復讐の刃 Ⅱ

文字数 3,817文字

 幕舎を出たガウェインは、じっと地に視線を落とした。空には綺麗な夕焼けが広がっている。橙色の陽光が、ガウェインの横顔を照らす。まだ幼さが残るあどけない顔立ちは、どこか子犬のような愛らしさを感じさせる。しかし、奥底に眠る暗く冷たい憎悪を知る者は少ない。
 夕焼けの鮮やかな情景を焦がすほどの憎しみは、ガウェインの内に常に渦巻いている。絶望が心身を支配するガウェインの眼には、夕陽の美しささえも、ただの風景でしかなかった。
 橙色に染まる空。ガウェインの胸に去来する思いがあった。眩く輝く陽の光は、美しく大地を照らしだす。

 夕陽が照らすのは麦の畑だった。麦は囁くような微かな風に揺れる。その風景は橙色の光と相まって、情感的な雰囲気を作りだしていた。
 麦畑の隅にガウェインの姿があった。エメラルドグリーンの瞳はきらきらと輝き、希望を宿している。眼前に広がる麦畑を、満面の笑みで眺めていた。
「ガウェイン」
 ガウェインを呼ぶ声があった。栗毛の髪を持つ女性で、ガウェインを見つめる瞳は慈愛に満ちている。ガウェインの母・テレシアであった。
「母さん。麦の状態は良いよ。今年は災害もなかったし、グーナ(イングリッドランド王国東部で発生する飛蝗の一種)にも襲われなかったし、ここまでは順調だね」
「去年はグーナが飛来して困ったからね。参ったわ、あれは」
「ホント、ホント。どうしょうもないし。俺は魔法のひとつでも使えれば、火の魔法でゴオーって追っ払ってやったのになぁ!」
「そうねぇ。でもガウェイン、ゴオーってやったら、麦まで無くなっちゃうわよ」
「あっ、そっか。あぶない、あぶない」
「そう、あぶない、あぶない」
「うん、まあ、でも、使えないけど」
 ガウェインとテレシア、親子が顔を見合わせて笑った。
「さあ、ガウェイン、帰りましょう。もう夕食が出来上がっているわ」
「ばあちゃんが、野菜スープ作ってくれたんだっけ。楽しみ~」
 親子二人が長い影を作りながら、家路に着く。麦畑の間にある農道を歩きながら、親子は楽しげに会話を交わす。少し歩くと石造りの家屋が見えてきた。家の裏には小さな牧場と牧舎がみえる。屋根に二つあるうちの一つの煙突からは、煙が立ち上っている。
 テレシアが木造の扉を開けると、ふっといい匂いが漂ってくる。
「たっだいま~!」
 ガウェインが元気な声を上げると、家の中からガウェインの元気な声に劣らない、さらに元気な声が響いてくる。
「兄ちゃん、お帰りー」
「お帰りっ!」
「ただいまぁっ! ヒューウェイン、タバサ」
 手を挙げてガウェインに駆け寄ってきたのは、三男のヒューウェインである。やんちゃ盛りではあるが、二人の兄を一途に慕っている。
 もうひとり駆け寄ってきたのは、兄妹で一番下の妹、タバサ。まだ甘えん坊だが、母親や祖母の手伝いをきちんとやる、聞き分けの良い一面もあった。
「お帰りなさい、兄さん」
「ルウェイン、ただいま!」
 次男のルウェインは、ガウェインと年齢が近いこともあり、一番農場の仕事を手伝っていた。要領も良く、弟と妹の面倒も良くみていた。
「ばあちゃん、ただいま!」
 ガウェインが奥に向かって手を上げると、からからと笑い声が聞こえてきた。キッチンの椅子に腰掛けているのは、祖母のポルシャである。
「やかましいのが帰ってきたねぇ」
「なんだよ、ばあちゃんひどいなー」
 ガウェインが腰に手を当ててふくれっ面をする。ルウェインが笑うと、それにつられてヒューウェインやタバサも笑い始めた。
 卓の上にはすでに夕食が用意されていた。野菜のスープが作られていて、籠にはパンが盛り付けられている。六人分にしては少ない量であるが、シュタイナー家での一食の量としては普通だった。
「ガウェイン、手を洗っておいで。そしたら食べましょう」
「おし。食べよう、食べよう」
 ガウェインがキッチンに溜めてある水で手を洗うと、全員が卓に付いた。
「それでは、今日も大地の実りに感謝して、女神タハ・ミナーミ様に祈りを捧げましょう」
 ポルシャが言うと、全員が掌を合わせて祈りを捧げた。
 呼吸で数えて三つほどすると、タバサが少し右目を開いて周囲の様子を伺う。ほとんど同時にヒューウェインも同じ行動をしていた。まだ幼い二人にとっては、祈りを捧げるよりも、食欲のほうが断然と勝るのだろう。
 そして全員が目を開けると、ヒューウェインの一際大きな声が響いた。
「いただきま~す!」
 その姿にガウェインやテレシア、ポルシャからは、自然と微笑みが生まれた。
 ヒューウェインとタバサが盛り付けられた料理に手を伸ばし、口に運んでいく。それをみながら、テレシアやポルシャが微笑んでいる
「ガウェイン、貴方ももっと食べなさい」
 テレシアが、ガウェインに言った。弟たちの食べる分量に配慮するガウェインを気遣ったのだ。
「食べてるよ。やっぱりばあちゃんの野菜スープは絶品だね」
 ガウェインがテレシアに笑みを向ける。それをみてポルシャが笑った。
 食事が終わると、家族全員で片づけを始める。ヒューウェインとタバサは片づけの途中で飽きてしまい、ガウェインに叱られていた。
 やがてタバサ、ヒューウェインの順番で眠くなり、最後に残っていたテレシアとガウェインも、お茶のカップを片づけると、寝室へと下がった。つい先ほどまで家族団らんで賑わっていたのが嘘のような静けさだった。
 二つあるうちの寝室のひとつ。ここには、ガウェイン、ルウェイン、ヒューウェインが寝ている。ドアを開けると、左寄りに寝台が三つあった。
 ガウェインは横になりながら、寝台からみえる月を眺めていた。
 眠る前に、いつもこうして父親である、デュウェインのことを思い出していた。
 デュウェイン・シュタイナー。シュタイナー家の大黒柱であり、ガウェインの愛する父。
 ガウェインが生まれてからしばらくの間、王国はデルーニ族のアースガルドと大規模な戦争をしていた。村の親族が疎開してくることはたまにあったが、基本的にサリー村は戦禍とは無縁だった。
 しかしデュウェインは、恵まれた体格と膂力の強さを買われて、兵役に従事することになった。臨時徴兵だった。
 ガウェインにとって優しく、大きな父親だった。父がいつも畑や牧場で仕事をしている姿を、後ろから見ているのが好きだった。一緒に山へ出かけては、キノコや木の実、果実を採ってきた。野や山のことは、父は大抵知っていて、野草や山菜についても父にかなりのことを教えてもらった。
 ガウェインが家族のために日々奮闘しているのは、デュウェインが兵役に行く際に交わした、誓いがあるからだった。
 “家族を守る誓い”
 それが、ガウェインとデュウェインが別れる際に交わした、男の誓い。
 戦争が終結したことを、サリー村に疎開していた村人の親族から、ガウェインは教えてもらった。しかし戦争が終結しても、デュウェインは帰って来なかった。サリー村の村長から、デュウェインのように徴兵や臨時徴兵によって兵役に就いた者は、身元が判明しているので、戦死した場合は遺族に戦死通知と、国家恩給が支給されるはずだということも学んだ。だが、国からは戦死通知も国家恩給も来ないまま、数年が過ぎた。
 テレシアやポルシャは、デュウェイン生存の可能性を諦め、死んだものとしていたが、ガウェインだけは、デュウェインは生きていると信じていた。
(きっといつか会える。父さんとは――――)
 もう一度デュウェインと会うまで、ガウェインはデュウェインと交わした、“家族を守る誓い”を守り続けると決めていた。
「さぁって…。明日も早いし、眠るかな」

