罪と罰 Ⅰ

文字数 1,989文字

 朝の気配が近づいてくる。寝台に横たわるゲッツは、まどろみの中にいた。やがて見えてくる情景。それはゲッツの奥底で眠っていた、かつての記憶であった。

 夜の暗闇を、朱色の灯りが照らす。ぱちぱちと音を立てて、方々で焚火が燃えている。火を囲む兵は寡黙で、皆一様にうつむいていた。
 本来ならば農民として慎ましく暮らしていた者たちばかりである。それがいきなり徴兵されて武器を持たされ、軍の教練を受けることになった。心の中にあるのは、故郷の情景と家族の顔であるのは間違いない。
 部隊長であるゲッツは、兵の様子を観察しながら陣営を回っていた。こうして見て回るのも、隊長である自分の仕事だと思っている。
 ゲッツがここにいる兵を鍛えてから、一年近くになろうとしていた。動きの悪い者、非力な者など、問題のある者も大勢いたが、そうした者は戦いの中で命を落としていった。
 誰もが生き残り、故郷に帰れる訳ではない。国の命令に従って、命を賭ける。ゲッツ自身、そうした戦いに倦んでもいた。
 兵が囲む焚火を回っている男がいた。時には兵の肩を叩いて励ましたり、鬱屈を抱えている兵の話を聞いたりしている。この男がいつもやっていることだった。
 大きな男だった。明るく人好きする性格で、その気性は新兵たちの救いでもあった。膂力も人並み以上で、馬の扱いにも長けていた。戦闘で活躍することはあるが、ゲッツはこの男を引き上げるつもりはなかった。性格が優し過ぎるのだ。ひとりの兵を救うために、多くの兵を犠牲にするということをやってしまう。戦いには非情さが必要で、この男にはそれが欠けていた。
「よう、相変わらずだな」
 ゲッツが声を掛けると、男はその場で直立した。その様が少しおかしく、思わず苦笑する。
「兵に声を掛けるのはいいことだが、お前さんは何か抱え込んでたりしないのか?」
 男がきょとんとした顔をした。思ってもいなかった言葉を掛けられて、驚いているのだろう。
「郷里はどこだったっけ?」
 ゲッツが口もとに笑みを浮かべながら言うと、男も緊張が解けたのか、少し笑みを見せた。
「自分は、ドムノニア州ディジョン郡、サリー村の出身です。生まれも育ちもそこです」
「そうか。たしか、牧場を持っていたんだったな。育てているのはなんだ。馬か?」
「いえ、牛です。牛を育てて、ミルクを町へ卸していました。他に畑も持っています」
「そいつぁ、いいな。大自然に囲まれて、ゆっくりできそうだ」
 ゲッツは地面から突き出している岩に腰掛けた。男は直立したままだったが、ゲッツが促すと、地に腰を下ろした。
「家族は?」
「妻と、母と、子供が四人います」
「そうか。子供は可愛いか? 俺には子供がいなくてな」
 ゲッツが訊くと、男は顔を綻ばせた。心の底から自分の子供を愛しているのだろう、ということが伝わってくる。
「子供は皆可愛くて、甘やかしてばかりで妻や母に叱られていました。特に一番上の子は大きくなって、自分の仕事を手伝うようになってくれました。自分の仕事のことだけでなく、いろいろと教えるのも楽しいのです。物覚えが良い子で、牧場の仕事もすぐに覚えました」
「ほう、そいつは将来が楽しみだな。じゃあ、お前さんの夢は、子供たちと牧場や畑を大きくすることか」
「そうですね。そうなれば、とても嬉しいです」
 空には星がきらめいている。静かな夜だった。
「隊長殿には、夢はありますか?」
「夢? 俺にか。…そうだな、出来れば上に縛られずに、自由気ままに戦いたいな。傭兵になってみたいと思っている」
「傭兵、ですか」
「ああ」
 上の命令に従いながら戦うのは、性に合っていない。それをゲッツは実感していた。無茶な命令をこなし、そのために多くの兵が死んでいくのも見てきた。この戦いはまだ続くだろう。だが、生き残ったら今度こそ自由に戦うと、ゲッツは決めていた。
「早く戦いが終わればいいですね。争いのない平和な世が訪れて、みんなが自分の思う通りに生きることが出来れば、どんなにいいか…」
 男が夜空を見上げながらしみじみと語った。この男も、臨時徴兵で兵となった者であった。戦いなどなければいいと、心の中では思っていた。
「終わらせるためには、戦うしかないな」
 ゲッツが岩から腰をあげた。泣いても戦争は終わらない。前に進むしか、方法はないのだ。ゲッツの言葉を聞いて、男は諦めたような顔をした。
「もうお前も休めよ、えっと…シュタイナー、だったか」
 男も立ち上がり、今度はゲッツに一礼した。
「はい。デュウェイン・シュタイナーと申します。隊長殿と言葉を交わせて、とても嬉しかったです。またお話したいと、勝手に思っています」
「おう、またな」
 ゲッツが手を振ると、デュウェインはまた一礼し、兵の輪の中に戻っていった。
「家族か、悪くないものなのかもしれないな」
 そう呟きながら、ゲッツは明日の行程について考えはじめた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み