白日 Ⅰ

文字数 2,697文字

 光。まどろみの中にあったゲッツは、光を感じた。それはやがて色を帯び、紅く変化していく。それが炎だということに気づくのに、しばらく時間がかかった。
 口の中に広がるのは、少し甘みを感じる茶だった。貴重な茶葉(リーフ)で、それを鍋で煮出したものだ。茶を飲みながら、ゲッツは思いの中に沈んでいた。
 城外の野営地である。教練が終わり、それぞれにくつろいでいる時間だった。
 アースガルドとの間に結ばれた休戦協定。そしてアストラハン王国軍の撤退。ようやく平穏が訪れたとゲッツは思ったが、先日いきなり軍議の緊急召集があった。そこで知らされた機密と極秘任務は、ゲッツを迷わせるのに充分だった。人道を逸脱した行い。ゲッツが思ったのはそれだった。もちろん上官であるアーチルフ・ルーベンスに反対の意思を示した。だが、ゲッツに宣告されたのは意外なものだった。
『成功すれば、終戦後の退役を無条件で認める。加えて、お前が過去に行った罪に対しても、恩赦が与えられるだろう』
 軍を離れて自由に戦いたい。ゲッツがそう語っていたことを、どこからか聞いたのだろう。過去の罪とは、ゲッツがローエンドルフ卿に拾われるより前に犯した罪のことだ。盗賊を操って不正を働いていた貴族を斬った。ローエンドルフ卿の子飼いとならなければ、とうに刑死しているはずであった。
「隊長殿、いかがされました?」
 思い悩むゲッツに、いつもの調子で声を掛けてきたのは、デュウェイン・シュタイナーだった。
「お、おう。ちょっとな」
 様子がおかしいゲッツを心配したのだろうが、それにしては溌剌としているので、ゲッツは束の間戸惑った。
「休戦協定が結ばれて、皆、喜んでいますよ。国境を脅かしていたアストラハン王国軍も完全に撤退したという報告がありましたから、そろそろ帰郷命令が出てもおかしくないのではないでしょうか?」
 デュウェインが嬉しそうな顔をした。場を和ませようと、明るい話題を出したのだろう。それがさらにゲッツを苦しませるとは思っていない。
「お前さんは、臨時徴兵で来たんだっけか。そりゃ、楽しみだろうな。状況によっちゃ、そのまま兵役を解かれる可能性もあるだろ」
 ゲッツは話題に乗ることにした。デュウェインの気遣いを無駄にしたくないと思ったのだ。ゲッツが言うと、デュウェインはさらに顔を綻ばせた。
「それが望みです。早く家族に会って、元通りの生活が出来ればいいですね。ガウェインに、自分の仕事をもっと仕込むのが、一番の楽しみです」
「ガウェインってのは、たしか長男坊か。なんとなくだが、お前さんと似たような顔をしてるのが、眼に浮かぶぜ」
「はい。よく言われます」
 他愛ない話を続けても、やはりゲッツの心は晴れなかった。ここにいる者たちは、家族と故郷を胸に戦い続け、帰郷を待ち望んでいる者たちだ。それを捨て石にするというのは、どう考えても納得ができなかった。
 デュウェインが去った後も、ゲッツはまだ迷いの靄の中にいた。陽が落ちて篝火が焚かれてから、ようやくゲッツは腰をあげた。
「ゲッツよ」
 気づけば隣には、ヴィレム・ペレンノア、モルオルト・ブフォン、ガルファール・ローゼンベルクの三人がいた。
「お前ら…」
 ガルファールが幕舎のほうに顎をやったので、ゲッツはゆっくりと頷いた。ゲッツを含めたこの四人は、宰相であるウーゼル・ジール・ローエンドルフの子飼いであり、共に死線をくぐり抜けてきた戦友であった。
 幕舎の中は輝石の灯りで満たされていた。男四人が入っても手狭には感じないが、少しむさ苦しく感じるのは仕方なかった。
「辛い仕事になったな、ゲッツ」
 最初に口を開いたのはガルファールだった。血気盛んな性格のガルファールも、この時ばかりはゲッツを案じていた。快活で飄々としているブフォンも、沈痛な面持ちで視線を落としている。四人のまとめ役でもあるヴィレムは、頷きながらガルファールの話に耳を傾けていた。
「この作戦を思いついたのは、ウーゼル様の下にいる司軍参事、オズウェル・イワン・マイクロトフという男らしい。およそ血の通った人間が考えることではないよ。だが、この作戦を最終的に承認されたのは、ウーゼル様だ」
「わかっている」
 ゲッツはガルファールの言葉を遮った。ガルファールがなにを言いたいのか、それをゲッツは承知している。それがガルファールにも伝わったのか、ガルファールが深いため息をついた。
「今度ばかりは、俺もウーゼル様に直訴に行こうかと思ったほどだ。けど、今や宰相となられたウーゼル様に、俺たちなんかが容易に面会できる訳じゃないからな。受け入れるしかない」
 幕舎の中が沈黙に包まれた。ゲッツを激励しようと集まったはずだが、四人揃って沼に嵌ったようになっている。場の空気は重苦しくなるばかりだ。
「ゲッツの指揮下にあるのは、臨時徴兵で集められた兵だ。戦歴もそれほど長い訳ではない。言い換えれば、戦死する可能性が高いということでもあるな。作戦決行に選定されたのは、つまりはそういうことだろう」
 ヴィレムが重い口をようやく開いた。人には感情というものがある。頭では理解していても、感情がそれを拒む。今のゲッツの状態は、まさにそれだった。
「それでも、やらねばならぬ」
 ヴィレムが強い口調で言い切った。まるでゲッツの心理を見透かしたようなひと言は、ゲッツの胸に深く突き刺さった。
「オラデア奪回作戦。今回のゲッツの任務は、その発動の狼煙となる。アストラハン王国軍が退き、ウォーゼン率いるベルゼブール軍の主力が、ビフレスト州を空けている今が絶好機なのだ。フング族の叛乱を鎮圧したウォーゼンは、どんな理由をつけるかはわからないが、必ず開戦に踏み切る。そうなる前に、我らは動くしかない。イングリッドランド王国の、いや、人間族の未来のために」
 ゲッツは卓の上に置いた手を握り締めた。するとブフォンが、そっと拳に手を重ねた。眼を合わせれば、ブフォンが何を言いたいか、ゲッツにはすぐわかった。
「ありがとよ。お前らの気持ちは受け取った。俺は行く。血路を開く思いでな」
 ゲッツの眼の色が変わった。

。それが宿っている。するとヴィレムが、ゲッツに一振りの剣を差し出した。ゲッツはその剣に、見覚えがあった。
「ローエンドルフ家に伝わる二つの剣、カリバーンカレトヴェルフ。これはウーゼル様がお使いになられている、カレトヴェルフだ。昼間、本営にマーリンが訪れ、お前に渡せと言っていたそうだ」
 主の剣。それを渡された意味を、ゲッツはしっかりと理解していた。
 手にしたカレトヴェルフは、ゲッツが想像していた以上に、ずっと重かった。

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