復讐の刃 Ⅰ

文字数 2,503文字

 原野に乾いた風が吹く。
 まるで原野に花が咲いたように、幕舎が連なっている。風に揺られる幕舎は、さながら本物の花のようでもあった。
 それはビフレスト州を転戦する傭兵たちの陣営だった。豪腕のゲッツの異名を持つ、ゴットフリート・ディーゼル・クラウゼヴィッツの率いる、ヘイムダル傭兵団である。州境でぶつかり合う王国軍とデルーニ兵に駆り出され、戦いの日々を送っている。
 ちょうど昼食の時間なのであろう、傭兵たちが石造りの竈で調理をしている。野戦料理はお手のものといった様子で、それぞれ手際よく作業を進めている。
「団長に持っていってくれ」
 傭兵のひとりが椀いっぱいに盛られたシチューを差し出す。配膳係と思われる傭兵が、碗を持ってひと際大きな幕舎へ足を運ぶ。
背丈は二トール(一トール=九十センチ)に近い。ダークブロンドの髪に丸い顔、エメラルドグリーンの瞳は大きい。可愛げのある顔立ちであったが、その眼はひどく暗かった。
少年の名はガウェイン・シュタイナー。イングリッドランド王国ディジョン郡サリー村の出身である。ヘイムダル傭兵団に所属してからまだ日が浅く、他の傭兵ともあまり交流がないことが窺える。
「失礼します。昼食を持ってきました」
 ガウェインが幕舎に足を踏み入れる。殺風景な幕舎内の奥では、体を投げ出すようにして椅子に座る男がいた。
 手入れのされていないざんばらの黒髪は短い。細く鋭い眼は、アンバーの瞳だった。口髭から顎髭、頬髭は、揉み上げまで繋がっている。屈強な肉体と大小無数の傷跡は、くぐってきた死線の数を表していた。
 ゴットフリート・ディーゼル・クラウゼヴィッツ。豪腕のゲッツと呼ばれるこの男は、己の腕一本で戦場を渡り歩き、今日まで生き抜いてきた歴戦の傭兵である。豪腕の由来は、愛用しているツヴァイハンダー、デュランダルを得物にしていることだった。
「おう、ガウェイン。昼めしか。ご苦労、ご苦労」
 ガウェインは手に持っている椀を丸い卓に置いた。肘掛けに頬杖をついたゲッツが、ガウェインをじっと見つめている。
 ゲッツの視線はガウェインの絶望に閉ざされた暗い瞳を捉えていた。眼にすれば背筋に悪寒が走るほどの瞳は、ゲッツが出会った時と変わっていない。
 ガウェインをヘイムダル傭兵団に連れてきたのは他ならぬゲッツであった。行き倒れていたガウェインを、たまたま通りかかったゲッツが拾った。その時見たガウェインの瞳を、ゲッツはいまだに忘れていない。
 暗い絶望の奥底に燃えているのは、復讐の炎。ガウェインの瞳の奥に灯るその炎に、ゲッツは戦慄した。「蛇と蝶の刺青を持つデルーニを捜している」ガウェインの口から語られた目的を聞いて、ゲッツはガウェインをヘイムダル傭兵団の傭兵としたのだ。
ガウェインの故郷サリー村は、デルーニ族の傭兵に襲われて壊滅した。村が襲撃された際、ガウェインはキャラバンのガイドの仕事に出掛けていた。報酬を手に村に戻ったガウェインが見たのは、壊滅した村と破壊された自分の家屋と農場、そして惨殺された母・テレシア、祖母・ポルシャ、弟・ルウェイン、ヒューウェイン、妹のタバサの無残な屍体だった。
「おい」
 運んだ食事を置いて去ろうとしたガウェインの背中に、ゲッツが声を掛けた。思わず足を止めたガウェインだったが、振り返ろうとはしていない。
 ゲッツは戦場で獲物を狙うかのような、鋭い眼光をガウェインに向けた。まるで抜き身の切っ先を突きつけるように、ガウェインをはっきりと捉えている。
 不意にゲッツが舌打ちをした。それでもガウェインの表情に変化はない。
「…相も変わらず辛気臭ぇ顔してるな。頭を冷やしても、毎日ぼろぼろになってもそれは変わらねぇか」
 ガウェインの体にはそこら中に痣ができている。腕や脛にも、無数の傷がある。それは戦場でついたものではない。ゲッツとの日々の鍛錬によって負ったものであった。復讐のために、ガウェインは強くなることを望んだのだ。
「お前の村を襲った、“蛇と蝶の刺青を持つデルーニ”。そいつはマーナガルム傭兵団の悪名高き傭兵、獰悪非情、冷酷無比で知られる、シャールヴィ・ギリングだって言ったよな? 飛んでも跳ねても、お前の実力じゃ敵わない。いつも俺に叩きのめされて、ランスロットの野郎に袋叩きにされてるようじゃ、奴の首なんて獲れっこねぇ。いい加減諦めたらどうだ?」
 ヘイムダル傭兵団で傭兵としての修練を積んで、仇の首を獲る。ガウェインが考えていることはそれだった。だが、現実は甘くなかった。死と隣り合わせの日々を送るゲッツの鍛錬は苛烈を極めた。そしてゲッツが鍛錬の相手として用意したランスロット・リンクスという少年にも、毎日打ちのめされていた。
 後悔と忸怩たる思いが日々募り、ただただ憎悪だけが増していく。そんなガウェインを、ゲッツは気に掛けていたのだ。
 ガウェインが振り向いた。ゲッツにとっては見慣れた顔である。暗い炎を宿した眼の奥には、確かな決意がある。それははっきりと感じ取れるほどに、強い光を放っていた。だが、それは負の感情から湧き上がるもので、ガウェインの心身を苛んでいく。
「今はただ、強くなります」
 怨嗟の声とも言おうか。地獄の底から鳴り渡るような、あどけない顔に似つかわしくない響きを帯びた声だった。
「復讐の果て。そこにお前にとっての希望はあるのかい?」
 ゲッツが問いかける。ガウェインがわずかに困惑したような表情になった。ゲッツの言わんとしていることが理解できないのか、その戸惑いは年相応の姿を映しだしていた。
 少しの間を置いても、ガウェインの胸に答が浮かぶことはなかった。再び一礼をしたガウェインは、幕舎を出て姿を消した。
ゲッツが深いため息をつく。難解な問いかけは、ゲッツなりの優しさなのか、それともこれからさらに激しさを増す修練に対する警告なのか。その真意はゲッツにしかわからない。
「希望なんて、ありゃしねぇ」
 ゲッツの呟き。それは確信に満ちた響きを帯びていた。復讐の果てにあるものとは何なのか。ゲッツはそれを知っている。
 だが、その呟きを耳にするはずの者は、ここにはいなかった。
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