風音 Ⅱ

文字数 2,614文字

 アーサーは頭上でエクスカリバーを一度振り回すと、前方へ振りかざした。アーサーの周囲を固める親衛隊の喊声が上がり前進する。
 ローエンドルフ軍の騎馬隊は崩れたウェリックス兵を追い立てるように駆け回る。二列縦隊で進むローエンドルフ軍騎馬隊によって、ウェリックス兵が次々と地に伏していく。
 戦場に野太い太鼓の音が響き渡った。ウェリックス軍の退却の合図である。すでに散を乱していたウェリックス兵は、太鼓の音に反応して我先に逃げ出していく。
 ウェリックス兵が潰走する様を見て、アーサーは馬を止めた。
「ガラハッドに伝令。深追いせずに引き上げるように」
「はっ!」
 アーサーの命令を受けて、早馬の伝令が駆けていく。
「兄上!」
 やや幼い顔立ちをしている青年が、アーサーのもとに駆けてきた。
「兄上、また前線に出られるとは。兄上はブリタニアの太守であり、ローエンドルフ家の当主なのですよ。その辺りをしっかりと考えていただきたい」
「大将が前線で闘っている。戦いの中ではそれを兵たちに見せることも必要だ。常々そう言っているだろう、ウィル」
 兜を脱いで、アーサーがウィルフレドを見た。白金のような、ほとんど白に近いアーサーの金髪が、風に靡いた。
「いつもだから、申し上げているのですが…」
 ため息混じりの小さい息を吐いて、ウィルフレドが呆れたように言った。
 ウィルフレド・ジール・ローエンドルフ。アーサーの実弟であり、太守であるアーサーの片腕。賢明な判断と細心さを持っていて、政務官と部将たちを繋ぐ調整役として、双方から信頼されている。
 アーサーの隣にぴたりとついている、屈強な巨躯の男は、ゲライント・マルティノワ。異民族・ザクフォンとの混血で、無実の罪で投獄されていたところをアーサーに救われた。兵士として戦った後に、アーサーの親衛隊長に抜擢された。
「自分が前線で闘いたい。ただそれだけでしょ、アーサー?」
 すき透るような、女性の声だった。青の魔石で装飾された、鉄の甲冑を身に付けた背の高い女性。葦毛の馬に乗り、アーサーに近づいて来る。
「人聞きが悪いな、ルナ。私は自分でそう思っているからこそやっているのだ」
 アーサーが笑いながら言う。
 ルナイール・ベルトリッチ。アーサーとは気心の知れた仲であり、幼なじみの間柄だった。さっぱりとした性格で、アーサーにも思ったことを隠さずに言う。面倒見の良い人柄で、細やかな気配りができる人物だった。
 ルナイールも兜を脱いだ。明るい栗毛の長い髪を、銀のティアラでまとめている。
「ルナイール殿もそう思われますか! 私も以前より思っておりました。あえて前線へ進む。そうした場面に何度出くわしたか。明らかに好んで前線に向かっているに違いないです。ローエンドルフ家の当主という立場も忘れて…」
 長い小言が始まろうとしていた。いつものことなのか、アーサーはうんざりしたような様子を見せて、横を向こうとする。
「おや、ガラハッドが帰ってきたようだな」
 アーサーは話を逸らすかのように、視線を前へ向けた。追撃から帰還してくるローエンドルフ軍の騎馬隊は、一糸乱れぬ動きをしている。平素から教練を重ねていることが見てとれた。
「ご苦労だった。ガラハッド」
 アーサーが騎馬隊を率いている男に声をかけた。
「あえて迂回する進軍路を選択したというのに、まさか待ち伏せされているとは思わなかったか。ウェリックス軍の腰はだいぶ引けていたな」
 ガラハッドが兜を脱ぎながら言った。声はアーサーと比べると、低く太いものだが、落ち着きも感じさせる。黒い髪と、野生的で精悍な表情。髭は顎髭と口の周りにあり、顎からもみあげまでは薄いが、繋がっているのがわかる。
 名はガラハッド・ローゼンベルク。ローエンドルフ軍の部将であり、アーサー、ルナイールとは幼なじみである。武勇も用兵の腕前も兼ね備え、全軍を指揮する統率力にも長けた勇将である。
「それよりどうした。何やら揉めていたようだが…」
 ガラハッドがそれぞれの顔を見回して尋ねる。するとウィルフレドが思い出したようにまくし立てた。
「ガラハッド殿。聞いてください。また兄上が前線に馬を乗り入れ、自ら剣を振るっていたのですよ」
 アーサーが素知らぬ顔をしていると、ガラハッドが低く笑った。
「諦めろ。ウィル。最早自分の兄はこういう男なのだと割り切るしかない。大将である前に、ひとりの戦士。それが抜け切らないのだろうな。それに前線に行かなければ、ゲライントもせっかくの腕前を披露できないだろう」
 ガラハッドがゲライントを見る。
「なあ、ゲライント?」
 唐突にガラハッドに話の矛先を向けられたゲライントは、圧倒するほどの体躯に似合わない、困りきった表情を見せた。するとルナイールがクスクスと笑いはじめた。
「やめなさいよ、ガラハッド」
 ガラハッドとルナイールが、顔を見合わせて笑う。それを見てアーサーも笑みを浮かべていたが、ウィルフレドはひとり、どうにも釈然としない表情をしていた。
「しかしまたザクフォンの境界侵入が激しくなってきたな。数ヶ月前まではわりと大人しかったと思ったがな」
 ガラハッドが言うと、アーサーがガラハッドと眼を合わせて頷いた。
「ウェリックス地方で災害があったらしい。どうしても肥沃な土地が欲しいのだろう。侵入するだけならまだいいが、略奪をなす。これだけは見過ごす訳にはいかない」
 食糧を求めて他者の領域に攻め込む。それは珍しいことではない。だが今回のウェリックス軍の侵入が、本来の領土奪取と略奪だけでなく、ある別の力が働いて起こったことだということを、アーサーは掴んでいた。しかし、それをここにいる皆には伝えていなかった。
「ウェリックス軍を撃退する。当初の目的は達した。キャメロットへ帰還するか」
 アーサーが言うと、ガラハッドが頷く。ウィルフレドが合図を出すと、兵が帰還のために動き出す。
 空を覆い尽くしていた雲の隙間から、一筋の光が差し込んでローエンドルフ軍を照らした。アーサーが顔を上げて、空をあおぐ。澄み渡る青が、降り注ぐ光の向こうに見えた。
 それはまるで、アーサーの勝利を祝福するかのような光だった。それとも、アーサーのこれから征く道を祝福しているのか。アーサーは見上げていた視線を戻し、再び前を向いた。
 戦場は静寂を取り戻す。 渡る風が変わらず吹き続け、雲を彼方へと運んでいく。


《第一部 完》
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