復讐の刃 Ⅳ

文字数 2,508文字

 朝を迎えて野営地は慌ただしく動きはじめていた。朝食を終えた傭兵たちは片づけをはじめて、教練の準備に取り掛かる。
 野営地の天幕で、傷の手当てをするガウェインがいた。個人的な鍛錬で付いた傷のために、消耗品である傷薬は支給されない。父・デュウェインから教わった、痛み止めに効く薬草を使い、止血は布きれを当てていた。
 ランスロットとの立ち合いの後、朝食の準備に入り、朝食後は傭兵団の教練がある。教練が終ると、今度は夕刻にゲッツの鍛錬があり、そこから夕食の準備に入る。夕食後は疲労に襲われ、そして寝台に体を横たえる。それがガウェインの一日である。その間も、憎悪は募るばかりであった。
「大丈夫かい?」
 心配そうに天幕を覗き込んできたのは、ガウェインと同じ小隊に属する、スタンリック・ブッシュだった。面長で、大きな鼻が眼につく。表情からすでに温厚そうな印象を抱かせる。長身であるが、それほど屈強という体格でもない。
 ガウェインに関心を持たない傭兵たちの中にあって、スタンリックはガウェインを気に掛ける数少ない傭兵のひとりだった。
「みんな小隊ごとに集まりはじめているよ。召集に遅れると叱られるから急ごう」
 スタンリックが天幕の外を見ながら言った。慌てて甲冑を付けたガウェインは、ブロードソード(刃渡り七十センチ後半から九十センチ未満。幅広肉厚の直剣。軍人、傭兵の副兵装として主流である)を腰に帯びて天幕を出ると、パイク(四メートルから七メートル程度の長い柄に二十五センチほどの葉状の刃がついている長槍。歩兵の主流な兵装)を手に取った。痛みはまだあるが、泣き言を口にできる状況ではない。
「おう、急げよ。ハレック殿がまた小言を言い出すぞ」
 駆け出そうとしたガウェインとスタンリックに声を掛けたのは、見上げるほどの大男であった。大きな眼に、つり上がった眉。何より眼を引くのは特徴的な赤い髪と口髭、蓄えた顎髭であった。背丈は二トールと一フィールにも到達すると思える(一トール=九十センチ/一フィール=三十センチ)。
 威圧感のある風貌とは裏腹に、その瞳は澄んでいる。ただの屈強で無骨な傭兵とは一線を画す雰囲気があった。その証拠に、ガウェインもスタンリックも男に怯えている様子はない。
赤髪の大男の名は、ベイオルフ・デュアリス・エスクラボル。ガウェインたちの属する小隊の兵長であり、老け顔を気にする若き豪傑である。長さ七トールに及ぶ十文字槍(クロス・スピア)炎塵(スヴァローグ)を得物にしている。
「あ、ベイオルフさん。今から行くところです」
 スタンリックがベイオルフを見て顔を綻ばせた。ガウェインも無意識に会釈していた。スタンリックと同じく、ガウェインを気に掛けてくれる傭兵であり、ガウェインの直属の上官でもある。しかし、それを感じさせない気さくな一面があった。
「俺も今からだがな。お前らがいれば、遅れても矛先をずらせるというもんだ」
「えー、なんですか、それひどい」
 スタンリックが抗議の声を上げると、ベイオルフがまるで野獣のような声をあげて笑った。
 ガウェインたちの小隊を率いるのは、ハレック・ランバントという、小太り丸顔。顎髭を蓄えた壮年の傭兵である。ゲッツとの付き合いも長い歴戦の傭兵であり、普段は鷹揚な一面を見せるが、規則に大変厳しいことで知られている。そのために、召集に遅れようものなら厳罰が待っているのだ。
 スタンリックが駆け出す。ガウェインも一度遅れて、ハレックに厳しく叱責されたことがある。遅れまいと、スタンリックの後を追って駆け出していた。後ろを見れば、ベイオルフも大きな体に見合わぬ速さで駆けている。
「精が出るねぇ。教練前にそれだけ駆ければ、前準備は万全かな?」
 駆けるガウェインたちの横から声が掛けられた。思わず足を止めたスタンリックに、ガウェインは追突してしまった。すかさず鼻を押さえる。
 天幕の間から姿を現したのは、捻じれたブラックの短髪に、眠そうなたれ眼が印象的な男だった。背丈は二トールと二バンチ(一バンチ=五センチ)ほど。飄々とした雰囲気の持ち主だが、身のこなしに隙がない。
 男の名は、デュマリオ・ファイレフィツ。定まった傭兵団を持たず、雇われ先の傭兵団を転々とする形態の傭兵である。ゲッツに雇われて、ひと月ほど前にヘイムダル傭兵団にやってきた。
 兵長をひとり失ったハレックの小隊の穴埋めのために、ガウェインたちの小隊に配された。入った当初から傷だらけのガウェインを見て、いつからか声を掛けてくるようになったのだ。
「デュマリオか。相変わらず間の抜けたような奴だ」
 ベイオルフが大きな眼を剥いてデュマリオを威圧する。しかし、デュマリオに臆した様子はない。ベイオルフの威圧には、すでに慣れてしまっているのだ。
「はいはい。ベイオルフ殿。急がないと遅れますよ。兵長殿が遅れたら示しがつかない」
「そう言うなら呼び止めるな」
「いやいや、遅れるかもなーと思ったところ、諸君らを見つけてね。まあ、ご一緒すれば、罪も軽くなるかな、と」
「お前、道連れにするつもりか!」
 ガウェインとスタンリックが、ベイオルフとデュマリオの応酬を啞然とした様子で見つめている。
 すでに召集の刻限は過ぎている。それに気づいたガウェインが、はっとした。
「あ、召集…」
 ガウェインがそう言いかけた時だった。一騎が慌ただしく、野営地の脇を駆けていった。
「敵、敵だ‼ 前方、十セイブ先(一セイブ=一キロ三メートル)に、デルーニの傭兵!」
 自分の鼓動が跳ねるのを、ガウェインは感じた。同時に体に血が巡り、体温が上昇する。
「ガ、ガウェイン君…」
 ガウェインの鬼気迫る形相を見て、スタンリックが息を呑んでいた。まさしく、復讐に燃える修羅のごとく。ガウェインの胸の奥の暗い炎は、デルーニという言葉に反応して一層、烈しく燃え盛っていた。
 ガウェインが駆け出す。だが、その先をすでにベイオルフとデュマリオが駆けていた。慌てて、スタンリックも駆け出していた。
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