白日 Ⅷ

文字数 1,949文字

 張りつめた冬の風が吹き抜ける。街路を行く人々が、冷たい空気に身を小さくしていた。
 ビフレスト州アピナス郡コックスクレイム城。ゲルニカで傷を癒したゲッツは、カリムからの呼び出しを受けて、居館に急いだ。
 コックスクレイムに到着したゲッツは、すぐにカリムと面会した。そこで告げられた事実は、ゲッツを驚かせるのに充分であった。
「領地替え、ですか⁉」
 アテン城を奪回したブライトナー軍は、アフタマート青年同盟をモンテカルム城まで追い詰めた。モンテカルム城に籠ったエグモント・マンヘイムは、アースガルドへの完全撤退を考えていたが、マーナガルム傭兵団の団長アルファード・ヴィニシウスが交戦続行を訴えていた。しかし、マーナガルム傭兵団は所詮雇われの身である。意見が容れられるはずもなく、アフタマート青年同盟はアピナス郡から引き上げると思われていた。しかし、事態は急変を迎える。
「密偵からエグモントが撤退を決断したとの情報が入った矢先のことだった。皇都ログレスから、ファオラ・ソト中軍参事が到着した。イングリッドランド王国とアースガルドとの間で協議が成立し、アピナス郡の半分をアースガルドに割譲することになったらしい」
「そんな馬鹿な。条約でもビフレスト州はイングリッドランド王国の領土と明記されているはずでしょう。それを割譲するなど、道理が通りません」
 カリムがこめかみに手を当てた。眉間に刻まれた皺は、苛立ちとやるせなさを表している。血を流してここまで戦ってきたのは、決してアースガルドに領地を明け渡すためではない。カリムの心情を察したゲッツは、それ以上言葉を続けることを避けた。
「アースガルド中央議会は、穏健派の巨頭シュルト・オーズ・ディートリッヒが大きな影響力を持っているが、近年は一枚岩とも言えない状況になっているのだ。かのウォーゼン・デュール・ベルゼブールと、ウォーゼンが掲げたジュピス・デルーニズムを信奉する若手の強硬派が台頭してきている。次代を担う若手の意見を無視する訳にもいかないだろうが、若手の強硬派が穏健派との軋轢を生んでいるのだ。議会の進行も度々滞るようになっているらしくてな。穏健派の長老たちも苦労をしていると聞いた」
「そうしたデルーニ若手の溜飲を下げるための、領土割譲ですか。それでは何のための条約なのかわかったものではありませんな。先人の築いたものを打ち毀す暴挙です」
 突然カリムが低く笑った。ゲッツはそれが理解できず、首を傾げた。
「なにか?」
「いや、君の文言を聞いていると、まるで王国の臣下のようだと思えてきてな。一介の傭兵がそこまで感情を顕わにするのも珍しいものだ」
 ゲッツはしまったと思ったが、すぐに取り繕った。いつも通り平静に、普段と違うことを悟られないようにすることに努めた。
「通常の戦闘ならば何も申し上げません。ですが、相手がデルーニ族であるならば別です。私も人間ですから。デルーニ族に領土を明け渡すことを肯んじることはできないというだけです」
「そうだな。まったく貴公の言う通りだ」
 カリムが深いため息をついた。これまでの戦いが徒労に終わり、疲れが一気に襲ってきたのだろう。カリムの心労は相当なものであった。
「ログレスから新しい領地を用意されている。アピナス郡よりも広く、穏やかな土地だ。悠々自適の生活を送るのには問題あるまい。それから慰労金も大量に支給されてな。それはすべて貴公に贈ろうと思う」
「私に、ですか?」
 戸惑うゲッツに対し、カリムが平然と頷いた。
「此度の戦いで多くの犠牲を出したのは、貴公の傭兵たちであろう。依頼の報酬とは別に、その慰労金を贈りたい。私からのせめてもの謝意だ」
「そんな、とんでもございません。しかし、よいのですか?」
「我が軍の犠牲者への恩給は、自分の金で賄えるよ。そのための税収であるからな」
「痛み入ります」
 ゲッツは深々と頭を下げた。私利私欲のない公正な貴族だったが、ここへきてさらなる懐の広さをみせたカリムに、ゲッツは感服するばかりであった。こういう男が上に立つべきだと、しみじみと思った。
「さて、退去に伴う雑務に追われる前に、ひと休みさせてもらうとするか。アフタマート青年同盟がアースガルドへ引きあげたら、貴公も兵を払ってもらってよい」
「わかりました。もう戦闘もなさそうなので、自分もいろいろと片づけてからゆっくりしようかと思います」
「それがいい。休める時に休むのも、将たる者の務めだ」
 一礼したゲッツは、カリムの居室を後にした。居館から出ると、身を切るほどの寒さがゲッツを襲う。慌ててローブを着こみ、馬に乗った。
(あらかた片づきはしたが…。後の問題は、やはりあいつか)
 馬腹を蹴ったゲッツは、ヘイムダル傭兵団が幕舎を張る野営地に向かった。
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