヴィ・ギリングの軍旗と、その圧倒的な豪勇をまざまざと見せつけられた。
 すでに退却の合図は出されている。しかし、兵を退くためには、シャールヴィ・ギリング率いる騎馬隊を止めなければならない。消耗した第一段と第二段が入れ替わり、まず第一段から退却。第二段はシャールヴィの騎馬隊を止め、味方の騎馬隊が攻撃に移ったところで順次退却する手はずであった。
 ガウェインの属する小隊の隊長ハレックも、前に出ている。その表情は酷く険しい。シャールヴィの実力の前に、焦りを隠せないでいる。一方ハレックの両脇には、ベイオルフとデュマリオが控えていた。デュマリオはいつもと変わらないが、ベイオルフは闘志を剥き出しにしている。
 ヘイムダル傭兵団の第一段が後退する。一塊になったヘイムダル傭兵団の騎馬隊が、一度ギリング隊に突撃した。それと同時に、第二段が前進する。第一段の傭兵たちはかなり消耗していた。恐怖で顔を引きつらせている者もいる。戦意はかなり削がれていた。
「パイク兵、前へ!」
 ハレックの声が響く。ヘイムダル傭兵団の騎馬隊が散開し、退がってくる。ガウェイン含めたパイク兵は、切っ先を突き出してギリング隊を止める構えを見せた。
(シャールヴィ・ギリング。お前は…)
 鼓動ともに、全身に憎悪が駆け巡る。その姿を焼き付けようと、ガウェインは眼を見開いた。
「新手か、いくら出てきても無駄なことだ!」
 シャールヴィが雄叫びをあげる。魔獣の咆哮のようなその声に、傭兵たちが怯える。ガウェインのすぐ近くにいるスタンリックも、手と脚が小刻みに震えていた。
「怯むな! デルーニとて人には違いないぞ! 我らの手で奴らを討ち果たしてやろう‼」
 ベイオルフが味方を鼓舞する。傭兵たちを勇気づけるように、得物の炎塵(スヴァローグ)を振り回した。また、心臓の音が速くなるのをガウェインは感じた。馬蹄と共に、ギリング隊が迫る。ガウェインもまた、雄叫びをあげた。
 それはまるで風のようだった。凄まじい衝撃を伴った爆風が駆け抜けていく。ガウェインにはそう感じられた。後に残されたのは、地面に伏している味方の姿。何が起こったのかさえ、ガウェインは理解出来なかった。
 第二段はギリング隊とマーナガルム傭兵団の歩兵に挟まれるような格好になった。ギリング隊の騎兵はひとりとして欠けておらず、すぐにも攻撃に移る態勢になっている。
「歩兵はギリング隊を止めろ! 挟まれているのは敵も同じだ‼」
 散開したヒュバートの騎馬隊が集合し、マーナガルム傭兵団の歩兵に当たる。そして三百の麾下を率いて、ゲッツが前へ出ていた。ギリング隊の後方を取る形になっている。すでにゲッツは退却したものと思っていた傭兵たちは、驚きを隠せなかった。
「いくぞ、ヘイムダル傭兵団の底力を見せてやれ‼」
 ゲッツがデュランダルを振りかざす。傭兵たちの間で喊声が沸き起こる。
「はっ、それなら見せてもらおうか。人間どもの底力とやらをな。ウォルター、お前は後方に当たれ。俺はあの歩兵どもを血祭りにあげる」
「はっ」
 シャールヴィがギリング隊を二手に分けた。一隊を後方のゲッツに当て、それを副官に任せる。そして自信は二百騎で一千の歩兵に当たる。兵力差五倍の歩兵に、騎馬隊のみで突撃するにも関わらず、シャールヴィの顔には恐れなどない。むしろこの戦況を楽しんでいるふしがあった。
 シャールヴィが馬腹を蹴ると、黒矢(カーバイン)が駆け出す。そして二百騎が後を追う。それでも追いきれず、シャールヴィがひとり突出する形になった。
「いけぃ!」
 ハレックが命じると、ベイオルフとデュマリオが同時に隊列を飛び出した。シャールヴィ目がけて突撃する。加速したまま、まともにぶつかり合う。まるで空間を揺るがすかのような、凄まじい衝撃が伝わってくる。
「ほう、少しは出来そうか?」
 シャールヴィはベイオルフとデュマリオの攻撃を同時に受け止めていた。さしもの二人も驚きを隠せない。口元で笑ったシャールヴィは、雄叫びをあげて二人を振り払うと、ピュサール振り回して一閃した。
 デュマリオが呻き声をあげる。右腕から血が噴き出している。血は思ったより多量で、腕から手へ伝い、手綱から地面に滴り落ちている。
「おのれい!」