 降り注ぐ夕陽は、幸せだった現実を揺り起こし、そして同時に現実の残酷さを突きつける。
 もう、家族はいない。
 現実に返ったガウェインが小隊に戻ると、そこには夕食が用意されていた。椀に盛られているのはポリッジである。単調な味付けであり、大して美味しくもない代物だが、戦場食としては一般的であった。
 ガウェインがポリッジを口に運ぶ。咀嚼をしていても、表情に変化はない。塩気があるのか、嚙んでいると甘みが出るのか、野草の味はどんなものなのか、すべてがガウェインには感じられなかった。食べ物の味がしなくなり、濃い血の味だけが味覚を支配するようになった。好きだったはずの野草や木の実、肉や川魚の味も、ガウェインは思い出せなかった。
 いつも夕食時に浮かぶのは、家族の顔である。優しい微笑みを浮かべる母・テレシア。矍鑠としている祖母・ポルシャ。落ち着いて行儀のよい弟のルウェイン。元気で活発な三男・ヒューウェイン。甘えたがりで泣き虫な末の妹・タバサ。だが、その家族の顔や声すらも、最近は霞んできてしまっていた。
 お茶を飲み終えたガウェインは、カップを戻すと床に付いた。天幕に設えられた簡易な寝台。そこがガウェインの寝床であった。
 眼を閉じると、闇が覆ってくる。暗い闇に散る、鮮やかな赤色。赤い瞳を持つ、デルーニ族の傭兵の瞳。否、それは、惨劇のあの日、ガウェインの手にこびりついた、愛する家族の血であった。血の臭いと、風味がガウェインを包む。
 脳裏に蘇る、血の色と臭いを思い出しながら、ガウェインは身を丸くして震えていた。
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