 ベイオルフが炎塵(スヴァローグ)で打ち掛かる。ピュサールの柄でそれを受け止めたシャールヴィは、ベイオルフの炎塵(スヴァローグ)を押し返し、ピュサールを振り下ろした。今度はベイオルフの肩から血が噴き上がった。
「俺のピュサールはあらゆるものを斬り裂く。貴様ら人間どもなど、すぐに細切れにしてやれるぞ」
 ギリング隊の騎馬隊が追い付いて、シャールヴィの背後に付く。それを見て、ベイオルフとデュマリオがわずかに下がる。シャールヴィが追い討とうとした時、ハルバード兵が前へ出た。
「行け、取り囲め! 馬上から引き摺り下ろすのだ!」
 ハルバードがシャールヴィを捉えようとする。シャールヴィは悪魔のような笑い声をあげて、ピュサールを振り回す。鮮血が舞い散る。
「これで囲んだつもりか⁉ 笑わせるな! お前らが虫にも劣る下等で脆弱な種族だということを、ここで思い知らせてやる‼」
 シャールヴィが闘気と共に、アーテル・フォルスを放つ。それは衝撃波となって扇状に拡散し、ヘイムダル傭兵団のハルバード兵が見る間に倒れる。起き上がる傭兵はひとりとしていなかった。
 呼吸にして二つ、硬直から回復したシャールヴィは、ピュサールを天に向かって差し上げて、雄叫びをあげた。ピュサールを横に構え、駆け出す。ヘイムダル傭兵団のパイク兵に突撃するまで、シャールヴィは雄叫びをあげ続けていた。
 シャールヴィが縦横無尽に駆ける。高笑いと共に駆ける。首が飛ぶ、血飛沫があがる。悲鳴と喊声が混ざり合い、傭兵たちが恐怖に包まれる。
 ガウェインの眼前に、シャールヴィが迫る。パイクを握る手が、震えている。自分は恐怖している。シャールヴィ・ギリングという男に。それをガウェインははっきりと感じていた。
「くそう、くそう! ちくしょーっ‼」
 意を決したガウェインは、シャールヴィに向かってパイクを突き出した。それは、渾身の力を込めた一撃のはずだった。だが、まるで硬い岩に当たったかのように撥ね返され、おまけにガウェインの体は衝撃で吹き飛んでいた。腕に痺れを感じながら、ガウェインは自分が宙に舞っていることに気づいた。
「シャールヴィ・ギリング! 貴様はここで止める!」
 ポールアクスを構えたハレックが、シャールヴィに当たる。それを見て、ベイオルフとデュマリオが顔色を変えた。
「ハレック殿、いけない!」
 しかしすでに遅い。ハレックを標的に定めたシャールヴィは、黒矢(カーバイン)と共に猛然と突進する。一合。ハレックの首がなくなっていた。
 指揮官を失った傭兵たちが動揺する。シャールヴィへの恐怖も相まって、その場に留まることよりも、逃げることが頭に浮かぶ。だが、それを叱咤するようにベイオルフが傭兵たちを鼓舞する。
「ギリング様、あれを!」
 シャールヴィについているデルーニ兵が指を差す。その先には、ランスロットがマーナガルム傭兵団の歩兵を追い散らしているのが見えた。ヒュバートと連携し、マーナガルム傭兵団の歩兵を断ち割り、少数になったデルーニ兵を討つ。まさにシャールヴィの戦法と同様のものだった。さらに、ゲッツがシャールヴィの副官ウォルターを蹴散らしていた。得物のデュランダルを振るい、自らデルーニ兵を斬って落としている。
 舌打ちしたシャールヴィは、ギリング隊を散開させた。自らも歩兵の救援に赴くべく、馬首をめぐらせた。
「今だ! 第二段、退け‼ 騎馬隊は一撃離脱し、散らばって逃げろ‼」
 ゲッツが合図を送る。大将の言葉に、我に返った傭兵たちは、一目散に戦場から離脱する。
「ガウェイン君、い、行こう! 早く逃げないと、またあの悪鬼が戻ってくるよ!」
 スタンリックも駆け出している中、ガウェインは遠くなるシャールヴィの背中を見つめていた。
 シャールヴィと対峙した時、ガウェインの体を駆け巡っていた憎悪は、やがて恐怖に変わっていた。悔しさがこみ上げる。家族の仇を討つどころか、その力に怯えてしまっていたのだ。
(シャールヴィ・ギリング。俺は、お前を許さない。絶対に、絶対にだ…‼)
 唇を噛んだガウェインは、シャールヴィに背を向けて駆け出す。初めて味わった恐怖と共に。
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